走れるだけでよかったのに   作:〆切の逃亡者

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第12話 火のないところに煙は立たぬ

タキオンさんやエアシャカールさんと会話した所で、胸のモヤモヤは消えるどころか増していく。

 

エアシャカールさんの所に謝りに行ったのは僕の早とちり。あの態度が怒っていると勘違いしただけだった。

皐月賞で僕に話しかけたのはあの失速の原因を確認したかっただけだったんだろう。

失望の色が混ざった目も、僕が不甲斐ない走りをしたからだろう。

少し悲しいけれど、僕が原因で僕が悪い。この話はこれでおしまい。

 

分かったのは、モヤモヤの正体がエアシャカールさんに言われた言葉や向けられた視線ではなかったということ。

思い返すと、エアシャカールさんに話しかけられる前からこのモヤモヤはあった。話しかけられてからはモヤモヤが増幅しただけ。

 

タイミングを考えると……恐らく、皐月賞が終わった後。ここでモヤモヤができた。

だけど、いくら思い返してもモヤモヤする原因が見当たらない。皐月賞は僕が作戦を実行しきれず負けただけ。

 

じゃあ、このモヤモヤは一体……

 

 

そんなことを考えていると、不意にチャイムが鳴る。

 

「では、授業を終わります。宿題はないけど、復習はしておくよーに」

 

教壇に目を向けると、先生がその言葉を残して去って行く所だった。

 

……今日一日、ずっとこんな感じだ。

考え事をしていると、いつの間にか授業が終わっている。何も身が入らない感じがする。

 

クラスメイトが賑やかに談笑している。その中で自分だけが陰鬱な気分。世界から取り残されたような気がする。

目立たないように荷物を手に取り教室を後にする。何もやましいことは無いけれど、この場から一刻も早く立ち去りたかった。無性に1人になりたかった。

 

まだ昼過ぎだと言うのに、暗い廊下を歩く。

向かうあてもないけれど、ただ歩く。

目を合わせないように、俯きながら。

 

不意に窓越しの空を見る、そこには今にも落ちてきそうな曇天。

思えば、皐月賞の時も似たような空模様だった。

 

「はあ……」

 

ため息がこぼれる。

まるで溜まりに溜まったモヤモヤが口から溢れたような重く、湿ったもの。

けれど、どれだけ嘆いたところで解決するわけがない。このモヤモヤはその程度では晴れてくれない。

 

何もしていないはずなのに、体が鉛のように重い。……今日はもう、帰ってしまおうかな。

 

そう思い、歩き出そうと視線を戻して———思考が止まった。

 

 

「そこのお方!!何かお困りのようですね!!」

 

 

「……えっ」

 

声をかけてきたのは綺麗に髪の毛を分けて出したおでこが特徴的なウマ娘。身体中から『元気!』と言わんばかりの天真爛漫な雰囲気を醸し出している。

 

窓から視線を前に戻すといきなり彼女が至近距離に居たものだから、驚いて硬直しまう。

そんな僕の気も知らず、彼女は言葉を畳み掛ける。

 

「そのお顔は何かお困りのご様子!ならば!この学級委員長であるサクラバクシンオーにっ!ぜひお任せくださいっっ!!!」

 

学級委員長?学級委員長って、クラスをまとめたりする?……でも、サクラバクシンオーさんって同じクラスじゃないよね?あれ?学級委員長ってなんだ……?

 

……よく分からないけど、とりあえず一旦帰ろう。

 

「……あの、大丈夫ですので……では……」

 

軽く会釈をして踵を返すも、腕が掴まれる。

最近、こういう事多いなあ……

 

「まあまあ、ご遠慮なさらずに!困っている人を放っておくのは学級委員長として名折れです!さあ!どどーんとこの優等生にお任せください!!」

 

「え、ええと……」

 

困っているのはこの現状です。とは流石に言えない。見るからに善意で話しかけてくれているのが分かるからだ。

相談と言っても、見知らずのウマ娘にしていいものかな?内容が内容だし……迷惑じゃないかな?

