走れるだけでよかったのに   作:〆切の逃亡者

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第13話 燃ゆる魂の音を聴け

日本ダービー。

それは一生に一度しかない晴れ舞台。

しかし、その舞台に上がれるのはたった18人のウマ娘。

 

怪我に泣き、適性に泣き、才能に泣く。

ほかにも様々な理由で泣く泣くこの舞台を諦めるウマ娘が星の数ほど存在する。

 

そんな舞台に立てている僕は運がいい。

10戦1勝、勝ちは未勝利戦のみ。そんな戦績のウマ娘がこんな大舞台に出走できている理由など、運以外ありえない。

 

始まりは弥生賞。出走枠に空きがあったから出れただけで、本来の獲得賞金額から鑑みるに出走できるレースではない。僕は後からその事実を知ったけれど。そのレースでは他のウマ娘が掛かり軒並み失速したため運良く3着。皐月賞の優先出走権を獲得。

続く皐月賞。エアシャカールさんを追いかけたウマ娘が軒並み失速。内にいたウマ娘も失速した逃げウマ娘が蓋になり、さらに僕がその集団の横に付けていたため抜け出せず運良く5着。

 

こうして、実力に見合わない日本ダービーという大舞台の切符を運良く掴めたのだ。

 

……そもそも中央に受かり、木崎さんに拾われ、ミーティアさんのお世話にならなければこうは行っていない。

正直なところ、僕がここまでこれたのは実力じゃない。全て運だ。

 

だったら、『運のいいウマ娘が勝つ』と言われている日本ダービーに僕は少しだけ有利なはずだ。

 

 

「レイシオ、今ちょっと良いかしら?」

 

扉の音とミーティアさんの声に意識が浮上する。

……いけない、少しボーッとし過ぎた。

 

「……おかえりなさい」

 

「集中してるところ悪いわね」

 

「いえ、大丈夫です。……それで、どうでしたか?」

 

「はあ、それね……」

 

明後日の方向を向きながら、難しい顔をして正面に座る。

ああ、その反応を見るに……

 

「……良バ馬でしたか」

 

「もう見事なまでにねー」

 

事前にシュミレートしてあった最高の状況は重バ馬。芝が水分を含み、良バ馬よりも足を取られてしまう。コーナリングや坂も一層難しくなり、苦手とするウマ娘は割と多いそうだ。

でも、僕にとっては寧ろ好機。パワーとスタミナがある僕にはそこまで問題ではない。苦手とするウマ娘が多い以上、相対的に有利を取れる。

……はずだったのだけれど、それも天の気まぐれによって白紙となった。

まあ、元々が希望程度の話だったし、良バ馬でもコンディションがそこまで変わるわけじゃない。むしろ天気が良くて気分も絶好調なくらいだ。

 

「というか、よく重バ馬得意とか言えるわよね。特に練習した覚えないんだけど、なんか自主練でもしてたの?」

 

「いえ特には……あ、でも波打ち際や田んぼより走りやすいですよ?」

 

「比べるもんじゃないわよそれ」

 

そんなことを言われても実際ターフの重バ馬は経験上かなり走りやすい部類に入る。

自然そのままの波打ち際や走るところではない田んぼと比べ、走るために整備されているターフが走りにくいわけがない。

昔はもう自分の足で見る景色が新鮮で、どこでも走ってたからなあ……思い出したらまた海辺や山道なんか走りたくなって来た。落ち着いたらまた走りに行こう。

 

「まあ、なっちゃったもんは仕方がないわ」

 

「天気は動かせませんからね」

 

「でもね……不利には変わりないけど、勝つのも変わらないわよ。あんな宣言を前にして負けるなんて一考の余地も無いわね!」

 

ミーティアさんは不敵に微笑みながらそう言った。

 

「……勝つ気では、ありますけど」

 

「あーん?自分で宣言しておいて何弱気になってんのよ」

 

「……うぬー!!」

 

宣言はしたけど!ダービーに、エアシャカールさんに勝つって言ったけど!何回も擦られると気恥ずかしいというか……!

とりあえず、ニヤニヤしてこっち見ないでほしいかな!?

