3月25日にドバイで開催されたドバイミーティングでは、日本馬が躍動した。
ゴドルフィンマイルではユートピアが優勝し、日本馬として初めて海外ダート重賞を制覇した。ドバイシーマクラシックではハーツクライが圧勝して、ステイゴールド以来の勝利をもたらした。そして、ドバイデューティフリーで2着に5馬身差、3着に8馬身差をつけてテンペストクェークは勝利した。
栄光をつかんだテンペストクェークはレース後もケガ等の問題が起きることはなく、3月末に日本に帰国した。そして、検疫期間後は、美浦トレーニングセンターの藤山厩舎に戻り、激走と輸送の疲れを癒しつつ、次の戦いへの準備を進めていた。
「テンペストの調子はどうですか?」
「さすがのテンペストもレース数日後に飛行機での輸送が重なったので、少し疲れ気味です。ただ、1週間もすれば体力も気力も回復すると思います」
「わかりました。次のレースは少なくとも中4週間以上はあける予定です。無理なくダメージを抜いてきますので、引き続き頼みます」
「わかりました」
そういうと、秋山は別の馬の馬房の掃除があるため、そちらに向かっていった。テンペストの馬房の前に、藤山は一人残された。
目の前では、テンペストが「なんだ?」といった感じで藤山の方を向いていた。
「次はどうするか......」
4月以降に日本で開催されるGⅠ競争は、天皇賞・春、安田記念、宝塚記念の3レースがある。天皇賞は、3200メートルという超長距離は論外であるため、候補から外れる。
「安田記念か宝塚記念か……」
テンペストに有利なのは、マイルレースで直線が長い東京競馬場開催の安田記念である。ただ、2200メートルの宝塚記念も出走してみたいという気持ちはある。
何より、すでに水面下でディープインパクトVSテンペストクェークが実現するのではないかと動き始めているのを感じ取っていた。
安田記念から宝塚記念の連戦も考えたが、どちらも中途半端な結果に終わる可能性もあるため、どちらかに絞る方がいいと藤山は思っていた。
「宝塚記念に行くなら、途中でどこかのレースを使うか?3か月間何もしないのもどうかと思うしな」
5月27日開催の芝2000メートルの金鯱賞あたりが考えられるが、これも本当に必要なレースなのかはわからなかった。
「西崎さんに信用してもらっているからって自分勝手に決めていいわけじゃないからな……」
オーナーの西崎もいろいろとテンペストの出走計画や騎手、厩舎について口を挟まれたりしているらしい。
「もっといい厩舎がある」
「もっと腕のいい騎手を乗せろ」
こういった言葉をうんざりするほど聞かされるようになったと、愚痴られたほどである。
確かに、厩舎や騎手を見ると、何故ドバイDFを制覇できたのか不思議なほどのメンツである。多くの人は、「テンペストクェークという馬は、誰が管理してもそれぐらいの結果を出せる怪物だからだ」と思っている。実際にその側面は強い。彼は、すでに歴史に名を遺した名馬たちに匹敵する強さに成長している。
しかし、それでもテンペストの実力が花開いたのは、自分たち藤山厩舎の努力があったからだと思っている。
騎手の高森も、皐月賞で彼と折り合って以降は、まさに人馬一体の活躍をしている。藤山もテンペストを高森騎手以上に乗りこなすことが出来る騎手などいないと思っている。
つまり、テンペストクェークという怪物におんぶにだっこというわけではないのである。
「目立つと余計なことを言ってくる奴が必ずいる。その中には役立つアドバイスがあるかもしれないが、大半は無視しなさい。何が必要で、何が不必要かについては、君たちは学校やここでしっかりと学んだはずだ。また、注目されているということを自覚して、不用意な発言、行動には注意してください」
調教助手や厩務員たちには、テンペストクェークという宝石が、自分たちの手にあることを自覚するように訓示してある。
JRAによるディープインパクトのごり押しとも呼べるような宣伝の結果、競馬界は盛り上がっている。そしてそのディープインパクトに対抗できる馬としてテンペストクェークも注目を浴びている。
