北海道某地方
ここには、日本最大級の種牡馬繋養施設がある。競走生活で華々しい活躍が認められたほんのひと握りのサラブレッドだけが、この地で種牡馬となれるのである。
テンペストクェークは総額60億円という途方もない金額でシンジケートが組まれ、2008年より種牡馬として供与される予定であった。
この地にやってきたテンペストクェークは、健康状態のチェックなどを受け、数多くの名馬たちが過ごした、過ごしている厩舎、放牧地に繋養されることになった。
「もう、併せ馬をしていますね……」
スタッフは、放牧地で隣り同士になった二頭の馬をほほえましそうに見守っていた。
大柄の鹿毛の馬と、小柄な鹿毛の馬であった。
「ディープの方もライバルのことを覚えていたみたいですね」
馬房も隣同士で、隣に新しい馬がやってきたと興味を向けていたディープが、テンペストクェークの姿を見て、嬉しそうに嘶いていた。
今も、2頭は一心不乱に柵ごしで走り回っている。
それを見て、近くで放牧されているシンボリクリスエスも嘶いて、2頭を眺めていた。
「藤山先生たちから聞いていた通り、馬から好かれやすいんですかね」
「もともと美浦全体のボス馬だったらしいけど、暴君ではなかったらしい。なんにせよ、ストレスを感じていないみたいで、よかったです」
「あとは、受精能力や種付けが好きなら完璧だな」
小柄な牝馬しか好まないというとんでもない種牡馬や、種牡馬入り後に無精子症だと判明した馬もいないわけではない。ただ、テンペストの雄としての能力はおそらく大丈夫だろうと考えられていた。
テンペストはシンジケートの関係もあって、種牡馬入りしたのがやや遅かった。そのため、1月中旬から試験交配が始められる予定であった。
「多分、大丈夫だと思いますよ......」
「「……大丈夫だよね?」」
――――――――――――――――
俺は馬である。
俺が第二の故郷から旅立ってからそこそこの時間がった。
新しくやってきた場所は、そこそこの馬が住んでいるところであった。
そこには、新しく見る馬がたくさんいた。ただ、見知っている馬も結構いた。
『ひさしぶり』
『ああ、ひさしぶり』
あの小柄な馬もいたのだ。もう走っていないのか、ちょっと太った姿であった。
どうやら俺はこいつと共同生活を送ることになるみたいだ。
『初めまして』
こっちには見たことがない馬もいる。黒くてでかいな。俺と同じくらいかちょっと大きいかもしれない。耳がちょっと特徴的だな。
『これからよろしく』
『うん、よろしく』
どうやら暴れん坊な性格ではないようだ。彼とも仲良くできそうだな。
こうして、俺は新天地で新しい仲間と生活を送ることになったのだ。あの煩い親友兼ライバルもいるし、俺の恩人?恩馬?である黒いアイツもいた。あと、威嚇ばっかりしてくるけど、海外で喧嘩したあの馬もいた。
皆ここに来ていたのか……
そういえば俺って何すればいいのかなあ。のんびり過ごすのもありだが、それはそれでつまらん。
そう思っていた時期が、私にもありました。
『早く、早く!』
なんか目の前にもっさりとした感じの雌馬がいた。なんか今まで見てきた雌の馬とは違う感じ。そして周りには人間がたくさん。
……え?
「……テンペストクェークが牝馬に興味を示さないのですけど」
「……やばくないっすか?」
なんか周りの人間もあたふたしているし、俺、何かやっちゃいました?
前の雌の馬はなんか早く早くって言っているし。
「もしかして、発情に反応していないのか?」
あれ、これってもしかして、俺にヤれといっているのか?
……俺の仕事ってもしかしてこれ?
雌馬と交尾することが俺の仕事なのか?
というかこのために俺はここに呼ばれたのか。人間って不思議だねえ。
さて、周りの人間が青い顔をし始めているし、そろそろちゃんとしないとやばい。
思い出せ、2年くらい前のレースを。あの時は俺の息子は臨戦態勢になっていたはずだ。
『よしよしよし!来たぞ!』
「うわ!いきなりなんだ!ってああ、よかった」
とりあえず俺のご立派様を見て安堵するみんな。
ふむ、雌馬からいい感じのフェロモンというかそんな感じのオーラを見たいなのが出ているし、それも利用していけばいいのか。なるほど、なるほど。
で、交尾ってどうやるの?
自慢じゃないが俺は野生の本能は捨てている。
とりあえず雌馬の周りをまわってみるが、当然何もない。
「どうしたんだ!テンペスト……」
ああ、またみんなの顔が曇り始めた。
とりあえず後ろに立ってみよう。
『どうしたの?』
『……どうしよう』
「もしかしてやり方がわからないのか?」
俺があたふたしていると、俺の周りで見守っていた人間の一人が牝馬のとある部分に指を向けていた。
……なるほど。そこに入れればいいのか。
『ありがたや、ありがたや』
こうして、俺は脱童貞となったのだ。
いや、雌馬とヤる頻度多いなあ!