 

「もういいです!行ってきます!」

 

「よーし、じゃあ行ってきな……」

 

「?どうかしました?」

 

「いやこういう時は、そうね……」

 

ミーティアさんは僕の言葉が耳に入ってないようで、考えこむように天井を見上げた。

ブツブツと何か呟いたと思うと、納得したのか視線を僕に向け直す。

 

 

「ゴールデンレイシオ、未来のダービーウマ娘。……待ってるわ」

 

 

もうすぐレースの時間だ。

後1時間もしない内に、空白だった世代の頂点の座が埋まる。

そこに座るのは、きっと2度目の生を受け走れるようになった奇跡を歩んでいるような、運のいいウマ娘のはずだから。

だから、今日だけは絶対に諦めない。

 

「……じゃあ、勝ってきます」

 

ここに帰ってきた時は、ダービーウマ娘として。

 

 

「あっ、レイシオ、ちょっと待ちなさい」

 

 

扉に手をかけた瞬間、出鼻をくじかれた。

なんというか、格好がつかないと言うか……!自分だけ格好つけててズルいというか……!!ああ、なんかモヤっとする!!

 

「っ〜!もう!なんですか!」

 

「えぇ、なんで怒ってるの……?」

 

「怒ってません!」

 

「怒ってるじゃない……まあいいか。あなたにひとつ、アドバイスをするわ」

 

「アドバイス……?」

 

 

「———楽に行きなさい」

 

 

よくあるアドバイスだ。

緊張していたり、気が動転している人にかけるありふれたアドバイス。だからこそ、彼の真意がよくわからない。

こんな時にするアドバイスだから、きっと僕に必要な言葉なんだろう。けれど、呼び止めてまでする意味がわからない。

 

「あの、それって一体……」

 

「ほら、もう時間がないわよ!さあ行った行った!」

 

事の真相問いただそうとすると、それを阻むように手を叩いて僕を急かす。

 

「え?あっ、もうこんな時間……!あ、あの、行ってきます!!」

 

 

「いってらっしゃい」

 

 

扉の間から見えた笑顔は、今日の空のように晴れやかで。

 

 

 

■■■

 

 

 

東京レース場。

快晴の勝負日和となった今日、大勝負を一目見ようと大勢が押し寄せる。

 

ヒト、ヒト、ヒト———

 

隙間一つない満員電車を想起させる人混み。

毎年恒例といえど、例年よりも……いや、過去に3度ほど見たような混み具合。

 

誰もが夢に見たあの光景を幻視している。

 

無傷の二冠ウマ娘の誕生を。

 

 

「カイチョー!こっちこっちー!」

 

 

そんな熱狂の最中、跳ねるような声が響く。

声のする方向を向けば、誰もが二度見してしまうだろう。

 

「すまないテイオー。売店が移転してしまっていてね……フフッ」

 

「?」

 

無敗の二冠ウマ娘、トウカイテイオー。

無敗の三冠ウマ娘、シンボリルドルフ。

ファンに限らず、国民なら誰しもが知るほどの有名人。そんな彼女らは関係者席の二階からコースを見下ろしていた。

 

「コホン……誘った私が言うのもなんだが、スピカのメンバーと観なくてよかったのかい?」

 

「うん。スピカのメンバーは出走してないし、他のみんなは友達と観るって言ってたから大丈夫だよ。それに、こんな混雑してる日に関係者席に座れてラッキーだよ!」

 

「そうか……なら良かったよ」

 

オーバーリアクション気味に感謝を伝えるテイオー。それを見て微笑むルドルフ。

二階の関係者席は一般席に比べて空いており、幾分か余裕を持って観戦ができる。と、いっても周囲には人混みと呼んでいい程の混雑模様。

 

それほど日本ダービーというレースは、無敗の二冠ウマ娘は特別なのだと再認識させられる。

 

「カイチョー。カイチョーは誰が勝つと思う?やっぱりエアシャカール?」

 

「ふむ……その質問は難しいな……」

 

何気ない問いにシンボリルドルフは考える仕草をしながらパドックにいるウマ娘を見つめる。

 

「確かに、エアシャカールは強い。無敗の皐月賞ウマ娘という肩書きは伊達ではないし、ダービーも手中に収めるという未来は十分起こり得るだろう」

 

5戦5勝、その内G1を2勝。

どのレースも圧倒的なまでの走りで勝利。類稀なる身体能力、レースをコントロールするセンス。どれもすでにクラシック級の領域から逸脱している。

さらに、余裕もある。今までのレースで一度たりとも息を切らしていない。底をまだ見せていない。

エアシャカールとは、それほどまでに強いのだ。

 

「それでも、日本ダービーという舞台に上がるウマ娘は皆一様に強者。選りすぐりの優駿がぶつかり合う以上、誰が勝ってもおかしくないよ」

 