 

でも、もしかしたら学級委員長ってこういうものなのかも。周りの人も気にした様子がまるでないし……前世では碌に学校なんて行ってないからよく分からないけど、もしそうだとすると無碍にするのも悪い気がする。

見たところサクラバクシンオーさんも、自信満々だし……

何より、このモヤモヤが晴れるなら……

 

「じゃ、じゃあ……」

 

 

サクラバクシンオーさんに事のあらましを話した。

皐月賞を負けた時からモヤモヤして仕方がない事。

負けた後、エアシャカールさんに言葉をかけられた事。

自分のトレーナーに怒られてしまった事。

タキオンさんにスパート時に減速していると指摘された事。

エアシャカールさんに謝ったけれど僕の早とちりだった事。

そして、このモヤモヤが収まるばかりか増している事。

 

他にも、これまであった事を丁寧に話した。

 

「ふむ、ふむ……なるほど……」

 

僕の話を聞き終わると、サクラバクシンオーさんは顎に手を当てて考える仕草をした。

 

「つまり、悩み事ですね!」

 

「えっ?まあ…分類的には、そう…ですかね?」

 

「ならば話は早いです!!」

 

サクラバクシンオーさんは、自信満々な表情でそう言った。

まさか、解決策が…!

 

「バクシンしましょう!!」

 

なるほど、バクシンすればこのモヤモヤは……!

バクシンすれば……

バクシン……

 

「……バクシン?」

 

バクシンってなんだ……?

 

「さあ行きますよ!バクシンバクシーン!!」

 

僕が首を傾げていると、サクラバクシンオーさんはどこかに駆け出していた。

速い!?え、えっと……と、とりあえず追いかけなきゃ!

 

「サ、サクラバクシンオーさん!?待ってくださーい!」

 

 

 

■■■

 

 

 

バクシンとは?

その疑問を浮かべるも返答はない。

このモヤモヤが無くなるかもしれない。その一縷の望みに賭けてサクラバクシンオーさんの後を追ったけれど……

 

「そう、私は気づいたのです……全力でバクシンすれば大抵の悩みは吹き飛ぶと!」

 

「それで外に出たんですね……」

 

サクラバクシンオーさんの勢いに押され、あれよあれよといつの間にか体操服姿でグラウンドに出ていた。

もうその手段はずっと前に試したんだけど……まあ丸一日走ってないし、気晴らしにはなるかも。

 

「じゃあ、走ってきますね」

 

「お待ちください!」

 

駆け出そうとしたところ、ガシリと肩を掴まれる。

どうしたんだろう?靴の紐でも解けてたかな?

 

「せっかく2人いるんですし、勝負しませんか?」

 

「えっ」

 

「確かお次は日本ダービーでしたよね?2400Mでどうでしょう!」

 

「あー……」

 

その提案に曖昧な返事をしてしまった。

誰かと一緒に走る経験がレースでしか無い。思い返しても、幼少期から今まで誰かと一緒という経験があんまり……というか、一度もない。

 

そうか、こういう場合一緒に走るのか。

今は勝負の気分じゃないけど、せっかく誘ってくれてるし……うーん……

 

「ささっ、隣へどうぞ!」

 

「わわっ」

 

そんな事を考えていると、背中を押されて隣に連れてこられた。

なんというか、純然な善意で行動してくれてるから断りづらい……

こうなったら勝負するしかないか。

 

「準備はいいですね!」

 

腹を括り、呼吸を整える。

ダービーの距離、2400M。練習で何度か走ってみたところ、走り切るだけの体力はある。

サクラバクシンオーさんの実力が未知数な事が懸念点だけど……まあ本番じゃ無いし、気軽に走ろう。

 

「よーい……ドンッ!!」

 

「っ!?」

 

合図。間を置かずして左隣から突風。

思わず隣に目を向けると、そこに居るはずの彼女の姿は無かった。

彼女は既に前方。開始数秒も満たぬ間に背中が見えるほど前にいる。

 

逃げ先行型としても異常な速さだ。それこそ、皐月賞でもここまでのウマ娘は……!

