8月22日にイギリスのヨーク競馬場にて施行されたインターナショナルステークスで、テンペストクェークは圧巻の走りを見せた。
2着ノットナウケイトに12馬身差をつけての圧勝であった。レースの歴代着差記録を更新したのである。イギリスのGⅠ競走の着差ではなかった。
英国の競馬関係者は、これからシーズンが終わるまでに8ハロン~10ハロン路線であの馬に勝たなければならないのかと息を吐いていた。
幸いなのは、スプリント路線と中長距離路線にはやってこないことだった。
一方で、インターナショナルステークスで燃え尽きてしまったのではないかと危惧していたのは、日本の競馬ファンや関係者である。あれだけの激走だったので、疲労や故障があるのではと考えていた。
しかし、藤山厩舎より発表された情報によって、取り敢えずは安心していた。
『馬に故障や重度の疲労がないかレース後に検査しましたが、今のところは特に不調はありません。疲労も我々の想定内のものでした。後になって不調が判明する場合もあるため、断言はできませんが、次は9月のアイリッシュチャンピオンステークスに向かう予定です』
映像も届いており、元気にご褒美の果物を食べて喜んでいるテンペストが映っていた。馬体はガレておらず、レースのときの輝きを失っていなかった。
『ラスト2ハロンあたりでスパートをかけようと思ったんですけど、テンペストが3ハロン前くらいで前に行きたそうにしていたので、鞭を入れました。その後もスイスイと前に行くものだから、大丈夫だなと思っていましたよ。もしかしたら、彼はこっちの芝の方が得意なのかもしれませんね。気持ちよさそうに走っていましたよ。終わった後の息の入りも良かったですし、クールダウンの走り方も問題なかった。頑丈な馬です。次のレースもしっかりと走ってくれると思います』
騎手の高森のコメントも記事になり反響を呼んだ。
4歳夏になって英国の芝が本来の適正馬場であるのではという疑惑が生まれたのである。
欧州の関係者は彼の血統に興味津々であった。
彼は1969年に欧州でマイルを中心に走っていたハビタットの直系であった。ハビタットは短距離から10F路線を中心として産駒を残しており、彼の血がこの地での激走につながっていると考えていた。また、母の血統にはニジンスキーもいるため、彼の血も影響しているのではと考える人もいた。
ただ、3代以内の馬の大半が日本の馬なので、結論は出なかった。結局のところ、競馬はこういう不思議があるから面白いのだということで結論した。
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俺は馬である。
今日はご褒美をもらっている。
果物うま~。
でも前に食べたメロンがいいなあ~
ね、にいちゃん?
「あのメロンはもうないよ。おしまい」
ちくせう。
さて、前のレースだが、少し調子に乗ってしまったな。
よく考えたらゴール板を一番初めに駆け抜ければいいので、あんなにぶっちぎる必要はない。
騎手君がおっちゃんに注意されていたし、すまんことをしてしまった。
次からはもう少しゆとりをもって走ろう。
まあ、負けないように走るけどね。
【う~ん気持ちいい】
俺は疲労回復に効くマッサージを受けながら体を震わせる。
「気持ちよさそうだな~」
「テンペストの状態もいいですし、アイルランド入りはできそうですね」
「まったく、前のレースは本気じゃなかったのかな」
「それはないとは思いますが……ただ、宝塚記念を見るに前に馬がいると頑張りすぎてしまうようですね」
どうも普段のレース後の雰囲気と違う。
おそらく俺はすぐに次のレースに向かうのかもしれない。
疲労の回復は進んでいるが、それでも万全の状態にしたい。
「それにしてもテンペストはよく食べて飲んで寝ますね」
俺が他の馬も観察して分かった事だが、馬は結構立って寝ていたりする。横になって寝ている時間もあるが、立ちながら寝ている馬も多い。
あと疲れていると食事も水もあまり摂れなくなってしまう馬もいたりする。
俺はやろうと思えば3時間くらい連続で寝れる。横っ腹をさらけ出しながらな。
ただ寝っ転がり続けるのは身体には良くないので2時間程度に一回は起きて飯と水を飲んでまた寝る。みたいなことを繰り返して俺は体を休めている。
ほかの馬は野生の本能が残っているのか寝ているときもそわそわしている馬が多い。
俺か?俺に野生の本能なんて残っていると思うか?
