ラブライブ!短編集〜私たちとμ's〜   作:ちゃん丸

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作者:カゲショウ




私が選ぶ道

 

 

 

 あの日九人で駆け抜けた日々は毎日が大きな分岐点だった。

 

 一人ひとりが何かに悩んで、皆が何かを悩んで、そして悩みに悩んだ末に今に繋がる選択をしてきた。その考えは解散して二年たった今でも変わらないのだから、本当にそんな毎日だったのだろう。

 

 選び続けた日々が今の自分を形作っている、そういっても過言ではないし、真姫自身そのことを誇りだと思っている。それは恐らく彼女だけではなく、九人全員が思っているはずだ。

 

 時に笑い、時に渋り、時にふざけて、時に涙を流しつつも歩んできた道がある。それら全てを無かった事になんてしたくないから、西木野真姫は解散後も選び続けてきた。先へ進むために何度も何度も選び続ける。

 

 そんな彼女は今、とても大きな分岐路の前に立っていた。

 

 彼女にとってこれからの人生を左右する大きく、とても重要になるであろう分岐点に――。

 

 

 

 

 

 雲がなく晴れ渡っているにも関わらず、空気が冷え込んでいる1月半ばの真昼。音ノ木坂学院の三年生の教室は沈黙に包まれ、紙を捲る音とシャープペンシルで何かを記入する音しか聞こえない。

 

 教室にいる生徒は半数にも満たないが、全員が真剣な面持ちで机に広げた用紙に目を走らせている。それは、いつもは能天気な笑顔でいる星空凛や、小心者でおどおどしている小泉花陽、そして冷静でクールな西木野真姫も同様で、今までにないくらい集中していた。

 

 今日は1月15日。高校三年生にとってこれからの道を決める第一歩、つまりは大学共通テストの翌日だ。今はその自己採点が行われており、自身の答案に皆一喜一憂している。

 

 その中でも特に表情の変化が激しいのは凛で、彼女は現在英語の採点をしているのだが、採点が進むにつれて喜び、悲しみ、そして採点の折り返し時点でおおよそ感情というものが抜け落ちていた。

 

「…………これで終わりね」

 

 ふぅと小さく息を吐く真姫。凝り固まった体を解して、また息を吐く。

 軽く教室を見渡してみるが、まだ殆どの生徒は採点を終えていなかったので大人しく口を閉じて手元の点数表に視線を落とす。

 

 予想よりはできていたかな。それが真姫の感想だった。

 全教科八割は越していたし、英語の筆記に関してはどうしても解けずに山勘で答えた所が当たっていてまさかの満点。流石の真姫も嬉しかったのか、その点数を何度も見て口元を少し緩めるのだった。

 

 しかしその反面科学の点数が81点とギリギリ八割という、予想を下回る結果だったため、その口元は過ぎにいつもの緩いへの字に戻った。

 

 一応今現在真姫が考えている全ての大学の平均値には届いてはいるのだが、全てが安全圏というわけではなく、受験生には十分な不安要素となり得る。安全圏に手がかかっているだけなのはこんな気持ちなのか、と湧き出る不安に身動ぎする。

 

 もどかしい現実に思わず溜息を吐いたところでふと周りがさっきよりにぎやかになっていることに気付き、視線を上げる。

 

 どうやら他の生徒達も徐々に採点が終わり始めているようで、手元に残った結果に表情を曇らせる者、小さく片手で喜ぶ者、声には出さないが体全体で喜びを表現している者、逆に机に突っ伏している者と様々だ。

 

 凛と花陽の結果はどうなったのだろうか。それが気になったところで都合よく授業終了のチャイムが鳴った。本来正式な授業ではないので真姫達三年生が従う必要はないのだが、三年間続けた習慣のせいか、ほぼ全員がその音と共に手を止めて休憩に入る。

 

 真姫も席を立ち一番心配な凛の元へ行こう、そう考えた瞬間とてつもない衝撃が身体を襲い、思わず「ひゃっ?!」と変な声が出た。

 

 いったい何が起きたのか。そんな事は真姫には目で確認せずとも分かっていた。

 

「真姫ちゃーん! 大変だにゃー!!」

 

 そう、心配していた凛本人が真姫に突撃してきたのだ。涙を両目に溜めて真姫の右腕に縋り付く姿はテスト後の風物詩のようなもので、これを遠巻きに見ていたクラスメイトはまたかと苦笑する。

 

