登場人物・馬紹介
テンペストクェーク(Tempest Quake)
主人公/サラブレッド
経歴
2002年に島本牧場で誕生した鹿毛の牡馬。父ヤマニンゼファー、母セオドライト、母父サクラチヨノオー。幼名『ボー』。
2004年12月に新馬戦を勝利。2005年毎日王冠で初重賞制覇。2005年天皇賞・秋で初GⅠ制覇。2007年引退。
引退後は種牡馬として活躍。2011年に産駒がデビューし、世界中で産駒が活躍した。日本のSS系やキングマンボ系、欧州のノーザンダンサー系、アメリカのミスプロ系、ストームキャット系等の各国の主流血統の種牡馬たちと対等に戦った。
2026年(24歳)で種牡馬を引退。その後余生を引退馬繋養牧場で過ごした。2037年8月、35歳で死没。その墓は島本牧場の敷地に建てられた。
種牡馬として活躍する一方、その賢さと従順さ、身体能力の高さを買われて馬術馬としても活躍。オリンピックにも出たりしている。
性格
人間の魂がインストールされた馬。馬の脳みそに人間の演算能力は釣り合わないため、文字や言葉、一部の記憶等の演算能力はそぎ落とされている。それでも馬を超えた頭の良さをもつ。
若駒時代の性格はナルシストかつナチュラルに他馬を見下すヤバい性格をしていた。弥生賞でディープインパクトに敗れ、天狗の鼻を折られた。そして、自分が一番強く、「お前を勝たせてやる」という傲慢な考えを捨てたことで、上記の性格は徐々に治っていった。元々、真面目で温厚な性格ではあったので人間からも馬からも好意的に見られることが多くなった。
当初は、自分が人間であるという意識が強すぎたがゆえに、馬の社会を拒否していた。しかし、ゼンノロブロイから馬の社会の生き方を教えてもらったことで、自分が馬であることを受け入れた。その後は賢さと面倒見の良さ、そして圧倒的な強さを武器に、厩舎のボス、そして美浦トレセンのボスに上り詰め、伝説のボスとして関係者から語り継がれるほどになった。
能力
非常に高い身体能力を有している。スピード、パワー、瞬発力は世界最高峰である。また高い知能と知性を有しているおかげか、学習能力と自己管理能力が高い。精神力も非常に強く、遠征にも強い。そして22戦して一度もケガらしいケガをしたことがなく、非常に頑丈でタフである。また、操縦性が非常に高いため、脚質が万能に近い。
総合的にみると、長い距離が苦手なこと以外はすべての能力が高水準でまとまっており、弱点らしい弱点がない。日本の高速馬場、欧州の重たい馬場、アメリカのダート、そしてそれぞれの良馬場重馬場、すべてに対応可能な万能性を有しているのが特徴である。
人間の魂が宿ったのは神様の気まぐれか、それとも……
幼駒時代は足が外向気味で見た目は貧乏臭かったが、そのころからケガや病気とは無縁であったという。
高森康明
副主人公/騎手
経歴
1958年8月神奈川県で出生。競馬関係者とは無縁の一族であったが、競馬好きの父と共に旅行と称して競馬場に連れて行ってもらったことで競馬を好きになり、騎手を目指すようになった。1977年(19歳)で騎手免許を取得し、美浦で騎手としてデビューを迎えた。
198X年に初重賞を制覇するが、同年に落馬事故によって全治1年近くの大けがを負う。しかし半年で復帰し、騎手として復活する。
30歳の年に結婚するもその年に2度目の落馬事故を経験。全治1年以上の大けがを負うが、半年程度で回復。そして1年後に騎手として復帰した。
40歳が迫る年齢の年、愛車を運転中に居眠り運転の事故に巻き込まれて意識不明の重体となる。騎手として復帰は絶望的と言われながらも驚異的な回復力を見せ、事故から3年後に騎手として復帰。復帰の際にいろいろあって、離婚している。
復帰後は藤山厩舎に拾われ、所属の騎手として活動。2004年12月にテンペストクェークと出会う。2005年に天皇賞・秋で初GⅠを制覇する。
テンペスト引退後、ケガの古傷や年齢による老いと戦いながらも騎手として2013年(55歳)まで最前線で戦い抜いた。2013年にテンペストクェークのファーストクロップでGⅠを勝利し、大団円を迎えた。
