走れるだけでよかったのに 作:〆切の逃亡者
興奮冷めやらぬクリスマスイブ。
もう子供ではないけれど、僕は一生忘れないような素晴らしいプレゼントを貰ってしまった。
けれど、人生とは浮かれ気分だけではいられない。
中山レース場からトレセン学園へ直帰した僕は、覚悟を決めて見知った扉を叩いた。
「……どうぞ」
淡々と、冷淡に。
静かな声が夕暮れに溶けるように聞こえた。
扉を開けると、クリスマスイブにも関わらず書類の山に住んでいる人がいた。そう、僕のトレーナー、木崎源一郎だ。
木崎さんは僕を一瞥すると、すぐに手元の書類に視線を戻した。
「……お話があって、来ました」
「……そうか。いや、こちらも話すことがある」
トレーナーとウマ娘。
そう呼ぶには余りにも辿々しく苦々しい雰囲気だ。
思えば、ミーティアさんの距離の詰め方とコミュニケーション能力は卓越していた。僕の心にスルリと入り込んだと思えば、当たり前かのように居座っていた。
半年と1週間、それぞれ付き合う期間に程度はあれど、話す間柄として良好なのが1週間の方なのは意外だ。でも、人付き合いなんてそんなものなのかとも思ってしまう。
少しの沈黙の後、木崎さんは手にある書類を置いて僕の方へ向く。
「まずは初勝利、おめでとう」
———見てたんだ、知ってたんだ。
そんな感想が口に出かける。
今までのレースなら、僕が報告しても「そうか」の一言で終わっていた。
トレーナーは一人でたくさんのウマ娘の面倒を見なければならない。簡単に言えば仕事量が単純に多い、多忙の身だ。チームの中にはG1に挑戦している先輩もいる。未勝利の僕にかまけている暇はないと思っていた。
「あ…りがとう、ございます」
驚きすぎて少し口元が慌ただしくなってしまった。
「レースも見た、いい末脚だ」
「……はい」
口元が緩んでいないだろうか。噛み締めるように口元を正す。
「よく今まで頑張ったな」
思いもしなかった言葉に、嬉しさと驚きが混ざった痒むずい気分になる。レースに勝った時とは違うけれど、とても嬉しい。
「だから、もう私の元ではなくともやって行けるはずだ」
その続いた言葉に、木崎さんが何を言っているのか分からなかった。
「なに、を」
「ゴールデンレイシオ、もういいじゃないか」
喜びの感情は消し飛び、困惑と驚愕が僕の心を支配する。
しかし、僕のそんな事情はお構いなしに、木崎さんは続ける。
「私はトレーナーとして、最低限の基礎トレーニングを積ませたに過ぎない。しかし、君は自主トレーニングを積み、8戦の激闘の末に勝利を掴んだ。私の力なしでだ」
「そんなこと……!」
「ないと?他のウマ娘は基礎以外のトレーニングも私に頼ってきたが、君は一度も頼らなかったな」
それは、知っている。
チームカペラは放任主義的なチームであって、放置的なチームではない。木崎さんは多忙の身だけれど、それでもウマ娘を第一として考えて動く。お願いされれば嫌な顔一つせずに淡々と事をこなす。冷淡な人情派、そう言われれば納得せざるを得ないような人だ。
だけれど、僕は頼らなかった。いや、頼れなかった。
僕が未勝利で悩んでいたのは確かだった。けれど、頼るほどではなかった。僕以上に「勝ちたい」と望む先輩たちは山のようにいる。僕も確かに勝ちたかった、けれどそれは奥歯を噛み締めて命を投げ打って全てを犠牲にしてでも得たいものではなかった。
僕は走れるだけでよかった。レースでなくてもよかった。ただ、お母さんのために勝ちたかった。そんな意思薄弱な人が他の人の夢を押し退けるべきではないと思った。
だから、言わなかった。
「ああ、勘違いはしないでくれ。頼ってくれなかったからと言って怒るわけではない。嫉妬をしているわけでもない。ただ漠然とある事実として述べているにすぎない」
僕の心模様はジェットコースターのような移り変わりをしているが、木崎さんは一向に変わらない。
ただただ自然に、処理するかのように言葉を紡ぐ。
それが僕の心をさらに青く染める。
「とりあえず私が言いたい事は一つ。ただ、合わないのだろう。私と君は」
あまりにも簡潔な一言に、僕の呼吸は浅くなる。
「人間、誰しも相性というものはある。相性が悪くても仕事上付き合いをしなければならない相手もいるだろう。けれど、今回の場合はそうではない。私以外のトレーナーは星の数ほどいるだろう。私と異なるこだわりを持つトレーナーは山のようにいるだろう。だからここでお互い離れよう、という提案だ」
