ハーメルンの機能を全く活かすことができない……
テンペストクェーク
テンペストクェークとは、2002年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。
唯一、ディープインパクトを破った馬にして、2006年、2007年の世界最強の競走馬である。マイル・中距離の国際GⅠを6か国で勝利し、無類の強さを誇った。得意距離においては、史上最強馬とも呼ばれていた馬。
競走成績は22戦18勝 GⅠ14勝
馬名の由来は暴風+地震から。
2009年に顕彰馬に選出された。
主な勝ち鞍
2005年:天皇賞(秋)(GⅠ)、マイルCS(GⅠ)、毎日王冠(GⅡ)
2006年:ドバイDF(GⅠ)、宝塚記念(GⅠ)、英国際S(GⅠ)、愛チャンピオンS(GⅠ)、クイーンエリザベス2世S(GⅠ)、チャンピオンS(GⅠ)、香港カップ(GⅠ)、中山記念(GⅡ)
2007年:高松宮記念(GⅠ)、クイーンエリザベス2世カップ(GⅠ)、安田記念(GⅠ)、ジョッキークラブGC(GⅠ)、ブリーダーズカップ・クラシック(GⅠ)
JRA賞年度代表馬(2006年・2007年)
最優秀4歳以上牡馬(2006年・2007年)
最優秀短距離馬(2005年・2006年・2007)
最優秀父内国産馬(2005年・2006年・2007年)
カルティエ賞年度代表馬(2006年)
カルティエ賞最優秀古馬(2006年)
エクリプス賞年度代表馬(2007年)
エクリプス賞最優秀古馬(2007年)
顕彰馬
概要
誕生からデビューまで
2002年3月、北海道の島本牧場にて生誕。生まれたその日は、北海道を発達した低気圧が覆っており、猛烈な暴風雪となっていた。そのうえ、誕生して数分後に地震も発生しており、それに驚いて、生まれてすぐに立ち上がったといわれている。
当歳馬、1歳馬時代は足がやや外向気味で貧乏くさい外見をしていたが、追い運動などで優れたスピードを見せていたなど、素質を感じさせるエピソードがある。幼名は『ボー』。理由はいつもぼーっと空を眺めているから。島本牧場ではこの名前で呼ばれていたようである。
1歳の夏に、約750万円で取引され、西崎浩平の所有馬となった。馬主として初めて所有した馬がテンペストクェークであった。西崎オーナー曰く、「楽しそうに走り回る姿を見て、決断した」とのことであった。
育成を担当した牧場では、馴致訓練を全く嫌がらず、賢い馬であると評価されていた。生産牧場と縁のあった美浦の藤山調教師が入厩先として紹介され、テンペストを見た藤山が、素質はあると判断したこともあり、2歳の晩春に入厩した。
入厩後は才能の片鱗を感じさせるところを見せており、重賞ならいけるだろうと思っていたとのことである。しかし、馬体の成長がやや遅かったこともあり12月にデビューとなった。
競走馬時代
新馬戦
12月12日の中山競馬場2歳新馬戦でデビューを迎えた。主戦騎手は厩舎所属の高森康明であった。この時「GⅠの舞台に立ちたいか」と藤山調教師に言われたらしく、そこまで素質のある馬なのかと思ったらしい(厩舎所属の騎手だったが、テンペストの調教には参加していなかったため)。
デビュー戦はスタートから鼻を切って逃げはじめ、そのままゴールするという、典型的な逃げで勝利した。しかし、陣営が想定した勝ち方とは異なっているうえ、テンペストクェークが騎手の指示に従おうとしなかったため、一抹の不安を抱えたという。
2005年になり、1月30日のセントポーリア賞(500万以下)に出走。こちらも大逃げで勝利し、連勝を飾った。しかしここでも騎手の指示に従おうとせず、自由気ままに逃げてしまったため、陣営は頭を抱えることになる。
そして3戦目は皐月賞のトライアルレースの弥生賞に出走。ここには、新馬戦、若駒Sを衝撃的な末脚で圧勝したディープインパクトが出走していた。また2歳王者のマイネルレコルトなどの重賞馬も多数出走しており、条件馬に過ぎないテンペストクェークは、父ヤマニンゼファーの馬がいる程度にしかみられていなかった。
レースでは、いつものように大逃げを見せて、第4コーナーまで独走状態だったものの、ラストの直線でディープインパクトに交わされて2着となった。3着4着とも同タイムでの入線であった。このレースでも、テンペストクェークが騎手の指示を全く聞こうとしないため、「ただ乗っているだけになってしまった」と高森は語っている。
初重賞は2着と健闘したものの1着のディープインパクトは直線で鞭を一回も使わないという余裕っぷりだったので、その実力差は隔絶したものがあると思われていた。
覚醒
皐月賞ではディープインパクトが圧倒的な一番人気に推されており、テンペストクェークは未来の三冠馬誕生のおまけのような扱いであった。レースでは、ディープインパクト共々出遅れ、その上道中で掛かるという最悪の展開になったが、落ち着きを取り戻し、後方からのレースを進めた。ラストの直線でディープインパクトともに一気に抜け出したものの、半馬身差で2着となった。掛かるテンペストクェークを必死に抑え込んでいた時に、高森は「テンペストに競馬を教える必要があった。好き放題に走って勝てるものではないと教えたかった。彼は賢いから、絶対にわかってくれると思った」と語っている。実際この後から、騎手の指示に従わなかったレースはなく、信頼関係を結ぶことができたと陣営は語っている。
次走は日本ダービーに出走。しかし、距離が長かったこともあり、残り200メートル付近で失速。ディープインパクトの2冠達成を6着で見届けることになる。テンペストクェークの生涯成績の内、連対を外したのはこの1戦のみである。もし出走をしていなければ21戦連続連対でシンザンの記録を超えたのかもしれない……
陣営はダービーのことは口にしないので、多分黒歴史扱いなんだと思う。
藤山は「テンペストの距離限界を測ることができた。宝塚記念への布石になったから後悔はしていない」と語っているので、黒歴史ではないようだ。
伝説の始まり
ダービー後、故郷の島本牧場で休養。その後美浦トレセンに戻り、10月の毎日王冠への出走に向けた調教が積まれた。
このころになると馬体も完全に出来上がり、若駒時代の貧乏くささから見違えるほどの外見になっていた。2歳年上のゼンノロブロイと仲が良かったようで、併せ馬をたびたび行っていた。2頭の関係者は「併せ馬をし始めてからテンペストが一気に強くなった」と語っており、後述の強い馬の走り方などを吸収する能力はこのころから見せていたようである。
ライバルを強くしてしまっていいのか、それで……