 

「バクシンバクシーン!!」

 

元気よく逃げるサクラバクシンオーさんを追う形となった。けれど、一向にスピードが落ちる気配がない。掛かった…いやまさか……大逃げ?

背中を見ているだけで800Mを通過。グングンと離され続け、ついには10バ身以上の差が開く。

 

「バクシン…バクシーン……!」

 

大逃げ対策は一応勉強済みだ。と言ってもできることは少なく、追込の僕ができるのは『自分のペースを保つ』事ぐらい。

しかし、それは大逃げのウマ娘が垂れてきて、尚且つ距離を詰められる前提。

その前提があったとして、この大差を詰められると考えるのは余りに希望的観測が過ぎる。

相手の手の内が分からない以上、すでに勝ちパターンに入っている可能性すらある。

差し切るならせめて10バ身……いや、7バ身以内に居なきゃ勝負にすらならないかもしれない。それほどまでにあのスピードは圧倒的だ。

 

「バクシン……バク、シン……!」

 

残り1200M。

このままだと逃げ切られると思い加速するも、サクラバクシンオーさんとの差は縮まらない。むしろ離されているかも知れない。

このペースで2400Mを逃げ切れるとすると、流石にスタミナも怪しい。ミーティアさんには他のウマ娘と比べてスタミナは多い方だと言われているけれど、このペースでの消耗は未知の領域だ。

ここまでのハイペースは初めてだ。スタミナもそうだが、思考も鈍ってくる。前方で逃げる背中を見ていると焦りが生まれてくる。間に合うか……?

 

「バク……シン……!バク、ゲホッ…シン……!」

 

1600M地点で突如として異変が起こった。

サクラバクシンオーさんとの差が急激に縮み始めたのだ。彼女をよく見ると顎も完全に上がっている。息も荒く、先ほどまでの元気な声がまるで聞こえてこない。

何かの作戦……?それにてもスタミナが尽きたかのような減速、この表情は演技にはとても嘘だとは……

 

……もしかして、逆噴射?

 

 

 

 

 

 

結果だけ言えば僕の圧勝。10バ身以上の差をつけての勝利。

サクラバクシンオーさんは歩くのと同じようなスピードだが走り切り、ヘロヘロと倒れ込みながらゴールした。

 

「ぜぇ…はぁ……!ゲホッゲホッ!!うぇっ……!」

 

「だ、大丈夫ですか?お水飲めますか?」

 

「あ、ありがとうゲホゴホ……ございます……!」

 

ゴールから一歩も動けず、大の字で伸びている。

文字通り全身全霊、精も根も尽き果てたかのように疲れている。

この様子を見るに、もしかして……

 

「あの……もしかして、スプリンターなんですか……?」

 

「ング?ング……ぷはっ。私ですか?いえ、短距離から長距離までおまかせを!なにせ優等生ですから!」

 

「ええと……」

 

「くぅぅ……しかし、負けてしまいましたか……!私もまだ、精進せねばなりませんね!」

 

ぐぬぬ…と歯噛みして悔しがるサクラバクシンオーさん。

そうは言うけれど、明らかに1800M…いや、1600M地点で限界だったはずだ。そこまでは他の追随を許さないような圧倒的な速度を鑑みるに、素人目でも分かる程の短距離の才能。

中長距離が得意な僕に対し1800M地点まで影も踏ませないあたり、マイルより短い距離では勝負にすらならないだろう。

反対に、中距離以降の距離では僕が負ける要素は限りなく0に近いはずだ。

 

「では、少し休んだらもうひと勝負です!次こそ負けませんよ!」

 

額に浮かぶ大粒の汗を拭い、勢いよく立ち上がる。

そして、自信に満ち溢れた表情でこう言った。

 

「さあ、2400Mで勝負です!」

 

 

 

それから何度も走った。

2400Mの距離。どう足掻いてもスタミナが足りないそれを何度も。

戦績は残酷なまでに僕の圧勝。全てのレースで一度も勝ちを譲らなかった。

 

勝負を重ねるたびに消耗していくスタミナに比例して、どんどんと距離は広がる。

それでも悔しがり、歯噛みし、そして立ち上がり、サクラバクシンオーさんはまた同じことを言う。

———「次こそは」と。

 