シン…と、言いたい事を言い終え、次は僕の番と言わんばかりの静寂が訪れる。
言葉が出ない、見つからない。
それでも、僕の頭は混乱していても、震える口だけは動いていた。
「トレーナーさんはっ、それで…それで、いいんですか」
「勿論、当然だ。いや、少し語弊があるな。私はその方がいいと思っているんだ」
この時点で、いやもっと前から、僕は気付いていたのかもしれない。
「お互いを縛る事は悪い事じゃないと思う。しかし、それはお互いが納得してメリットがあって初めて悪い事では無くなる。デメリットが目立つ私と君との関係は、トレーナー契約をして縛る事をやめた方がお互いのためだ」
僕は、この人に望まれていない。
「わかり…ました……」
「そうか。手続きはこちらでしておこう」
「はい……」
「君の、今後の活躍に期待している」
その言葉を最後に、僕は重い足取りで陽が落ち何も見えなくなったチームカペラを後にした。
■■■
デスクの明かりだけが灯るチームカペラ。
ペラリ、ペラリと紙をめくる音だけがする。
「クリスマスの日に仕事なんて、悪い子も居たわね」
そんなチーム部屋に突拍子もなく声が響く。
その声に反応して木崎がゆっくりと顔を上げ、眉をしかめる。まるで憂鬱でしょうがない様に、眉間を揉みほぐしながら深いため息を吐く。
「……星宮隆聖…」
「あら、気軽に『ミーティアさん』でいいわよクソガキ」
トレーナー歴30年の超ベテラン。そしてG1勝利数200を超えた生きる伝説。
フランス、アメリカ、日本を拠点に世界中のレースを荒らし回った美しき凶星。
担当したウマ娘がまるで魔法にかかったかのように勝利を重ねる姿に、世界中から称賛と畏怖を集めた魔性の男。
その名も、『星の魔術師』こと星宮隆聖その人であった。
そんな伝説を目の前にして、木崎は内心で毒づく。
しかし、そんな木崎を知った事かとミーティアは不気味と笑みを絶やさない。
「で、クリスマスイブに教え子泣かした悪い子ちゃん。この髭のないサンタクロースとお話、どうかしら?」
「……貴方がお願いと言えば、それは命令と相違無いんですよ」
木崎はやれやれといったようにため息をまた一つ重ねる。パサリと手に持った紙をしぶしぶといったように机に置く。
そんな忙しなく動く木崎を、ミーティアは動かず喋らずジッと見る。
「それで、話とはなんですか。私は暇ではないんですよ」
「ゴールデンレイシオの新しいトレーナー探しで?」
「……やはり、彼女の件ですか」
言外に『帰ってください』というポーズを軽やかに無視された木崎は歯噛みする。
木崎は何でもお見通しのこの化け物を目の前にして察した。おそらく全てを知った上で、まるで名探偵の謎解きのような心境でここに来ているのだと。
「あらあら?昨日、彼女以外に泣かせた教え子がいるのかしら?それなら予想外ね、クソガキからクソにランクアップさせてあげるわ」
「……居ませんよ、誓ってもいい」
「そう。じゃあランクアップはまたの機会ねクソガキ」
そんな木崎の心境を知ってか知らずか、ミーティアはニヤニヤと人の悪そうな笑みを絶やさない。
「……私から、何を聞きたいんですか」
「前座を飛ばしてしまうの?夜は長いというのに、気が存外に短いのね」
「………」
木崎は沈黙を持って返答した。
静寂が二人を包む。
お互いが譲り合うように、牽制するように、話の主導権を目で押し付け合う。
「まあいいわ、答えてあげる」
いい加減静寂に嫌気がさしたのか、ミーティアはしょうがないと言わんばかりに肩をすくめた。
「貴方、なんでゴールデンレイシオを手放したの?」
1秒前の、飄々とした戯けた姿からは想像もつかないあまりにも冷たい声が、目が木崎を貫く。
「貴方がスカウトしたんでしょう?1着ではない、最下位付近を彷徨う彼女を。憐れみではなく、約束でもなく、ただその走りに可能性を見出して」
「……あなたなら、分かるのでは?」
「まあ大方は。それでも、そういうのは本人の口から聞くもんよ」
『蛇に睨まれた蛙』とはよく言ったものだろう。
動かないんじゃない、動けないのだ。
年の功によるものか、生きる伝説と呼ばれて相違ない程のプレッシャーを放つミーティア。
またも訪れる静寂。しかし今回は主導権をミーティアが握っていて、解答権を木崎は握らされた。
長い長い沈黙の後、観念したかのように、木崎は言葉を溢すように口を開いた。