休養明け初戦の毎日王冠は、第4コーナーから大外に出ると、そのまま直線一気で駆け抜け、勝利。初の重賞制覇であった。ここから5歳秋まで一回も敗北することなく、世界中で無双することを予想できた人間はだれ一人としていなかった。
勝利そのままの勢いで、天皇賞(秋)に向かい、毎日王冠と同様のレース展開で勝利した。これでGⅠを初制覇し、名馬の仲間入りを果たした。ちなみに、オーナー、騎手、厩舎にとって初のGⅠであったため、感動的な雰囲気で表彰式を迎えた。
11月には京都競馬場で開催されたマイルCSに出走。先頭で粘るダイワメジャーを捉えて、大外一気で勝利。これでGⅠを2勝目。重賞3連勝を飾った。毎日王冠→天皇賞→マイルCSを同一年度に3連勝した馬はテンペストクェークとダイワメジャー、カンパニーのみである。3歳馬に至ってはテンペストクェークのみである。
祖父のニホンピロウイナーも同レースを勝利しており祖父と孫の2代での勝利であった。
マイルCS後は休養に入ることが決まり、育成牧場で休養と調整を行った。
この年、JRA賞最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬を受賞。香港マイルなどマイル重賞を3勝したハットトリックじゃないのかよという意見もあったが、3歳でマイルCSを勝利し、直接対決で勝利したことが決め手だったようだ。
年間無敗の始まり
翌年、ドバイミーティングに出走することを表明。芝1777mで行われるドバイデューティフリーへの予備登録を行った。2月に招待状が届き、正式に出走することが発表された。
その前哨戦として、中山記念が選択された。
1番人気で当日を迎えたものの、雨による影響で重馬場であった。しかし、逃げ粘るバランスオブゲームを中山の短い直線でとらえると、そのまま1馬身差で勝利した。
重賞4連勝の実績も評価され、1番人気でドバイDFへ出走。先行集団後方でレースを進め、ラストの直線で先に抜け出そうとしたデビットジュニアを捉えると、そのまま後続を引き離し、5馬身差で勝利した。この圧勝劇に、マイル中距離の現役最高馬と評価されるようになった。
日本に帰国後、陣営は親子三代制覇のため安田記念に出走させる予定だったが、日本最強馬となっていたディープインパクトとの宝塚記念での決戦を望む声に押されて、宝塚記念への出走を表明。決して藤山調教師がインタビューで余計な口を滑らせたわけではない。
距離が不安視されたものの、陣営は今のテンペストなら大丈夫だと太鼓判を押してレースに挑んだ。藤山が「調教師人生でもう一度やれといわれても無理なぐらい完璧な調教を施した。ストレスで胃潰瘍になるほどだった」と語るほどの仕上がりを当日は見せていた。このため、ディープインパクトを倒せる馬になりうるかもしれないと人気を集め、2頭に人気が集中した。
ライバル対決と銘打ち、大規模な宣伝が行われた結果、大雨にも関わらず13万人を超えるファンが京都競馬場に集結した。また各局が特番で中継番組を放映し、多くの人が世紀のライバル対決を見守った。ディープインパクトというすべてがエリートの王道路線の最強馬と、テンペストクェークというすべてが零細でありながら別路線で最強となった馬の激突に多くのファンが心を動かされたのである。
| 『……ディープインパクト、ディープインパクトが先頭だ。このまま決まるのか。テンペストクェークが伸びてきた。これはどうなるか、どうなるのか。ディープか、テンペストか。テンペストがさらに伸びる。伸びる!差し切ったテンペスト差し切ってゴールイン。ディープインパクト敗れる!最後に差し切ったのはテンペストクェークだ!』 ○○アナウンサー |
重馬場で迎えたレースは、ディープインパクトが第4コーナーから大外を捲って直線で先頭に立つというこれまで何度も見た展開となり、誰もが彼の勝利を確信した。しかし、コーナーで馬群に包まれ、抜け出すことが出来なくなっていたテンペストクェークが、直線に入った時にできた馬群中央のわずかな隙間を突破してディープインパクトに肉薄した。ラスト100メートル付近でテンペストクェークが一気に加速し、前を走るディープインパクトを交わしてアタマ差で勝利した。2頭のデッドヒートはテンペストクェークに軍配が上がった。ライバル対決の理想形とも言っていい展開に、同レースを史上最高の宝塚記念に推す声も大きい。
これでテンペストクェークは重賞6連勝を飾り、GⅠも4勝となった。
欧州遠征
レース後、陣営は英国遠征を表明。インターナショナルステークスを初戦にして、欧州のマイル・中距離レースに出走予定であることを明かした。
7月末にイギリスのニューマーケットの厩舎に入厩。先に入国していたハーツクライと出会う。この時のハーツクライは、単独でのイギリス遠征もあって、かなり精神的に疲弊している状態であった。この情けないライバルの姿を見て、テンペストクェークがハーツクライをあおりに煽ったらしく、2頭仲良く放馬してしまったのである。この時の光景は厩舎スタッフによって映像に撮られていたようで、ハーツクライがキレまくっている様子が見れる。ただ、テンペストクェークに闘魂を注入されたのか、KGⅥ&QEDSでは、乾坤一擲の走りを見せて、ハリケーンランやエレクトロキューショニストを抑えて、勝利した。ここから、日本馬による欧州の蹂躙が始まった。
8月22日のインターナショナルステークスに出走したテンペストクェークは、ラストの直線残り4ハロン付近からスパートをかけると、2ハロン付近で先頭に立ち、そのまま後続を突き放した。最終的に12馬身差をつけて圧勝し、英国の競馬関係者に強烈な挨拶をたたきつけた。「走りたがっていたので、そのまま走らせたらどんどんと加速していった」と高森はコメントを残している。ちなみに、「日程が詰まったレース間隔なのに、こんな走りをさせて何をしているんだ」と藤山調教師はダメ出しをしている。この12馬身差は同レースの最大着差であり、いまだに破られていない。
欧州遠征2戦目はアイルランドで行われるアイリッシュチャンピオンステークスである。凱旋門賞のプレップレースとしての位置づけが強いレースであるが、多くの名馬が勝利してきた格のあるレースである。愛ダービーを制したディラントーマスや2004年度欧州年度代表馬の牝馬ウィジャボードなどが出走していた。レースはペースメーカーが先頭を走るという欧州らしいレースとなった。直線の前で、後退してきた逃げ馬と、外側の馬群に挟まれてしまったが、高森騎手はテンペストクェークを最内に寄せて勝負を仕掛けた。そして、先頭で叩き合いを演じるディラントーマスとウィジャボードを内ラチから強襲し、半馬身差で勝利した。
