2011年1月中旬、一頭の競走馬が引退を迎えていた。
牝馬ながら550㎏超えの巨大な体躯、日本競馬史にも稀にみるほどの気性の悪さ、そして圧倒的な強さ。強さとネタ要素が満載の競走馬であった。
その馬の名は、「ヤマニンシュトルム」。
日本はおろか世界にその名を刻んだ偉大なる兄を持ち、自身も当代の世界最強スプリンターとして後世に語り継がれる競走馬である。
「ああ、放馬!!!」
大勢の観客が見守る中、当の暴れん坊は厩務員を振り払って、ターフを疾走していた。
「……締まらないなあ」
「やっぱり引退式はやるべきではなかったか……」
主戦騎手を務めた若い男と調教師の男性は予想できていた結末に、頭を抱えていた。
観客の笑い声と、関係者の怒号が競馬場に響き渡る中、騎手の男は、彼女との思い出を振り返っていた。
ヤマニンシュトルムと騎手の彼との出会いは、2006年にまでさかのぼる。当時の彼は、スイープトウショウで宝塚記念やエリザベス女王杯を制するなど騎手として脂が乗り始めていた時期であった。
2006年の初夏、栗東のとある厩舎よりお呼びがかかり、そこで初めてヤマニンシュトルムと出会ったのである。
彼女のことは知らないわけではなかった。「テンペストクェークの全妹が栗東にやってくる」という話は、騎手界隈でも話題であったからだ。そして育成牧場では一番強く素質がある馬だと太鼓判を押されているという話も聞いていた。ただ、「とても気性が悪い」という話も漏れ聞こえていたのである。
彼としては、素質のある馬に乗りたいという気持ちもあったが、そういう馬は自分よりも実績のある先輩たちに取られてしまうだろうなあとも考えていた。
しかし、彼女を管理する調教師は、彼を指名したのである。
理由は「気性が荒い短距離馬のデュランダルで活躍した実績がある。シュトルムも短距離馬としての高い素質がある。それに牝馬で癖の強いスイープトウショウとも根気良く付き合っていた。彼に任せてみたい」とのことである。
彼の努力が、ヤマニンシュトルムと結びついたのである。自分の実績や努力を評価してもらったことに嬉しさを感じるのは、人として当たり前の感情であろう。漏れ聞こえてくる「結構やばい馬」という噂にはいったん耳をふさいで、期待を胸にトレセンへとやってきた彼女と対面したのである。
そして待っていたのは、入厩当日に馬運車の作業員を病院送りにし、厩舎の壁に穴をあけた凶暴な牝馬であった。
「知っていたよ……数日前にあれだけ騒ぎになったんだから……」
あえて聞こえないふりをしていただけであった。
目の前にいるでかい鹿毛の牝馬は、目を細めて、耳を絞り、前脚を地面に擦り付けて、人間を威嚇していた。明らかに見知らぬ人間である彼を威嚇しているようだった。完全防備の厩務員2人に渋々と従っているようだが、彼らがいなくなれば即襲ってくるような雰囲気であった。
「ちょっと気性が荒いですが、素質は間違いなくありますよ」
調教師の言葉に「ちょっとではないだろう」と心の中でツッコミを入れつつ、後半の言葉には同意していた。
筋肉の付き方や身体の厚みはまだまだなところがあったが、それでも2歳とは思えないたくましい肉体をしていた。
「短いのが得意な体つきです。鍛えればすぐにデビューできると思いますよ」
父や兄のことを鑑みると早熟とは考えにくい。未完成でありながらも、強さを見ることができる馬であった。
「彼女なら重賞、いやGⅠをとれるかもしれません。是非とも君に彼女を導いてほしい」
調教師からここまで言われて断れる騎手がいるだろうか。しかも本人からの直接の依頼である。ここまで期待してくれているのを嬉しくなる半面、目の前にいるでかくてやばい牝馬に乗るのかという不安もあった。
「よろしくお願いいたします」
断ることはできなかった。
調教を重ねていけば、レースができるくらいの気性に落ち着くはずだと考えていた。
それが間違いであると気付いたのは、7月の新馬戦前の最終追切のときであった。
・騎乗に一苦労
・まっすぐ走らせるのに一苦労
・鞭を使うなと調教師からの厳命
・油断すると噛みつく
・他馬を威嚇する
Etc.
