モンマスパーク競馬場では、10月26日、27日にかけて北米最大規模の競馬の祭典、ブリーダーズ・カップ・ワールド・チャンピオンシップスが開催されていた。
このレースは1日に多くのGⅠ競走が行われ、世界トップクラスの高額な賞金が設定されている世界最大規模の競馬のレース群である。特に2007年は競走数が増加し、2日開催となっていた。
26日は新設の3競走が行われ、盛り上がりを見せていた。しかし本命の競走は27日に集中しており、日本馬3頭が出走するレースもこの日に施行される予定であった。
「やはり雨の影響は大きそうですね……」
昨日からのレースを見続けていた藤山は馬場状態を見ながら嘆く。
まだ小雨が降っており、芝も不良馬場に近く、ダートに至ってはドロドロの田んぼ状態ともとれる状態であった。
「アドマイヤムーンは意外と重馬場に強いみたいですけど、ダイワメジャーはなあ……」
3頭の中で一番初めに走るのはダイワメジャーである。彼は重馬場にそこまで強いというわけではなかった。
ただ、調教の仕上がりはかなりのものらしく、馬のやる気も高いようである。
「秋山君、本村君。テンペストの調子はどうですか?」
もう何度目になるかわからない言葉であった。
「万全です。テンペストもレースが近いことが分かっているのか、お遊びなしの真剣モードです」
馬房には、目を閉じて立っているテンペストの姿があった。
その馬体は分厚い筋肉に覆われ、完璧に近い状態であった。
「今日は西崎オーナーも来ている。それに日本から来た競馬ファンやアメリカ在住の日本人の競馬ファンもたくさん来ている。みんなの期待に応えましょう」
「「「はい!」」」
今日この日のためにスタッフたちは一丸となって自らに課せられた仕事を遂行してきた。その努力が花開くときが来たのである。
「テンペスト……頼んだぞ」
モンマスパーク競馬場の関係者の観戦場所では、日本人の馬主や関係者が集まっていた。
近くにはテンペストクェークを中心に、日本でみられる横断幕が特別に掲げられており、日本の競馬場に近い雰囲気を醸し出していた。
「ダイワメジャーのライバルはエクセレントアートですね……」
西崎は藤山手製のデータブックを確認していた。
次に行われる競走はダイワメジャーが出走するBCマイルである。
ダイワメジャーの馬主も流石に緊張の面持ちでターフを眺めていた。
「調子はいいと聞いております。あとは馬がどれだけ頑張ってくれるかですね」
彼はそう語っていた。
調教師や騎手にあとは頼むだけである。ここまで来たらできるのは応援だけであった。
西崎の誘いに乗り、アメリカに送り出した自分の愛馬は、想像以上にこちらに適応して見せた。すでに前哨戦で勝利しており、GⅠ5勝目を獲ることが出来た。
これも仲の良いテンペストのおかげであるとも聞いている。
アメリカのダート最高峰に挑戦するテンペストに比べれば格は落ちるかもしれないが、それでも世界トップレベルのマイルレースであることに変わりはない。
「ここまで来ることができるとは……」
西崎との出会いがなければ絶対に来なかったであろうアメリカの大地。
不思議な縁に感謝しつつ、自分の愛馬の出走を待っていた。
ダイワメジャーは2番人気であり、1番人気は英国からやってきたエクセレントアートであった。
多くの観客が見守る中、出走する合計14頭の馬がゲートに入った。
ベルが鳴る音とともにゲートが開かれ、14頭が一気に飛び出した。
15時24分 ブリーダーズ・カップ・マイルの開始である。
『スタートです。ジェレミーはやや遅れたか。しかし横並びでのスタートです』
やや遅れた馬がいたものの、大きく出遅れた馬はおらず、横並びでのスタートとなった。
最初のコーナーまでの直線で、熾烈な先行ポジション争いが始まった。
『先頭を行きますのはコスモノーツ、それに合わせるようにキッブデヴィル、外からはリマーカブルニュースが行きます。ダイワメジャーは現在外側5番手付近で進めております』
やや外側の10番ゲートからのスタートであったダイワメジャーはスタートで失敗することなく、いつもの先行ポジションをとるように走っていた。
『コーナーに入りまして、先頭はコスモノーツ。続いてキップデヴィル、マイタイフーンと続きます。やや外にダイワメジャー、そしてリマーカブルニュースが続きます。そして……』
大逃げをする馬はおらず、先頭集団が固まったままコーナーを走り終え、向こう正面に入った。
コーナー付近ではダイワメジャーは四番手のポジションで走っていた。ライバルのエクセレントアートは後方で走っており、追込のポジションであった。
