10ハロンの暴風   作:永谷河

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テンペストクェーク(競走馬)

 

テンペストクェーク(欧字名:Tempest Quake 香:天災地変 2002年(平成14年)3月‐2037年8月)は、日本のサラブレッドである。

 

 

テンペストクェーク

現役期間 2004-2007

欧字表記 Tempest Quake

香港表記 天災地変

品種 サラブレッド

性別 牡

毛色 鹿毛

生誕 2002年3月

死没 2037年8月(35歳没)

登録日 2004年12月

抹消日 2007年12月

父 ヤマニンゼファー

母 セオドライト

母の父 サクラチヨノオー

生国 日本

生産者 島本牧場

馬主 西崎浩平

調教師 藤山順平

調教助手 本村昭文

厩務員 秋山元彦

 

競走成績

タイトル 

JRA賞年度代表馬(2006年・2007年)

最優秀4歳以上牡馬(2006年・2007年)

最優秀短距離馬(2005年・2006年・2007年)

最優秀父内国産馬(2005年・2006年・2007年)

カルティエ賞年度代表馬(2006年)

カルティエ賞最優秀古馬(2006年)

エクリプス賞年度代表馬(2007年)

エクリプス賞最優秀古牡馬(2007年)

顕彰馬

 

生涯成績

22戦18勝

中央競馬12戦9勝

(イギリス)3戦3勝

(アイルランド)1戦1勝

(UAE)1戦1勝

(香港)2戦2勝

(アメリカ)3戦2勝

 

獲得賞金 20億1727万1910円

(中央競馬)7億6115万9000円

(イギリス)638,775ポンド

(アイルランド)599,900ユーロ

(UAE)300万USドル

(香港)2000万香港ドル

(アメリカ)324万USドル

 

WTRR

M/I 123 2005年

I 139 2006年

I 141 2007年

 

勝ち鞍

GⅠ 天皇賞(秋) 2005年

GⅠ マイルCS 2005年

GⅠ ドバイDF 2006年

GⅠ 宝塚記念 2006年

GⅠ インターナショナルステークス 2006年

GⅠ アイリッシュチャンピオンステークス 2006年

GⅠ クイーンエリザベス2世ステークス 2006年

GⅠ チャンピオンステークス 2006年

GⅠ 香港カップ 2006年

GⅠ 高松宮記念 2007年

GⅠ クイーンエリザベス2世カップ 2007年

GⅠ 安田記念 2007年

GⅠ ジョッキークラブゴールドカップ 2007年

GⅠ ブリーダーズカップ・クラシック 2007年

GⅡ 毎日王冠 2005年

GⅡ 中山記念 2006年

 

 

概要

競走馬として、2007年(平成19年)に日本調教馬として初めてブリーダーズカップ・クラシックを勝利した。2007年(平成18年)には、公式レーティングで歴代世界ランキング1位の評価を受けた。

種牡馬としては、日本・英国・アイルランド・アメリカで活躍し、2017年・2018年英・愛リーディングサイアーを獲得した。

2006年・2007年に連続でJRA賞年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞した。2006年には、日本馬として初めて欧州年度代表馬を受賞し、2007年に日本馬として初めてエクリプス賞年度代表馬を受賞した。

 

 

経歴

 

島本牧場時代

 

種付け

島本牧場の牧場長島本哲司の希望により、2000年に購入した父サクラチヨノオーの繁殖牝馬セオドライトとヤマニンゼファーとの交配が行われた。この配合は哲司の趣味であることがのちの取材で判明している。

 

誕生

2002年(平成14年)3月、北海道の島本牧場にて誕生。誕生した日、島本牧場付近は、発達した低気圧に覆われ、猛烈な暴風雪に覆われていた。また、誕生して数分後に震度4程度の地震にも見舞われた。このエピソードがテンペストクェーク(暴風+地震)の名前の由来となった。

牧場長の島本哲司は、生まれたばかりの同馬を見て、足が外向気味であったが、いたって普通のサラブレッドであったと語っている。

 

当歳馬~育成牧場時代

テンペストクェークは母馬から育児放棄を受けたため、牧場スタッフに育てられた。その影響か、他の馬との接触を嫌がるようになり、いつも一人で空を眺めていたりしていた。また、足が外向気味で、外見も貧乏臭かったこともあり、牧場側としてはあまり期待していなかったと語られている。しかし、追い運動では優れたスピードを見せており、生垣を飛び越えるなど、高い身体能力を有していることが徐々にわかってきており、いいところまで行けるのではないかと思っていたスタッフもいたようである。

2003年の夏に、西崎浩平によって購入された。決め手は、島本牧場に併設されている乗馬の障害コースを楽しそうに走っている姿を見て面白い馬だと思ったからだと西崎は語っている。取引金額は約750万円であった。

2003年秋に、島本牧場の近くにある育成牧場である〇△牧場に入厩。馴致訓練で全く手がかからないこともあり、育成担当スタッフは賢い馬だったと指摘している。また、身体能力も同期の他の馬に比べて優れており、心配されていた馬群嫌いも、調教では見せることもなかったため、期待馬の1頭となっていた。

 

藤山厩舎に入厩

2004年の初夏に美浦トレーニングセンターの藤山順平厩舎に入厩し、本村昭文調教助手と秋山元彦厩務員が担当することになった。育成牧場でテンペストクェークを見た藤山は、スピードや瞬発力には光るものがあると感じ、引き受けた。しかし、馬格は立派だが、どことなく貧乏くさい外見をしていたこともあり、本当に大丈夫かと自分の相馬眼を疑ったという。

入厩後、坂路トレーニングで好タイムをだしており、藤山は重賞も考えられると思ったようである。また調教にも従順で大人しい性格もあってか、手のかからない馬と厩舎スタッフから思われていた。ただ、馬体の成長がやや遅かったこともあり、デビューは12月にもつれ込んだ。

 

 

2歳―3歳春

 