「ふぅーん……」

 

その回答に、何か含むところがあるような返事をする。

 

「じゃあさ、誰に注目してるの?」

 

「………」

 

「ボクを誘ったのってその『誰か』に興味を持ったから。その『誰か』を見せたかったからじゃないの?」

 

テイオーの問いただすような鋭い視線に、ルドルフは苦笑いを浮かべる。

 

「驚かせようと思ったのだけど、慣れないことはできないな……ゴールデンレイシオ、というウマ娘だよ」

 

「ゴールデンレイシオ?」

 

聞き覚えのないその名前に首をかしげるテイオー。

レースの新聞を開き、名前を確認する。すると、出走表に確かにその名前があった。

 

「……8枠18番、18番人気……?」

 

10戦1勝。勝ちは未勝利戦のみ。

あのシンボリルドルフが注目しているにしては、やけに戦績が低い。日本ダービーに出走しているウマ娘の中ではダントツで最下位だ。

さらに、大外枠という不幸。これじゃダービーは厳しいだろう。

けれど、そんなウマ娘をシンボリルドルフが注目している。その事実に謎が深まるばかり。テイオーの頭の中が疑問符でいっぱいになる。

 

「んんー?ちょっと実力不足じゃ……?」

 

「失礼ねえ、ちゃんと戦えるわよ」

 

「へっ?」

 

思わずこぼれた言葉を拾われた。

驚いて振り向くと、そこにはスーツ姿の女性が立っていた。

 

「隣、いい?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「久しぶりね」

 

「はい、弥生賞以来ですね。それと、皐月賞は残念でしたね」

 

「皐月賞での負けは私の見通しの悪さのせいよ。色々と誤算が積み重なってね……まあ、いい誤算もあったのだけれど」

 

「おや、そうなのですか?それにしては……ん?どうかしたかい?」

 

「えっと、あのお姉さん誰……?」

 

テイオーはルドルフの裾を引き、弾んでいた会話を中断させた。

急に絡んできたと思えば、ズカズカと同席し、さらにルドルフと親しげに会話を弾ませている。

いくら自分が尊敬しているシンボリルドルフと仲が良くても、自己紹介も無しで仲良くできるほど彼女の肝は太くない。

 

「ああ。テイオーは知らなかったかな?こちらはゴールデンレイシオのトレーナーの……」

 

「どもども〜。気軽にミーティアって呼んでいいわよー。あと私はオジサンよー」

 

「……んん!?」

 

テイオーは素っ頓狂な声を出して硬直した。

 

それも仕方がない事だ。

競争ウマ娘として関わるなら誰しもが知る偉人が目の前に現れた。さらに見た目は女性なのにオジサンと言う。ゴールデンレイシオのトレーナーでもあるそうだ。

あまりにも想定外すぎる状況に直面し、情報に脳が追いつかない。

テイオーは困惑して何度もミーティアの顔を凝視する。当のミーティアはそれをニヤニヤと楽しげに眺めている。

 

「ああ、そう言えばトウカイテイオーはスピカよね?」

 

「エッ、ウン……」

 

「トレーナーに伝えといてくれない?……『マジで覚悟しとけよ』って」

 

「ぴぇぇ……トレーナー何したのさぁ……!」

 

突然の男性的な低く唸る声に怯えるテイオー。

あのバカトレーナー今度は何やったんだ!?ていうか、こんな大物に睨まれてるってナンデ!?と混乱が混乱を呼び、頭を抱える。

 

「ミーティアさん、ひとつ聞きたいことが……」

 

「何かしら?お邪魔させてもらってるしなんでも答えるわよ〜!」

 

「ゴールデンレイシオとは仲直りできましたか?」

 

先程までの楽しげな表情が凍りつく。

微笑みを浮かべているルドルフを見て直感的に理解した。確信を持って話題に出してきたと。言い逃れはできそうに無いと。

ミーティアとしては、この話はあまり知られたくなかった。面目が立たないとかそう言う話ではなく、何となく気まずいのだ。

 

「……はーっ、耳が早いと言うか何と言うか……」

 

「立場上、噂には事欠かないもので」

 

「えっ、ケンカしてたの?」

 

「……あなた達はトレーナーは『杖』に例えられてるって知ってる?」

 

急な話題転換に2人は首を傾げる。

 

「転ばぬ先の杖。石をはけて道を整備し、問題を先んじて発見し、時には支えになる存在。いい例えよね、ホントに」

 

