俺は馬である。
ちょっと前に走ったレースでは、どうやら同着だったようで、普通に悔しかった。
距離がちょっと短いというのもあったが、それはただの言い訳でしかない。
それに、俺と同着だったあの馬。なかなかのスピードを持っていた。気合も十分だったし、かなりの強敵だったな。
騎手君たちは俺を褒めてくれたのでよかったが、次はもっとしっかりと勝利したい。
そんな感じでレースを終えた俺は、また忙しい毎日を送っていた。
そして俺は今、空の上にいた。
【また、海外かよ……】
本当に馬使いが荒いんだから。
俺じゃなかったら調子を落としてしまうぞ。
全く……
次はどこの国かな?
久しぶりに去年のあのトレーニング場に行きたいな。あそこには俺を慕ってくれた馬たちもたくさんいるし、何より雰囲気が良かった。
実家のような安心感があった。
しかし、飛行機はそこまで長い時間のフライトではなかった。
やっと自由になれる。
……が、その前に。
【なんでこんなに待たせたの?】
飛行機が飛ぶ前に、狭いコンテナで10時間近く待たされたことはちょっと怒ってもいいよね。
「テンペスト、かなり怒ってません?」
「めったに怒らない馬らしいけど、今回のことは相当頭に来ているらしい。機上でもかなりカッカしていたらしいよ」
いろいろな事情があったのだとは思うけど、それを起こさないのがプロってものでしょ。
この飛行機は俺しか乗ってなかったからいいけど。
普通の馬だったら多分調子悪くしていたぞ。
「ごめんな。ホラ、これあげるから」
【そんなもので、ってメロンだ!】
うん。
まあプロでもミスはあるし、許してあげよう。
別に食べ物につられたわけではない。決してそうではない。
―――――――――――――――
「飛行機の機体トラブルがあって、ストールの中で10時間以上も閉じ込められたらしいですけど、普通に元気ですね」
繊細なサラブレッドにとってこれだけのことが起きれば、相当に精神面でダメージが入ってしまう。
しかし目の前で飼い葉を食べているサラブレッドは、そんなトラブルはそもそもありませんでしたというばかりにいつも通りであった。
「テンペストは身体能力に加えて、精神力が下手な人間より強いですね。自分も飛行機で10時間以上も待機させられたら普通に参ってしまいますよ」
「当の本人はケロッとしてますけどね」
香港遠征に帯同している秋山と本村は、元気そうに過ごしているテンペストを見て、強い馬だなあと感じていた。
テンペストクェークは4月29日に香港の沙田競馬場で行われるクイーンエリザベスⅡ世カップに出走予定であった。
西崎オーナーは、高松宮記念の後は安田記念でもいいのではと考えていたが、高松宮記念が終わった後もテンペストに大きな疲労もダメージもなかったため、藤山調教師に勧められた出走計画の通り、海外GⅠであるクイーンエリザベスⅡ世カップに出走を決めたのであった。
曰く、「テンペストはエリザベス女王に縁があるし、出れるなら出ましょうか」とのことである。
「基本的には昨年の香港カップと同じですね。テンペストが大得意の2000メートル競走ですし、負ける要素がないって言われてますよ」
「それはそれでキツイものがある。去年のディープ陣営の気持ちが理解できるよ……」
テンペストはすでにGⅠを10勝しており、連勝記録をさらに伸ばし続けている。世界に目を向ければGⅠ競走やGⅠ級競走を10勝以上した馬はいないわけではない。ただ、これだけ国際色豊かな勝ち鞍を有している馬は他には存在しなかった。
絶対的な強さは確かに人を退屈にさせる。
ただ、テンペストはその退屈させる領域を超えてしまったのである。この偉大な馬がどこまで行くのか、その先を見たいと思うようになっていた。
「JRAもメディアも全力でテンペストを応援していますからね。もう行きつくところまで行くしかないでしょう」
香港での評判も高い。
マイル~中距離であの馬に勝てる馬は、香港にはいないとまで言わしめていた。
