「テンペストの引退は撤回できませんよ。オーナーの意向は無視できません」
藤山は厩舎で受け入れている馬たちの調教、馬主たちとの関係構築など、調教師としての仕事をしていた。これに加えて、テンペストクェークの調教師としての対応を行っていた。
「そうですか……」
目の前にいるのはJRAの関係者であった。
「日本の競馬ファンの前で最後に走ってほしいという気持ちはわかります。それを望む声が多いことも。おそらく有馬記念も選ばれると思いますが……」
テンペストはまだ登録を抹消していないため、まだ競走馬としてはJRAに所属しているのである。
有馬記念のファン投票はまだ始まってはいないが、選ばれる可能性は高い。
「テンペストに2500メートルは長いです。走れないことはないですが、勝利は難しいです。テンペストのファンは、テンペストの勝利を望んでいます。負ける姿を見せたくはないですね」
テンペストのことを信頼しているからこそ、彼に有馬記念は厳しいという結論に至っていた。
今までも難しい挑戦はしてきた。しかし、それはあくまで勝ち目があり、入念な準備を重ねたうえでの挑戦であった。
テンペストの距離の壁を超えるために必要な準備期間は短すぎるのである。
「ちなみにダートの方はどうでしょうか」
「ジャパンカップダートは流石に期間が短すぎます。ブリーダーズ・カップの疲労とダメージが抜けません」
テンペストが日本のダートを走れないとは言わない藤山であった。
ただ、流石のテンペストもBCクラシックの激走の疲労やダメージは大きかったようで、もし引退をしなかったとしても年内は走らせたくないというのが実情であった。
オーナーの意志も固いことが分かったこともあり、それ以上の要求はしてこなかった。JRA側もそこまでの期待はしていなかったようである。
「……わかりました」
「引退式の方、よろしくお願いします」
関係者との面会が終わり、一息つく。
実はテンペストのラストレースに関してはJRA以外にも是非うちで走ってほしいというオファーは来ていた。
「南関に香港、それにドバイも……」
南関東競馬が主催するダート2000メートル競走の東京大賞典。テンペストが昨年勝利した香港カップを含めた香港国際競走である。
ダートも勝てることが分かったのか、ドバイWCにも出走してほしいという話も来ていた。彼らの狙いとしてはレース後に、自分たちのところで種牡馬になってもらうという意図もあるだろうと考えていた。
「テンペストが東京大賞典ねえ……」
BCクラシックを勝った馬が地方交流重賞に参戦するのは違和感が大きかった。
「……何はともあれ、テンペストとの戦いも終わりか」
藤山はまだ、テンペストは走れると見立てていた。
彼としても、まだ走らせてみたいレースもある。イギリスやフランスのマイル中距離レース、それにオーストラリアのレース。おそらく暴れまわることもできるだろう。
「ま、今回は見逃してやるとだけ言っておこう」
その役目はテンペストの子供たちに任せればいいだけの話である。
お別れの時は近い。
「引退式でなにを話そうかなあ……」
定期的に交換するテンペストの蹄鉄。藤山の部屋にはそれが飾ってある。
それを見ながら、スピーチの原稿を考えるのであった。
―――――――――――――――
俺は馬である。
泥だらけのレースで勝利して、そして疲労回復もそこそこに、やっと自分の故郷に戻ってきた。
あれからもいろいろと大変だった。取材、撮影と忙しい日々を過ごしていた。
まあ俺の勇姿をかっこよく伝えてくれるのなら構わないけどね。
そして今日、俺は競馬場に来ていた。
レースなのかと思ったが、そうではない。
そもそもレースに向けたトレーニングをほとんどしていない。
あのレース以降、俺は体重や体力維持の運動以外は走っていない。
「テンペスト。お前の最後の晴れ舞台だ」
俺をずっと世話をしてくれている兄ちゃんに連れられて、俺は競馬場に入っていく。
そこには大勢の人がいた。
カメラを構えた人、何かを持っている人。
人でいっぱいであった。
「みんなお前のために集まったんだよ、テンペスト」
最近の兄ちゃんやおっちゃんたちの雰囲気。
そしてこの雰囲気。
そうか、そういうことなのか……
あのレースが俺にとって最後のレースだったんだな。
今日で俺は引退するのか……
もう、俺はレースに出る必要はないのか。
もう、俺は彼らとともに戦うことはできないのか。
それは寂しいな。
まだ俺は走れるのに……
あの時のレース。俺はすべての力を注ぎこんだ。
残念だしもっと走りたい。だけど悔いは全くない。
【そうか……】
ぐるぐると歩いていると、騎手君やおっちゃんたちの声が聞こえる。
