走れるだけでよかったのに 作:〆切の逃亡者
走れないストレスを少しでも和らげようと、夜風を浴びるため屋上へ足を運んだ。
あの話を聞いて走ろうとは思わない。けれど、走りたい欲が無くなるわけでもない。
だから、妥協。風を浴びてスッとしようと言うわけだ。
重い鉄板の扉を開けた瞬間、強風に襲われ思わず目をつむる。
病院特有の匂いと、土の香りが混ざった風が顔を叩く。
……ああ、走ってる時に感じる風圧も良いけど、自然の風もまた良い。
ベンチにでも座ろうかと近づくと先客がいた。
何でこんな時間に?とも思ったけど、こんなにいい日だ。夜風の一つでも浴びたくなるだろう。
邪魔をしないように、他のベンチに移動しようと背を向ける。
「あン?なんでここにいンだオマエ?」
するとどうしたことか、聞き覚えのあるぶっきらぼうな声がした。
振り向くと、どうも見覚えのある顔があった。
「エアシャカールさんこそ、どうしてここに?」
そう言って、お互い驚いた顔で見合っていた。
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ちょこんと、ベンチの端と端に座る。
お互い無言で夜風を浴びる。
……気まずい。負かした相手にどう話しかけていいか分からない。
さっきからずっと話の切り口を探しているけど、一向に見つからない。
でも、ここで急に帰るのもなんだか失礼な気もするし……ど、どうしよう……
「で、オマエはなんでいるんだよ」
そんな事を考えていると、エアシャカールさんの方から話しかけてきた。
「え、あ、検査入院です。ダービーが終わった直後に放り込まれました」
「……どこか怪我でもしたのか?」
「いえ、至って健康だそうです。でも、トレーナーさんがしばらく走るなって……」
「そりゃ、走ったらダメだろ」
彼女は呆れたと言わんばかりにため息を吐く。
前から休養日で走らない日はあった。でも、こんなに長期の間走るどころか運動すらできないのは初めてだ。
ダービーで気が昂ってるのもあり、走れないストレスが溜まってるんだ……頭では走ったらダメだと分かってるんだけどね。
「ダービーでの消耗は例年の比じゃねェ。特にオレとオマエはな」
「そうなんですか?」
「当たり前だろーが……3ハロン32.9秒、瞬間最高速度75km/h。一瞬とは言え時速75kmを超えた。論理的に考えて、無事健康なのは幸運なんだよ」
「なるほど……」
「ったく、ことの重大さを理解してねェだろ」
「えへへ……」
実際よく分かっていない。
でも、ミーティアさんやエアシャカールさんの話を聞いてると、相当危ない事をしてしまったんだろうという事は理解できる。
あんまり心配かけないようにしないとな……
「それに最後のスパート、アレはなンだ?」
「アレ?」
「残り200M地点。走りを無理矢理変えただろ」
「ああ、そのことですか。このままじゃ負けると思ったので、一か八かサクラバクシンオーさんの走りを真似たんです」
真似たと言うけど、僕のやった走りは劣化版。オリジナルには遠く及ばず、スプリンターとして見れば赤点ものだろう。
もし仮に短距離レースをしたら、大差で最後尾を走っている姿が容易に想像できる。
けれど、賭けには勝った。
短距離としては不足していても、中距離としては足りない1歩を埋めるに十分な加速力を秘めていた。
「ハァ……ンな事だとは予想はしてたが、今回限りは当たって欲しくなかったぜ……中距離戦でスプリンターを参考にしてンだよ……無茶苦茶だろ……」
「そんな無茶をしないと、勝てない相手だった」
顔に手を当てぼやく彼女に、反射的に言葉が出てしまう。
「僕にはあれ以外勝てる手段が思いつかなかった。だから、一か八かにかけたんです」
ダービーは正に幸運の連続だった。
エアシャカールさんに周りが集中した。だから僕は自由に動けた。
エアシャカールさんが周りを潰してくれた。だから僕はスパートをかけられた。
ミーティアさんのアドバイスに気付けた。だけら僕はバ群を避けられた。
他にも、僕の弱点を誰にも知られてなかった事や、サクラバクシンオーさんと練習していた事。いろんなことが幸運だった。
もしもう一度ダービーと同じ条件で走ったなら、絶対に負け越すと断言できる。
それほどまでに、運に助けられた。
それほどまでに、エアシャカールというウマ娘は強かった。
