ラブライブ!短編集〜私たちとμ's〜   作:ちゃん丸

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作者:ちゃん丸




Skirt hira hira

 

 

 ひらりひらりと。

 秋の夕焼けに。

 スカートは、ひらりと舞わない。

 

 一枚の風景画にしようとしたら、どこか物足りなさを感じてしまう空気。少女のポテンシャルを生かしきれていない証拠である。

 さっきまで隣を歩いていた彼女はそう分析する。出会った頃からずっとそう思っているのに。意固地になって受け入れようとしない少女は、駆け出すしか出来なかった。

 

 息を切らして、路地裏に体を隠す。彼女たちから色々と言われて、パンクしそうになった頭を守りたかった。そのためだけに、少女は走り走り、この小さな胸が破けてしまう寸前まで。

 親友と、僅かとは言え喧嘩別れっぽくなったせいか、はたまた別のことを考えているせいか分からない。乱れた呼吸は中々元に戻らない。まるでさっきまでの空元気(からげんき)を脱ぎ捨てたよう。

 

 あぁ、もうダメ。どうしても片隅に残っているさっきまでの景色。少女はブンブンと頭を横に振る。

 

 そうだ。何か甘いモノでも食べよう。気分を変えないと、多分今日は眠るまでずっとこんな調子のまま過ごすことになる。

 二回ほど深呼吸をして鼓動を落ち着かせる。そのまま路地裏から陽の当たる場所に体を出す。

 流れに身を任せて、帰り道の途中にあるコンビニエンスストアのドアをくぐった。

 

「肉まん二つ」

 

 ちょうど目の前がレジになっていて、自身と同じ音ノ木坂学院の制服が会計をしていた。

 店内をぐるりと回ってスイーツコーナーに行こうとした彼女。まず右手側に進もうとしたところで、その足が止まった。

 

 理由は違和感である。その正体が何なのかまでは理解できていない。だから、栄養剤が並べられた小さめの陳列棚から顔を出す。僅かに冷気が体に当たって、ぶるりと震えそうになる。モーター音すら耳障り。

 

「ありがとうございます。レシートは要りませんので」

 

 レジ対応をした店員が苦笑いしていた。それが少し気になった程度で、制服自身は丁寧に受け答えしている。音ノ木坂学院のブレザー。緑色のリボンは三年生を示す。自身よりも二つ歳が上であった。

 いや、違和感はそこじゃない。視線を少し上げると、(もや)に隠れていたソレが姿を見せた。

 

「え、えーっ!?」

 

 そう言って飛び出した少女。会計を終えた()()と鉢合わせになる。驚いている少女をよそに、ソレは何が起きたのか分かっていない様子である。

 

「あの……何か?」

「こ、こっちのセリフだにゃー!」

 

 星空凛は両の手のひらを地面に向けて言う。怒っているわけではない。ただ驚いているだけ。加えて、どうして目の前のヒトがこんなにも冷静なのかも理解できていないようだ。

 

「そう言われても……」

 

 「何言ってんだ?」と言わんばかりに頭を左手でポリポリ掻く目の前のヒト。凛は少しムキになって口を開いた。

 

「なんであなたが戸惑ってるの!? こっちがビックリしたにゃ!」

「いや……あの、もういいかな。肉まん冷めちゃうから」

 

 肉まんが二つ入ったレジ袋を顔の前に出して、凛にアピールする。けれど、彼女は到底納得していないようだった。

 口をキュッと結んで、言葉を探している。自身が驚いているというのに、こんなにも平然とされているのが彼女的にムッとする要因であった。

 

「――あ、えっと……」

 

 星空凛の声は今にも消えそうだった。

 ハキハキと言い切ることが殆どの彼女にとって、ここまで歯切れが悪いのは珍しかった。

 彼女自身、直感的にそうなったとしか言えなかった。いま口にしようとした言葉は、目の前のヒトを大きく傷つけてしまうかもしれないと思ったから。普段は働かない思いやりみたいな感情が頭の中を覆っていく。

 

 ただ、色々と気づいてしまったのは彼女だけではなかったのである。

 

「も、もしかして音ノ木坂の生徒?」

 

 レジ袋を顔の前から下げながらそう言う。苦笑い。本人としたら、いま一番見られたくない人間に見られた気分だった。

 凛が頷くと、ソレは「そうかそうか」と一人納得して顔を逸らす。

 

「見間違いです。あなたは何も見ていない」

「ご、誤魔化しても無駄にゃ!」

 

