中山競馬場第5R:2歳新馬戦(芝・右・2000m)
俺は馬である。
この大きな牧場?いやトレーニング施設?は結構すごい。
プールがあるのは面白い。俺はどうやら泳ぎは得意ではない。だが、水につかって全力で泳ぐというのもなかなかハードだったりする。
そして最近は扉のようなものに入る訓練を受けている。
これは見たことがあるぞ。
たしかスタートをするときに馬が入るゲートだったと思う。
俺にとっては怖くもなんともないのだが、普通の馬にとっては恐怖の対象だったりするらしい。
【怖い、出たい】
【ひどい、やめて】
ゲートに入らないと、スタートができないし、競馬場で走るためには必須の技能なのかもしれない。人間もかなり大変そうにしていた。
「テンペストはゲートも苦にしないようだね。最初はスタートが苦手だったようだけど、最近はうまく出ることが出来ているようだし、能力試験も無事に合格できそうだ」
「基本的には我々の指示に従ってくれるので、ありがたいです」
俺は優秀なようで、たびたび人間から期待の目で見てもらえる。多分俺と同じ年の馬で俺より速いやつはいないだろう。
「一度馬房を抜け出したときはどうしたものかと思ったが、注意したらやめてくれたな」
「ただ、生まれたときからストレスが溜まると奇行にはしると聞いていますので、定期的に自由に散歩させたり、けがをしないように遊ばせる必要があります」
ここでも、ここの施設の大きさとかを見てみたかったので、部屋を抜け出したんだけど、すぐに見つかってしまった。前にいた牧場の時はある程度成功したのに……
と思っていたが、よく観察すると、そこら中に監視カメラがあった。
さすがにあれはかいくぐれねえ……
ただ、その後に、自由に走り回る時間をくれたり、ジャンプするハードルのようなものを作ってくれたりしたので、その辺はありがたく思っている。
まあ見ていなさい。簡単に勝ってみせるからな。
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俺の名前は高森康明。
JRAの騎手として、日々馬に騎乗している。
年齢は……そろそろ体に悲鳴が出始める年齢とだけ言っておこう。
藤山厩舎に所属して、藤山調教師の管理する馬に乗っている。
え?この年齢でフリーじゃないかって?
今までいろいろとあったので、昔から恩のある藤山先生にお世話になっている。
つまりそういうことだ。
「最近の若い子は凄いねえ……俺も馬が良ければな~」
自分でもわかっている。馬のせいではないと。自分の実力不足だということも。
ただ、それでも若いころはG1を狙える馬に乗せてもらってた。それで入着だってしたこともある。
運も実力も足りない人間は、この世界ではやっていけない。
それでも俺は最後のときまであがき続けるしかない。
「それにしても改まってなんだろうな」
俺は、藤山先生に呼ばれていた。飯を食わせてもらっている以上、先生の言葉は絶対である。返せないほどの恩もあるので、急いで先生のところに向かった。
厩舎には1頭の鹿毛の馬と厩務員、調教助手、先生が立っていた。
鹿毛の馬は自分の方に顔と耳を向けていた。ただ結構大柄な馬である。
たしか夏前くらいに厩舎に入厩した馬だと聞いている。名前はテンペストクェークだったな。来てすぐにゼンノロブロイと大喧嘩をしたとかで話題になった馬だ。
そして先生たちが一番買っている競走馬でもある。
「高森くん、単刀直入に聞く。君はG1の舞台に立ちたいか?」
いきなりの質問であった。
「当然です。そのために私はこの歳まで現役を続けているんです」
この言葉を聞いて、NOと答えるジョッキーはいないだろう。
それにしても先生にここまで言わせる馬なのか……
「結構。君にはテンペストクェークの騎手としてこれから頑張ってもらいたい」
「わかりました」
「彼は賢い、それに素直だ。競争能力も優れている。少なくとも重賞は獲れるとは思っている」
そんな素質のある馬なのかとテンペストクェーク……長いからテンペストと呼ぶか。
体は大柄だが、どことなく貧乏くさい。具体的には毛並みがあまりよくない。流星も靴下もないので、大柄なこと以外はよくいるサラブレッドといった感じである。
ただ、筋肉はしっかりとついているので、しっかりと走ってくれるとは思う。
「デビュー日も決めてある。12月中旬の新馬戦を予定している。来週には最終追い切りを行うから、準備しておくように」