引退後は、海外遠征を支援する仕事を行いながら、競馬の普及に努めた。
子供が2人いるが、1人は地方で騎手をしているようである。
性格・その他
のほほんとした見た目とは裏腹に不屈の精神を持ち合わせている。結構したたかな性格をしているが、善良な人間であるため、後輩からは慕われていたりする。
センスや勝負勘といったところが一流の騎手に比べると劣っているのは事実であるが、決してヘタクソな騎手ではない。ただ30年以上騎手を続けておきながら、勝利数が伸び悩んだのは、肉体の全盛期に何度も大けがを負ってしまい、その時に中々いい馬に巡り合うことが出来なかったことも大きな要因ともいえる。
特技は車の運転と英会話。この二つの特技が、テンペストとの戦いで大きく役立ったようである。
意外と文才もあるようで、引退後にテンペストクェークと過ごした日々を描いた作品を執筆。日本語と英語で書き上げた力作はルドルフの背に並ぶ公式怪文書として世に出回った。
通算成績
10550戦822勝(勝率.077)
重賞勝利数32勝(内16勝をテンペストクェーク)
GⅠ勝利数17勝(内14勝をテンペストクェーク)
2006年度JRA賞特別賞
藤山厩舎関係者
藤山順平
調教師
1990年代中盤に50歳で厩舎を開業。G1勝利馬はいないが、重賞勝利馬、オープン馬をコンスタントに排出する厩舎である。零細馬主の馬も受け入れ、それでいて結果を出しているあたり、調教師としては優秀である。
高森騎手は、騎手時代に可愛がっていた後輩であり、その不屈の精神を見込んで自分の厩舎の所属騎手にした(もちろん高森騎手の腕を信用していたこともある)。
テンペストクェーク引退後には委託馬が増加。大手のクラブ馬を任せられるほどになり、それ相応の結果を残した。定年後は高森と共に海外遠征を支援する仕事に就きながら、競馬の普及に努めた。
いろいろな名馬を見てきたようだが、最後まで最強の馬はテンペストだと公言し続けていた。
本村昭文
調教助手
騎手出身ではないが、調教師を目指しており、藤山厩舎で修業を積んでいた。藤山からは信頼されており、テンペストの海外遠征においては、彼が現地での調教を担当していた。
その後、調教師試験に合格し、美浦で厩舎を開業した。藤山が調教師を引退するときには、彼の構築した馬主ネットワークやコネを引きついだ。
テンペストクェークのラストクロップで再びブリーダーズカップ・クラシックを制するのはまた別のお話。
秋山元彦
厩務員
藤山厩舎で働く若い厩務員。今時(2005年基準)の若者であるが、JRAの厩務員として働くことが出来るだけあってか、馬の世話を含めた仕事はしっかりとできる。テンペストクェークと共に世界中を駆け回り、いろいろなドタバタに巻き込まれた。大変だったが、楽しい時だったと思っている。
藤山調教師が引退後は、本村厩舎に異動し、最後まで馬とかかわり続けた。強い馬を担当することもあったが、やっぱり一番強かったのはテンペストだと公言し続けている。
馬主関係者
西崎浩平
馬主
セオドライトの2002を庭先取引で購入した。馬の購入は初めてなのに、セレクトセールなどのセリではなく庭先取引で行う豪胆な人。父親は島本牧場と縁のある人だった。
父親の会社を継いだ若社長でもある。それでも反対が起きなかったあたり優秀な人である。
父親は経営者としては一流であるが、馬主としては二流だったらしい。あまり相選眼がよくなかったようである。このため、彼の息子が特に有名でもない牧場で、取り立てて優秀な血統でないうえ、どことなく外見もピリッとしない馬を買ったため、そこも遺伝したのかと思われていたらしい。
2008年以後はリーマンショックによる大不況によって会社の経営が傾きかけたこともあり、馬主として活動は控えていた。しかし、一口馬主として活動は続けており、数多くの名馬の一口馬主に参加していた。そのため、相馬眼は本物であると噂されている。英国遠征や米国遠征など、数多くの伝説を作り出しており、凄い人だと認識されている。
テンペストクェークのラストクロップで再びブリーダーズカップ・クラシックを制する。
