10ハロンの暴風   作:永谷河

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ダート王国の神髄

9月1日サラトガ競馬場

ニューヨーク州のサラトガ・スプリングスに位置する競馬場では、今日もレースが開催されていた。

アメリカはGⅠ競走の数が多く、GⅠ競走内でも格の違いがある。本日開催予定のウッドワードSは伝統ある重賞の一つであり、GⅠ競走の中でも高い地位にある競争である。

 

 

騎乗予定の高森と、現地で調教を担当している本村が明日のレースに向けて調整を行っていた。

 

 

「テンペストですが、調子は良好です。馬体重も520前後で安定していますし、調教の内容も良好でした。しかし……」

 

 

いつもテンペストに乗っているスタッフに追切で乗った高森、そして日本と現地の獣医の診断でテンペストの身体的な問題は全くないと判断していた。

 

 

「最後まで違和感が抜けなかったな。ケガの前兆ではないみたいだけど、やっぱりここのダートに完全に適応できなかったか。あと一歩何かが足りないのかな」

 

 

いきなりのダートで骨折、屈腱炎発症という可能性は限りなく低い。1ヶ月近くこちらで調教を行っていたが、そのような兆候は一切見られなかった。

しかし、少しの違和感だけが残っており、やや調整に不安を感じていた。

この情報は限られたスタッフにしか伝わっておらず、徹底的な防諜が図られていた。

 

 

「その辺りは仕方がありません。本番までに解決していくしかないですね」

 

 

「そのための前哨戦というわけですね。ただ、先生が候補にしていた前哨戦ってかなり格のあるレースなんですよね」

 

 

数多くの名馬が勝利しているGⅠ競走であり、伝統ある重賞レースばかりであった。

 

 

「最近ですと、マインシャフトにゴーストザッパー、セイントリアム。近年のエクリプス賞を獲った馬がこのGⅠを勝利していますからね。前哨戦扱いをされていますが、レベルは相当に高いレースですよ」

 

 

ゴーストザッパーもセイントリアムもその後のBCクラシックを勝利している。マインシャフトはケガでBCクラシックには出走できなかったが、優勝の最有力候補であった。

 

 

「それに、GⅡで勝利してもテンペストの成長に繋がらないと考えたんじゃないですかね。実際今のテンペストならGⅡレベルなら余裕で勝てますよ」

 

 

驕りでも慢心でもなく、客観的に現在のテンペストの実力を評価しての発言であった。

すでにテンペストは米国の競走馬の中でも最上位クラスの実力を有している。

 

 

「そもそも、1ヶ月以上慣らす期間があったとはいえ、初の米国のダートでここまで適応できていることが異常なんですよ」

 

 

ライバルに挙がる馬がインヴァソールやクラシックを勝利した馬たちである時点で、テンペストはすでに強者なのである。

 

 

「あとは本番でどれくらい走れるかですね。日本の競馬とはまた違いますからね」

 

 

「アメリカ競馬の研究もしましたが、先行が強いですからね。かといってハイペースに巻き込まれでもしたらそのまま撃沈なんてことも……」

 

 

高森もテンペストが米国遠征に行くことを聞いてから、アメリカの競馬を熱心に研究していた。心底英語が理解できてよかったと思っていた。

 

 

「テンペストの操縦性を活かすも殺すも私次第ってことになりそうです」

 

 

「期待していますからね。がんばってください」

 

 

「プレッシャーだなあ……」

 

 

若干の不安要素もありながらも、テンペストクェークは初めての米国でのレースを走るのであった。

 

 

 

 

『日本の競馬ファンの皆さん、そしてアメリカ競馬を愛する皆さん。今日は日本の馬がアメリカで走ります。2007年ウッドワードSが始まります』

 

 

日本のテレビ局では、テンペストクェークのアメリカ遠征の第一戦目の様子を中継放送していた。

多くの競馬ファンがテンペストの動向に注目しており、中継放送を見ているファンも多かった。

 

 