「私は…俺は、ゴールデンレイシオに、相応しくない」
「……へぇ」
それはまるで、懺悔するかのような、木崎のイメージとはかけ離れた声色だった。
「言い訳を言おうとすれば山のようにありますが、結論を言えばその一言に尽きます」
「ふぅん……」
目を伏せて木崎はそう言った。
そんな木崎を見て、ミーティアは察した。木崎は後を引かない後悔という矛盾を抱えていることを。
後悔とは、基本的に後を引く。
特に、自分の選択肢に後悔すれば後悔は長くなる。自分に折り合いをつけることができなくなる。
後悔を抱えると、人間は自問自答を繰り返す。
自分の選択肢が正しかったのか、もっと良い選択は無かったか、ああ言えばよかったか、こう言えばよかったか。永遠に無駄なIFを考える。
しかし、木崎はそんな雰囲気はなかった。皆無と言っても良い。
後悔はしている、けれど選択に後悔はしてない、と言ったところだろうか。
では何に後悔しているのか……と考えると、自然と答えは導かれる。
(相応しくない、ね……己が許せないか……)
たどり着いた答えに、ミーティアの脳裏によぎる。
己の未熟さに嘆いた過去を、ウマ娘へ報いられなかったあの日を。
そんな自分が辿った道をなぞる後輩に、思うことがないと言えば嘘になるかも知れない。だが、ミーティアは老人の昔話に花を咲かせるのは違うと思い、過去を思い出として心に仕舞い直した。
わざとらしい手拍子を一つ鳴らし、ミーティアは語りかける。
「私の質問タイムは終了。次はあなたのターンよ」
「……では、一つ」
重々しい口調で木崎は言った。
「なんで…どうやってゴールデンレイシオを勝たせられたんですか?」
それは余りにも悲壮で、苦しげで、そして飢えていた。
木崎が求めてるのは『答え』だ。
自分ができなかったことへの嫉妬とも捉えていい。気高い嫉妬だ。
「あら、気付けなかったの?」
「はい、気付けませんでした。気付けたらメイクデビューで勝たせられています」
「まあそうよねー」
ミーティアはそんな木崎の圧をひらりと躱す。
しかし、今までのように戯ける事もなく、真剣に木崎の目を見据えていた。
「あなたは今回のレースの勝因は何だと思う?」
「……追込を教えた、ですか?」
木崎は、考える素振りをしてそう言った。
しかし、ミーティアは黙ったまま首を横に振る。
「私がした事は単純。狂った歯車を整備しただけよ」
木崎は分からなかった。
『狂った歯車を整備しただけ』?
言っている意味は分かる。要はリハビリのような調整をしただけなのだろう。だからこそ理解できない。リハビリであそこまで強くなるとはとても思えなかった。
「ゴールデンレイシオの勝因は身体能力によるゴリ押し、それだけよ。そもそも1週間で勝つのに必要なものを揃えるとか無理な話なのよ。だから、あるもので戦うしかないわ。私がやったのは……そう、噛み合ってない歯車を調整しただけ。本当にそれだけ。後はあの子が勝利を目指して走れるかがカギだったわ」
「……なるほど」
「まあ、色々と抱えているデメリットを対処的に処理するにあたって小細工はしたけれどね」
怪訝に思い眉を顰める木崎をよそに、ポケットから一本の鉛筆を取り出すミーティア。
「例えばだけれど、この鉛筆をダンベルを持ち上げる様な力の込め方をする?」
「……しません」
「それをするのがゴールデンレイシオよ」
木崎は、自分の呼吸が乱れるのを感じた。
正直、ミーティアに指摘される今の今まで気が付かなかった。言われた今でさえ、半信半疑だ。
ずっと力んでいる状態、というのは動作において無駄が生じる。様々なスポーツでも『脱力』という動作は重要視されており、必要な部分で必要な脱力ができなければ話にならないとまで言われている。
それにも関わらず、力み続けていた状態でゴールデンレイシオは最後尾ながらも集団についていけていた。
では、脱力を覚えたら、使えたら。能力はどれほど飛躍するだろうか。
木崎はそれが分からない人間ではなかった。
「……どうして、そのことに気がつけたんですか」
「雨の日にあの子の走りを見たの。大きな水飛沫が上がっていたわ。スパートにしてもとても大きな、子供が水たまりを踏んで遊んでいるような大きな水飛沫が」
ミーティアは1週間前の雨の日を思い出す。
ゴールデンレイシオが雨にも関わらず走り続けていたあの日を。
「それで気が付いたのよ。あの子、身体の使い方分かんないんだって」