西崎涼子
西崎浩平の妻。
競馬のことはよく知らないし、興味もなかったが、テンペストのことは可愛がっていた。
西崎の部下たち
西崎が経営する測量会社の社員たち。西崎の父の影響からか競馬好きが多い。中には地方で馬主をしている人、一口をしている人もいる。父ヤマニンゼファーという微妙な血統の馬を所有した時は大丈夫なのかと心配したが、その馬が伝説になったため、その心配は杞憂であった。リーマンショック以降の不況で経営が傾きかけるが、なんとか乗り越えた。
牧場関係者
島本牧場
北海道静内のどこかにある競走馬の生産牧場。繁殖牝馬の数はそこまで多くはないが零細というほどの規模ではない。
牧場長兼社長:島本哲司
その他従業員(家族、親戚が多い)
テンペストクェークが誕生する以前、G1級の馬は生産したことがないが、地方重賞を勝利する馬やなどを輩出し、勝ち上がり率も悪くないため、地方馬主などから評価されていた。馬房のほかに、訓練用のコースがあるなど、1歳馬の育成をある程度は行うことが出来る。
セオドライトの子供たちのおかげで、体力をつけることに成功し、リーマンショック以降の不況を乗り越えることができた。放牧地の改良や育成施設の拡充も行っており、むしろ強くなったようである。
島本哲也
地元の農業高校の畜産関係学科を卒業後、実家の島本牧場に就職。馬と気持ちを通わせられるとかそういった特別な力はない。体力はあるので、若い労働力として日々奮闘している。馬に関わる一族として、馬を愛しているが、競馬が甘い世界ではないことも理解している。しかし、馬産の仕事を選んだのは彼が馬を愛しているからである。
テンペストクェークのことは、血統や外見のこともあり、心配していた。しかし大人しく、健康体であった彼が、この先の栄光をつかめるようにと一番願っていた。それがまさかあそこまで強くなるとはだれも思っていなかった……
島本哲司
祖父から引き継いだ島本牧場を経営している。堅実な経営をモットーに、最新の競馬の知識を研究するなど意欲のあるホースマンである。そんな彼が母父サクラチヨノオーの牝馬を購入し、ヤマニンゼファーを種付けしたのはロマンを感じていたからである。それもまたホースマンが故の行動だろう。
テンペストクェークやヤマニンシュトルムが世界で活躍した結果、趣味で配合した馬で世界を獲ったロマンに生きたオヤジと認識されている。
大野慎
大手の牧場で働いていたが、いろいろあって島本牧場に流れ着いてきた。血統や生産に関して研究を行っており、島本牧場の参謀的存在。税理士の資格も持っているため島本ファームの税務関係の仕事も行っていた。また、投資関係の仕事もしているようで、この人がいなかったら島本牧場はつぶれていたかもしれないといわれるほどの人。
テンペストクェークについては結構いいところまで行くと思っていたが、さすがの彼の眼を以ってしても、世界最強の馬になるとことは見抜けなかったらしい。
セオドライトについては、自身の血統の理論を当てはめることができない異色の牝馬として認識しており、牧場長のロマンを優先してあげている。それ以外については堅実に馬を生産している。
島本ゆう
島本哲司の妻で、東京の有名大学の商学部を卒業しているエリート。何の因果か北海道の牧場に嫁いできた。テンペストクェークの当歳馬時代の写真集やグッズを制作するなど、商魂たくましい性格をしている。意外と儲けた模様。
その他の人達
ディープインパクトの主戦騎手
ディープインパクトに乗り、テンペストクェーク達をたびたび追い詰めた。宝塚記念では絶対に勝てると思った展開からテンペストに逆転された。この時のレースは夢で思い出すほどのトラウマになっている。
テンペスト引退後も騎手の最前線で戦い続けた。年齢によって衰えは見せるが50歳を超えてもGⅠを勝ち続ける姿は、彼が天才であり、努力家でもある証拠であった。テンペストクェークの産駒にもたびたび騎乗しており、彼の強さを、子供たちを通じて感じていた。
ダイワメジャーの主戦騎手