取材などもかなり増えてきていた。今までの藤山厩舎にはなかった変化である。
雑音が増えたので、これまで以上に気を付けなければならなくなったのである。
「宝塚か......今のテンペストなら......どうだろうな」
昨年の秋の活躍やドバイでの激走。そして日々の調教の様子。これらを見て、テンペストは既にディープインパクトに匹敵する馬なのではないかという考えが、確信に変わりつつあるのを覚えていた。
「全く、安田か宝塚か、なんて贅沢な悩みをさせてくれるねえ」
うれしい悲鳴だと言いながら、馬房から首を出していたテンペストを撫でる。
なんや? といった感じでテンペストが嘶くと、藤山が被っている藤山厩舎専用のキャップのつばを咥えて、そのまま頭から取ってしまった。
「また、変な遊びを覚えて……返しなさい」
「嫌だね」といった感じで嘶き、首を上に振って口にくわえた帽子を放り投げた。
そして、タイミングよく頭の上に落として、帽子を被ったのであった。
「帽子が好きなのかね……新品を用意してあげるから」
これ以降、彼は藤山厩舎の帽子を頭にのせることが多くなった。特に取材のときは帽子をよこせ、とせがむようになった。その姿は、自分も藤山厩舎の一員であることを示すようであった。
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俺は馬である。
先日、俺は国外のレースで1着となった。
人の数や盛り上がり、おっちゃんたちの雰囲気。そして、俺をわざわざ飛行機に乗せてまで海外のレースに出したのだ。相当に重要なレースだったのだと思う。
だからかなり気合を入れて走った。
レースでは、最後に俺と競ってきた馬がいたが、最後はぶっちぎってやった。
これで俺は5連勝だ。まだまだ連勝は続けたい。
ただ、レースが終わった数日後に飛行機に乗せられて、見知らぬところで過ごしたのは、さすがに疲れた。
やっとトレーニング場の自分の部屋についたときには、知らず知らずのうちに精神的にも疲れが出ていたことを改めて感じた。
そして、最近はまたしっかりとトレーニングを積んでいるのだが、ちょっと面倒なことになり始めていた。
【またお前か】
【絶対に勝つ】
俺と同じくらいの大きさの明るい色をした馬が最近になってよく絡んで来るようになった。
それで、こいつなんだが、物凄く我が強い。そして俺様気質だ。
そうなると一応ボスを務めている俺のことが気に入らないようで、目を合わせるたびに絡んでくるようになった。
日本に行く前にも一回走ったけど、その時よりもさらに威勢がいい。
実際一緒に走るとなかなか強い。あの黒い馬と同じくらいの強さや威圧感がある。
だが、俺も負けてはいられないんだよ。
【俺の勝ち】
【負けた。次は勝つ】
今日も併走で何とか追い抜くことが出来た。確かこいつはよく前の方でレースをしていたよな。だったら追い抜く練習の相手としては最適だな。それにかなり強いし。
「ダイワメジャーとテンペストは仲がいいんですかね……?」
「仲が悪いわけではないと思いますが……ダイワメジャーは負けん気も強いですから、いい刺激になると思います」
「テンペストは強者にモテモテですね」
「ゼンノロブロイにアサクサデンエン、それにダイワメジャー。なんか年上のムキムキの牡馬からモテますね……」
【おい、もう一回走るぞ】
【お前も俺も疲れている。また今度な】
もーこいつしつこい~
次走ったらぜってー負かす。
だって、負けたら絶対こいつ煽ってきそうだもん。
「人間でもよくいるじゃないですか、男にモテる男。いや漢という言うべきか……」
「まあ喧嘩しないなら問題ありませんが、やっぱり心配ですね」
うるさい馬と離れて、クールダウンをしていると、前方で何か気に入らないことがあるのか、暴れている馬がいた。
【おい、静かにしろ】
全く、そんなんだと見放されてしまうぞ。
俺たちは人間ありきの種族なんだからな。
「すいません。おかげで落ち着きました」
「はあ……。テンペスト、変わったなぁお前」
トレーニングが終わると、俺はいつも通り身体の手入れしてもらい、飯の時間となった。
ウーム、うまい!
