Sprint To Heaven ~笑顔のその先に~ 作:エガヲ
まだ日付が変わって間もないような時刻――深夜。
誰もが床に就き、寝静まっているような時間帯である。
しかし今宵は普段のような静寂さは微塵もなく、慌ただしく色めき立っていた。
耳につんざくようなほど響き渡るサイレンの音が近づいていく。
轟々と肌が焼け付くような熱の暑さが遠くにいても伝わってくる。
何かが焼け焦げた匂いが周囲を充満していく。
炎が黒煙を上げながら舞い、まるでこの辺りだけ朝日が登ったかのように、夜空を真っ赤に染め上げていた。
火事――。
それはただ赤く赤く、燃えていた。
全てを飲み込むようにして……。
前触れもなくこの火災は発生した。
コンセントに差しっぱなしのプラグに溜まったホコリにふとした拍子で引火したのか、はたまたタコ足配線にしていたタップが高温に発熱し出火したのか……原因は今となってはもうわからない。
あるべくしてあるように火の手は上がり、一気に燃え広がっていった。
最初の火災発生から少し経過した後、幸か不幸か異変を察知した職員が火事に気が付き、近くの火災報知器が押された。
すぐに『ジリリ――!』と、大きな警報音が建物内に響き渡った。
それがただの小火程度であれば、設置されている消化器で消火するといった事も、冷静に対処出来たであろう。
しかしすでに天井にまで火は回り、身の丈まで迫ってくる炎の目の前に、周囲に火事であることを知らせるため大声を上げ、急いで建物内にいる人々の避難誘導をするのが関の山だった。
迫りくる熱と炎の暴力の前には、ただただ無力でしかない。
避難誘導の声、あるいは悲鳴といった混乱を極めている物音が飛び交う。
我先にと、中に居た人たちは蜘蛛の子を散らすように、満足に身支度もせぬまま一目散に逃げ出していく。
目の前に想像もしえないものが降り掛かった時、自分が思っているほど冷静には行動できないものだ。
炎の勢いは止まらず、容赦なく襲いかかる。
どんどんと建物を包み込んでいくその姿に、生存本能の赴くまま逃げ惑うしか術はない。
辛くも大勢の人が無事に難を逃れ、渦中から脱出を済ませていた。
逃げ延びたことに安堵して泣きわめく者――。
毛布にくるまい寒さからなのか恐怖からなのか震えている者――。
様々な人で溢れかえっている。
同じように慌てて外へ飛び出したのか、その格好はところどころ煤にまみれていた寝間着姿で、靴を履く暇もなかったと想像するに容易く素足のままの一人の少女――ウマ娘がいた。
これまでに経験したことがないであろう悪夢と疑いたくなるようなこの光景に魅入られたかのように呆然と眺め、立ちすくんでいる。
「――そこ君、何をやっているんだ。もっと遠くに逃げなさい!」
偶然近くへ通りがかった職員が、そのどこか危なげな少女の姿を見るやいなや、大声を上げなら慌てて駆け寄ってくる。
いくら身体的能力に優れているウマ娘といえどもまだ十代の女子が大半である。
目の前に起きている出来事の大きさに、足がすくんで動けなくなっているのかもしれない。
けれども、あのような大きな声で呼ばれるものなら、気になって振り返るなどの何かしら反応があっても不思議ではなかった。
だが、まったくの無反応であった。
「……君、大丈夫か? しっかりしろ、動けるか?」
肩を揺さぶられながら職員にそう問われるが、力に流されるままただ身体を揺らすだけであった。
そしてようやく反応を見せたかと思うと、燃え盛っている建物をゆっくりと指差して、震える声でぼそりとつぶやいた。
「まだ……あの中に人が……」
それを聞いた職員は、衝撃を隠せない顔を浮かべる。
少女の言った事が真実であれば、一刻も早く救助に向かわないと間に合わなくなる。
しかし無謀にあの炎の中に飛び込んでいっても、ミイラ取りがミイラになってしまう可能性が高い。
もうじき消防車も到着するはずなので、それを待ってからでも……職員はそう思いを巡らせた後、少女に向けてゆっくりと横に首を振った。
「……このままここにいても君までも巻き込まれてしまう! 早くここから離れなさい」
「で、でも……」
「いいから一緒に来るんだっ!」
頑なにこの場から動こうとしないでいた少女は、しびれを切らした職員に腕をとられ、引きずられるようにしてこの場から連れ出されていく。
そのまま腕を引かれるまま、しかしそれに抵抗する気力もなどもなく……ただ後ろを振り返って炎の勢いを目に焼き付けることしかできなかった。
一切合切を飲み込む火の海を――。
二月十一日未明。宮城県にある地方のトレセン、山元トレーニングセンター学園が火災に見舞われた。
それは宿舎一棟が丸々焼け落ちるという、未曾有の大惨事であった……。
何か文章のおかしい所を修正しました(2022/2/16)
■小ネタ解説※ネタバレを含む(興味のある方だけ反転してご覧下さい)
・山本トレセンの火事について
山本トレセンの火事は2000年2月11日未明(12日の深夜)に実際に起きた出来事。
原因は漏電と言われているがはっきりと分かっていない。
厩舎1棟が全焼し、その厩舎内にいた30頭中22頭が焼死という悲惨な出来事であった。
助かった8頭のうちの1頭は猛火が迫る中、後ろ脚で扉を蹴破り、自力で脱出したという(関係者によれば物凄い生命力だとか)。
だが本来であれば馬は火事とかでパニックになるとビックリしたまま立ち往生してしまい、そのまま厩舎から出ようとせずそのまま取り残されてしまう。
※参考サイト1
※参考サイト2