『……リマーカブルニュースがやや前に出したか。キップデヴィル、ダイワメジャーを抜いて3番手になります。ダイワメジャーは5番手です。続きますは……』
BCマイルは、縦長の展開にはならず、6馬身ほどの空間に10近くの馬が密集する展開となっていた。ダイワメジャーもその集団におり、やや外側でふたをされていない状態であった。
『コーナーに入って、先頭はコスモノーツ。リマーカブルニュースが2番手におります。一団となって最終直線に向かいます。ダイワメジャーは現在4番手。3/4マイル、1200メートル通過は1分14秒。これはスローペースか!』
連日の雨によって馬場状態は不良馬場に近い重馬場であった。そのためペースはスローペースであった。
『コーナーが終わって、これはダイワメジャーが上がってくる。2番手にダイワメジャーが上がってきました。エクセレントアートはやや後退して先頭はコスモノーツ。後続の各馬もスパート態勢。ダイワメジャー2番手!』
直線に入って、外側からダイワメジャーが徐々に加速して2番手になる。
逃げていたコスモノーツもそこまで体力を消耗していなかったのかズルズルと後退することはなく、そのまま先頭で粘り続けていた。
その半馬身ほど後ろでダイワメジャーは走っていたが、まだ脚を少し溜めている状態であった。
『残り1ハロンを切った。先頭はコスモノーツ。そしてダイワメジャー。後方からキップデヴィルが伸びてくる。コスモノーツは苦しいか!』
モンマスパーク競馬場の最後の直線コースの内ラチがなくなるところまで来ると、すでにコスモノーツダイワメジャーと並走状態にあり、ややスピードが鈍っている状態であった。この2頭をまとめて交わすようにしてキップデヴィルが外から伸びてきた。
『先頭変わってダイワメジャー。外からキップデヴィルも上がってくる。2頭のたたき合いか!後方からエクセレントアートも伸びるがこれは厳しいか』
ダイワメジャーとキップデヴィルの後方2馬身ほど後ろからエクセレントアートが猛追するが、あと100メートルを切った地点では届きそうになかった。
『ダイワメジャー先頭。粘る粘る。キップデヴィルを寄せ付けない。これはダイワメジャーだ!またダイワメジャーだ!』
ラストの直線で猛追するキップデヴィルに先頭を譲ることなく、首差で先にゴールした。エクセレントアートは終盤に一気に追い込むが前の2頭をとらえることが出来ず3着に敗れた。展開が追込に向かなかったこともあったが、それでも驚異的な末脚での3着であった。
『ダイワメジャー、日本馬初のブリーダーズ・カップ制覇!歴史に残る一戦です。これでダイワメジャーはGⅠを6勝目。サンデーサイレンスの子供がブリーダーズ・カップを勝ちました』
『先行策からの押切勝ち。ダイワメジャーが最も得意とする戦法での勝利となりました。鞍上は本当にこの馬の強さを知っている!』
『栄光と挫折のクラシック。奇跡の復活を遂げた4歳春。そして最強の後輩たちとの死闘の日々。これはすべてこの日のためにありました』
クビ差ではあったが、強い競馬での勝利であった。まさにクビ差圧勝であった。
低評価を覆した皐月賞。その後の惨敗と致命的ともいえる病気の発症。そこからの復活。そしてディープインパクトとテンペストクェークという最強の後輩たちの台頭。6歳のこの時までダイワメジャーは走り続けた。数多くの負けも経験した。それでもこの舞台で勝利したのは、陣営の努力と、ダイワメジャー本人の負けん気の強さが故であった。
ここに彼らの努力は結実した。
「やった!やりましたよ!」
「勝った!勝った!」
ダイワメジャー陣営、そして日本陣営は大きく盛り上がり、大歓声に包まれていた。
大歓声の中ダイワメジャーは威風堂々と言った形で調教師たちのもとに帰ってきた。
勝利したことが分かっているのか、首を振り回して大きく嘶いていた。
「次はアドマイヤムーンの番です。襷は託しました」
「受け取りました。最高の形でテンペストに託します」
ダイワメジャーの鞍上からアドマイヤムーンの鞍上に勝利の意思が託される。
2頭は決してテンペストの前座ではない。ただ、もっとも過酷で困難なレースに出走するのはテンペストクェークである。
最高の形でお膳立てしてやろうというのは当然の流れであった。
「さて、どう戦うかな」
天才のつぶやきは、大歓声の中に消えていった。
―――――――――――――――
【そうか、勝ったか】
俺は大歓声からわずかに聞こえるアイツの声を聞き取っていた。
あれだけ俺は強いと連呼していれば誰だってアイツが勝ったことくらいわかる。
まあ、アイツの実力なら勝って当然だ。
多分俺は最後に走るのだろう。
