10ハロンの暴風   作:永谷河

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マイルの皇帝 前編

香港で行われたクイーンエリザベスⅡ世カップを7馬身差で圧勝したテンペストクェークは、日本だけでなく世界中で報道されていた。

関心が薄いのはダート王国のアメリカの競馬関係者くらいであった。

次走が母国の安田記念であるため、欧州の競馬関係者は、あの怪物が再び襲来しないことに安堵していた。

テンペストクェーク以外の馬の関係者にとっては、優勝は非常に厳しいと言わざるを得ない状況であった。ディープがいた時代と何も変わっていないのである。

そんな関係者の苦悩とは裏腹に、競馬ファンは、ニホンピロウイナー、ヤマニンゼファーに続く、親子3代安田記念制覇の偉業が達成される瞬間を心待ちにしていた。

 

 

香港から帰国したテンペストは、特に問題もなく、次走の安田記念に向けて疲労の回復と馬体の調整を行っていた。

前走でのダメージも陣営が想定したレベルであったため、安田記念には十分な状態で出走することが出来ると考えていた。

 

 

「そういえばテンペストクェークの獲得賞金額が歴代第3位になったらしいですよ。海外も含めてですが」

 

 

朝の調教やその後始末がいち段落付き、休憩時間に入った藤山厩舎では、スタッフが思い思いに過ごしていた。藤山調教師とテンペストの担当厩務員である秋山の二人がくつろぎながらテンペストの話題で会話していた。

 

 

「高松宮記念が約6900万円で、香港が800万香港ドルだったな。1香港ドル約15円で計算すると1億2000万円か。去年まで大体14億円ぐらいだったら、合計で16億円以上稼いだのか……」

 

 

因みにディープインパクトは三冠ボーナス無しで約16億6000万円である。

 

 

「GⅠを11勝しても、まだテイエムオペラオーにも届かないのかとは思いますが、欧州の賞金額を見てしまうと仕方がない気がしますね」

 

 

「あれだけの激戦を繰り広げてもそこまでの金額ではなかったですからね。香港やドバイは、賞金額という意味ではありがたいですね」

 

 

「招待競走だと遠征に必要な経費も節約できるのでそこもありがたいです。英国遠征はかなりの費用が掛かりましたからね。私の交通費だけでもかなりの金額でしたからなあ」

 

 

英国で出走したGⅠ競走は招待競走ではないため、輸送費や現地での滞在費などの経費は全てオーナーである西崎が負担していた。テンペストが遠征費用を支払えるぐらい稼いでいたので問題はなかったが、費用的な面でも海外遠征というのは難しいものであると藤山達は痛感していた。

それなのにオーナーは、また長期の海外遠征をしたいと考えているようである。

 

 

「安田記念のあと、本当にあっちに行くんですか?」

 

 

「費用面や現地のコネクションさえ何とかなれば問題はないですね。今は栗東を含めた他の調教師やJRA、あとは大手のオーナーとかにいろいろと動いてもらっている最中です」

 

 

「西崎オーナーも時々ぶっ飛んでいるというか、チャレンジャーですよね」

 

 

「いろいろな出走プランを提案している自分が言えることではないけど、アクティブな方ですよ」

 

 

藤山調教師一同は、西崎オーナーからの希望を受けて、何やら着々と準備を進めている様子であった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

向こうの国で走って、それですぐに帰ってきて、少し休んでまた特訓。

いや~忙しいねえ……

ただ、身体は元気なので、特に文句を言うつもりはない。

 

それにしても、1年以上俺は負けていない。まあ、負けるつもりはさらさらないがな。

ただ、最近は張り合いのある相手があまりいないなあ……

いや、相手が誰であろうと関係ないな。

 

俺は坂道をひたすらに走りまくる。

なかなかの強度のトレーニングだ。

ただし、あまり負荷をかけ過ぎてもケガの元になるので、その辺りは自分の感覚とおっちゃんたちの指示に従いながら走る本数やスピードを決めている。

がむしゃらに走るのではない。今の自分に足りていない筋肉を見定めながらトレーニングをすることが効率的なのである。

 

 

【また負けた】

 

 

いつものように大柄な馬と走っている。

本気の俺と対等に近い形で戦うことができる数少ない馬だ。

去年ぐらいから日本にいるときはよく一緒にトレーニングを積んでいる。

 

レースでは一度も負けたことはないが、普通に強い馬だから油断は絶対にできない。

トレーニング内容や強度を考えると、おそらく同じレースをまた走りそうな予感がする。

 

 

【絶対に負けない】

 

 

俺だって簡単には負けてやらない。

 

 

【クソッ】

 

 