 音ノ木坂学院は女子校である。文字通り、女子生徒しか通うことが許されない学校。けれど、目の前の彼は紛れもなく()であった。

 声も低く、短く刈り上げられた髪。ショートカットというよりは短髪と表現した方がしっくりくるような。

 店を出て行こうとする彼を止めるよう、無意識に入り口の前に立ってしまった。そんな凛の対応に観念したらしく、彼は小さくため息をついた。

 

「これには事情があるんだ」

「じ、事情?」

 

 そう言いながら、彼はコンビニを出る。店内で話すと、店側にとっても都合が悪い。少年なりの配慮である。

 凛も後に続く。歩きながら説明するのも変と判断したようで、ゴミ箱の前で話を続けることになった。

 

「もう一度聞くけど、君は本当に音ノ木坂の生徒なんだよね?」

 

 少年の問いかけに彼女は頷いた。

 その際に視線を落とすから、彼の無駄に綺麗な脚が視界に入る。スカートをこんなにも履きこなしている彼に、少し嫉妬すらしてしまう。

 

「よし分かった。とりあえず肉まんあげるから君の学校には言わないで欲しいな!」

 

 レジ袋からソレを一つ取り出して、凛に差し出す。あまりにも唐突な行為に、彼女は思わず狼狽えた。平たく言えば、買収である。

 

「い、意味が分からないにゃ!」

 

 凛が強く言う。それもそうだ。これまで生きてきて、こんな異質な状況に遭遇したことはない。それに、受け取ってしまったら何かとよからぬ方向に転がっていく気がしてならなかった。

 

「僕も詳しく説明したいんだけど、早く家に帰らないとマズいことになるんだ」

「今が一番マズいとは思わないにゃ?」

「正論はやめて欲しいな」

 

 そう言いながら分厚いスマートフォンを覗き込む少年。しかし、その顔から血の気が引いていくのを凛は目撃した。

 

「……不味いことになったから少し時間を潰そう。そこで説明してもいいかな」

 

 「もう帰ってきたのかよ……」そう呟く光景はあまりにも滑稽。早すぎる手のひら返しである。

 ただその表情は本気でお願いしているよう。星空凛は決して鬼ではない。鬼ではないが――。

 

「早く帰りたいから別にいらないにゃ」

 

 興味が無いのもまた本音であった。

 自分から話しかけたとはいえ、色々と訳ありらしい彼の話を聞きたいとは思えなかった。

 

「だってこのまま帰したら絶対チクるじゃん! そんなの僕は嫌だよ!」

「こんな人前で着てる方が悪いにゃ!」

「よし分かった! 肉まん二つともあげるから説明させてくれ!」

 

 正直甘いモノを食べたい口である。とは言わなかった。言ったら本当に買ってきそうな圧を感じたからである。

 学校では絶対に見かけることのない黒髪短髪が、スカートをひらひらさせている。冷静になって見てみると、そもそもの体格差を感じさせない着こなしであった。

 

「………もう。しょうがないにゃー」

 

 差し出されたレジ袋を受け取りはしなかった。ただ彼の圧に根負けしただけ。それに、純粋に興味があった。

 

「僕だってまさか現役の生徒に見られるとは思ってなかったんだよ」

 

 凛は別に人見知りというわけではない。初対面の人間と馴れ馴れしく話すのはある意味得意分野でもあった。

 と言っても、このケースはかなり特殊。凛から見て目の前の少年は不審者そのものでしかない。咄嗟に話しかけてしまったのを、内心では後悔していた。

 

「語弊が無いように言うけど、僕には女装趣味があるんだ」

「見たら分かるにゃ」

「即答だね。人を見た目で判断するのは良くないよ」

「ウザいにゃ」

「口悪くない?」

 

 けれど、ひどく不思議な気分であった。

 

 軽快なやり取りは、さっきまで沈んでいた気分を高めてくれる。少年の適当さ。女装趣味を告白したというのに、それを恥ずかしがることなく言い切る胆力がそうさせるのだろうか。

 それ以前に、初対面とは思えないぐらい話しやすい相手だった。女装している男と話した経験は無いせいか、彼を人間としてではなく何かマスコットのような目で見ている気がしてならない。凛はコンビニの前でタムロしていることも、今はどうでもよく思えた。

 

「そもそもその制服はどうしたの? ……まさか盗んだとかにゃ!?」

「それは断じて違うから!」

「じゃあどうしたの?」

 

 彼女が追撃すると、少年は少し黙る。

 

「言えないようなことにゃ?」

 

