10ハロンの暴風   作:永谷河

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馬、慢心する

2005年1月1日

2004年が終わり、テンペストクェークの3歳クラシック期が始まった。

世間は年始の休日である。

しかし、ホースマンたちに年末年始はない(因みに休日がないわけではない)。

馬という生き物に年末年始など関係ないのだ。

 

藤山調教師は、今年こそ、うちの厩舎からG1馬を輩出したいと考えていた。いつもは、あくまで理想として掲げた目標であったが、今年は現実味のある目標でもあった。

 

テンペストクェークという素質馬を管理することが出来ているからだ。

ただ、その馬には少し問題があった。

 

気性は真面目だ。体調が悪いとかそういう理由以外で拒否することはない。

それに普段の性格も穏やかだ。厩務員や調教師、調教助手、騎手を蹴ることも噛みつくこともない。他の馬に自分から絡みに行くことはない。ゼンノロブロイとの一件はいったい何だったのだろうかと思うぐらいだ。

ただ、プライドが高い。そして自分が大好きだ。人間で例えるなら究極のナルシストといったところだ。あと頑固である。

 

 

「次のレースはどうするか。オープンの若駒Sでも行けると思ったんだがなあ……」

 

 

「調教では我々の指示に従うので、本番でどうやって彼を御するかですね」

 

 

藤山や調教助手たちスタッフが頭を悩ませている。

 

 

「騎手の問題ってわけではないのが逆に面倒でもある。多分アレはリーディングジョッキーの指示でも従わないと思うな」

 

 

実際、調教や新馬戦を見ていた一部の騎手から、機会があれば乗せてほしいという要望もある。大きなミスをしていないのに、騎手を替えるのはさすがに信義則に反するため、今のところ替えるつもりはない。

勿論騎手と馬の相性というのもあるため、一人の騎手にこだわらないという考えもあるが、彼の場合は、誰が乗っても同じになりそうなのである。

 

 

「そして、栗東に現れた超新星か……」

 

 

彼を悩ませるのはテンペストだけではない。

ここにきて、2歳重賞戦線を戦った馬ではなく、12月の中旬にデビューした馬が輝きを放っていたのである。

 

 

「新馬戦だけでは何とも言えん。ただ、血統、生産牧場、調教師、騎手、馬主の布陣が完璧だ」

 

 

近年の日本競馬の集大成ともいえる圧倒的な陣営であった。

それが新馬戦を圧勝したという話、そして騎手や調教師の隠しきれない期待感は美浦にまで伝わっている。

 

 

「ただ、次の走りを見ないと何とも言えないな。一戦だけ圧倒的であとはダメ、なんて馬はいくらでもいる」

 

 

希望的観測で放った言葉は、テンペストクェークを出走させようとしていた若駒ステークスで打ち砕かれることになる。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

俺は馬である。今日もしっかりトレーニング中である。

前のレースで最後少しばててきたので、しっかりとトレーニングをする必要がある。

プール、よし!

坂道、よし!

朝のトレーニングを終えたあとは、ゆったりと過ごすことになる。

食って寝て運動する。これぞ健康習慣なのである。

 

 

「テンペスト、久しぶり」

 

 

自分の部屋で飯を食っていると、見知った顔の人間が俺に声をかけてきた。

おお~俺の上の人。わかりにくいのでこれからは騎手君とよぼう。

 

 

【なにかようか】

 

 

部屋の外に頭と首を出して、人間の顔をなめてやる。

ほれほれ~

 

 

「相変わらず人には懐っこいなあ」

 

 

撫でるのがうまくなったじゃないか。

もっと頼むぞ~

 

 

「次は条件戦か。こいつの能力なら、前と同じように逃げても勝てるとは思う。だけど果たしてあの馬に勝てるのか……」

 

 

うーん。なんか思い悩んでいるようだな。

最近他の人間もうんうん唸っているようだし、何かあったのかな?(←君とディープのせいです)

 

 

「俺もしっかりお前を導くからさ、だから俺を信用してほしい」

 

 

俺の顔を撫でながら騎手君が話しかける。

任せておけ。次も俺がお前を勝たせてやる。

俺は強いからな。

 

 

【任せろ!】

 

 

ふんふんと嘶き、彼の思いに応える。

 

 

「いまいち伝わっていないような気がするなあ……」

 

 

意外と表情が豊かなテンペストを見ながら彼は嘆いていた。

 

 

こうして絶妙にかみ合っていない二人は、1月30日東京競馬場第9Rセントポーリア賞に出走することになった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

1月30日、晴れた天候の中、東京競馬場ではそれなりの人が競馬を楽しんでいた。

競馬場内で二人の男が話し合っていた。

 

 

「西崎オーナー、今年のクラシックを獲るのはかなり難しいと思います」

 

 

「クラシックといいますと、皐月賞、日本ダービー、菊花賞ですよね」

 

 

「その通りです。テンペストクェークは弥生賞から皐月賞、日本ダービーの王道路線を検討していました。ただ、菊花賞は距離が長すぎるので出走する計画は立てていませんでしたが」

 

 

軽々しくダービーを獲りたいなどというものではない。しかし、素質のある馬を見たら言わずにいられないのである。

 

 

「それで、獲るのが難しいというのは?」

 

 

「ちょっとヤバい馬がクラシック戦線に殴りこんでくることが予想されます」

 

 

彼が順当に勝ち進んだ場合のプランも藤山は用意していた。大半の馬は計画通りに走ることはないが、テンペストクェークはそれが狙えると思っていたのである。

 

 

「ヤバい馬って、もしかしてディープインパクトですか?」

 