2歳新馬戦

テンペストクェークは、2004年12月12日中山競馬場第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で厩舎所属の騎手である高森康明を据えてデビュー。高森は同馬に乗る前に「GⅠの舞台に立ちたいか」と聞かれたという。高森は12月まで、同馬の調教に参加していなかったため、調教師にそこまで言わせる馬なのかと思ったと語っている。

レースでは、好スタートを決めると先頭に立ち、そのまま後続を引き離して3馬身差で勝利した。新馬戦の勝利を祝う一方で、ここからテンペストクェークの逃げたがる気質との戦いが始まったと藤山は語っている。

この1戦で2歳シーズンを終えた。

 

3歳春

年が明け、3歳となったテンペストクェークの2戦目は、2005年1月30日に中山競馬場第9レースのセントポーリア賞であった。藤山は関西に遠征し、若駒ステークスに出走させる予定であったが、同馬がレース中に鞍上の指示に従わないという課題が露呈したため、条件戦に変更した。

レースは、スタートで鼻を切るとそのまま先頭でレースを進めた。2着に1馬身差まで詰め寄られるも、逃げ粘り勝利した。しかし、このレースでも鞍上の指示に従わず、好き放題に逃げてしまったため、クラシック本番に不安を残す結果となった。

 

次走には皐月賞トライアルの第42回弥生賞に出走。このレースには、若駒ステークスを衝撃的な末脚で勝利し、「三冠は確実」と言われているディープインパクト、2歳王者マイネルレコルト、京成杯勝ち馬のアドマイヤジャパンも出走しており、前哨戦というにはハイレベルなメンツがそろっていた。

レースは、前走と同じようにスタートから逃げ続け、向こう正面で数馬身差をつけて独走していたが、ラストのゴール前でディープインパクトに捉えられて2着となった。レース後、藤山はディープインパクトに敗れはしたが、初の重賞で2着になったことは評価していた。しかし、テンペストクェークの逃げの気質、そして騎手の指示に従わない気性の悪さについては早急に改善しなければならないと本音では思っていたと語っている。

 

4戦目は第65回皐月賞に出走した。レースは、ディープインパクト共々出遅れてしまい、ほかの馬から3馬身ほど離れた後方からの競馬になった。第1コーナー付近で掛かるそぶりを見せていたが、高森がそれを抑え込み、後方からの競馬を進めることになった。このとき、鞍上の高森は、「テンペストに競馬というものを教える必要があった。彼の本来の強みである抜群の末脚を発揮させるには、ここで我慢させる必要があった」と語っている。第4コーナーを過ぎたあたりで外に出すと、そのまま大外を回って直線で加速。前を行くディープインパクトを追走するも、半馬身差で敗れた。藤山は、3着には5馬身差をつけており、ディープインパクトに半馬身差まで迫ることができたと評価し、これからもっと活躍できると確信したという。

 

5月29日の東京優駿では、第4コーナーまでは中団後方でレースを進め、ラストの直線でスパートをかけるも、残り200メートル付近で失速。6着に敗れた。距離が長かったことが敗因であると分析しており、今後は2000メートル以下のレースに出走させることにしたという。本レースがテンペストクェークの競走成績で連対および掲示板を外した唯一のレースとなった。

 

その後、テンペストクェークは休養という名目で島本牧場に戻り、英気を養った。ディープインパクトに迫った馬として知名度が向上しており、重賞未勝利の馬なのに人気があったと牧場関係者は語っていた。

 

3歳秋

テンペストクェークは、9月上旬に美浦トレセンに戻り、調整を続けた。

秋の初戦は10月9日に東京競馬場で開催された毎日王冠であった。天皇賞・秋を目指す同馬にとって勝利しておきたいレースであった。

レースでは、好スタートでそのまま中団後方で待機すると、第4コーナー付近で大外に抜け出し、直線で鞭を入れるとそのまま加速。上り3ハロン32.4の脚で、先頭を走るサンライズペガサスを残り100メートル付近で抜き去り、1馬身半差で優勝した。高森は、テンペストクェークは古馬と対等に戦える実力を身に付けていると思ったと語っている。本レースの勝利は、馬主の西崎にとっても初の重賞勝利であった。

 

そして次走の天皇賞・秋では毎日王冠の勝ちっぷりが評価され4番人気に支持されていた。調教でも調子のよさを見せており、高森も「同期の三冠馬には負けていられない」と自信のある発言をしていた。

レースは、中団でゼンノロブロイをマークするように外を回って走り、第4コーナーで外を回って、直線に入った。そのまま先頭になると、後続の猛追を振り切って2着のヘブンリーロマンスに1馬身差で勝利した。テンペストクェークはGⅠ初勝利を飾り、騎手の高森、調教師の藤山、馬主の西崎も初のGⅠ勝利を手にした。特に、高森は47歳にして初のGⅠ勝利であった。

 

3歳シーズンのラストレースは、11月20日に京都競馬場でおこわなれたマイルチャンピオンシップであった。前走から中3週間での出走であったが、調教のタイムもよく、1番人気で本番を迎えた。

レースは、第4コーナーまで中団で待機し、直線で外に抜け出して、そのまま前を走るダイワメジャーを差し切って優勝した。毎日王冠、天皇賞(秋)、マイルCSを同一年度に連勝するのは初の記録であった。

この勝利が評価され、香港マイルを勝利したハットトリックを抑えてJRA賞最優秀短距離馬を受賞した。同様に、最優秀父内国産馬も受賞した。

12月に〇△育成牧場に向かい、休養と調整を行った。

 

 

4歳(2006年)前半

 

ドバイデューティフリー

2006年1月、藤山はドバイミーティングへの遠征とその前哨戦として中山記念を走ることを表明した。2月に招待状が届き、ドバイデューティフリーへの挑戦が確定した。

前哨戦の中山記念は、一番人気で本番を迎えると、重馬場にも関わらず、逃げ粘るバランスオブゲームを差し切って1馬身差で勝利した。

 

