10ハロンの暴風   作:永谷河

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決戦、宝塚記念 前編

2006年、日本競馬界は異様な盛り上がりを見せていた。

6月25日、京都競馬場開催の宝塚記念にて、無敗で三冠を制し、一度も前を譲ったことがないディープインパクトと、ドバイDFを含めた重賞5連勝中のテンペストクェークの両雄が激突することが決まったからである。

 

メディアは当初、ディープインパクトを大規模に宣伝していた。その甲斐もあってか、競馬場に押し掛けるファンは増加していた。しかし、ごり押しにも近い宣伝に、ちょっとした反感を持っている競馬ファンも数多くいた。もちろん彼らは、自分の眼で無敗の三冠馬を見ることが出来たことに歓喜していた。そしてディープインパクトの走りに魅了されていたことは事実であった。

しかし、父サンデーサイレンス、そして毎度おなじみの生産者。これに少し飽き飽きしていたことも事実であった。クラシック時代からディープインパクトには絶対があった。絶対の強さが競馬ファンを退屈にさせたのである。

この状況に現れたのが、昭和後期から平成初期にかけて活躍した名馬の血統を受け継いだテンペストクェークであった。

彼の評価は、弥生賞までは、ヤマニンゼファーの素質馬がいる程度の認識だった。

皐月賞では、ディープインパクトを最も追い詰めた馬と評価され、ファンの脳裏にその姿を焼き付けた。

秋からは古馬戦線に殴り込みに行き、3歳で天皇賞・秋とマイルCSを勝利して、その強さは本物だと考えた。

そして、2006年春にはドバイDFを圧勝したことで、彼の強さは怪物だと認識した。

 

この強さに競馬ファンは飛びついた。

ディープインパクト一強を打ち崩せるのは彼しかいないと。

ディープインパクトブームによって増えた新参競馬ファン。ここにテンペストクェークに惹かれた古参競馬ファンが合流することで、ブームは一気に爆発した。

 

その動きを察知したメディアは、ディープインパクトとテンペストクェーク双方を一気に推しはじめた。ケーブルテレビだけでなく、通常の民放放送までもがこの熱狂の渦に飲み込まれていた。

スポーツ番組で特番が組まれ、宝塚記念のCMが次々と放送された。

この6月だけは、かつての競馬ブームを彷彿とさせる熱狂が日本を支配していた。

 

 

「盛り上がってますね」

 

 

「ちょっと盛り上がりすぎですね」

 

 

宝塚記念の約1週間前に、東京のとある会議室。西崎と藤山はいつもの会合を行っていた。

藤山はやたらと増えた取材を受けていたこともあり、少々お疲れ気味であった。

西崎も、相変わらず余計な口を出してくる人をあしらいながら仕事をしているので、彼も少々疲れ気味であった。

 

 

「ここ数週間、ちょっと競馬が盛り上がりすぎではないですか。CMも宝塚記念のモノばかりやってますし。スポーツ番組でテンペストの取材が流れたときはびっくりしましたよ。ゴールデンタイムですよ……」

 

 

「意外と芸能界やメディア界に熱狂的な競馬ファンがいますからね。視聴率と自分の趣味を兼ねた番組を、大手を振って作れるので張り切っている人が多いみたいです」

 

 

「結構テンペストのファンも多いってことがわかりましたよ。愛されているんですね」

 

 

「彼の父親のヤマニンゼファーがとても人気のある馬でしたからね。テンペストの祖父や父が走っていた時代を知っている競馬ファンが応援しているみたいです。あとはディープインパクト一強に対する反発も影響しているようです」

 

 

「うーん。テンペストは判官贔屓で人気って感じですかね」

 

 

弥生賞と皐月賞、日本ダービーで3連敗しているため、ディープインパクトの方が強いと思われているのは事実であった。

 

 

「いえ、意外とテンペストの方も評価されていますよ。少し距離不安がささやかれていますが……これは仕方がありませんね」

 

 

日本ダービー以降は一度も2000メートルを超える距離を走っていないのである。そのため、距離が少し長いのではないかと危惧しているファンも多かった。歴代の宝塚記念の勝ち馬をみても、2400メートル以上のレースを勝っている馬がほとんどである。

 

 

「あとは、騎手や調教師の差も勝敗に大きく影響するんじゃないかと言われてますね......まあ、私の厩舎はテンペストが来るまでGⅠ馬がいませんでしたから。ただ悔しい限りです」

 

 

「そんなことありませんよ。藤山先生にはいつもお世話になっていますし、テンペストがここまで強くなったのは先生の貢献も多いと思いますよ」

 

 

テンペストに素質があったとはいえ、馬主初心者の西崎を父との縁があったからという理由で受け入れてくれたことには感謝していた。また藤山厩舎は重賞馬の数こそ少ないが、コンスタントにオープン馬を輩出しており、金もコネもあまりない馬主たちからはかなり評判がいい厩舎である事を西崎は知っていた。そのため、テンペストの成長に藤山が大きく貢献しているという言葉はお世辞でもなんでもなかった。