 さらに追撃する。彼は「うーん」と唸ってから隣に立っている凛に視線を送った。

 

「いやそうじゃないんだけど」

「けど?」

「思い返したら気持ち悪いなって」

「……どういうことにゃ」

 

 今でも十分――とは言えなかった。彼を傷つけると判断したから。

 だが、彼女の疑問はもっともだ。彼の言う「気持ち悪い」というのは何に対しての言葉なのか。それが分からないと、凛もリアクションが出来ない。

 

「これ、姉貴のなんだよね」

「キモいにゃ」

「面と向かって言われるとキツい」

「凛だったら絶対やめて欲しいにゃ!」

「し、仕方ないだろ!」

 

 語気が強まる。同時に、凛のジト目が少年の心を直撃した。

 

「その……着てみたかったんだから。だからこっそり姉貴の部屋からスペアの制服借りただけだし」

「なおのこと気持ち悪いにゃ」

「やっぱり口悪くない?」

 

 彼女としては、気になることが多すぎた。

 女装趣味があるのは分かったけれど、彼は自身と同じ高校生の雰囲気がある。体格差が生まれる中で、姉の制服を着こなしているのはかなり細い証拠だ。

 何より、その格好で出歩く行為そのものが理解出来なかったのである。

 

「そうやって出歩くからだよ」

 

 そう言うと、少年の視線は凛に向けられる。まるで、彼女を憐れんでいるような、弱々しい視線。

 

「我慢する方が嫌だよ。僕は」

 

 ドキリとした。凛の胸がざわついていく。今の自分を言い当てられたみたいで、あまり気分は良くない。

 

「男がスカート履いちゃいけないって決まりは無いし」

 

 それは彼女もよく分かっていた。いや、分かっていたつもりだった。頭ではイメージできていたこの光景を、実際に見たことがなかったから。

 では、実際に見てどう思ったか。思い返す。つい数分前の発言を。それはひどく単純なモノであった。

 

「……周りの目が気にならないの?」

 

 自分から言ったのに、また胸が痛む。

 タンスの奥にしまっておいた過去の出来事を、わざわざ引っ張り出した。そのせいで、彼女の周りには後悔や失敗の感情が散らばっている。これを片付けるのにも時間がかかるというのに、凛はソレを聞かずにはいられなかった。

 

「気にならないよ。僕は僕」

「……強い人だね」

「君だってそうじゃないの?」

 

 思わぬ問いかけであったが、凛は首を横に振った。つい十分前の出来事があったから、誤魔化すつもりにはなれなかったのである。

 

「凛は……そんなんじゃないよ」

 

 自身を誰よりも卑下しているのは、紛れもなく彼女。星空凛そのもの。例え親友(かよちん)に褒められても、それを素直に認めることが出来ない。今だってそうだったのだから。

 たった一瞬。かつての記憶がこびりついている。でも、そのたった一瞬がトラウマと化して彼女を苦しめている。言った側は覚えていなくても、言われた方は永遠に忘れない。

 

 気がつくと、視線は地面に落ちていた。

 

 そんな彼女に、少年の手が伸びる。芳醇な香りが凛の鼻を抜けていく。顔を上げて彼の方を見ると、視線が合った。

 

「肉まんでも食べたらどう?」

「……要らないにゃ」

「そう言わず。ほら、僕の奢りだよ」

 

 元々は賄賂の道具だったのに、そうやって都合良く言う少年。それが可笑しくて、凛の口元が緩んだ。

 

「変なの」

 

 優しさだとは思わなかった。でも、さっきみたいに拒否する気にはなれなかった。 

 

「こんな僕に話しかけてきた君は、すごく強い人じゃないか」

 

 話が戻った。凛は彼の言葉を否定することはない。ただ首を横に振って、何も言わなかった。受け取った肉まんのほんのりとした熱が指を伝っていく。

 口にしてみると、中は少し冷たくなっていた。でも、すごく美味しくて、切なくて。この秋空が霞んじゃうぐらいにふわふわしていて。

 

「ホームルームの自己紹介で『女装が趣味です』って言ったら地球が凍るぐらいスベッてさ。それから誰も寄り付かなくなったんだよね」

 

 唐突な自嘲。思わず吹き出しそうになった。しかし、凛はグッと堪える。

 

「そんなこと言うからにゃ……」

「でも隠すつもりは無いんだ。コソコソやるぐらいなら、やらない」

 

