人助けなんて性に合わない 作:ナンセンス
もう何度目かもわからない、職員室でのやりとりである。
「三五月、君は何か勘違いをしていないか?これはオープンキャンパスではなく職場見学だ」
「重々承知していますよ」
「じゃあ何故君の希望する職場の欄に大学の名前が書いてあるんだ......」
「ですから、将来的には学生としてではなく、研究者として大学に所属したいんですよ。職場見学の趣旨には十分沿っていると思いますが?」
「研究職なら民間企業という選択肢もあるだろう?それに、君は以前博士号を取得したら死ぬとか言ってなかったか?」
「数学の基礎研究やってる民間企業なんてどこにもない*1ですよ。あと、それはアカデミックポストがない場合の話です。あったら自死なんて選びませんよ。“あったら”の話ですけど」
「それはそうなのかもしれないが、何も数学に限らずともいいだろう。君のその能力を活かせる分野は他にもあるはずだ。そういえば、君の家は確か......」
「この際だから言っておきますが、僕は既に継がないことを宣言していますので。そのおかげで数学書の調達資金すら渋られて大変なんですよ。高校生の身分だと、大学の図書館には入れても学部学科の図書室は利用させてくれなかったりしますし......」
「まぁそう言うな。後数年の辛抱だろう」
「若いときの時間が貴重なものであるということは、平塚先生の方がよくご存知なのでは?」
「三五月、口は災いの元ということわざを知っているか?」
「飲み込んでしまった言葉は引き摺り続けるので、僕はできる限り吐き出すようにしています」
「たまには自らが吐き出した言葉の行方を考えたまえ」
「自分のことだけで手一杯ですよ」
「はぁ......とにかく、これは再提出だ。君自身の見聞を広めるためにも、もう少し他のことにも目を向けてみることだ。まったく、比企谷の専業主夫といい勝負だな」
「まぁ、適当に考えておきますね。じゃ」
最後に呟かれた言葉は聞かなかったことにして、三五月はそそくさと職員室を後にした。
放課後、いつも通り部室で数学をしていた三五月は、ふと周囲が騒がしいことに気付く。
何も話を聞いていなかったが、どうやらまた由比ヶ浜と比企谷の痴話喧嘩?が勃発したようだ。
勉強に関する話をしている。
「由比ヶ浜さん。あなた、さっき勉強に意味がないって言ったけどそんなことはないわ。むしろ、自分で意味を見出すのが勉強というものよ」
雪ノ下の持論が炸裂している。
「由比ヶ浜が言っているのは“学校の勉強”に意味がないってことじゃないの?もっと言えば、学校の授業や学校の宿題、テストには意味がない。そういう主張であれば僕は同意するけれど。高校以下における教育は、物言わぬ社会の部品を養成するためのプログラムでしかないし、そういう意図で作られているはずだからね。最近では一部の大学ですら就職予備校と化しているらしいから、本当に嘆かわしいことだけど」
それに対してガン無視を決め込むか、こうやって茶々を入れるのが三五月のスタンスである。
「......?ええと......?」
「どうやら違いそうね。本人が何を言われたのか理解していないわ。あなたの偏見にも言いたいことが山ほどあるのだけれど」
「偏見じゃないよ。異様につまらない授業、やっつけで出される宿題、本質を問わず小手先のテクニックや暗記ばかりが有利になるようなテストと評価方法。生徒の知的好奇心を削ぐような工夫が盛りだくさんじゃないか」
「だからといって、それは勉強をしない理由にはならないでしょう?」
「“学校が求める勉強”をしない理由にはなるよね。例えば、高校における物理では微分積分を完全に排しているけれど、ちゃんと微分方程式をたてるやり方で勉強することも認められるべきだし、僕はそっちに注力しているよ」
「あなたは単に他人が敷いたレールに乗せられるのが嫌いなだけじゃない」
「正しい敷き方をしているなら文句はないけど、少しでもガタついてたら気になるじゃん?」
「ガタついてるように見えるあなたの目が腐っているという見方もあるんじゃないかしら?」
「まさか。比企谷じゃないんだから」
「おい......」
「雪ノ下が言ってることって、他者から漠然と与えられたものに対しても自分で何かしらの意味を見出せってことでしょ?それは無理な話だよ。本来は目的や意味が先にあるべきで、それに合わせて何を勉強するべきかも変わってくるものなんだから」