ダイワメジャーと共にアメリカにまでやってきたベテラン騎手。地方競馬の英雄であり、中央競馬でも結果を残した実力のある名手。走る馬は賢くないという持論を持つが、テンペストクェークについては信じられないほどの賢さを持っていたと語っている。
テンペストおじさん
テンペストクェークによって人生と運命が狂った人。彼の走るレースを追いかけ続け、仕事も失ったが、テンペストによって稼がせてもらっていた。アメリカ初戦で全財産を失うが、そこから飛行機代や当面の生活費を競馬で稼いだという伝説を持つ。その話は漫画となった。もっぱら狂人の類として認識されている。
一番やばいのは当該人物であるが、テンペストおじさんと呼ばれる人は他にもいるらしく、もはや概念と化している。彼らの持つテンペスト魂、ゼファー魂の横断幕と幟は、産駒が走るたびに掲げられた。テンペストが種牡馬として頑張りすぎたため、ゼファーやテンペストの血統が大して珍しくなくなってしまったため、嬉しい反面、複雑な気持ちを抱えるファンもいるようだ。面倒臭いね。
JRA関係者
ディープインパクトとテンペストクェークの活躍によって到来した競馬ブームの恩恵を一番受けた人たち。競馬の広報の仕方をライバル対決や国際化という観点で行ったことで第三次競馬ブームと呼べるブームを起こすことに成功した。テンペストを筆頭に日本の馬が海外で勝ちまくったことがこのブームを支えた。テンペスト引退後も牝馬たちの激戦がこの後を引き継いだ。しかしリーマンショックによる不況の影響で、競馬ブームは終息した。このブームでバブル時代の第二次競馬ブームほどではないとはいえ、馬券売上が著しく上昇し、競馬の一般化に成功した。
しかし、オグリキャップに加えて、ディープやテンペストの幻影を追うようになってしまったのは果たして幸せなことなのかはわからない。
馬主たち
テンペストクェーク達に魅せられ、大いなる夢を抱いた。その道は破滅か栄光か……
テンペストの産駒にはお世話になった人も多い。
女王陛下
圧倒的な力を見せたテンペストに興味を示したものすごく高貴なお方。テンペストに乗せてもらったこともあり、思い入れのある馬になったようである。もちろん、自分の所有する牝馬にテンペストを種付けした。彼の血を受け継いだ牡馬に活躍してほしいと思うのは、流石に都合のいい夢だと思っていたが、その馬がQE2世Sで勝利したことで、無事脳が焼かれた。
テンペストが英国にやってきたときは、プライベートの時間を作って会いに来ていたようである。
英国の競馬ファン
障害競走の方が庶民人気は高いとはいえ、自国の女王がお熱になっている平地競走の馬が気にならないわけもなく、その圧倒的なパフォーマンスと賢くて芸達者な面をもつテンペストを気に入ったようである。
古いファンは、マイルから中距離での圧倒的なパフォーマンスにブリガディアジェラードの姿を思い浮かべたようである。
何故か馬術馬として英国に来訪した時は、日本人は頭がおかしくなったのかと思ったようだが、普通に活躍したので、もうこの馬は人間の理解に範疇が及ぶ馬ではないと判断し、脳を焼かれた。
香港の競馬関係者
QE2世Cの7馬身差で心がおられていた。ただ国際競走としての格もあるため、香港国際競走に出走してきた場合には全力で向かえうつつもりだった。その前に引退したため、少し安心したとか。ただ、彼の妹とその舎弟(ロードカナロア)がお家芸のスプリントを蹂躙していくことはまだ誰も知らなかった。
アメリカの競馬関係者
ダートで日本の、それも芝の馬にやられたことは結構なショックであった。しかし、アメリカに正々堂々と殴り込んできて勝利をもぎ取っていったファイティングスピリットはたたえていたようである。
テンペストの血統には興味があったが、テンペストという馬がスペシャルなだけで、あくまで芝が中心であるだろうと考えていたこともあり、そこまで熾烈なマネーゲームには参加しなかったが、アメリカに牧場を持つアラブの王族がテンペストの産駒をたびたびアメリカに投入し、波乱を巻き起こした。
ウルグアイの競馬関係者
ウルグアイ最強の名馬、インヴァソールが4馬身差で敗れたことに衝撃を受けた。そして近い未来、テンペストの直系の子孫が襲来することになるが、それはまた別のお話。
