恋に恋する年頃。
何でもないことでも恋愛に結びつけたい、少し大人な恋愛に憧れる。
そういう時期が、きっと誰にでもあるのだろう。
かく言う自分の担当もそうだった。
きっと、彼女は恋をするという意味すらあまり理解できていないのだろう。
それでも、周囲に感化され、自分もそうあろうとしてしまう。そうしたある種の勘違いとも言える思い違いが、人を大きく成長させるのだろう。
けれどもし、それが間違った方向に成長してしまったのなら、それは、大人である俺が、治してあげないとならないのだろう。
暗闇に包まれた中で、そんなことを考える。
視界を確保しようと、目の前のソレを引き剥がすため、手を添えた。
「トレーナー! くすぐったいよ!」
すぐ側で聞こえたその声に耳を貸すことも無く、彼女の脇腹に手を添える。
引き剥がそうと力を込めても、ウマ娘の力で抵抗されれば俺の力など、足元にも及ばない。
「……テイオー、顔に飛びつくのは危ないからやめてって言ったよね」
「大丈夫! ちゃんとソファの近くでやったし、倒れても怪我はしないよ!」
「そういう事じゃなくてね」
「トレーナーの髪の毛チクチクするけど気持ちいいよ!」
「話聞いてないな」
逆肩車とでも言えばいいのだろうか。
俺の視界を覆い隠すようにしがみついたテイオー。引き剥がすことは諦め、ソファに腰を下ろすことにした。
昼下がり、暖かな気温はきっと昼寝するのにちょうどいいだろう。仕事が終わっていればきっと、木の下にでも横になって眠っていたことだ。それがどうしてこんなことに。
まるで離れる様子のないテイオーは、未だに顔の前でくつろいでいる。恐らく、スマホでもいじっているのだろう。人の顔をなんだと思っているのか。
「テイオー、せめて後ろに回ってくれないか」
「急に喋るのもダメ! びっくりする!」
「んなバ鹿な」
「んー、でもまあ、後ろならいいよ」
その基準はなんなのか。
器用に後頭部側へと回ると、テイオーの顎が頭の上に乗るのを感じた。肩車、と言うよりはソファの背もたれに腰掛け、足を俺の肩に下ろしているような状態だ。
「テイオー」と名を呼んでも、彼女は退けるつもりなどないらしく、生返事だけして、足を動かした。パタパタと動く足が視界の端に映る。邪魔ではあるが、何も見えなくなるよりはいくらもマシだ。
テイオーに構ってやるためにも手早く仕事を終わらせようとして、手を動かしたが、やはり集中は出来なかった。
「お前なあ、一応女の子なんだからさ……」
誰よりも強く、逞しい走り。他と比べることも出来ないほどに凄みのある彼女ではあるが、日常生活ではこんなものだ。
同室のマヤノトップガンに影響を受け、恋愛に興味を示してはいるが、それだけ。マヤノのように女の子らしく、という考えが頭上のコレには万に一つも感じられない。
まさに勇壮活発。
「トレーナーはボクのこと女の子として見てるの?」
上から覗き込む彼女の瞳に吸い込まれるように視線を合わせた。蒼く、深い瞳の色。こちらの心の内を明らかにしてしまうような、そんな真っ直ぐな瞳だ。
咄嗟に視線を逸らそうとしたが、頬を掴まれ、それは叶わない。
「逃げないで! 答えてよぅ!」
「見てる、見てるから離せ……」
「ホント!? ホントに?!」
「ああ、本当だぞ。 超見てる、見てるからさっさと降りろ」
「ん!」
そう言うとテイオーは満足そうに目を細め、口角を上げると勢いよく頭上から飛び降りた。
と、思えば今度は膝の上で落ち着いた。
「お前、今日はやけにくっつくな。 なんかあったのか」
これまでにも膝に座ったり肩に乗ったりすることはあったが、こうもベタベタとくっついてくるのはなかなか珍しい。
「あー、ルドルフがいないからか」
テイオーが答えるよりも早く、答えに辿り着く。
たしか生徒会は現在、夏合宿で使われる宿の下見として3人とも留守だったはずだ。
テイオーが大好きなルドルフがいない分、俺のところにしわ寄せが来ているということだろう。
意外なところでルドルフに助けられていたことを知り、彼女に感謝をしつつ、目の前のテイオーをどうにかすることを考える。