この勝利で、無茶苦茶強い馬が極東の島国から襲来してきたと認識され、それ以降は欧州の3歳馬、古馬がテンペスト出走予定のレースに出走することを次々と表明してきたのであった。
3戦目はイギリスのアスコット競馬場で行われるクイーンエリザベス2世ステークスであった。英国の下半期の最強マイラー決定戦とも呼べるレースで、3歳から古馬の一流のマイラーが集結するレースである。12頭中9頭がGⅠホースという豪華なメンツがそろっており、欧州最強マイラー決定戦となったレースとなった。英2000ギニーを制したジョージワシントン、愛2000ギニーを制したアラーファ、仏マイルGⅠを連勝したリブレティスト、マイルGⅠ4勝のマイルの女王ソビエトソングなど錚々たる面子であった。
テンペストクェークは、スタート直後で躓いてしまい、最後方から3、4馬身後方からの競馬となった。最後のコーナーに入る前に最後尾に追いつき、そのままコーナーを曲がりながら外から捲り始め、直線で大外一気を敢行した。残り1/2ハロン地点で先頭に立っていたジョージワシントンを捉えて、先頭に立ち、1馬身差で勝利した。
出遅れから前11頭全頭を差し切っての勝利で、稍重のアスコット競馬場を上がり1F10秒で駆け抜けており、信じられない末脚を発揮しての勝利であった。
このレースの勝利で、2006年欧州最強マイラーの座を手にし、GⅠ7勝を記録した。レースの中継では、テンペストクェークが一気に先頭に迫ってくる様子を映し切ることができず、映像の範囲外の後ろから突然現れたように見えたため、ワープしてきたと言われていた。
レース後のインタビューの際、高森騎手がテンペストクェークに熱い口づけをしているが、相当嫌だったらしく死んだ目になっている写真が残っている。
欧州での最終戦は、ニューマーケット競馬場で行われたチャンピオンステークスであった。このレースにも錚々たるメンバーがそろっており、14頭中10頭がGⅠ馬であった。こちらも欧州中距離最強決定戦ともいえるレースになっていた。ただ、流石のテンペストクェークも連戦の疲労もあったのか調子を落としていたが、それでも勝てると踏んだ陣営は出走を決意した。
レースでは、ラスト3ハロンでエレクトロキューショニスト、レイルリンクとの叩き合いとなり、騎手同士がぶつかり合うほどの激しいぶつけ合いが行われ、ゴール直前に外と内からデビットジュニアとプライドが同タイミングで入線していた。ビデオ判定の結果鼻差8センチでテンペストクェークが勝利した。5頭が同タイムでの決着となった。
馬体をぶつけられたうえ、鞭まで当てられたテンペストクェークであったが、全くひるむことなく走り続けており、驚異的な闘争心と勝負根性が評価されたレースとなった。
この勝利によって、これによりシンボリルドルフ以来超えることのできなかった7冠の壁を突破した。また、欧州遠征4戦全勝という偉業を達成した。英国際S→愛チャンピオンS→QE2世S→英チャンピオンSというマイル中距離の王道レースを同一年度に達成した馬は後にも先にもテンペストクェーク1頭だけである。なお、2013年よりQE2世Sと英チャンピオンSが同一日での開催となったため、この4戦を同一年度に勝利することは事実上不可能となり、競馬界のアンタッチャブルレコードの一つとなっている。
この4戦が評価され、カルティエ賞年度代表馬と最優秀古馬を受賞。日本調教馬初の偉業であった。
2006年シーズンのラストレースは香港国際競走に招待され、香港カップに出走することになった。香港での馬名は「天災地変」。世界を駆け抜けた暴風伝説にふさわしい名前であった。
香港カップには、エレクトロキューショニストやウィジャボード、プライドなど欧州の強豪馬が出走しており、日本からもアドマイヤムーンとディアデラノビアが出走していた。
圧倒的な1番人気に支持されたが、レース前のパドックで馬っ気を出してしまい、集中できていないのではと思われたが、それでも1番人気は覆らなかった。この時、プライドやウィジャボードといった牝馬に興奮したのではと思われていたが、「あれは多分レース前で気持ちが高ぶっていただけだと思う」とパドックで曳いていた秋山は分析している。
レースでは、スタート後に先行集団に入って競馬を進めると、最後の直線で先頭に立って、そのまま1馬身差で押し切って勝利した。先行策から好位抜出という王道の展開で勝利し、変幻自在な脚質を見せつけた。
この勝利でGⅠ7連勝を達成。ロックオブジブラルタルに並んで世界記録タイ記録を達成した。
テンペストクェークは8戦8勝で2006年シーズンを終えた。ドバイDFから香港カップまでのGⅠ7勝で7連勝を記録。凱旋門賞を勝利した、ディープインパクトを抑えて、JRA賞年度代表馬を受賞した。直接対決の勝敗がこの選考に大きな影響を与えたようである。
この年をもって宿命のライバルであったディープインパクトは引退。テンペストクェークは来年も現役であることを表明。それと同時に、父ヤマニンゼファーが達成できなかった三階級GⅠ制覇(スプリント・マイル・中距離)と安田記念親子三代制覇を目標にすることが発表された。
5歳春
2007年初戦は高松宮記念を見据えて、前哨戦として阪急杯に出走することを発表。しかし、熱発で回避することになり、高松宮記念に直行することになった。初のスプリント戦ということもあり今までのような圧倒的な1番人気ではなかった。レースは最終コーナーで馬群の外を通りながら末脚を発揮し、同じように伸びてきたスズカフェニックスと叩き合いとなった。最終的に同タイミングで入線し、ビデオ判定の結果同着と判定され、2頭の勝利という形となった。
スズカフェニックスの調教師は、最高の調教を施して、乾坤一擲ともいえるレース内容だったのにも関わらず同着であったため、どうやったらテンペストクェークに勝てるのか疑問に思ったという。「マイル中距離ほど得意ではない」らしいが、後続に3馬身ほど差をつけており、一流のスプリンターであったことは間違いないだろう。というか得意距離においては世界最強なんだから、彼の「ちょっと得意ではない」は国内最高峰レベルだということを忘れてはならない。
2戦目は香港に遠征し、クイーンエリザベス2世カップへ出走。現地での調整の段階で「1着テンペストクェーク。2着を決めるレース」と評価されるなど、圧倒的な支持を受けていた。レースは、最終コーナーから直線に入ったところで先頭に立ち、そのまま7馬身差をつけて勝利。他馬を完封しての勝利であった。同日開催のマイルGⅠでダイワメジャーが勝利したこともあり、香港勢としてはヒエヒエの結果であった。