俺には何を話しているのか全く分からない。
ただ、全員が悲しんでいることだけは理解できた。
雰囲気もどこか悲しげであった。
俺は……
俺の走りに意義はあったのか。
俺が存在する価値はあったのか。
その答えはここにあった。
競馬場を観戦場所いっぱいに詰めかけた人たち。もう夜に近い夕方だ。それなのに、こんなにも多くの人が俺のことを見に来てくれている。
なぜ、俺が馬になったのかはわからない。
なぜ、人間の魂を宿したのかはわからない。
ただ、俺は、この馬になってよかった。
心からそう思う。
俺の3年間の走りの成果がここにはあった。
眩しいライトの光、人のどよめき。
ああ、きれいな光景だ。
そういえば、アイツや友人との再戦が出来なかったか……
それだけが心残りだな。
―――――――――――――――
12月上旬。
夕闇に包まれた東京競馬場。
すべてのレースが終わった後であったが、競馬場に来ていた観客は帰ろうとはしていなかった。
むしろ、これから始まるイベントが本命で集まった人たちが多かった。
『テンペストクェーク 引退式』
テンペストクェークの引退式が東京競馬場で行われる予定であった。
彼の伝説の幕開けとなった毎日王冠と天皇賞・秋を勝利した地での引退式であった。
『ただいまより、テンペストクェーク号の引退式を始めさせていただきます』
『皆様、パドックの入場口にご注目ください』
『先日、アメリカで行われたブリーダーズ・カップ・クラシックを勝利し、GⅠを14勝したテンペストクェーク号の登場です!』
司会の言葉と共に、パドックに現れたのは3人の男と1頭の鹿毛の馬であった。
テンペストクェークと共に戦った3人のホースマンの姿であった。
この様子はテレビで中継されており、アナウンサーたちが実況する。
『藤山調教師がテンペストクェーク号に騎乗しておりますね。そして両隣にいるのは、秋山厩務員、そして本村調教助手です』
パドックを回りながら、その雄大な馬体を見せつけるテンペストクェーク。
そのゼッケンには大きな星が1つ、小さな星が4つ刻まれていた。
『ゼッケンには勝利したGⅠ競走の数だけ星が刻まれております。普通の星では表現できないため、大きな星1つで10勝分であるとのことです。果たしてこの巨大な星を刻む馬がこの後、現れるのでしょうか……』
『この引退式のために、多くのお客さんが詰めかけております。彼の最後の勇姿を見届けようと、多くの人が集まりました』
パドック付近には人が集中し、かなり混雑していた。
それどころか、メインビジョンが見える位置まで観客で一杯であった。
『テンペストクェーク、その名前にふさわしい強さの馬でした。彼の最後の勇姿を、しっかりと目に焼き付けたいです』
観客に見せつけるようにパドックを歩く1頭の馬。
今日の主役は彼でしかなかった。
『それでは、皆様。ここでテンペストクェーク号の輝かしい軌跡を映像で振り返っていきましょう』
そしてメインビジョンでテンペストクェークの激闘の映像が流れ始める。テレビでも同様の映像が流れていた。
題名は『Memories of テンペストクェーク ~世界を制した暴風伝説~』
『2002年、北海道の島本牧場で生まれた鹿毛の牡馬、テンペストクェーク。父ヤマニンゼファー、母父サクラチヨノオーという、牧場長肝いりの血統の馬であった』
当歳馬時代のテンペストと共に満面の笑みを浮かべている島本親子の映像が流れる。島本親子はこんな写真が使われることは全く知らなかったので、なんで俺たちが?と思っていた。
『美浦の藤山順平厩舎に入厩し、2004年12月にデビュー戦を勝利で飾ります』
新馬戦の大逃げの映像が流れる。
それを見ていた関係者一同は苦笑いをしながら眺めていた。
テンペストは見ようともしなかった。
『2戦目の条件戦も勝利し、そのままの勢いで弥生賞に挑戦。しかしそこには宿命のライバルがいました』
テンペストクェークにディープインパクトは欠かせないとしてクラシック春の苦闘の映像が使われていた。これは関係者からの希望であった。
『弥生賞、皐月賞、日本ダービーでライバルに敗北。しかしこの時の悔しさは秋になって爆発した』
『休養明けの毎日王冠で初重賞を飾ると、そのままの勢いで天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップも連勝。管理する藤山厩舎、そして高森康明騎手にGⅠ初勝利をもたらしました』
大外から一気に差し切るテンペストの3戦の映像が流れる。
『そして翌年2006年。ドバイデューティフリーを勝利したテンペストクェークは、再び宿命のライバルとの対決を迎えます』