「マヤノたちと遊んできたらどうだ? 暇なんだろ?」
「んー、暇だけど、皆トレーニングだし」
「あ、そっか。 遊び相手がいないのか」
現在、テイオーは全ての練習を停止している。
それもいつまでかはわからない。俺自身の手腕によるところが大きいのだろうが、彼女の脚に違和感があるうちは過度な練習は出来ない。
痛みのある足で走らせるのはダメだ。絶対に今の彼女を走らせる訳にはいかない。
走れないことが理由なのか、テイオーは最近こうして鬱憤を晴らすように俺の顔に飛びつくようになった。
テイオーに何かがあったら困るからやめろ、と何度も言っているのだが、本人にそれを気にした様子はなく、何度言っても飛びつく始末。
そこまでして構って欲しいのなら、一度本気で構ってあげなければならないのだろうか。
「……どっか行きたいとこあるか?」
「お出かけ? いいよ! トレーナーと一緒ならどこで──あ!」
恐らくは『どこでもいい』と言いかけた。その途中で行きたい場所が思いついたのだろう、言葉を区切り、瞳を丸くさせて顔を赤くすると、テイオーの口から耳を疑う言葉が飛び出した。
「トレーナーの部屋行きたい!」
「ダメだ」
「ヤダ! 行きたい行きたい!」
「駄々こねるな」
「じゃあトレーニングする」
「それはもっとダメだ」
「なら部屋!」
「ダ──」
「ダメダメうるさい! 行く! ボクが決めたんだから!」
おかしい。部屋の主の意見はガン無視だ。
とは言え、このまま放置して勝手に走りに行かれでもするのは非常に困る。
背に腹はかえられないのか。
仕方がない、とため息を吐く。
それだけで察しが着いたのだろう、大袈裟に喜んでみせるとすぐに俺の手を引いて足早に歩き始めた。
「あまり急ぐな、転んだらどうするんだ」
「それならトレーナーがおんぶでもして!」
「はいはい、ほら、さっさと乗れ」
「やった!」
背中にテイオーが乗ったことを確認すると、ゆっくりと立ち上がる。後ろへ倒れてしまわないように、姿勢を前へ傾け、持ちやすいように彼女の太ももに腕を通した。
変な声が聞こえてきたが気にしない。普段顔にしがみついているやつが何を今更気にしているのか。羞恥心のスイッチが全くわからない。
「ちゃんと捕まっとけよ」
「絶対離さないもんね!」
「あいよ」
廊下に出てすぐ視線を集めたが、テイオーのトレーナーであることがわかると、普段通りの光景に戻った。
顔にしがみつかれる俺を何度も目撃しているからなのか、このくらいでは何も思われないのだろう。あるいは、テイオーのおもちゃとして認識されているのかもしれない。
こういうとき、正常な反応を見せてくれるのは──
「何をしているんですの、あなた方は」
「これからトレーナーの部屋に連れてってもらうんだ! お持ち帰──」
「待て、余計なこと言うな。 マックイーン、これはテイオーの駄々の結果だ、変な誤解はすんなよ」
「変な言葉が聞こえましたが……、まあ、テイオーさんの言うことですから」
「ちょっと、どういうこと!」
制服姿のメジロマックイーン。よく見れば、その腕には購買で買ってきたと思われるスイーツの袋が抱かれていた。
トレーナーとしての職業病か、彼女の身体を見てしまう。マックイーンは見かける度に何かしら食べているが、体重の変化は大丈夫なのだろうか。
見た感じでは、以前見たときと変化はない。
足周り、腰周り、それから腕に顔、と一瞥してみるが華奢な体つきだ。
「マックイーン、あまり食べ過ぎ────痛っ、てぇ! 何すんだテイオー!」
「ふーんだ。 トレーナーはマックイーンみたいな子が好みなんでしょ?」
「そういう目で見てた訳じゃないから。 痛いから髪を引っ張るな!」
「何をしているんですの、あなた方は」
長い間テイオーと過ごしてきてわかってきたことがある。
彼女は自分のモノへの独占欲が少しばかり強い。
自分を一番に考えて欲しい、という欲求が周りの子達よりも強いと感じることが多くあった。嫉妬深いとはまた少し違うのだろうが、そういったきらいがあるのも事実だ。