日本帰国後、6月には安田記念に出走。ニホンピロウイナー、ヤマニンゼファーに続く親子三代制覇に期待がかかったレースであった。当日も圧倒的一番人気で迎えていた。レースは、逃げ馬が引っ張りながらも、ハイペースにはならなかったこともあり、先行勢が有利な展開となった。先頭2,3番手でレースを進めたダイワメジャーがラスト100メートル付近で先頭になりそのまま押し切って勝利するかと思った瞬間、大外からテンペストクェークが猛烈な末脚を発揮してゴール。半馬身差での勝利であった。ダイワメジャーの勝ちパターンを封殺した圧倒的な走りであった。
この走りでGⅠの連勝記録を10勝とし、通算重賞連勝記録14勝とした。
米国遠征
レース後、陣営からテンペストクェークの米国遠征が発表された。ダート最高峰のレースであるブリーダーズカップ・クラシックを目標として、いくつかの前哨戦を使っていくことを表明した。芝の世界王者がアメリカのダートに乗り込んでいくという挑戦的な内容に、盛り上がりを見せる中、アドマイヤムーンとダイワメジャーもアメリカ遠征に参加することを表明。3頭による遠征が行われることになった。
7月末に出国し、モンマスパーク競馬場の厩舎に入厩した。
9月1日、サラトガ競馬場で行われたウッドワードSがテンペストクェークのダート挑戦の初戦となった。レースには2006年のBCクラシック、2007年のドバイWCを制し、GⅠ6連勝中の怪物、インヴァソールも出走しており、いきなり米国最強馬との戦いとなった。
レースは米国競馬に合わせて先行策を選択。直線で抜け出したものの、インヴァソールに及ばず2着に敗れた。日本ダービー以来となる14戦ぶりとなる敗北であった(それでも連対を外さないあたりは流石である)。
陣営は9月30日ベルモントパークで行われるジョッキークラブGCへの出走を表明した。中1ヵ月でのレース間隔であったが、テンペストクェークにダートでの走りを学んでもらうために必要であった前哨戦2戦であったと藤山は語っている。
レースには、プリークネスSを勝利した3歳馬のカーリンが出走しており、レース展開もラストの直線で叩き合いとなった。ゴール前に前を走るカーリンを差し切って勝利し、日本調教馬として海外ダートGⅠ初勝利を飾った。どのダート馬でもできなかった偉業である(米国のダートは日本のダートとは大きく違うが)。
そして10月27日、ダート世界最高峰レース、ブリーダーズカップ・クラシックに出走。インヴァソールにカーリン、ストリートセンス、ラグズテゥリッチズが出走メンバーに名前を連ねており、ハイレベルな一戦となった。
当日は雨の影響で不良馬場となっており、コースには水がたまっており、田んぼといえるような状態であった。最悪の馬場状態といえる状態でレースはスタートした。テンペストクェークはカーリンら3歳3強とともに中団で待機して競馬を進めた。最後のコーナーで外を回って加速すると、先頭にいるインヴァソールとカーリンを直線でとらえて先頭に立つと、そのまま後続を引き離して4馬身差で勝利した。強烈すぎたそよ風から誕生した暴風は、最強の暴風となってアメリカを蹂躙した。
| 『残り2ハロン!最終直線に入った!テンペストクェークに鞭が入った!テンペスト先頭!どんどんと伸びていく!インヴァソール、カーリンも伸びていくが、テンペストだ!テンペストが伸びる。1馬身、2馬身とリードを広げる。こんなことがあるのか!こんな馬が存在していいのか!なんなんだこの馬は!』 ○○アナウンサー |
| 『Leading the way is Tempest Quake! Tempest, it's coming! Decided! The tempest has come from Japan!』『Both Carlin and Invasor succumbed. The greatest racer in the world is now born!』 モンマスパーク競馬場場内アナウンサー |
このレースで公式レーティングは141ポンドとなりダンシングブレーヴと並んだ。そしてタイムフォームレーティングでも148ポンドの評価を与えられ、名実ともに世界最高の馬としてその名を歴史に刻んだ。
引退
11月上旬、オーナーによって引退が表明されテンペストクェークの伝説は一旦幕を下ろすことになった。
調教師曰く、「7歳くらいまでは多分走れる」とのことである。この発言が本当かどうかはわからないが、種牡馬になった後、相変わらず現役馬顔負けの馬体を維持し続けていたテンペストクェークを見ると本当だったのかもしれない。
12月中旬に東京競馬場にて引退式が行われ、10万人以上の観客に見守られながら現役を引退した。
翌年、JRA賞年度代表馬を受賞。同年のエクリプス賞年度代表馬も受賞。これで3か国の年度代表馬を受賞したことになり、ワールドホースとしての地位を確立させた。
ちなみに最優秀ダート馬の受賞は逃している。日本のダートを一戦も走っていないことが理由である。
1月に60億円のシンジケートが組まれて、日本で種牡馬になることが決まった。いろいろと密約があったようで、このシンジケートが理由で、テンペストクェークは欧州で種牡馬生活を送ることになる。一説によると、100億を超える金額を提示されたのではないかといわれているが、このシンジケートについては誰も口を開かないため、真相は闇の中である。
競走馬としての総評
22戦18勝2着3回。ダービーを除けば21戦連対を達成しており、抜群の安定感を誇る。海外成績は10戦9勝2着1回と圧倒的な数字を残しており、GⅠ競走10戦中9勝であった。GⅠ連勝記録は10勝で、間にGⅡ以下のレースの記録を入れると12勝。重賞は14連勝となっており、堂々の日本一である。ちなみに10連勝記録は世界記録でもある。
賞金獲得額は海外も含めて20億円を超えており1位。3か国で年度代表馬となり、日本だけでなく世界の競馬の歴史に名を残した名馬である。
レーススタイルは、先行、差し、追込を自由自在に使い分けており、変幻自在な脚質が持ち味であった。ただ、高森騎手曰く、「後ろから一気に仕掛けて前の馬をぶち抜くのが一番得意だった」としており後方からのレースが一番得意であったようだ。その末脚は、ハイペースでもスローペースでも関係なく、鞭が入った瞬間に一頭だけ早送りをするような加速を見せるのが特徴。一気にトップギアに持っていく瞬発力は歴代最強の馬と関係者は語っている。どんなコースや馬場でも上がり3Fを32~33秒台で駆け抜ける能力を持つが、残り2ハロン地点からの加速が群を抜いている。驚異的な追込で最後方から11頭をなで斬りにしたクイーンエリザベス2世Sでは、上り2ハロンを、10.2-10.0で走り抜けている。またラストランのブリーダーズカップ・クラシックもハイペースな展開でドロドロの不良馬場でありながら、上り2Fを10.9-10.3で走っている。
