走れるだけでよかったのに 作:〆切の逃亡者
人には夢がある。
野球選手、ピアニスト、漫画家……
誰もが夢を追いかける。いつしか叶うことを信じて。
誰かが言っていた、「諦めなければ夢は叶う」と。
僕はその言葉を聞いて、ひどく腹が立った。
僕の夢は追いかける前に終わっていた。
スタートラインにすら立たせてもらえなかった。
諦めなければ夢は叶う?違う、夢を追いかける権利がある人が諦めなければ叶うんだ。
僕にはその権利が無かった。
両足の不全。
これが僕の生まれ持った身体。
そして最も不幸なことは、僕が持った夢。
「走りたい」
ポツリとそう呟いて、すぐさま後悔した。
『ごめんね』と涙を流しながら繰り返すお母さんの姿そのものが、僕の肩をキツく抱き締めるその腕よりも、ずっと胸を締め付けた。
そんなお母さんを不安にさせたくなくて出た「大丈夫だよ」の言葉は上手く僕の心を隠せていただろうか。
その時僕は笑顔を上手く作れていただろうか。それが今でも不安になる。
僕はその時から仮面を被り続けた。
笑顔という無敵の仮面を。
病弱で貧弱で軟弱な僕が唯一できること、それは笑顔でいることだった。
何でもないような事に笑い、苦しい時も悲しい時も笑顔を絶やすことは絶対にしなかった。
笑顔で「心配しないで、大丈夫だよ」と、自分に言い聞かせるようにそう繰り返した。
ただ、僕のせいで悲しんでほしくなかったから。
こうして病院のベッドの上で、生きているのか死んでいるのか分からないような生活を送る日々。
検査と治療とリハビリを繰り返す無機質な日々。
そんなある時、病院の中庭で駆け回る子供たちが目に入った。
無邪気な笑顔で、年相応に友達と遊ぶ子供たち。
そんな子供たちに、ひどく嫉妬した。
本当はあんな風になりたかった。
普通の人ですら、子供ですら叶えられるような夢。
誰もが夢とすら思わないような、ちっぽけな夢。
でもそれは僕には叶わない。その願いは遠く遠く離れていく。
検査を、治療を、リハビリを、繰り返すたびに走ることができないと分かってしまう。歩くことすら、立つことすらままならないと分かってしまう。
叶うわけがない、諦めなければいけない、そう自分に言い聞かせる。
だけど、時が経つにつれて願いは大きくなっていった。
地面を踏む感触はどんな風だろう、
肺が痛くなるほど走るのはどれほど苦しいのだろう、
全力で走って見る景色はどれほど美しいのだろう。
そんな叶うはずがない願いを、切に思い続ける。
なんて虚しいことだろう。
なんて悲しいことだろう。
なんて苦しいことだろう。
それでも願わずにはいられなかった。
僕の足は文字通り付いているだけだ。
動かすこともできなければ、触れられたことすら分からない。ただの付随物だ。
いっそのこと、両足が無かったらスッパリ諦められていたのかもしれない。
そんな言葉が脳裏によぎり、自嘲気味に笑いが込み上げる。
諦められたのかもしれない?じゃあ今は、全然諦められてないじゃないか。
でも、そんな諦めの悪さも今日で最後だろう。
なんとなく、分かる。今日が僕の命日だ。
トクン、トクン…
心臓の鼓動が弱々しく僕の胸を叩く。
視界がぼやけていく。
苦しくはない、辛くもない。ただ、悔しい。
こんな時でも、満月が嫌というほど輝いている。
死ぬ間際に見るのが満月だなんて、風情があるなぁ……
ああ、神様。もしいるならば聞いてください。
富も、名声も、力も何も要らない。僕はただ、
走れるだけでよかったのに……