あまりいい所だとは思えないが、そこを直すのは難しい。彼女自身が気づいた上で、直そうとする意思がなければ無理な問題だろう。
「トレーナーはボクだけ見てればいいの!」
「あーごめんごめん、そうするから。 髪は引っ張らないで」
「テイオーさん、あまりトレーナーさんを困らせてしまう行動は良くないと思いますわ」
「そうだ、マックイーンの言う通り。 マックイーンはいい子だ──痛ってぇ!」
「トレーナー!」
「わかった、わかったから背中は抓るな!」
「私、もう行きますわよ……」
ため息混じりに歩き始めたマックイーンを見送り、校舎から出る。
背中から見る景色はいつもより高く、違った景色が見えるのだろう。少し興奮した様子でテイオーは近くの子達に手を振った。
あまり目立ちたくない俺からしてみればいい迷惑だが、仕方がない。そう思いながら、グラウンドを横切った。
不意に、足が止まった。
テイオーの視線がそちらに向いていることがわかってしまった。
走ることが大好きで、自分の目標のためにどんなに厳しい練習もこなしてきたテイオーに、今のこの状況はとても歯痒いものだ。それはトレーナーである俺も痛いほど理解している。
だからこそ、俺はトレーナーとして一刻も早く、今の彼女に合った練習法や足を良くするためのものを考える必要がある。時間を無駄にはしていられない。
そんな気持ちが先行したせいか、言うべきではなかった言葉が零れる。
「──ごめんな、テイオー」
足の違和感を見抜けなかったことも、必要以上に厳しくしすぎた練習メニューも、今のこの状況も、全ては俺の力不足が原因で生じた結果だ。
「ううん、トレーナーは悪くないよ。 悪いのは──」
その先を言わせてはならない。
テイオーの言葉に被せるように口を開く。
せめて、彼女のトレーナーらしく。
「よし! さっさと目的地まで行くか!」
「──うん!」
何かが足元にまとわりつくような感覚を振り払い、一歩を踏み出した。
少しだけ、重たいような、そんな気がした。
◆
「なんも無い……」
「悪かったな」
「えー! なんかさ、趣味のものとか! 漫画とか! ゲームとか!」
「お前の中の俺はどんな人間なんだよ」
「さあ?」
肩を竦めて、まるでナイスネイチャのような仕草をするテイオーに笑わされる。その事が嬉しかったのか、テイオーはさらにネイチャの真似を始めた。
「あ、そうそう。 ネイチャと言えばさ、今度自分のトレーナーと旅行行くみたいだよ」
「おー、すごいな」
「ね、ボクたちも!」
「残念ながら、俺にそんなお金はありません」
「えー! ボクもトレーナーと旅行したい!」
無茶を言うテイオーではあったが、さすがに今回はすぐにわがままを言うのをやめた。
自分でも無理であることがわかっているのか、それとも部屋への興味が勝ったのか。恐らくは後者だ。何かに誘われるように部屋の中を物色し始める。
トレーナー寮の部屋の作りは至ってシンプル。キッチンとワンルームのみ。基本的にトレーナー寮を利用する者は大抵の時間をトレーナー室で過ごす。
ここは寝泊まりするだけの部屋と言い換えても差し支えない。
だからあまり無駄なものを置くことはしない。
「────トレーナー、ベッドの下は何も無い?」
「無いわ。 あと聞いてから確認すんな、無いの見てんだろ」
「ふーん」
「はぁ、好きに見てろ」
ベッドに横になり、スマホをいじる。
特にこれといってやることは無いが、なんとなくネットニュースに目を通す。
その間、テイオーはあちこち引き出しを開けたり、もう一度ベッドの下を覗いたり、冷蔵庫や風呂場を見たり、と忙しなく動いていた。
「ね、トレーナー。 あのノート何?」
そう言って指さしたのはデスクの上に無造作に置かれたノートの山。
あれはテイオーに見られてはいけない。何と言い訳をするべきか、思案するが、いい答えは思い浮かばない。
かと言って正直に『見るな』と言っても効果はないだろう。逆に気になって見てしまうのがテイオーだ。
結局のところ、シンプルに答えるのが一番いいのだろう。