また、重馬場に非常に強く、パワーも日本の馬とは一線を画していた。実際、日本馬が泣いてきた重たい馬場の英国やアイルランドで圧倒的なパフォーマンスを見せている。その一方で高速馬場にも非常に強く、スピードについても並のGⅠ馬では勝負にならないレベルだといわれている。
身体能力だけでなく、その他の面について評価する声も多い。
まずレースの気性と弥生賞までは鞍上の指示に従わないといった悪癖があったが、皐月賞以後は騎手の指示に常に従っていた。そのため、「テンペストは自分の指示通りに動いてくれる。テンペストが負けるときは自分の騎乗ミスで負けたと思うくらいであった。それくらい操縦性が高い馬だった」と高森は述べており、操縦性の高い馬だったことがうかがえる。この操縦性の良さを鑑みれば、馬術で活躍できた理由もなんとなく理解できる。
次に精神面だが、こちらも高く評価されている。非常に強靭な精神力を有しており、物事に全く動じなかったという。サラブレッドの繊細性をどこかに捨ててきたといわれるほどの馬だったという。レースではズブさとは無縁の馬だったのに、精神面はかなりタフだった。
普段の性格は穏やかな性格であったが、競馬に関しては闘争心が非常に高く、負けず嫌いな性格でもあったという。高い知性も備わっていたこともあり、競馬が勝負事であることを明確に理解していたという。前に馬がいれば絶対に抜かそうとするし、後ろから馬が来れば絶対に抜かせまいとしようとするらしく、このことが叩き合いの強さ、末脚の強さに影響しているのではないかと騎手の高森は語っている。
総評としては、長い距離が苦手なこと以外欠点らしい欠点が見当たらない馬といえるだろう。馬としての基礎能力だけでなく、精神面や頑丈さ、気性、操縦性といった能力値が非常に高い馬である。
種牡馬時代
概要
引退後は、歴代1位となる60億円のシンジケートが組まれて、日本で種牡馬入りした。ただ、種牡馬入りの際に条件がいろいろとあったようで、2014年からアイルランドで、2017年からはイギリスで、2020年からはアメリカで種牡馬となった。
2022年には日本に帰国し、種牡馬として活躍している。
産駒成績は日本においてはディープインパクト、キングカメハメハの次点といった形で活躍していた。
欧州では猛威を振るい、ガリレオなどのノーザンダンサーを祖とする種牡馬たちと対等に戦い、後継の種牡馬たちを大量に残していた。2017年、2018年のリーディングサイアーにも輝いている。
産駒傾向
産駒傾向としては、日本においては、芝・ダート問わず活躍馬を輩出している。クラシック競走でも好成績を残しているが、どちらかといえば3歳秋になってから覚醒する馬が多い。ただ、2歳GⅠや重賞を勝利した産駒もおり、必ずしも晩成型になるわけではない。重馬場に強い産駒が多いが、時計の出る馬場でも特に苦戦している様子はないので、産駒の特徴は多種多様である。
距離については、スプリントから中距離にかけて好成績を残している。また、2400メートル競走でも活躍馬を輩出しており、中長距離でも結果を残している。
日本産の産駒も世界中に遠征をおこなっており、好成績を収めた馬が多かったため、欧州に種牡馬としてやってきたときは大きな期待が寄せられた。そして、2歳GⅠをいきなり勝利する馬が現れると、2000ギニーや英ダービーといった3歳クラシック路線や、マイル・中距離路線、スプリント路線で暴れまわった。こちらも12ハロン競走でも結果を残しており、幅広い距離で産駒が活躍した。
父が勝利したアメリカのダートでも走っている産駒が多く、米国のダートでも多数の活躍馬が誕生している。そのため、2020年よりアメリカで種牡馬となったようだ。
最終的には、オーストラリアや南アメリカでも産駒は活躍しており、産駒成績もワールドワイドとなっている。
エピソード
名馬特有の濃いエピソードが多い。というかめちゃくちゃ多い。テンペストクェークが賢く芸達者であったこと、享年35歳と長寿だったためである。
・ロマン配合
父ヤマニンゼファーも母父サクラチヨノオーも競走馬としては華々しい活躍をしている(サクラチヨノオーはダービー以後アレだが)が産駒の成績はあまり芳しくない。そんな馬同士を交配させて誕生したのがセオドライトの2002、のちのテンペストクェークであった。
SSやブライアンズタイム、トニービンといった外国産種牡馬の時代と当たってしまったとはいえ、歴史の陰に消えつつある血統であった。それでも血統にはBlushing Groomやテスコボーイ、チャイナロック、ガーサントにマルゼンスキーと有名な種牡馬がおり、決してダメ血統ではなかった。ただ、現代競馬で活躍する血統かといわれれば頷きにくい血統であることは事実であった。
要するに、日本はおろか、欧州米国でも主流とはいいがたい血統であった。しかしそれを承知で交配したのは、何らかの計算があってのこと……ではなく、単純に牧場長の趣味だったという。テンペストクェークの活躍で世界中の血統の研究が大きく狂ったのは言うまでもない。
・馬嫌い
3歳春くらいまで、他の馬と積極的にかかわろうとせず、寄せ付けようとしなかったらしい。曰くキレたナイフのような馬だったとのこと。島本牧場の関係者は「母馬が育児放棄をしてしまった関係上、生まれたときから人間の手で育てられた。いろいろと心配なところも多くて、可愛がりすぎてしまった。これが原因で自分のことを人間だと思い込んでしまったのだと思う」と話しており、幼少期の生まれが原因であったといわれている。しかし、この性格は3歳夏ごろから見られなくなる。
・外見
当歳馬時代は足がやや外向気味で毛並みも微妙で、どことなく貧乏くさい外見をしていた。ただ、外向気味の脚も競走には問題ないレベルであったうえ、貧乏くさい外見であったが、ケガや病気とは無縁であったため、そこまで問題にはならなかった。ただ、幼駒のセリでは外見は重要な要素であるため、血統も相まって、高く評価はされないだろうと半ばあきらめていた。しかし、3歳夏ごろからは完全に馬体が完成し、520キロ超えの馬体も相まって筋骨隆々で威圧感満載の外見になった。
・ディープインパクト