 少年は星空凛と対極に居た。それは彼女にもしっかり伝わったようで、咄嗟に顔を逸らす。

 彼女の本音だって、もう隠すことが難しくなっているぐらいなまでに露出している。ショートカットで女の子っぽくないと自嘲している彼女は、誰よりも女の子らしくありたいと願うのだ。

 

「だから、話しかけてもらえて嬉しかったよ」

 

 心臓の鼓動がよく聞こえた気がした。彼だって、その格好を止めたらどこにでも居る少年。でも、それを言う気にはなれない。

 彼の姿に行き交う人たちは視線を送る。ただ凛が隣に居ることで、懐疑的な思惑は薄まっているようにも見えた。

 

「君も僕と同じ一年生でしょ? 楽しまないと損だよ」

 

 コンビニの壁にもたれながら、肉まんを男らしく頬張る彼は言う。制服が汚れちゃうよ、と言ったところでもう遅い。それよりも、凛は一つ気になることがあった。

 

「どうして一年生だって分かったにゃ?」

 

 少年は何も言わない。彼女が欲しかったタイミングで返事をくれなかったから、振り返ってみる。咀嚼していたせいで、ワンテンポ遅れたようだった。

 

「え、そりゃあ……」

 

 バッチリと合っていた視線が落ちていく。そして、喉元のリボンより少し下へ。止まったのは自身の――。

 

「………やっぱり通報するにゃ!!」

「ごめんなさい!」

 

 

☆★☆★☆★

 

 

 白のドレスは、思った以上に彼女の魅力を引き出していた。ファッションショーでのステージは大成功。センターを務め上げた星空凛は、この日誰よりも輝きを放っていた。

 パフォーマンスを終えたμ'sは、そのままの衣装で会場のロビーに居た。学校の修学旅行が一日延びてしまった二年生組を除く六人は、無事に終わったことに安堵した様子である。

 

「凛ちゃん! すごく可愛かったよっ!」

「え、えへへ。そうかなぁ……」

 

 高揚感を隠すことが出来ない小泉花陽は、凛の細い肩に両手を置いて話す。普段着ることのないタキシードが良く似合う。

 本来、センターは花陽が務めるはずだった。しかし、彼女は誰よりも星空凛のことを理解している。本当は、こんな可愛い衣装を着てみたいと思う彼女のことを、誰よりも知っている。

 

「やっぱり凛ちゃんは可愛いっ。見てるこっちが幸せになるなぁ」

「そ、それは言い過ぎだにゃ」

 

 ふと、少年の姿が凛の脳裏に浮かんだ。

 なんだかんだ言って、彼の言葉もまた彼女の背中を押したのである。かつてのトラウマを剥ぎ取る、そのきっかけを与えてくれた。彼にそんな気があったかどうかは置いといて、凛は素直に口元が緩んだ。

 

「びっくりしたにゃー」

 

 花陽はハッとして、目の前に居る凛を見つめる。でも、彼女が話した感じがしない。当の本人は気づいてすらないようだ。おかしい。聴覚と視覚で得た情報がマッチしなかった。

 

「凛ちゃん、何か言った?」

「何も言ってないよ?」

「やっぱり可愛いにゃー」

 

 ――聞こえる。今度は凛の耳にも届いていた。二人顔を見合わせて、首を傾げるしかない。周りには大勢の人が集まっているせいで、その声がどこから来たものなのか探し出すのも困難だ。

 しかし、凛には聞き覚えがあった。その声に。たった一度しか会ったことがないあの少年の顔が頭に浮かび上がってくる。

 

「可愛いにゃー」

 

 野太い声で二人の間に顔を出したのは、凛が想像した通りの人間であった。

 

「わっ! あ、あなたは……?」

「なんで居るにゃ……」

 

 それは確かに、あの少年であった。さすがに音ノ木坂学院の制服は着ていないが、橙色のワンピースに白色のコートを纏っている。うっすらと化粧もして、黒髪ストレートのウィッグも付けて。凛が知っているようで知らない人である。

 

「綺麗……」

「ありがと。男だけどね」

「お、男の子!? す、すごい……」

 

 花陽がそう呟くのも理解できた。元々がっちりした体格というわけではないが、遠目から見たらどこにでも居る女の子にしか見えない。

 むしろ、これに驚いたのは凛の方だった。音ノ木坂学院の制服に短髪という彼を見ていたから、こんな整っているのは思ってもいなかったわけだ。

 

「君、スクールアイドルだったんだね」

「……見てたの?」

「うん。可愛かったよ」

「可愛くないにゃ!」

「何言ってるのっ! 凛ちゃんは可愛いよ!」

 

