10ハロンの暴風   作:永谷河

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マイルの皇帝 後編

「ダイワメジャーに馬体を併せない方がいい。あの馬は叩き合いや併せに強い」

 

 

「テンペストクェークも叩き合いにはめっぽう強いですけど、無理に向こうの得意な展開に持ち込む必要はありませんね」

 

 

先生からアドバイスを受ける。

この通りに進められるかどうかは、本番の展開次第だが、瞬発力勝負なら絶対に負けない自信があった。

それに、テンペストの実力なら、展開がダイワメジャーに向いた時でも差し切れる自信があった。

 

 

「良馬場か。昨日は走ったときはかなりの高速馬場だったけど、今日は、少し時計は掛かりそうだな」

 

 

ハイペースになればなるほど有利になるが、果たしてどうだろうな。

 

パドック周回が終わり、俺たち騎手が乗り込むときが来た。

辺りを見渡すと、テンペストの応援や俺や先生の応援の横断幕が掲げられている。

単勝1.2倍。

 

 

「期待に応えないとな」

 

 

テンペストは、軽く嘶き、地下を通って俺と共に本馬場へと入っていく。

予想通り馬場状態は良好だ。内側はちょっと荒れているが、気にならないレベルであった。

ゲート前でテンペストのゲートインを待っていると、テンペストとダイワメジャーが何やら嘶き合っていた。

威嚇し合っているわけではないので、問題はないが、何を話しているのやら……

頼むで、相棒。

 

ゲートインは特に問題なく終わる。

 

ゲートが開き、テンペストが飛び出す。

しかし他の馬のスタートもよく、一気に飛び出すことが出来なかった。

枠順が8枠だから、スタートで差をつけたかったが、仕方がないな。

無理に内側に行かない方がいいな。斜行になりかねない。

先頭に行きたい馬に行かせて、中団待機だな。

 

200メートルほど走ると、先頭には予想通りコンゴウリキシオーがおり、ダイワメジャーも先頭集団の内側のポジションで走っていた。

結構いい場所にいるな……

 

俺たちは中団後方の外側を走っており、スズカフェニックスが隣を走っていた。

……まさかマークでもするつもりか?

言っておくが、マイルの舞台でテンペストと瞬発力勝負は自殺行為だと思うぞ。

そう思ったが、どうやら違うな。これは単純に俺たちと考えていることが同じであるだけだな。

 

そのままの位置をキープして第3コーナーを走り、名物の大ケヤキを通過する。ペースはそこまで早くない。これは前残りするかもしれん。

そのため俺はテンペストに前に行くように指示を出した。第4コーナーの外を回りながら走るため、ロスは大きいが、大外から決めるならこのコースしかないだろう。

 

ダイワメジャーが内側の先行集団にいる。

 

 

「ダイワメジャーがヤバいな」

 

 

残り500メートル。

大外強襲。

イメージは、2001年天皇賞秋だ。

 

 

テンペストに最初の鞭を入れた瞬間、一気に加速が始まる。

暴力的な加速で、速度が上がる。視界が狭まる。

 

残り200メートル。

内側で2頭が競り合っているのが見える。

叩き合いには参加しない。ただ、単純に外から差し切る。

 

 

「今日は存分に走れ!」

 

 

もう2回鞭を入れる。

身体が後ろに持っていかれそうなほどの加速力を見せる。

ディープを後ろから差した走りを日本のファンに見せつけろ!

 

ゴール板を越えた瞬間、俺たちより前に馬はいなかった。

 

俺は心の中でガッツポーズをしながらテンペストに減速の指示を出した。

さすがのテンペストも汗びっしょりで息も上がっていた。

ただ、脚や身体に異常があるようなそぶりは見せていなかったので、そのままクールダウンを行う。

 

 

「高森さん、なんで外から来れるんですか……」

 

 

ダイワメジャーの騎手がゆっくりと併走しながら声をかけてきたのがわかった。今日のレースはダイワメジャーに展開が向いていたレースだったと思う。

 

 

「なんでといいってもなあ、それを狙っていたとしか言えないなあ」

 

 

「……凄い馬です。お手上げです」

 

 

テンペスト、お前凄いってさ。

 

 

「ありがとう、テンペスト。頑張ったな」

 

 