同期にして宿命のライバル。弥生賞、皐月賞、日本ダービーでテンペストクェークに勝利したが、翌年の宝塚記念でやり返された。2200メートル以下ならテンペストクェーク、それ以上はディープインパクトというのがもっぱらの認識である。種牡馬時代に2頭は再会しており、親密にしていたようで、隣同士の放牧地だった時は、よく併せ馬をしたり、嗎あっていたようである。
2022年に日本に帰国した際には、ディープインパクトやシンボリクリスエスを筆頭に、親しかった馬達が軒並みいなくなってしまったため、結構落ち込んでいたという。ただ、新しく入ってきた種牡馬とすぐに仲良くなっているようである。
・帽子好き
テンペストクェークの画像を検索すると、大体帽子を被っているものが出てくる。インタビュー等の動画でも被っていることが多い。種牡馬時代や引退後もファンとの交流の場に出るときは被っていることが多かった。現役時代は厩舎の帽子を被っていることが多かったが、英国では西崎オーナーの被っていたシルクハットを奪い取って被っていた映像が残っている。意外とおしゃれ好きだったのかもしれない。お気に入りの帽子は藤山厩舎の帽子で、どこに行っても必ず厩舎に飾られているという。
・伝説のボス
所属していた藤山厩舎のボスであることはもちろん、美浦トレセン全体を統括するボスであった。また海外遠征で入厩したニューマーケットやモンマスパークでもすぐに現地の馬たちのボスになったというエピソードがある。4歳になるころには、美浦のボスになったようである。
テンペストクェークは弱い馬を守り、喧嘩の仲裁をするなど、馬社会のまとめ役となっていた。テンペストの前だと気性が荒い馬でも一睨みで大人しくなるなど、カリスマ性と威圧感は馬の目から見ても圧倒的だったのだろう。自分から「自分はボスだ」と主張するタイプではなく、後ろから見守りつつ、何かあったら前に出てくるタイプのボスだったと厩舎関係者は語っている。
テンペストクェークが引退によって美浦からいなくなる時には、美浦中の馬がテンペストの最後の嘶きに反応したという伝説のような話が残っている。ちなみに映像も完全に残っているので、マジの話である。
・友人が多い
テンペストクェークと仲の良い馬は結構たくさんいる。ライバルのディープインパクトも種牡馬時代に隣同士の馬房だったこともあり、仲が良かったようである。同じくシンボリクリスエスとも親しくしている姿が確認されている。現役時代では、ダイワメジャーやゼンノロブロイ、アドマイヤムーン、アサクサデンエンとも仲が良かったらしい。ハーツクライは英国遠征時にテンペストに煽られたのを覚えているのか、いつも威嚇していたらしい。ただ、不仲というほどでもなかったらしい。どっちだよ。
海外で過ごした時間も多いため、海外馬の数も含めると、数えきれないほどの友人がいたようである。コミュ力が高い馬だったのだろう。
・絶倫
2008年から種牡馬として活躍しているが、毎年200頭以上の種付けを行っており、受胎率も90%を常に超えていた。一日4回の種付けを行ったときも嫌がることなく種付けを行っていた。牝馬のえり好みもなく、種付け自体も上手であったため、各国の関係者は手間がかからない馬だったと語っている。ただ、種付けが好きかといわれるとそうではなく、自分の仕事として割り切っていたのではないかとも言われている。チャイナロックの血統が彼の種付け能力に反映したかどうかはわからない。
・知能
テンペストクェークにかかわった関係者たちのすべてが、彼の知能の高さを指摘している。一度行った場所を覚えており、人間の顔を覚えているなど、記憶力もよかった。「一度言い聞かせたことは大体覚える」と関係者も語っている。また学習能力が非常に高く、他の馬の走り方などを吸収して自分なりにアレンジすることが得意だったようである。馬術馬として活躍できたのも、スポンジのように技を吸収する能力があったからだといわれている。
・サービス精神
現役時代からカメラを向けると立ち止まってくれたり、名前を呼ぶと反応するなど、非常にサービス精神が旺盛であった。種牡馬時代も、必ず見物人の近くによってきてくれたり、立ち上がって嘶いたりするため、見物人から好評であった。完全に自分目当てで人間が来ていること、自分が何かすれば喜んでくれると言うことも理解しているため、こういった行動をするらしい。ただ、帽子を被って不用意に近づくと高確率で取られるため、見学の際には絶対に帽子を被るなと注意されている。
・適正距離
テンペストクェークが最も得意とする距離は1600メートルから2200メートルである。しかし、調教師の藤山は、「目標を12ハロン競走にして調教を積んでいけば、多分それくらいの距離も走れるはず。ダービーのこともあったし、体格的にも宝塚記念ぐらいの距離が限界だと思っていた。だけど、テンペストの学習能力の高さと、距離やコース、条件によって常に変わるストライド幅を考えれば、もう少し長い距離も走れたと思う。ただ、このテンペストの能力に確信を持てたのがアメリカ遠征の時だったから、ちょっと遅かったけどね」とコメントを残している。また、調教助手の本村も「テンペストには無限の可能性があった。6歳も走れたらという「もし」があったのなら、連勝記録も止まっていたので、12ハロンのGⅠに挑戦してもいいかもしれないと藤山先生と思っていた」と語っている。
高松宮記念を勝利しているため、下限は1200メートルである。そして伝説の宝塚記念をディープインパクト相手に勝利しているため、上限は2200メートルとするのが通常であるが、調教次第では、2400メートルや有馬記念の2500メートルも走れたのかもしれない。
・最強
競馬の最強論争ほど不毛な話題はない。時代や条件によって比較することが難しいからである。その中で、マイル~中距離においては、最強であると多くの場合において結論付けられるのがテンペストクェークである。中距離までなら日本どころか世界最強馬の一角に数えられている。実際WTRRでは141ポンドで2022年現在単独一位を維持し、タイムフォームのレーティングでも148ポンドの評価を受けており、これも単独一位である。一方でダービーでの敗北や、その後12ハロンの競走を勝利していないため、同馬を最強馬とすることに批判する声もある。
引き合いに出されるのがフランケルであるが、マイル中距離で戦った場合どちらが強いのかは欧州の競馬ファンの論争の的である。マイルだとフランケル、10ハロンならテンペストクェークという決着がつくことが多いようだ。ディープインパクトの時といい、どこの国も同じようなことを考えるのである。