追切をするだけで精魂尽き果てたようであった。
普段の調教にも参加させてもらうかとも考えているほどであった。いろいろな意味で慣れる必要があるからである。ただ、調教の際にも乗ると、余計に嫌われるような気もしていた。
一応調教審査は合格しているため、レースに出走することはできる。
この辺りも相当厩舎関係者は苦労したようである。
「ゲートが嫌いすぎて、逆にスタートが得意なのは不幸中の幸いですね。その分ゲート入りは相当ごねそうですが……」
そういうのはスイープトウショウでお腹いっぱいであった。
「スピードはやはり優れたものがありますね。ただ、先頭に立つとそのままどんどんと加速して暴走する癖はどうにもできませんでした。実戦で少しずつ慣れていくしかないです」
スタートを失敗してハナをとれなかった場合は最後方に抑えるか、あえて大回りをするかのどちらかになるだろう。騎乗前から何となくわかっていたが、併走を嫌がるあたり、馬群も嫌いなケがある。
そんな不安要素がありながらも、7月の新馬戦は危なげなく勝利した。
ゲート入りを嫌がるそぶりは見せたものの、大外枠だったこともあり、レースの運営やほかの馬に迷惑をかけるレベルではなかった。
レースでは、抜群のスタートを決めてそのまま先頭に立ち、最後まで逃げ続けての勝利であった。
結果を出せたことに一安心しつつも、レース中一切騎手のいうことを聞かなかったシュトルムに対して、大きな不安を感じていたのも事実であった。
そして、その不安は2戦目のダリア賞で的中することになる。
ゲート入りを渋りに渋り、係員数人がかりでゲートに入れることができたと思ったらスタート前にゲートを破壊して飛び出してしまった。レースそのものは新馬戦と同様に騎手の指示をガン無視した大逃げで1着になった。
当然、発走調教再審査に出走停止1ヶ月という処分を下されてしまったのである。
その間、陣営はなんとかしようとさまざまな策を講じた。
矯正馬具をつけたこともあった。シャドーロールにブリンカー、メンコなどを付けたこともあったが、ことごとく失敗に終わった。
どうやら顔や耳に何かを付けられるのが嫌らしく、ない方がマシという結果に終わった。ハミや鞍ですら嫌がるのに、これ以上追加で馬具を付けることは出来なかったのである。
ただ、調教師や調教助手の懸命の努力もあり、調教再審査になんとか合格することはできたのであった。
そして、出走停止期間も明けたシュトルムは、2歳重賞レースに挑戦した。結果としては、ファンタジーSで2着、GⅠの阪神JFでは3着と好走を見せることができた。しかしゲートを嫌う癖や騎手の指示に従わない走りは改善が見られず、毎回運営から注意を受けていた。
年が明けた2007年、桜花賞の前哨戦のチューリップ賞を目指して調整が行われることになっていた。その間シュトルムは放牧に出されていた。
シュトルムの騎手は、馬とは違い、休みなどなく様々な馬に騎乗する日々を過ごしていた。そんな忙しい日々の中、2名の騎手が競馬場で談笑していた。一人はヤマニンシュトルムの主戦騎手として、苦難の道を歩んでいる若い騎手、もう一人は、テンペストクェークの主戦騎手として、今一番輝いているベテラン騎手であった。
「そういえばテンペストの妹はどうですか?」
「正直きついです……スイープがお嬢様のような馬ですよ」
そもそもスイープトウショウは走ってくれたら扱いやすい馬だったし、やたらと喧嘩をしたり、人を攻撃したりするような馬ではない。ワガママだったが。
「そんなに酷いのですか?」
「......メンコを付けようとしたら、メンコを奪って足蹴にしてボロボロにするぐらいには」
ヤマニンシュトルムの気性の話は競馬サークルの中でも話題になっているほどであった。牝馬でテンペストクェークの全妹だから繁殖牝馬として価値はあるし、何か起こる前に引退させろという声も少なくなかった。
ただ、主戦騎手としてはなんとかしてまともな競馬が出来るようになりたいと考えていた。
「能力の底が知れません。ただ、何をやってもレースに本気になってくれませんし、指示を聞いてくれません......」