 はぁ、と大きく溜息を吐き、真姫は凛を慣れたって突き出引き剥がす。

 

「もう! いきなり抱きつかないでってずっと言ってるでしょ!?」

 

「ご、ごめんにゃ……」

 

「まったく……。で? 今回は何なのよ」

 

 今こうして凛が自分か花陽に泣きついてくる理由など真姫にはひとつしか思い当たらないのだが、念のため問いかける。

 

 しかし凛は涙を滲ませてにゃあにゃあと泣くだけで人語を介さず全く要領を得ない。どうしたものかと真姫が頭を悩ませていると、啄むように肩をつつかれた。今度は誰かと振り返れば、そこには花陽が苦笑を浮かべて立っていた。

 

「ま、真姫ちゃん、多分これが原因じゃないかな?」

 

 どこか遠慮がちにその手にあった一枚の紙を渡される。それはどうも凛の点数表らしく、やっぱり試験関係の事かと悟りつつ受け取った瞬間凛の動きがぴたりと止まった。

 

 真姫は点数が悪くて泣きついたのだろうと予想していたのだが、ざっと目を通してみても凛が泣きつく程点数は悪くなく、全体的に六・七割は取れている。大学共通テストの平均が例年五割強なので結果としては悪くないのでは? と思ったが、それはすぐに思い直す事となる。

 

「り、凛! ちょっと、この英語の点数は……?1」

 

真姫は驚愕した。一年の頃から英語が苦手で定期テストの度に泣きを見せており、大学共通テスト前日も「ドイツ語で受けたい」と真顔かついつもの語尾も取れる精神状態で無理を言っていたので、二人とも英語の点数に期待はしていなかった。そう、期待していなかったのだが、まさか――

 

「八割こえたにゃ――――!!!!」

 

「へ? あ、ちょっ!!」

 

 歓喜の声を上げて勢い良く凛は真姫に抱きついた。その反動を殺しきれず、真姫は強制着席させられる。

 

 凛の点数表に刻まれている英語筆記の点数は172点。確かにあの凛からすると人類が宇宙進出を果たしたほどの偉業であるし涙も出る。その事を花陽は自分の事のように喜び、真姫も抱きついて騒ぐ凛を強めの語調で窘めてはいるが、その表情は自分の英語の採点が終わった時より明るい。

 

「やったね、凛ちゃんっ」

 

「自分でも信じられなくて四回見直しするまで生きた心地がしなかったにゃあ……」

 

「まぁ前日まで五割が限界だったから、まぁ、分からなくもないわね」

 

 受験はまだ第一関門が終わっただけで第二関門の二次試験が残っているのだが、凛の喜びようは大学に合格した直後のようだ。

 

 暫くその様子を見ていた真姫は「そういえば」と花陽の方を向く。

 

「花陽はどうだったのよ。共通テスト」

 

「わ、わたしは凛ちゃんみたいに点数が伸びたって事はなくて、模試と殆ど一緒の七割くらいだったよ。倫理政経は全然駄目だったけど……」

 

 たははと笑う。幸い、花陽の志望する大学は世界史、日本史、倫理政経の中から一つ選択なので、点数の良かった世界史で勝負するようだ。

 

 受かりそう? 聞くと、「ちょっと厳しいかな」と苦笑する。でも、と繋げる。「最後まで諦めないよ」。強く宣言した。

 

 その躊躇いの無い言葉に真姫は意外そうに驚くも、すぐに「そう」と微笑む。ついこの間まで自分のやりたい事さえ口に出せなかったのに。強くなったな、そう感じる。

 

「なんか、穂乃果に似てきたわね」

 

「そ、そうかな? わたしはそんな事無いと思うけど……」

 

「ううん、凛もそう思うよ! 三年生になってからのかよちんはすっごく逞しくなったにゃ!!」

 

「その褒め方は女子相手にどうなのよ……」

 

 凛に呆れつつも真姫はその言葉を否定しなかった。

 

 確かに花陽は逞しいというのは言い過ぎだが、心の芯の部分がこの三年間で本当に強くなった。でなければ厳しい状況と分かっているのに諦めないという言葉は出ないだろう。

 

 花陽だけではない。凛も穂乃果の影響で良い方向に成長している。目標のために懸命に努力する継続力とエンジンのかかり難さは確実に穂乃果譲りだ。……余談ではあるが、どうも最近誰の影響かは分からないが星に興味を持ち出したらしい。

 

「真姫ちゃん真姫ちゃんっ」

 