休養中での運動もしっかりと行う必要もある。
身体の疲労を抜きつつ、筋力や瞬発力、スタミナをキープしないといけないのが中々難しい。
まあ、俺はその辺の調節はかなり上手いけどな。
「なるべく今の力をキープしたままアイルランドへ行くぞ」
そろそろ運動の時間だな。人を乗せて走ることはしないけど、早歩きをしたり、軽く走ったりはする。
トコトコと身体の様子をチェックしながら歩く。
「足取りも軽そうだな。思った以上に疲労は蓄積していないみたいだ」
自分で言うのもあれだが、俺は結構頑丈だったりする。今まで一度もケガをしていない。
頑丈な体に生んでくれた母や、ご先祖様に感謝せねばな。
【ありがとう、まだ見ぬ父よ】
俺の短い休養期間は食って寝て運動してを繰り返して過ごした。
疲労が回復してからは短い期間ではあるがトレーニングを積んだ。
しっかり調整することが出来たし、いい感じでご飯や飲み物を与えてくれた兄ちゃんたちには感謝だ。
そして2週間もしないうちに、俺はまた別の土地に降り立つことになった。
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テンペストクェークはレースの少し前にアイルランドに入り、最終調整を受けていた。
中2週間の連戦となるため、馬の調子や疲労を見て出走の可否を判断する予定だったが、スタッフ全員が、この状態なら十分走れると判断したため、9月9日開催のアイリッシュチャンピオンステークスに正式に出走することを宣言した。
英国際S→愛チャンピオンSの連戦で連勝した馬は、2000年のジャイアンツコーズウェイがおり、アイアンホースとも言われた名馬である。これに続くことが出来るのかと期待されていた。
一方の欧州陣営は絶対にこれ以上は負けられなかった。賞金や種牡馬としての価値だけでなく、プライドにかけても勝たなければならなかった。
2006年の愛チャンピオンSは中々のメンバーが出走を表明していた。
前走のインターナショナルステークスでは、テンペストの前に4着に敗れた愛ダービー馬のディラントーマス。
ナッソーステークスなどGⅠを5勝しているアイルランド所属のアレクサンダーゴールドラン。
英オークス、愛オークスを獲り、2004年のカルティエ年度代表馬に輝き、古馬になってからは香港ヴァースやプリンスオブウェールズステークスなど、GⅠレースを合計6勝しているイギリス所属の牝馬であるウィジャボード。
以上の3頭が主な有力馬であった。
特に、地元のアイルランド所属で、自国のダービーを制したディラントーマス陣営は、雪辱に燃えていた。
アイルランド最大ともいえるオーナーブリーダーが馬主の馬であり、極東からやってきた馬に自分たちの芝を荒らされてたまるかという気持ちがあり、再戦に燃えていた。
「テンペストの方も調子はいいな。ただ、前に比べると少しスケールが落ちるな」
現地でテンペストの最終調整をしていた藤山や本村は、彼の馬体を確認して仕上がりをチェックしていた。
「脚、特に腱に熱は持っていませんし、筋肉の張りもありません。しっかりと走れる状態です。高森騎手に騎乗してもらって、脚や息遣いはいつものレース前と変わらないとのことです」
「それなら、大丈夫だ。医者も太鼓判を押していたし、これなら事故の可能性は低いだろう」
想定外だったのは、彼の回復力の高さと頑丈さであった。うれしい誤算でもあった。
ただ、それが絶対ではないのが競馬であるため、騎手の高森には、少しでも違和感があったらすぐに競走を中止するように厳命していた。
「凱旋門賞前に、ディープインパクトのライバルになりうる馬は全てつぶします。あの馬を倒したければまずはテンペストを倒してから挑戦しなさい、といった感じで」
なお、史実において2006年凱旋門賞に挑んだ馬はいなかった。
「門番が魔王級の強さなんですが……」
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「俺に金と休みがあれば……」
場所は変わってここは日本の東京のどこか。
この男は、ディープインパクトで競馬に入り、宝塚記念でテンペストクェークとの死闘を見て、完全に競馬に入れ込んだ若者であった。
インターナショナルステークスは、有給とボーナスを使ってヨーク競馬場に行くことができたが、さすがに2週間後にアイルランドに行けるほどの貯金はなかった。
そのため、競馬番組の中継で我慢していた。
彼は、イギリスで親しくなったテンペストクェークの大ファンの人からもらったのぼりを掲げてテレビを見ていた。
「それにしてもゼファー魂とテンペスト魂って……」
ヤマニンゼファーの方は水色の生地に赤色の文字、そしてテンペストの方は水色の生地に黄色の文字が書かれていた。どちらも勝負服の色を反映していた。
『……さて、そろそろ出走の時間です』