全盛期のサイレントウィットネス級の馬(マイル~中距離版)に勝てるわけがないと戦意喪失している関係者もいた。
それでもクイーンエリザベスⅡ世カップにはテンペストを含めた11頭の馬が集結した。
「それにしてもダイワメジャーがチャンピオンズマイルの方に出走するとはね。アドマイヤムーンと同じようにUAEから転戦してきたみたいです」
同じ日に施行されるマイルGⅠのチャンピオンズマイルにダイワメジャーが出走予定であった。すでに香港入りしており、アドマイヤムーンと共にこちらで調整を行っている。
ドバイDFを勝利したアドマイヤムーンも、テンペストと同様にクイーンエリザベスⅡ世カップに出走予定であり、香港カップ以来のレースである。
「ダイワメジャーの関係者からは、テンペストの香港遠征は歓迎されていますよ。ダイワメジャーと仲がいいですからね」
競走馬は繊細な生き物であるため、見知った仲の馬がいるかいないかで遠征の結果も変わったりする。テンペストは一人で遠征に行ってもまったく問題がないが、それは彼がUMAであるが故の特殊性なので、他の馬に当てはめてはいけないのである。
そしてテンペストの香港での調教初日。
すでに多くの報道陣が詰めかけて、テンペストの調子を見定めていた。輸送トラブルがあったことは伝わっており、万が一もあるためである。
今日は軽めの調整と聞いているがどのような様子であるのかは気になるところである。
「……こりゃあだめだな」
テンペストに向けてはなった言葉は、テンペストが勝てる見込みがないという意味での言葉ではなかった。
他の馬に可能性がないという意味での言葉であった。
テンペストクェークはいつも通りだった。
そう、昨年の圧倒的な走りを見せたときと何も変わっていなかった。
このことは、クイーンエリザベスⅡ世カップでは、去年と同じような走りをしてくるという意味を持つ。
香港GⅠを2勝、ドバイSCを勝ったヴェンジェンスオブレイン、ドバイDFを勝利したアドマイヤムーンと強豪はそろっている。しかし彼らでもテンペストクェークを倒すのは難しいのではないかと言わざるを得なかった。
そして軽めの調教を見た後も、その存在感は変わらなかった。
―――――――――――――――
「注目されていますね……」
今日は最終追切の日だ。
俺とテンペストはいつも通りの追切を終えて、クールダウンを行っていた。
同じようにアドマイヤムーンやダイワメジャーも追切を終えてクールダウンをしていた。
「それにしても、なんか縁がありますねえ……」
アドマイヤムーンの鞍上はまたしても彼だった。
いや、日本一の腕前を持つ騎手だからGⅠあるところに彼の姿有りといったところか。
ダイワメジャーの鞍上は、結構俺と年齢が近い騎手だ。若いころは笠松時代のオグリキャップに乗っていたこともあると聞いている。数年前に地方競馬から中央競馬に殴り込みをかけてきた実力派騎手でもある。
クールダウンで歩かせていると、ダイワメジャーが何か気に入らないのか、テンペストに突っかかっていた。それをテンペストは軽くあしらっていた。これは、美浦でも割と見かける光景だ。
また、アドマイヤムーンとも仲がいいのか何やら嘶きあっている。アドマイヤムーンは、レースや調教時以外では大人しい気性であるためか、同じく穏やかな気性であるテンペストとは相性がいいようだ。香港カップのときもテンペストと仲良くしていたと聞いている。
「イケイケな長男にバランス感覚のある次男、大人しい三男って感じですね」
ちょうど6歳、5歳、4歳と年齢が違うのも面白い。
テンペストがいい感じに潤滑油になっているのか、アドマイヤムーンとダイワメジャーも喧嘩することなく調教を受けているな。
「全く、修学旅行に来たわけじゃないんだぞ」
俺の言葉に、上に乗っていた二人が笑う。
「修学旅行ですか。どちらかといえばカチコミに近いですけどね……」
「チャンピオンズマイルに出走するのはダイワメジャーだけなので、頑張ってくださいね」