 こうやって全力で尻尾を振る中型犬のような雰囲気も穂乃果みたいで、あの先輩の影響力のでかさに少しだけ呆れつつ「何?」と返す。

 

「真姫ちゃんはどうだった?」

 

「どうって、何がよ」

 

「共通テストの結果の事じゃないかな」

 

 そういえばそんな話の途中だったと納得し、小さく咳払い。

 

「私は大体九割ね。化学はギリギリ八割キープって結果だったわ」

 

「「きゅ、九割!!??」」

 

「ちょっ! 声がでかいわよ!!」

 

 何でもないように言う真姫とは反対に目を限界まで開くほど二人は驚いた。

 

 その際に教室中に響く程の声を上げたので真姫は一瞬にしてクラスの注目の的となり、教室がにわかにざわつき始める。「九割だって?!」「流石西木野さん、といったところね」「そんな、今回は八割取れて自身あったのにぃ……」反応はそれぞれだったが、七割取れれば御の字の大学共通テストで約九割なのだから当然の反応だろう。

 

 嬉しさ半分恥ずかしさ半分といった表情で緩いへの字の口がうにゃうにゃと動き、人差し指がくるくると髪を弄る。

 

 そんな中、凛がポツリと呟いた。

 

「いいなぁ。そんなに点数があったら大学選び放題にゃ」

 

 その言葉にギクリとする。

 

「真姫ちゃんの第一志望は東大だったよね? これなら大丈夫……なのかな?」

 

 その言葉にタラリと汗を流す。

 ほんの数秒まで動いていたへの字はその動きを止め、頬も朱がさしたというより、白さに磨きがかかっているように見える。

 

「…………真姫ちゃん、どうかしたの?」

 

 とても些細な変化ではあったのだがそれを花陽と凛は見逃さなかった。心配そうに眉尻を下げて真姫を見る。

 

 別になんでもないわと口では言うが、反らした顔とより活発になった人差し指がそれは嘘だと語る。軽く閉じた瞼は悟らせまいと何かを隠す。

 

 花陽と凛はどうしたものかと顔を見合わせて考えた。どうしよう? どうするにゃ? 話だけでも聞いてみようよ。賛成にゃ。

 

 頷きあって真姫に声をかける、その瞬間に始業のチャイムが鳴り席についてくださいと先生の指示が飛ぶ。

 

「ほら、二人とも席に戻りなさいよ」

 

「で、でも……」

 

「別に本当になんでもないわよ。ちょっと採点ミスが無かったか心配になっただけだから」

 

 そういって視線で二人に着席を促す。つき愛情これ以上は何を言ってもはぐらかされるだけだと分かっている二人は、納得はいかないものの席に戻ることにした。

 

 ふぅと安堵する真姫に、花陽が言う。

 

「いつでも、相談にはのるからね?」

 

「…………そうね。そのときは相談するとするわ」

 

 多分“その時”が来たとしても二人には話せないと思うけど。心の中でそう続けた。

 

 教壇に立つ先生からの今後の注意事項を聞きつつ、真姫は二冊のA4サイズの薄い小冊子を取り出す。その片方の表紙には音ノ木坂学院のような赤褐色の煉瓦造りの建物を背景に数人の段所が笑みを浮かべている写真が、もう一方には窓ガラスの多さと独特な造型の建物の写真が飾られており、大学名がでかでかと載っている。所謂パンフレットという物だ。

 

 前者には日本の最高峰とも言える大学の名前が。そして後者には有名な音楽大学の名前が書いてあり、その二つの文字列を見て真姫は悩ましげな溜息を吐いた。

 

 異なる二つの大学のパンフレット。そしてそれなりに良い点数にも関わらず浮かない表情、二人には話せない事情。

 

 つまるところ、西木野真姫は自分の進路を未だ決められずにいるのだ。

 

 

 

 

 

 真姫自身、自分の進路は高校入学前から決めていると思っていた。親が大病院の院長で、その親から医学の道を勧められたし、個人的な興味もあった。将来性も含めて悪くない選択だとも思う。

 

 だから自分はその道に進むのが当たり前だと、そう考えてきた。

 

 しかしどうにも物事というものは思い通りには進まないらしく、高校に入学した真姫を待っていたのは超大型の嵐だった。

 

