10ハロンの暴風   作:永谷河

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馬術の道へ その1

2007年、華々しい成績を残して現役を引退したテンペストクェークは、翌年、日本で種牡馬となっていた。

種牡馬入りでかなりの関係者が苦労したようだが、それでも無事に種牡馬として活動を始めていた。

そんなある日、テンペストを管理する馬産グループに衝撃の連絡が入ったのであった。

普段なら話半分でお断りするような内容の話であったが、今回は相手が問題であった。

 

 

「テンペストクェークを馬術馬として活動させてほしいって……」

 

 

「JEFも一体何を考えているんだ。そんなもの無理に決まっているだろう。現役種牡馬が馬術なんて……」

 

 

テンペストクェークは種牡馬である。そしてその価値はシンジケートの金額で60億円以上。その権利関係も3か国が関与している。

何より、現役種牡馬が馬術に出場するなんてことは考えたこともないし、考えようとも思わない。

 

 

「一体なにを思って馬術馬にしたがっているんだ……いくらテンペストクェークの気性が良く、操縦性が良い馬だとしても限度がありますよ」

 

 

「まったく、あちらさんも困ったものです」

 

 

競走馬から乗馬、馬術馬になるためには、それなりの訓練が必要である。ましてや種牡馬を経験した馬はもっと扱いが大変になる。簡単に馬術馬になれるわけではないのである。

「まあ、テンペストクェークのブランドを利用したいだけでしょうね」と幹部たちは笑っていたが、今回の要請の発起人の名前が割とシャレにならない人物であったため、一抹の不安も感じていた。

結局、シーズンオフの期間に「体力維持のため」という名目で、簡単な訓練が行われることになったのであった。当然障害馬術などというリスクの高い種目には、全員が猛反対したため、馬場馬術に絞って行われることになった。

 

 

2008年の種付けシーズンも終わり、従業員たちもいち段落が付いたころ、テンペストクェークの馬術訓練が行われることになった。

 

 

「馬場馬術の馬は、若駒時代から調教していく馬も多いですし、そもそもサラブレッドという品種そのものが向いていないといわれているわけですよ。テンペストクェークはずっと競走馬として育てられてきましたし、種付けも経験してます。オフシーズンだけ訓練して馬術馬になれるほど甘い世界ではないですよ。それに競走馬として優秀な体格をしていても、馬術馬として優秀とは限りません」

 

 

見学に来ていたJEFの関係者に説明するテンペストの関係者たち。

引退馬が馬術競技用の馬になることは珍しいことではない。しかし、時間をかけてゆっくりと調教していくものであって、種牡馬生活を送りながらできるようなものでは到底ないのである。

なんでこんな面倒なことを……というのが正直な感想であったが、同じ『馬』にかかわるものとして、蔑ろにすることはできなかった。

態度には見せていなかったが、「何言ってんだよこいつらは」という考えを持っていた馬産関係者は、一人の大御所の馬術関係者の一言で凍り付いた。

 

 

「私は見ました。故郷の島本牧場で美しい馬術を見せるテンペストクェークの姿を」

 

 

「「「……え?」」」

 

 

久しぶりに人を乗せるのが楽しいのか、ウキウキな気分で鞍上の指示に従って歩くテンペストクェークは、最初は普通に走り回っていた。しかし、鞍上が指示を送ると、きれいな歩様を見せ、規則正しい運歩を見せていた。その姿は、間違いなくある程度訓練された馬術馬にしかできない芸当であった。

 

 

「私、聞いていませんよ。テンペストクェークが馬術の初歩をマスターしているなんて」

 

 

「一体誰が、って島本牧場?何やってんだよ彼らは!」

 

 

「昨年の6月ごろに馬術の練習をしている姿を見て、この馬だ!と私も思ったわけですよ。それがテンペストクェークだったんですが……」

 

 

島本牧場で哲也が運動と称して馬術を教え込んでいた様子を見かけたときのエピソードを話す初老の男性。そして頭を抱える馬産関係者たち。

 

 

「現役の競走馬、それも世界最強の馬に何を教え込んでいるんだ……」

 

 

あくまで初歩であるが、馬術を短時間で習得し、1年近く経過しているのに、覚えているという驚異的な記憶力と学習能力に驚愕していた。

 

 

「すぐに島本牧場の関係者を呼んでくれ。話が聞きたい」

 

 

「ああ、また仕事が増える……」

 

 

仮に馬術馬として活動するとしても尋常じゃないほどの苦労が予想される。テンペストクェークの権利関係は3か国にまたがっているため、そこをクリアすることも難題であった。むしろ海外の彼らが強固に反対してくれと願うほどであった。

また60億円という価値のある馬に乗って大会に出場するという選手がいるのかどうかも怪しい。

心の底では、多分どこかで無理が生じて、この話はなかったことになるだろうと全員が思っていたのであった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。