俺は彼の健闘を讃えて、首元を優しく叩く。テンペストは意外と褒められるのも好きなので、こういったアフターケアも欠かさない。

さて、オーナーの喜ぶ顔を見に行くかな。

その前にウイニングランだ。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

第57回安田記念のスタートは、大きく出遅れた馬はおらず、白熱した先行争いが行われることになった。

 

 

『先頭に出るのはコンゴウリキシオーにエイブルワン、マイネルスケルツィです。その後ろにジョリーダンスとキストューヘヴンがおり、内側にダイワメジャーがおります』

 

 

当初の予想通り、コンゴウリキシオーが逃げを打ち、ダイワメジャーは先頭集団でレースをしていた。

 

 

『……中団後方にザデューク、外にスズカフェニックスとテンペストクェークが併走しております。今日は中団後方からのレースを進めています水色の帽子の高森康明……』

 

 

テンペストクェークとスズカフェニックスは得意の末脚を活かすため、やや後方に控える競馬をしていた。

第3コーナーに差し掛かるころにはそれぞれの位置が決まったようで、やや縦長の展開となっていた。

 

 

『大ケヤキを越えて、第4コーナーに入ります。先頭は依然としてコンゴウリキシオー、ダイワメジャーは4番手で進めている……』

『……テンペストクェークとスズカフェニックスが外から出てきます。最終コーナーを曲がって、500メートルの直線が待っております。ペースはそれほど早くない、これは前が残るか!』

 

 

直線に入ったとき、ダイワメジャーは絶好のポジションにいた。前にいる馬は逃げているコンゴウリキシオーだけで、進路を邪魔する馬もいない。何よりペースは思ったほどハイペースではなく、展開はダイワメジャーに向いていた。

 

 

『ダイワメジャーが伸びてくる。コンゴウリキシオーも粘っている!残り400メートル。テンペストクェークは外から伸びるがこれは厳しいか』

 

 

残り300メートル。

内側にいるコンゴウリキシオーとそれに馬体を併せつつ追走するダイワメジャーがいた。そしてそこから2馬身ほど後ろに馬群が固まっていた。

テンペストは大丈夫なのかと思った瞬間、後方の馬群から流星の如く飛び出してきたのが、鹿毛の馬であった。

 

 

『テンペストクェークだ!テンペストが外から一気に伸びてくる。これだ!これを待っていた!鞭が入る入る、テンペストクェーク加速!』

 

 

ディープインパクトを、ディラントーマスを、ジョージワシントンを差し切った驚異的な末脚が、先頭の2頭に襲い掛かった。

 

 

『ダイワメジャー先頭、しかし外からテンペスト、外からテンペストクェークだ!』

 

 

観客席側を走っていたテンペストクェークは、ラストのゴール前50メートルを切った付近で、逃げ粘るコンゴウリキシオーに半馬身差をつけて先行していたダイワメジャーに追いつき、そのまま半馬身差をつけてゴール版を駆け抜けた。

 

『テンペストクェーク1着でゴール!差し切りました!』

『テンペストクェーク安田記念制覇!これでGⅠを12勝目!もう誰にも止められない、だれも止めることはできない。世界最強の怪物はどこまで進むのか』

『強いですね。本当に強い。枠順も展開も関係ない強さです』

『強い強いテンペストクェーク。記録はどこまで伸び続けるのでしょうか。2着はダイワメジャー、3着にコンゴウリキシオーが入線しております』

 

『テンペストクェークが人気に応えての勝利となりました』

『テンが速くならず、落ち着いたペースで進んでいたので、前有利の展開だったんですよ。だから、好位から伸びたダイワメジャーが逃げ粘っているコンゴウリキシオーを捉えたときはいけるかと思ったんですがね。外からテンペストクェークが怪物の末脚で差し切りましたね。差し馬には流れが向いていないはずなんですけど……』

 

 

実際に、テンペストクェークと同じように外から差し切りを狙ったスズカフェニックスは、ダイワメジャーに2馬身程度差をつけられており、前の2頭を捉えることが出来なかった。

 

 

『テンペストクェークの上がり時計ですが手元の時計で10秒台前半を記録していますよ。ラストの加速は宝塚記念やクイーンエリザベスⅡ世ステークスで見せた驚異的な再加速ですよ。あれがある限り、逃げ先行馬はテンペストから逃れることはできませんね』

