あるトレーナーとウマ娘の日常   作:天寝子

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更新が遅れました、すみません。


マンハッタンカフェ

 薄暗い部屋で高笑いを上げる者と、その場に座り込む者。

 トレセン学園に在籍する者たちの間では、最早聞き慣れてしまったその高笑いの主は颯爽と白衣を靡かせ、勢いよく扉を開いた。

 

 

「結果を楽しみにしているよ、カフェ!」

 

 

 訳もわからず資料が消えたりしてしまうことへの腹いせ──などでは断じてない。アグネスタキオンは最高に輝かしい瞳でそう天に誓う。

 日頃から、『お世話』になっているマンハッタンカフェに向けてせめてものお礼にと、とあるモノを飲ませただけ。珈琲に混ぜ、香りを誤魔化すという手間を加えながら。味は少々不思議なものになっているかもしれないが、仕方がないと目を瞑った。

 彼女のそばにいる『お友達』も今回の実験には横槍を入れてくることもなかった。

 それもそのはず、と込み上げてくる笑いを抑えきれず、タキオンは高笑いを上げたまま捕まらないうちに、と逃げ出した。

 

 

「タキオンさん……いったい……」

 

 

 部屋に一人残されたカフェは、その満月のような黄金の瞳で虚空を見つめ、首を傾げる。

 扉の外から差し込む太陽の銀の光が眩しく瞳の奥を突き刺していた。

 

 

 ◆

 

 

 異変に気がついたのはふと、カフェの顔を見たときだった。

 どうやら、タキオンに一服盛られたらしく、その効能がわからないため、一先ずの避難先としてトレーナー室までやってきたという。昔馴染みのあの男のような、目に見えた──否、目に痛い変化はなく、タキオンの薬は失敗なのだろう、と勝手に思い込んでいたが、それは少し間違っていたようだ。

 頬を紅潮させ、息遣いも荒くなっていく。熱でも出したかのようなカフェの変化にはさすがに手を止め、すぐさま傍に駆け寄った。

 気遣いのできる方ではない、と自覚はしているが、担当のウマ娘が何やら訳のわからない症状に侵されているこの状況を見過ごす訳にも行かず、とりあえず、椅子にかけてあった上着を着せる。

 

 

「……カフェ、体調が悪いなら部屋へ戻るべきだ」

「トレーナーさん、これ、は……」

 

 

 明らかに体調が悪い様子。額に手を当て、熱を感じてみるが、思っていた通り高い。すぐさま医務室に駆け込むべきだろうが、カフェはそれが嫌なのか、額についた手を固定するように手首を掴んで離さない。

 ウマ娘の力で握られれば、抵抗の余地はなく、カフェが納得するまでそうする他にない。

 まずはカフェが落ち着くことが最優先だと見据え、その隣に腰を落ち着かせた。

 

 

「カフェ、どこか……悪いところがあるなら……」

 

 

 思っていることを咄嗟に、何も考えずに言うことが出来るタキオンのトレーナーを羨ましく思う。

 会話が得意ではない自分では、こういうときどうするのが正解か、いちいち考え込んでしまう。

 

 

「い、いえ……そういう訳では、ないのですが……。 ち、近い、です……」

「あ、ああ、すまない。 だが──」

 

 

 手首は未だ、カフェに掴まれたままであり、離れることは容易ではない。最大限、腕を伸ばして距離を取ってみせるが、どうにも姿勢が辛く、長時間それを維持し続けるのは不可能だと断じ、距離をとることを諦める。

 ようやく、自分が手首を掴んでいることに気がついたのか、カフェが慌てたように手を離すと、カフェの方から距離をとった。

 

 

「俺は、タキオンを探してくる。 体調が悪いのなら、部屋か、医務室に──カフェ、一人で行けるか?」

「大丈、夫……ですので」

「そうか、なら──」

 

 

 裾の辺りを強く引かれる。

 立ち上がろうとしていた姿勢は崩れ、カフェの方へと背中から倒れ込む。カフェの顔を下から見上げるような姿勢となり、すぐに起き上がろうとするが、両肩に手を置かれ、そうすることは出来なくなる。

 カフェ、と名を呼ぼうとして、彼女の瞳に吸い込まれるように意識が奪われる。零れ落ちそうなほど見開かれ、こちらを覗き込む瞳に視界を奪われ、言葉を発することも叶わず、奇妙な沈黙が流れていく。