「あー、勉強したやつだ。 訳分からん数式とかいっぱい書いてあるぞ」
「え、トレーナーって勉強するんだ」
いい感じにこっちに興味を反らせたが、なんだその言い方は。刺があるな。
テイオーはベッドに腰掛け、俺に覆い被さるように顔を覗き込ませる。俺が何を見ているのか気にしている様子だった。
「ゲームだよ、ゲーム」
そう言って画面を見せてやると、つまらなそうに声を上げるテイオーだが、何かを思いついたようにニヤリと笑う。
悪い予感しかしない。咄嗟にベッドから降りようとした時にはもう遅い。
勢いよく跳ねたテイオーの身体が、俺の上へと落ちてくる。ベッドが壊れてしまうのでは、と思うような衝撃と痛みの中、テイオーは笑う。
「壊れるから飛ぶのはやめなさい」
「トレーナー」
「どうした?」
「いま、トレーナーは何も出来ないね」
背筋に冷たいものが走るのを感じた。
確かに、テイオーに跨られ、身動きを封じられた今、俺に許された抵抗手段は大声をあげることのみ。しかし、この時間のトレーナー寮には誰もいない。
そんなことをしても徒労に終わるだけ。
いつもより不気味に見えるテイオーを諭すように声を出す。
「悪ふざけは良くないぞ、ほら、さっさと退ける」
「ヤダもんね。 せっかくトレーナーの上にいるんだから、堪能しなくちゃ」
「カイチョーに教えてもらった技で、トレーナーを落としてみせる!」
「どこで覚えてくるんだよ、そんな言葉」
そう言うと、テイオーは少しずつ顔をこちらへと近づけた。
本気なのだろうか。だとすればこちらも抵抗しなければまずいことになる。事案だけは避けなければ、バレればどうなるか目に見えてわかっている。が、テイオーの力に俺が立ち向かうには不利すぎる。ならば、と自由に動かせる手を、彼女の脇腹へと添える。あとは、適当に指を動かすだけ。
身を捩り、笑い声を漏らすテイオー。絵面的に見ればこちらの方が事案だが、誰に見られる訳でもないので問題なし。このまま畳み掛けよう。
「ハァ……ハァ……トレー、なぁ。 やめ、てよぅ……」
圧倒的にこちらの方がまずかった。
ベッドから解放され、テイオーを見下ろす。
赤く上気した頬。少し乱れた制服と呼吸。
誰がどう見ても事案だ。
「テ、テイオー、すまん。 やりすぎた」
「もう、やりすぎだよぅ。 少しくらい加減して!」
まあ、元はと言えばテイオーが悪いのだ。仕方があるまい。
そう自分に言い聞かせ、床に座り込んだ。
テイオーはしばらくベッドの柔らかさを楽しむと、うつ伏せになり、いきなり息を強く、吸った。
「すごい! トレーナーの匂いするよ!」
「あたりまえだ、恥ずかしいからやめろ」
「ってことは、布団を被れば……」
布団に潜り込み、しばらくするとテイオーはどこかで聞いたことのあるような笑い声を漏らした。
これは、そうだ。アグネスデジタルに似た何かだ。テイオーがどこか遠くに行ってしまうような気がして、急いで布団を引き剥がした。
「あー!」
「危ない危ない、お前はちゃんとテイオーか?」
「? 当たり前でしょ?」
「それよりどうした、そんな不気味な笑い声を上げて」
「だってだって! 布団被ったらトレーナーに抱きしめられてるみたいな感じで匂いがするから! トレーナー! この布団ボクにちょうだい!」
「嫌だわ」
「じゃあ抱きしめて」
「もう少し大人になったらな」
この暑い時期に布団に包まるなんて行動によく出られたものだ。その行動力だけは褒めてやりたいが、褒めない。
今にも調子に乗り出しそうなテイオーを窘めるため、冷蔵庫から飲み物を取ってやろうと、向かう。すると、
「冷蔵庫何も入ってなかったよ! 買いに行くならボクジュースね!」
「トレーナーをパシリに使うなよ」
「いいじゃん! ボクまだここから離れられないもん!」
「はいはい、んじゃ適当に買ってくるわ」
「あとお菓子もよろしくね!」
完全にくつろぐ気でいるテイオー。こうなることがわかっていて連れてきたのだから文句は言うまい。
気持ちだけ急いで買い物に出かけることにした。