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「種畜検査の結果が出ましたよ。良好ですって」
テンペストクェークの試験交配の結果は良好であった。種畜検査の結果、彼の精液には精虫がウジャウジャいるという表現が正しいほどの結果をたたき出していた。これなら受精能力に問題はないとスタッフたちの一安心していた。
その一方で問題も発生していた。
「……ヘタクソですね」
「ええ、下手ですね」
テンペストクェークは種付けが上手くなかったのである。種付け練習が行われているが、ぎこちない様子を度々見せており、馬自身も困惑している様子だった。
「おそらく今年は200頭近く種付けすると思うから、早くてうまい方がいいんですけどねえ……」
すでに多くの関係者から種付け依頼が殺到しているのが現状である。一日に4頭近くの相手をしないといけない場合も想定できるため、種付けが上手いことに越したことはないのである。あとは交配の際の事故も減らすことができる。
「ただ、少しずつ上手になってきていますので、もう少し練習をさせてみて、今後のことを考えてみましょう」
「そうですね」
テンペストの試験交配の話は終わり、次は近々行われるイベントについての話題となった。
「そろそろ、種牡馬展示会ですね。今年はテンペスト目当ての人も多いから大変だな。特に渉外担当が……」
テンペストクェークに熱烈な視線を向ける関係者は、日本だけではない。むしろ、欧州といった海外の関係者の方が熱烈な視線を向けている。彼らとの交渉や契約を取りまとめる渉外関係の仕事をしている職員は地獄のような忙しさであった。相手はアラブの王族や英国の王室や貴族といったやばい人達も多いのである。
「とりあえず、彼の性格や習慣なんかをしっかりと調査して、快適に種牡馬生活を送れるようにしましょう」
「そうですね。藤山厩舎からは、おとなしくて手がかからないし頭がいいって言われているので、大丈夫だとは思いますけどね」
「頭がいい馬は割と癖が強い馬が多いのよ。まあ、今のところは大丈夫だけどね」
人間に従順で賢い馬と評判のテンペストクェークは、種牡馬施設のスタッフからも手がかからなくていいと思われ始めていたのであった。
「引退したのに馬体は立派だなあ……」
「……今年も走れたんじゃないか?」
2008年の種牡馬展示会が、2月中旬に行われていた。多くの人が集まって、カメラを向けていた。引退して数か月がたっていたが、筋骨隆々な馬体は相変わらずで、まだ現役で走れたんじゃないかと思った関係者も多かった。
『今回の展示会に当たり、美浦より藤山先生がお見えになっておりますので、応援のメッセージをいただきたいと思います』
『よろしくお願いいたします。美浦トレセンで調教師をしております、藤山順平です。昨年までテンペストクェークを管理しておりました』
藤山調教師が話し始めると、「知っている声だ!」といわんばかりに反応し、声のする方に向かおうとするテンペスト。それを必死で止めるスタッフの攻防が見えた。
『……私の声を覚えてくれているみたいですね。本当に賢いです。さて、テンペストクェークですが、馬体を見ての通り、ザ・短距離馬といった馬格をしております。ただ、宝塚記念での走りを見た通り、中距離でも問題なく走れる能力を持っております。能力は現役時代の彼の走りを見てもらえればわかりますが、スピード、瞬発力、パワーすべてが最高峰のものを有しております。そして、気性もよく、賢い。何より頑丈でタフです。これらの要素を受け継いでくれる産駒が必ず現れると思います』
『祖父ニホンピロウイナー、父ヤマニンゼファー、そして母父サクラチヨノオー、3代先までの血統には、昭和から平成初期にかけて日本競馬を盛り上げた名馬の血が流れております。この血を受け継いだ産駒たちが競馬場を駆け回ることを期待しております』
『これから、種牡馬としてのテンペストクェークをよろしくお願いいたします』
藤山の挨拶が終わると、スタッフによってテンペストクェークの解説が行われる。22戦18勝GⅠ14勝。6か国のGⅠ競走を勝利した驚天動地の戦績はすでに全員が頭に入れている情報であった。
テンペストクェークが本当に種牡馬として活躍できるかは未知数である。心配されているのは血統的な魅力が低いことである。ただ、専門家に言わせれば、決してダメ血統ではないということだ。むしろ、非主流血統であることの方がありがたかった。SS系の後継種牡馬はディープインパクトを筆頭に数多く存在している。そのほかにもシンボリクリスエスやキングカメハメハといった期待の種牡馬たちの血統から外れたハビタット系が主流血統となってくれれば、より多様性が生まれるのである。
『種付け料は800万円のキャリアスタートとなります。すでに数多くの依頼が来ております』
初年度の種付け料は800万円。シンジケートの額にしてはかなり安めの金額である。そのため、すでに種付け依頼がかなり来ていた。
「……あとはテンペストクェークが種付けに慣れてくれればすべてが解決するのにな」
「それなんですが、藤山先生が「だったら、他の馬の種付けの様子を見せてやればいい」って言っていたので、今度ディープインパクトの種付けの様子を見せることになりました」
「……ええ」
「ライバルの種付けの様子を見させられるとか、意味わかんないなあ……」
その後、ライバルの交尾の様子を見せられるテンペストクェークの目はどことなく死んでいた。
何はともあれ、展示会は大成功に終わり、テンペストクェークの種牡馬としての最初のシーズンが始まった。