「そうやって偏った興味と知識でもって、あなたみたいにバランスの悪い人間が出来上がるのね」
「長い人生の中では寄り道が役に立つこともあるかもしれないけど、僕は数学だけやって短い生涯を終えるのだから、バランスの悪さなんて気にするだけ損だよ」
「それはあなたの場合にだけ通用するお話で、特殊すぎて一般論にはならないわ」
「そうかな?命を燃やしながら生きれば、みんな27歳で死ぬと思うけど」
「お前の中での人類は皆ロックンローラーか何かなのか......?」
「ちなみに、留年や浪人等がなく順調に博士過程を終えた場合、ちょうど27歳になるね」
「バカバカしいにも程があるわね」
「もっちーもゆきのんもヒッキーも、みんな何を話してるの......?」
由比ヶ浜が脱線し続ける会話をリセットした。
雪ノ下の言っていることは、一般的には正しいのだろう。一般教養の持つ意味というのは、歳を重ねてみないとわからないものだ。しかし、極端なことを言ってしまえば、生き急ぐ人間にとっては邪魔になりかねないというのもまた事実である。
「ゆきのんは頭いいからいいけどさ......あたし、勉強に向いてないし......周り、誰もやってないし......」
「やりたくないならそれでいいんじゃない?ただ、勉強もできなければ他のことすら何もできないような人間になった場合、ヒモ男との結婚は絶望的になるけど」
雪ノ下のスイッチが入りそうなのを感じ取った三五月がすかさずフォロー、のフリをして由比ヶ浜を刺しにいく。
「なっ?!......ちゃ、ちゃんとやるよ!......そ、そういえば、ヒッキーは勉強してるの?!」
上手いこと話題を逸らした由比ヶ浜に呆れて、三五月はまたもや会話から離脱した。最早恒例行事である。
「もっちーは?」
「は?」
しばらく会話から離脱していたら、急に話をふられた。由比ヶ浜が奉仕部に来てから、こうやって話に引き戻されることが増えた。
面倒だから、本当にやめてほしい。こっちは今測度論の真っ最中だ。カラテオドリと格闘してるんだよ。
「進学先よ。当然あなたも大学へ行くんでしょう?」
「あぁ、大学ね。別に数学科があるならどこでもいいんだけど、一応学費出す条件として最低限旧帝って言われてるから」
「......」
比企谷は謎の沈黙。
「きゅーてい?」
由比ヶ浜は流石だ。
「今からでもご両親に頭を下げて条件の変更を願い出たらどうかしら?」
雪ノ下、相変わらず失礼なやつだ。
「その必要はないよ。去年の時点で東京と京都以外の冠模試は大体A判定かB判定もらってるから。東京はD、京都はCだったけど」
あの2つはEじゃなかっただけマシだと思う。国語の記述が予想以上に足を引っ張った。あと英語が普通に難しい。単語と文法を覚えていても読解力なんかを問われるとどうにもならない。
「なっ!?......おい、流石に冗談だろ」
「すぐにわかる嘘をつくのは感心しないわよ」
「嘘でも冗談でもないよ。今年から自由に数学をやる条件が、去年の時点で受かるレベルなのを示すことだったし」
「高校入学から1年も経たずにそんなの間に合うわけが......」
「入学時点をスタートにしてたら間に合うわけないじゃん。こっちは小中学校は半分くらい不登校で、生ぬるい義務教育の代わりに徹底的に大学受験に向けての勉強をやらされてたんだから」
全員の顔が引きつった。
「通報レベルの虐待ね......」
虐待といえば虐待だが、不登校は単に僕が行きたくなかったってだけで、自宅での勉強は本来その穴埋めである。あんまりにもさっさと終わるもんだから、先取りをし続けたらこうなってしまった。
「そう?兄達の方がもっと酷かったよ。なんせ、ちゃんと学校行かされてた上に医学部医学科って条件までついてたからね。粗方受験勉強が片付いたら、万が一にも大学で悪い成績をとらないようにってまた先取り勉強。そしてその次は医師国家試験の勉強。だから、医者になる道を振り払って今のところ好き勝手に生きてる僕は相当恨まれてるよ」
僕は無理矢理学校に行かされる方が虐待なんじゃないかと思う。学校以外の時間でもひたすら勉強漬けになり、僕とは比べ物にならないような成果を要求される。将来を期待されない末っ子でよかったと心の底から思ってる。