トレーナーを『杖』と呼ぶのは割とありふれた表現だ。

皇帝のトレーナーなら『皇帝の杖』。女帝のトレーナーなら『女帝の杖』と言ったように、ウマ娘の支えとなる存在としてそう例えられることがままある。

 

「でもね、レースに『杖』は持ち込めない。トレーナーは一緒に走れない」

 

「………」

 

「『杖』がなきゃ走れないウマ娘なんて、いつか必ず転んでしまう。『杖』に全幅の信頼を置くのはいいけど、全体重をかけてしまうのはいただけない。そんなのもはや『杖』じゃない、『3本目の足』よ」

 

『杖』は、道にある石を退かし、歩く補助として、支えとして存在する。

補助なのだ。メインではないのだ。どんな素晴らしい杖でも、支え以上のことはできない。

さらに、その支えに甘え過ぎてもいけない。支えが無いと立てないならば、過酷な勝負の世界で生き残れないから。

 

「私は『杖』になっても『3本目の足』にはならない」

 

ターフ上に『杖』はない。

必ず、自分の2本の足で立たなければいけない。

 

「……なるほど。随分厳しいと思えば、そう言うことだったんですね」

 

「無闇に手を差し伸べるのが良い大人ってわけじゃないでしょ」

 

空を仰ぎながら、ため息を吐く。

 

「転んで、傷ついて、それでも立ち上がって……子供はそうして強くなっていくの。手を引いて安全な方へと導き続けるのが良い指導者じゃない。時には突き放してでも、成長を願うのが良い指導者なのよ」

 

「ま、持論だけどね」と言って口を閉ざす。

その姿は、どこか自分に言い聞かせるようだった。

 

「っ〜〜!ね、ねえねえ!ゴールデンレイシオって強いの?勝てそう?」

 

あまりにも重い雰囲気に耐えきれず、話題を振るテイオー。

ミーティアは彼女を一瞥すると、考えるように顎に手を当てる。

 

「……ぶっちゃけて言えば、レースの才能はあんまり無いわ」

 

「ええっ!?」

 

予想外すぎる発言にギョッとする。

才能がない?嘘だ。日本ダービーとはそんなに甘い舞台ではない。運でこの舞台に立つとしても、運を掴み取る最低限の才能があって然るべきなのだ。

才能がないなら、あそこにいる理由が分からない。

 

「才能だけならまだしも、勝負事において大切なモノを持ってなかった。あれじゃ勝てるものも勝てないわよ」

 

「えぇ……じゃあ、勝てそうにないの?」

 

その言葉に、ミーティアは微笑む。

 

「今のあの子なら大丈夫よ。手を引かずとも、自分の足で立ち上がれたあの子なら」

 

ターフの上で2本の足で立っている、自分のウマ娘を見ながら。

 

 

 

■■■

 

 

 

エアシャカールにとって、日本ダービーは最も思い入れのあるレース。運命の分かれ道といっても過言ではない。

負けられない。負けてはならない。あの悪夢を、7cmを覆すためにトレーニングを重ねた。

 

故に、柄ではない。決して、エアシャカールらしくはない。

沸々と湧き上がるこの感情は、決して———

 

「エアシャカールさん」

 

「あン?お前は……」

 

ゲートに入る前、レースに向けて集中している時に話しかけられて少し苛立ちを覚える。が、話しかけてきたウマ娘の顔を見て、エアシャカールは落ち着きを取り戻した。

 

ゴールデンレイシオ。皐月賞で最も警戒したウマ娘。そして、現在ではそれが過大評価だったと反省した対象だ。

そう、自分の脅威になるという評価は計算ミスのはずだった。

 

「この前は、練習のお時間を邪魔してしまいすみませんでした」

 

ピシリと頭を下げるその姿は、以前のオドオドした様子を微塵も感じさせない。

 

「……ンなもん、気にしてねェよ。それより集中してる今の方が邪魔だ」

 

「……そうですか。では、最後に一言だけ」

 

彼女の様子に、ひどく違和感を覚える。

 

「今日は、僕が勝ちます」

 

その目は前までの弱々しい、自信のない目ではなかった。

やる気があるというより、もっと異質な……揺るがない覚悟のような、シンボリルドルフやトウカイテイオーが時折纏うような雰囲気。それはエアシャカールにわずかに警戒心を芽生えさせるには十分だった。

 

「では」

 

「………」

 