トレセン学園は基本的にいつも賑やかだ。お祭り状態と言っても過言ではない気がする。
目を向ければ色んなウマ娘たちやトレーナーが、耳を傾ければ色んな人のあんな噂やこんな噂が。歩いていて退屈しない、というのはとても楽しいものだった。
運が良ければ、ちょっとした有名人にも会える。
グラウンドのそば、体操服で写真撮影を行っているのは、流行りのウマスタグラムやらで若い子たちの最先端を走るカレンチャン。
カメラマンは自身のトレーナーだろう。人だかりや周囲の噂話などに目もくれず、目の前の担当の写真を撮ることだけに精神を注いでいる。あれは鋼の男だ。
木陰の方ではビゴーペガサスとヒシアケボノが共に休んでいる。身長が極端に違うあの二人は見ていると、なんだか和む。どうかあのまま邪魔が入ることなく、ゆっくりと休んで欲しいものだ。
校舎の中は先程とは違った意味でお祭り状態だ。
自動販売機が壊れて焦っているトレーナーと、状況が把握出来ていないミホノブルボン。
どこからともなく聞こえてくる奇声や、絶叫。
静かになることの方が珍しい学園内を歩き、ようやくたどり着いた購買でテイオーに言われた通り、適当なジュースとお菓子を購入した。ついでに普段飲む用のお茶も。
大人しく部屋で待っているだろうか。あのテイオーのことだ、何かやらかして無ければいいのだが。
考えるだけ無駄か。何かをやらかすときは、俺の想像の斜め上からせめてくるから対策しようも無い。あるがままを受け入れよう。
◇
「寝てるのか? それ」
「寝てない。 ちゃんと起きてるもん」
壁を向いて丸くなるテイオーの姿がそこにはあった。
気持ちはわかる。特に理由もなくベッドで横になっていると不思議と眠くなる。テイオーもそうなのだろう。
「ほら、頼まれてたジュースとお菓子。 これでよかったか?」
「そこ置いといて」
まるで部屋の主。俺の方が遊びに来ているのではないかと錯覚してしまうほどのくつろぎっぷりだ。
「トレーナーってさ、ボクのことどう思ってる?」
「どうした、急に」
「いいから答えてよ」
どう、と聞かれても答えに困る。
活発な女の子。
帝王を目指すウマ娘。
「トレーナーにとって、ボクは足枷だったり……」
小さく、か弱い声。
それがテイオーからの言葉であるとは到底思えないほど、震えていた。
「そんなわけねぇだろ!」
少し言葉が強くなってしまう。
驚いたように肩を震わせ、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
テイオーがこんな風になってしまった理由。足の違和感が原因で、不安になっているのだろうか。
それとも、足と同じく、前々からあったものを隠していたが、今になって溢れたのか。
──いや、違う。
視線をデスクの上に置かれたノートに向ける。
恐らくはアレを見られたのだ。
一度見られることを警戒したが、別に興味を持っていたようではなかったから気にもしなかった。
アレは──
「ボク、トレーナーの足引っ張ってる?」
「なんで、そうなる……! 俺は一言も──」
「だって!」
テイオーの、彼女のトレーナーになった日から、彼女の目標を叶えてやるために、俺はひたすらに走り続けた。彼女の実力だけに甘えてのし上がれるほど、この世界は甘くない。
トレーナーとして、夢を支えることを決めた者として、やれることは全てやりたかった。
トレーニング内容、テイオーと過ごした日常も、レース結果も、同世代や名を馳せたウマ娘のデータ、そして──俺の抱えた悩みと後悔を書き連ねたノート。
そのノートを見たのなら、全て見られたというわけだ。
「きっと、ボクが、ボクがいなければ、トレーナーはもっと、もっと──」
ベッドの上に立ち上がり、見ていられないほど悲痛な表情を浮かべ、声を詰まらせながらテイオーは声を上げた。その瞳が揺らぎ、涙が溢れだそうとするのを必死に耐えて、胸の内に溜まった不安を曝け出すように。
「ボクがトレーナーの足を引っ張ってる。 もっとちゃんと言うことを聞いていれば、ちゃんと言っておけばって!」
「ちが──」