「承知しました」
先生は他の馬の様子を見に行ってしまったので、残ったスタッフの人達に彼の性格や特徴などを聞いていく。
担当厩務員の秋山元彦曰く、普段は大人しく、真面目な性格。不機嫌な時でも蹴ったり噛みついたり、モノに当たったりしないから助かるとのこと。賢いからある程度自己管理もできるようである。
調教助手の本村昭文曰く、自己主張はそこまで激しくない。ただ、嫌な時は断固として動かなくなるので、頑固な性格でもある。ただ、そういう時は決まって体調がちょっと悪かったりするときだから自己管理能力は自分が見てきた馬の中でも群を抜いて一番とのことである。
話を聞きながら彼の方を見ると、自分の名前が呼ばれると、耳が反応していたりした。
やはり彼は頭がいいのだろう。
そういう馬には、誠実な態度をとるのが一番である。
「テンペスト、俺は高森。君の上に乗る人間だ。これからよろしく頼むよ」
首を撫でられるのが好きらしいので、撫でてあげると、喜んでいるようであった。
こうして俺とテンペストの初めての顔合わせは終わったのである。
新馬戦の数日前の最終追い切りの日、俺はテンペストの上にいた。
正直、騎手と馬の相性は乗ってみないとわからない。それどころか、実際の競争にならないとわからないときもある。なるべく早く彼の走りを見極めなければならない。
彼は大柄な馬ではあるが、これくらいなら何度も騎乗したことがあるので特に問題はなかった。
そして、俺はこの馬の潜在能力の高さに驚かされた。
どうやら、4F(800m)のタイムがベストを更新したらしい。自分が想定したタイムより早くなってしまったのは反省点である。しかし、明らかに緩そうにしていたので、少しだけ早めのラップで走らせた。もちろん100%以上の力で走るように指示したわけではない。むしろ、最後少しゆとりを持たせたと思う。まだデビューに向けて調教している馬にそこまで求める必要はないだろう。
「すごいな、この馬……」
タイムもそうだな、まっすぐしっかり走ってくれるのもいい。意外に本気で走ると斜行してしまう馬も多かったりする。全力ではないとはいえ、右回り、左回りも特に苦にしていない。
聞けば輸送にも強いとのこと。
いろいろな選択肢が広がるのは、馬が勝ち上がっていくうえで重要な要素でもある。
「どうでしたか?いい馬でしょう」
藤山調教師が騎乗した感想を聞いてくる。
「これは、才能の底が見えませんね」
「そうでしょう、そうでしょう。馬体が成長してきた秋ごろから少しずつ調教を行ってきたけど、どんどん良くなってきていますよ」
「先生や本村さんが専属で調教をしていて、どんな馬なのかと思っていましたけど、納得できます」
自分はテンペストクェークの調教に参加していなったため、これが初めての騎乗であった。
先生と調教助手の本村さんが専属で調教をしていたらしい。
「それにしても、新馬戦は2000メートルなんですね。馬格や父方の血統から考えればもう少し短い距離でもいいような気がしますが」
ヤマニンゼファーは天皇賞秋を勝利しているが、得意な距離はどちらかといえばマイルよりだろう。祖父のニホンピロウイナーに至ってはマイルよりも短い距離の方が得意だったとも聞いている。
「確かに見た目は短距離馬なんだけど、調教の様子を見ていると、2000メートルくらいなら問題なく走れるようでね。それならやっぱりクラシックを目指したいですから」
「なるほど。皐月賞を目指すなら2000メートルは経験しておいた方がいいですね」
「予想以上に距離の柔軟性がありそうです。天皇賞や宝塚記念も目標にしたいです」
「この馬となら、その舞台も目指せるかもしれません。まずは新馬戦をしっかりと勝っていきます」
俺は一度もGⅠを勝利したことがない。
それにもう年齢も年齢だ。
これが最後のチャンスかもしれない。
悔いのないようにこの馬と戦っていこう。
「その言葉を聞いて安心しました。馬主の方はこの馬が初めての所有馬だそうだ。是非とも初勝利をプレゼントしてあげたいところだ」
初めてでこの馬を引き当てたのか。なんというか凄い人だな。
「日曜が楽しみだな……」
俺と彼の長くて短い相棒生活がスタートしたのであった。
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12月12日(日)中山競馬場
