10ハロンの暴風   作:永谷河

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座談会 その1

201×年4月某日

冬も終わり、心地よい陽気に包まれた東京競馬場。

平日ではあるものの、少なくない人が競馬場に訪れていた。

 

イベントが行われるようで、ステージや観客用のパイプ椅子、音声機材などが整えられており、スタッフたちが忙しそうに動いていた。

ステージ上には、看板が吊り下げられていた。

 

『『暴風と共に』出版記念座談会』

 

看板を見る限り、何かの書籍が発売される記念イベントが開かれることがわかる。

よく見ると、新品の本が飾られ、大きな鹿毛の競走馬の写真やぬいぐるみがステージ上に掲げられていた。

今日、平日にもかかわらず、東京競馬場でこのようなステージが設置されたのは、元JRAの騎手の高森康明が執筆した書籍の発売を記念したイベントが開催されるからだった。

 

著者は、数度の大ケガから不死鳥のように復活し、50歳を超えても第一線で活躍した名騎手である。ただ、これだけなら引退した騎手による自伝的著書として売り出されるだけである、そこまで大きな話題にはならないだろう。

しかしこの騎手は、2005年~2007年にかけて世界中の競馬場を駆け抜け、比類なき強さを見せつけた伝説のスーパーホースの主戦騎手であった。その競走馬はハイセイコーやオグリキャップ、ハルウララ、ディープインパクトのように競馬に疎い一般人でも知っている競走馬であった。

 

その馬の名前は『テンペストクェーク』

 

22戦18勝。GⅠ14勝。

ディープインパクトと共に第三次競馬ブームを牽引し、文字通り世界最強の競走馬として君臨した伝説の馬である。

そしてその主戦騎手として全レースに騎乗したのが本日の主役である高森であった。

 

発売記念イベントと称したこの座談会には、高森だけでなく、JRAの調教師である藤山順平も参加するというものであった。

このため、伝説の馬の主戦騎手と担当調教師の話を生で聞けるとして、大勢の人がこの座談会に応募していた。

 

 

入場が開始されると、大勢の人が競馬場内に入り、座談会が行われる場所に向かっていた。

そんな状況を見ながら、緊張した面持ちをしている男がいた。

 

 

「東京の書店の時のイベントより多そうだな」

 

 

薄毛を気にしていたこともあり、引退と同時にスキンヘッドにした中年男性が高森康明であった。

 

 

「GⅠの時よりはマシだと思いますよ。それに今日の主役は高森君ですから、もっと堂々としなさいな」

 

 

高森に話しかける初老の男性。彼こそ現役調教師の藤山順平であった。

すでに定年間近であるが、まだまだ現役な様子である。

 

 

「先生の話を聞きたいってファンも多いと思いますし、先生も主役ですよ」

 

 

「まあ、それもそうだね。今日のために他では話していないネタも持ってきたので、満足してもらえますかねえ」

 

 

「まだ隠し持っていたんですか……」

 

 

二人が緊張を緩和するように話していると、外は観客であふれかえっており、ざわめきが舞台裏に聞こえるほどになっていた。

 

 

「さて、そろそろ出番だ」

 

 

 

 

『本日は、『暴風と共に』出版記念座談会にお越しいただき、誠にありがとうございます』

 

司会によるイベントの概要や注意事項などが伝えらる。

 

『それではお待たせしました。高森康明騎手、藤山順平調教師の登場です』

 

二人は、観客の拍手と共に壇上に現れる。

 

『高森です。本日は、私の著書の発売イベントということで、東京競馬場まではるばる来ていただいてありがとうございます。テンペストの著書ということで、いろいろな話ができたらと思います』

『藤山です。高森君から『どうしても』とお願いされたのでやってきました。今日は高森くんやテンペストの恥ずかしい話をたくさんしてやろうと思います』

 

おじさん二人によるトークイベントは開催されたのであった。

司会による二人の経歴説明や簡単なアイスブレイクをはさみながら、話は本題の著書、そしてテンペストクェークとの話になっていく。

 

『それにしても高森くん。タイトルの『暴風と共に』ってなんかわかりにくくないですか?シンプルに『テンペストの背』とかでよかったんじゃないの?』

『『テンペストの背』はさすがにまずいですよ。先輩に怒られますよ……』

 

これは知っている人は知っているネタであった。

 

『執筆には先生方にも協力してもらいまして。本当に助かりました』

『エピソードの話をチェックしたりしただけですよ』

 

著者は高森であったが、執筆の協力者として藤山や本村、秋山といった藤山厩舎の関係者、オーナーの西崎などが名を連ねていた。

 

『藤山調教師は、『暴風と共に』にどのような感想を持ちましたか?』

 

著書の話となり、司会が本の感想を藤山に求める。

 