 入学早々廃校、スクールアイドルへの加入、文化祭での騒動、ラブライブ出場、そして優勝。今までの平穏無事な生活とは懸け離れた波乱万丈で騒々しい毎日。泣いたり笑ったりぶつかったり、色んな事が次から次へと起こり、今でも思い出すだけで溜息が出そうになる。

 

 ただ、そんな日々の中で生まれた想いもあった。

 

 

────これから先もずっと曲を作っていきたい。

 

 

 μ’sでの活動の中で生まれ、育まれた想い。曲を作って歌う事の楽しさを知ってしまったゆえに強く想ってしまったのだ。

 

 で、彼女の抱えている問題はここから複雑化していく。

 本来ならば医学の道を進む傍らで曲を作っていけばいいだけの話であるのだが、完璧主義の気質と思春期らしい欲の強さが彼女に音楽大学に進むという選択肢を与えてしまったのだ。

 

 更にその悩みを打ち明けた親からは反対されて止められるどころか、少し嬉しそうに「自分のやりたいと思った道に進みなさい」と背中を押すのだった。

 

 それじゃあと音楽の道に進もうとしたが、解散以降何曲も作っても達成感や満足感を感じず、医学の道に進もうとしても元々そこまで執着が無かった医学よりも音楽の方がと、音楽を諦めずに時が過ぎてしまい、現在に至る。

 

 幸い受験日が被っていないので両方受験するつもりではあるのだが、どちらの道に進もうか、彼女はまだ迷っているのだ。

 

「…………ふぅ」

 

 窓から見える景色がほぼ黒に塗りつぶされた頃、自室の机で音楽大学の入試用の曲を作曲していた真姫は手を止めて軽く伸びをする。パキパキと小気味いい音が耳に響く。

 

 一息入れよう、そう思って立ち上がるが、時計は既に翌日の時を刻んでいる事に気付き少し考える。

 

「今日はもうやめた方がいいわね」

 

 曲の全体はもう完成したのだし、残りの調整や修正は明日からでも十分入試に間に合う。今は身体を壊さないように休むほうが懸命だ。机の上に広げていた五線譜をまとめ、ふと思う。

 

 この曲は入試で使う事もあり力の入れ方は今まで作曲してきた中でも三本の指に入るほどだし、調整前のこの段階でも既に完成度に自信がある。それは事実だ。作曲中は頭を悩ませる事が多々あったが、結果的にはいつも通り楽しかった。それも事実だ。

 

 ただ、自信があっても、楽しいと思っても、やはり満足感等を感じる事は無かった。

 

「何なのよ、もう……」

 

 原因を突き止めようと思考を巡らせても答えは出せず、頭の中がぐちゃぐちゃになるだけだ。後少しで、出てきそうなのに。

 

 机の上を片付け終えたけれど、とてもすぐに寝付ける精神状態ではなかった。

 

 ホットミルクでも飲んで少し落ち着こう。物音をなるべく立てないように気をつけ、階段を下りてキッチンへ向かう。

 

 真夜中の廊下は冷たく、ぎゅっと実が縮こまる。1月ももう終わりだというのに全く衰える気配の無い冷気は本来受験生には毒だが、考え事で少し興奮している今の真姫にはちょうどいい鎮静剤になった。

 

 足音をなるべく殺してリビングに繋がるドアに近づく。そしていざドアを開けようとしたところでふと動きを止める。微かに物音が聞こえる。

 

 泥棒にでも入られたのかと身構え、ごくりと固唾を飲んで数回深呼吸。意を決して中にいる人物に気取られないよう細心の注意を払いつつドアを開けた。

 

 リビングに人影は無い。けれどもキッチンから微かな光と物音がするので、やはり誰かがいるらしい。

 

 恐る恐るキッチンへ近づく。そしてその光の下にいる人物を視界に捉え、目を丸くする。

 

「ぱ、パパ……?」

 

「ん? あぁ、真姫か」

 

 そこにはキッチンの侵入者である真姫の父がスウェット姿で立っていた。彼の背後の電子レンジからはヴーという音がする。

 

 毎朝早く起きて仕事に行っている仕事人間なので、もう寝ていると思っていた真姫は驚きが隠せなかった。

 

 こんな夜中にどうしたのか。何をしているのか。どれから父に聞こうか悩んでいると、父の背後から軽快な音が聞こえて思考を中断させられた。開かれた電子レンジからふわりと芳香が広がる。

 

「ほら、いつまでもそこに立ってないでこっちに来なさい。ちょうど暖かいミルクができた所だ」

 