『このマイルの舞台で彼に勝てるとしたら、超ハイペースの大逃げを行い、上がり時計も34秒台くらいで走る馬でないと厳しいですね。それか、テンペストの瞬発力と加速力を超える末脚を持つ馬ですかね』

 

『テンペストクェークが正面スタンドに帰ってきています。父ヤマニンゼファー、母セオドライト、母の父はサクラチヨノオーであります。これでGⅠを12勝目です。GⅠの連勝記録は10勝目を更新しました。重賞に至っては14連勝です。いったいどこまで行くのでしょうか。彼を止めることが出来る馬は存在するのでしょうか……』

『そして何より、祖父ニホンピロウイナー、父ヤマニンゼファーに続く安田記念制覇です。これで親子三代同一GⅠ制覇という偉業を達成しました。祖父、そして父から受け継いだ才能を遺憾なく発揮し、マイルの王者に君臨しております』

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

レースを終えて今はクールダウンをしている。

今日は久しぶりにガチのガチで走った。

そうじゃないと先頭にいるあいつに追い付かないと思ったからだ。それに騎手君も俺と同じことを思ったらしく、最後にもっと加速するように鞭で叩かれた。

やっぱ疲れるわ、これ。

毎回使っちゃだめだな。

 

 

「テンペスト~お疲れ様」

 

 

身体につけていたもろもろの装備を外される。

足元のチェックを受けるため、俺は大人しく指示に従う。

兄ちゃんもだが、走った後はみんな俺を褒めてくれる。笑顔になってくれる。

まあ、ちやほやされるのは嫌いではないな。うん。

 

 

「高森騎手、お疲れさまでした。見事な差し切りでした」

 

 

「ちょっとダイワメジャーに向いた展開でしたが、何とか勝てました。テンペストが頑張ってくれたおかげです」

 

 

首をすりすりしてくれるのはありがたい。

もっと頑張るから、アレ、頂戴ね。

 

レースが終わった後の脚や身体のチェックが終わり、ちょっとしたシャワーを浴びて、俺は一時的に使っている競馬場内の部屋に戻った。

そして、近くにはあいつがいる。

 

 

【勝てない!】

 

 

「滅茶苦茶荒れていますね……」

 

 

「闘争心が強いから負けたことがわかるんですよ。それにテンペストのことは特別意識していましたからねえ」

 

 

怖いなあ。

これからゆっくりしようと思ったのに。

まあ、今の俺が何を言っても意味はないな。

 

 

「……馬房が近いのは不味くないですか」

 

 

「ケガしないように見張ってはおきます。あと、テンペストがダイワメジャーを挑発しないように注意してください。お願いします」

 

 

【クソ、クソ!】

 

 

あいつは壁を蹴ったりしているのか俺のところまで音が聞こえる。

おいおい、ケガでもしたらどうするんだよ。

 

 

【おい!お前!】

 

 

【なんだ!うるせえ!】

 

 

【俺に勝ちたいか?】

 

 

【勝つ!俺は強い!】

 

 

やはり闘争心が本当に強い。俺以上かもしれない。

負けた悔しさがわかる馬だ。

周りの人間から見たらわからないかもしれないが、こいつはかなり賢い馬だ。

敗北を理解できている。これすら理解できない馬もいるからな。

 

 

【俺はいつでも待っている】

【だから、いつでもかかってきやがれ】

 

 

俺に反応したのか、物凄い声?で俺に反応してきた。

 

 

【倒す!勝つ!】

 

 

憂さ晴らしが出来たのか、ものすごい勢いで出された水や飯を食べ始めた。

 

……面白い奴だよ。

俺もあんな感じだったのかな。

 

 

今日のレースも絶対に負けたくないと思って臨んでいた筈だ。前のレースも、その前のレースも。

それにトレーニングのときも、あいつには負けたくないと思っている。それは間違いない。

ただ、今の俺はレースに負けたらあそこまで悔しくなれるのだろうか。

そして、俺はレースで負けたらあいつくらい熱く燃え上がることはできるのだろうか。

 

俺と対等に戦える相手はもう日本にはいないだろう。

 

 

なんだかつまらないな……

 

 

……いや、気のせいだ。

俺はひどく傲慢な考えをしてしまった。

俺の闘争心はいつだって燃え上がっているはずだ。

今燃え上がっているアイツにも負けないように、そしてまだ見ぬ強敵に負けないように頑張らなくては。

 