『さて、このウッドワードSですが、10月末に行われるアメリカ競馬の祭典ブリーダーズ・カップクラシックの重要な前哨戦の一つに位置付けられているGⅠ競走です。もちろんこのレース自体の格も高く、伝統ある重賞レースの一つですね』

『ここに出走する馬たちはBCクラシックを狙っている馬が大半ですので、ライバルたちとの最初の対決とも言えますね』

 

『テンペストクェークのライバルですが、一番の有力候補はインヴァソールです。元々はウルグアイの馬で、現地の三冠競走を圧勝した後に米国に乗り込んできて、UAEダービーを4着になった後から、GⅠを6連勝しています。昨年のBCクラシック、今年のドバイWCというダート最高峰のレースを連勝していますので、現時点でアメリカ最強馬といっていいでしょう。まさに侵略者の名にふさわしい強さを持っています』

『ドバイWC後にケガをしたようですが、休養も調教もしっかりと受けているようで、馬体もかなりの仕上がりだと思いますね』

 

 

映像ではインヴァソールのレース映像が流れる。

 

 

『……次に紹介するのはローヤーロンです。7月のホイットニーHで初のGⅠタイトルを獲得していますし、調子がいいですね。ライバルの一頭になりそうです』

『……以上の10頭が今年のウッドワードSの出走メンバーになります。現在の人気ですが、やはりインヴァソールがアタマ一つ抜けて一番人気ですね。続いてテンペストクェーク、ローヤーロンと並んでいます』

『実績も十分ですからね。インヴァソールはケガ、休養明けでどのくらい走れるのかがポイントになりそうです』

 

 

一頭一頭の解説が終わり、馬たちがゲートへと進む。

競馬ファンが固唾をのんで見守る中、テンペストクェークは難なくゲートに入る。

 

 

『全頭ゲートインしました』

 

 

アメリカ競馬特有のベルの鳴る音と共にゲートが開き、一斉に馬たちがスタートする。

 

 

『スタートしました。テンペストクェークは好スタートです……』

 

 

好スタートでゲートを飛び出したテンペストクェークは、外枠だったこともあり、他の馬の外側を走りながら最初のコーナーを通り過ぎた。

 

 

『……先頭はワンダリンボーイが逃げております。テンペストクェークは前4番手で競馬をしています。インヴァソールは3番手であります……』

 

 

サラトガ競馬場の向こう正面に入り、テンペストクェークは先行集団の外側を走っていた。最有力のライバルであるインヴァソールはその内側3番手を走っていた。

 

 

『ローヤーロンが上がってきた。先頭替わってローヤーロン。差を広げていきます』

 

 

向こう正面コーナーで3番人気のローヤーロンが伸びはじめ、先頭に躍りでる。それを追ってテンペストクェークとインヴァソールも伸びていく。

 

 

『テンペストクェーク、インヴァソールもそれに続きます。先頭はローヤーロンに続いてテンペストクェーク、インヴァソールが続きます。これは大丈夫なのでしょうか」

 

『第4コーナーに差し掛かって先頭はローヤーロン。ペースはそこまでハイペースではない。これは前が残るか』

 

『各馬鞭が入った。先頭はローヤーロンだ。しかし後ろにテンペストとインヴァソールがいる。2頭もスパート態勢。どんどん伸びる!3頭以下は5馬身以上差が付いております!』

 

 

残り200メートルを切ったあたりから一気に加速した2頭は、そのまま先頭のローヤーロンを交わして2頭の叩き合いとなった。

 

 

『インヴァソールが抜け出した!テンペスト2番手、インヴァソールだ!インヴァソール先頭だ!』

 

 

ゴール前で抜け出したのはインヴァソールであった。そして、そのままクビ差をつけて先頭でゴールラインを越えた。

 

 

『インヴァソールが古馬の、アメリカの意地を見せた!インヴァソール1着!』

『絶対王者テンペストクェーク敗れる!これがダート王国の神髄か、芝の絶対王者に土をつけたのはウルグアイの英雄だ~!』

『3着は3馬身差でローヤーロン、そして4着以下に8馬身差をつけております。勝ち時計は1.48.4です』

 

