仮想怨霊とは、怪談や妖怪などの共通認識のある畏怖のイメージから生まれたものである。
ブラブラさんは、都市伝説として語られ、人々にイメージされることで発生した呪霊ということだ。
ご丁寧に呼び出すための方法まで細かく書かれているため、呼び出すのにも苦労はしない。あとは容易に祓えるかどうかだが。
七海は少し思案した。インターネット上で語られ、多くの人間に認知されているブラブラさんはどの程度の力を持ったものなのか。
「伊地知君、ブラブラさんを呼び出すための道具の準備をお願いします。祓うのは私が担当します」
「承知しました。すぐに準備を」
了承した伊地知は校長室を後にした。
◇
ブラブラさんを呼び出すための準備はそう難しくない。
ロープと脚立。そして、ブラブラさんが現れたときにロープを切断するための、刃物。
伊地知はすぐにロープと脚立を調達してきた。刃物については、七海が愛用している鉈があるので問題はない。
残る条件は一つだ。
人の目につかない場所。これについては場所を選ぶため、先日、少女がブラブラさんを呼び出したであろう山の中にすることにした。
時刻は夕方を迎えつつあった。七海は山のハイキングコースを上っていき、山の中腹で道を逸れてから少女が死んだ場所へと向かう。
伊地知には人が近くを通ったら知らせるよう、ハイキングコースの途中で待機してもらっている。
少女が首を吊った木のある場所まで来た。木の下には花が手向けられており、事件の名残を感じさせる。
七海は脚立に昇ると木の太い枝にロープを掛けて、首をくくる輪っかを作った。
準備はこれで完了だ。あとは脚立を降りて、ロープに背を向け、目を閉じる。
一つ呼吸をしたとき、スマートフォンから呼び出し音が鳴った。
掛けてきたのは伊地知であった。
「七海さん、緊急事態です! 伊月君の同級生が誘拐されたそうです」
「誘拐!? どういうことですか?」
「詳しいことは……。伊月君を監視していた者からの情報です。伊月君は無事とのことですが。すでに警察には連絡を入れているとのことです」
七海の脳裏を過ったのは、誘拐が伊月を狙ったものではないかということだ。
だが、そこで災禍転身の術式が発動し、代わりに同級生がさらわれた。もし、そうだとしたら。
いや、今考えるのは、誘拐された友達の方だ。警察に任せるしかないのか。
苦悩する七海の頭の中で一つの事柄が思いついた。
もし、本当であれば、誘拐を解決できるかもしれない。
「伊地知君、誘拐された子の名前を調べてもらえますか?」
「え? 分かりました。すぐに確認します」
そういうと、伊地知は電話を切った。
七海はだらりとぶら下がるロープを見た。ブラブラさん。もし、質問に答えることができるなら、誘拐犯の場所を特定できるかもしれない。
危険な賭けかもしれないが、一人の命。そして、伊月の心を救うにはこれしかないと思った。
もし、最悪な事態になったら、伊月は自分を責める。周りに人を不幸にすると思っている伊月を、これ以上苦しめたくはなかった。
しばし待つと、再びコール音が鳴り響いた。
「七海さん、誘拐された子供の名前は、春日 翔くんです」
「ありがとうございます。では、伊地知君は周囲の監視を続けてください。進展があれば、すぐに電話します」
「何をするおつもりなのですか?」
「検証です」
言うと、電話を切った。
ロープに背を向け、目を閉じる。
「ブラブラさん、教えてください」
虚空に向けて言葉を放った。周りの空気に変化はない。そんなはずは。
だが、次の瞬間、疑いが確信に変わった。
ギィ……ギィ……。
と背後から音が鳴ったのだ。
振り返ると、そこにはロープに首を吊られた長い髪の少女の姿があった。
現れた。七海はすぐさま、次の行動に移った。
背中に隠していた鉈を取り出すと、少女を吊るロープを切断したのだ。
どさりと地面に落ちる少女。七海は近づくと、少女に問いかけた。
「ブラブラさん、誘拐された春日 翔の今いる場所を教えてください」
少しの沈黙の後、少女の唇が微かに動いた。
「ヒノデモータース……」
ヒノデモータースと言った。七海はすぐにスマートフォンを取り出すと、伊地知に掛けた。
「伊地知君、誘拐事件ですが、ヒノデモータースという場所を探すように警察に連絡してください」
「ヒノデモータース、ですか? 一体、それは?」
「早く! 逃げられる訳にはいきません」
「分かりました。警察の協力者にすぐに捜査するよう、連絡を取ります」
通話を終えると、すでに少女が消えていた。
七海は少女の痕跡を探すが、微かに漂う呪力があるのみであった。
それほど強力な力を感じなかった。祓うのは難しくないかもしれない。
それなら、誘拐事件の進展を待とう。七海は祈るような思いで、時が過ぎるのを待った。
◇
太陽が山並みに消えてから少し経ったとき、コール音が響いた。
「七海さん、伊地知です! 春日 翔君を保護したとの連絡が入りました!」
「本当ですか? 良かった」
「よく分かりましたね。どうやって居場所を?」
「ブラブラさんに聞きました」
「まさか!? ということは本物なのですね。都市伝説どおりだったと」
都市伝説の通り、質問に対して答えてくれた。誘拐された子供の正しい居場所を、事も無げに。
「では、私はこれからブラブラさんを祓います」
「分かりました。ご武運を」
電話を切ると、予備で持ってきたロープを木の枝に掛けて、また首吊り用の準備をする。
先ほどと同じようにし、目を閉じた。
「ブラブラさん、教えてください」
少し間を置いて、背後からギィ……、とロープの軋む音が鳴った。
振り返ると、先ほどと同じ少女が首を吊っていた。あとは、こいつを祓うだけだ。
鉈を振り上げ、少女の首を見据える。
振り下ろそうと力を込めたとき、頭に邪念が過った。
質問に答えてくれる力。これがあれば、もしかしたら。
逡巡した七海は、鉈を振るった。
少女の首を吊るロープ目掛けて。
地面に落ちた少女に七海が語り掛ける。
「雨野 伊月は災禍転身の術者ですか?」
聞いてしまった。もし、これで、はい、と答えれば、災禍転身の持ち主かどうか分かる。
誘拐された人物の居場所を言い当てたくらいだ。信ぴょう性はある。
ごくりと唾を飲んだ七海は、少女の口に注目した。
「……しらない」
七海は耳を疑った。はい、でも、いいえ、でもなく、知らないと言ったのだ。
どういうことだ。思わず、七海は言葉を発してしまった。
「知らないとはどういうことですか!?」
口走ってから思い出した。ブラブラさんの注意点に。
「しらないしらないしらないしらないしらないーーーーー!」
ブラブラさんへの質問は一つだけ。それ以上は、ブラブラさんを怒らせてしまう。
怒らせてしまったら。
「あああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーー!」
少女の絶叫と共に、周囲の状況が変化し始めた。
森の木々の表面に大量の人の顔が現れたのだ。
「まさか!? 領域展開!?」