 いつにも増して、花陽の否定は大きなモノだった。あれだけのパフォーマンスをしたのだ。キラキラ輝いている彼女が、自身のことを卑下するのが嫌だったらしい。

 

「その格好、良く似合ってる」

「そ、そんなことないにゃ」

 

 少年から視線を逸らす凛は、花陽の時とは違う感覚に襲われていた。

 女装している彼は、女の子にしか見えない。でもその声は確かに男の子。だから、すごく綺麗なこの姿よりも、あの日会った彼の顔が頭に浮かんで仕方がないのだ。

 

「あれ……何かお邪魔かな……?」

「ああ、いや。そんなことないよ」

「わ、私みんなのところに行ってるね!」

「か、かよちん!」

 

 凛は呼び止めたが、彼女が望んだ結果にはならなかった。小泉花陽という女の子は、()()()()()()に敏感なのだ。

 少なくとも、凛は自身の知り合いではない少年のことを知っていた。ということは、彼の目的は星空凛に話しかけること。つまり、自身の存在が二人にとって邪魔になると直感的に察したのである。

 

「……なんで来たにゃ」

「別に君のために来たわけじゃないよ」

「言い方ムカつくにゃ」

「そう言って欲しかったのかなって」

「……もう!」

 

 思い出す。少年は自身の胸を見下して一年生だと言ってきた男ということを。

 背中を押してもらったなんて1ミリでも考えた自分がバカだった――。凛は顔を背けて、唇を噛んだ。せっかくのドレスが霞んでしまう。他の誰でもなく、少年のせいで。

 

「僕だって、あのあと姉貴にバレて酷い目に遭ったんだから」

「自業自得にゃ!」

「そうだ、君に肉まんあげたよね? あの時のお返し欲しいなぁ」

「通報」

「ごめんなさい」

 

 ドレスに似合わない言葉が行き交う。

 音ノ木坂学院にクレームが行けば、必然と自身の通っている高校にも連絡がいく可能性が高い。そうなれば、どんな処分が下されるのか彼の目にも見て明らかであった。

 

「さっきの子も可愛かったね」

「かよちんだもん。可愛いにゃ」

「でも僕は君の方が可愛いと思うな」

「もうっ! さっきから何なの!?」

 

 両の手のひらを地面に向けて、凛は露骨に態度を見せる。せっかくのステージメイクが崩れちゃいそうになる。ただ頬を彩る桃色のチークが、顔の紅潮を上手いこと隠していた。

 

「褒めたつもりだったんだけど」

「べ、別に嬉しくないにゃ」

「そう。ならもう言わないよ」

「……性格悪いって言われないにゃ?」

「言われるかも」

 

 あははと笑う彼を横目に、凛の思考はごちゃごちゃになっていた。そうやって笑う姿は可愛らしい女の子なのに、声は低くて男らしい。目の前に居る少年は本当に少年なのかと疑いたくなるぐらいだ。

 

「女の子らしいのも悪くないでしょ?」

 

 ふと、少年が言った。思わず視線を上げる。彼もまた、凛の瞳を覗き込んでいた。

 ドキリとした。この人は、自身の心の奥を知らない。それなのに、あたかも知ってるような口ぶりだ。違和感。でも、それを否定するだけの材料はない。

 

「……急にどうしたにゃ」

「いいや。君の悩みが分かっただけ」

「別に、悩んでなんか」

「そう?」

 

 優しい声だ。否定も肯定もしない。ただ、凛の心の中に眠る感情に手を差し伸べてくれるような、優しくて暖かい声。

 鼓動が高鳴っていく。全身が脈打っているのがよく分かる。首を横に振ってしまいたいのに、それが出来ない。筋肉が硬直しているようで気持ちが悪い。

 

「………凛には似合わないって思ってた」

 

 雨音のように、ぽつりと。僅かに、それでも確実に地面を濡らす小さな粒。大勢の人が集まっていた会場でも、それはしっかり少年の耳に届いた。

 

「どうして?」

「小学校の頃、ちょっと」

 

 当時からショートカットだった彼女は、クラスメイトの男子から「男みたい」と揶揄(からか)われることも少なくなかった。

 そんな彼女が意を決して履いてきたスカート。当然、男子たちが放っておくはずがない。いつものように揶揄った。

 

 でもそれは――星空凛の勇気を踏み(にじ)った。いつも通りのはずだったのに、彼女自身の心の中まで見ていないから、知らず知らずのうちに傷つけた。

 