 今までに生じたことのない雰囲気に、背中に冷たい汗が走るのを感じる。固唾を飲み、声を出す間を探すが、重く伸し掛る重圧を切り裂けるような言葉は出てこなかった。

 

 程なくして、カフェが口を開く。

 視線が自然と唇へと向かう。妙に艶のある、ふっくらとした唇を見つめ続けることは失礼だろうと視線を逸らそうとするが、姿勢が悪く、思うように視線をカフェから外せない。

 そんな状態の俺に気づくこともなく、カフェは声を震わせ、言葉を詰まらせつつも、ゆっくりと紡いでいく。カフェの緊張がこちらにも伝わってきてしまうようなほど、震える瞳がこちらを捉えて離さない。

 

 

「トレーナーさんに、好きな人は……恋──人はいます、か」

「は────」

 

 

 カフェの言葉の意味を考えるまでもないというのに、数秒考え込んでしまう。

 予測もしていない方向からの言葉に、思考が止まり、まとまらない。聞き返したいことは山のようにある。

 が、そのどれもが現状において機能しないことを感覚で察する。この場において最も有効な答えを探していくが、思い当たるものは何も無い。

 訳の分からないものをカフェに仕込んで消えた、タキオンを恨めしく思いつつ、固まった思考を解しつつ言葉を繋ぐために声を出す。

 

 

「…………ど、どうしたんだ?」

 

 

 そんな言葉しか出てこなかった。

 普段通りではない状況で、タキオンに何かしらやられているということを踏まえている上でそれしか言えない自分が情けなく感じる。

 カフェは聞き返されたことを嫌に思わなかったのか、あるいは思っていたが顔に出さなかっただけなのか、こちらの顔色を伺うように視線を何度も動かしながら口を開く。

 緊張している、というのが見てわかるほどカフェの顔は紅く、声を出そうと口を開閉させている。

 

 聞き返すのではなく、しっかりと答えるべきだったのだ。

 気がついても、遅い。

 カフェは気まづそうに視線を動かし、誤魔化すように笑ってみせた。

 

 

「……すみません、冷静ではなかったです」

「カ──」

 

 

 羽織っている俺の上着を強く握りしめ、口を結んだカフェが視界から消えていく。どこか苦しそうに瞳を細め、部屋を後にする。扉の閉まる音で我に返り、すぐに後を追おうと廊下へ飛び出したが、既にカフェの姿はなかった。

 部屋に残った珈琲の香りが、今日は少し苦く感じた。

 

 

 ◆

 

 

 飲まされたモノがどういった効能をもたらすものなのか、尋常ではない胸のざわめきから察しがついてきていた。

 彼の困ったような表情にも耐えることも出来ず、咄嗟に駆け出した。当然、行く宛てもない。こんな状態で誰かに頼れる訳もなく、自然と足が赴いたのはいつもと同じ、タキオンの研究室。

 部屋の中には思っていた通り誰もおらず、カフェは自分のスペースに置かれたソファに腰を落ち着かせた。

 勢いのまま飛び出したため、まだ羽織ったままのトレーナーの上着で自らを抱きしめるように身を縮める。

 もう嗅ぎなれた彼の匂いに包まれ、不思議と気分が高揚していく。

 

 

「──抑えきれなかった」

 

 

 誰かに話すように、カフェは声を出した。

 自分の中で整理する、ということも兼ねているのであろうその言葉。緊張しているのか、不安なのか、その声は少し震えていた。

 紅くなった顔を誰かに見られることを気にしているのか、上着で顔が隠れるように丸くなる。

 

 

「私、は……もちろん、トレーナーさんのこと……」

 

 

 自分を気味悪がらず、理解しようとしてくれた人。

 それが他の誰でもなく、彼であったことがカフェにとってはこの上ない幸福だった。

 自分に寄り添い、理解を示し、わかってくれた人。

 

 特別に思わない方が無理な話だった。

 自分でも、彼に執着していることはわかっていた。今回、タキオンに飲まされたモノはそれを利用したモノであることもなんとなく、想像がついた。

 気持ちを弄ばれているような気分に陥るが、ひとまずは自分を落ち着かせることを優先させ、深く息を吸う。

 

 

「…………謝らないと」

 

 