 

 

「そう言っていただけるのはありがたいです。それよりも高森くんに結構なプレッシャーがかかっているのが心配ですね。もう50近いとはいえ、こんな経験初めてでしょうから」

 

 

48歳の大ベテランで、テンペストクェークではじめてGⅠを手にした騎手である。お世辞にも名騎手とはいえない評判(彼の名誉のために言っておくと下手くそと罵られるほど酷い訳ではない)であるためか、馬におんぶに抱っこのリュックサックなどと揶揄する人もいるぐらいだ。

 

 

「世間の評判ではアレですけど、私たちはそうは思いませんよ。そうでなければとっくに変えていますし。テンペストにはやはり彼しかないと思います」

 

 

「高森騎手以外にテンペストと呼吸を合わせて走れる騎手はいないと思います。テンペストも慣れた騎手の方が走りやすいと思いますしね。宝塚記念以降も彼でお願いしたいと思っているくらいですよ」

 

 

高森くんも本当にいい馬主さんに巡り会えたなあと藤山は呟いた。

尤も、彼はテンペストクェークに乗っている時だけは本当に輝いているので、たとえ西崎以外がテンペストの馬主だったとしても高森騎手を変えてくれなどとは言わないだろうとも思っていた。

 

あとは調教についてです、と前置きを置いて藤山は話し始める。

 

 

「テンペストの調教の方も問題なく進んでいます。スピードや瞬発力は現状でトップクラスのものがあります。そのため、課題はスタミナです。実際の競馬は2200メートル以上は走らされますので、少なくとも2300メートルまでは走れるくらいのスタミナを付ける必要があります。そのため、先週までは本番に向けて厳しめの調教を行なっていました」

 

 

ドバイから期間が空いたこともあり、疲労も完全に抜けていたこと。そして怪我には細心の注意を払っていたこと、そして彼自身の頑丈さも相まって、厳しめの調教を受けながらもテンペストの健康状態、脚部状態は共に良好であった。

 

 

「このままいけばドバイよりも完璧な仕上がりで宝塚に行けると思います」

 

 

「それならよかったです。大一番に絶不調では情けないですからね」

 

 

「テンペストは人の感情を読むのがうまいですからね。次の宝塚記念はドバイよりも厳しいという厩舎の雰囲気を感じ取っているみたいです。今まで割と調教中も遊んだりすることが多かったんですけど、ここ数週間は本気モードに入っているようで、おふざけが一切なくなりました。もう一段階成長したと思います」

 

 

そういって不敵に笑う藤山をみて、やはりこの人は、最初から負ける気などゼロだったのだと西崎は認識した。

 

 

「勝ちましょう。勝ってあの国に出ましょう」

 

 

「ええ。あそこに行くのは、国内最強馬を討伐してからですね」

 

 

二人は怪しく笑いながら、宝塚記念と、その後のテンペストクェークについて話し始めた。

 

 

 

 

6月25日、宝塚記念当日。

テレビはこぞって中継番組を作成して放送していた。

 

『日本を震撼させた無敗の三冠馬が、今日ここ京都競馬場で2200メートルを走ります。三冠馬となった菊花賞、そして驚異のワールドレコードをたたき出した天皇賞・春。その京都競馬場で新たな伝説を作ることはできるのでしょうか。この淀の舞台を制し、凱旋門につなげることはできるのでしょうか。衝撃の英雄、ディープインパクトが出走します』

『主役はディープインパクトだけではありません。涙をのんだ3歳春。覚醒した3歳秋。天皇賞秋・マイルCSを連続で制覇。そして日本馬初のドバイDFを5馬身差で勝利。マイルから中距離で圧倒的な走りを見せています。今日、この淀の舞台で暴風は吹き荒れるのか。暴風は衝撃を呑み込むのか。そよ風を超えた暴風、テンペストクェークが出走します』

『本日は京都競馬場で春競馬の総決算、第47回グランプリ宝塚記念が行われます。注目は凱旋門賞出走を表明しているディープインパクト、そしてドバイDFを圧勝し、今ノリに乗っているテンペストクェークの2頭です』

『多くの競馬ファンが待ち望んだこの宝塚記念。京都競馬場はあいにくの天気となっております。昨日より降り続いた雨により、馬場状態は稍重となっておりました。しかし先ほど馬場状態が重となりました』

『かなり強い雨が降るときもあり、傘が手放せない天候です。しかしながら、京都競馬場には発表によりますとすでに約10万人以上のファンが駆けつけています』

『現在ディープインパクトは単勝2.2倍、テンペストクェークは単勝3.8倍となっております。ディープインパクトが人気では優勢でありますが、ほぼ完全な2強体制となっております』

『枠順は、注目のディープインパクトは6枠9番、テンペストクェークは3枠3番になっております』

 

 

京都競馬場は大雨となってしまった。それでも10万人を超える観客が集まり、京都競馬場は大盛況となっていた。

 

