走れるだけでよかったのに   作:〆切の逃亡者

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第16話 賽は未来に投げられて

走れないストレスを少しでも和らげようと、夜風を浴びるため屋上へ足を運んだ。

あの話を聞いて走ろうとは思わない。けれど、走りたい欲が無くなるわけでもない。

だから、妥協。風を浴びてスッとしようと言うわけだ。

 

重い鉄板の扉を開けた瞬間、強風に襲われ思わず目をつむる。

病院特有の匂いと、土の香りが混ざった風が顔を叩く。

……ああ、走ってる時に感じる風圧も良いけど、自然の風もまた良い。

 

ベンチにでも座ろうかと近づくと先客がいた。

何でこんな時間に?とも思ったけど、こんなにいい日だ。夜風の一つでも浴びたくなるだろう。

邪魔をしないように、他のベンチに移動しようと背を向ける。

 

「あン?なんでここにいンだオマエ?」

 

するとどうしたことか、聞き覚えのあるぶっきらぼうな声がした。

振り向くと、どうも見覚えのある顔があった。

 

「エアシャカールさんこそ、どうしてここに?」

 

そう言って、お互い驚いた顔で見合っていた。

 

 

 

■■■

 

 

 

ちょこんと、ベンチの端と端に座る。

お互い無言で夜風を浴びる。

……気まずい。負かした相手にどう話しかけていいか分からない。

さっきからずっと話の切り口を探しているけど、一向に見つからない。

でも、ここで急に帰るのもなんだか失礼な気もするし……ど、どうしよう……

 

「で、オマエはなんでいるんだよ」

 

そんな事を考えていると、エアシャカールさんの方から話しかけてきた。

 

「え、あ、検査入院です。ダービーが終わった直後に放り込まれました」

 

「……どこか怪我でもしたのか?」

 

「いえ、至って健康だそうです。でも、トレーナーさんがしばらく走るなって……」

 

「そりゃ、走ったらダメだろ」

 

彼女は呆れたと言わんばかりにため息を吐く。

前から休養日で走らない日はあった。でも、こんなに長期の間走るどころか運動すらできないのは初めてだ。

ダービーで気が昂ってるのもあり、走れないストレスが溜まってるんだ……頭では走ったらダメだと分かってるんだけどね。

 

「ダービーでの消耗は例年の比じゃねェ。特にオレとオマエはな」

 

「そうなんですか?」

 

「当たり前だろーが……3ハロン32.9秒、瞬間最高速度75km/h。一瞬とは言え時速75kmを超えた。論理的に考えて、無事健康なのは幸運なんだよ」

 

「なるほど……」

 

「ったく、ことの重大さを理解してねェだろ」

 

「えへへ……」

 

実際よく分かっていない。

でも、ミーティアさんやエアシャカールさんの話を聞いてると、相当危ない事をしてしまったんだろうという事は理解できる。

あんまり心配かけないようにしないとな……

 

「それに最後のスパート、アレはなンだ?」

 

「アレ?」

 

「残り200M地点。走りを無理矢理変えただろ」

 

「ああ、そのことですか。このままじゃ負けると思ったので、一か八かサクラバクシンオーさんの走りを真似たんです」

 

真似たと言うけど、僕のやった走りは劣化版。オリジナルには遠く及ばず、スプリンターとして見れば赤点ものだろう。

もし仮に短距離レースをしたら、大差で最後尾を走っている姿が容易に想像できる。

 

けれど、賭けには勝った。

短距離としては不足していても、中距離としては足りない1歩を埋めるに十分な加速力を秘めていた。

 

「ハァ……ンな事だとは予想はしてたが、今回限りは当たって欲しくなかったぜ……中距離戦でスプリンターを参考にしてンだよ……無茶苦茶だろ……」

 

 

「そんな無茶をしないと、勝てない相手だった」

 

 

顔に手を当てぼやく彼女に、反射的に言葉が出てしまう。

 

「僕にはあれ以外勝てる手段が思いつかなかった。だから、一か八かにかけたんです」

 

ダービーは正に幸運の連続だった。

エアシャカールさんに周りが集中した。だから僕は自由に動けた。

エアシャカールさんが周りを潰してくれた。だから僕はスパートをかけられた。

ミーティアさんのアドバイスに気付けた。だけら僕はバ群を避けられた。

 

他にも、僕の弱点を誰にも知られてなかった事や、サクラバクシンオーさんと練習していた事。いろんなことが幸運だった。

 

もしもう一度ダービーと同じ条件で走ったなら、絶対に負け越すと断言できる。

それほどまでに、運に助けられた。

それほどまでに、エアシャカールというウマ娘は強かった。

 

「……リスクとリターンが見合ってねェだろうが。ロジカルじゃねェ……」

 

「そうですね。でも、あそこで何かしないと僕は後悔してましたから」

 