「き、緊張しますねえ……」
2歳しか変わらないが、一応俺の方が先輩である。
彼らには勝ってきてほしいところである。
ただ、同じレースに出る彼には負けたくはない。
「君には負けませんよ」
「お手柔らかにお願いします、先輩」
こうやってトップ層と軽口を言える程度には俺も強くなったのかねえ……
―――――――――――――――
4月29日、香港・沙田競馬場。
国際色あふれる競馬場に、とある一団が訪れていた。
「いやー社員旅行で香港、それも競馬場に来れるとは。社長には感謝しかありませんね」
西崎が社長の測量会社は、年間スケジュールが詰まっているため、社員旅行というものを例年は行っていない。
しかし、幹部から、香港競馬を見に行くついでに、GWで香港に社員旅行に行きませんかという提案を受けて、社員の福利厚生も兼ねて社員旅行で香港に来ていたのであった。テンペストが出走しなかったらどうする予定だったのかについては聞いてはいけない。
競馬に興味のない社員は地元の香港観光に繰り出しており、競馬場にいるのは、競馬好きの社員かテンペストクェークに興味のある社員だけであった。
社長の西崎は馬主として交流があるのか、別の場所に行ってしまったため、社員は思い思いの行動をしていた。
ただ、海外の競馬場は初めてであるため、固まって過ごしていた。
「今日のメインレースがチャンピオンズマイルとクイーンエリザベスⅡ世カップか。他にも地元の香港のレースもあるし、賭けていくぞ~」
「まあ、一文無しになるなよ……」
ああやって人は金を失っていくんだなと若い社員を見ながら競馬好きの幹部社員たちは見守っていた。
「現地の新聞ではテンペストクェーク特集もやっているみたいですね」
テンペストの写真が一面に掲載されており、特集されていることが中国語が読めない彼らでも分かった。
「地元の香港勢や出走している陣営からしてみれば、なんでここに来るんだよと思われていそうですね」
高松宮記念と安田記念の間に日本と近い香港で、しかも芝2000メートルというテンペストが得意な距離のGⅠレースがあったので、このレースを選んだだけである。
海外遠征を遠足感覚で行う陣営である。
「安田記念を射程に入れなければ、6月~8月の英国のマイル~中距離レースに出てたかもって言ってましたね。テンペストなら全部獲ってきそうで怖いですけど」
「そうしたら多分英国の関係者から来ないでくれと泣きつかれるぞ」
笑い合う社員たち。
彼らの中には、地方競馬の馬主をしている人もいれば一口をやっている人もいる。
数年前に、自分の社長が馬主になり、馬を買ったことは知っていた。
血統は微妙ではあったが、ロマンがあった。ただ、社長の父親である前社長を知っている社員は、選馬眼の悪さも受け継いでいないかと心配していた。
無事にデビューができると聞いたときは一安心した。
新馬戦を勝利したときは、会社で祝勝会をした。
重賞で2着になったときもお祭り騒ぎだった。
皐月賞での走りは社員の度肝を抜いた。
一昨年の秋以降の連勝劇になんで社長が、と嫉妬もした。
昨年の圧倒的な走りは嫉妬すらも忘れさせた。
気が付けば皆テンペストクェークの虜にされていた。
「さて、最初はチャンピオンズマイルか。ダイワメジャーがどこまで走れるかな」
その後、めったに来られないであろう沙田競馬場を散策したり、地元の競馬を観戦して楽しんでいた。一部の社員は所持金の大半を溶かし尽くして顔が死んでいた。
そして午後、第7競走チャンピオンズマイルが始まる。
「さて、ダイワメジャーは2番人気か。日本での実績もあるし、ドバイDF3着も評価されたのかな。1番人気はグッドババか。今年に入って3連勝中の馬だな」
ダイワメジャーはGⅠを3勝しており実績はあるが、意外と取りこぼしも多いことやドバイからの海外連戦も考慮されて2番人気となっていた。
現地を訪れている日本人は、ダイワメジャーに賭けている人も多かった。