後輩君も気合が入った様子で人間たちに連れられて行った。
「テンペストの出番はまだだぞ~」
【……】
俺は猫のようにしてストレッチをする。ウーム気持ちいい。
「ネコかお前は……」
今日のレースのために俺は走りこんだ。
そして今日は本当に大切なレースなのだろう。
おっちゃんに兄ちゃんたち、それに騎手君も緊張した面持ちだった。
俺に期待している人がたくさんいる。
だけど、馬となった俺にとっての世界はそこまで広いものではない。
だから俺は騎手君たちのために、そして俺が最強であることを証明するために走る。
なぜ俺が馬になったのかはわからない。
だが、俺の走りで騎手君たちが喜ぶなら俺が生まれた意味もあるのかもしれない。
しばらくすると、大歓声が聞こえ、俺の近くで待機していた兄ちゃんたちが喜んでいた。
そして俺を真剣な目で見つめて何かを託すように首元を撫でた。
そうか、俺の出番が来たか。
【任せな】
さあ、勝ちに行くぞ
―――――――――――――――
『さて、そろそろブリーダーズ・カップ・ターフの時間が近づいてきました。このレースには、アドマイヤムーンが出走予定です』
『アドマイヤムーンにとってはダービー以来となる2400メートルでの競走です。距離に若干の不安を感じますが今の実力なら十分走れる距離でしょう。前走のマンノウォーSでは惜しくも2着に敗れていますが、中1か月以上空けていますので、休養も調教も順調だったようで、勝算は十分にあります』
競馬場で誘導馬とともに歩く競走馬たちが映し出される。
日本の競馬ファンは中継映像に噛り付きながら馬の状態を確認していた。
『さて、ライバルたちの紹介です。まずは2番のレッドロックスです。昨年のBCターフを制しております』
『次に3番のベタートークナウです。なんとこの馬、3年前にこのレースを勝利しております。また、2005年のジャパンカップにも出走していますがその時は12着でした』
『6番はイングリッシュチャネルです。昨年のBCターフは3着でしたが、GⅠはすでに5勝しており、現時点でのアメリカの芝最強馬です。ドバイDFでアドマイヤムーンはこの馬に勝利しております』
『7番は大注目のディラントーマスです。2006年の愛ダービーを制し、2007年の今年はキングジョージと凱旋門賞を同一年度に制覇しております。この距離においては欧州最強馬です』
ディラントーマスは、昨年英国際S、愛チャンピオンS、チャンピオンSと激突した馬であるため、名前を聞いたことがある競馬ファンも多かった。今年は欧州の最高峰の大レースであるキングジョージと凱旋門賞を制覇し、それ以外のレースでも連対を一度も外していない。
『今年は古馬が8頭、3歳馬が1頭と、古馬が多いレースとなっております。現在圧倒的一番人気はディラントーマスとなっております。日本のアドマイヤムーンは3番人気です』
大きな問題もなくゲートに次々と入っていく。アドマイヤムーンの走りに期待が高まる。
『さあ、態勢が完了しました。2400メートル芝12ハロン。クラシックディスタンスの勝者はいかに。月はアメリカに輝くのか』
『今スタートです!』
ベルの鳴る音とともに馬たちが一斉にターフに飛び出す。
『横並びでスタート。8頭がまずまずのスタートで始まりました。注目のディラントーマスは後方からのレースとなっております』
出遅れた馬はおらず、先行ポジションを取ろうとする馬がスピードを上げながら前に前にと進んでいく。
『先頭争いはシャムディナンにフライガイ、その後ろにイングリッシュチャネルが付けております。その1馬身ほど後方に昨年の勝ち馬レッドロックスが追走しております。アドマイヤムーンはレッドロックスの外側に控えております。現在5番手です。ディラントーマスは馬群の最後方の6番手におります』
最初のコーナーに入り、曲がりながら走っている様子が映し出され、アドマイヤムーンが4,5番手のあたりで走っていた。
『コーナーが終わってスタンド前の直線に入ります。先頭はフライガイが逃げております。その後ろにシャムディナン、イングリッシュチャネルが付けています。4番手にトランスダクションゴールド、外側後ろにアドマイヤムーン。その後ろにレッドロックスがおります』
アドマイヤムーンは4番手のポジションでレースを進めており、やや先行ポジションに陣取っていた。
『……ディラントーマスは現在6番手。第1コーナーをカーブしてアドマイヤムーンは現在5番手。先頭はフライガイ。しかしすぐ後ろからシャムディナンとイングリッシュチャネルが追走します』