3月16日にドバイミーティングに出走予定のハーツクライらとともに関空からドバイに出国した。3月25日、レース本番では、先頭から4番手付近からの競馬となった。直線に入って残り400メートル付近で抜け出したデビットジュニアとの叩き合いとなったが、残り200メートル付近でテンペストクェークが抜け出すと、そのまま後続に5馬身をつけて勝利した。同レースは、日本調教馬での初勝利であった。

レース後は安田記念を念頭に置いた計画を立てていたが、藤山が「テンペストクェークならディープインパクトにも勝てる」旨の発言をしたことで、宝塚記念への出走が決まった。藤山は「そんなことは言っていない。あくまで、『どのレースに出ても勝てる』といっただけ」と語っている。

 

宝塚記念(詳しくは 第47回宝塚記念 を参照)

陣営の宣言通り、テンペストクェークは6月25日京都競馬場で開催となった第47回宝塚記念に出走した。天皇賞(春)を勝利し、GⅠを5連勝。重賞を8連勝中のディープインパクトと激突することになった。ファン投票ではディープインパクトが15万票、テンペストクェークが12万票を集めた。

当日の天候は大雨で不良馬場に近い重馬場であった。返し馬で騎手の高森を振り落とすというハプニングがあったが、馬、騎手ともに問題なくレースが始まった。スタート後、後方集団で競馬を進め、第4コーナー付近で馬群に包まれたものの、直線で馬群の中央を突破し、先頭を走っていたディープインパクトを猛追、ゴール前で差し切ってアタマ差で勝利した。

騎手の高森は「最後の最後に、もう少し頑張ってくれと鞭を入れたら、テンペストが反応してくれた。文字通り死力を尽くした戦いだった」と語っている。

 

 

4歳後半(欧州遠征)

宝塚記念後、馬主の西崎はテンペストクェークを、英国で開催されるインターナショナルステークスに出走させることを表明した。7月下旬に出国し、ニューマーケットで調整を行うことになった。

 

8月22日、欧州遠征の初戦となったインターナショナルステークスでは、後方待機策を選択し、最後方2番手で競馬を進めた。直線に入ると4ハロン付近で加速し始め、残り2ハロン付近で先頭に立った。他馬が外ラチ沿いを走るのを横目に内ラチを走り続け、後続に12馬身もの差をつけて優勝した。この着差は同レース最大着差であった。「少しスパートが速かったと思ったが、特に苦しそうにもしていなかったので、そのまま走らせたら、大差になった」と高森は勝利後のインタビューに答えている。このレースの勝利で、公式レートは139ポンドを獲得し、単独1位となった。

 

次走は9月9日、アイルランドのレパーズタウン競馬場で行われるアイリッシュチャンピオンステークスに出走した。愛ダービーを勝利したディラントーマスや2004年カルティエ賞年度代表馬に輝いたウィジャボードなどが出走予定であった。

レースは、4番手付近で競馬を進め、最後の直線で先頭争いを繰り広げていたディラントーマスとウィジャボードを最内から差し切って優勝した。第4コーナー付近で、前と外側をふさがれる形になったが、最内を強襲しての勝利であった。

 

3戦目は9月23日、アスコット競馬場で行われるクイーンエリザベス2世ステークスに出走した。このレースには英2000ギニーを勝ったジョージワシントン、愛2000ギニーを勝利したアラーファを筆頭に、欧州のマイルGⅠ馬8頭を含む11頭が集結。合計12頭でのレースとなった。

レースでは、スタートで躓き、3,4馬身ほど遅れてスタートとなったが、最終コーナーで最後尾に追いつき、そこから外を回って、最終直線に入り、上り1ハロン10秒という驚異的な末脚で前を走る11頭を差し切っての勝利であった。このレースの勝利によって、2006年当時の欧州最強マイラーの地位を確立した。

 

4戦目は10月14日にニューマーケット競馬場で行われるチャンピオンステークスに出走した。このレースにも、デビットジュニアやディラントーマス、エレクトロキューショニスト、英ダービーを制したサーパーシー、サンクルー大賞を勝利したプライド、2005年凱旋門賞制覇のハリケーンランなど、GⅠ馬10頭が出走を表明した。事実上の欧州中距離最強馬決定戦となった同レースは、ラスト3ハロンでテンペストクェークとエレクトロキューショニスト、レイルリンクの3頭の叩き合いとなったが、ゴール直前で内側からプライド、外側からデビットジュニアもなだれ込み、5頭がほぼ同時のタイミングで入線した。ビデオ判定の結果、鼻差8センチでテンペストクェークが勝利した。

これでテンペストクェークはGⅠ競走を8勝し、これまで最多とされてきた7勝のシンボリルドルフ、テイエムオペラオーを上回り、歴代最多記録を更新した。欧州GⅠ4連戦4連勝が評価され、この年のカルティエ賞年度代表馬、最優秀古馬を受賞した。日本馬が同賞を受賞するのは史上初めてである。

11月にはイギリスのエリザベス女王がニューマーケットに訪問し、その際にテンペストクェークに乗馬している。このため、女王陛下のテンペストクェーク号と呼ばれた。

 

欧州遠征後、テンペストクェークは香港国際競走に招待され、香港カップに出走することが決まった。ここにはチャンピオンステークスを走ったメンバーも出走を表明しており、日本からはアドマイヤムーンとディアデラノビアが出走する予定であった。

レース当日は1番人気で迎えたが、パドックで馬っけを出すなど、入れ込み具合が心配された。レース本番は、第4コーナーまで先頭から4番手で競馬を進め、直線で先頭になると、そのまま1馬身差で勝利した。

 

帰国後は育成牧場で休養しつつ、1月には福島のリハビリテーションセンターに入厩して、英気を養った。

この年、テンペストクェークは、8戦8勝。GⅠ7勝が評価され、JRA賞年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬を受賞した。また、騎手の高森も年間GⅠ勝利数の最多記録を更新したこともあり、特別賞を受賞している。

 

 

5歳春(2007年)

 