パドック周回でも特に問題はなく、そのまま出走時間となり、ゲート入りが始まる。
パドック周回のダイワメジャーは調子がよさそうに見えていた。
ゲートが開き、10頭の馬が飛び出す。
ダイワメジャーは先行策をとるようで、3,4番手の位置にいる。1番人気のグッドババは先行集団で走り、エイブルワンが先頭一番手で逃げている。
向こう正面を走り続け、大きな順位の変動がないままそのままの位置で第3コーナーに入る。
「頼むぞ!行け!」
第4コーナーが終わり、七番人気のエイブルワンが変わらず先頭で逃げており、そこから2馬身程度後ろに3番の馬がいる。そしてその後ろにダイワメジャーは控えていた。
ゴールが近くなったことで、観客の歓声も徐々に大きいものになる。
残り400メートルを切り、直線に入ると、ダイワメジャーが一気に伸びてきて、先頭で粘り続けるエイブルワンを捉えにかかる。
「いいぞ!行け!そのままだ!」
残り200メートル、先頭のままスピードを落とさないエイブルワンに少しずつ並びかける。
そして、そのまま馬体を併せると、残り100メートルまで熾烈な叩き合いとなった。
しかり100メートル付近で、ダイワメジャーが抜け出すことに成功し、そのままエイブルワンに差をつけていく。
残り50メートル。後続の馬たちが迫るが、ダイワメジャーの脚色は衰えることなく、そのままゴールした。
ゴールの瞬間、大歓声が沸き起こる。
1着ダイワメジャーで、エイブルワンはそこから半馬身差での2着であった。
優れたスピードの持続力と、強い勝負根性が光ったダイワメジャーらしい勝利であった。
「よし!よし!勝ったぞ!」
ダイワメジャーを本命にしていた社員は飛ぶように喜んでいた。1番人気のグッドババは6着であったため、この馬を本命にしていた若い社員は有り金を失っていた。
日本馬初のチャンピオンズマイル制覇の興奮が冷めやらぬなか、テンペストクェークが走るクイーンエリザベスⅡ世カップが始まった。
もしかしたらジャイアントキリングが起こるかも……という期待を粉砕する圧倒的な走りをテンペストクェークは見せつけた。
『残り300を切って先頭はテンペストクェーク!このまま押し切るか。アドマイヤムーンはまだ後方だ。これはどうなんだ。早仕掛けなのか』
『残り200メートルを切って後続に3馬身差、まだ加速する、加速する、テンペストクェークが先頭だ。そのまま行くのか、残り100メートル……』
『テンペストクェークだ!これは決まった、独走だ!テンペストクェークだーーー!』
『世界最強の頂はここまで強いのか、2着ヴィヴァパタカに7馬身差の圧勝!3着争いはアドマイヤムーンとヴェンジェンスオブレインです』
『勝ち時計は2.00.8です。強い、強すぎる……。第4コーナーまでは中団後方で走り、外を捲りながら直線に入って一気に加速、ラスト300メートルで先頭に立って後は誰も寄せ付けない圧巻の走り。これでGⅠを9連勝、GⅠを11勝目になります。芝10ハロンで彼に勝てる馬はもうこの世にはいないのか』
地元香港の強豪馬やドバイのGⅠを勝利したアドマイヤムーンを寄せ付けない圧巻の走りでの勝利であった。
「つ、強え……」
「他の馬にチャンスすら与えなかったな」
「テンペストに単勝で賭けても何も美味しくないな。実質2着を当てるレースだよ、これは」
西崎社長の所有馬が世界最強の強さを有していることをまざまざと体感させられた一同であった。
この日、テンペストクェークは圧倒的一番人気に応え、2着に7馬身差をつける圧勝劇でクイーンエリザベスⅡ世カップを勝利した。
この日に施行されたGⅠ競走は二頭の日本馬に蹂躙された。テンペストは二代目香港魔王、天地を揺るがす天災地変として香港の競馬ファンの心に刻み込んだのであった。
タイムフォームのオールタイムランキングの上位層の馬がいるおかげで、もしかしたらこれくらいの馬ならいるかもしれないレベルで済みます。
リアルって怖いね。