『本文は、なんというか全体的に話の内容が情緒的というか。もう読んだ人はわかると思いますが、叙情的なんですよね。自分には書けない文章です』

『それは私の溢れるばかりの文才が光ったのだと思います』

 

このイベントは、本の購入特典でもあるため、来ている人は基本的に読了済みの人である。

そして、なんだかんだ競馬関係者も彼の本を読んでいたりする。

そしてほぼ全員が、藤山調教師と同じ感想を持つに至った。

 

『ほかの調教師の先生たちに感想を聞いたけど「面白いけど、なんかしっとりした文面で気持ち悪い」とか「先を読みたくなると思うけど、高森騎手の内面が表に出すぎて怖い」とかですし』

『え、酷くないですか?』

 

聞いていないという顔をする高森であったが、本を読んだ観客は、残当だと思っていた。

 

『さて、高森くんを茶化すのはそろそろおしまいにして、テンペストの話をしましょうか。皆さんも我々おじさん二人の話より、そっちの話を聞きたいって人の方が多いでしょうから』

『なんだか納得はいきませんが、そうしましょうか』

 

話は、テンペストとの馴れ初めの話へ移る。

 

『第1章はテンペストとの出会いから始まるので、まずは初めてテンペストを見たときの話から始めましょうか』

『私は知り合いの育成牧場から連絡があって、大柄な鹿毛の馬を紹介されたことがテンペストクェークとの初めての出会いでした。見た目はなんか貧乏くさいし、足もちょっと外向だったし、血統もちょっと地味だったのでどうなんだろうかとは思いました。ただ、走りを見ていると、いいものを持っている。中央でもやっていけるなとは思いましたね』

『確かに入厩したとき、GⅠを何勝もするような馬には見えませんでしたね』

 

テンペストクェークの入厩当時の写真を見たことがある人なら、育成牧場時代や入厩したばかりのころの彼の見栄えがあまりよくないということを知っていた。

 

『ただ、調教をしていく中で、この馬はすごいかもしれないって少しずつ思い始めたんですよ。身体能力がとにかく優れていた。それにとても賢い。調教においては手がかかりませんでしたね。あとは距離の柔軟性もあった。もともとスプリントやマイルが中心かなって思っていたんだけど2000メートルくらいなら普通に走れる能力を持っていたんですよ。むしろ、純粋な短距離よりマイルや中距離の方が走りやすそうにしていたんですよね。まあ、この辺の認識はキャリアの最後の方で崩れるわけですけど』

『この適正距離の話は、先生や本村さんからよく聞きましたよ。その辺の話も後でしましょうか』

『まあ、とにかくこの時はマイルや中距離で一番活躍できると考えていたわけです。だからクラシック初戦の皐月賞に出走したいとも思いました。ただ、ちょっと体の仕上がりが遅かったので、デビューが12月にずれ込んでしまったんですけど』

『調教は、先生と本村さんが直接関わっていた、私が初めてテンペストに乗ったのは、デビュー前なんですよね。『GⅠの舞台に立ちたいか?』と聞かれたときは、そんなにすごい馬なのかって思いましたね』

『実際、どこかでGⅠを獲ってくれるだろうと期待はしていました』

『追切で乗ってみて、能力の底が見えなかったですね。本当にすごい馬なのかもしれないって期待しましたよ。もしかしたらと思いましたね』

 

そして話はデビュー戦から3歳春の話に移る。

 

『デビュー戦から皐月賞までは苦難の連続でした。あそこまで逃げたがる性格だとは全く思いませんでしたからね。調教では全く見せていませんでしたので……』

『テンペストが想像以上に頑固な性格だったことが原因でしたね』

『まさか逃げたがる性格だとは思いませんでした。日常生活では確かに他の馬と関わることを嫌う性格でしたけど、坂路調教や併せ馬では見せていませんでしたから』

 

『テンペストの逃げはどういった経緯で生まれたのでしょうか?』

 

『多分賢すぎたんだと思います。一番先頭で走ってそのままゴールすれば勝てるって思いこんでいたんだと思います』

『新馬戦やセントポーリア賞のときは一定のペースを刻んで走っていました。多分、全部自分で考えてやっていたことでしょうね。私の指示なんてまるで聞いていませんでした。あのときは本当にただのリュックサック状態でしたよ』

『調教でいろいろと教えてきたはずなんですが、本番のレースだと全くいうことを聞かなくなってしまう。どうしようかと悩みましたね』

 

『この話はテンペストクェークを語る上では外せないエピソードですね。当初はどのような脚質や戦法を想定していたのでしょうか』

 

『後ろに控えて足を溜めて、一気に爆発させる。一気にトップギアに持っていく瞬発力がこの時の彼の一番の強みでしたからどちらかといえば後方待機策が向いていると考えていました』