 酷く困った様子の彼の顔が頭に染み付いて離れない。

 普段から表情が変わるほうではなく、会話らしい会話も少ない。だからこそ、少しの不安があっという間に肥大化していく。

 彼が自分を理解してくれているように、カフェもまた、彼を何よりも理解しているつもりだった。そうであるから、あの表情が初めて見せる困惑であることもわかっていた。

 

 日々感じていた、思っていた不安。

 彼のプライベートを知らないから、自分以外に懇意にしている人がいてもおかしくは無い、そう思っていた。

 それは、凄く嫌な事だった。

 それを口に出してしまった。脈絡もないそれは彼を困らせるのには充分すぎるものだったのだろう。

 ただ彼を困らせ、自身の不安を大きくさせただけの言動を悔いる。

 

 

「そんなはず……ないのに。 ただの私の、想像なのに……」

 

 

 嫌な考えが頭を回り続ける。

 一度考えてしまったそれは溢れ出すように巡り続け、息がしづらくなるほど胸が締め付けられていく。

 

 

 ──嫌。

 

 

 そう思ったところで、カフェに何かが出来る訳では無い。それは自分自身が一番よく理解している。

 ただの担当ウマ娘であるだけで、トレーナーにとってそれ以上の存在にはならない。だからトレーナーも必要以上に関わろうとはしない。

 締め付けられていく胸に手を当て、嗚咽を漏らすように呼吸をする。

 

 苦しい。

 

 不安な気持ちがひたすら大きくなり続け、意味もなく、涙が溢れてしまいそうになる。

 感情のコントロールを見失い、胸中に渦巻く黒い感情に襲われ続ける。

 

 

「──そう、ですよね。 まだ、何も……」

 

 

 彼から直接何かを言われた訳では無い。単なる自分の想像でしかない。

 棘だらけの想像が、その身に絡み付いて離れてくれない。これもタキオンの薬のせいなのか、それとも、元々あったものなのか。

 高笑いを浮かべるタキオンの姿が脳裏に過ぎる。この場合、タキオンを探しに行くのが正解なのか、それとも大人しく待っているのがいいのか。

 

 

「ここに、独りで……?」

 

 

 この状態で外に出るのは少し気が引けたが、これ以上この場に留まって不安の波に攫われてしまうくらいなら、と乱れた息を整えて立ち上がる。

 強く上着を握り、意を決してタキオンを探すことを決意した。

 

 

 ◆

 

 

 ──お前はカフェに何も言わなすぎる。

 

 

 仕事も手につかず、カフェを探して学園をさまよっている最中、以前言われたことを思い出した。

 

 

『何も言わないのではなく、言う必要が無い』

 

 

 と、あの時は確かにそう言った。

 そのときの呆れたような、表情の意味は未だにわからない。

 事実、カフェに対して何かを言うことは少ない。それは単に、カフェがこちらの意図を汲み取ってくれるためだ。言うことは必要最低限。トレーニングや走りに関しての改善点や今後の方針。

 何かを言う前にカフェは既にそれを察する。

 

 不意に窓の外に視線を落とし、黒髪の少女を目で追う。そのどれもがカフェではないことは歩き方や雰囲気でわかっている。けれど、自然と目で追うのはいつも決まって黒く長い髪の後ろ姿。

『気持ち悪い』と自覚しておきながら、その癖はどうしても治すことは出来ないでいた。

 

 

「──! スカーレット!」

 

 

 そんな俺の視界に入ってきたのは黒髪の少女ではなく、少し大人びた印象のあるよく知った少女の後ろ姿だった。

 窓から声をかけると、耳を跳ねさせ、周囲を見回し、すぐに俺に気がついた。こちらもすぐに階段を下り、スカーレットのもとまで走った。

 

 

「どうしたんですか? そんなに急いで」

「あぁ、カフェを見てないか?」

「カフェさんですか? いえ、今日は見てませんけど……」

「そうか……」

 

 

 どこかへ行く用事でもあったのだろう、何かのノートを抱きしめるように持ち歩いていた。

 引き止めては悪い、と思い踵を返そうとしたが、スカーレットが口を開くのを察し、足が止まる。

 

 

「えと、私の方からもいいですか?」

「構わない」

 

 

 そう言ってスカーレットはノートをこちらへと差し出した。

 どこにでも売っている普通のノートだ。特にこれといって変わった様子はない。

 

 