やはりこいつも闘争心がめちゃくちゃ強い。

負けた後俺にいつも突っかかってくるのは、やめてほしいが。

トレーニングとはいえ、たまに俺に勝つこともあるんだけど、その時はやたらと勝ち誇ってくる。

滅茶苦茶むかつくので、レースでは負けたくない。

 

 

【もう一回!】

 

 

【いいぜ、受けて立つよ】

 

 

俺はひたすらにおのれの身体を鍛えぬく。

隣のライバルには負けたくないからだ。

 

 

【今日も俺の勝ち!】

 

 

俺が変顔をして挑発する。

前まではすぐに怒って俺を追いかけようとするのだが、最近は学習したようで、そこまで不機嫌にはならない。

 

 

【次は勝つ。待ってろ!】

 

 

……やっぱ張り合いがあるやつがいないとな。

 

そういえばあの黒い馬や小柄な馬、それに海外で俺を追いかけまわした馬は元気だろうか。彼らも強かった。

俺が3回負けたあの馬とは、あまり会話をしたことがなかった。まあ、いろいろな人に大事にされているだろうから大丈夫かな。

他の2頭は心配しないのかって?

あんな熊でも殺せそうな馬、心配する必要はないよ。

 

ということで今日のトレーニングは終わり。

さあ飯だ。

 

 

【メシよこせ】

 

 

「はいはい、身体洗ってからだよ」

 

 

シャワーを忘れていた。

気持ちよくしてな~

 

シャワーの後は自分の部屋に戻って俺はメシを食べる。

ああ今日も疲れた。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

ダイワメジャーは馬である。

彼にはテンペストクェークのような人間の魂がインストールされているわけではないため、知能は普通のサラブレッドであった。

ただ、GⅠサラブレッドだけあってか、それなりに賢い馬であった。

そして、非常に負けず嫌いであった。

 

若いころはもっと傍若無人で、まさにサンデーサイレンスの子供といった気性だったが、いろいろとスパルタ教育を受けたおかげで、競走馬としてデビューできるくらいには素直になったという。

 

重い人間を乗せて走るのは正直好きではないが、同族に勝つことは好きだった。だから少なくとも彼に指示を出す騎手のいうことは聞いていた。

初GⅠの皐月賞、競走馬として致命的な病気の発覚、そこからの復活と波乱万丈な競走馬生活を送っていた。

 

そんな彼がテンペストクェークと出会ったのは、重度の喘鳴症から復活した4歳のころである。

ゼンノロブロイからボスの座を移譲され、美浦トレセンのトップに君臨した年下の馬を気に入るわけがなかった。

そのため、最初のころはよくダイワメジャーから突っかかっていたが、テンペストはそれを上手くあしらいながら付き合っていた。

 

テンペストクェークとダイワメジャーは馬体の大きさなどが似ているため併走などのトレーニングも一緒に行うことが多い。

そのためか、お互いが意識するようになり、いつしかライバルとなっていた。

 

 

「テンペスト!ダイワメジャーを挑発しないの!」

 

 

……ライバル関係なんだよ。たぶん。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

6月3日、東京競馬場は、メインレースである安田記念をお目当てにした競馬ファンが詰めかけていた。

ディープインパクト(前年のハルウララも)から始まった競馬ブームは、ディープインパクトが引退した後も、やや勢いは落ちたものの継続していた。

2007年は絶対王者であるテンペストクェークの動向に加えて、牝馬クラシック戦線が非常に充実しており、桜花賞でのダイワスカーレットとウオッカの激闘、そしてウオッカの64年ぶりの牝馬でのダービー制覇など、新参古参の競馬ファンを熱くするレースが続いていた。

 

 

「1着はテンペストクェークとして、その後はどうするか……」

 

 

ネットの競馬予想、雑誌・新聞の競馬予想は、すでに2着馬を当てるレースとなっていた。

 

・馬の能力値が桁違いに高い

・中1ヶ月の連戦はダメージにならない

・逃げ以外の脚質が自在であるため、展開に左右されない

・レースでの気性がいいため、ほぼ掛からない

・スタート得意なうえ、多少の出遅れでもリカバリーが可能

・馬場状態の変化による不利が全くない

 

この絶対の安定感があるからこその圧倒的な人気であった。人気があり過ぎて、銀行レースになっていた。

 

 

「テンペストクェーク銀行が破綻するときはいつになることやら……」

 

 

メガバンクレベルの安定感であった。

東京競馬場の横断幕の設置が許可された場所では、無数の横断幕が掲げられていた。

 

『ゼファー魂』

『テンペスト魂』

『おじさんの星 高森康明』

『藤山順平厩舎 応援中』

 