司会が映っているスタジオの映像から、現地の映像に切り替わった。
『アイルランド、レパーズタウン競馬場にて、もうまもなくアイリッシュチャンピオンステークスが始まります。解説はいつもの○○さんです』
『よろしくお願いいたします』
『今回は6頭の出走となります。一頭、出走を回避したため6頭立てのレースとなっております。頭数が少ないのはこちらはテンペストクェークの影響ともいえるのでしょうか』
『前走のインターナショナルステークスの走りがちょっと驚天動地でしたからね。疲労で出ないのかなって思ったんですけど、全く問題なく出走してきましたからね。現地でも一番人気ですし、相当脅威に映っているんじゃないでしょうか』
『改めてですが、GⅠレースが6頭立てとは日本では考えられませんね』
『ただ、当日の馬場状態や出走予定の相手によって出走取消にしたり、登録を控えたりすることは欧州ではよくあることです。ただ、勘違いしないでいただきたいのは、このアイリッシュチャンピオンステークスは、かなり格の高いレースです。凱旋門賞へのプレップレースとしての役割も大きいですが、中距離路線の重要なレースという格付けでもあります』
『なるほど。ありがとうございます』
テンペストが海外に行くということもあり、海外のレースについて掲載されている競馬雑誌を購入していた。記事には、数々の欧州の名馬たちがこのレースを勝利したことが書かれていた。
『出走馬を紹介します。2番のマスタミートは重賞を連勝しており調子を上げてきている馬です。4番はアレクサンダーゴールドランです。GⅠを5勝している馬です。5番はテンペストクェークです。前走のインターナショナルステークスでは2着に12馬身差をつける圧勝劇を演出しました。6番はウィジャボードです。前走のナッソーSでは4番のアレクサンダーゴールドランと壮絶なたたき合いを制しています。7番は2番人気となっているディラントーマスです。愛ダービーを非常に強い勝ち方をしました。そして1番はエースです。この馬はディラントーマスのペースメーカーとして出走するようです』
『ディラントーマスは調子がよさそうですからね。愛ダービーのときの力を発揮できれば、少なくともインターナショナルステークスのような走りにはならないでしょう。アレクサンダーゴールドラン、ウィジャボードともにGⅠを複数回勝利しており実績もありますので、油断できません』
『同じ厩舎からペースメーカーが出走していますね。こちらはレースにどのような影響がありますか』
『有力馬に有利なペースを作るために出走させることはよくありますが、その馬が勝ってしまったり、先着してしまったりすることもありますので、絶対にペースメーカーがいる厩舎の馬が勝つとは言えませんね。日本では見られない戦略があるのが欧州競馬の特徴です』
「ふーん。そんなのもありなのか」
問題が全くないわけではないし、いろいろと物議をかもしていることではあるが、新参ファンの彼にはよくわかっていなかった。
『テンペストクェークがゲートに入りました。もう間もなく発走です』
『……スタートしました。全頭出遅れ無しの好スタート。先頭に立ったのは予想通りペースメーカーのエース。最後方にマスタミートがいます。テンペストクェークは前から4番手の位置につけています。2番人気のディラントーマスは2番手、3番人気のウィジャボードは3番手となっております』
向こう正面の直線が800メートル近くあるため、しばらく順位の変動のない競馬が続いている。
『先頭は依然としてエース。そこから離れてディラントーマス、二馬身ほど後ろにウィジャボード、その後ろにテンペストクェーク。最後方にアレクサンダーゴールドランとマスタミートが続きます』
直線が終わり、第3コーナーに差し掛かると、先頭を走っていたエースに少しずつだが2番手以下の馬たちが追い付いてくる。
『第3コーナーに入りました。2番手はディラントーマス、1馬身後ろにウィジャボード。更にその後ろでぴったりと付けているのがテンペストクェークです』
第4コーナー以降は緩やかに上り坂となっているためパワーやタフさも求められるレースである。テンペストは2200メートルのレースも経験しているため、大丈夫だと思っていた。
『第3コーナーを回って第4コーナーに向かいます。ここから緩やかな上り坂になりますが、テンペストクェークは末脚を発揮できるか。先頭のエースが5頭を引き連れて、最後のコーナーを回っています。ここでウィジャボードが上がってきたぞ。マスタミートとアレクサンダーゴールドランはまだ後方にいる。2番手のディラントーマスも上がってきた。最後の直線に入ってきた』
直線に入り、先頭の3頭が横並びになる。テンペストはその後ろにいた。
「前がふさがれているぞ。大丈夫なのか!」
前に先行馬3頭。そして外は後方から追い上げてきた2頭の馬でふさがれてしまっていた。