大きく逃げる馬はおらず、先頭で逃げるフライガイから1馬身後ろで2番手のシャムディナンとイングリッシュチャネルが並走していた。2頭の真後ろにトランスダクションゴールドがおり、外側のやや後ろをアドマイヤムーンが並走していた。
ディラントーマスもトランスダクションゴールドの後ろを追走するレッドロックスをマークするように張り付いて走っていた。
『向こう正面に入ってイングリッシュチャネルが2番手に入ります。1200メートル通過は1分19秒。馬場状態もあってかややスローペースです。4番手にアドマイヤムーン。その内側にトランスダクションゴールドです』
コーナーが終わり、向こう正面のストレートに入るころには、イングリッシュチャネルが2番手に出てきており、アドマイヤムーンも4番手、馬群の中ごろでポジションをキープしていた。
『……6番手にディラントーマス。レッドロックスをマークする形で競馬をしております』
『先頭はフライガイ。一馬身ほど後方にイングリッシュチャネル。そこに合わせるように外側シャムディナンがおります。そこからやや離れて4番手にアドマイヤムーンです』
先頭集団が3頭になり、4番手となったアドマイヤムーンと2馬身ほど差がつく。その後ろにレッドロックスとディラントーマスの2頭が追走していた。
『向こう正面が終わって、コーナーを曲がります。4番手アドマイヤムーンも少しずつ上がってきた。おおっとレッドロックスも合わせたように上がっている。そして先頭がイングリッシュチャネルになる。ここから仕掛けるのか!』
コーナーに入り、アドマイヤムーンもスピードを上げていき、外側を通りながら3番手の位置につけた。その後ろのレッドロックス、ディラントーマスも同時にスピードをアップしてきた。
そして2番手にいたイングリッシュチャネルが先頭に取って代わり、主導権を握り始めていた。
『さあ、コーナー終盤。先頭はイングリッシュチャネル。フライガイが2番手、外からアドマイヤムーン3番手。ディラントーマスは現在6番手。しかし馬群が固まっている!』
第4コーナーでは馬群がひと塊になっており、先頭のイングリッシュチャネルが引っ張っていた。そして外目にアドマイヤムーンが抜け出しており、加速態勢に入っていた。
『さあ、ラストの直線に入ります。先頭はイングリッシュチャネルで、外からアドマイヤムーンが伸びてくる。ディラントーマスは内側5番手。イングリッシュチャネルが抜け出した!』
直線に入った瞬間に、各場最後のスパートを開始する。先頭で勢いのついていたイングリッシュチャネルが一気に抜け出すと、外から飛び出してきたアドマイヤムーンも一気に前に躍りでる。
『先頭イングリッシュチャネル。アドマイヤムーン猛追!アドマイヤムーンも伸びてくる。2頭がどんどんと伸びていく。ディラントーマス3番手。しかし3馬身4馬身と差をつけていく。イングリッシュチャネルか!アドマイヤムーンか!』
優勝は、後続の3番手をどんどんと引き離して先頭を突き進むイングリッシュチャネルと切れ味ある末脚を繰り出してそれを猛追するアドマイヤムーンに絞られた。
『アドマイヤムーン伸びる!伸びる!これは差し切ったか?二頭ほぼ同時に駆け抜けました!アドマイヤムーンが差し切ったか!それともイングリッシュチャネルが粘ったか!』
『3着はシャムディナン、4着にディラントーマスです。しかし3着に6馬身半の差がついております』
『ディラントーマスは最後に伸びませんでした。一方でイングリッシュチャネルとアドマイヤムーンは早めに抜け出すと勢いそのままに一気に独走状態でした。着順ですがまだ判明しておりません。しばらくお待ちください』
映像には2頭のゴールの様子が流れており、観客は一喜一憂している状態であった。
そしてしばらくすると、結果が発表される。
『アドマイヤムーンだ!アドマイヤムーンが1着です。遠く離れたアメリカの地で月が燦然と輝きました!栄光あるBCターフを制したのは日本馬アドマイヤムーンです!』
『クラシックの悔しさ、そして覚醒した4歳春。これでGⅠを3勝目。海外2勝目です!』
アドマイヤムーンの鞍上も指を差した後にガッツポーズで大歓声に応え、関係者のところに戻ってきた。
『これで日本2勝目!ブリーダーズ・カップで日本馬が躍動しております。まさに快進撃です』
『本当に遠征は大成功ですね。日本の馬がこんなに早くブリーダーズ・カップを制する日が訪れるとは思いませんでした』
『さて、次はブリーダーズ・カップのメインレースのクラシックです。遠征軍の総大将テンペストクェークが走ります』
日本勢の躍動に大興奮であったが、まだレースは終わりではない。
『本中継はこのままブリーダーズ・カップ・クラシックの模様をお伝えいたします』
まだ興奮は終わらない。