日本、欧州、米国で年度代表馬になった馬はテンペストクェーク1頭だけであり、6か国の国際GⅠを勝利した馬も彼1頭だけである。「1つの国や地域で伝説になっている馬は多いが、それを超えて、文字通りワールドホースと呼べる馬は彼ぐらいである」と海外のとある評論家は語っている。最強かどうかは、議論の余地があるが、彼の勝ち鞍を再現できる馬は今後現れることはないため、唯一無二の馬であることは間違いない。
テンペストクェークに乗るまで、GⅠ未勝利だった高森騎手を乗せてGⅠ14勝できる馬が最強じゃないわけないだろという話はNGである。
・英国王室
テンペストクェークと英国の王室は深い関係にある。欧州遠征を全勝で終えた11月に、女王陛下がニューマーケットに訪れ、彼にまたがったことからその関係は始まった。彼女がテンペストクェークに近づいて首元を撫でたところ、乗れという仕草を見せたため、乗馬することになったという。テンペストはこの人は偉い人だということが分かっていたと厩務員の秋山は語っている。ともあれ、世界最強のサラブレッドに乗せてもらった競馬が大好きな女王陛下は、テンペストクェークのことをたいそう気に入ったのであった。このため「女王陛下のテンペストクェーク号(H.M.H Tempest Quake)などと現地で呼ばれた。
その後種牡馬となった彼に、自分の所有している牝馬を当然のように種付けしており、その馬が自身の名前を冠したクイーンエリザベス2世ステークスで勝利したため、完全に脳が破壊されてしまったようである。
・メロン好き
大好物はメロンらしく、しかも高級な夕張メロン。一応普通のメロンや果物もおいしそうには食べるのだが、明らかにテンションが違うので味の違いを分かっていたようである。欧州遠征やアメリカ遠征でもご褒美とのために厩舎スタッフにJRA、そして農水省、外務省、航空会社等があの手この手で頑張った結果、結構な数が持ち込まれたようで、テンペストクェークの走りを支えた。
この時ニューマーケットに美味しいメロンということで広まったようで、そこからいろいろあって英国王室にも献上された。今でも競馬関係者から人気のあるフルーツとなっている。
・温泉好き
無類の温泉好きらしく、一度入ると出ようとしないらしい。その時は大体メロンでつられるようにして出される。現役中にも温泉に入っている姿をニュースに取り上げられたりしている。引退後も定期的に入っていたようで、特別待遇であった。お湯が温いと不機嫌になるらしく温泉に関しては割と面倒くさい性格だったと施設のスタッフからはあきれられていた。
・西崎オーナー
テンペストクェークの所有者である西崎オーナーは、この馬が初の所有馬である。初の所有馬で世界最強の馬にして世界最高峰の種牡馬のオーナーとなった。強運を超えて豪運を持つ人。また、欧州遠征や米国遠征、また安田記念を回避して宝塚記念でディープと激突させるなど、非常に豪胆なオーナーでもある。テンペストクェーク以後はしばらく競走馬を所有していなかったが、有名馬の一口に参加していることが多く、相馬眼は本物であるようだ。
・馬名の由来
テンペストクェークが誕生した日は、牧場のある地域を猛烈な暴風雪が襲っており、風と雪で身動きが全く取れなくなるレベルの天候であった。ただ馬産にそんなのものは関係なく、最悪な天候の中で誕生した。生まれてすぐに地震も発生したというオマケまでついてきたようである。そのエピソードから暴風と地震を組み合わせた名前となった。やばい生命体が生まれてくることを地球が恐れていたのではないかと言われたりしている。
・妹
全妹がヤマニンシュトルムである。気性難エピソードに事欠かないあの牝馬である。この2頭は2歳年が離れているが、2007年に島本牧場で遭遇している。その時に大喧嘩をしたという記録や証言が残っている。ヤマニンシュトルムが執拗にテンペストクェークに喧嘩を売っていたらしく、珍しくそれに怒ったテンペストが妹の放牧地に侵入して、どちらの格が上かをわからせたとの話がある。また、この後に島本牧場の近くの育成牧場で2頭の併せ馬(主戦騎手が乗った)をしたらしく、全て兄が勝利している。この時から妹にとって兄は不倶戴天の敵になったようで、「テンペストクェーク」の名前を出すだけで不機嫌になるほどであった。
・泳ぎが下手くそ
テンペストクェークの苦手なものとして、プールトレーニングがあげられる。かなり泳ぐのが下手なため、あまりプールトレーニングは好きではなかったようである。プールそのものはそこまで嫌ではなかったようではある。温泉は好きなくせに……
・テンペストおじさんの誕生
メディアの影響もあり、一般人からも人気のあるテンペストクェークであるが、妙に熱心なファンが多く、カルト的な人気がある競走馬だったりする。父ヤマニンゼファーも産駒が走るたびに『ゼファー魂』の横断幕を掲げるファンがいるなど、熱心なファンが多い競走馬だったことも影響していた。3歳秋以降は有志のファンによって、競馬場には『ゼファー魂』のほかに、『テンペスト魂』の横断幕や幟が掲げられるようになり、英国やアメリカの競馬場でも掲げられていた。
テンペストファンは老若男女問わずいたが、一番目立ったファンがおじさんだったため、テンペストクェークの熱心なファンを総じて『テンペストおじさん』と呼んでいた。
その一番目立ったおじさんこと、狂人の類と呼ばれ、各多くの伝説を残した一般人(おじさん)である。
エピソードとしては、
・新馬戦のときのテンペストクェークに数万単位の金額を投入
・以後、すべてのレースを競馬場にて観戦(日本中の競馬場はもちろん、ドバイ、イギリス、アイルランド、香港、アメリカすべて)
・日本ダービー以降、有り金すべてをテンペストクェークに賭ける
・応援のために仕事を辞めて無職になる
・香港で一般人としてインタビューを受けるが、テンペストのレースをすべて観戦するために無職になったことを笑顔で語り、インタビュアー、スタジオの出演者含めて全員をドン引きさせる。
・アメリカ遠征のウッドワードSでテンペストが敗れた時も、帰りの飛行機代を含めた有り金すべてを賭け、すべてを失った。
・競馬場にいたアメリカ人と意気投合し、十数ドルを貸してもらう。そこから別のレースで帰りの飛行機代と当面の生活費を稼ぐ。
・BCクラシックで興奮しすぎて病院送りになる。
・テンペストとの日々(勝手に追いかけているだけだが)をつづったブログが大ヒットし、漫画などになった。
都市伝説のような話だが、全て本当のことらしい。
テンペストクェークの産駒のレースを見に、日本全国の競馬場に現れるらしく、目撃情報がたびたび上がっている。