『大雨のなかの宝塚記念。ディープインパクトとのラスト1ハロンのデッドヒートを制し、ライバル対決を制しました』
大雨の中、2頭の叩き合いの様子が流れる。最強にして最高のライバルとのマッチレースの記憶はまだ新しい。
『そして、テンペストクェークは欧州へ渡り、伝説を作ります』
『インターナショナルステークス、12馬身差の圧倒』
『アイリッシュチャンピオンステークス、内ラチからの強襲』
『クイーンエリザベス2世ステークス、最後方からの全頭なで斬り』
『チャンピオンステークス、根性の鼻差勝利』
『香港カップ、余裕を見せた1馬身差』
テンペストの勝利したレースのダイジェストシーンが流される。
『2006年年度代表馬、最優秀3歳以上牡馬、最優秀短距離馬を受賞。そしてその栄光は海外からも評価されました』
『レーティング139ポンドを獲得し、単独世界一の評価を受け、そして欧州年度代表馬の受賞。日本を超え、欧州でもその名前を轟かせました』
『そして2007年も栄光は続きます』
『高松宮記念、執念の同着勝利、3階級制覇』
『クイーンエリザベス2世カップ、7馬身差の余裕』
『安田記念、半馬身差の圧勝劇。親子三代の覇道』
『2007年、テンペストクェークはついにアメリカ合衆国にわたります。目指すはダート世界最強。その初戦は海の向こうの怪物に阻まれました』
『そしてラストラン。ダート世界最強を決めるブリーダーズ・カップ・クラシック。そこにはアメリカ屈指のライバルたちの姿がありました』
先日行われたクラシックの中継映像が流れる。
泥まみれの馬場を異次元の加速で走り抜けるテンペストクェークの姿が映し出された。
『4馬身差をつけての圧勝。芝、そしてダート世界最強の馬が誕生した瞬間であった』
ダイジェスト動画が終わり、テンペストクェークの偉大な記録が映像に流れる。
『テンペストクェーク(Tempest Quake)』
『2002年3月生まれ』
『父ヤマニンゼファー 母セオドライト』
『通算成績 22戦18勝』
『重賞16勝(うちGⅠ 14勝)』
『2005年
毎日王冠(GⅡ)
天皇賞・秋(GⅠ)
マイルチャンピオンシップ(GⅠ)
2006年
中山記念(GⅡ)
ドバイデューティフリー(GⅠ)
宝塚記念(GⅠ)
インターナショナルステークス(GⅠ)
アイリッシュチャンピオンステークス(GⅠ)
クイーンエリザベス2世ステークス(GⅠ)
チャンピオンステークス(GⅠ)
香港カップ(GⅠ)
2007年
高松宮記念(GⅠ)
クイーンエリザベス2世カップ(GⅠ)
安田記念(GⅠ)
ジョッキークラブゴールドカップ(GⅠ)
ブリーダーズ・カップ・クラシック(GⅠ)』
『2005年度JRA賞最優秀短距離馬 最優秀父内国産馬』
『2006年度JRA賞年度代表馬 最優秀4歳以上牡馬 最優秀短距離馬 最優秀父内国産馬』
『2006年度欧州年度代表馬 最優秀古馬』
『その雄大な馬体と猛々しい走りで世界中のファンを魅了した絶対の王者、テンペストクェークは種牡馬として次の世代にその強さを託します』
映像が終わると、拍手をしたい気持ちを抑えて、彼の栄光を静かにたたえていた。
『映像の通り、テンペストクェーク号は2002年3月に北海道の島本牧場にしてその生を受けました。父ヤマニンゼファー、母セオドライトの血統』
『2004年のデビューから重ねた勝利は18勝。そして重賞は16勝。GⅠは14勝であります。数多くの記録を塗り替えました。その猛々しい走りは、まさに暴風の名にふさわしいものでした』
そして、テンペストクェークの関係者が登壇し、それぞれ紹介される。
馬主:西崎浩平
調教師:藤山順平
騎手:高森康明
調教助手:本村昭文
生産者:島本哲司
厩務員:秋山元彦
秋山は自分が登壇するとは全く思っていなかったので、何もスピーチの原稿を考えていなかったようで、声がかかった瞬間「???」という顔をしていた。
テンペストクェークにからかわれる映像が多数流出しており、秋山もテンペストのチームの一員だからという陣営の熱い希望があっての登壇であった。
花束の贈呈などが行われ、それぞれのインタビューが始まる。
西崎浩平
『今までご声援いただき、誠にありがとうございます。日本だけでなく世界中の競馬ファンの皆さんの応援をいただきました。テンペストクェークは世界中を駆け巡ることが出来ました。これも関係者の皆様方のご支援のおかげであります。本当にありがとうございました』
『ここまで全くの怪我無く走り切ってくれました。ブリーダーズ・カップの激走は彼のすべてが詰まったレースでした。本当にお疲れさまでした。そしてありがとう!』
藤山順平