アラブの競馬関係者
欧州の芝で、アメリカのダートで圧倒的な力を見せつけたテンペストのことを欲しがらないわけもなく、マネーゲームを挑んできた。いろいろあって、テンペストが彼らの完全な所有馬になることはなかったが、それなら自分たちの牧場の牝馬に種付けをして、後継の種牡馬を誕生させればいいだけのことと考えていたようである。その目論見が成功したかどうかは……
馬術関係者
テンペストクェークに脳を焼かれた人達。現役種牡馬で世界最強の競走馬を馬術競技に出させようとするなど、普通に考えれば狂気とも思える行動を起こした。テンペストの利権が複雑だったため、馬術競技に出場することは不可能だと思われていた。しかしテンペストがテストで馬術馬としての素養が非常に高いことがわかってしまったため、関係者たちは大いに悩むことになった。いろいろあって馬術馬としても登録され、シーズンオフに訓練と大会に出場していた。2012年ロンドンオリンピックに出場し、完璧な馬術を披露してメダルを獲得した。このせいで世界中から意味不明な生命体として認識されるようになり、西竹一以来となるメダルに、全員脳を焼かれた。
後世の競馬ファンたち
最強馬論争という不毛な争いで競馬場、居酒屋、掲示板で盛り上がる人達。テンペストクェークの成績を見て、なんでこんな馬が日本で誕生したのかと疑問に思っている。マイル中距離部門では文句なしの最強馬であるが、ダートでいつも論争を起こしている。またディープとの比較も争いの種になっている。
テンペストが芸達者だったこと、そして無駄に長生きしたので、彼の映像はたくさんの媒体で残った。そのため、いつの時代にも一定数のファンがついていた。
20年代に流行った擬人化ゲームでは、あまりにも強すぎたことと海外で活躍しすぎたことが原因か、プレイアブルキャラとして登場することができなかった。
メロン農家
高級メロンの農家たち。テンペストの大好物だったこともあり、便乗していろいろと売り出した。海外にいるテンペストにメロンを届けるため、いろいろな機関と協力して、その販路を開拓した。ニューマーケットの競馬関係者から美味しさが伝わり、女王陛下にも献上されることになった。
登場馬たち
セオドライト
1996年生まれ。栗毛の牝馬。2000年まで中央で走り続け、ケガで引退した。同年に島本牧場に買い取られ、2001年にヤマニンゼファーを種付けした。
2002年にテンペストクェークが誕生。彼を筆頭に産駒が次々と活躍し、日本競馬史上最高の名牝と呼ばれるようになった。
20歳の年に繁殖牝馬を引退。その後は島本牧場のリードホースとして活躍。30歳で死没した。14頭の産駒がいるが、全頭が勝ち上がり、GⅠ馬7頭、重賞馬9頭という途方もない成績を収めている。
ちなみに育児放棄をしたのは主人公のみ。理由は異物感を感じたから。
血統のモデルはサクライップニー
2002年産駒 テンペストクェーク 牡
父ヤマニンゼファー GⅠ14勝
2003年産駒 牡
父トウカイテイオー JpnⅡ2勝
2004年産駒 ヤマニンシュトルム 牝
父ヤマニンゼファー スプリントGⅠ勝利
2005年産駒 牡
父アグネスデジタル JpnⅢ1勝
2006年産駒 牡
父フジキセキ オープン馬
2007年産駒 牝
父グラスワンダー 条件馬
2008年産駒 牡
父ハーツクライ GⅠ1勝
2009年産駒 牡
父ミホノブルボン GⅠ3勝(英国マイル・スプリントGⅠ)
2010年産駒 牝
父タイキシャトル オープン馬
2011年産駒 牝
父カルストンライトオ 地方競馬で勝利
2012年産駒 牡
父デビットジュニア GⅠ2勝(欧州GⅠ制覇)
2013年産駒 牝
父セイウンスカイ オープン馬
2014年 不受胎
2015年産駒 牡
父ロードカナロア GⅠ2勝(南アフリカで競走馬となった)
2016年産駒 牡
父クレイドルサイアー GⅠ2勝(オーストラリアで競走馬となり、引退後同地で種牡馬となった)
ヤマニンシュトルム
2004年島本牧場で誕生。鹿毛の牝馬。父ヤマニンゼファー、母セオドライト、母父サクラチヨノオー。