5歳になったテンペストクェークの目標は、父ヤマニンゼファーが達成できなかった、短距離マイル中距離の3階級GⅠ制覇と親子3代安田記念制覇であった。そのため、最初の目標として掲げられたのが短距離GⅠ高松宮記念制覇であった。その前哨戦として阪急杯を選択したものの、熱発で回避となった。

3月29日、中京競馬場で行われた高松宮記念では、初のスプリントではあったものの、1番人気に支持された。レースでは、中団前方で道中を過ごし、第4コーナーで外から仕掛けた。同様のタイミングで仕掛けたスズカフェニックスが先頭に立つもゴール板手前で追いつき、同タイミングで入線した。ビデオ判定の結果同着となり、2頭が勝利することになった。この勝利により、GⅠの連勝記録が8勝となり、ロックオブジブラルタルの持つ7勝を更新した。藤山は、「スプリント戦はマイルや中距離に比べたら得意な距離ではないけど、しっかりと走ってくれた」と引退後に語っているが、3着には3馬身差をつけており、スプリント戦でもかなり高い能力があることを見せつけている。

 

次走は香港の沙田競馬場で行われるクイーンエリザベス2世カップであった。ドバイDFを勝利したアドマイヤムーンが出走していたが、ラストの直線手前で先頭に立つと後続を引き離し、7馬身差で勝利した。調教前に調子のよさを見せていたテンペストクェークに対して、現地のメディアは「実質2着を予想するレースだ」と評価し、それが実現した形となった。

 

春シーズンのラストは、親子三代制覇を掲げて安田記念に出走した。チャンピオンズマイルを勝利したダイワメジャーが出走していたが、ここでも1番人気に支持された。レースでは、第4コーナーまで中団で待機し、直線で外から仕掛けた。コンゴウリキシオーを交わして先頭となったダイワメジャーをゴール前で差し切り、優勝した。この勝利でGⅠ10連勝を達成した。ダイワメジャーの鞍上も、「先行押切の理想的な競馬だった。あそこから大外一気で差し切られたら打つ手がない」とコメントを残しており、お手上げの状態であったという。

レース後、陣営はブリーダーズカップ・クラシック制覇を目標に、アメリカ遠征を表明した。この動きに同調し、ダイワメジャー、アドマイヤムーンもブリーダーズカップへの出走を表明し、日本馬3頭による遠征が行われることとなった。6月中旬からは、テンペストクェークは島本牧場で休養と調整を行った。

 

5歳秋

 

7月に美浦に戻ると、そのままダイワメジャー、アドマイヤムーンとともにアメリカへ出国した。モンマスパーク競馬場の厩舎に入厩し、8月から本格的な調教を開始した。

 

遠征初戦はサラトガ競馬場で行われるウッドワードSに出走した。昨年のブリーダーズカップ・クラシックを制し、ここまでGⅠを6連勝中のインヴァソールが出走しており、ハイレベルな戦いとなった。レースは先行集団で競馬を進め、直線で抜け出すものの、先に仕掛けたインヴァソールを捉えきれず2着となった。藤山は「初のダートで2着は十分評価できる」とコメントを残しているが、このコメントは、アメリカのダートに完全に適応できていなかったことを隠すためのブラフであったと語っている。

 

2戦目はベルモントパーク競馬場で行われるジョッキークラブGCに出走した。テンペストクェークがダートに慣れるため、日程が厳しくなるが出走することにしたという。このレースには、プリークネスSを勝利したカーリンが出走していたが、ラストの直線で外から差し切って勝利した。日本調教馬のアメリカのダートGⅠ(海外ダートGⅠ)の初勝利であった。

 

そして最終戦は、10月27日、モンマスパーク競馬場で開催されたブリーダーズカップ・クラシックであった。同レースにはインヴァソール、ストリートセンス、ラグズトゥリッチズ、カーリンなどが出走しており、ハイレベルな一戦となった。レース当日は連日の雨により、コースに水溜りが発生するほどの馬場状態であった。

テンペストクェークはインヴァソールに次ぐ2番人気でレースを迎えた。レースは先頭から5,6馬身ほど離れた中団の後方で進め、第4コーナーで仕掛け始めた。外を回って直線に入ると残り2ハロンで先頭に立ち、そのまま後続を引き離して4馬身差で勝利した。勝ち時計2.00.22はトラックレコードであった。

このレースでの勝ち方を評価され、タイムフォーム誌は歴代1位のシーバードを上回る148ポンドという評価を与え、公式レートは歴代1位のダンシングブレーヴと同様の141ポンドが与えられた。

このレースの数日後、西崎によってテンペストクェークの引退が発表された。勝利したGⅠは14勝で内国際GⅠ9勝。重賞は16勝という数多くの日本記録を更新しての引退であった。

引退式は12月に東京競馬場で行われ、10万人以上のファンが駆け付けた。

翌年に2007年度JRA賞年度代表馬、最優秀4歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬を受賞。すべて2年連続であった。また2月には米国のエクリプス賞年度代表馬と最優秀古牡馬を受賞した。これで日本、欧州、米国の3か国で年度代表馬となった。

 

引退後の動向については、1月初旬に決まり、60億円(1億円×60株)のシンジケートが組まれ、日本で種牡馬となることが決定した。ディープインパクトの51億円を超える日本最高価格となるシンジケートであった。(詳しくはテンペストクェークのシンジケートを参照)

 

競走成績

 

 

 

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種牡馬時代

 

2007年12月に競走馬登録が抹消され、2008年から北海道で種牡馬となった。厩舎ではライバルであったディープインパクトの隣の馬房があてがわれたという。

 

初年度の種付け料は、800万円とシンジケートの額にしては比較的安値であったが、これは西崎の要望があったためである(詳しくはテンペストクェークのシンジケートを参照)。初年度は日本国内外から牝馬が集まり200頭に種付けを行った。

 

その後、毎年200頭以上に種付けを行い、数億円で取引される産駒も現れる中、2011年7月に初年度産駒がデビューした。2歳重賞の勝ち馬は現れなかったが、JRAで15勝をマークした。