 カップを二つ携えた父の元へ行き、それを受け取る。

 差し出されたミルクは人肌より少し高いくらいで、触れている部分からぬくもりがじんわりと広がっていく。

 

「……甘い」

 

 一口飲むとミルク独特の甘さと芳醇な果実の香りがが染み渡り、それが妙に心が穏やかになった。

 そんな真姫を見て父は優しく微笑む。

 

「どうだ、美味しいだろう?」

 

「美味しいけど、これ何が入ってるの? 何か果物の香りがするんだけど……」

 

「ブランデーをいれてるんだ。一、二滴でも結構かわるものだろ?」

 

 少しだけ得意げな顔でミルクを啜る。対して真姫は困ったように形の良い眉をハの字にする。

 

「未成年にお酒入りのを勧める? 普通」

 

「普段はしない。医療行為という事で今回だけ特別だ」

 

 普段真面目な父とは違うその態度に再び目を丸くするが、その優しさがなんだかこそばゆくなり口元が緩む。「ありがとう」と小さく呟く。父は何も言わずに微笑んでくれた。

 

 それから暫くはお互いに何かを話すわけでもなく、父のいれたホットミルクをただ飲んでいた。自分のために用意してくれた父の優しさと温かいミルクがぐちゃぐちゃになっていた真姫の頭を優しく解きほぐしていく。

 

 半分くらい飲み終えた頃に、ポツリと父が問いかける。

 

「真姫、勉強はどうだ? 大丈夫そうか?」

 

 間。

 

「大丈夫かどうかは正直わからないわ。でも、私にできる精一杯でやってる」

 

「そうか…………そうか」

 

 満足そうに頷く父。その短く繰り返された言葉には確かな喜びが滲んでいた。仕事人間といえど、なんだかんだで家族が大事なのだ。愛娘が懸命に努力しているのを聞いて喜ばないはずがなかった。

 

 こんなに親が自分の事を思ってくれている事が嬉しい反面、やはり未だに進路を決めていない事を申し訳なく感じてしまう。

 

 以前母にこの事を話したら「目一杯悩んで決めなさい」と言われた。

 

 では、父はどんな答えを出すのだろう。

 

 ミルクを一口飲んで不安で早まる鼓動を落ち着かせ、喉の奥から搾り出すように父に問いかけた。

 

「ねぇ、パパ。何でパパ達は私に何も言わないの?」

 

 その言葉に父は瞬く。

 

「……何も、は何に対しての事だ?」

 

「だから、その……」

 

 カップを持つ手に自然と力が入る。それでも聞かなくてはと、勇気を振り絞る。

 

「その、私がまだ進路を決めてない事に、何も……」

 

 言葉の最後のほうは小声になってしまったが、何とか言い切った。

 

 どんな言葉が返ってくるのだろうか。もしかしたら素直に医学部に進もうとしなかったから、心のそこでは呆れられていて、その事を言われるかもしれない。怒られるかもしれない。そんなネガティブな考えが脳裏を掠める。

 

 父はそうだなと言ったきり考え込んでいて、その無言の間が真姫の不安を駆り立てる。

 

 そして身体を強張らせて待っていた父の言葉が静かなリビングに優しく響く。

 

「真姫の現状に何か言わないのかって話だが、勿論言いたいことは両手の指じゃ数え切れないほどあるさ。こう見えても私は心配性だからね」

 

 父の言葉に胸がきゅっと締め付けられたような感覚に襲われる。やっぱり父や母は我慢しているだけなのだと、実感する。

 

 だけどな、と父は言葉を続ける。

 

「今の真姫は惰性でも強制でもない、自分の意志で未来を決めようとしている。自分のやりたい事を必死に追いかけてる。私達はそれが親として本当に嬉しいし、誇らしいんだ」

 

 真姫の頭に右手を乗せて宝物に触れるように優しく撫でる。その瞳には目の前の我が子への愛が溢れていた。

 

「だから心配は要らない。全力で悩みなさい。今の私にできることは少ないが……真姫の本当にしたい事が見つかるまで、こうしてホットミルクを淹れてあげるから」

 

 ……ああ、そうだった。この人達は本当に自分の事を愛してくれている。呆れているならとっくに突き放しているだろうに、そんな事に気付かないほど余裕が無くなっていたとは。

 

 撫でられている頭から伝わるぬくもりが心地よく。今までの不安が全て吹き飛ぶようだった。

 

「パパ」

 

「何だ?」

 