『ディープインパクトはここで勝てばGⅠを6連勝。日本記録に並びます。そして、このレースの後は凱旋門賞へ向かいます』

『そうですね、ここを勝って弾みにしたいと考えているでしょうね』

『そして、今日は天候が雨になってしまいました』

『馬場状態がちょっと心配になりますね。重馬場との発表ですが、不良に近い重なんじゃないかなと思います。前のレースもかなり遅いタイムになっていましたし、芝や泥が飛んでいましたからね。馬場状態は、相当悪いと思います』

『ディープインパクトがこの馬場状態でどの程度パフォーマンスを発揮できるのかが気になりますね。阪神大賞典は稍重でも圧倒的な走りをしましたが、それを下回る馬場状態ですからね。ここでもいつものパフォーマンスをすれば、勝算は高いのですが……』

『ディープインパクトに関しては、ここで重馬場を経験できたのはよかったのではと思います。ロンシャンの芝は非常に重いことで有名ですからね』

『一方のテンペストクェークは中山記念で重馬場でも全く問題ないことをすでに見せていますから、馬場状態だけで見ればテンペストクェークの方が有利なのかもしれません』

『しかしね、距離がちょっと未知数なんですよね。日本ダービーではラスト200メートルほどで失速していましたので……』

『ただ、1年前のことですからね。秋に本格化してからは手が付けられないくらい強かったですから、2200メートルなら走り切ってしまうのでは?とも思います』

『色々と不安点はありますがディープインパクトより先着できる実力はあると思います』

『なるほど……どちらにも勝算があると見ました』

 

 

その後、番組はディープインパクトのGⅠレースの映像を、テンペストクェークの映像を流して、解説陣がこれを盛り上げていった。

 

 

『パドック周回が始まりました。注目のディープインパクトですが、442キロとやや増となっております。身体付きも良好でかなり期待ができる状態でしょう』

『追い切り評価も高く、いつも通りのパフォーマンスが発揮できると思います』

『2番人気のテンペストクェークですが、馬体重は520キログラムと、ドバイDFと増減がありません。これは、完璧に近い仕上がりなんじゃないでしょうか。ドバイDFと同等か、それ以上のパフォーマンスができるのではと期待してしまいます』

 

 

その後、番組は3番人気以降の馬を紹介していく。

そして、解説陣や競馬好きの芸能人が次々と自分の予想をしていくが、7割がディープインパクト、3割がテンペストクェークを本命においていた。

 

 

『本馬場入場が始まりました。第47回グランプリ宝塚記念、開催です』

 

 

『……今日の大注目、ディープインパクト。無敗ロードはまだまだ続くか。名手に導かれロンシャンへの道筋を栄光で切り開く……』

『……涙をのんだ3歳春。反撃のときは来た。世界を制した暴風は、淀の舞台で吹き荒れるか。テンペストクェーク、鞍上は勿論高森騎手であります……』

 

 

馬場入場のポエムが流れる。

そして、返し馬が始まり、馬たちが雨でぬれた淀のターフを走り始めた。

返し場の途中、テンペストクェークが鞍上を振り落とすというハプニングがあった。

しかし、その後は何も問題なく走ってスタートポケットに向かっていった。

 

 

『返し馬が終わりましたが、ディープインパクト、テンペストクェークの調子はどうでしょうか』

『いや~いい感じですね。テンペストクェークが途中で高森騎手を振り落としたときはどうかと思いましたが、そのあと、全く問題なく走っていましたね。実際、ゲートインを待機していますが、落ち着いていますね。ディープインパクトの方も集中しているのがわかります。ちょっとテンペストクェークの方が、ディープインパクトの方を見ていますが、何か感じるものがあるのかもしれませんね』

 

 

解説陣が返し馬の様子を評価している。この時点で、2頭の評価は人気通りの高い評価であった。

そして、ゲートインが始まった。

 

 

『京都競馬場、馬場状態は重です。ただ、先ほどから雨がかなり強くなっております。状態は不良に近いのではないでしょうか』

『それでもこの観客の歓声です。今日のレースを心待ちにしていたのでしょう。そろそろファンファーレが始まります』

 

 

宝塚記念だけでしか使われない特別なファンファーレが鳴り響く。

 

 

『ディープインパクト、テンペストクェークはともにかなり集中していますね。歓声もファンファーレも、雨も関係ないといった形です』

 

 

ディープインパクトもテンペストクェークも全く問題なくゲートへ入る。

 

 

『……春のグランプリ、宝塚記念。今スタートしました!』

 

 

長く短い2200メートルが始まった。

 




この2006年宝塚記念は入場者数も売り上げもJRAが期待したほどではありませんでした。
天候もあったと思いますが、やはり絶対の強さは人を退屈にさせてしまったのだと思います。

ただこの世界では、中距離でディープインパクトを脅かすテンペストクェークという怪物がもう一頭いたので、盛り上がりました。今回の対決の舞台が2200メートルと絶妙な距離ですが、これまでの勝ち馬が2400メートル以上を勝っている馬が多いので、ディープ有利程度に思われていますが、それでも盛り上がっています。

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