テンペストクェークの全妹で、非常に気性が荒いことから、狂乱の暴風娘、破壊神などと恐れられた牝馬。馬体も大きく、550キロ程度あったようである。
同期にウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャンなどがいる。
島本牧場時代はそこまで気性は荒くなく、プライドの高い馬だと思われていた程度に過ぎなかったが、育成牧場、そして厩舎に所属してから気性の激しさが増した。原因はプライドが死ぬほど高く、命令されるのが大嫌いだからと分析している。
厩務員や調教助手を病院送りにしており、彼女と接するときはプロテクターやヘルメットで完全防備する必要があるといわれるほどの攻撃性を有していた。同様に他の馬にもあたりが厳しく、年上の牡馬ですら彼女には近づけないほどであったという。
テンペストにわからされた後は、少しいうことを聞くようになり大逃げ一辺倒だった脚質もある程度制御が利くようになり、重賞、GⅠを制覇するようになった。
気性が常に不安定であったが、海外に行こうが、日本にいようが変わらなかったため、ある意味安定はしていた。
騎手は気性難の駆け込み寺となっている彼。シュトルムと共に世界を駆け巡った。命令してくる人間は大嫌いだし、彼のことも大嫌いだけど、他の人間に比べたらマシと思っていたようである。最後にちょっとだけデレてくれたらしい。
同じ厩舎で後輩のカレンチャンとは死ぬほど仲が悪かったらしく、目を合わせるたびに威嚇し合っていたようである。彼女が引退する年に入厩したロードカナロアは、彼女に逆らえず、舎弟にされていたと語られている。栗東のボスであったトーセンジョーダンとも仲が悪く、2頭は絶対に引き合わせるなと関係者たちに通達されていたほどである。
仲がいい馬はほとんどいなかったが、なぜかダイワスカーレットとだけは親しくしていたようである。
引退後は繁殖牝馬になったが、自分の子供を甘やかすため、産駒成績はいまいちだったらしい。ただ子供を守るため、さらに気性が荒くなっており、子育て中は特定の厩務員以外は接触禁止の命令が出ていたほどであった。騎手の彼が再会したのが繁殖牝馬を引退して丸くなった後のことであった。
ディープインパクト
テンペストクェークの鼻っ面を叩き折ったライバル。生産者、血統、馬主、調教師、騎手、そのすべてが完璧と言われたスーパーエリート。この世界では無敗でクラシックを制し、凱旋門賞も獲った。通算成績15戦14勝(GⅠ8勝)。
その圧倒的なパフォーマンスやメディアの報道から、威圧感満載な馬だと思われているが、馬体は小柄であり、性格も人懐っこい性格だったりする。
テンペストとは種牡馬時代に再会しており、隣同士の馬房だった。シンボリクリスエス・ディープインパクト・テンペストクェークの3頭は放牧地が近かったこともあり、親しくしていたようである。産駒もたびたび激突しており、最後までライバルであった。
ゼンノロブロイ
先輩のシンボリクリスエスに喧嘩を売って(と噂されている)ボスの座を奪い取った競走馬。いろいろな伝説を残している。ただ、威張り散らすようなタイプではなく、普段は大人しく、人に従順で静かな馬だった。ただ黒くて大柄であるため、威圧感は満載であった。
入厩したてで、キレたナイフとなっていたテンペストを見て、生意気だが面白い奴として目をかけていた。3歳春以降、丸くなり始めていたテンペストに、馬の社会で生き方や強者としてのあり方を教えていた。5歳になり、自分の能力が落ちつつあることを自覚していたため、テンペストに自分の後を引き継いでもらおうと考えていたようである。また、テンペストとたびたび併せ馬を行っており、テンペストが彼の走りを学習・吸収したことで結果的に彼を超一流の馬に育て上げたことになった。
テンペストが彼のことを黒くてデカい馬と認識していた。
種牡馬時代にテンペストと再会。お互いあまり干渉することはなかったが、たまに嘶き合っていたという。
ダイワメジャー