「もうちょっとだけ、迷惑かけても、いい?」

 

 父が優しく微笑みかける。

 

「迷惑なものか。……頑張りなさい」

 

「うん。ありがと」

 

 こくりと飲んだミルクは、とても優しい味がした。

 

 

 

 

 

 あれから時は経ち、色んな事があった。それは例えば凛が第一志望の私立大学に合格した事。例えば筆記試験はボロボロだったと嘆く花陽が、面接で面接官をうならせるほどの演説を披露した事。真姫が凛と花陽に志望大学がまだ決まっていないと打ち明けた事。いつの間にか音楽大学を受けることがμ’s全員に広まっていて、受験当日に総出で激励された事。そして、真姫が見事合格を勝ち取った事等、本当に色々な事があった。

 

 そして今日、真姫は全ての試験を終えた。

 

 大学の正門を出た真姫はひとまず全試験を乗り越えられた事に安堵し、小さく息を吐く。肩が試験前より幾分か軽く感じる。

 

 試験内容は日本最高峰レベルという事もあり、当然の事だが一筋縄ではいかない問題ばかりだった。それでも試験を終えた今、合格しているという自信が残っているあたり、これまでの努力が無駄ではなかったのだと強く思えた。

 

 しかし、これで全てが終わったわけではない。

 

 彼女はまだ、自分の答えを見つけ出せていないのだから。

 

 父と話したあの日からずっと考えてはいた。自分の本当にやりたいことは何なのか。それはもうとっくに分かっている気はするのに、具体的に聞かれると言葉にできない。

 

 そこさえ分かればこれまでのモヤモヤとした感覚も分かるのに、分からない。

 

「自分の事なのに自分が理解できてないなんて、ホント、イミワカンナイ」

 

 彼女の歩みはどこか頼りなく、2月末になって晴れやかになりつつある風景とは反対に、その顔には影が落ちている。

 

 それから暫く帰路を歩いていた真姫だったが、少しだけ一人になりたくて進路を変更し、フラフラと歩く。なるべく人がいない場所へと無意識に身体が動いて数十分。夕方で人気も少ない不忍池へと辿り着いた。無風のため静かな水面は夕日を反射してキラキラ輝いている。

 

 その光景を見ている真姫の脳裏では懐かしい記憶がフラッシュバックする。

 

 ラブライブ決勝戦、ステージで歌い踊る真姫達。そして客席でキラキラと輝き揺れるサイリウムの海。目を閉じれば今でも鮮明に思い出せる。

 

「あの時はこんな気持ちになんてならなかったのに……」

 

 μ’sとして活動していた頃は作曲した後は心が満たされていた。解散後も暫くは後輩のために作曲をしていて、その間も心が満たされない事はなかった。

 

 しかし、今は心が満たされない。この違いはいったい何なのか、今の真姫にはさっぱり分からなかった。

 

 もう、溜息すら出ない。

 池を囲んでいる柵にもたれかかり湖面を見つめる。そこに映っている自分の姿は二年前より髪も伸びたし幼さが抜け大人びてはいるが、あの頃よりもどうしようもなく情けなく見えた。

 

 もういっそ先に合格が決まっている音楽大学に入学しようか。理由なんて後から適当につければいい。そう結論付けようとした瞬間、懐かしい声が耳を刺す。

 

「なーに黄昏てんのよ、アンタは」

 

 振り返れば2年前からまったく成長を感じない幼い体躯をスーツで包んだ懐かしの先輩、矢澤にこが立っていた。

 

「にこちゃん……」

 

 どうしてここに? という問いかけに「仕事帰りよ。珍しく定時にあがれたからね」と返す。その言い方から察するに、いつもは定時であがれないらしい。

 

 にこは深い溜息を吐きつつ自然な動作で真姫の隣に立ち、柵に背中を預けた。

 

「久しぶりね。って言ってもアンタの音大受験以来だからそこまで久しぶりじゃないんだけど」

 

「実質二週間ぶりね。……あの時は正門に皆がいたから本当に驚いたわ」

 

「前日の夜に穂乃果から呼ばれたのよ。ったく、社会人の朝は忙しいってのに……」

 

 そう言いつつも実は誰よりも早く集合場所に来てたりする。その事を凛から聞いていた真姫はくすりと笑みを溢す。

 

 にこは真姫のその笑みの真意を知らず、急に笑い出した真姫を訝しげな目で見るが、まぁ言いかと割り切った。

 