2012年は、GⅠを制する馬が誕生し、期待に応えてみせた。

 

2014年からアイルランドの牧場で種牡馬として繋養される。

 

2017年から英国の牧場で種牡馬として繋養される。

 

2020年からアメリカの牧場で種牡馬として繋養される。

 

2022年に日本へ帰国し、種牡馬として繋養される。

 

2026年(24歳)で種牡馬を引退。

2030年にラストクロップがブリーダーズカップ・クラシックを制覇。

 

 

最期

 

2037年8月、繋養先の牧場で死亡が確認された。眠るように亡くなっており、老衰であった。35歳没。

JRAは9月のレースでテンペストクェーク追悼競走を実施、全国の競馬場で記帳台が設置され、数多くのファンが訪れた。

死亡のニュースは世界に報じられ、追悼を受けた。英国では王室がコメントを発表するなど、大きく報じられ、テンペストクェークの産駒が走る世界中の競馬開催国で追悼競走が実施された。

その後、島本牧場にテンペストクェークの墓が置かれることになった。

 

 

競走馬としての特徴

 

レーススタイル

新馬戦から弥生賞までは典型的な逃げ馬であったが、皐月賞以降は差し、追込みを得意とするようになった。ラストの直線で一気に差し切るというレーススタイルが基本であるが、先行策からの好位抜出で勝利したレースも多く、変幻自在の脚質を有していた。これは後述するテンペストクェークの操縦性の良さに起因するものであるといえる。

 

テンペストクェークの強み

スピードについて、調教師の藤山は、「並のGⅠ馬では太刀打ちできない。快速馬にふさわしいスピードがあった。この辺りはニホンピロウイナーやヤマニンゼファーのものを受け継いでいる」と述べており、非常に優れたスピードを有していた。

 

瞬発力について、騎手の高森は、「スローペースでもハイペースでも、鞍上の合図とともに一気にトップスピードに持っていくことができる。間違いなく歴代最強」と語り、「テンペストの走りは車と似ている。アクセルを一杯に踏み込んで一気にトップギアに持っていくような感じ。私の乗る愛車と同じようなイメージでラストスパートは走っていた。ちゃんと加速に対する準備をしないと、間違いなく振り落とされる」と語っており、加速力は随一だったことがうかがえる。また、「トップギアに入った後、ラスト200~100メートルくらいでもう一回加速することができた。この段階に入るとどんな馬場でも1ハロン10秒くらいで駆け抜けることができた」と語っており、テンペストクェークの末脚の強さを評価している。同様に藤山も「末脚のキレは歴代最高。しかも途中で失速することが一度もなかった。一度鞭を入れれば、一気にトップスピードに持っていき、そのままゴールまで飛んでいくことができた」と圧倒的な瞬発力によって生み出される末脚を高く評価している。

 

また、宝塚記念の重馬場や欧州の洋芝、ブリーダーズカップ・クラシックの不良馬場など、パワーの必要な馬場でも結果を残している。高森は、こっちの馬場の方が走れている気がすると発言しており、力のいる馬場でもいかんなく能力を発揮できた。実際、クイーンエリザベス2世Sでは上がり1Fを10秒で駆け抜けている。

 

総評すると、現代競馬で求められるスピード、瞬発力、パワーの3要素すべてがとびぬけた能力を持っている馬であった。

 

 

身体的特徴

レース時の体重が520~530キログラムで推移しており、大柄な体格をしている。4歳以降は520キログラムで出走していることが多く、この体重がベストであったと語っている。馬格が大きいため、他馬と接触しても全く怯むことがなかったと高森は語っており、叩き合いに強いのもこの体の大きさがあるからだと高森は語っている。大柄馬でありながら、故障とは縁がなく、非常に頑丈であった。厳しい日程で走り抜けた欧州遠征もケガをすることなく走り切ったことで、アイアンホースとも呼ばれていた。このタフさと頑丈さは産駒たちにも受け継がれている。

 

体質はかなり強く、熱発で阪急杯を回避した以外は、常に万全の状態でレースに出走していた。またヨーロッパやアメリカなど、世界各国を巡りながらも、全く体調を崩すことがなかった。厩務員の秋山は、「どんな土地に行ってもすぐにそこの食事と水になじむ。飛行機の上で平気で爆睡して、向こうに入厩してガツガツと飼い葉を食べていた」と語っており、身体そのものが強靭であった。

 

馬格は、短距離馬に見られるような胴の詰った体型をしているが、非常に柔軟性が高く、バネがあること、後述の距離や馬場状態によって走法を変えることができるため、2000メートル以上の中距離も走ることができた。

蹄については、大きな特徴を持っているわけではなかったが、とにかく頑丈さと再生力が普通の馬とは違った。あれだけの衝撃がかかる走り方(これも4歳以降に改善されるのだが)をしておきながら、ダメージがほとんど入らない。仮に傷がついてもすぐに戻っている、裂蹄とは無縁の馬だったと装蹄師は語っている。

 

総評すると、非常に頑丈な馬だったことがうかがえる。

 

 

走法の特徴

テンペストクェークの走法は変幻自在の一言に尽きる。決まった走り方が存在しておらず、レースの条件や展開、状況に応じて常に可変であったといわれている。高森と藤山は「テンペストクェークの走り方は無限である」と述べている。これはテンペストクェークが距離やコース、馬場状態で走り方を変えていることを意味している。この走法を変えることができる能力が、テンペストクェークの万能性の正体であると語っている。

スパートのとき、コーナーを走っているとき、坂を上るとき、スプリント戦、マイル戦、中距離戦、馬場状態。条件によってストライドの大きさが明らかに変化していることが分かっている。特に宝塚記念後はレースごとにストライドの長さが異なっていた。

発達した筋肉と頑丈な四肢と蹄によって、地面を蹴り上げる力が通常の馬に比べて強かったこと。上下左右のバランスが良く、全くぶれることがない体幹を有していたこと。非常に柔軟性が高かったこと。これらのすべての強さを持っていたことが、テンペストクェークの可変ともいえるストライドの多様性をもたらしたと評価されている。