離れていく背中を見つめる。

芽生えた警戒心をロジカルに考えて気のせいだと処理しながら。

 

 

『晴天涼風に恵まれた東京レース場。今日、ここで世代の頂点を決める戦いの幕が上がります』

 

『1番人気はこのウマ娘、ここまで無敗、1枠1番、エアシャカール』

 

地面を揺らす様な歓声が鳴り響く。

「期待してるぞー!」「無敗二冠目!」「ガハハ、勝ったな風呂入ってくる!!」と声援が飛ぶ。

 

『ミホノブルボン以来の無敗二冠は達成できるでしょうか!今から期待が高まります!!』

 

『続いて2番人気は———』

 

 

アナウンサーの紹介と共に、次々とゲートに入っていくウマ娘。

どのウマ娘も観客率100%超えの超満員という環境は初めてなのか、どこか落ち着かない様子。キョロキョロと不安気に、鬱陶しそうに観客を見渡す。しかし、ここに集まったのは歴戦の猛者。ゲートに収まる頃にはすっかり落ち着きを取り戻し、集中し切った面持ちをしていた。

 

『———18番人気、8枠18番、ゴールデンレイシオ』

 

『難しいレースになるかも知れませんが、頑張ってほしいです』

 

そしてこのウマ娘もまた、18番人気(最弱の烙印)なれど歴戦。

歓声が耳に入っていないのか静かに、しかし闘志を漲らせながらゲートに収まる。

 

『さあ、この夢の舞台に優駿が揃いました。18人のウマ娘の中で、栄光を掴み取るのは誰か……』

 

歓声がピタリと止む。

今にも爆発しそうなほどに緊張が膨らむ。

頬を撫でる風の音すら雑音に聞こえる静寂。誰もがこれから始まる150秒間に神経を尖らす。

 

そして今、ランプの色が変わり———

 

『日本ダービー、今スタートです!!』

 

ゲートが開いた。

 

一歩、わずか数センチを先んじる為に磨いた技術。

0を重ねた末の1秒を埋めんと前に出る。

ポンと抜け出す数名の中に、エアシャカールも当然いた。

 

(2番、16番は横……出遅れはナシ。巻き込める逃げウマ娘は居ねェか)

 

追込であるエアシャカールは先頭争いを早々に離脱。ゆっくりと、後ろにいるウマ娘にプレッシャーをかけるように減速する。

追い越していくウマ娘は皆一様に睨みつけていくる。まるで「お前には負けるか」と言わんばかりに。

 

日本ダービーは坂から始まり、それが終わると第1コーナーまでは平坦な道となる。

そのため、最初の200Mはスピードに乗り切れない事も相まって非常に遅い展開になる。

しかし、それも第1コーナーまでの話。そこから向正面半ばまで緩やかな下り坂。そうすると当然、レースは加速する。

 

『さあ、注目のエアシャカールは16番手と後方に位置どりました』

 

『差し集団の真後ろですね。追込としてはずいぶんと前気味に着けましたが、これも何かの作戦でしょう』

 

無論、作戦だ。

エアシャカールはシンボリルドルフやナイスネイチャと似た傾向を持つ。即ち、レース全体をコントロールするタイプ。

位置取り、視線、足音……ありとあらゆるものを利用し、徹底的に相手を削る。

 

今回の位置取りは、前にいるウマ娘へのプレッシャー。言外に「ここからだと差し切るぞ?」という圧。それに加え、下り坂で徐々に上がるスピードが前に行く口実を作る。まるで誘い込まれる様に、スピードのタガを外させる。

しかし、ここにいるウマ娘は動じない。後ろからの圧に固唾を飲むも、掛かることはない。

 

(誰か掛かると思ってたンだが……賢いな)

 

『最初の1000Mは60秒5!60秒5です!』

 

『非常に遅い展開となりましたね。前方のウマ娘の末脚がどれだけ残っているのかが勝負の鍵となりそうです』

 

下り坂のため加速はするが、流れに任せた無理のない加速。

そのため、前が詰まった様な集団を形成する。

 

(想定内だ。賢い選択をした場合、そうなることなンてな)

 

エアシャカールはこの展開を予測しきっていた。

最終直線が長い為不利とされている逃げウマ娘。その脚質で勝とうとするならば、取れる策は2つ。

大逃げで圧倒的な差を開くか、末脚勝負でリードを保ち切るか。

どちらかを選ばなければならないなら、より低いリスクを取る。賢いトレーナーなら当然の選択。だからこそ、ここ大一番で博打を打てる度胸を持ち得ない。

結果、末脚を温存する策を取る。

 