「これ、拾ったんですけど名前が書いてなくて。 心当たりとかありますか?」

「……いや、全く。 というか、中身を確認してみたらどうだ」

「勝手に人のものを覗くのは少し気が引けて……」

 

 

 真面目なスカーレットのことだ、拾ったはいいが持ち主がわからぬまま探していたのかもしれない。中身を見れば持ち主のヒントがあるかもしれないことぐらい思いついてはいたのだろう。

 

 

「貸してくれ」

 

 

 そう言うとスカーレットは疑うことなくノートをこちらに手渡した。

 受け取り、すぐに中身を開く。スカーレットが抗議するような声が聞こえたが、気にする事はない。

 中身は何やら難解なことが多く書かれていた。横文字や図式、写真まで貼ってあり、ノートの持ち主が誰であるかを物語っていた。いや、それらよりも、何より──

 

 

「実験……か」

 

 

 十中八九、というより確実にタキオンのものだろう。写真の一部に発光する見知った顔がある。

 呆れたようにノートから視線を外すと、スカーレットが感心したようにノートを覗いていたのがわかった。

 

 

「すごく綺麗にまとめてありましたね!」

「……あぁ、そうだな」

 

 

 よく周りを見ているこの子だが、タキオンのことになると何故か少し抜けているところがある。

 いや、確かに綺麗にまとめられてはいたが、見るべきとこはそこなのだろうか。

 

 

「実験観察みたいなものか……」

 

 

 発光現象から惚れ薬、となんとも危険な匂いのするものがほとんどだが、中には砂糖入りの紅茶がどうして理想のエナジードリンクなのか、という恐らくは自身のトレーナーに向けた説明があった。

 被験者は決まってタキオンのトレーナーであったが、その中のプラシーボについての欄に被験者として、トレーナーの他、カフェの名前があった。

 ため息混じりにノートを閉じ、今回のカフェの様子から事情を察する。

 

 

「スカーレット、これは俺の方から届けてもいいか?」

「? 何か用事でも?」

「そんなところだ」

「じゃあ、お任せしても大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ」

「ありがとうございますっ!」

 

 

 八重歯を見せて笑うと、スカーレットは校舎の中にいたウオッカを発見し、走り去った。

 受け取ったノートを手に持ち、タキオンが居そうな場所を考える。

 

 

「まずは──────」

 

 

 タキオンがよくいる場所としてすぐに思い浮かぶのは、怪しい印象しかない研究室、と呼ばれる場所だろう。

 問い詰めるようなことはしたくはないが、カフェの不調の原因となってしまっているのであれば仕方がない。あまり得意ではないが、少し厳しく注意しなければ、そう思い、つま先を校舎へと向けた。

 視界の端、黒く蠢いた影が見えたような気がした。刹那の一瞬。気の所為とも言えるような何かだったが、不思議と心に引っかかった。

 校舎の影に溶けて消えていくような、何か。黒い後ろ姿と言えば──

 

 

「カフェ……か?」

 

 

 何かの影を見間違えただけであるようにも思えた。カフェを探すあまり、その願いが錯覚として映し出されたのだろうか。

 気の所為だと、そう思いながらも足はカフェの影を追うように動き出す。

 気が急いでいるのかいつもよりも早足で、その影と同じように校舎の影へと足を踏み入れた。

 

 一歩、また一歩と進む度に視界に入り込む生徒の数は減っていく。

 普段、食堂やトレーニングルームなどへ行く道は大勢利用するため道幅が広く、綺麗に整えられている。

 しかし、こうした校舎裏は当然利用する者も限られているため、建物と木々に押し潰されてしまうような圧迫感を与える道幅になっており、窮屈さを覚えてしまう。

 そのせいか、呼吸がしづらく、息が乱れていく。

 視界に映る景色に代わり映えはなく、追っていたはずのカフェの影も気配もどこにも無い。

 

 

 ──そもそも、どうしてカフェはこんなところに……? 