「待て待て。医学って、専門家の指導なしに先取りなんてやっても上手くいかないんじゃねぇの?」
「そこはほら、大勢いる医療従事者の親戚の出番だよ。基本的には引退したおじいちゃんとか、結婚して専業主婦になったおばさんとか、暇そうにしてる人のところに預けて監視。現役の人は忙しいからたまに交代で見に来る程度。両親も忙しいながらに合間を縫って直接干渉してたみたいだし。僕には家庭教師だけつけておいて、顔を合わせない期間が1年くらいあったときもあるのにね。ま、おかげで結構簡単にサボれてたんだけど」
最初は僕も医者にするという話だったけど、跡継ぎが既にいて、社会性があまりにも欠如している上に不登校の件が重なって諦めてくれた。父親曰く「お前は面接で落ちる」とのことだが、僕もそう思う。
「お前んち医者一家かよ......」
「そういえば。去年の春頃、父親のところにうちの高校の生徒が入院してきたとかなんとか......」
「え......」
いかんいかん。益体もないことを喋りすぎた。
測度論に戻ろう。ええっと、1次元ルベーグ外測度の定義は......$m^{\ast}(A)= \inf \left \{ \displaystyle \sum_{i=1}^{\infty} (b_i - a_i) \ | \ A \subset \bigcup_{i=1}^{\infty} (a_i , b_i] \right \}$
またもや無断欠席をかました翌日、放課後に部室へ行くと、なぜか1人増えていた。
顔は覚えているが名前がわからない。
「三五月君もここの部活だったのか」
「最近名乗った記憶のない相手に名前を知られていることが多いね。君は誰?」
「え、あぁ、ええっと......葉山隼人っていうんだけど、何回か話したことあるよね?」
「そうだっけ?」
「はぁ......三五月君、あなた、毎回毎回変なタイミングで休まないでくれるかしら?」
「いつ休もうが僕の勝手でしょ」
「へぇ......チェーンメールねぇ......そんなくだらないことで大騒ぎしてたんだ」
「くだらないって......友達が悪く言われてたら腹も立つよ」
「それ、電灯に群がっている蛾に腹を立ててるようなものだからね。蛾だよ?蛾。蛾ごときに何を言われても普通は何も思わないでしょ」
「蛾......」
「いや、普通は人間を蛾に見立てないだろ......」
「チェーンメール送るような生物を人間と思う方が無理でしょ。チンパンジーでもそんなことしないよ」
「話が進まないから少し黙っててくれるかしら?」
雪ノ下激おこ。
比企谷がまたしても妙案で解決に導いた。
葉山1人に群がる3人という4人グループから揉めないように3人を抽出する方法。
ここまで文章化すれば答えは誰にでもわかるのだが、具体的な人間関係からこの構図を導き出したのは流石だ。しかし、よくもまぁ下等生物の集団をジロジロと観察できるものだ。僕なんて一々記憶から消去しないと気持ち悪くて仕方ないっていうのに。多分だけど、興味を持った対象の違いなんだろうな。あとは積み重なった価値観の違い。
比企谷の思考形態や思考能力を考えれば、彼は明らかに“こちら側”の人間だと思う。それに、翡翠のときと同じ感覚を覚える。翡翠もまた、僕に対して奇妙な感覚があったという。彼がこちらをどう思っているのかは知らないが......おそらく、今は雪ノ下にお熱だな。由比ヶ浜のやつも可哀想に。
まぁ、別に同類だからどうだというわけでもない。僕は既に翡翠すらも切り捨てている。あれほど波長の合った弟分とすら人間関係を構築しきれなかったのだから、僕の性格には超がつくほどに難があると思っていい。今更そんなものに仲間意識を覚えても仕方がないのだ。
あぁ、久しぶりに翡翠のことを思い出した。数学に愛されたあの才能は、僕なんかよりもよっぽど......
いや、こんなことを考えても仕方がない。アイツはアイツで研究者の道を目指すのだろう。どうせどこかで再会することになる。今度は数学のことだけを話し続けよう。土産話を大量に用意しておかないと、3日ともたないだろうな。
僕は今日も今日とて数学に没頭するのだ。
時系列の補足。
川崎沙希の話:欠席日に決着して全スルー
職場見学:班員の希望する職場に興味がわかなかったため当日欠席