走れるだけでよかったのに 作:〆切の逃亡者
中山レース場の控室。外の喧騒がここまで聞こえてくる。
僕がこの舞台で、この大勢の観客の前で走るのか……
「ついにこの日が来たわね」
そんな僕を置いて、優雅にお茶を飲むミーティアさん。
落ち着いている、というよりも嵐の前の静けさという感じだ。出走するのは僕だけど、僕以上にやる気が漲っているらしい。
「やっぱりこの世代の中でも抜きん出た才能のあるウマ娘が集結しているわね……特にホープフルステークスの覇者、エアシャカール。彼女は別格ね」
そう言って、資料の一つに目を落とす。
エアシャカールさん。
僕の同期で、目つきが鋭く威圧感があるちょっと怖い人。
未だに無敗で、あわや無敗の三冠ウマ娘かと囁かれている時の人。
そして今日、僕と一緒に走るウマ娘だ。
レースの映像を見て思った。『格が違う』と。
追込として歴の浅く、レースの知識も少ない僕でも恐ろしいほどに綺麗な走りだと分かった。
最後尾からレースを支配する智謀、一糸乱れぬ完璧なフォーム、恵まれたバネから出る鋭い末脚。それらをハイレベルで併せ持ち、自在に扱うセンス。
どれも僕にないもので、正直勝てる気が……
「緊張してるの?大丈夫よ、今までのトレーニングを思い出しなさい」
ポン、と頭に手を置き微笑むミーティアさん。
走ることが解禁されてから僕は、毎日のようにトレーニングをした。勝つため、G1を制するため。
そう、あのトレーニングの日々を思えば———!
「……水泳と柔軟の記憶しかないんですけど」
背泳ぎに四苦八苦したり、ラジオ体操をしたり、バタフライで水飛沫を天井につかせるほどの威力を出してしまい怒られたり……思い返してもほぼプールサイドの記憶しかない。
「そりゃ水泳と柔軟しかしてないもの」
「僕ってウマ娘でトゥインクルシリーズの走者ですよね……?なんで走ってないんですか……?」
「自主トレーニングって言いながら毎日走ってたじゃない」
「時速30km以下、学園内で1時間限定という条件付きなので僕の中では走りと認定しません」
「わがままねぇ」
「ウマ娘なので」
「理由になってないわよ」
呆れたように笑うミーティアさん。
これからは毎日2時間は走らせてほしい。せめて外を走らせてほしい。そして時速40kmのランニングを許可してほしい。
そんな事を考えてると、そっと僕の頬に手を添えて目を見てくるミーティアさん。
ええと、なんだろう?顔に何かついてるのかな?
「……うん、さっきよりはマシな顔になったわね」
ミーティアさんの言葉に、思わず小首を傾げてしまう。
マシな顔……?
「まったく、気負い過ぎよ。初めての大舞台で緊張するのは分かるけど、少しは落ち着きなさい」
そう言って、僕の頭を丁寧に撫でるミーティアさん。
思えば、いつの間にか僕はさっきよりも深く息が吸えていた。
……そうか、僕、緊張してたんだ。
「……そ、そろそろ時間ですね、行ってきます」
撫でられ続けるのも気恥ずかしくなってきて、逃げるように扉へと向かう。
ミーティアさんは少し僕を子供扱いしすぎだと思う……まあ、年齢差的には子供どころか孫扱いなんだろうけど。
「ゴールデンレイシオ」
扉に手をかけて出ようとした時、ミーティアさんは短く僕の名前を言って呼び止めた。
「あなたは強いわ。エアシャカールなんてぶっ飛ばしてきなさい」
振り返ると、ミーティアさんは微笑みながらいつものように物騒な事を言っていた。
けれど、目は少しもぶれず真っ直ぐ僕を見つめている。この人は、本気でエアシャカールさんをぶっ飛ばせると思っている。
……期待が重いなあ。でも、まあ——
「———頑張ります」
やれるとこまで、やってみよう。
■■■
冬の風が微かに残る中山レース場。
中山レース場の特色として、差し追込が圧倒的に不利だと言う点がある。短い直線は末脚を殺し、逃げ先行を捉えきれない。現にここにいる12人中8人が逃げ先行型だ。
しかし、僕は、僕らは真っ直ぐ1人の追込ウマ娘を見つめていた。
「アァ?ナニ見てんださっさと入りやがれ」
そう言い、不機嫌そうにゲートへ入っていくエアシャカールさん。
分かっている。
このターフに立っている、僕を含む11人のウマ娘は分かっている。
今日のレースは、圧倒的なまでの実力を持つエアシャカールさんにどう勝つかというレースだという事を。
誰もがエアシャカールさんを一瞥し、ゲートへと入っていく。
好戦的に、悲観的に。青く、白く、赤く染めた顔色で。
『全ウマ娘ゲートイン完了、出走の準備が整いました』
瞬く間、風の音が際立つ静音。
今か、今かとゲートのランプを注視する。
『……スタートしましたっ!っぁあ!!』
ガコン、と大きな音を立てて開いたゲート。
それよりも、大きなどよめきと悲鳴が観客から聞こえる。
何かアクシデントが……!