 

ストライドだけでなく、レース中の脚さばきについても大きな特徴があった。「四肢が通常の馬に比べて頑丈であったことは間違いないが、ここまでケガが少ないのは、地面への着地と蹴り上げの脚さばきに秘密がある」と調教助手の本村は語っている。テンペストクェークは、宝塚記念までは蹄鉄の消耗が激しく、脚を芝に叩きつけるような走り方をしていた。しかし、同レース以降は地面に無駄なく着地し、バランスよく蹴り上げるようになったという。ディープインパクトも蹄鉄の消耗が少ない馬だったこともあり、2頭の走法を調査した結果、馬格や走法そのものは異なるが、着地時の脚さばきや蹴り上げるタイミングなどが似通っていることが判明している。これは後述するように、テンペストクェークがディープインパクトの走り方を学習して、それを自分なりにアレンジして身に着けたものではないかと言われている。

 

 

知能・性格・気性

 

高森は「とても賢い。我々人間が思っている以上にテンペストクェークは物事を考えることが出来ている」と評価している。厩務員の秋山も「人間の感情や雰囲気を察する能力が馬とは思えないほど高い。自分の名前を理解していたし、人間の顔も間違いなく記憶している。本当に頭がいい」と述べている。

テンペストクェークが世界中で圧倒的なパフォーマンスを見せ、どのような馬場でも問題なく戦えた要因として、「学習能力の高さ」を高森は語っている。「3歳の夏にかけて、ゼンノロブロイと併せ馬をするようになった。そこからぐっと能力が伸びた」と語っている。また「宝塚記念の後に走り方が微妙に変わっていた。間違いなくディープインパクトから何か吸収したと思う」とも述べている。「他の馬の良いところを学習して、それを自分なりにアレンジして身に着ける能力がある。いうならば見稽古に近い能力を持っている」と評価している。藤山もこの能力は認めており、「米国のダートにならすために前哨戦を2戦使った。インヴァソールやカーリンといった強い馬から走り方を学習したことがBCクラシックの圧勝につながった」と語る。

 

性格は基本的に温厚で優しい性格をしているが、やんちゃなところもあったという。しかし、不機嫌な時でも絶対に人間にかみついたり、蹴り飛ばしたりすることはなかったという。「香港カップの時に、馬っけを出したテンペストをちょっとからかったら、痛くない程度にけられました。こういうことが出来る馬なんです」と秋山は述べている。

その一方で闘争心の強く負けず嫌いな性格をしていたと藤山は語っている。「勝ち負けの重要性を理解していた。負けるのが大嫌いで勝つのが大好きな馬だった。競馬という勝負事を理解していた」と言われており、その闘争心の高さを評価されている。実際、ディープインパクトに敗北した時は、ずっと睨み付けていたうえ、宝塚記念の際にも、以前に負けたことを覚えていたように、同馬を見続けていたという。

この闘争心の高さが、勝負根性の高さにつながっており、「前に馬がいると、絶対に抜かそうとするし、後ろから馬が迫れば、絶対に抜かせないように走った。あきらめるという選択肢は彼にはなかった」と高森は評価している。実際、叩き合いには非常に強く、馬体がぶつかり合い、顔近くの首に鞭を当てられたチャンピオンステークスでも、怯むことなく走っている。勝負根性の強さは父譲りだと藤山は述べており、ヤマニンゼファーを思い出す関係者もいたようである。

 

生まれたとき、母馬から育児放棄をされ、人間に育てられた経緯もあり、人懐っこい性格をしていた。しかし、他の馬を嫌い、近づこうともしなかった。幼駒時代の育成を担当した島本牧場の担当者は、「自分たち人間がちょっと可愛がりすぎた。母馬が育てることを放棄してしまったので、私たちが面倒を見ていたんですけど、そのせいで自分を人間だと思い込んでしまったのかもしれないですね」と述べている。しかし、この馬嫌いな性格は3歳夏ごろからみられなくなり、4歳になるころには、厩舎のボス、ひいては美浦トレセン全体を統括するボスにまで上り詰めていた。

他の馬を威圧するような暴君ではなく、気が弱い馬を守ったり、馬同士の喧嘩を仲裁するなど、馬の社会のまとめ役として君臨しており、いろいろな馬から慕われていたと、美浦の関係者たちから語られていた。そのため、テンペストがいると、普段気性が荒い馬でも調教がスムーズにいくといわれ、テンペストに合わせて調教スケジュールも組む厩舎もあったという。欧州遠征でニューマーケットに入厩した際も、数日で現地のボスになり、帰国する時には、近くの厩舎すべてを統括するボスになっていた。同じくモンマスパークでも同様にボスとなっており、圧倒的なカリスマ性があったようである。非常に賢く、馬としては考えられないほどの知性と理性があったからこそ、他の馬たちをまとめることができたのだと、秋山は語っている。また、テンペストクェーク自身は、威張り散らすようなことをしなかったが、圧倒的ともいえる馬格と馬とは思えない知性を有していたため、他の馬が自然と従ったのではないかとも言われている。

 

 

評価

 

レーティングによる評価

2005年のWTRRではI/Mでのパフォーマンスが123ポンドと評価され、総合で第14位となった。

2006年の同ランキングではI区分で139ポンドに評価され、単独世界1位となった。この数値はエルコンドルパサーの134ポンドを上回り、日本調教馬歴代1位のレーティングであった。

2007年の同ランキングではI区分で141ポンドに評価され、昨年同様に単独世界1位となった。この数値はダンシングブレーヴと同値であり、世界1位タイ記録となった。同馬はレーティングの見直しの際に138ポンドとなったため、単独1位となった。