「言った方は何も考えてないんだよ」

「えっ……?」

「ううん。何でもない」

 

 呟いた事実を誤魔化すように、少年は彼女に背を向けて歩き出そうとした。それを凛は呼び止めた。親友(かよちん)は止まらなかったが、彼は違った。

 

「帰っちゃうの?」

「うん。もう終わったんでしょ」

「そうだけど……」

「それとも、何か別の用?」

 

 「あ、えっと……」凛は狼狽えた。呼び止めておいてアレだが、本人も何故そうしたのかよく理解していなかったのだ。

 目線が泳ぐ。目の前に広がる視界はこんなにも広く、掴むところが全くないことに気づく。

 

「れ、連絡先! 交換しようにゃ」

「……どうして?」

「肉まんのお礼にゃ!」

「えぇ……」

「なにその顔。チクッてもいいにゃ?」

「喜んで交換しましょう」

 

 咄嗟に出た言葉であったが、本心に限りなく近いモノである。それを彼女自身あまり理解していない。

 この不思議な人のことをもっと知りたい。単純に興味があった。ただそれだけ。苦笑いとともに、二人の距離は近づいていく。

 

「まぁとにかく、君は可愛い! 僕が君をもっと綺麗にしてあげるよ」

「……余計なお世話にゃ」

 

 伏せた視線は、どこ吹く風。ゆらりゆらりと喜びという名の感情を隠しきれなかったのである。

 

 

★☆★☆★☆

 

 

 少年との出会いは、歪と言えばそうかもしれない。

 

 それからも、彼とは定期的に会うようになった。連絡先を交換したおかげで、割と気軽にメッセージを送れる仲になった。

 不思議と心が落ち着いたのだ。親友(かよちん)と三人で女の子らしい洋服を一緒に買いに行ったり、体を動かしたり。映画は眠くなるから嫌だって凛が言うと、少年は呆れたように笑ったり。

 

 なにより、彼は自身と同じような匂いがしたのだ。女の子らしくありたいと思うことに後ろめたさを感じていた自分に。

 

 確かに星空凛はμ'sと出会い、少しずつ変わっていった。女の子らしくありたいと願っていた自身を引っ張り上げてくれた仲間に出会えた。

 けれど。それとはまた違った意味で、凛の心は入学した頃よりも広く暖かくなっていた。

 

 三年生が卒業してμ'sは終わった。でも関係が途切れたわけじゃない。

 その後の青春には、常に彼が居た。と言っても、会う時はいつも女装して化粧だってしっかりしてる。だから()()()()のは少し気が引けるぐらい。

 

 そして、気がつけば自身が卒業を迎える立場に変わって。

 

 桜が舞う季節。あっという間の三年間。自分自身に素直になることができた大切な時間。彼女は正門の前に立って、この歴史ある校舎を見上げていた。

 本当なら、今年が最後になるはずだったこの景色。来年も、再来年も、ずっと続いていく。それは紛れもなく、彼女たちの活動が招いた結果である。

 

 桜の花びらが風にゆらり乗ってくる。

 小泉花陽と西木野真姫は、いつも見せないような表情をしていた星空凛に視線を送る。

 

「みんなもう集まってるって」

 

 真姫があの頃よりも新しくなったスマートフォンを見ながらそう言う。ここでの「みんな」というのは、卒業したμ'sメンバーのことである。これで全員が高校を卒業したことで、お祝いパーティーを高坂穂乃果の家で開くことになっていた。

 

「凛ちゃん?」

「え、あぁうん! 早く行こうにゃ!」

 

 どこか虚ろ。その異変に二人が気づかないはずもなかった。学校に背を向けて先へ行こうとする凛に聞こえないよう、花陽と真姫は寄った。

 

「凛、どうしたの?」

「あはは……ちょっと拗ねちゃってて」

「はぁ。せっかくの卒業式なのに。何かあったわけ?」

 

 その問いかけに、花陽は少し考えた。でも隠しておくのも彼女に悪いと、知ってる範囲で事実を伝える。

 

「凛ちゃん、彼が黙ってたのが嫌だったみたい」

「彼って、女装のあの人?」

 

 真姫どころか、少年の存在はμ's全体に知られていた。そもそも、これまで女装男子が近くに居たわけじゃない彼女たちにとって、それは興味のマト。よりにもよって、星空凛が彼とよくつるんでいるとなれば、揶揄われても仕方がない。

 

「うん。実は小学校の同級生だったんだ」

「なによそれ。あなたたち気づかなかったわけ?」

「女装してる時しか知らないし、同じクラスになったこともなかったから……」

 