 

「ゼェハァ…ゲホゴホッ……つ、次こそはァ…負けませんよ!感覚がゼェ…掴めてきた気がします……!ゴホッ…さあ、勝負です!」

 

荒い息を吐き、滝のように汗を流す。もう立っているだけで限界だろう。

僕はと言うと、実のところそこまで疲れてはいない。汗こそ滲んではいるけれど、休憩を挟めば後何本か本気で走れる程度にはスタミナが残っている。

 

「もう夕方ですし、そろそろ……」

 

時計を見ると、既に5時を回っていた。

彼女の様子を見るに、この状態で走っても……

 

「スゥー……フゥー……では、次でラストにしましょう!」

 

サクラバクシンオーさんは息を整えるとこちらを真っ直ぐに見つめる。

 

「……分かりました」

 

何度も同じやり取りを繰り返していると流石の僕でも分かる。

どう言い繕っても、僕が降りなければ決して勝負の舞台から降りない。

一度も勝てていないにも関わらず、折れず曲がらず真っ直ぐに勝負を挑んでくる。

 

「準備はいいですね!」

 

正直、そんなサクラバクシンオーさんの姿勢に胸がざわつく。

どうして、勝ち目の薄い勝負を何度も……ダメだ、今は勝負だけに集中しなきゃ。

呼吸を整え、構える。作戦は今まで通りでいい。それが一番良いし、僕にはそれしかない。

 

 

「よーい……ドンッ!!」

 

 

サクラバクシンオーさんは好スタートを切ると、そのまま加速して僕を突き放す。

追込が染み付いてしまった僕は、それをじっくり眺めるように後方へ待機する。

 

流石に疲れが出ているのか、最初の走りと今ではまるで違う。

切れ味が落ちた重く鈍い脚。精細さに欠けたフォーム。それでも、一切先頭を譲らないハイスピード。

 

「バクシン…バクシーン!」

 

何度も彼女の後ろを走っていると分かることがある。

それは、圧倒的なまでのスピード。それを支える、超絶技巧と呼ぶにふさわしい技術。

巧みなステップでどんな時でも加速を可能にする足元。ピタリと内に張り付くようなコーナリング。上り坂を一息で駆け上がるパワー。

 

一挙手一投足、全てが一級品。

連戦に次ぐ連戦ですり減らしたスタミナで実行できているあたり、おそらく頭では考えていない。無意識でもできるほどに技術が体に染み付いている。

 

中距離以降、負ける要素は少ない?違う。

僕が中距離以降サクラバクシンオーさんに勝てているのは単にスタミナが多いだけ。その差は残酷なほどに致命的で、勝利が僕の手に転がり込んでくる。それほどまでにスタミナの差は残酷なのだ。

 

「バクシン…バク、シン……ッ!」

 

そんな事を考えていると、サクラバクシンオーさんが1200M地点を通過していた。

 

ここまで疲れ果ているにも関わらず、1200Mで大差をつけるその力量には完全に白旗を上げざるを得ない。もしマイル以下の勝負なら、彼女がどんなハンデを背負っていたとしても僕が勝つ可能性は万が一も存在しないだろう。

 

しかし、これは中距離2400M。それはスプリンターの彼女にとって、いかなるハンデよりも重いものだ。

 

フォームが崩れ、顎が上がり、ゆっくりと減速していく。

懸命に粘るも、10バ身以上あったリードはジリジリと詰まっていく。

いままでなら逆噴射していたけれど……減速がゆるやか過ぎる。作戦があるのか?それとも本当に中距離の感覚が掴めたのか……少し警戒して後ろから見よう。

 

そう考えるも何かが起きるわけもなく前との距離が詰まっていく。そして第4コーナー半ば、ついに力尽きたのかサクラバクシンオーさんは大きく減速した。

このまま行くとぶつかるから……外に回って、最終直線に入ると同時に交わすのがいいか。

 

「ヒュー…ヒュー……」

 