「……そーかよ」

 

目を閉じれば鮮明に思い出せる。

全力を出し尽くし、競い合ったダービーを。

 

その時の熱が今もまだ残っている。もう終わったなんて嘘だと思うくらいには、僕の心は今にも走り出せと叫んでいる。

……ダメだ、このままだと走りたい欲が抑えられなくなる。昂った気持ちを鎮めるように風を浴びる。

 

「ああ、そうだ。エアシャカールさん、ありがとうございます」

 

「ア?なンのことだよ」

 

「ダービーが終わった直後、僕を叱ってくれたことです」

 

「……別に。オレはあのシラけたツラにムカついただけだ」

 

「それでも、ありがとうと言わせてください」

 

今思えば、敗者にああいう目を向けるのは失礼を通り越して無礼だ。

勝者には喜ぶ義務があり、敗者には歯を食いしばる権利がある。

勝って申し訳ないとか、そんなのはただのエゴに過ぎない。真剣勝負に泥を塗るような行為だ。

 

そんな当然の事を気づかせてくれたエアシャカールさんには感謝してもし切れない。

 

「そう言えば、知ってますか?新聞に『菊花賞はどちらの手に!?』なんてものが載ってるんですよ。気が早いというか何というか……でも、次も負けませんよ」

 

「……悪いが、それは出来ねェ話だな」

 

「むむ……なら、夏の間に力をつけて、今度は真正面から打ち破って見せますよ!」

 

「だから、無理なンだよ」

 

そう言うと、エアシャカールさんは立ち上がった。

 

 

———カン、という甲高い音と共に。

 

 

「オレは菊花賞には出られねェ」

 

 

彼女の右手には松葉杖があった。

そして、右足にはギプスが巻かれてあった。

暗闇のせいで、今の今まで気が付かなかった。それは、とてもじゃないがすぐに治りそうにない怪我。

 

「どう、して……」

 

声が震える。

嘘であってくれと。夢であってくれと。

目を擦っても頭を振っても変わらない。

エアシャカールさんは松葉杖をついていて、足にギプスを巻いている。

 

「骨折だ。リハビリ込みで復帰は6ヶ月後……年内復帰は厳しいな」

 

自重気味に笑いながら、足を上げて見せる。

 

怪我、僕が一番避けたいもの。

それを負った。負わせてしまった。おそらく、最終直線の競り合いで。

 

レースに怪我は付き物だ。

転倒や足を踏み外したりしなくとも、自身の脚力に耐えきれず怪我をしてしまうケースが多い。

今回の怪我もそのケース。勝つために必死に走り、運悪く脚の限界を超えてしまった。真剣勝負の結果だ。

運が悪かった、だけだから……誰も悪くなんて……悪くなんて、ないはずなのに。

……後悔はしないと、決めたはずなのに。

 

胸がざわつく、視界が滲む。握った拳に力が入る。

 

 

「だから、菊花賞はオマエに預ける」

 

 

思わず、顔を上げる。

 

「オレに勝ったオマエに、ダービーウマ娘に預けておく」

 

淡々とした口調の中に感じる、確かな熱。

「次は勝つ」と、ギラギラとした目がそう語る。

ああ、そうだ。ダービーは終わったんだ。僕が勝って、幕を閉じた。

夢のような、本当の話。

 

僕は、あのエアシャカールを打ち破ったダービーウマ娘なんだ。

 

「必ず獲りに行く」

 

それだけ言うと、彼女は背中を向けて歩き出した。

カツンカツンと牛歩のような歩みで出口に足を運ぶ。

 

ああ、安心した。一番怖かったであろう彼女に、安心させられてしまった。

気丈に振る舞っているところもあるだろう。不安なところもあるだろう。

でも、大丈夫だ。エアシャカールさんは『次』を見ている。怪我なんかに負けず、次を。

 

 

ならば、僕が。ダービーウマ娘の僕がすべきことは。

 

 

「菊花賞は!」

 

 

立ち上がり、叫ぶ。

気にも留めず歩き続ける彼女に向かって。

 

「……菊花賞は、僕が預かっておきます!いつまでも待ってます!……だから、万全を期してから来てください」

 

 

 

───全力で、迎え撃ちますから。

 

 

 

僕の言葉に左手を軽く挙げると、扉の奥に消えて行った。

 

エアシャカールさんは、分かっている。

口約束にも満たない約束だけれど、お互いに絶対守ると分かっている。

だから、これでいい。

 

次にターフの上で会う時は、二冠ウマ娘として。

 

───そして、ライバルとして、胸を張って。

 

当てられた熱を冷ますように夜風を浴びる。

今から楽しみで仕方がない、黄金のような未来に思いを馳せながら。

 

 

「あーもう、走りたいなぁ!」

 

 

今度もきっと、楽しいレースに。




次回、最終話
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