なお、自分のマネは絶対にするなと本人はたびたび忠告しているので、真似はしないようにしよう。
その他・記録
獲得賞金について
テンペストクェークの生涯獲得賞金額の20億1727万1910円は当時の世界最高記録だった。その後、2019年にウィンクスに更新されたものの、日本記録としては2022年現在も最高記録である。単年の獲得賞金額は古馬王道グランドスラムを達成したテイエムオペラオーに続いて2位である。欧州4連戦の賞金額が低いから仕方ないね……
相棒・高森康明
これまでの通算成績や勝ち鞍を見る限り、日本国内外の実績のある騎手が騎乗していても何らおかしくはない。しかし、22戦のすべてを騎乗したのが2005年時点までGⅠ勝利数0勝の高森康明騎手(当時47歳)であった。実際、空前のライバル対決と呼ばれた宝塚記念までは、「もっといい騎手に替えろ」などと批判されることも多く、精神的に追い詰められていたことも告白している。しかし、毎日王冠以降、初のダートで相手がアメリカ最強馬だったウッドワードS以外、すべてのレースで勝利しており、高森が騎手として失敗したレースは一度としてなかった。「テンペストクェークは誰が乗っても勝利することができる馬である」という批評も聞くことが多いが、調教師がそれを否定している。
「高森騎手はテンペストの強さを一番知っていた。誰よりもテンペストを信頼していたからこそ、あれだけ大胆な騎乗をすることができた。そしてテンペストも彼の指示に忠実に従っていた。皐月賞でしっかりと折り合いをつけることができたこのコンビを、実績がないからという理由で替えるなんてことは考えなかった」、「テンペストは結構プライドが高いし、何より賢い。気性はいいし、優しいから勘違いしがちだけど、信頼した人間にしか本当の意味で心は開かない。高森騎手のことは本当に心から信頼していたし、乗り替わりなんてしたらまた一から信頼関係の構築をしないといけない。それにテンペスト自身が信頼している高森騎手を替えたとなると、それを指示した我々調教師たちに不信感を持つようになるだろう」と調教師の藤山は語っている。テンペストクェークと高森が信頼し合っていることを証する映像や写真、エピソードは多数残っており、人馬一体という言葉が似あうコンビであった。
高森康明騎手は、2度の落馬事故で騎手生命を危ぶまれるほどのケガを負っている。そのうえ交通事故で死の淵に立たされたこともあるほど、苦難の人生を歩んできた。しかし、そのたびに騎手として復活し、最前線で戦い続けた不撓不屈の精神を持った騎手である。そんな彼が晩年に出会った馬が、世界最強の馬であった。この出来すぎた物語のような話は、のちにドラマとなった。テンペストも本人役としてしっかりと出演している。やっぱUMAだよこいつ。
ちなみにテンペストクェークと過ごした日々を書いた著書を執筆している。書いている内容は割と気持ち悪いが、普通に面白い。本人の語学力が無駄に発揮されたのか、英訳版も出版されている。
馬術馬、テンペストクェーク
種牡馬として活動する一方、オフシーズンには馬術馬として大会に出場していた。本来サラブレッドは馬術馬には向いていないうえ、種牡馬を経験した馬はもっと向いていないといわれている。しかしテンペストクェークにはそんなことは関係なかったようで、試験を全く問題なく合格し2009年から馬術大会に出場し始めている。ただ、流石にケガのリスクを考慮して障害馬術はNGだったようである。
2012年にはロンドンオリンピックの馬場馬術個人と団体に出場。個人で金メダルを獲得した。1932年のロサンゼルスオリンピックの西竹一以来の馬術での金メダルであった。
その後、英国に渡ったことで馬術馬を引退した。
後にも先にも種牡馬として現役中の馬が、馬術で金メダルを取ることはないと断言されている。ある意味競馬よりも意味不明な偉業を達成している。
そしてこの功績から、UMAの称号を世界から与えられた。
ちなみに産駒で牡馬は賢く、素直で大人しい馬が多いため、競走馬になれなかった、引退した馬も馬術馬や乗馬馬になれる割合が高い。あとタフで頑丈なので、サラブレッドなのに馬術や乗馬の世界で重宝されている。
記録
生涯獲得賞金 20億1727万1910円
テイエムオペラオーの18億3518万9000円を更新。世界記録。
1走り当たりの獲得賞金額 9169万4177円
テイエムオペラオーの7058万4192円を更新。
平地GⅠ 14勝
シンボリルドルフ、テイエムオペラオーの7勝を更新。
平地GⅠ 10連勝(GⅠ競走以外の競走を挟まない)
ロックオブジブラルタルの7連勝を更新。世界記録。
平地GⅠ 年間7勝(7戦無敗)
テイエムオペラオーの5勝を更新。
平地GⅠ 13戦連続連対
テイエムオペラオーの9戦連続連対を更新。
平地GⅠ 19連対
テイエムオペラオーの11連対を更新。
平地重賞 16勝
テイエムオペラオーの12勝を更新。
平地重賞 14連勝
テイエムオペラオーの8連勝を更新。
6か国のGⅠ競走勝利
11競馬場でのGⅠ勝利
WTRR単独世界一
タイムフォームレーティング単独世界一
カルティエ賞年度代表馬
エクリプス賞年度代表馬
英国競馬殿堂入り
米国競馬殿堂入り
顕彰馬
2012年ロンドンオリンピック 馬場馬術個人金
記録の大体がテイエムオペラオーのものを更新している。国内は12戦9勝であるため、中央競馬だけの記録はそこまでぱっとしない(GⅠ5勝)が、海外では10戦9勝(GⅠ9勝)と無類の強さを発揮しており、中央競馬との記録を合算すると世界記録をいくつも更新している。
血統
背景
父ヤマニンゼファー、母セオドライト、母父サクラチヨノオーという血統。全妹にヤマニンシュトルムがいる。父、母父共に産駒成績はぱっとしないうえ、島本牧場という小規模な牧場出身ということもあり、生まれたときから高い評価を受けていたわけではない。
母は史上最高の名牝と呼ばれる牝馬であるが、テンペストクェークが最初の産駒であるため、この時はただの繁殖牝馬に過ぎなかった。
この異色ともいえる配合は、生産牧場の牧場長、島本哲司の趣味による配合であることが、インタビュー等で明かされており、ロマン配合の大成功例として挙げられている。
この場長のロマンが原因で世界の血統図の変化を与えることになるとは誰も思わなかった。思ってたまるか。
血統図
主な産駒
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関連項目
諸事情により感想返しができていませんが、全て目を通りしております。
いつもありがとうございます。