(冷静なヤツを崩すのは面倒くせェ。自分の立てた作戦と心中する覚悟がある。本当に賢いヤツも、また面倒くせェ。コッチの作戦を秒で看破してくる……だが、半端に賢いだけのヤツなら簡単だ)

 

やる事は簡単。加速して差し集団の視界に一瞬だけ入る。

 

すると、差しウマ娘はギョッとした顔をした。

それもそのはず。まだ1000M地点。レースあと1400Mもあるのだ。

まるで予想にない行動に心の均衡が崩れ始める。建てていた計画が揺らぎ、今まで耐えてきた圧に耐えきれなくなる。 

 

焦った差しウマ娘を見た先行集団の一部が掛かる。そして、後方が急に加速したのを感じ、先頭を保たんと逃げウマ娘はペースを上げる。

まるでドミノ倒しかのように焦りが伝播する。何人かのウマ娘が弾かれる様に加速する。

 

いつもの練習であれば、ここが日本ダービーでなければ、相手がエアシャカールでなければ。こうも見事に集団で掛かることはなかっただろう。

しかし、大舞台が、エアシャカールがかけたプレッシャーが視野を狭めている。余裕というものを消し去っている。

 

『おおっと、どうした事でしょう。集団が縦へと広がっていきます』

 

『これは、掛かり気味になってそうですね。冷静さを取り戻せるといいのですが……』

 

加速したウマ娘は、冷静になっても後ろには戻れない。

戻ってしまえば、削れたスタミナでエアシャカールと末脚勝負をする羽目になる。そんな勝機を投げ捨てるような行為を選べるはずもなく、前に残り続けるしかない。

 

しかし、それも苦しくなる。

 

向正面には、高低差約2Mの坂がある。

それは、削れたスタミナをさらに削り、作ったリードを潰す魔物。

ジリジリと距離が詰められ、縦長のバ群が再度団子状になる。こうなってしまえば、末脚がもうないウマ娘の勝機はないに等しい。

 

(最後の仕上げだ)

 

最後の下り坂。

これが終われば緩やかな上り坂と急坂が一つだけ。そこを通り抜ければ、栄光はすぐそこだ。

ならば、ならばこそ仕掛けるタイミングは———

 

(ここだ。下り坂と上り坂の境目、乗ったスピードをそのままスパートに持っていく!)

 

『さあ、第3コーナー半ばからエアシャカール!エアシャカールがスルスルと上がってくる!』

 

前方にあった集団を割るように突き進む。

エアシャカールには対戦相手の癖や傾向が全て頭に入っている。例えば、コーナーで加速すると外に膨らみやすい。例えば、最終コーナーでは内に寄る。例えば左回りだとスピードが乗り切らない……

そうしたことを全て読み切った彼女の走りを邪魔できる者は誰もいない。

まるでエアシャカールに道を譲るようにウマ娘が右に左に割れる。その中を悠々と加速する。

 

『最終コーナーを曲がって最初に飛び出してきたのはエアシャカール!!完全に抜け出したっっ!!』

 

あの悪夢からまるで駆け離れたこの状況。このまま行けば、悪夢で見たウマ娘とは3バ身以上差をつけれゴールできる。

 

(勝つ、勝てる!夢はもう見ねェ、前を、ゴールをッッ!!)

 

 

———右後ろから足音が聞こえる。

 

 

決して、決して届くはずのない足音。

集団の中を突き進んできたのだ。右斜め後ろ、即ち外。外によれたウマ娘をかわして、後方から飛んでくるなんて論理的に考えてあり得ない。

 

(ロジカルじゃねェ。直感なンて、まるで論理から外れたものだ)

 

それでもその足音を聞いた時、エアシャカールの中に小さな驚きと大きな納得感が芽生えていた。

 

あの違和感は、自分の中で鳴った警鐘は、決して勘違いなんかじゃなかった。

このタイミングで来れるウマ娘なんて、夢の中のアイツでも無理だ。けれど、ただ一人。思い当たるウマ娘がいる。

 

『そしてさらに外からもう1人、この最終局面に駆けつけてきたのはこのウマ娘!!』

 

もし、皐月賞の前の成長曲線が正しければ、この状況は十分起こり得る。

 

「やっぱり来やがったか……!!」

 

『ゴールデンレイシオォ!!』




次回、決着。
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