「それで話は戻るけど、アンタはここで何黄昏てたのよ」

 

 さっきの問いを再度、真姫に投げつける。

 

「別に黄昏てないわよ。試験が終わったからちょっと立ち寄った。それだけ」

 

「……ふーん」

 

 二歩横にスライドして真姫の顔を覗き込む。

 睨むでもなく疑いのまなざしを向けるでもなく、ただ純粋な瞳で真姫を見る。一秒、二秒、三秒……真姫が目をそらす。

 

 その反応を見たにこは肩をすくめ、手間のかかる子供の相手をするように言う。

 

「アンタは嘘つくのが下手なんだから、変な気遣いをしたって無駄なのよ」

 

「……気遣ったわけじゃないわよ」

 

「あっそ。まぁいいわ。そういう事で」

 

 ザァッと吹いた風になびく黒髪を押さえて、ふぅと息を吐く。そんなにこの姿を見て今までにこから感じた事のない“大人”を感じ、ドキリとする。

 

 視線を真姫から夕焼け空に移し、もう一度息を吐く。

 

「…………進路、まだ決めてないらしいわね」

 

 恐らく花陽か凛辺りから聞いたのだろう。別に口止めをしていたわけでもないし、既にバレているなら隠す必要もないかと、真姫は何も言わずにこくりと頷いた。

 

 にこは素直に肯定してくるとは思っていなかったらしく、意外そうに目を瞬かせるが、すぐに薄く笑みを浮かべた。

 

「どうせアンタの事だから変な気遣いや意地張って誰にも相談できてないんでしょ? だからこのスーパーアイドルにこにーが全部聞いてあげるから、思ってる事全部吐き出しなさいよ」

 

 成長の痕跡がまったく見当たらない薄い胸を張るその姿からはさっきの大人らしさは感じられず、思わずガッカリして肩を落とす。けれどもこっちの方が“らしい”と感じるのだった。

 

 だから、そろそろ限界だし自分の思いの全てを話してみよう。そう思えた。

 

 吸って、吐いて、また吸って。また吐いて、話を始める。

 

「にこちゃん、私ね――」

 

 相談し慣れていないので、真姫の紡ぐ言葉はたどたどしく、話が前後によく飛んでしまっている。

 

 それでも全てを話す。最初は医大に進もうとした事。皆と一緒にスクールアイドルをやってる内に作曲の楽しさを知った事。音大の道を考え始めた事。作曲家として生きていく事も考えている事。だけど最近は曲を作ってもしっくりこない事。自分の作りたい曲が分からなくなってきた事を全部、ありのままに伝えた。その間にこは一言も口を挟む事無く、静かに頷きながら耳を傾けていた。

 

 真姫が全てを話し終えた頃には夕焼け空が黒に変わり、二人を街頭の白い光が照らしていた。

 

「──そう。そんな悩みを抱えていたのね」

 

 真姫のこれまでを労う様な優しい声音。それだけで、少し心の靄が晴れた気がした。

 

「まぁ、アンタが悩む理由は分からないでもないわね。多分私がアンタの立場でも悩んでいたと思うわ」

 

 流石にここまで長くは悩まないと思うけど、と付け加える。悪かったわねと真姫は少し頬を膨らませた。

 

 そんな彼女を見てにこはくつくつと笑い、軽く深呼吸をする。

 

「でも……まぁ、そうね。医大に行くか音大に行くかはアンタが決めなきゃいけない。だからアタシからはどっちが良いよとは言えないわ」

 

「…………そうね」

 

 分かっていた事だ。結局はその判断を下すのは自分だから、にこからその答えが出てくる事はない。

 

 でも、とにこが続ける。

 

「今の話を聞いて一つだけ、アンタが勘違いしてるってのはハッキリ分かったわ」

 

「か、勘違い?」

 

 オウム返しをすると、にこはそうよと言って諭すように言う。

 

「アンタは自分の作りたい曲が分からなくなったって言ったけど、そうじゃないわ。それは達成感や満足感を感じなくなった事を都合よく納得させようとしてるだけよ。現にアンタ、音大の入試で曲作って受かってるんでしょ? それってアンタは自分の作りたい曲、作ろうとしてる曲はちゃんと理解できてるって事じゃないの?」

 

 言われてみて気付く。確かにあの大学は自分の作りたい曲も分からない状態で作った曲で合格できるような甘い場所ではない。それに分からなかったら作った曲を自信作だとも思えないはずだ、と。

 