一際目立つのがテンペストクェークの応援の横断幕である。

 

 

「あれが、ドバイや英国にも持ち込まれたんだから笑うよなあ……」

 

 

テンペストクェークにはコアなファンも多い。中には世界中追いかけるために仕事を失った狂人もいるくらいだ。

 

 

「やっと誕生したヤマニンゼファーのGⅠホースだものなあ……」

 

 

その唯一のGⅠホースが、世界最強の怪物になるとはだれも想像できなかった。

パドック周回中のテンペストクェークは相変わらずピカピカの馬体で、仕上がり具合も上々であった。

ゴリゴリのマッチョマンといった体格をしており、眼光の鋭さも相まって、気性の悪そうな馬にみえてしまう。しかし、テンペストは人に従順で優しい性格をしているので、ギャップもあってか人気に拍車を掛けていた。

テンペストクェークのゼッケンには勝ったGⅠの数だけ星のマークが刻まれている。11勝しているテンペストは、特別に大きな星と小さな星が1つずつ刻まれていた。大きな星一つでGⅠを10勝分とのことである。

この10勝分の星をゼッケンにつけることが出来る馬が、彼以降に生まれるのかは定かではなかった。そのためテンペスト専用の星であった。

 

 

 

「テンペスト以外で調子がよさそうなのはダイワメジャーかな。時計も良好だし、ワンチャンあり得るかもな」

 

 

パドック周回が終わり、本馬場入場が始まる。

 

 

「頼むぞ!スズカフェニックス。お前の末脚を見せてやれ!」

 

 

この男は、穴党であった。

それでも3番人気に支持されている馬を選んでいるあたり、妥協はしているようである。

 

 

 

 

『天候も良好の東京競馬場、第57回安田記念が始まります』

『外国馬4頭を含む18頭がレースに参戦しました』

 

ラジオ中継からは競馬の実況が流れる。

競馬場の向こう正面が見えにくいことや、ターフビジョンが見えにくいこともあるため、競馬場に来た時も片耳イヤホンで競馬中継のラジオを聞いていた。

 

『テンペストクェークが2倍を切っていて、1.2倍ですかね。まあ順当といった形ですね。二番人気のダイワメジャーがこの倍率ですからね。去年のディープインパクトを思い出しますね』

『海外馬も4頭来ましたね。チャンピオンズマイルを走った4頭がそのままこちらに来たといった形ですね。ダイワメジャーはこの馬たちに勝利していますし、そこまで高い人気にはなっていないですね』

『テンペストクェークはもう何も言うことはありません。馬体重は増減なしの520キロ。調教の時計も、パドックの様子もいつも通りでした。これは、今までのようなパフォーマンスを発揮してくると思います』

『対抗することが出来るとすれば、ダイワメジャーやスズカフェニックスだと思いますが、テンペストクェークが何かミスをしない限り、厳しい展開になると思います』

『以上の3頭以外での推奨馬となると、香港勢のグッドババも良さそうですね。まだ大きなタイトルこそありませんが、潜在能力は高いものがあると思いますね』

 

 

スタート直前であるため、この中継を聞いてその馬を買いに行くことはなかったが、注目だけはしておこうと思っていた。

 

 

『馬場状態ですが、良と出ております。芝の内側は荒れているとのことですが、そこまで走りにくいわけではないようです。外からの差し、追込が有利というわけではないようです』

『展開ですが、コンゴウリキシオーが逃げで引っ張っていくことが予想されます。ダイワメジャーは先行策、スズカフェニックスは中団待機でラストの直線で決めてくるのではないかと思います。テンペストクェークはおそらく中団待機からの差し、あるいは先行策からの好位抜出を図ると思いますが、この辺りはペースや展開次第ですね』

 

 

実況が話し終わるころには、スタートの時間が迫っていた。

ファンファーレが鳴り響き、馬たちがスターティンゲート内に入っていく。

テンペストクェークも外枠のゲートにゆっくりと入り、その他の馬も問題なくゲートに入っていった。

 

 

『関東での春のGⅠ、最後を飾る第57回安田記念。今、始まります』

『スタートしました!各馬揃ってきれいなスタートです』

 

 

親子三代制覇の夢を乗せて、テンペストクェークの、日本での最後のレースが始まった。

 




ニコニコ動画でアニメを見ていたところ、コメント欄に「ベリーエレガント」という馬がいることが書かれておりまして、どんなネタ馬かと思ったら豪州の1400メートルG1のウィンクスSや3200メートルG1のメルボルンカップを含めたG1を11勝している名牝でした。
こういう何気ないところから世界の名馬を知ることが出来ました。

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