「はは、若いときは似るものなのかねえ。テンペストも人のいうことを全く聞かない奴だったよ。逃げしかできなくてね。まあ、日常生活では大人しかったけどね」
「そういえばテンペストクェークも弥生賞までは逃げでしたね。あれも気性が関係していたんですね」
「まあ、テンペストのあれは、ちょっと賢すぎるが故の行動というか、調子に乗っていたというか……」
「そうですか……シュトルムも正直頭はいいとは思うのですが、それ以上に暴れん坊です」
暴れん坊というよりは、常にピリピリしているという方がいいだろうと陣営からは思われていた。それに加えてすぐに怒りゲージがマックスになる程の瞬間湯沸かし器であった。
「地方で走っている次男もおとなしくて賢い馬って聞いたね。ただ、結構プライドが高い性格みたいですね。テンペストもあれでプライドが高いし、シュトルムもそうなのかもしれないねえ」
「確かに何か命令した時にかなり不機嫌になりますね。プライドが高いかあ……」
シュトルムはいつもカッカしているが、特に攻撃的になるのは、誰かに命令されるときであった。偉ぶっているボス馬に喧嘩を売っていたこともあった。
「そのプライドの高さがレースに向いていればいいのですが……」
今のところは彼女にとって競馬は自分の世話をしている人間に命令されて仕方がなく走っているに過ぎない。よくわからない狭いところに押し込められ、嫌いな同類と走らされるというものであった。
「まあ、本当にどうしようもなくなったら、喧嘩をしてみるといいかもしれないですよ。皐月賞の時にテンペストと喧嘩をして、それでいろいろと受け入れてもらいましたから」
何かとんでもないことを言っているような気がしたが、実際皐月賞から人馬一体の活躍をしているので何を言えなかった。
「喧嘩か……死ぬぞ……」
あの大きな激情の狂乱娘と喧嘩をしたら命が何個あっても足りないだろうと思っていた。
もっと別のアプローチが必要なのではと考え始めていた。
そして、季節は初夏を迎える。
シュトルムは桜花賞で掲示板を確保したものの、同期の怪物牝馬たちから少し実力的に離されてしまっていた。
桜花賞後のレースについては、距離的にオークスは難しいことや馬体がまだ未熟であったことから、夏か秋まで放牧に出すことになった。
しかし、相変わらずの気性の悪さ故に、放牧先が決まらないというありさまであった。ただ、紆余曲折あり、6月ころに故郷の島本牧場に放牧が決まったのであった。
放牧先の島本牧場には安田記念を制してGⅠを12勝目を挙げた全兄のテンペストクェークも休養を兼ねて滞在していた。
父も母も同じ兄妹の2頭であったが、仲良くなるという都合のいい展開は訪れず、シュトルムが喧嘩を売りまくっていた。
テンペストクェークは基本的に大人しい馬であるが、他の気の強い、荒い馬に対しても臆さず付き合える胆力を持つ馬である。そのためシュトルムの挑発をスルーしていたのだが、さすがに癇に障ったのか大げんかをしてしまった。幸い何も起きなかったものの、一歩間違えば大怪我もありえた事件であった。島本牧場のスタッフが平身低頭になったのはいうまでもないだろう。
そして、紆余曲折があって、テンペストクェークとシュトルムの併せ馬を行うことになったのであった。シュトルムが事件の後もずっと情緒不安定であり、鹿毛の馬を見つければ常に吠えるように威嚇しているという状態であった。
最終的には、牧場近くの育成牧場のトラックを使っての対決であった。双方の主戦騎手も呼ばれており、本格的なものであった。
双方の馬主、調教師たちの同意のものとで行われた併せ馬であったが、結果はテンペストクェークの勝利であった。
「……なんて強さだ」
シュトルムの陣営は、テンペストクェークの強さは知っているつもりであった。
騎手の彼は、天皇賞やマイルCS、高松宮記念などで間近で見てきたつもりであった。しかし、シュトルムとの併せ馬をして改めて理解させられた。あの馬は怪物どころの馬ではない。シュトルムもウオッカやダイワスカーレットと鎬を削ってきた競走馬としては最上位の能力を有する馬だ。しかし、お互い本気で走らせていないとはいえ、格が違った。戦う土俵にすら立たせてもらえなかった。