テンペストクェークと幾度となく戦い続けたライバル。ただ、現役時代は一度も勝つことが出来なかった。再戦の約束をしていたが、果たされることはなかった。BCマイルを制するなど、海外からも高い評価を受けている。
クラシック春の栄光と、病気による挫折。そして復活とテンペスト並みにエピソードが満載の馬だったりする。またテンペストと一緒にいる映像がたくさん残っているため、この世界では人気のあるアイドルホースとなった。気性は荒く、俺様気質だったりするが、負けず嫌いであるため、レースでは真面目であった。
種牡馬時代にテンペストと再会。相変わらずテンペストにうるさく絡んでいたようである。
アドマイヤムーン
テンペストクェークの後輩でライバル。彼のことを先輩のボス馬として慕っていた。BCターフや香港ヴァースを勝利したこともあり、海外から高い評価を受けている。
オンオフがはっきりしており、普段は大人しい性格である。テンペストと一緒にいる映像がこちらもたくさん残っているため、この世界では人気のあるアイドルホースとなっている。
引退後は青い服で有名な馬主のグループに購入され、種牡馬となった。
アサクサデンエン
ドバイDFで同じ飛行機に乗ったときから仲良くなった。同じ美浦トレセン出身ということもあり、たまに併せ馬をしたり、曳き運動をしたりしていた。温厚な性格をしていたようで、威張り散らすタイプのボスではないテンペストの近くは居心地が良かったようだ。
ハーツクライ
2005年の有馬記念はディープに惜しくも敗れたが、2005年のJC、2006年ドバイSC、KGⅥ&QEDSを制した。イギリス遠征では、陣営のミスによってかなり消耗してしまっていたが、テンペストにあおられたことで闘争心が復活。それにより死のキングジョージを制することになった。しかし、その代償は大きく、ディープインパクトと再戦することなく引退することになった。
テンペストのことはむかつく奴という認識で、引退後に再会すると常に威嚇していたようである。ただ、嫌いではないようだ。
ジョージワシントン
史実ではサラブレッドの宿命を背負ったような生き方をした馬。この世界ではBCクラシック後にケガで引退。その後は英国の田舎の牧場で余生を過ごした。結構イケイケな性格らしく、人を召使のように扱っていたが、テンペスト曰く悪い奴ではないらしい。
プライド
史実でチャンピオンステークス、香港カップを制した名牝。テンペストと仲が良い牝馬で、実際種付けの相手に選ばれた。産駒は、重賞を勝つことはできなかったが、繁殖入りしている。
テンペストのことは強くて魅力的な牡馬だと思っていたようである。
ウィジャボード
テンペストと数度対戦した牝馬。香港カップで挑発してきたが、逆にテンペストに挑発し返され、キレていた。香港カップ後に引退し、会うことはないと思っていたが、テンペストが英国に行ったため、種付け相手として再会する。その子供は牝馬であり、勝つことはできなかったが繁殖入りしたそうである。
エレクトロキューショニスト
ゼンノロブロイを倒して英国際Sを勝利し、2006年ドバイWCを制するなど、中距離で活躍した名馬。死のキングジョージ後、死神の鎌から逃れ、チャンピオンステークスと香港カップでテンペストと激突した。テンペストのことはいい奴だと思っているようだ。種牡馬としてそこそこ活躍し、引退後はひっそりと余生を過ごした。
スズカフェニックス
高松宮記念でテンペストと同着になった馬。実はマイル中距離ほどスプリントが得意ではないということは世間には知れ渡っていなかったこともあり、全盛期のテンペストに同着になった(安田記念では負けたが)として、史実より評価が高くなった。そのおかげか、マイネルホウオウ以外に重賞勝ち馬を出すことができたとか。
ディラントーマス
同一年度にキングジョージと凱旋門を獲った凄い馬。テンペストと3回戦い、3回とも敗れているため、評価はやや落としている。BCターフではアドマイヤムーンに敗れ、凱旋門賞で勝利したメイショウサムソンの仇を討たれた。
スイープトウショウ