「……リスクとリターンが見合ってねェだろうが。ロジカルじゃねェ……」
「そうですね。でも、あそこで何かしないと僕は後悔してましたから」
「……そーかよ」
目を閉じれば鮮明に思い出せる。
全力を出し尽くし、競い合ったダービーを。
その時の熱が今もまだ残っている。もう終わったなんて嘘だと思うくらいには、僕の心は今にも走り出せと叫んでいる。
……ダメだ、このままだと走りたい欲が抑えられなくなる。昂った気持ちを鎮めるように風を浴びる。
「ああ、そうだ。エアシャカールさん、ありがとうございます」
「ア?なンのことだよ」
「ダービーが終わった直後、僕を叱ってくれたことです」
「……別に。オレはあのシラけたツラにムカついただけだ」
「それでも、ありがとうと言わせてください」
今思えば、敗者にああいう目を向けるのは失礼を通り越して無礼だ。
勝者には喜ぶ義務があり、敗者には歯を食いしばる権利がある。
勝って申し訳ないとか、そんなのはただのエゴに過ぎない。真剣勝負に泥を塗るような行為だ。
そんな当然の事を気づかせてくれたエアシャカールさんには感謝してもし切れない。
「そう言えば、知ってますか?新聞に『菊花賞はどちらの手に!?』なんてものが載ってるんですよ。気が早いというか何というか……でも、次も負けませんよ」
「……悪いが、それは出来ねェ話だな」
「むむ……なら、夏の間に力をつけて、今度は真正面から打ち破って見せますよ!」
「だから、無理なンだよ」
そう言うと、エアシャカールさんは立ち上がった。
———カン、という甲高い音と共に。
「オレは菊花賞には出られねェ」
彼女の右手には松葉杖があった。
そして、右足にはギプスが巻かれてあった。
暗闇のせいで、今の今まで気が付かなかった。それは、とてもじゃないがすぐに治りそうにない怪我。
「どう、して……」
声が震える。
嘘であってくれと。夢であってくれと。
目を擦っても頭を振っても変わらない。
エアシャカールさんは松葉杖をついていて、足にギプスを巻いている。
「骨折だ。リハビリ込みで復帰は6ヶ月後……年内復帰は厳しいな」
自重気味に笑いながら、足を上げて見せる。
怪我、僕が一番避けたいもの。
それを負った。負わせてしまった。おそらく、最終直線の競り合いで。
レースに怪我は付き物だ。
転倒や足を踏み外したりしなくとも、自身の脚力に耐えきれず怪我をしてしまうケースが多い。
今回の怪我もそのケース。勝つために必死に走り、運悪く脚の限界を超えてしまった。真剣勝負の結果だ。
運が悪かった、だけだから……誰も悪くなんて……悪くなんて、ないはずなのに。
……後悔はしないと、決めたはずなのに。
胸がざわつく、視界が滲む。握った拳に力が入る。
「だから、菊花賞はオマエに預ける」
思わず、顔を上げる。
「オレに勝ったオマエに、ダービーウマ娘に預けておく」
淡々とした口調の中に感じる、確かな熱。
「次は勝つ」と、ギラギラとした目がそう語る。
ああ、そうだ。ダービーは終わったんだ。僕が勝って、幕を閉じた。
夢のような、本当の話。
僕は、あのエアシャカールを打ち破ったダービーウマ娘なんだ。
「必ず獲りに行く」
それだけ言うと、彼女は背中を向けて歩き出した。
カツンカツンと牛歩のような歩みで出口に足を運ぶ。
ああ、安心した。一番怖かったであろう彼女に、安心させられてしまった。
気丈に振る舞っているところもあるだろう。不安なところもあるだろう。
でも、大丈夫だ。エアシャカールさんは『次』を見ている。怪我なんかに負けず、次を。
ならば、僕が。ダービーウマ娘の僕がすべきことは。
「菊花賞は!」
立ち上がり、叫ぶ。
気にも留めず歩き続ける彼女に向かって。
「……菊花賞は、僕が預かっておきます!いつまでも待ってます!……だから、万全を期してから来てください」
───全力で、迎え撃ちますから。
僕の言葉に左手を軽く挙げると、扉の奥に消えて行った。
エアシャカールさんは、分かっている。
口約束にも満たない約束だけれど、お互いに絶対守ると分かっている。
だから、これでいい。
次にターフの上で会う時は、二冠ウマ娘として。
───そして、ライバルとして、胸を張って。
当てられた熱を冷ますように夜風を浴びる。
今から楽しみで仕方がない、黄金のような未来に思いを馳せながら。
「あーもう、走りたいなぁ!」
今度もきっと、楽しいレースに。
次回、最終話