「これはバトルではない、
昔読んだ漫画にこんなセリフがあった。それと同じような併せ馬であった。
「……これが世界最強の競走馬の実力か」
2回の併せ馬を終え、シュトルムは完膚なきまでに叩きのめされた。
「って!シュトルム!」
シュトルムが暴れようとして、騎乗している騎手を振り落とそうとした。
その瞬間、猛獣のような唸りがテンペストクェークから発せられた。
【やめろ】
その瞬間、シュトルムが止まり、テンペストクェークを睨みつけていた。
「落ち着いたのか……?ほかの馬から威嚇されてもこんなことなかったのに」
「さすが美浦トレセン最強のボス……」
馬としての格の違いを見せられた併せ馬となった。こんなことをすれば馬がやる気をなくしてしまうかもしれないという考えもあった。実際負け癖ややる気を失ってしまう可能性もあった。そのリスクを考慮しても、一度シュトルムには『敗北』を経験してもらいたかったのである。
もし勝てたなら、行きつくところまでいかせればよかったと考えていたようだが、さすが世界最強馬といったところで、シュトルムは叩きのめされたのであった。
陣営は、シュトルムの怒れる感情を、レースの闘争心に向けてやりたいと考えていた。今のシュトルムは人間に命令されて仕方がなく走っているだけに過ぎない。もちろん競走馬の大半は調教師や騎手に命令されたから走るような馬ばかりだろう。ただ、強い馬は勝ち負けをしっかり意識している馬が多い。テンペストのライバルのダイワメジャーなんかは代表例だろう。
シュトルムに、自発的に勝利を目指してほしかったのである。シュトルムはとんでもないほどプライドが高い。ただ、そのプライドの高さが競馬に向いていなかった。ライバルたちに負けても気にも留めていなかった。
だが、今日はシュトルムが負けて初めて感情を露わにしたのである。その感情は間違いなく負けたことに対する怒りとテンペストクェークに対する激しい怒りであった。
島本牧場に戻ってもシュトルムはその怒りを見せ続けていた。
それに寄り添うように騎手や調教助手、厩務員たちは見続けていた。担当の調教師は丸一日厩舎を空けることはできないため、直ぐに栗東に戻っていた。
「なあ、シュトルム。悔しいだろう。テンペストに負けてよ」
テンペストの名前を出した瞬間、唸りのような嘶きを発する。
「なら俺が勝たせてやる。テンペストに」
(だからほんの少しでいいから、一緒に戦わせてくれ……)
テンペストクェークは夏以降、アメリカに旅立つ。その後はわからないが、シュトルムが今後進むスプリント路線に来ることはないだろう。テンペストと戦う機会は限りなく低い。それでも彼女の不倶戴天の敵として存在してもらう必要があった。
そして、勝ちたければ、自分たち人間のことを少しだけでもいいから聞いてほしいという願いもあった。
「次はよろしく頼むよ、シュトルム!」
そういって騎手の彼はシュトルムを撫でる。そして気安く触んなボケといった形で腕に噛みつかれる。
「いてえ……」
ただ、以前にかまれた時よりは手加減してくれたように感じていた。
それを見て厩舎の関係者たちは「うんうん」といった顔で見守っていた。
島本牧場の面々はドン引きしていた。
こうして、シュトルムは溢れるばかりの激情の感情を、レースへの闘争心に向けるようになった。
ここから、彼女と彼らの快進撃が始まる。
モデルになった騎手の彼は2001年までスイープトウショウを管理する厩舎に所属していたようですが、いつからフリーになったかわからないので、とりあえず2006年の段階ではフリーとして活動しているという設定にします。
あと騎手の人はあくまでモデルであるので、実際の人物とは何ら関係ありません。おそらく名前は全く違うし、顔も違います。なぜか気性難を押し付けられることは同じですが。調教助手の人も同様です。
多分シュトルムを経験しているからカレンチャンに対する癒し度は桁違いに上がっていると思います。