 

多くの日本の競馬ファンが落胆のため息をついてしまった。

しかしこれはあくまで前哨戦であることを知っている競馬ファンは、初のダートでここまで走れるなら十分だとも思っていた。

 

 

『インヴァソール、やはり強かったですね。ただ、テンペストクェークは惜敗といった形でしょう。3着に3馬身差、それ以下には8馬身近い差をつけましたからね。彼は間違いなくアメリカ競馬の最上位の実力は持っていることがわかりました。前哨戦としてはいい経験になったのではないでしょうか』

『次のレースが非常に楽しみになるレース内容でしたね』

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺はインヴァソールの隣で徹底的にマークし続けた。

乗っている俺が一番わかる。

少しずつテンペストの走りが変わっていくのを。

潤滑油を差した後の歯車のように少しずつ違和感が消えていく。

パワーとスピードのバランスが少しずつ改善している。

 

最後の直線、ローヤーロンは大丈夫だ。

問題はインヴァソールだ。

 

 

「頼む、テンペスト!」

 

 

テンペストに鞭を入れる。

一気に加速態勢に入る。

隣のインヴァソールも加速し始める。

やはり速い!

 

スパートでもやはり違和感がある。

それでも徐々に適合し始める。

先に抜け出したインヴァソールとの差を確実に縮めている。

 

 

「クソッ!ダメだったか......」

 

 

やはり強い。流石現役古馬最強格の馬だ。

 

 

「クビ差か……」

 

 

切り札のラストスパート。

こっちのダートに完全に適応していない以上、今のテンペストに使わせるわけにはいかない。アレは負担が大きいからな。

ただ、突破口は見えた。

アレが芝と同じように使えれば間違いなくテンペストは勝てる。

それにテンペストはここのダートに適応しつつある。

少なくとも違和感は消えつつある。

それにしても久しぶりにテンペストで負けたな。

 

 

「久しぶりにお前を倒せる馬が現れたぞ」

 

 

インヴァソールに対して燃え上がるような闘争心を見せている。

次でテンペストは完全に覚醒できる。

出来ればもう一戦したいところだな。

 

 

「さて、どうやって言いくるめるか......」

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

 

 

「大丈夫だ。次は勝てる。絶対にだ」

 

 

騎手君が首を叩いて俺を労ってくれている。

今日は俺の実力不足が招いた敗北だ。

 

そう、俺は今日のレースで負けたのである。

久しぶりの負けだ。2年ぶりぐらいだ。

 

 

「初の海外ダートで2着なら問題はありません。連勝記録はいつか途切れるものです」

 

 

おっちゃんもすまんかったなあ。

負けちまって。

 

 

「いつもなら勝てたと思います。ただ、インヴァソールの伸びが想定以上でした。完全に復活していますね」

 

 

「そうか、それでテンペストはどうだった」

 

 

「……先生。もう一戦させてもらえませんか」

 

 

負けてしまったな。

ただ、走り方が分かった気がする。パワーとスピードの調節が難しかったが、理解できた。

あの俺とずっと走ってた1着の馬。そう、あいつだ。あいつは強かった。

おそらくずっとこの土の上を走ってきた馬なのだろう。色々と勉強させてもらいましたよ。

 

もう少しで勝てた。ただ、加速力が足りなかった。

 

 

「ええっと、ジョッキークラブGCSに出すってことですか?」

 

 

「ええ、テンペストに異常がなければですが」

 

 

「……オーナーとも相談しなければ決められませんね。あと納得できる理由も」

 

 

なにやら騎手君やおっちゃんたちが話し込んでいる。

何をしているのだろうかね。

 

 

【まあ、次は勝つ】

 

 

ははっ

俺が負けるとはなあ。

 

 

……舐めやがって

 

 

日本から来た俺が負けた。

こっちの人間は俺のことをどこか侮っている。

顔には出していないが俺たち馬には解る。

どこか俺たちのことをバカにしていたことを。

 

