「ちょっとわからないかもしれんなあ」
珍しく先生が弱気になっている。
テンペストの調教は順調であった。追切の様子も問題はなく、今もパドックで調子がよさそうに歩いている。
ただ、騎手の眼から見てもスズカフェニックスの仕上がりはかなりのモノだ。雰囲気としては宝塚記念のテンペストに似ている。
そして騎手は彼だ。
……なんだか縁があるなあ
まあ、それだけ多くの馬に乗っているということなのだろう。
それにスズカフェニックスはサンデーサイレンス産駒だ。
マーベラスサンデー、サイレンススズカ、スペシャルウィーク、ディープインパクトetc.
サンデー産駒で数多くの栄光を勝ち取っている騎手だ。
そして、今日のライバルは奴だと俺の本能が知らせてくる。
「いろいろと不安要素があるが、こちらでできる限りのことはしました。後は頼みます」
「高森騎手。テンペストをよろしくお願いします」
今までのように圧倒的なレースはできないかもしれない。
だが、負ける気など毛頭もない。
「大丈夫です。彼の強さは本物ですから。表彰式の準備をしていてください」
これは自惚れではない。油断でもない。
勝ちに行くぞ、テンペスト。
馬場に入場するとき、テンペストが見つめていた先は、スズカフェニックスであった。馬の眼からも、何かわかることがあるのかもしれない。
返し馬の調子もいい。
速度はあげずに、重馬場となった芝の感触を確かめながら走っている。
いつものテンペストだ。
そう、いつも通りでいい。
7枠13番のゲートにスムーズに入る。
「日本のファンに、お前の勇姿を見せてやろうぜ」
ゲートが開いた瞬間に、テンペストは飛び出した。
―――――――――――――――
俺は馬である。
開幕スタートダッシュに成功した俺は、騎手君の操作に従うように、先頭集団で走り始めた。
今日はかなり水気を含んだ芝になっている。そのためか、一部の馬は走りにくそうにしていた。
俺はこういう地面は特に問題なく走れるので、気になることはなかった。
それにしても今日はいつものレースよりちょっとだけペースが早い。
ただ、騎手君も含め、他の馬もペースを緩める気配がしないので、これが適正のペースなのだろう。
だったらそれに従うまでだ。
しばらく直線を走り続ける。先頭まで大体10メートルくらいかな。
ペースは依然として少しだけ早いな。ただ、これが短い距離なら特に問題はない。しっかりとラストのスパート用の力を溜められるだろう。
そして、直線が終わるとコーナーが始まる。
コーナーでは外側を回って走ることになった。
内側が最短距離なんだろうけど、馬がいるので、流石に走ることはできない。ロスかもしれないけど、無理に内側に行く必要はないのだろう。
「やっぱりきたか!」
俺の少し後ろから、緑色の服を着た騎手を乗せた馬が前の方にやってくるのが見えた。
騎手君が声を上げたのが聞こえた。
君もあの馬がヤバいと感じていたんだな。
気が合うな。俺もだ。
コーナーの終わりが見えてくる。
気が付けば、奴らは俺の隣で走っていた。
俺が内側、隣で一番外を走っているのが奴ら。
直線に入る前に奴らがスパートをかけ始めたのが見えた。
「ヤバいな!行くぞ!」
加速して俺の前に行くライバルに危機感を感じたのか、騎手君が俺に鞭を入れて、スパートの指示を出す。
まだコーナーが終わっていないが、いいだろう。
一気に行くぞ!
ぬかるんだ地面を一気に蹴り上げる。
鍛えぬいた自分の筋肉が躍動するのを感じた。
ライバルは1.5メートルくらい前か。
問題ない。
勝つのは、俺たちだ!