横を通り過ぎようとした時、聞き慣れない音がした。

上手く呼吸ができていない……というより、失敗した口笛のような掠れた音。

 

少し気になってチラリとサクラバクシンオーさんを見た。見てしまった。

 

フォームは力無く、汗は滝のように流れ、土埃に塗れ。その様相は正に虫の息と称してもいい。

しかしそれでも瞳だけは真っ直ぐ僕を見つめていた。

その目に浮かぶのは、一点の曇りもない勝利への執念。

今まで一度も勝ててないのに。今にも負けに王手がかかろうとしているのに。諦めとかそんな感情が一欠片もない。かと言ってヤケになっている訳でもない。

 

 

純粋なまでの瞳に、思わず呼吸が乱だされる。

 

 

「ッッぁぁあ!!!!」

 

 

無意識の内に全力で地面を蹴っていた。

呼吸が乱れたことによるフォームの崩れも気にせず、弾き出されるように。

 

額に嫌な汗が浮かぶ。

こんなに動いているはずなのに、身体が凍える様に冷たい。

心臓が暴れ狂う様に脈打つ。

頭はもっと速くと急かしてくる。

 

あの目は、知らない!見たことがない!

もはや王手ではなくチェックメイトと言い換えても良い状況。それなのに折れてない。勝利を見ている。

その姿勢が僕には理解できない。

 

普通はこんな状況諦めるはずだ。負けて当然の不利なレース、その上逃げの作戦で捕まったら諦める他無いはずだ。なのに、なんであんな目ができるんだ。

 

残り100M。

流石にもう千切ったはずだ。もう安全なはずだ。

残ったスタミナを全て使い尽くす勢いのラストスパート。ヘロヘロな状態のスプリンターなら、ここまですれば———

 

 

———足音がした。

 

 

不揃いのリズム、力が入りきっていない無茶苦茶な足音。しかし、それは本来あるはずの後方からでは無い。真後ろ、それこそ差し切れるような位置から。

 

ブワリと肌が粟立つ。

まさか、まさか、まさか!

そこにいるはずがない。スタミナ切れのスプリンターを置き去りにするなんて赤子の手をひねるようなもののはずだ。

 

なのに、なんだこれは。

 

勝ててるはずだ、勝ててるはずなんだ!

圧倒的に有利なはずなんだ!

逃げウマ娘を交わして前に立ってる以上、差し返す可能性はほとんどないはずなんだ!

なのに、脳裏にこびり付いたあの目が勝利を確信させてくれない。負けるかもしれないと囁いてくる。

 

後ろから聞こえる足音が僕の心を掻き乱す。

それを誤魔化す様に、遮二無二に足を動かす。

前に、前に。ただそれだけを目指して。

 

そうして走っている内に、いつの間にかゴール板を駆け抜けていた。

 

 

 

2人して倒れる様にして芝に寝転がる。

汚れるとか、そんな事を考える余裕はない。荒い息を吐き、肺いっぱいに酸素を求める。それだけで精一杯だ。

あの300Mに残ったスタミナを全て注ぎ込んだ。もうしばらく横になっていたい。

けれど、そんな疲れよりもなによりも、腰が抜けて立ち上がれないでいた。

 

「ゼェ、ハァ……負けて、ゼェ…しまいました…っ!」

 

サクラバクシンオーさんがすぐ近くで悔しそうにそう呟く。

勝った。僕は確かに、勝ったんだ。それでも、どこか勝った気ではいられない。鳴りを潜めかけたモヤモヤが再度僕を支配する。

 

あれは、一体なんだったんだ?