しばらくゆっくり過ごしていると、半年ほど前に見た人間たちが俺の部屋の近くに来たのであった。
アレは、アナウンサーちゃん!もしかしてまた俺に取材ですか?
【にいちゃん!帽子もってきて】
「あ~わかった、わかった。持ってきてやるから」
俺はもう有名人だからな。オシャレに決めたいぜ。
それに、この帽子は俺の世話をしている人たち全員が被っている帽子だ。俺もここの一員なんだから、被らせてくれよな。
「藤山調教師、いつも取材を受けていただきありがとうございます」
「いえ、皐月賞のころからの付き合いですからね。競馬ファンもテンペストのことも気になっているでしょう」
「まず、テンペストクェークのドバイデューティフリー制覇、おめでとうございます」
「ありがとうございます。いい勝負はしてくれると思っていましたが、想像以上の強さを発揮してくれました」
「海外のGⅠ馬に5馬身差での勝利でした。本当に強い勝ち方でした。レースでは想定通りの走りだったのでしょうか」
「テンペストは逃げ以外なら基本的にどのポジションについてもしっかりとラストでスパートを決めてくれます。なので想定通りといえば想定通りですね。ただ、レース展開が少しスローだったので、先行策を採ったのがあの着差の要因といえますね。その判断ができた高森騎手にも感謝です」
ウーム。やはり取材中におっちゃんにちょっかいを掛けるのは気が引けるな。ただ、物凄い真剣な取材ってわけではなさそうだ。
っと、兄ちゃんが俺の帽子をとってきたな。被せなさい。
「テンペスト、お前のお気に入りだぞ」
うむ、耳で支えるのが少し大変だ。
どう?似合ってます?
「帽子……?」
「どうもこの帽子が気に入ったみたいでね。彼もうちの厩舎の一人と考えれば彼専用の帽子があってもいいかなと思いまして。こうやって被らせてあげてます」
「テンペストクェーク号も藤山厩舎の一員といった感じですね」
「ええ、彼も我々の一員です。帽子に関しては想定外でしたが……」
「可愛らしい一面も見れたところで、次走についてお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか」
「次走ですが、安田記念か宝塚記念を考えています。まあこの辺りは競馬ファンの皆様なら予想がつくと思いますが」
「安田記念ですと、ニホンピロウイナー、ヤマニンゼファーから続く親子三代制覇を狙うことになりますね」
「ええ、是非獲りたいと考えています。ただ、宝塚記念を望む声が大きいのも事実です。この辺りはテンペストの調子、オーナーと相談の上、決めていきたいと思います」
「宝塚記念にはディープインパクトが出走すると考えられますが……」
ん?俺の方を見てどうしたんだ?
まさか何かついているのか?
あ~やっぱおっちゃんのスリスリが一番気持ちいええ。
「……そうですね。ただ……どのレースに出ても、テンペストは負けません。絶対に。今のテンペストには絶対があります」
「……あ、ありがとうございました。ものすごい自信を見せた藤山調教師への取材でした」
おい、なんかアナウンサーちゃんが少し引いているぞ。何言ったんだよおっちゃん。
うーん。なんか余計なことを言ったような気がするぞ……
まあ、俺は俺で頑張るだけさ。きっと俺の強さをアピールするようなことを言ったに違いない。俺の強さをこんなにも信じてくれているんだ。
取材が終わると、取材のクルーが俺を撫でてくる。
アナウンサーちゃん。俺もっと強くなるから、今後ともよろしくな~
この放送が競馬チャンネルで流れると、藤山陣営は完全に宝塚記念を射程にしていると競馬ファンは捉えてしまい、阪神大賞典→春天→宝塚記念を予定しているディープインパクトと宝塚記念で激突するのではないかという話がどんどんと広まっていった。
テンペストクェークは、どのレースに出るか正式に決まっていないのにもかかわらず、ディープインパクトの強さに惹かれたファンと、主に昭和から平成初期を生きた競馬おじさんたちから支持をうけたテンペストクェークのファンが、決戦は宝塚記念だと盛り上がり始めていた。