 

すでに競馬関係者の中では話題となっていた栗東の超新星。名前のように、競馬界に深き衝撃を与え始めていた。

 

 

「確かに若駒ステークスの走りは凄かったですね。素人目でも強いなあって思いましたもの。やっぱり先生の目から見てもすごいのですか?」

 

 

「ナリタブライアンクラスの馬だと思ってください」

 

 

さすがの西崎もナリタブライアンは知っていた。ものすごく強い馬だったと父から聞いたことがある。

 

 

「正直、今のテンペストクェークでは、勝利はかなり難しいです。幸い、彼は短い距離も問題なくいけます。NHKマイルカップを目指してもいいかもしれません」

 

 

3歳G1は皐月賞、東京優駿、菊花賞のほかにNHKマイルカップという1600mのレースがある。さすがにそこにはディープインパクトは出走しないだろうと思っている。むろん短距離路線にも猛者たちが待ち構えているため、決して楽な道ではない。要するにディープインパクトから逃げるということである。

 

 

「うーん。藤山先生や他の皆さんはどうお考えで?」

 

 

オーナーの質問に、藤山は素直に答える。

 

 

「皐月賞、そして日本ダービーを獲りたいと考えています。競馬に携わる人間で、日本ダービーを目指さない人はいません。ただ、勝つためには、数多くの問題を解決する必要があります」

 

 

折り合いの問題、距離の問題、そして最強のライバルの存在。

解決すべきことは多い。だが、それを乗り越えるためにいるのが調教師の役割でもある。

テンペストクェークが生粋のスプリンターやマイラーなら諦めがつく。しかし彼は中距離までなら十分走れる能力があるため、諦めたくないという気持ちが生まれているのであった。

ただし、テンペストクェークの所有者は西崎である。自分を信頼してくれているとはいえ、彼の意見を聞く必要があった。

 

 

「でしたら、あなた方の思うようにお願いいたします。それに皐月賞や日本ダービーを走るテンペストクェークの姿を私も見たいです」

 

 

「オーナー、ありがとうございます」

 

 

「いえいえ、だって藤山先生、最初から諦めるつもりなんてなかったでしょう。顔にかいてありましたもの。さすがの私でもわかりますよ」

 

 

苦笑して指摘されたため、藤山は、そんなにわかりやすい表情をしているのかと顔をさする。

 

 

「これはお恥ずかしい……」

 

 

二人は笑い合う。時計を見るとそろそろ準備をし始める時間であった。

 

 

「さて、そろそろ私は席の方に行こうと思います。今日はよろしくお願いしますね」

 

 

「勝利できるように最善を尽くします」

 

 

こうしてテンペストクェークは王道路線に突き進むことになった。

 

 

 

 

第11Rのメインレース、東京新聞杯を見るために、それなりの人が東京競馬場を訪れていた。テンペストクェークの走る第9Rも、そこそこの人が観客として観戦していた。

彼の人気は2番人気であった。今日はパドックでは大人しくしていたため、順当に人気を上げていたのであった。因みに一番人気はニューヨークカフェである。

ファンファーレがなり、ゲートインが始まり、各馬がゲートに入っていく。

テンペストクェークも問題なく入り、出走を待っていた。

 

 

『大外カンペキがゲートに入りまして、態勢完了……スタートしました。勢いよく飛び出たのは7番テンペストクェーク。新馬戦に続いて逃げに入ります。後続は内から14番コクサイトップラヴ、コパノスイジンが続きます……』

 

 

『……向こう正面先頭に立ったのはテンペストクェーク。逃げていきます……』

 

 

『……第三コーナーを曲がって先頭は依然としてテンペストクェーク、後続に5馬身差をつけています、後続は……』

 

 

『……早いペースとなっております。先頭が残り600メートルを通過、第四コーナーから直線に入ります。テンペストクェークは依然として先頭。後続も追い上げるが、差がなかなか縮まらない。テンペストクェークそのままゴールイン。一馬身半でエイシンサリヴァン、三着は……』

 

 

『……勝ち時計は1.47.8です。これでテンペストクェークは2連勝。二戦とも逃げで勝利しました……』

 

 

テンペストクェークは無事、条件戦を勝ちぬいたのであった。

騎手の高森は、やっぱり彼は強いなと思っていた。

 

 

「やっぱり逃げでも十分強い。この辺の馬では倒せないな」

 

 

(今日も11秒後半でずっと走ってた。おそらくこのラップが自分の体力に釣り合うスピードだと理解しているんだな。前回よりタイムが安定している)

 

 

(ラスト後続の馬があんなに追い上げて来ても焦りもしなかった。やはり絶対の自信があるんだな)

 

 

(ただな、今日は一馬身半まで縮められた。やはり最後の最後で少し失速する。差しや追い込みで強い馬は、前にいる馬を全力で捉えに来る。この程度の「逃げ」では間違いなくG1級の馬に捉えられるだろうな)

 

 

「次はおそらく皐月賞のトライアルレースだ。お前が戦った馬よりはるかに強い馬が来るぞ」

 

 

勝利の余韻を感じつつも、次の激闘を予感していた高森であった。

 

 

(やった!勝ったぜ!やっぱ俺って天才だな~)

 

 

一方、馬の方は浮かれていた。

 

 

 

 

 




次回、テンペストクェーク、衝撃に出会う。

弥生賞→皐月賞って王道だと思っていたんですが、2012年にシロイアレことゴールドシップが共同通信杯→皐月賞で買ってから弥生賞→皐月賞を勝った馬っていないんですよね。

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