また英国のタイムフォーム誌による評価では、シーバードの145ポンドを超える148ポンドの評価が与えられ、歴代1位となった。テンペストクェークが古馬になって加算された斤量を負いながらも圧倒的なパフォーマンスを発揮し、6か国の国際GⅠを勝利したこと、欧州のマイル中距離GⅠ4連戦を同一年度に4連勝したこと、そしてダートGⅠ最高峰であるブリーダーズカップ・クラシックで圧勝したことがこの評価につながったと言明している。日本、欧州、米国で年度代表馬を受賞できる馬が今後現れる可能性は限りなく低く、前人未到の大偉業であると関係者は述べている。

 

 

競馬関係者による評価

テンペストクェークを管理した調教師の藤山は、入厩した当時は間違いなく重賞を狙える素質はあると評価していた。そして、デビュー前にはGⅠを獲れる器であると評価していた。3歳の夏を越えたあたりから、能力は歴代のGⅠ勝ち馬たちでもかなわないほどのものを持っているのではと思い始め、4歳春ごろに確信したという。「単純に強い。暴力的な強さがある。そして何より賢く人に従順。最後の方はサラブレッドとして完成形に近い生命体になっていた」と語っている。

 

22戦すべてに騎乗した高森は、「最初は自分の指示を聞こうとせず、自分だけでレースをしようとしていた。そういう意味では賢すぎたが故の行動だったのだと思う」とし、デビューから弥生賞までのテンペストクェークを気性難だったと評価している。しかし、皐月賞以降は「完璧な馬。馬というより車に近い。操縦性が桁違いにいい。ハンドルを切るのと同じくらい反応が良く、細かな調整が完璧に行える馬だった。アクセルペダルを踏んでいる感覚でスピードの調整が出来るので、レースの展開に合わせて、走らせることができた。本当に馬とは思えなかった」としており、その操縦性を高く評価している。また、勝負根性にも触れており、「絶対に勝ちたいという闘争心があったからこそ、最後の最後で再加速する切り札が生まれたのだと思う」と述べている。

 

調教助手の本村は、海外遠征を担当した経験から、遠征での強さを挙げている。「スピードや瞬発力といった能力は自分が見た中で最高のものを持っていた。ただ、彼の本当の強さは精神力が馬の範疇を超えるほど強靭であること」と語っている。「本来サラブレッドは繊細な生き物。飛行機で輸送され、見たこともない場所に見たこともない人や馬たちがおり、人間でもストレスを感じるほどの状況になっても、テンペストは全く動じなかった。輸送で体重を減らしたことがないのは彼の特徴でもあった」と語っている。香港カップの際には、飛行機のエンジントラブルの影響で十数時間、外に出ることもできなかったが、競馬場に到着するとトラブルなどなかったかのように飼い葉を食べていたという。

 

厩務員の秋山は、テンペストクェークの強さに、自己管理能力と環境適応能力の高さを挙げている。レースが近くなると、自分で飼い葉の量を調整して、体重や体力を管理していたという。また少しでも不調を感じたら、厩務員たちに申し出ており、「ある意味で野生の本能を失っていますね」と語っている。海外遠征では、現地の水や土、空気を含めたあらゆる『環境』に適応する能力がサラブレッドの範疇を超えていると評価した。「どのような土地に行こうとも、ストレスと感じないどころか、その土地に適応する能力。この能力が高かったから、彼は長距離移動や大規模遠征に強かった」と総評している。

 

テンペストクェークを間近で見た騎手たちも、高く評価している。

……騎手

「ディープインパクトとはまた違った形の最強。あまりこういうことは言わない主義だけど、10ハロンではディープでも勝つのは難しい。得意距離なら世界最強という評価は妥当だと思う。芝もダートも関係なく走れるのだからね」

 

……騎手

「安田記念で完璧な競馬をしたダイワメジャーを大外一気で差し切られたとき、どうやったらテンペストクェークに勝てるかわからなくなった。自分が間近で見た競走馬で間違いなくマイル、中距離において最強の馬」

 

……騎手

「コンゴウリキシオーに乗って安田記念を走った時が印象深かった。ダイワメジャーに抜かされて、2着かと思ったとき、外からものすごいスピードで馬が走りこんできたのが見えた。それがテンペストクェークだった。イケるかもしれないという希望を叩き潰されるほどの、暴力的とも表現できる強さがあった」

……騎手

「今でも忘れられない馬の1頭。もし乗れるなら何としてでも乗りたい、そう思わせるほどの馬だった。プライドも強い馬だったけど、彼にはかなわなかった。スパートをかけてからのトップギアへもっていく力は歴代最強レベルだと思う」

 

……騎手

「クイーンエリザベス2世ステークスが印象的だった。リブレティストに乗っていて、スタートに出遅れたテンペストクェークの姿が見えて、マイルレースであの出遅れは痛いだろうなと思った。ただ、最後の直線でいつの間にか前にいて、そのまま1着になっていた。もし機会があるなら絶対に乗ってみたかった。まあ、彼の相棒は高森氏だけだと思うけどね」

 

……騎手

「マイルCSはハットトリックもいい位置で進めることができた。ただ、テンペストクェークの末脚にはついていけなかった。この馬はもっと活躍すると思ったよ。彼の偉業を見たら、世界最強と言われるのも納得できる」

 

……元騎手

「明確な弱点がない。テンペストクェークの強みはルドルフと同様に欠点らしい欠点が見当たらないところ。常に最適な競馬をする能力を持っている。仮にルドルフで勝負するとしても、2200メートル以下ではかなり厳しい戦いになる。それぐらいの馬」

 

競馬評論家

「マイル中距離においては世界最強であることは間違いない。競走馬が、その競走生活で1回か2回くらいしか出来ないような渾身の走りを毎回やっていたように思える。宝塚記念のデッドヒートは間違いなく歴史に残るライバル対決だった」

 

競馬評論家

「日本の馬が、愛チャンピオンSやブリーダーズカップ・クラシックといった海外の格のあるレースを勝つ日を自分の目で見ることができるとは思わなかった。世界中の競馬関係者が彼の強さを認めている。彼を倒すために集結させた欧州のGⅠ馬たちが彼に勝つことが出来なかったことが評価をさらに高くしている。アメリカや香港でも伝説の馬の1頭として評価している人間はたくさんいる。一つの国だけで伝説となった馬はたくさんいるけど、世界中で伝説になった馬はそうはいない。テンペストクェークはそういう次元に足を踏み入れた神話級の馬」