それで負けたのだ。

 

騎手君やおっちゃんたちがどれだけ舐められるのか。

俺にだって想像できる。

この世界、舐められたらお終いだ。俺は少なくともあの黒い奴からそう教わった。

 

俺はチャレンジャーだ。

俺はもう王者ではない。

その自覚が足りなかった。

 

 

【ああ、早く走りたい。走らせロ......】

 

 

ああ、楽しみだ。

楽しみだなあ。

 

 

「なんかテンペストがすごい形相で睨んでいるんですが」

 

 

「......彼も走り足りないみたいですね」

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

テンペストクェークの遠征初戦は2着に敗れた。

その結果は全世界の競馬関係者に知れ渡った。

 

絶対王者が敗れたというマイナスな反応をするものもいた。

しかし多くの人はテンペストクェークが世界最強クラスの怪物であることを再認識したのである。

 

初のダート、そして海外。相手は現時点でアメリカ古馬最強馬であった。その馬にクビ差で敗れたのである。

むしろクビ差まで追い詰めたのである。

彼の走りから目を離せない日は続いている。

 

 

モンマスパークに戻ったテンペストは、レースの疲れを癒していた。

スタッフによる入念なチェックとケアが行われていた。

 

 

「レースが終わった後なのに本当によく寝てよく食べるなあ」

 

 

故郷から遥か彼方のアメリカの地で、まるで昔からずっと住んでいたように振る舞っていた。この適応能力の高さもテンペストクェークの強みである。

 

 

「それで、次走はどうなりましたか?」

 

 

テンペストを曳いて歩いている秋山と本村が、次のレースについて話し合う。

 

 

「テンペストの回復次第ですね。オーナーにも了承は取れました」

 

 

テンペストクェークは本来の想定では、本番のBCクラシックに向かう予定であった。しかし騎手の高森の提案を受けた藤山調教師は、もう一つで検討中であったジョッキークラブGCSに出走させることを決定した。

 

 

「条件として、獣医全員の健康チェック、見た目・乗り方のチェックをスタッフ全員で行って、全員のGOサインが必要ですけどね」

 

 

「欧州の連戦を耐えきったテンペストなら特に問題はないと思いますが、慣れないダートということもありますからね。入念にチェックは必要ですよ」

 

 

ジョッキークラブGCSも、ダートに適応させるのを優先するようにと厳命されている。

 

 

「テンペストが完成するまであと一歩とのことですけど、あと一歩って何ですかね。正直騎手ではない私にはわかりませんが……」

 

 

「私も騎手出身ではないですからねえ。先生は騎手出身ですし、何か共感することがあったのかもしれませんね」

 

 

「……テンペストのためになるのであれば、私たちは全力を尽くすまでです」

 

 

裏方のスタッフたちの戦いはまだまだ始まったばかりである。

 

 

・競馬ニュース

テンペストクェーク、敗れる!
 9月1日、サラトガ競馬場(アメリカ・ニューヨーク州)にて行われたウッドワードステークス(ダート・9ハロン)で、テンペストクェーク(牡・5歳・藤山順平厩舎)が2着に敗れた。1着はインヴァソール、3着ローヤーロン。

 三番手で競馬を進めたテンペストクェークであったが、ラスト300メートルでインヴァソールと共に抜け出し、叩き合いとなった。残り50メートル付近でインヴァソールが抜け出し、クビ差での決着となった。これでテンペストクェークのGⅠ連勝記録は10連勝で止まった。

 藤山調教師は「初のアメリカのダートで2着は好成績。相手も強い馬だったので、特に問題があるとは思っていない。次はさらに強くなってくれる」とコメントを残した。

 

 

 

 




テンペストクェークのダート適正が〇になった。
スピードが上がった
パワーが上がった
三冠馬キラーが復活した。
闘志が回復した。
やる気が絶好調になった。
先行が◎になった。
体力が30減った。


連勝記録が途絶えた代わりに、テンペストは最後の覚醒を迎えます。



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