―――――――――――――――
競馬場のターフビジョンにゲートの様子が映し出されていた。
『春のスプリント王決定戦、高松宮記念です。昨年の覇者から、新進気鋭、そして絶対王者の18頭が揃いました』
『絶対的なスプリント王が存在しない今年の高松宮記念。短距離を走り続けてきた古豪も、初タイトルを狙う新進気鋭も、そしてマイル~中距離で比類なき強さを魅せる絶対王者も、すべての馬にチャンスがあります』
『注目の年度代表馬テンペストクェークですが、調子はよさそうですね。1200メートルは短すぎるのではないかと思われている人もいるようですが、自分はそんなことはないように思えますね。むしろ短距離向きな体格をしていますし、スプリントにも充分対応できると思いますよ。ただ、前哨戦を挟まないぶっつけ本番のスプリント戦ということだけが心配な点ですね』
スタート直前の1番人気はテンペストクェークであった。二番人気はスズカフェニックスであった。
『もう一頭注目するとしたら、スズカフェニックスですね。追切のタイムも素晴らしい。かなりの仕上がりだと思います。タイトルは東京新聞杯だけですが、ポテンシャルは相当なものがありそうです』
テンペストクェークの3階級GⅠ制覇か、オレハマッテルゼの連覇か、それとも古豪、新進気鋭の勝利か。観客は今か今かと待ち構えていた。
『ゲート入りは順調に進んでいます』
『新しいスプリント王は誰になるのか。新たなるニューヒーローが誕生するのか、父の果たせなかった栄光をつかむことが出来るのか。3階級GⅠ制覇に向けて、絶対王者が走ります。電撃6ハロン、今スタートしました!』
『各馬きれいなスタートを切りました。テンペストクェークが一歩先に出る。それに続いてエムオーウイナー、ディバインシルバーがどんどんとに出てくる。その後ろにモンローブロンド、シーイズトウショウ、サチノスイーティーが続きます。テンペストクェークはやや控えて6番手にいます』
テンペストクェークが好ダッシュを見せ、そのほかの馬も大きく出遅れた馬はおらず、スタート直後の直線は込み合っていた。
コーナー前まで進むと、縦長の展開になっていき、先頭の2頭が引っ張っていく形になっていった。
『依然としてテンペストクェークは前から6頭目。やや外を走っている。その後ろには……』
『……8番のスズカフェニックスは中団後方外を走っている……』
『……最後方はビーナスライン。先頭、600メートルを通過しました。タイムは34秒です。ややスローペースか』
重馬場の影響か、当初から予想されたようにペースがややスローであった。先頭集団が前残りするのではないかと考えている観客も多くいた。
第3コーナーから第4コーナーに入るころ、中団にいたスズカフェニックスが外を回りながら先頭集団に取り付こうとしていた。そしてテンペストクェークもそれに併走するように前に上がっていく。
『……各馬スピードが上がってきた。縦長から徐々に馬群が固まってきている。先頭は依然としてディバインシルバー、その横にエムオーウイナー、そしてその後ろにテンペストクェークとスズカフェニックスが併走している』
第4コーナーでスズカフェニックスとテンペストクェークに鞭が入った。
先に仕掛けたのはスズカフェニックスであったが、両者ほぼ同時に末脚を炸裂させたのであった。
『直線に入って外から2頭が出てきた!スズカフェニックスとテンペストクェークだ。残り300を切って先頭はディバインシルバー、エムオーウイナー。先頭集団は粘るが、これは厳しいか!』
先頭集団で逃げていた馬たちを中団、後方から差し切りを考える馬が一気に猛追する。しかし重馬場ということもあり、重たい馬場が苦手な馬は、なかなか加速することが出来なかった。