 

調教師

「弥生賞の時までは、よくいる素質馬といったイメージだったが、皐月賞でディープインパクトに迫った末脚を見て、GⅠ級の馬になると思った。ただ、4歳ごろから手が付けられないほどの強さになっていた」

 

調教師

「ゼンノロブロイと併せ馬をし始めてから一気に強くなった。それ以降は無敵に近い強さだった。全盛期のタイキシャトルでも勝利は確実ではないだろう」

 

調教師

「出力がまるで違う。あれだけの出力を持ちながら、ケガとは無縁だったのは理解できない。戦車のようなパワーと頑丈さがありながら、スピードや加速力はジェット戦闘機だった」

 

 

 

表彰

2006年、2007年のJRA賞年度代表馬

2006年のカルティエ賞年度代表馬

2007年のエクリプス賞年度代表馬

 

 

殿堂

平成21年度、顕彰馬に選出。

2028年に英競馬殿堂入り。

2018年に米競馬殿堂入り

 

 

馬術(詳しくはテンペストクェークの馬術成績を参照)

 

ロンドンオリンピック 馬場馬術個人 金

 

サラブレッドで且つ種牡馬であるにもかかわらず、その気性の良さと従順さ、賢さと身体能力の高さを買われて、種牡馬オフシーズンは馬場馬術馬として活躍。2012年ロンドンオリンピックにも出場し、馬場馬術としては史上初、馬術競技としては1932年ロサンゼルスオリンピックで西竹一とウラヌスが障害飛越競技以来の金メダルであった。

 

 

影響

 

社会現象

第3次競馬ブームの中核となった。2004年のハルウララブーム、2005年のディープインパクトブーム、2006-2007年ディープ・テンペストブーム、2008年の牝馬戦線ブームの4段階によって構成されていた。競馬ブームが爆発したのが、2006年6月開催の第47回宝塚記念であった。本ブームの特徴として、国際化があげられる。第二次競馬ブームもあり、競馬のスポーツ化は進んでいたものの、賭博の要素が大きく、完全に一般人にまで受け入れられているとは言い難かった。しかし、すでに社会現象を起こしていたディープインパクトの凱旋門賞制覇、そのディープインパクトを唯一打ち破ったテンペストクェークによる欧州4連勝、そして翌年のアメリカ遠征の成功などにより、海外で日本馬が戦うことをスポーツの国際試合として扱うようになった。これにより、オリンピックやワールドカップと同様の盛り上がりを見せるようになり、競馬のさらなるスポーツ化が進んだ。

(詳しくは第三次競馬ブームを参照)

 

 

種牡馬成績

 

産駒の傾向

テンペストクェークは世界中で活躍し、芝のマイルから中距離で活躍していた。産駒もその傾向が強い。やや晩成傾向があるが、欧州の2歳GⅠを勝利した馬が複数いることから、完全な晩成型の種牡馬と言い切ることはできない。

日本の芝、ダート、欧州の芝、アメリカのダートを問わず、産駒は活躍しており、その産駒成績はバラエティー豊かである。しかし、テンペストクェークのように、世界中のGⅠレースを制し、芝・ダートの二刀流の成績を残した馬はほとんどいなかった。

距離はスプリントから中距離で強さを発揮しており、日本においては馬場状態が悪くなればなるほど成績が向上している。欧州では、リーディングサイアーに輝くなど、活躍馬も多く、同馬の本来の適正は洋芝だったのではないかといわれるようになった。

一方で長距離は苦手にしており、長距離GⅠを勝利した産駒はわずかである。しかし12ハロンGⅠを勝利した馬は多いため、多少の距離延長には成功した。しかしこの傾向はあくまで直接の産駒であり、母父としては長距離の成績も向上している。

 

種牡馬生活

日本・欧州・米国と4か国を渡り歩いたが、常に落ち着いており、他の種牡馬とも仲が良かった。

種付けは、最初はやり方がわからないのかかなり戸惑っている様子だったため、ディープインパクトの種付けの映像を見せて、しばらく学習させた。これが功を奏したのか、スムーズに行えるようになったという。自分の仕事が種付けであることを理解していたのか、連日の種付けを淡々とこなしていたという。また、好みの牝馬もいなければ、苦手な牝馬もおらず、年齢も馬体の大きさも関係なくスムーズに種付けを行うため、関係者からは手がかからなくていいといわれている。ただ、牝馬からもかなりモテたようで、嫌がる牝馬はめったにいなかったとのことである。

受胎率も90%以上を記録しており、20歳を超えても150頭近くに種付けを行っているなど絶倫であった。24歳で種牡馬を引退したが、関係者曰く「あと数年は現役バリバリでできたと思う」といわれているが、これまでの功績を鑑みて、引退となった。引退後も35歳まで平然と生きており、生命力がサラブレッドを超越しているといわれていた。

 

成績

多分日本ではディープ、キンカメの次点くらい

欧州ではガリレオと対等に戦っていた

 

GⅠ級優勝馬

たくさんいるので省略

 

 

血統

 

血統背景

父ヤマニンゼファーは安田記念、天皇賞(秋)を制した競走馬。母セオドライトは競走馬時代は条件馬と活躍馬ではなかったが、GⅠ馬7頭を輩出する、屈指の名牝と評価されている。

全妹に高松宮記念、ジュライカップ、香港スプリント等の短距離で活躍したヤマニンシュトルムがいる。

サイアーラインとしてはHabitat系に分類される。

 

血統図

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 




種牡馬成績や産駒については、ちょっと考えつかなかったので、閑話で代表産駒に関する話を作ります。
まあたくさんいて、世界中に種をばらまいたと思ってください。
後継の種牡馬も世界中にばらまきました。

ネタっぽいエピソードとかは別データ辞典で書きます。
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