 

「あの……」

 

「レ、レイシオさん……?あ、お水、ありがとうございます!」

 

まだ倒れているサクラバクシンオーさんにボトルを手渡す。

……分からない。考えても、何一つ分からない。なら、聞いてみるまでだ。

 

「どうして、諦めなかったんですか……?」

 

「ちょわ?」

 

キョトンとする彼女を放って、言葉を続ける。

 

「僕が追い越した時点で、勝負はほぼ決まっていました。もう一度サクラバクシンオーさんが追い抜き返すのはほとんど不可能なはずです。そんな状況なのに、どうして……」

 

僕には分からない。

『次』に諦めないことではなく、あの場面で諦めていないことが。

何度も挑んでくるのは、まだ分かる。『次』は勝てるかもしれない、いつかは勝てるかもしれない。だから、諦めずに挑むのは分かる。

だからこそ、分からない。僕が追い抜いたら『次』に賭ければいいはずだ。なんでそこで諦めずに走れたのか。僕は理解ができない。

 

シンとした空気が流れる。急にこんなことを言われて理解が追いついていないのか、サクラバクシンオーさんは目を瞬かせている。

つい聞いてしまったけど、失礼じゃなかったかな……

 

「うーん……?どうして諦める必要があるのでしょうか?」

 

「……えっ」

 

心配しつつ返答を待っていると、彼女は理解ができないといったような顔でそう言った。

 

「確かに、逃げ先行型の私が差し追込型のレイシオさんに追い抜かれてしまうと抜き返すのは難しいかも知れません……ですが!あの時点ではあと300Mも残っていました!ゴールするまで勝負の行方は分かりません!!」

 

そうは言うが、たったの300M。レース終盤も終盤。一度抜かれたら差し返すのは現実的ではない。

 

「例えば、ものすっっっごく美味しいと噂のにんじんパフェが落ちていて、レイシオさんがそれに気を取られて足が止まってしまったとしましょう。その隙に追い抜き返して、先にゴールすれば私の勝ちです!」

 

「それは…そう、ですけど……」

 

極論だが、確かにそうだ。

何かが起こるかも知れない。何かが起これば勝てるかも知れない。しかし、それはほぼあり得ないIF。そんな僅かな可能性に全力を尽くすなんてとても……

 

「それに、諦めて負けてしまった時にそれが言い訳になってしまいます。『あの時全力で走っていれば〜!』と!」

 

その言葉に、ドキリとする。

 

「ですので、私はどんな時でも全力でバクシンしているのですっ!」

 

皐月賞が走馬灯のように駆け巡る。

抜け出せなかった、失速した第4コーナー。余りに余った足とスタミナ。そして、エアシャカールさんにかけられた言葉。

皐月賞の後、確かに思った。「全力で走りきれていたら」と。

 

前世では走ることを諦めたことがなかった。何がなんでも、藁に縋り泥を啜ってでも走ってやるという覚悟があった。

今世では走れる様になった。けれど諦めてばかりだった。才能と努力を目の当たりにして、勝てなくても「仕方がない」と言い続けた。

 

でも、もしかしたら一緒かもしれない。前世の闘病生活も、今世のレースも。

後悔したくない、言い訳をしたくない。その一心で全力を尽くすんだ。

 

「……よく、分かりました」

 

僕は、何も分かっていなかった。

勝負の世界を、何一つとして分かっていなかった。

だから今、この感情がよく分かる。

 

「それは良かったです!では、もうひと勝負ぅ〜……」

 

「さ、サクラバクシンオーさん!?」

 

サクラバクシンオーは立ち上がった直後、後ろに倒れ込んだ。慌てて駆け寄るも、ピクリとも動かない。

ま、まさか何か怪我を…もしかして病気!?心臓発作!?!?

 

「うぐぐ……疲れて動けません……」

 

「……保健室まで運びますよ」

 

「すみません、お願いします……うう、学級委員長として情けないです……」

 

正直ホッとした。

見た限りただの疲労のようで、筋肉が少し痙攣している程度だ。

保健室で湿布をもらって、あとは彼女のトレーナーに連絡すれば大丈夫だろう。

 

サクラバクシンオーさんを背負いグラウンドから出ようとすると、辺りがすっかり晴れていた。

西の空を見ると、燃えるような紅い光が落ちていた。

 

「サクラバクシンオーさん……ありがとうございます」

 

「ふふふ……全力でバクシンすれば、悩みなんて吹き飛ぶでしょう?」

 

「ええ……もう、すっかり」

 

雲はもう無い。

 

 

 

■■■

 

 

 