しかし、第4コーナーから加速を始めた2頭は、残り300メートル付近ですでに先頭集団から2、3馬身程度の場所で控えていた。そして外を走っていたこともあり、前を遮る馬は一頭もいなかった。
『残り200を切った。内側のシーイズトウショウが伸びるがこれは厳しい。外からスズカフェニックスが先頭、その後ろにテンペストクェークだ。後続を引き離す!これはこの2頭だ!』
重馬場をものともしない切れ味ある末脚を先に発揮したのはスズカフェニックスであった。
『スズカフェニックスだ、しかしテンペストクェークも伸びる、フェニックスかテンペストか!後続に2馬身、3馬身の差をつけた。2頭の叩きあいだ、どっちだ!どっちだ!』
ラスト200メートル。先に抜け出したのはスズカフェニックスであった。しかしそこから異次元の伸びを見せ、テンペストクェークが前を行くスズカフェニックスに馬体を併せた。
そこから数十メートルは二頭の競り合いであった。
『2頭同時にゴールイン!これは全く分からない!先に仕掛けたスズカフェニックスか、それとも追いついたテンペストクェークか。これは全く分からない!』
実況も解説も、観客もわからなかった。
首の上げ下げもシンクロしていたため、ターフビジョンやテレビ画面に流れるゴールの瞬間を見直しても同じタイミングで入線しているようにしか見えなかった。
『勝ち時計は1.07.5です。2着と3着の着差は3馬身半。まさに2頭の圧勝劇でした』
重馬場とは思えない末脚を2頭は炸裂させていた。特にラストの直線300メートルの末脚は他の馬が止まっているように見えるものだった。
1着と2着の判定に時間がかかっていた。
「……これ、同着だよな」
特殊な方式で撮影された写真には、2頭仲良く揃って入線している様子が映し出されていた。鏡に映った画像でも同じように映っていた。
公正な競馬を運営するために、最新鋭の技術と人員で着順の判定を行ったが、何度確認しても、誰が確認しても同着であった。
これがもし誤審だった場合、年度代表馬であるテンペストクェークに配慮した、などと言われてしまう。それは避けたい未来であった。
そのため、時間の許す限り慎重に判定を行ったが結果は同着であった。
「仕方がない、同着だ」
こうして珍しいGⅠ競走同着が高松宮記念で適用された。
2005年のジャパンカップ以来であった。
―――――――――――――――
「どちらでしょうか」
「いや、わからん」
先にスズカフェニックスに前に行かれた時は肝が冷えたが、テンペストはそこからしっかりと追い付いてくれた。末脚のキレが同じなら、後は馬体を併せて押し切ろうと考えたが、スズカフェニックスの方もかなり粘っていた。
あと100~200メートル長かったら俺たちの勝ちだったと思う。
それにしても手ごたえがわからん。
同じ接戦だったチャンピオンステークスは、心の中では勝ったかもという気持ちがあったが、今回はまるで分からなかった。ただ、負けたかもという気持ちもなかった。
「ちょっとわかりませんでしたね」
そういえば彼は、スペシャルウィークの有馬記念でのトラウマがあったな……
あまり刺激しないでおこう。
しばらく待つがなかなか結果判定がでない。
……もしかして
「これってまさか……」
ターフビジョンに同着の文字が点灯する。
「マジか」
大歓声が上がり、2頭の同着を観客が歓迎しているのが聞こえた。
スプリント戦とはいえ、テンペストの得意な展開に持ち込んで同着にされたのか……
「スズカフェニックス、強かったですね」
「いい馬ですよ。本当に今日は頑張ってくれましたね。それにしても初のスプリント戦でも本当に強かったです。体格的にはこちらの方が得意なのかもしれませんね」
「......もしかしたら私たちが勝手に彼の適性を当てはめてしまっているだけなのかもしれませんね」
「本当に恐ろしい馬です......」
本当に規格外の馬だよ、俺の相棒はね......