中山競馬場では、今日は12レースの開催が予定されていた。メインレースは11Rの朝日杯FSであった。
テンペストクェークはこのレースではなく、午前11時55分発走の5Rでデビューする予定であった。
芝/2000メートルで争われる本レースは、テンペストクェークをふくめて14頭で行われる予定である。
メインレースがG1レースということもあり、いつもよりも人が多く競馬場に入場していた。
「すいません、島本さん。付き合ってもらっちゃって。初めてが多いもので、勝手を知らないもので」
「こちらもうちの期待の1頭の初レースですから、倅と一緒に来てしまったよ」
「西崎さん、お久しぶりです」
オーナーの西崎、島本牧場の島本親子が中山競馬場のパドックを観察している。まだ4Rを走る馬がパドックを歩いているため、それを眺めながら、今日のレースのことを話していた。
「それで今日のレースですが、うちのテンペストは勝てそうですか?」
「えーっと今の人気は5番人気ですね。追切のタイムが評価されたみたいです。ただ、パドックの様子でこの人気は大きく変化しますし、そもそも一番人気が必ず勝つわけでもないので何とも言えないです」
「調教師の藤山先生の話だと、調子はいいとは言ってましたね。騎手もベテランの高森騎手なので、まったくのダメって感じにはならないと思います」
馬主として細々と活動したこともある島本牧場の二人が、初心者のオーナーの質問に答える。
「私もいろいろと調べたのですが、不確定要素が多すぎて……」
「競馬とはそういうものですからねえ。ところで馬主席の方にはいかないのですか?」
競馬場には馬主が入れる場所が存在する。彼はそこに入る資格のある馬主である。
「ちょっと気後れしまして。ここでお二人と観ているほうが楽しそうです」
((馬主のコミュニティーに興味があるから馬主になったんじゃないのかい))
「まあいずれ慣れたら行こうと思いますよ。お!あの馬白くてかわいいですね」
ドキドキとハラハラの新馬戦が始まろうとしていた。
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俺は馬だ。
今俺は人間と一緒に馬の尻を見ながら歩いている。
柵の向こうには人間がそれなりにいた。
どうやらここで俺を品定めしているようである。
そしてここは競馬場なのだろう。
トラックで運ばれて、見知らぬ土地にきて、見知らぬ場所で過ごした。
いつも俺の世話をしている人たちが、緊張した顔をしてるので一発でわかった。
今日は俺の初レースの日であることが。
「今日も落ち着いているな。これなら大丈夫そうだ」
ここは、俺たち馬の様子をみて、馬券を買うための場所なのだろう。
実際に俺たちを食い入るような目線を向けている人が多くいる。
お!あそこにいるのは、俺が生まれた牧場にいた人間だ。
わざわざここまで来てくれたのか。
少し挨拶をするかな
「って、どうした?」
少し立ち止まって、彼の方を向いてヘドバンをする。
そうすると、彼らが俺の方に指をさしていた。
よし。
「何だったんだ?もしかして知っている人でもいたのか?まさかな……」
そういえば馬券を買う人達はどういう基準で俺たちを見ているのだろうか。
少しサービスするかな。今日は俺が勝つだろうし。
「うお!どうした!」
俺は二本足で立ち上がり、元気があることを周りの人に見せつけた。
その後も頭を揺らしたり、スキップみたいなことをして馬券師にアピールをした。
「おいおい、入れ込んでいるのかよ……」
「テンペストクェーク……父はヤマニンゼファーか。応援程度に買うかな」
「ちょっと見栄えが悪いかな?しかし……」
あれ?おかしいなあ。
なんか俺をみる目線がこころなしか冷たくなったような。
「やっぱり緊張しているのかな。大丈夫だぞ~」
俺を引いている人間も俺が暴れだしたのかと思い、俺の首をさすってくる。
うーん気持ちいい。
「とまれー!」
よくわからん声と共に、俺を引く人間が歩みを止めたため、俺も歩くのを止める。
しばらく待っていると、ちょっと前に俺の上に乗ったおじさんが近づいてきた。
「今日はよろしく、テンペスト」
どうやら彼が俺の騎手らしい。
そうか、俺がお前を勝たせたるからな。
さあ行こう。
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時間になった。