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「本当に申し訳ありません」
藤山は開幕早々西崎に謝罪していた。
後で自分の厩舎の調教助手や厩務員から、あの訓示は何だったんだよと白い目で見られていた。
「確かに文脈的にみると、テンペストクェークはディープインパクトには負けませんといっているようにしか見えませんね」
ディープインパクトが阪神大賞典を勝利。そして春の天皇賞ではマヤノトップガンが記録したレコードを1秒以上縮める走りで圧勝した。そして陣営は宝塚記念後に凱旋門賞へ行くことも表明していた。
そこに、テンペストクェーク陣営の藤山調教師の発言が重なり、宝塚記念でディープインパクトとテンペストクェークの対決が行われると盛り上がってしまった。
「つい勢いで言ってしまいました……」
「まあ、私としては別にテンペストを安田記念に出しても問題ないと思いますが……」
「JRAやメディアがあおり始めていますからね。ここで安田記念に行けば、間違いなく逃げたと揶揄されてしまいます。本当に軽率な発言でした……」
「頭を上げてください。それに、遅かれ早かれ、このような状況になっていたと思います」
藤山調教師の発言は、テンペストクェークはどのレースでも絶対に勝つ。そして、その相手はディープインパクトただ一頭のみであるという風に捉えられていた。
これに反応をしたのが、他の有力馬の関係者たちであった。
昨年の快進撃から警戒は受けていたが、ドバイDFの圧勝と取材での発言もあり、栗東や美浦の関係者が打倒ディープインパクトに打倒テンペストクェークが加わって燃え上がっていた。
「テンペストクェークが他の関係者から超えるべき壁として扱われるようになるとは思っていましたが、あの取材が着火剤になってしまいました。ただ、過去の名馬たちも皆このような扱いを受けていましたので、彼も名馬の一員になり始めているのだと思います」
「そうなると、ディープインパクトの陣営はもっと大変そうですね」
「なかなかプレッシャーで苦労しているという話は耳に入りますね。多分あちらさんはもっとプレッシャーがかかっていると思いますよ。何せここまで無敗で来ていますからね……」
ディープインパクトは弥生賞から重賞を8連勝、GⅠを5連勝している。宝塚記念を勝利すれば、GⅠ6連勝と、テイエムオペラオーやシンザン(後のGⅠレースを6連勝しているため)に並ぶことになる。
「結局のところ、テンペストクェークは宝塚記念を走れるのですか?さすがに日本ダービーのようになるなら別のところを走らせますよ」
「走れます。2200メートルは彼の本気が発揮できるギリギリの距離ですが、問題ありません。2300メートル以上走ると、馬が本能的に走るのを止めてしまうと思います。ダービーのときもそうでしたので」
「勝算はありますか?」
「100%勝つとは言えません。ただ、テンペストクェークはすでに中距離なら歴代最強クラスの馬になっています。ですので、勝算はあります。……いえ、絶対に勝ちます」
宝塚記念はグランプリである。ただ、すでにGⅠを3勝しているトップホースのテンペストクェークが除外されるとは到底考えていなかった。
「わかりました。宝塚記念でいいと思います。それに、3連敗のまま終わらせたくありません」
西崎は、藤山調教師が口が滑った理由がなんとなく分かったのであった。
彼は、テンペストがディープインパクトに負けるとは心の底から思っていない。絶対に勝てると考えているから取材で口にしてしまったのだろうと考えた。
そこまで自信があるならと、西崎は決断したのである。
普段は、テンペストクェークには最後まで走り切ってくれれば基本的には何着でも問題はないと思っている(もちろん狙うのは1着であるが)。
ただ、今回ばかりはテンペストクェークに勝ってほしいという欲があった。そして、彼の底知れない強さと、藤山調教師の言葉を信じることにした。
5月、テンペストクェークは宝塚記念出走を正式に表明した。
テンペストクェークは5歳も走りますので安田記念と3階級GⅠ制覇への挑戦は来年になります。