こんな傲慢な気持ちでレースに臨んではいけない。

皆に失礼だから。

 

さて、次はどこでどんなレースをするのかな。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

「西崎さん!おめでとうございます!凄かったです!」

 

 

祝勝会では、様々な競馬関係者が参加していた。さすがに世界最強のサラブレッドにふさわしい会を開かないと拙いと思ったのか、それなりの規模であった。

 

 

「ありがとうございます。テンペストは本当に頑張ってくれました。あとは厩舎の皆さんと高森騎手のお陰ですね」

 

 

もう何度目かわからない言葉であった。

 

 

「ニホンピロウイナーからの安田記念制覇。本当にこの目で見ることが出来るとは……」

 

 

因みに、同じく親子3代制覇として挙げられるのは、メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンでの天皇賞を制覇であるが、厳密には春と秋で異なるレースだったりする(距離3200メートル時代の天皇賞秋なので実質同レースといえるが)。

 

祝勝会は良好な雰囲気で終わり、終了の時間が近づいていた。

 

 

『え~皆さん。今日はこの祝勝会にお集まりいただき、誠にありがとうございました。引き続きではありますがテンペストクェークを応援していただけると幸いであります……』

 

 

テンプレートな挨拶が行われる。

しかし、最後の言葉は、会場の人々を驚愕の渦に引き込んだ。

 

 

『……最後になりますが、テンペストクェークの次走についてです。藤山先生と相談して秋の目標レースを決めました。10ハロンレースで、獲ることが出来ていないレースを目指します』

 

 

テンペストクェークは、日本の天皇賞秋、英国の英国際S、チャンピオンS、アイルランドの愛チャンピオンSを勝利している。これ以外の10ハロンレースというとコックスプレートなどが挙げられる。

 

 

「……まさか」

 

 

テンペストクェーク陣営の動向を探っていた人達はなんとなく予想がついていた。最近の動きや関係者からの情報もあるからだ。

 

 

『テンペストクェークは、10月27日にアメリカ、モンマスパーク競馬場で行われる、ブリーダーズカップ・クラシックに出走します!』

 

 

「アメリカのダートか……」

「本気なのか……」

 

 

『前哨戦としてアメリカ合衆国内のダートレースを出走することを予定しております。そして7月中旬にはアメリカに向かいます。日本から離れた場所ではありますが、応援の程よろしくお願いします』

 

 

波乱の情報を残して祝勝会は終了した。

 

テンペストクェークの激戦はまだ終わらない。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

競馬ニュース速報

テンペストクェーク安田記念勝利、次走はアメリカダート戦へ

 6月3日(日)、東京競馬場で行われた安田記念(GⅠ・芝1600メートル)は、高森康明騎手騎乗のテンペストクェーク(牡5・美浦・藤山順平厩舎)が勝利した。ラスト50メートルで、先頭争いを繰り広げるダイワメジャーとコンゴウリキシオーを大外から差し切っての勝利であった。今回の安田記念の勝利で、ニホンピロウイナー(1985)、ヤマニンゼファー(1992、1993)に続く親子三代制覇を達成した。

 現在、テンペストクェークはGⅠ競走を12勝しており、日本記録を更新し続けている。また、GⅠ競走のみの連勝記録も更新し、世界記録は10連勝となった。通算成績は19戦16勝。

 

・主な勝ち鞍(GⅠ)

2005年 天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップ

2006年 ドバイデューティフリー、宝塚記念、インターナショナルステークス、アイリッシュチャンピオンステークス、クイーンエリザベスⅡ世ステークス、チャンピオンステークス、香港カップ

2007年 高松宮記念、クイーンエリザベスⅡ世カップ、安田記念

 

 藤山調教師は、テンペストクェークの秋の目標として、10月27日にアメリカ・モンマスパーク競馬場にて施行されるブリーダーズカップ・クラシックであることを明言した。7月中旬には米国へ向けて出発し、現地で休養、調教を行う予定である。ブリーダーズカップ・クラシックはタイキブリザード(1996、1997)とパーソナルラッシュ(2004)が出走しているが、13着、6着、6着と厳しい状況が続いている。

 




実際のレースは審議があったようですが、この世界ではなかったということですぐに着順が確定しています。

そして、若干燃え尽き気味のテンペストの闘争心に火が付く存在がいるのでしょうか……
いないならいるところに向かわせます。

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