10ハロンの暴風   作:永谷河

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夢の終わりと続き

12月下旬。

テンペストクェークは美浦の藤山厩舎でのんびりと過ごしていた。

東京競馬場で行われた引退式も大成功に終わり、多くのファンと関係者に見送られ、彼の競走生活にピリオドを打った。

 

 

「テンペストですけど、まだ行き先が決まっていないんですか?」

 

 

秋山がテンペストの首を撫でながら、今日の調教が終わっていち段落ついている藤山と話す。話題はテンペストの今後についてであった。

 

 

「もともと30億程度のシンジケートが組まれる予定だったんだけど、それを上回る金額が世界中、主にアラブの人間とイギリス、それにアイルランドから提示されているようでね。オーナーもどうするか悩んでいるようですよ」

 

 

西崎はテンペストがしっかりと管理してもらえるのであれば、どこで種牡馬になってもいいと考えており、お金についてもそこまで気にしているわけではなかった。

日本最大規模の馬産関係の企業からは、約30億近くの金額を提示されていた。西崎としてはその金額で十分だと考えていた。

しかし、アメリカのダートで圧倒的なパフォーマンスを見せたことで、アラブの王族が本腰を入れてマネーゲームを挑んできたのである。ドバイミレニアムを超える力を持つ馬で、しかもダート・芝の二刀流も可能。ドバイワールドカップを勝利する後継が誕生する可能性も高いということもあり、その豊富な財力を盾に莫大な金額を提示してきていた。また、英国やアイルランド、アメリカに牧場を持っており、そこで管理されている良血の牝馬についても西崎に積極的に紹介しているほどであった。

また、アイルランドの牧場も大規模なシンジケートを用意する準備があるとして、西崎と交渉していた。

 

 

「十億単位の金が飛び交っているようです。テンペストはおおよそ20億稼ぎましたが、まだまだ稼ぎそうですね」

 

 

「オーナーも大変ですなあ……まあ、日本人としては、日本で種牡馬になってほしいという気持ちが大きいですが」

 

 

「そうですよね……それを期待してくれるファンも大きいですし」

 

 

「ただ、この問題がこじれると面倒なことにもなりかねないんですよね」

 

 

「ドバイのレースや英国のレース締め出し!なんて露骨なことは流石にしないでしょうけど、良血統の牝馬や種牡馬の輸入が滞ったり……なんてことも考えられますからねえ……」

 

 

「……まあ、お金以上に大切なこともありますので」

 

 

いろいろな人の悩みの種になっている当の本人は、寝藁の上でゴロゴロしているのであった。

 

 

 

 

テンペストクェークの馬主である西崎浩平は、信じられない額の金額がテンペストの種牡馬入りに関して動いていることに戦慄していた。

 

 

「イギリスにアイルランド、それにオーストラリアまで?あっちは走っていないんだけどなあ……」

 

 

米国のダートを圧倒できる実力を持っていることが分かった以上、ダート最高峰にして最高賞金額を誇るレースを主催する石油王たちが動かないわけがなかった。

そして短距離~中距離が中心のオーストラリアも名乗りを上げており、競馬の主要国がテンペストに注目していた。

 

 

「実はテンペストは欧州の方に適正があるのかもしれないって言われているし、あっちで種牡馬になった方が成績は上がるのかな?」

 

 

勝利した場所が多すぎて、彼の本来の適正というのが全くわかないのである。本来の適正もなく、すべてが◎の適正を持っているだけなのかもしれないが。

 

ずっと悩みぬいた西崎であったが、最終的には、日本で走っている子供の姿を見たいという気持ちと、いろいろと陰で支援してくれたうえ、一番熱心にお誘いしていた日本最大規模の馬産グループに決めるのであった。

 

ただ、そう簡単にことが進まないのが、種牡馬ビジネスなのである。

西崎はしばらく、忙しさに翻弄されることになるのであった。

 

 

 

 

マツリダゴッホの有馬記念制覇という波乱で終わった2007年の中央競馬。

そして2007年JRA賞の発表。

テンペストクェーク引退後も日本の競馬は滞りなく進んでいった。

 

 

「……マジか」

 

 

競馬新聞やスポーツ新聞が一面で報じたのは、一頭の馬の種牡馬入りのニュースであった。

 

 

『テンペストクェーク 総額60億円で種牡馬入り」

『ディープインパクト超え、驚異の60億円のシンジケート』

『初年度の種付け料は1000万超えか?』

 

西崎にずっとラブコールを送っていた日本最大級の種牡馬繋養施設を有するグループでテンペストクェークは種牡馬となることが決まったのである。

報道では、一口何円になるだの、初年度の種付け料は何円になるといったことが書かれていた。

 

しかし、この報道の裏で、かなりの密約が交わされていたことは、まだマスコミ関係者には報じられていなかった。

 

テンペストクェークを自分たちの牧場に引き入れたいと考えた馬産関係者は世界中に存在していた。その中でも特に要望が大きかったのが、アイルランド最大規模の生産牧場、英国に拠点を置いているアラブの王族のグループの傘下の牧場であった。

彼らのマネーゲームに付き合うことを恐れた西崎たちは、彼らととある取引を行っていた。

 

それは、日本で6年間種牡馬として活動したら、英国で3年、アイルランドで3年間移籍するという内容であった。その後は産駒の成績次第で決まることになっていた。

シンジケートが組まれたといっても60株の内、30株を日本が、15株を英国が、15株をアイルランドが所有することになったのである。つまるところ、一般人締め出しの完全寡占体制を敷いていたのである。本券の半分を海外の牧場が持つという異例の事態であった。