『出遅れ発生!2番ジャラジャラ出遅れました!!逃げウマ娘ですが、この出遅れは巻き返せるかーっ!!』
「ミスったァァァァ!!!」
思わず振り返ると、後ろからすごい形相をしたウマ娘がすぐ隣を猛スピードで駆け抜けていった。
……ちょっとびっくりして減速しちゃった。
でも序盤も序盤、それに追込なら減速はそんなに問題ではない。落ち着いて最後尾につける。
短い直線を抜けて第1コーナー半ば、ポジションが固まり始めた。
『先頭から後方までおよそ6バ身、一団となって駆け抜けていきます』
……やっぱり、みんなエアシャカールさんを意識し過ぎている。
一塊といって差し支えがない集団を一つ後ろから眺めながら、僕は最内を駆け抜ける。
上り坂が終わり、長い長い下り坂。集団は徐々に分離し、縦に伸びていく。
追込に勝つ手段はいくつかある。
まず、末脚が届かないセーフティリードを作ること。
次に、末脚を活かせないほどスタミナを消耗させること。
最後に、前についてスローペースで末脚を残すこと。
おそらくこの三つの思惑がそれぞれのウマ娘の中にあり、このような展開へとなっている。
徹底マーク、ほどは厳しくはない。けれど、対追込の戦略を徹底している。
しかし、エアシャカールさんは動かない。
後方の位置で不気味にペースを保っている。
つまりこの状況、この差を差し切れると判断しているということだ。
僕はあの差を差し切れるか……今からでも前に……
いいや、違う。今することは、ペースを乱さない……っ!
『バックストレッチに入って依然先頭は———』
■■■
中山レース場、屋内スタンド席。
本来ならば、和気藹々とした雰囲気とレースの緊張感が程よく伝わってくるのだろうが、今日この場に限っては話が違う。
この場にいる全員がレースに集中しきれず、この空気を醸し出す存在に気を取られている。
「初めて見た時は驚きました。まさか女装家とは思わず……」
「昔担当した子が男性が苦手でね、その名残よ……男装なんて数十年してないから、今更戻すのもねえ?」
嬉々として談笑している美人2人。しかし、その2人の周囲には誰1人近づこうとはしてなかった。
方や、【皇帝】シンボリルドルフ。言わずも知れた無敗三冠ウマ娘。
方や、【星の魔術師】星宮隆聖ことミーティア。言わずも知れた伝説のトレーナー。
笑顔で話してはいるが、無意識に振り撒かれた威圧感は周囲から人を消した。
「それで、何か聞きたそうだけど……何かしら?」
ミーティアの言葉に軽く苦笑いを浮かべるシンボリルドルフ。
ミーティアからすれば、シンボリルドルフほどのウマ娘が急に隣に座ってきてただの談笑をしにきたり、偶然だったりなんてするはずがない。何か話があること自体、話しかけてきた瞬間気がついていた。
「……単刀直入に聞きましょう。どんな魔法をかけたんですか?」
抽象的すぎる言葉に、ミーティアは続きを促すように口を閉ざす。
「なにかがきっかけで急激に伸びるウマ娘はいます。ですが、ゴールデンレイシオはそれらのウマ娘特有の雰囲気を持っていない。ならば、ゴールデンレイシオの急成長には外因的な要素がある……そして、時期を考慮するとあなたがその要因に他ならない」
「なんでそんな事を聞くのかしら?」
「ただの興味本位ですよ」
レースの歓声だけが部屋に響く。
ミーティアは、少し考え込むように口元に手を当てた後、言葉をこぼした。
「魔法をかける、ねえ。どちらかと言えば魔法を解いてるのよ」
「……なんと?」
シンボリルドルフはミーティアの言葉に耳を疑った。
そんなシンボリルドルフをよそに、ミーティアは自分に言い聞かせるように言葉を続ける。
「ゴールデンレイシオは欠点の見本市のようなウマ娘よ。息の入れ方は分からない、スパートのタイミングも分からない、レースのセオリーなんて以ての外。なんなら自分の体の動かし方でさえぎこちないわよ」
「それは……」
「私がやったのは一つ一つ、丁寧に、気づかれない様に欠点を矯正すること」
ミーティアがやったことは単純だ。
ゴールデンレイシオは踏み込みの練習により脱力を覚えた。しかし、それは急拵えの不完全なものでしかない。
だからこそ、水泳で体に負荷をかけないよう心がけ、体の使い方を覚えさせた。一見すると普通に見える動作でも、力みすぎていたり関節の動きが不十分だった。それを無意識で滑らかに動くよう矯正した。