しっかり調教していけば、香港スプリントだって取れるかもしれん。そう思わせてくれるほどテンペストの能力の底が知れなかった。
彼との会話を切り上げると、俺とテンペストは先生たちのところに向かう。
実は同着という経験はないので、この場合どうなるのかがわからなかった。
「高森君、お疲れ様。同着ではあるが、1着は1着だ。ありがとうございました」
「本当にお疲れ様です。テンペストも頑張ったな~」
スタッフやオーナーたちに褒められるテンペスト。
いつものように喜んでいるが、ちょっと悔しそうにしているのは気のせいだろうか。
「お前は頑張ってくれたよ。次も頑張ろうな」
首を撫でて、彼の奮闘を讃える。
軽く首を振って嘶くと、いつものテンペストに戻った気がした。
……結構わかりやすいな、テンペスト。
いろいろあったけど、今年もよろしくな。
―――――――――――――――
「同着の場合ってどうなるんですか?」
「2005年のジャパンカップのときは、表彰式は同時には行わなかったみたいです。今回はどうなるのでしょうね。賞金に関しては、1着と2着の合計を半分にした金額が支払われるはずです」
テンペストのチェックが終わった厩務員の秋山が賞金について説明をする。
高松宮記念の1着賞金は約9800万円で、2着賞金が約3900万円である。
「計算すると大体6900万くらいですね。GⅡレベルの重賞の賞金額より少し多いくらいになってしまいますね」
「まあ、勝てないよりはマシですね」
高森騎手とスズカフェニックスの騎手が同時にインタビューを受けているのをしり目に、西崎と藤山は彼の達成した記録を思い返す。
「同着のインパクトで忘れていましたが、テンペストってこれでGⅠを10勝目ですよね」
「そうですね。GⅠの連勝記録も8連勝で新記録です。中山記念を挟んだ場合の記録は10連勝です。あと重賞も12連勝です。そしてスプリント、マイル、インターミディエートの3階級GⅠ制覇を達成しました」
「これ、ゼッケンに入れる星のマークのスペース足りなくなりませんか……」
テンペストのゼッケンには獲ったGⅠの数と同じ9個の星のマークが刻まれている。今日の勝利で10個目となる。
この後も普通にテンペストは勝ちそうなので、入れるスペースがなくなりそうだと危惧していた。
「さて、そろそろ表彰をどうするか決まるだろうし、忙しくなりますよ」
最終的に、スズカフェニックスのオーナーも西崎も表彰については、主催者側の都合に合わせると明言したため、表彰は同時に行われることになったのであった。
トロフィーはスズカフェニックスが、優勝レイはテンペストクェークが受け取ることになって、無事に終了した。
祝勝会には、多くの関係者が集まっていた。
同着だったのでスズカフェニックスの馬主と話し合い、同じ会場で祝勝会をすることになった。珍しい同着を共に祝いましょうということだった。
スズカフェニックス陣営もスプリント戦とはいえ、世界最強馬と同着の1位になったのはかなりの快挙。ケガもなく無事に走り終えてくれたので良かったと話していた。ただ、調教の出来も過去最高と言えるほどで、当日の馬の状態も最高だったのにも関わらず、同着に持っていくのが精一杯だったことにはかなりの悔しさを滲ませていた。
「西崎さん、おめでとうございます」
「ああ、ありがとうございます。この間のチューリップ賞ではお世話になりました」
「いえいえ、また見に来ていただけたら幸いです」
テンペストの全妹を所有している馬主であった。
そしてテンペストの父ヤマニンゼファーの馬主でもあった。
「テンペストはゼファーがどうしても勝てなかった短距離GⅠを勝ってくれました。私の眼でこの光景を見ることが出来てよかったです」
本音を言えば、自分の所有馬で3階級GⅠ制覇を達成したかったが、それは望み過ぎであることも自覚していた。
「私はただ、出走を決めただけですよ。本当にすごいのはテンペスト自身と、騎手やスタッフの方々ですよ。それに、ヤマニンゼファーの強さがあったからテンペストは今日のレースに勝てたのだと思います」
「……そういってもらえるとゼファーも喜びます」
会話を終えた西崎は、競馬の奥深さを痛感していた。
「これがブラッドスポーツと呼ばれる所以なのかな……」
本当はどちらかでに決着をつける予定だったのですが、ドバイターフを見て同着にしてしまいました。パンサラッサ君しゅごい