天皇賞・秋でゲート入りをごねていたところ、テンペストとゼンノロブロイに早く入れと脅された(と思っている)ため、二頭のことが苦手になったらしい。テンペストは彼女に種付けしたようだが、最初は嫌がられており、地味にショックだったらしい。一応仲直りはできたらしい。やだやだと拒否する気性難であるが、人に襲い掛かったりするような馬ではなかったとのこと。テンペストとの子供は、素質のある馬だったが気性が荒く、1着か大敗かを繰り返すような馬だった。
カーリン
ジョッキークラブGCS、BCクラシックでテンペストと激突したアメリカの馬。プリークネスSを勝利したものの、2着や3着が多く、歯がゆい結果が続いていた。BCクラシックでは、米国最強馬であるインヴァソールには勝利したものの、信じられないパフォーマンスを見せたテンペストに敗れた。翌年ドバイWCを圧勝し、GⅠ競走を次々に勝利したが、AWとなったBCクラシックでは4着と敗れた。二度とプラスチックの上を走らせるなと激怒したとかなんとか。
インヴァソール
ウルグアイで三冠馬となり、アメリカにやってきた最強馬。BCクラシック、ドバイWCを勝利しており、2007年時点でダート最強馬だった。史実で引退に追い込まれたケガが軽傷であったため、現役を続行した。ウッドワードSでテンペストに勝利したが、自分の走りを彼に吸収されてしまい、BCクラシックでやり返された。
ヤマニンゼファー
産駒の成績は芳しくなく、競馬の歴史に消えつつあった平成初期の名馬。種牡馬引退間近の晩年にテンペストクェークとヤマニンシュトルムという最強クラスの馬を世界に送り出した。種牡馬テンペストクェークが世界中で暴れまわったため、数十年後の世界では、ゼファー、ニホンピロウイナー、ハビタットの血統はそこまで珍しいものではなくなってしまったらしい。
サクラチヨノオー
マルゼンスキー産駒で日本ダービーを制したサクラ軍団の名馬。ゼファー同様、後継に恵まれなかったが、セオドライトという世界最高峰の名牝を世に送り出したことで、その名前を世界に刻んだ。
マルゼンスキー
テンペストの能力の源はこいつなんじゃないかとまことしやかにささやかれている昭和の名馬。あの時代にテンペストクラスの能力がある馬がいたと考えると、そりゃあ誰も勝てねえよと改めて認識したとかしないとか。
ニホンピロウイナー
マイルの皇帝。無敗の三冠馬であるシンボリルドルフでも、マイルではかなわないと言わしめたマイル路線の開拓者。勘違いしがちだが、ミスターシービーの世代である。テンペストも無敗の三冠馬と比較されているので、祖父の姿を思い描いた人も多いようだ。
ハビタット
1970年代に英国のマイル路線で活躍した。産駒も優秀だったが、後継になりうる大種牡馬がいなかった。テンペストやその子供たちが世界中で暴れたため、数十年後にはそこまで珍しい血統ではなくなってしまった。
藤山厩舎の馬たち、美浦トレセンの馬たち
テンペストがボスとして君臨した同じ時代に厩舎とトレセンにいた馬たち。最初はキレたナイフのようなテンペストを怖がったり、近づかないようにしていたが、丸くなり、ボスとしての風格が身についてからは、慕うようになっていった。
大人しい馬は、威張り散らさないテンペストの近くを気に入っていた。逆にダイワメジャーのように気が強い馬たちも、偉ぶってこないテンペストのことは気に入っていたみたいである。ただ、圧倒的な馬格と威圧感、賢さを持つテンペストに喧嘩を売るようなことはできないと本能的に察していたため、テンペストをボスと認めていた。また、テンペストは喧嘩や争いの仲裁も積極的に行っていたため、そこから慕うようになった馬も多い。
彼が引退していなくなった後は、し烈なボス争いが美浦や厩舎で勃発したようである。
テンペストの産駒たち
たくさん種付けした結果、たくさんレースで勝利した。そして後継種牡馬となった馬もたくさんおり、その馬たちが世界中に彼の血統をばらまいた。その結果、ハビタット系から独立してテンペストクェーク系が誕生するほどになってしまい、数十年後には特に珍しくない血統になってしまった。
足りない人や馬もいると思うので、思いついたらその都度更新していきます。