 凛に置いていかれないよう、二人は並んで歩く。彼女のペースには及ばないが、今はこれぐらいがちょうど良かった。

 

「でもそんなこと黙ってたぐらいで拗ねることないでしょ」

「う、うん。そこは良いんだけど……」

「けど?」

「彼、見てたんだって」

 

 「見てた?」真姫は首を傾げる。花陽は彼女と同じように頷きながら、丁寧に階段を下る。

 

「凛ちゃんが男の子に揶揄われるところを」

「……スカートの話?」

「うん。それを最初に言ってくれなかったのがショックだったみたい」

 

 真姫には、そういうことになる意味が分からなかった。そもそも彼と凛が出会ってそこそこの年月が経つ。いまさらスカートの件を掘り出したところでなんてことがないのではないか。

 

「別に言う理由もないんじゃない?」

 

 それを聞いた花陽は苦笑いする。

 

「凛ちゃん、そういうところ気にしいだから」

「揶揄った側ならまだしも、見てただけなんでしょ?」

「そうなんだけどね。内緒にしてたこと自体に拗ねてるっていうか」

「面倒な子ね」

 

 花陽、二度目の苦笑い。真姫も同じだろうとは言わなかった。卒業したばかりなのだ。変なことを言って彼女まで拗ねられると後々面倒だと理解していたから。

 

「でも、どうしてソレを花陽が知ってるわけ?」

「う、うん。実は――」

 

 ひゅるりと吹く春風。真姫の呆れた声に表情。「似たモノ同士じゃない」と漏れる言葉を隠そうともしない。長い階段を降りた二人は、ふと小さな背中にぶつかりそうになった。

 

「凛?」

 

 その声は彼女に届いていない。なぜなら、星空凛は目の前に全ての意識が集中していたからである。

 花陽と真姫も、すぐに気づいた。そして二人顔を見合わせて、微笑む。ここで自分たちに出来ることは一つだけであった。

 

「ひゃっ」

「先に行ってるわね」

「後でね。凛ちゃん」

 

 あの日のよう。ファッションショーでのステージ前。無垢のドレスを前に躊躇っていた自身の背中を押してくれた、あの時みたいに。

 

「気を遣わせたかな」

 

 彼がぽつり。どこか嬉しそうに言った。

 

「……ど、どうして来たにゃ」

「どうしてって……卒業祝いに決まってる」

 

 笑った。学ランを着て、いつもとは違う男らしい顔で。音ノ木坂学院と同じ日に卒業した彼も、どこか凛々しい顔をしていた。

 そんな彼を見て、確かに見覚えのある顔だと気づいた。初めて会ったあの時は、制服に気をとられてよく分かっていなかっただけ。唇をキュッと結ぶ。

 

「知ってたんだね」

「うん」

「……ずるいにゃ」

「ごめん」

 

 凛は驚いた。彼が素直に、小さく頭を下げてきたことに。だから慌てたのは彼女の方だった。でも、少年はそんなことには目もくれず言葉を紡ぎ始めた。

 

「僕はずっと、君のことが頭から離れなかった」

 

 でも、そんな彼女をよそに彼は言う。

 彼女の胸が鳴った。あの頃から大して変わっていない小さな胸が高鳴った。チクッと針で刺されたみたいに、ぽろぽろと溢れていく。

 

「君が男の子みたいって言われて、泣きながら走り去っていくのを、僕はただ見つめるしか」

「……もう、昔の話だよ」

「僕も女装趣味があるから、伝わるんだ」

 

 特に子どもの頃は、個性を悪目立ちの理由にしやすい。

 男の子っぽい凛も、女装趣味のある少年も、それは二人が持って生まれた個性そのもの。それを他人に否定される筋合いはこれっぽっちも無い。

 先にそれに気づいたのは彼の方だった。隠すことで余計に苦しい思いをするぐらいならと、平然とやってのけた。あまりにも堂々としているから、卒業を迎える頃には周りもそれが当たり前になっていた。

 

「だから君に近づいた。あの時、助けられなかったから」

「いつ、気づいたの?」

「ファッションショーの時。まぁ、コンビニで声掛けられた時もそんな気はしてたんだけど」

 

 生憎、凛も少年とは同じクラスになったことはない。名前を聞いたところで思い出せないぐらいの関係性だった。

 それが、今こうして目の前に立っているのだから、人生何があるか分かったモノではない。

 