ミーティアがゴールデンレイシオの走りに違和感を覚えたのは偶然だった。
どれも、気付けないようなほんの少しの違和感。ミーティアの長年のトレーナー経験から来る勘がなければ、気付けないような僅かな異常。
例えば、あの日に雨が降ってなかったら、間近で見なかったら、ターフに入らなければ。そんな僅かな出来事で気付くことは無かっただろう。
「まあ、他にも色々と問題はあったけれど、小細工でなんとかなるレベルはなんとかしたわ」
木崎は理解した。勝因こそリハビリだが、小細工を持って敗因を潰したと。
ゴールデンレイシオが問題を抱えている事など最初から見抜いていた。しかし、どのような問題なのかは具体的に捉えきれていなかった。ただ、出走をしていればいずれ解決する問題だと思っていた。
ミーティアは、そんなゴールデンレイシオの抱える問題を戦法で、話術で、状況を以って解決した。小細工を持って敗因を潰した。
まさに魔術師と呼ぶに相応しい、魔法のような勝たせ方だった。自分には到底真似できない、彼だけの魔法だった。
「………」
「まあ、気を落とさなくてもいいわ。こんなウマ娘、世界中探してもいないもの。私だって初めて見るケースだし」
そうミーティアが言葉をかけるが、木崎の耳には入ってこない。
ただ、自分の未熟さに嫌気が差して、申し訳なくて、ムカついていた。奥歯を噛み締めるほどに、自分を殴り飛ばしたいほどに。
「だから、あの子は私が見るわ」
そんな木崎でも、この言葉だけはしっかりと耳に入った。
「……はっ」
「私しか育てられないでしょあんな例外中の例外みたいなウマ娘。というより、私以上のトレーナーなんて世界中探してもいないもの。私が適任よね」
予想外の言葉に唖然としている木崎をよそに、ミーティアはどこか楽しげにしていた。まるで悪戯に成功したような目をしていた。
「トレーナーは辞めたはずでは……!」
「辞めてないわよ、やってないだけ」
あっけらかんとそう答えるミーティア。
しかし、ミーティアがトレーナーを辞めたと勘違いするのも仕方がないことだ。
ミーティアが最後にトレーナーをしていたのが15年前。育てていたウマ娘を卒業まで見送ると、唐突にトレセン学園から立ち去った。その後、トレーナーの学習塾を創設したり、名家にトレーナー指導を行っていたと聞く。
そのため世間では『ミーティアはトレーナーを引退し、後進の育成に力を入れ始めた』と思われていた。
「それで、貴方はいいの?私が育てても」
多すぎる情報量に頭を悩ませていた木崎だったが、その一言に頭が冷めるのを感じた。
ゆっくりと息を吸い、ゴールデンレイシオのトレーナーとしてミーティアへ顔を向ける。
「……俺では、ダメでした。ゴールデンレイシオの問題に全く気付けませんでした。だから、俺じゃダメなんです。貴方ではないと、ダメなんです」
思わず自嘲気味な笑いが込み上げる。
あまりにも無能な自分が嫌いになりそうだった。
「俺は世界一のトレーナーを、貴方の腕を信じています」
それでも、ゴールデンレイシオのトレーナーとして、最後くらいは悔いがないように。
「それに……あの子は、ゴールデンレイシオは三冠を取れるウマ娘ですから」
———どうか、よろしくお願いします。
そう言い、頭を下げる木崎。
短くため息を吐き、何も言わず扉へ手をかけるミーティア。
「……一つ訂正しないといけないことがあるわ」
扉が閉まる前に、ミーティアは思い出したかのようにポツリと言った。
「ゴールデンレイシオは、世界を取れるウマ娘よ」
■■■
扉を閉めると、白いため息を溢した。
晴天と言っても12月末の夜中。冷たい風が熱を奪う。
「……全く、乙女心が分かってない坊やね。あなたもそう思わない?」
「……ええ、はい。まったく、あの人は…っ」
僕はミーティアさんに「面白いものを聞かせてあげる」とだけ言われ、ここに連れられてきた。
盗み聞きはいけないことだと分かっていたけど、話を聞かずに立ち去ることができなかった。
最近濡れやすい目元を乱雑に拭い、立ち上がる。
木崎さんが選択したように、僕も選択しなければいけない。
「それで、ゴールデンレイシオ。私でいいの?」
「はい……」
だって——
「———僕を初めて信じてくれた、木崎さんが信じた人ですから」
遅くなってぇ!すみませんでしたぁ!!
言い訳フェーイズッ!!
いやあ、ね?4月…新学期、忙しいわよね?ね?仕方なくない?ほら…新しい季節は体調も崩しやすいこと山の如しだしね?ね!