空が茜色に染まる頃、古びた工業団地の一角にある潰れた工場の中を歩く一人の男がいた。
男は長身で、仕立ての良いスーツを着こなしており、サラリーマン風の容貌であった。
耳掛けのない特徴的な眼鏡を掛けており、そのレンズの先に覗く眼光は鋭い。コツコツと革靴の踵を鳴らす足音が工場に響く。
夕陽が差し込まない薄暗い一室に入ると、そこには暗闇に蠢く影が見えた。
影は人の形のように見えるが、腕の関節が多く、身の丈よりも長い。
異形な影はゆっくりと振り返る。こけた頬に、あばらの浮き上がった体。
亡者のような化け物は地底から響くようなおどろおどろしい声を上げると、その長い腕を鞭のようにしならせた。
風を切るような一撃を、サラリーマン風の男は飛び退いてかわした。
それを追うように、化け物はもう一方の腕を引くと、手刀にして勢いよく突き出す。
その手刀は男に届く前に宙に舞った。
化け物の絶叫が轟き、ドサリと床に落ちる化け物の腕。
それは男の手に握られた大ぶりの鉈によって斬られたことによるものであった。
男は鉈を構えると、一気に距離を縮めた。
鉈の一閃が化け物の頭部を刎ね飛ばす。
ゴトリと落ちた頭部と崩れ落ちるように倒れた体が、次第に塵のようになって消え失せていった。
男はその様子を確認すると、その部屋を後にした。
工場内の部屋を一つずつ開けていくと、一つの部屋に鍵が掛かっていた。
男はフーッと一息吐くと、ドアを力任せに蹴り開けた。
バンッと勢いよく開いたドアを通って部屋に入ると、その部屋の隅に震える影が見えた。
「こんな所にいたのですか。親御さんが心配しています。早く帰りますよ」
男はそういうと、手にしたペンライトの光を影に当てる。
そこには四人の男の子が身を寄せ合って震えていた。
「お、お、お化けが!」
「お化けなんていませんよ。さぁ、帰りましょう」
悲痛な声を上げた男の子を諭すように、男は言った。
その声に安心したのか、子供たちは顔を見合って、おずおずと部屋を出ていく。
その中で一人の男の子だけが、その場を動かず男の顔をじっと見ていた。
「
「ごめんなさい、
「君のせいではありません。こういう場所は溜まりやすい。ただそれだけです」
「また、僕……。誰かを不幸に……」
「不幸になっていません。皆、無事です。早く帰らないと夕飯が遅くなってしまいますよ?」
促されるように伊月は部屋を後にし、その背中を見守るように
◇
一週間前――
ジャズの流れる喫茶店で七海は人を待っていた。
本を片手にコーヒーを優雅に飲んでいると、ドアベルが鳴り客の来店を告げた。
七海は本から視線を外し、入り口に目を向ける。そこには全身黒ずくめの男が立っていた。
その男のいでたちは妙であった。
艶のある白髪だけでも目を引くが、それ以上に目を引くのはアイマスクのようなものを着けていることだ。
妙な男は七海と視線が合うと、手を上げて笑みを見せた。
「いよぉー、七海。お待たせー」
そういうと、七海の対面の席に座った。
「待ちました。一時間と十二分遅れです」
「いやぁ、忙しくってさぁ。ごめんねー」
まったく悪びれた様子のない男に七海は呆れた様子もなく返す。
「それで? 電話では言えない話とはなんですか?」
「えー? 早速聞いちゃうの? もっとお喋りしようよぉ」
「一時間以上遅れた人の言葉ですか? 私も暇な立場ではないのです」
「せっかちだなぁ、七海は。まあ、いいや。話ってのはねぇ、ある子供を預かってほしいんだよ」
「お断りします」
「ええっ!?」
即断で拒絶した七海が返す。
「私は子供の相手が得意とは言えません。適任者は他にもいるはずです」
「ただの子供……ならね」
「どういう意味ですか、
七海の興味を引いたことが嬉しかったのか、
「
「冗談がきつすぎます。災禍転身の術式の家系ならば、大昔に途絶えたはずです」
「だよねぇー。でも、その可能性を持った子供がいるんだよ」
「降りかかる災いを他者に押し付ける術式……。一体、何があったんですか?」
食い入るように見つめる七海に対して、五条は背もたれにもたれ掛かり、ゆっくりと口を開いた。
「二年前、ある孤児院で夜中に大火災が起きた。原因は失火だったが、職員と施設にいた子供達の多くの命が失われた。その中で、奇跡的に生き延びた子がいた」
七海は黙って五条の言葉の続きを待つ。
「去年、集団下校中の小学生に向かって暴走車両が追突。多数の死傷者が出たが、ここでも奇跡的に無傷の子供がいたんだ」
そして、と五条が言葉を紡ぐ。
「先月起きた、通り魔による無差別殺傷事件。通り魔がある子供を襲おうとしたとき、偶々、強風に煽られて落ちてきた看板が通り魔を直撃し、死亡。襲われかけた少年は無傷だった」
「それらが、全て同一人物だったと?」
七海が言うと、五条は指を鳴らして、正解、と告げた。
しばしの沈黙が流れる。それを破ったのは七海であった。
「私は何をすれば良いのでしょうか?」
五条がニッと笑う。
「実際に事故や事件が起きる瞬間を押さえてほしい。もし、本当に災禍転身の持ち主なら高専で保護する」
「今のままでは難しいのでしょうか?」
「頭のお堅いじじい共が認めないだろうさ。そこで信頼と実績のある七海が現場を押さえてくれれば、重い腰を上げるかもしれない」
「五条さんは信頼がないですからね」
「はは、知ってる~」
からからと笑う五条とは対照的に、硬い表情を七海は見せた。
古代の伝承に伝わる災禍転身。自分の身に降りかかる災いを他者に押し付ける禁断の術式が見つかれば大問題だ。
五条ほどではないにしろ、呪術界に大きな影響を与える人物になりえるだろう。
もし、悪用されでもしたら、手に負えなくなってしまう。
これは真偽を確かめる必要がある。七海は五条を見据えて、大きく頷いた。