『調教で乗っていて、瞬発力というか末脚のキレを感じることは多かったですからね』

『まあ、最後の方のテンペストは多分大逃げもできるようになっていたとは思いますが、この時はまだ発展途上でしたから。肉体も精神も』

『前に競馬のゲームでテンペストの脚質が自在になっていたのを見たことがあるけど、あれは古馬になったあたりの話で、2,3歳の時はそこまで脚質に融通が利くわけではないですよね』

『まあ大逃げでも重賞馬に勝てるくらいには強かったですけどね。なんだかんだ弥生賞もマイネルレコルトやアドマイヤジャパンに勝っているわけですから』

『でも、本物の怪物には全く歯が立ちませんでした』

 

『そこからディープインパクトとの初対戦につながっていくわけですね。お二人はディープインパクトについてどのような感想をお持ちになったのでしょうか』

 

『血統も調教師も生産者もそうそうたるメンツでしたからね。期待が隠しきれていないというのは美浦にも伝わってきていましたよ』

『若駒ステークスで、シンボリルドルフとかナリタブライアンとか、そういう伝説級の馬が現れたって感じでしたね』

 

『初対戦となった弥生賞。ここでテンペストクェークは最後にディープインパクトにかわされて2着になりますが、ここから因縁が始まったといってもいいのでしょうか』

 

『そうですね。実は2戦目は若駒ステークスに出ようかと考えていた時期もありまして、もし実現していたらお互い2戦目から激突していたのかもしれません』

『2戦目で関西遠征は気合入っているなあって思いましたけど、テンペストの走りやディープのこともあって実現はしませんでしたけど……』

『3月の弥生賞が初対戦となったわけですが、結果としては力の差を見せつけられましたね。馬なりで余裕の走りをされたら、何も言えないですよ』

『テンペストも前に前に行こうと掛かってしまって、ちょっと暴走状態に近かったです。それでも最後まで逃げ粘れたのは彼の能力が高かったからだと思いました。普通の馬ならそのままずるずると後退して着外に飛んでしまうと思うので』

『ただ、この敗北はテンペストにもいい薬になったんじゃないかなって心のどこかでは思っていました。聞けば牧場や育成牧場で甘やかされて育てられ、同期の中でも飛びぬけて才能もあったわけです。それで2回連続で勝ったことで調子にのっていたのではないかなあって思いましたね』

『本当に世間知らずの生意気な小学生って感じだったのは覚えていますね。レースで騎手のいうことは聞かないし、妙に頑固でプライドは高いし、それで負けたら馬房の隅でいじけてあからさまに落ち込んでいましたし……』

 

『いろいろなお話を聞いていると、若駒時代のテンペストクェークに対して、お二人は辛辣なことが多いですね……』

 

『まあ、そう思わせてくれるほど人間臭いというか、可愛げのある性格をしていたということです。もちろん大事に育てようとは考えていましたけどね』

『当時から強くてかわいい馬でしたよ。それはそうと、我々人間でもわかるくらいには調子に乗っていたのは事実なので』

 

『ここから皐月賞に入っていくわけですが、ライバルのディープインパクトとそろっての出遅れ。この時はどのような状況だったのでしょうか』

 

『まあ、高森君の本に書いてあることがすべてだと思いますね。ちょっと集中力を欠いているのかなとはパドックで見えましたけど』

『あの時はテンペストとどう折り合っていくかについてずっと考えていました。ただ、スタートで出遅れたのは多分彼が集中できていなかったことが原因だと思います。自分ももう少し注意してあげるべきだったと思います』

『2頭とも出遅れて、どよめきがすごかったですよ』

『やばいって思いましたが、その一方でチャンスだと私は思いましたね。あとは本に書いてあることが、私がレース中に考えていたことのすべてです。競馬は一人だけでは勝てないことをわかってもらう必要がありました。騎手の自分が必要であることを彼にわかってもらいたい一心でした』

『書いてあることが主観的過ぎて、ちょっと理解できないところもありますが、掛かっているテンペストと抑えようとしている高森君の様子を見ると、何となくわかる気がしました』

『主戦を下ろされてもいい覚悟で彼と喧嘩をしましたから。ただ、あの時から、私と彼は繋がった。そう思いますね』

『途中からしっかりと高森君の指示に従って、最後に一気に伸びてきてくれました。このレースで一歩上のステージに行ってくれましたね』

『最後の直線で鞭を入れたら、振り飛ばされるぐらいの加速力を見せてくれました。調教でも見せたことがないくらいでしたよ。もう少しでディープに届きそうだったんですけど、そこまで甘くはありませんでしたね』

 