マネーゲームを仕掛けないし、1口1億円×15株の15億円を支払う。その代わりにうちで繋養させろという熱い要望を持ち掛けていた。

最初の6年間は日本にうちの繁殖牝馬を持っていくから本券分は優先的に種付けさせてくれ。そして3年間は俺たちの国で自由にさせろということである。

もちろん管理責任等については厳重に決められていた。グループの渉外担当は連日の交渉に泣いていたのは言うまでもない。

 

もちろん見返りは用意されていた。良質な種牡馬や繁殖牝馬の融通。今後、英国を含めた欧州遠征での手助けなどである。

 

また、西崎が、いろいろな馬に種付けしてあげたいという要望もあり、種付け料はやや低めに設定されることになった。一般人締め出しのシンジケートだからこその荒業であった。

 

 

ともあれ、彼の去就は決まった。

そして、そのテンペストも美浦トレセンから旅立つ日がやってきた。

行き先が決まるまで、どこかの育成牧場か、島本牧場で過ごしておこうかと考えたらしいが、管理体制が厳重な美浦のトレセンで過ごさせたほうがセキュリティ的にも安心だということで、藤山厩舎でテンペストは過ごしていた。

 

 

「じゃあな、テンペスト。向こうでも頑張りなよ」

 

 

厩務員の秋山が最後のブラッシングをする。

テンペストが乗る馬運車の周りには、トレセンの運営に支障をきたさない程度にはマスコミ関係者たちが集まっていた。みすぼらしい格好で終えるわけにはいかないとして、丁寧に仕上げられていた。

 

テンペストが秋山厩務員と共に厩舎から出てきた瞬間、カメラのシャッター音が響き渡る。

前には藤山や本村といった厩舎のメンバー、そして高森騎手が出迎えていた。

 

 

「じゃあな。お前の子供が俺のところに来る時を待っているよ」

 

 

「調教師になったら、君の子供と世界を目指すよ。向こうでも頑張ってね」

 

 

高森騎手は何も言わなかった。

ただ、テンペストの方を見て、最後の別れを惜しんでいた。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

しばらく俺はのんびりと過ごしていた。厳しいトレーニングの日々はもう送ることはない。

俺はあの日、引退したのだから。

おっちゃんたち人間が決めたことだ。馬の俺はそれに従うしかない。

それは仕方がないことだ。

ただ、これから俺はのんびりと過ごすことになるのだと思う。それもまた一興だな。

 

 

そして、俺が第二の故郷といっていいトレーニング場を離れる時が来た。

兄ちゃんたちの雰囲気で分かる。

もう二度と俺はこの土地に来ることはないということがだ。

 

 

【じゃあな。みんな仲良く元気にやれよ】

 

 

【……はい】

【わかった】

【いかないで】

 

 

俺は同じ建物で過ごした仲間たちに別れの挨拶を告げる。

建物から出ると、カメラを構えた人たち。そしておっちゃんたちや騎手君がいた。

おっちゃんたちは俺を労ってくれた。

何を言っているのかはわからないけど、伝えたい気持ちは俺には理解できる。

 

そして騎手君。

君のおかげで俺は強くなれた。

 

 

【ありがとう……】

 

 

俺の最高で唯一の相棒は何も言わなかった。

言わなくたってわかるさ。

 

 

さて、景気づけだ!

ご照覧アレ!

 

 

【あばよ!皆に幸あれ!】

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

馬運車に乗ろうとした瞬間、テンペストは立ち上がり、今まで聞いたこともないほどの甲高く、それは大きな嘶きを発した。

それは調教が終わり、少し落ち着いていた美浦トレセンに響き渡る嘶きであった。

 

厩舎で休んでいた馬

トラックで走っていた馬

道路を歩いている馬

シャワーを浴びている馬

 

気性が悪い馬も、賢い馬も、のんびり屋な馬も。

若駒も、古馬も、牝馬も、セン馬も。

 

嘶きが響き渡った範囲、そして他の馬が嘶いたことで厩舎から厩舎へ、そのどよめきは美浦中に広まったのであった。

 

すべての馬が、この地の王が去り行くことを認識し、それに反応したのである。

 

 

「……まったく。本当に強くて、そして偉大な馬だよ。相棒」

 

 

美浦のボス争いはまた激しくなるなと思いながら、高森はテンペストが乗った馬運車を眺めていた。

そして車が消えると、静かに涙を流した。

 

 

 

 

これから、テンペストは種牡馬として新たなる戦いに挑む。

それは雄として、そして生命としての強さを見せつけなければならない過酷な生存競争でもある。

そして、大種牡馬は、過酷な種付けで生命力を削られ、長生きすることができない場合が多い。種牡馬として活躍すればするほど、命は削り取られていく。

それでも、種牡馬になれるのはほんの一握りである。

サラブレッドの生存競争で極めて優秀な成績を残したテンペストクェークによる、新たなる戦いの生活が始まる。

彼の物語は、まだ始まったばかりだ。




シンジケートの話は、テンペストがイギリスやアイルランドで種牡馬をするための策でしかないので、話半分に聞いてください。ツッコミどころ満載ですがここはフィクション強めでお願いします。

これでテンペストが種牡馬大失敗だったら、3か国の関係者全員が頭を抱えることに……


次話が最終話になります。
7/2 10:00投稿予定です。



種牡馬時代のお話
データコーナー
妹のお話
テンペストおじさんのお話
高森騎手をはじめとした関係者たちのその後
馬術関係のお話
後世の掲示板

これらの話を蛇足にならない程度に本編終了後に閑話として投稿予定です。
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