レースから引退した俺は、てっきり死ぬまでゆっくりできるものかと思ったが、実際のところはそうではなかった。

毎日のように雌の馬と交尾をするという仕事が俺に課されていたのである。

最初はやり方がわからなくて苦戦したし、あの小柄な馬の交尾の様子を映像で見せられて……

一番つらかったのは、陰でこっそりと交尾の様子を生で見せられたことだ。

何が楽しくてライバルの交尾の様子を見学せなあかんねん。

まあ必死で覚えたよ。交尾の仕方。

それから毎日毎日雌の馬とヤリまくった。一日3回とか鬼畜かと思ったが、この体は案外丈夫なようで、全く疲れなかった。さすが俺って感じ。

ただ、交尾をするのもシーズンがあるようで、ある時期からパタッと仕事がなくなった。

そのため、本格的に暇になっているのだ。

隣の馬たちと、とりとめない話をするのも楽しいが、限度がある。

何か刺激が欲しいが、だからと言ってここで世話をしている人たちに迷惑はかけれないしなあ。

 

そんな感じで過ごしていたとある日、俺は久しぶりに人を乗せることになった。

最近、人に曳かれて運動をするようになったから、もしかして現役復帰?と思ったがそうではないようだ。

 

 

「現役引退したとは思えないなあ……」

 

 

俺の上に乗っているのは、最近俺と歩いたり走ったりしている人。どうもここのスタッフのようだ。

その彼が俺の上に乗っている。

 

 

「さて、いこうか」

 

 

【む、これは!】

 

 

懐かしい。

去年くらいに俺の生まれ故郷で教わった手綱さばきだな。なるほど、彼から教わったことを覚えているのか俺を試しているんだな。

ふふ、俺は頭がいいので、ちゃんと覚えているんだな、これが。

 

 

【ふふん!】

 

 

「……おかしいなあ。このレベルの歩様をマスターするのに数年はかかるのに」

 

 

リズムに乗って、正確に。

まっすぐ歩く。

意外と難しいんだよ。まっすぐ歩くっていうのは。

レースでも直線なのに曲がってくる馬もいるくらいだし。

 

 

「当たり前のようにまっすぐ歩くし、横木を普通に跨ぐし……」

 

 

俺はしばらく歩き続ける。

4拍子でゆっくりと。これはレースじゃないんだから落ち着いてね。

 

 

「テンペスト、君は一体何を仕込まれたんだい?」

 

 

この後も2拍子で早歩きっぽいのをしたり、横にずれるように歩いたり、旋回したりした。この辺りは生まれ故郷のお世話係の彼から教わったので普通にできる。

 

 

「お疲れ様。こりゃあいろいろと大変なことになるな」

 

 

久しぶりにいい運動ができた。

それにしてもなんかみんな俺のこと化け物のような目で見てない?

なんか現役の時よりひどい目で見てくるんだけど気のせいですか?

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

テンペストのお披露目から数日後、島本牧場に来客が訪れていた。

 

 

「ボー、テンペストは結構大食いなので、休養中でも運動させる必要があったんです。ただ、走り回らせても危ないし、だったら人を乗せて安全な運動をさせてあげようと思っただけです」

 

 

テンペストクェークの繋養先の関係者たちである。

話題は、60億のシンジケートが組まれた種牡馬が、なぜか馬術の初歩をマスターしていることについてであった。

すでにこの島本牧場で仕込まれたことは確認済みである。

 

 

「それで、馬術の技を教え込むかね、普通……」

 

 

「どんどん吸収するもので……すごいですよ、たった1か月で歩度変換や横運動、それに尋常駈歩までマスターしてしまうんですよ」

 

 

ちなみに1ヶ月でマスターできるような内容ではない。

この言葉を聞いて、馬産関係者一同は頭が痛くなった。なんで現役の競走馬、しかも他人が所有している馬に馬術を教え込んでいるんだよと心の中で思っていた。

 

 

「あ、でもオーナーも元気そうで何よりって面白がっていたので……」

 

 

本当に何をやっているんだよと頭の中が混乱する関係者たちである。

 

 

「それで、テンペストって馬術馬になれるんですか?」

 

 

「彼が普通の引退馬なら、その道に進むことになるでしょう。これだけの才能の持ち主ですから。ただ、彼は種牡馬です。それに十億単位の価値のある馬です。かなり難しいと思います」

 

 

「そうですか……結構いい線行くと思ったんですけどね」

 

 

「ハハハ……」

 

 

笑っていたが、目は笑っていなかった。

君がとんでもない爆弾を用意してくれたおかげで、こっちはとんでもないことになったよ。とは口言しないあたり、さすがである。

 

 

「とにかく、現役の競走馬に馬術を仕込むなんてことはやめておいた方がいいですよ」

 

 

「……はい。ただ、それができるのは多分ボーだけだと思います」

 

 

「……それについては同意します」

 

 

やっぱUMAだよあの馬。

テンペストにかかわる多くの人が再認識したのであった。

 

 

 

 




なお、このお話はフィクションです。
間違っても現役種牡馬に馬術をやらせようとしないでください。
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