『後ろから迫ってくるテンペストを察知して、ディープインパクトを再加速させたという話ですね』

 

ディープインパクトも伝説級の馬であるため、多くのエピソードが関係者から語られている。

 

『その辺りは流石だなあって思いましたね。ただ、遠すぎる背中が一気に近づいた気がして、自然と笑ってしまいましたね』

『中山の坂を駆け抜ける姿を見て、間違いなくGⅠをとれると確信しました。震えましたよ』

『まあ、そのあとダービーで負けるんですけどね』

『3歳春のテンペストにとって、ダービーの2400メートルは長すぎました。ただ、ダービーに出走する権利があるのに、回避するという選択はできませんでしたね』

『当日は大外枠だったんで、なんか最高に運がないなあって思いました。実際、残り200メートルくらいでテンペストがスピードを緩めたので、怒られない程度に抜いて走らせました。応援してくれた人には申し訳ないと思いましたけど、無理すべきレースではなかったので』

 

『そして、秋競馬につながっていくわけですね。夏を超えたあたりからテンペストクェークの能力が一気に開花したといわれていますね。やはり馬の成長自体が晩成型だったのでしょうか』

 

『放牧から帰ってきて、体つきが変わっていましたね。毎日王冠に向けた調教で、日に日に筋骨隆々の馬体に変わっていったのは印象的でした。体重はそこまで変わらなかったんですけど、体のキレというか筋肉のキレ、質が変わっていました』

『そうですね。夏の上り馬じゃないですけど、本当に強くなったと思います。瞬発力だけでなく、スピードやパワーもどんどんと成長していました』

『弥生賞や皐月賞で2着になってはいますけど、馬体の成長具合は晩成傾向があるのは事実ですね』

『あとは、ゼンノロブロイと一緒に調教をするようになって一気に変わりましたね。身体も精神も』

『ゼンノロブロイの陣営には本当に感謝しています。ライバルを強くするような行為ですからねえ……』

『そのあたりの話は騎手の私はわからないんですけど、どんな感じで交渉したんですか?』

『テンペストが馬嫌いという話は美浦でも有名だったんですけど、ゼンノロブロイには反応していたんですよね。ゼンノロブロイもテンペストを気に入っていたのか、目が合うたびに嘶いていたので、相性がいいのかもしれないと私も○○調教師も思っていたんです。それで、2頭で調教していけばお互いにいい効果が生まれるんじゃないかと思って夏明けに提案してみたわけです。実際はテンペストが一方的にゼンノロブロイの強さを吸収して尋常じゃないくらい強くなってしまったわけですが……』

『まあ、先生たちもテンペストを強くしたのはゼンノロブロイと我々だって言ったりしているので……』

 

ゼンノロブロイとの友情(仮)の話も盛り上がり、話題は、高森達にとって初のGⅠタイトルの天皇賞の話へと移る。

 

『天皇賞秋は我々にとっては『初』ばかりでした。高森くんに私の厩舎、それにテンペストクェーク、ヤマニンゼファー産駒、西崎オーナーにとっても初めてのGⅠタイトルでした。本当に長い道のりでした』

『私の著書に書いてあることがすべてです。この日のために自分は3回蘇ったんです。いろいろと犠牲にしてしまいましたが……』

 

高森は、40歳手前のとき、交通事故で意識不明の重体となった。一命をとりとめたが、騎手復帰どころか日常生活もまともに送れない状態になった。そこから数年かけて騎手に復帰したわけだが、その代償として私生活を犠牲にしている。家族優先主義のとある騎手からも苦言を呈されていたが、それでも高森は止まれなかったのである。

 

『テンペストの末脚なら、大外一気で行けると確信していました。彼はそれに応えてくれました。なんかこの時点でエンディングを迎えたような気がしていました』

『関係者全員がそんな感じがしていましたね。次のマイルチャンピオンシップで苦戦することなく連勝したので、ふわふわした気持ちが吹き飛びましたけど』

『この辺りから私も先生も、オーナーも欲を見せ始めるんですけど、その辺の話も本には載っていますので』

『香港に行こうとしていたのは秘密です。本村君に怒られてすぐにやめましたが。さすがに日程的に3歳の彼を無理させるわけにはいきませんものね』

『本村さんがいなければどうなっていたことやら……』

 

『お二人ともテンペストクェークの強さにいろいろと狂わされてしまったようですね……』

 

実際に狂った人は関係者だけではないということは会場の観客はみんな知っているのである。

テンペストクェークの3歳の話はここまで続き、次は年間無敗を達成した4歳の話へと移っていった。

 




その2に続く

テンペストおじさんも狂人だけど、高森騎手も割と狂人の類に入ります。

馬術編も執筆中ですが、なかなか難しいので、少しお待ちしていただけると幸いです。
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