「0を1にするのは難しいかも知れないけどね。-1を0に戻す作業は案外簡単なのよ」
シンボリルドルフは頭の中で逡巡する。ミーティアの言葉を真とするならば、ゴールデンレイシオの急成長は何か特殊なトレーニングによる超強化ではない。元々その実力が備わっていたと言うことだ。
正直なところ、とてもではないが信じられなかった。
しかし、負け続けた時期や、今日この舞台に立てていることの理由がつく。
「まあ、錆落としはまだ半ばだけれど……それでも、エアシャカールに劣るとは思っていないわ」
『残り700M!最後尾からゴールデンレイシオ!ゴールデンレイシオがジワジワと上がってくる!』
「特に、スタミナはね」
「これは……」
中山レース場で早仕掛け。その行動自体は合理的ではあるが、ゴールデンレイシオは大外すぎた。
先行集団が団子のように横に膨れた影響をモロに受ける。本来ならば選ばない選択肢。それを圧倒的なスタミナを盾に実行した。
「私、レースの作戦を考えるのって苦手なのだけれど……エアシャカールという分かりやすい台風の目があるなら、やりようはあるわ」
ジリジリと上がってくるゴールデンレイシオに驚きハイペースへと移行してしまう前方のウマ娘たち。
しかし、出走しているウマ娘のトレーナーたちは一様に苦虫を噛み締めた顔をしていた。
残り600M地点、スローペース寄りのミドルペースを保っていた。末脚勝負をするつもりだったのだ。しかし、ゴールデンレイシオのせいで纏めて掛かった。最終直線にとってあった末脚を使ってしまった。
「ドッキリ大成功、ってね」
シンボリルドルフは作戦を考えるのが苦手とはどの口が言っているのか、と思った。
700M地点からのロングスパート、という簡単な一手で多くのウマ娘の作戦を丸ごとすりつぶした。その手練手管に舌を巻く。
しかし、それよりも。シンボリルドルフは1人のウマ娘に目を奪われていた。
「……並のウマ娘なら、ここで掛ってしまい末脚を使ってしまうでしょう」
———ですが、
「エアシャカールは、並ではない」
『残り400M、エアシャカール仕掛けた!エアシャカール一気に上がって後方から中段、中断から前方!先頭のウマ娘を射程圏に捉えた!先頭のウマ娘は逃げ切れるかっ!』
エアシャカールが動いた。
ゴールデンレイシオに乱され、軽く混乱している状況で台風の目が突っ込んできた。こうなると他のウマ娘はさらに掛かり、不要なスタミナを使ってしまう。
ゴールデンレイシオは現在6番手。ジリジリと上がっているが、すでにエアシャカールは2番手の位置で抜け出した先行ウマ娘を追う展開。ここから勝つには直線一気で駆け抜ける他ない。
『後方とグングン差をつけていきます!勝負はこの2人に絞られたかっ!!』
しかし、相手はあのエアシャカール。
ゴールデンレイシオはじわり、じわりと順位を上げていくが、エアシャカールとの差は広がっていく一方。
ゴールデンレイシオは必死に追いかける。だがしかし、それは速度という壁に阻まれる。
『エアシャカールか!エアシャカールだっ!エアシャカールわずかに抜け出してゴールイン!』
白熱した実況が、観客の視線がエアシャカールに向けられる。
ゴールデンレイシオは注目もされぬまま、3着でゴールイン。集団を引き連れ1着と7バ身差。
「負けたわね……」
「……惜しかったですね」
「そうね。もしあそこでエアシャカールが掛っていれば……いや、私の力不足だったわ。そして、エアシャカールが強かったのよ」
ミーティアは目を伏せてため息をこぼす。
諦観のように見えるその態度。しかし、目の奥には燃えんばかりの激情が渦巻くのが垣間見える。
「次は勝つわ」
絞り出したような、感情を押し殺した一言。
ミーティアが悔しさを感じていると察するには十分だった。
シンボリルドルフは、伝説のトレーナーとまで言われた存在がまるで新人トレーナーのような悔しがる様子におかしく思い、つい微笑みをこぼす。
「……そうですか。では、本番を楽しみにしています」
『
おまたせ、まった?
オレのターン!トラップカード発動!今回の言い訳!!
三人称視点イップス発生!三人称ってどうかくんだっけ???バッドステータス《三人称視点ド忘れ》を獲得!!
くっ!一人称の住民が手を出すべき領域ではなかったか……!
ps.日間ランキング乗っちゃった!乗っちゃった!やーったやったやったったぁー!これからも応援よろしくおねがいします!ムン!