俺はテンペストの上に乗る。手綱の調節もいい。鐙もしっかりしている。大丈夫だな。
後は誘導馬に従って、本馬場に行くだけだ。パドックで暴れた?ようだが、今は落ち着いている。汗もかいていないし泡も吹いていない。いつも通りだ。
「さあ、行こうか」
(俺に任せときな)
返し馬では、改めて芝の状態をチェックする。そこまで荒れていないし、内側も使えそうだ。
(それにしても、芝を走るのは気持ちええなあ)
なんかあまり集中していないと感じるのは気のせいだろうか。
「入れ込みすぎるよりはマシかな」
こうして俺たちはゲートのある場所へと向かった。
今回の俺たちは1枠1番である。見事な最内枠である。
ファンファーレが鳴り、いよいよレースの始まりである。
新馬戦らしく、ゲート入りをごねる馬もいたが、大きな騒ぎはなく、大外以外の馬がゲートの中に入った。
「ふ~」
『最後に大外のレーベンが入りまして、全頭ゲートイン完了……』
ガシャンという音が鳴り、ゲートが開いた。
そして、テンペストは最高のスタートを切って、先頭に躍り出て、そのまま加速していった。
「って、逃げるのかいな」
どうやらなかなか大変なことになってしまったな……
『……スタートしました。先頭に立ったのは内枠1番のテンペストクェーク。最高のスタートを切って、先頭に躍り出ています。二番手はベルグオース、三番手はサンワードハッスルとなっております。おおっとテンペストクェークそのまま後続に差をあける、これは逃げでしょうか……』
(とりあえず、一番早くスタートして、一番早くゴールすれば勝ちだもんな)
「掛かっているわけじゃないのか……」
『……前半3ハロンは35.2。新馬戦ではかなり速いペースです。これは持つのでしょうか。すでに後続にかなりの差をあけております。二番手集団は変わらずベルグオースとレーベン、シャイニングスルーが続きます……』
ペースは速い。自分の計算ではおおよそ1ハロン11秒後半のペースで走っている。
「自分でペースを作っているのか……」
調教の時もペース通りに走る馬だったと聞いているが、本番でも発揮できるとは。だが、このペースが持つのか。
そのまま第三コーナーを越え、第四コーナーに差し掛かるとき、テンペストのスピードがやや緩んだように感じた。
(やべえ、キツイ!)
『第四コーナーを越えて先頭は依然としてテンペストクェーク。後続も必死に追っているがこれは捉えることが出来るか……』
「テンペスト、頑張ってくれ!」
後続から次々と馬が迫っているのが分かった。
『200メートルを切って坂を駆け上る。外からアクレイムが伸びてくる。しかしテンペストクェーク、これは残るか、残るか!これはセーフティーリードか』
(この距離なら、多分大丈夫だろう……)
彼が力を抜いた瞬間、ゴールを駆け抜けていた。
『テンペストクェーク一着でゴールイン。三馬身差で逃げ切りました。勝ち時計は2.02.1。二着はアクレイム、三着はシャイニングスルーです。四着は……』
(うへ~疲れた……)
「何はともあれ、初勝利だ。よくやったよテンペスト」
(これで俺の強さも本物ってことだな)
なんだろう、疲れた顔をしているが、どことなく調子に乗っているように見えるのは気のせいだろうか。
「いろいろ課題があるレースだったが、とりあえず勝つことが出来てよかった」
いろいろ、ね……
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『一着はテンペストクェーク。見事な逃げでした。続いて二着は……』
目の前で、自分の馬が勝利する。その瞬間の喜びを西崎は感じていた。
「私の馬が勝ったぞ~!」
いい大人が子供のようにはしゃいでいた。
「それにしてもボーのやつ、逃げ馬だったのか」
「馬群が嫌いってことなんですかねえ……」
二人はレース内容に少し思うところがあるのか、頭をひねっていた。
「まあ何はともあれ……」
「「「勝ててよかった~」」」
こうしてテンペストクェークの新馬戦は、勝利で終わった。
様々な課題を残しつつも……
彼の脚質は、逃げ「以外」です。
でも競馬初心者は大逃げが強い馬って感じちゃうよね。
私もそうでした……
レースの反省会は次回に
実際のレースのタイムはもう少し遅いですが、大逃げ馬の影響で展開が早くなってしまったと思ってください。