『ディラントーマスがエースを捉える。エースはここでいっぱいか。ディラントーマス先頭。二番手はウィジャボード。テンペストクェークはまだ後ろにいる。この位置で大丈夫なのか。後方から二頭も上がってくる……』
先頭を走っていたペースメーカーのエースはその役目を終えたとばかりに後方へとズルズルと後退していった。その後退していくピンクの勝負服を見ていた実況が気付く。
『ディラントーマスとウィジャボードのたたき合いになった。後方外からアレクサンダーゴールドランとマスターミートが追い上げるがこれは届かないか。ああっとテンペストクェークがエースを躱してインから伸びてくる。高森騎手が鞭を入れている。残り2ハロン。これは届くのか』
「来た!来たーーー!」
テンペストの猛烈なスパートが始まったことに興奮して、持っていたのぼりを放り出して歓声を上げる。
『ウィジャボードが先頭、ディラントーマスも負けじと差し返す。2頭のデッドヒートだ。内からテンペストクェークも伸びてくる。すごい末脚だ。これは届くか。届くのか』
2頭の争いを最内側から強襲したのはテンペストクェークであった。
残り100メートルでディラントーマスに追い付くと、そのまま2頭のデッドヒートに加わる。
『内側からテンペストクェークがきた。2頭に並んだ。ディラントーマスが出たぞ。テンペストは大丈夫か。ウィジャボードも差し返す。3頭の叩き合いになった』
「差し切れ!行け、差せ!」
『テンペストクェークが伸びる。抜け出した。テンペストクェークが抜け出した。差し切った差し切ったゴールイン。ラスト1ハロンの死闘を制したのはテンペストクェークだ!』
ゴール前50メートル付近で前に抜け出したテンペストクェークが半馬身ほど差をつけてゴールラインを通過した。
「……やった!勝ったぞ!テンペスト万歳。ゼファー魂万歳!」
『直線の途中までは完全に進路をふさがれていたテンペストクェーク。しかし見事に内ラチと衝突寸前ともいえる場所から強襲して差し切りました。タイムは2.02.7です。2着ディラントーマスに半馬身差です。3着はウィジャボード、4着にアレクサンダーゴールドラン。5着にマスタミート。6着にエースという結果になりました』
『いやー最終直線に入ったときに、前と外がふさがれた時はどうかと思いましたけど、最内を攻めて突破してきましたね』
『残り1ハロンを過ぎたあたりで競り合いを演じている2頭に割り込んできました形となりました』
『そうですね。ペースメーカーのエースが後退していって、2頭の叩き合いになった事で、ディラントーマスの内側にスペースが空いていたんですよ。後退しているエースを躱したのもすごいですが、あのインに突入するのは中々難しいですね。ただ、テンペストクェークは宝塚記念で、中央突破で一気に前をこじ開けていますから、こういった展開は得意なんだと思います。隣に馬がいても、柵があっても容赦なく末脚を爆発させることが出来る。馬と騎手が一体でないとできないことです。もちろん前をふさがれるという展開に持ってこないのが一番なんですが、こういった状況に陥ったときに、こういった騎乗ができるのは本当に素晴らしいと思います』
テレビでは、レースの映像が再び流れており、解説が高森騎手の騎乗をべた褒めしていた。
『ディラントーマス、ウィジャボードも強い走りでしたね』
『そうですね、ディラントーマスはまだ3歳馬ですし、今後も楽しみな1頭になりそうです。注目しておくといいかもしれませんね』
『どちらかが凱旋門賞に来る可能性もありますね。その場合はディープインパクトと戦うことになりますね』
『私も楽しみにしています。是非出てきてほしいです』
『それにしても本当に素晴らしい末脚でした。えーっと計測した上がり時計ですが、ラスト1ハロンが10秒台だったようです』
『10秒台……レパーズタウン競馬場のパワーのいる芝でこれだけの数字が出せる日本馬はテンペストクェーク以外にはいないと思います』
『本当の本当に強い馬です。テンペストクェーク。次走は8ハロン路線に向かいます。クイーンエリザベスⅡ世ステークスに出走予定です』
『今年はメンツが揃うと思います。更に厳しい競馬になると思いますが期待していきたいです』
「いいレースだった。これでテンペストクェーク。GⅠを6連勝か。確かGⅠの連勝記録は6連勝だったような……ってことはタイ記録更新ってことか」
次のレースも絶対に見ると。そして可能なら、また欧州に行って生でレースが見たいと思っていた。
「って、あの人。アイルランドまで行ってたのか……」
奇妙なのぼりや横断幕を持った人が中継に映りこんでいたのを彼は見逃さなかった。
今のテンペストの強さは、最近偉い人のガチ目に怒られている生涯収支マイナス1億円君が100回賭けても100回勝つくらいには強いです。