「君は気づいてなさそうだったから、何も言わないでおこうって思ったんだけど」

「……かよちん」

「そう。あの子が気づいちゃって」

「最初から言ってくれれば、こんな……」

 

 凛の悲しみ。その理由は、まさに花陽の読み通りだった。内緒にされていたのが、何より寂しかった。頻繁に連絡を取り合っていた相手だけに、そんな裏事情があるとは思いもしなかった。

 

 けれど――彼には彼の想いがある。

 それが凛にも分かるから、苦しいのだ。このぶつけようのない感情を吐き出す場所が無くて。

 

「僕にそれを言う資格は無いよ」

「……どうして?」

「だって、君を助けられなかったから」

「それは凛が決めることだよ!」

 

 語気がほんの少し強まった。強まったのに、どうしてか。瞳が潤んでいく。

 

「君は助けようとしてくれたんでしょ!? 凛なんかのために()()()()()()なんかして!」

 

 少年は何も言わない。ただ黙って、凛の潤み切った瞳に吸い込まれそうになっている。

 慣れない女装なんて言い方をされても、怒る気になれなかった。だって、それは事実だったから。趣味とはいえ、未だに探り探りなのだから仕方がないのだ。

 

「だから、お詫びに」

「え……」

 

 彼が一歩、また一歩と凛に近づく。

 彼女が視線を少し下げると、彼が片手に何かを持っていた。背中で隠していて分からないが、あれは――。

 

「誰よりも綺麗になった君に、僕からのプレゼント」

 

 一本のカーネーションだった。

 橙色の、星空凛のように輝く花。

 

「……いつもそう」

「うん」

「いつも君は、モノで許してもらおうとする」

「そう見えるのなら謝るよ」

「……ずるいにゃ」

 

 初めて出会った日のことを思い出していた。肉まんをくれたあの日。不思議な人だと思うきっかけになった秋の日のことを。

 

「トラウマはこれからもずっと、心の中にいると思う」

「……」

「だけど僕は、君が誰よりも綺麗だって胸を張って言える。自分の意志で、殻を破ったのを見れたから」

 

 彼女の小さな手は、その輝きを優しく掴む。ふわりと香る花の匂い。どんなに言い繕っても、自身のために用意してくれた事実から目を逸らすことが出来ない。嬉しくて嬉しくて。

 

「お友達待たせるといけないから。じゃあね」

「ま、待ってにゃ!」

 

 呼び止める。あの日みたいに。

 やっぱり少年は、立ち止まってくれる。そんな気はしていたけど、凛はそれが嬉しかった。

 

「そ、その……」

「なに?」

「か、風で凛が倒れちゃうかもしれないから! だから……その」

 

 そこまで言って、吹き出したのは彼の方だった。

 

「ははっ。なにそれ。なら途中まで一緒に行こうか」

「……最初からそう言えばいいにゃ」

 

 強がり。それは本人が一番理解していた。そんな素っ気なくしなくていいのに。そう言えたらどれだけ楽だろうとも。

 二人並んで歩く。凛は少年の肩ぐらいまでしか無い身長で、視線を上げてみる。初めて会った日より、髪が伸びていて大人びて見えた。

 

「でも君ってホント、面倒な子だよね」

「うるさいにゃ!」

 

 少年は笑う。でもそれは、小泉花陽が言った通りの女の子だったからだ。あまりにも彼女の言う通り、素直なようで素直じゃない。無論、それは彼自身にも言えることではあるが。

 現に、凛が拗ねてからは直接連絡をとっていない。彼も花陽に糸口を求めたのである。だから、先ほど真姫が「似たモノ同士」と評したのも分かる。

 

「――そういえばさ」

 

 彼がおもむろに口を開いた。

 微妙に空気が変わった気がした。

 

「女装が趣味の僕だけど、恋愛対象は女の子なんだよね」

「へっ」

 

 それは予想していたようで、していなかったことである。あまりにも唐突であったが故に、凛は反論出来なかった。空気がほんの少し、桜色に変わっていく。それは彼女だけにしか見えない景色。

 

「だから、これ以上綺麗になったら。僕は君を好きになっちゃうかもよ。凛ちゃん」

「……もうっ! 揶揄わないでほしいにゃ!」

「その時はカーネーションのお礼にキッスしてね」

「きき、き、キッス!? に、にゃー!!」

「痛い痛い! 引っ掻かないでってば!」

 

 どことなく吹く春風。

 二人を包み込む桜の香り。

 けれどやっぱり――。

 スカートは、ひらりと舞わない。

 

 

 

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