でも。だとしたら。

 

「じゃあ何で……何であの頃のような気持ちになれないのよっ」

 

 作曲するたびに感じるあの靄の正体が説明できない。

 

 今まで覆い隠していた不安が再び暴れだし、それから身を守るように真姫は自分の身体を抱きしめる。

 

 寒さではない自分の中の未知への恐怖から身体が微かに震える。

 

 ふわりと真姫の右手に温もりが重なった。真姫の右手をにこの左手が包み込む。

 

「アンタはね、作りたい曲が分からなくなったんじゃない。多分、作った先にいる人が分からなくなっただけなの」

 

 靄が、晴れた。

 

「前からアンタは誰かのために動いてた。μ’sのために曲を作って、後輩のために曲を作って……アンタが作る曲の先には誰かがいて、その人のためにアンタは曲を作ってた」

 

 今まで曲を作ってきた時の光景が脳裏に浮かぶ。

 

「けど今はただ作っているだけで、誰かのための曲じゃなかった。だからアンタは満足感も達成感も感じなかった……違う?」

 

 全くその通りだった。

 

 言われてみて気付く。作曲してもしっくりこなくなったのは誰かのために曲を作らなくなってからだと。自分の曲の先にはいつも誰かが「ありがとう」と喜んでくれていて、それが嬉しくて、それで――

 

 

――私、西木野さんの歌声が大好きなんだ。

 

 

――あの歌とピアノを聴いて感動したから、作曲、お願いしたいなぁって思ったんだ。

 

 

 始まりからずっと、誰かのためだった。

 

 右手に重なってた温もりが離れていく。暴れていた不安はもういない。震えも止まった。

 

「……にこちゃん、ありがとう」

 

「……アンタに素直にお礼を言われると違和感あるわね」

 

「ちょっと! それどういう意味!?」

 

「さて、どういう意味でしょうね。……ほら、そんな事より今はやるべき事があるでしょう?」

 

 しっしっと手を振って真姫を追い払う。その扱いの雑さにムッとするが、口を固く結んで出てきそうになった言葉をすんでの所で飲み込んだ。

 

 その言葉の変わりにもう一度ありがとうと伝えて走り出す。今は一刻も速く伝えるべき事ができたから。

 

 父と母に伝えたい事が――。

 

 

 

 

 

 三月十一日。この日は国立音ノ木坂学院の卒業式の日だった。

 

 本来はこの日を境にこの学院は廃校、真姫達が最後の卒業生となるはずだったのだが、今となっては入学希望者が急増して、本当に廃校の危機に直面していたのかどうか疑わしいほどだ。

 

 それはきっと高坂穂乃果の働きかけから始まり、μ’sの……いや、この学院全員の努力が成し遂げた奇跡なのだと、今日を持って卒業する三年生全員は思っていた。

 

 その渦中のメンバーだった三人もついにこの学校を去り、自ら選択した道を歩む事となる。

 星空凛は女子陸上の強豪と呼ばれる大学へ進み、もう一度陸上をやってみるらしい。ただ、あのファッションショー以来服飾にも興味が出たらしく、服飾関係についても勉強していきたいと明るく笑い、正門を後にした。

 

 小泉花陽はもともと農作物、特に米に関して興味を持っていた。大学ではそこから発展させた食物栄養科学を勉強し、飢えで苦しむ人たちがどうすれば栄養価の高いものを食べていけるかを学んで生きたいと語った。しかし、その裏でダイエットする際にどのような食事が精神的に苦しくないのかを研究したいという野望があることを真姫達は知っている。本人はばれてないと思いつつ、これからも頑張りたいと前向きな笑顔を残して正門を出た。

 

 そして、西木野真姫は──医学の道に進む事を決めた。それはあの日出した自分の本当にやりたい事だ。曰く、「結局何が原動力で自分が動くのか分かったから、それを踏まえたうえで二つを考えたら、送り先が不鮮明な作曲家よりは現場で直接人と触れ合うほうが多分、性にあってるんだと思うから」との事だ。その事を二人に話すと「そっか」と真姫の選択を祝福してくれた。にこもまっすぐにではないけれども、祝福してくれた。

 

 きっとこれからも真姫は選び続けなければならない。どんなに悩もうとも、どんなに苦しかろうとも人生の分岐点は必ず訪れるのだから。

 

 その時は後悔してもしなくても、自分らしく道を選んでいこうと心に誓い、真姫は正門を後にするのだった。

 

 

 

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