「違わないよ! トレーナーだってそう思ってるんでしょ! ボクがもっと早く足のこと言っていれば、トレーナーはちゃんと動いてくれた! ボクがわがままを言わなければ、こうならなかった! 全部、ボクが──」
泣かないようにと必死に堪えていたテイオーの手が震える。涙が出ないように必死に耐える表情が見ていられなくて、気がついたとき、身体は勝手に動いていた。
優しく彼女を抱きしめる。そのまま力が抜けたようにテイオーが座り込む。胸の中で泣き喚く彼女は、ただの少女だった。
皆の期待に答えようと、自分の夢を叶えようと必死になって走る彼女の姿はどこにもない。今ここにいるのは年頃の小さな女の子だった。
「見抜けなかったのは俺の責任だ。 お前は何一つ悪くない、間違ってない。 夢に向かってただひたすらに走っていただけなんだ、俺はお前を責めたりしないよ」
泣きじゃくるテイオーの頭に手を添え、そう伝える。
「もう、お前にそんなことを言わせるようなことはしない。 約束する。 だから、泣かないでくれ」
ごめんなさい、と繰り返す彼女を強く抱きしめる。
落ち着くまで、ずっとそのままテイオーの身体を抱きしめ続けた。
◇
胸の中で眠る少女に目を落とす。
泣き腫らした瞳にはまだ少しだけ涙が流れていた。起こさないように優しく手で拭うと、小さく声を漏らした。
起こしてしまったのだろうか。
続いて聞こえてきた小さな寝息に安堵する。
まだ小さな子供で、周囲のことなんて気にするような余裕もなくて、それでも心配はかけたくなんかなくて、一人で抱えてきたのだろう。
それを見抜くことさえ出来なかったのは俺だけの責任で、テイオーは何も悪くない。
最後にもう一度、優しく頭を撫でて彼女を横たわらせる。
寂しそうに袖を掴まれる。少し惜しいような気がしたが、その手を離す。
今一度、ノートの最初のページに目を通した。
「テイオーの一番そばで支え続ける」
支える、という言葉の重みを知らなかったときに書いた目標。
それがどれだけ難しいのかも考えず、思い浮かんだままに書いた言葉。
「めっちゃ難しいぞ、その目標」
過去の自分に宛てるように、声を漏らした。
◆
「トレーナーぁぁぁああああ!!」
「──危……ないからやめなさいって! 言ったよね!」
声が聞こえたと思って振り返った途端に、視界は黒く埋め尽くされる。
勢いが強すぎて、そのままその場に崩れるように倒れた。
「怪我するからやめなさい」
「ヤダ! ソファも近くにあるし大丈夫!」
「そういう事じゃなくてね」
あれからテイオーの足は回復に向かっている。
が、過度な練習は出来ない。それでも、走れなかった頃に比べると、こうして飛びつく威力が上がったように思える。
「何をしているんですの、あなた方は」
「見てないで助けて欲しい」
開けっ放しのトレーナー室の扉の方から、呆れたようなマックイーンの声が聞こえてくる。
「ふっふっふっ、マックイーン! ボクはこの前トレーナーと、大人の階段を登ったんだよ」
「やめなさい、そういう誤解を──」
「トレーナーってばあんなに激しくボクを──」
「トトトト、トレーナーさん!?」
「待て、違う。 違うぞ」
テイオーに塞がれたせいでマックイーンの顔は見えないが、きっと凄く軽蔑したような表情を浮かべていることだろう。
逃げ出すような足音と共に、マックイーンの絶叫が遠くで聞こえた。
「くすぐってくるなんて──って、マックイーンいない!」
テイオーの脇腹に手を添え、指を動かす。
笑い声が周囲に響く。
ようやく開けた視界。テイオーは笑い疲れたのか肩で息をしていた。
「トレーナー!」
「なんだよ、今度は。 もうやめてよ、変なこと言うの」
まさに、飛びつく五秒前のような姿勢。
嫌な予感と共に、後ずさるがもう遅い。
少しづつ、眼前に迫るテイオーの姿。そして、また視界が黒く埋め尽くされていく。
「大好き!」
鈍い痛みと共に、テイオーの声がトレーナー室の外まで盛大に、響いていた。
ネタが思いつかない
タグ、ちょっとキャラの名前出すには多すぎて邪魔になりそうでブルボン以来付けてないや