『強い。この一言に尽きる馬でした。速さ、タフさ、賢さ。すべてが、私が見たこともないほどの能力を持っていました。この場で語りつくすことはできませんが、一言声をかけるなら、「お前が最強だ」という言葉ですね。世界の頂を見せてくれてありがとうテンペスト!』
高森康明
号泣しすぎていたため、何を言っているのかわからなかった。
聞き取れる範囲では、「ありがとう」と「さようなら」は言っていた。
本村昭文
『イギリス、アメリカでの調教は自分が担当することになって、本当にどうしようかと思いました。しかし、テンペストは本当にタフでした。初めての場所で空気も水も食べ物も変わる。人間ですらストレスを受ける環境でありながら、彼は全く動じませんでした。現地の厩舎でだけでなく、ニューマーケットやモンマスパークのボスになってしまうほどの強さでした。厳しい調教にも耐える精神力、それでいて不調があれば我々に申し出る管理能力の高さ。こういった能力の高さが彼の強さを引き出していたのだと思います』
『強くて、そして賢い。そして優しい馬でした。ありがとう、そしてさようなら』
島本哲司
『テンペストは私のロマンを体現した馬でした。そして島本牧場の希望になってくれました。彼が走るたびに、彼の血統にいる馬たちの姿が思い浮かぶ、そんな馬でした』
『彼が生まれたとき。その時はものすごい雪と風の日でした。そのうえ、生まれた瞬間に地震まで起きましたからね。もう地球が、やばい馬が生まれることを察したんじゃないかと思うような日でしたよ。西崎オーナーもこのエピソードからテンペストクェークという立派な名前を付けてもらいました。その名前の通り、猛々しい馬になってくれました』
『全くケガをしないで走り切ってくれたのは本当にうれしい限りです。彼の子供たちも、彼の強さとタフさ、賢さを受け継いでくれたらと思います。彼の旅路はまだ終わりません。ありがとう、ボー!』
秋山元彦
『自分がこの場に立てることを光栄に思います。テンペストは賢い馬でした。強いのはもちろんなんですが、本当に賢かったです。自分の名前も理解していましたし、レースの勝ち負けも理解していた。彼には理性がありました。こんな馬を見たのは初めてでした』
『一番の思い出ですか。やっぱり女王陛下に乗ってもらったことですね。あれは生きた心地がしませんでした。まあ、彼なら大丈夫だと確信していましたし、だからこそ実現したわけなんですが。とにかく、人間の気持ちを察する能力が桁違いに高かったですね。あとは他の馬に対しての面倒見もよかったですし、そういうところが彼がボスとして慕われていた要因なんだと思います』
『本当に語りつくせないほどのエピソードがありますよ。とりあえず、お疲れ様です。いろいろとありがとう。テンペスト!』
最後に西崎が代表として引退式のトリを飾る。
『最後になりますが、今までテンペストクェークを応援していただき、誠にありがとうございました。テンペストの物語はとりあえずの終わりを迎えます。本当に偉大な馬でした。私に、藤山先生たちに、そして日本に、世界の頂を見せてくれました馬でした』
『彼の父は、そよ風と呼ぶにはあまりに強烈な馬でした。そのそよ風から、世界中を驚愕させる暴風が誕生する。本当に出来すぎた物語のようです。そしてその物語はまだ続きます』
『テンペストは、日本中の、いえ、世界中のホースマンたちの夢を背負います。彼のような、強くて、頑丈で、そして賢く優しい。そんな子供たちが世界中の競馬場を駆け回る日が来ることを願っています』
『最後になりますが、このような引退式を用意していただき、誠にありがとうございました。テンペスト!本当にありがとう!』
感謝のスピーチが終わり、最後は関係者一同との写真撮影であった。
チーム藤山のメンバーがテンペストと共にターフ上で並ぶ。
真面目な撮影会が終わると、テンペストは高森に乗れという仕草をみせ、相変わらず号泣している彼を上にのせていた。
藤山厩舎の帽子をかぶった全員による、最高の撮影会であった。
「ありがとう、テンペスト」
目を細めたテンペストの鼻先に、額をつけて頭を垂れた高森騎手との写真は、彼らが唯一無二の相棒であることを証する一枚であった。
それは人とサラブレッドの絆を証明した一枚であった。
拍手でテンペストクェークは見送られ、引退式は終了した。
世界最強のサラブレッドの物語が終わった。
コントレイルとゴールドシップの引退式を参考にしました。
ゴールドシップの編集された映像は本当に感動しました。ニコ動の偏向報道のタグには笑いましたが......
追記
いろいろと考えた結果、星は10個で一つにしようと思います。永久欠番的なものにしてもいいかなと思ったからです。いろいろな意見、ありがとうございました。