夜、煌々と灯りが付いたトレーナー室。

多くのトレーナーが担当ウマ娘を勝たせるため、寝る間も惜しんで研究に勤しんでいる。

 

目的の部屋の前に着くと案の定電気の付いた扉をノックする。

 

「どーぞー」

 

間伸びした声に促され部屋に入る。

中には、湯気が立つコーヒーを片手に足を組んだ、普段と変わらないミーティアさんがいた。

 

「久しぶりね、こんな夜中にどうしたのかしら?」

 

確かに、門限ギリギリの夜中にトレーナー室へ来るのは不思議だろう。でも、これは早くした方がいいと思って足を運んだ。

 

今日僕は、覚悟を伝えに来た。

 

「……ミーティアさんは、覚えていますか?以前、走りながら見つけると言って保留にしてもらった目標を」

 

「………」

 

新年が始まって間も無くの頃。およそ半年前に決めるはずだった目標。

ミーティアさんは笑顔のまま口を閉ざしたまま、続きを促すように僕を見つめる。

 

否定されるかもしれない、今更かもしれない、言わない方がいいのかもしれない。

 

それでも僕は、後悔をしない選択をする。

 

 

「僕は、日本ダービーに、エアシャカールさんに勝ちたい。いや、勝ちます。それが僕の目標です」

 

 

サクラバクシンオーさんのおかげで、理解できた。このモヤモヤの名は『悔しさ』だ。

負ける『悔しさ』。全力を出せずに、負けた『悔しさ』。エアシャカールさんに呆れられる負け方をした『悔しさ』。握った手から血が滴るほどの、歯が砕けんばかりの『悔しさ』。

 

納得がいかない。皐月賞は、あの敗北はまるで納得してない。あの程度が全力なもんか。足も、スタミナも有り余っていた。それを使えていれば……

しかし、皐月賞は過去の話。過去は変えられない。

 

だから、次こそは。

日本ダービーの舞台こそは、全力で後悔なく走りたい。

 

視線が交差する。

10秒、20秒…いや、もう数分経ったかもしれない。

ふと、ミーティアさんはため息を吐く。一瞬何かを思い出すように遠くを見つめ、一気に老け込んだような顔をして笑った。

だけど、瞬きをする間に元の笑顔に戻っていて、見間違えかと目を擦る。

 

「じゃあ、明日から早速トレーニングよ」

 

「えっと、トレーニングは当分無しじゃ……」

 

「前のあなたと今のあなたは違うでしょ?なら大丈夫よ」

 

僕の言葉にあっけらかんとそう答える。

その温度差に思わず呆けてしまうも、ミーティアさんは気にした様子もなくカラカラと笑っている。

まったく、僕がどんな思いでここに足を運んだか……緊張するのがバカらしく感じてきた。

 

「それに、私はトレーナーよ?ウマ娘が掲げた目標を叶えるのが使命なのよ。私ができる限りは手伝ってあげるわ」

 

「……ふふっ、よろしくおねがいします」

 

頼もしすぎるその言葉に、僕も笑みをこぼしてそう答えた。

 

 

「それはそれとして、あなた今日勝手に走ったでしょ。罰として明日は走らせないわよ。トレーニング内容はレースの分析ね」

 

「うっ……」

 

な、なんで走ったことがバレて……他の生徒には見られてないはず。まさか足を見ただけで……!?

 

「さあ、帰った帰った。門限に間に合わなくなるわよー」

 

時計を見ると、門限まであと5分を切っていた。

フジキセキさん、怒ると怖いんだよなあ……前世の看護師長を思い出す怖さだ。

 

「っっ〜〜!ミーティアさん、また明日!おやすみなさい!」

 

「はいおやすみ〜」

 

 

 

 

 

パタリと閉まった扉を見つめ、背伸びをする。トレーナーとして冷静に、冷徹に判断をする。

 

「さあて、勝つためのピースはあと———」

 




季節変わって投稿したので初投稿です()
いやー、エターナル筆進まない期は強敵でしたね……
じ、次回は早いはずなので……はずなので!!


2022/11/9 一部表現の変更
2023/2/3 一部表現の変更
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