 

 

 考えても仕方がない。

 吹き抜けていく生ぬるい風に唾を飲み、重くなっていく足を強制的に動かして前へと進む。やがて行き止まりのように校舎の壁と木々に囲われた、少し開けた空間にたどり着く。

 背を向けて立つのは漆黒の後ろ姿。

 

 

「──────」

 

 

 どうしてこんなところに来たのかは、今聞くようなことではない。とにかく、今はカフェの症状についての解明と、休息。そしてタキオンの捜索だ。

 カフェの背が止まっているのかと思ってしまうほどのスピードでこちらへと振り向いているのがわかった。吸い込まれるように、そうするのが当たり前であるかのように、足がカフェのもとへと歩みを始める。

 この季節に、まさか寒くなど無いはずだというのに、耳に聞こえてくるのは自身の歯が震えてぶつかり合う音。暗く、黒い先の見えない洞窟が口を開いているような────これは、恐怖だ。

 

 それの顔を見てはいけない、ここまで働きもしなかった本能が大慌てで警鐘を鳴らし始める。

 引き伸ばされているかのように流れる景色の中、視線をそれから離すことができず、気が遠くなるような時間の中でそれの横顔がこちらを覗こうとしていた。

 

 

「カ……フェ……!」

 

 

 この場に来てから、重く閉ざされていた口がようやく開く。頭に思い浮かぶ少女の名を口にする。

 

 

「────!」

 

 

 冷たく、切り裂くような風に半歩、下がる。反射的に目を瞑り、季節外れの冷たい風に、流れた汗が瞬間的に乾かされていく。

 凍えるような寒さの中、後ろに引かれるように後退していく。少しずつ風が止まり、暖かな夏の気温へと戻されていくのを肌で感じ、目を開いた。

 

 

「────トレーナーさん!」

「──な、ここ、は……」

 

 

 視界に飛び込んできたのは、大きな雨粒のような涙を流すカフェの顔。大袈裟だ、とその涙を拭おうと腕を伸ばす。少し身体が気怠いが、気にはしない。

 頬に手を添え、涙を指で拭ってやると、カフェがその手を離すまいと握りしめる。

 

 

「トレーナーさんが、倒れたと聞いて……どうすればいいのか、わからなくなって……」

「倒れた……?」

「花壇に眠るように倒れていたんだよ。 軽い熱中症だと私は言ったんだがね。 カフェがあまりに心配するから、私も少し心配していたよ」

 

 

 状況を説明してくれたのはサイズの大きな白衣の袖で円を書くように腕を回し、もう片方の手で口元を覆い隠すタキオンだった。

 不思議に思い、周囲に意識を向けると、ここが先程までいたはずの校舎裏ではなく、医務室であることがわかった。

 

 

「私が逃げ回っ──少し用事で外を歩いているときに、たまたま倒れている君を見つけてねぇ。 さすがの私も見て見ぬふりをすることも出来ないから、こうして医務室まで運んで看病してあげていたんだ」

「そう、か。 すまない、ありがとう」

「ふぅン。 礼はありがたく受け取るよ。 しかし、貸し借りなんてことはない」

 

 

 そう言ってタキオンはノートを持って見せた。

 

 

「私の落し物を届けようとしてくれたのだろう?」

「あ、ああ。 しかし、それを拾ったのはスカーレットだ、礼を言うなら彼女に……」

「……なるほど。 状況はなんとなく察したが、熱中症になるまで出歩く必要はなかったんじゃないのかい?」

「元はと言えばタキオンさんが……」

「私のせいだとでも言いたいのかい?」

 

 

 言い争いを始める二人に不思議と安堵する。

 先程までの体調の悪さは消え失せたのか、それとも心配に上書きされたのか、いつもの落ち着いたカフェの様子へと戻っている。

 片手はカフェに握られたまま、半身を起こすと、すぐにカフェがこちらを向く。無理をするな、ということだろうが、目覚めの怠さこそあるものの、それ以外に目立った不調も感じられない。

 

 

「……心配かけたな」

「どこにも、行かないでください……」

 

 

 涙が止まったはずの瞳が大きく揺れ動く。

 頬を伝って涙が一度落ちていくと、留め度なく溢れ出した。声を押し殺し、震える瞳でこちらを見据え、勢いよくこちらの胸元へと飛び込んでくる。

 珍しいカフェの感情に動揺し、受け止めたのはいいものの、困惑気味に背を撫でた。視線をタキオンの方へと移すと、居心地が悪かったのか、空気を読んだのか、タキオンは何も言わずに椅子に座っていた。

 

 優しく撫でてやる度に呼吸を取り戻し、いつもの冷静さを取り繕える程までになると、視線を上へと向けてこちらを見つめてきた。

 困ったように、気まづいように不格好な笑みを浮かべる。

 鏡のように光を反射する長く、綺麗な髪に手を置き、流れに沿うように撫でてやると、耳を横へ倒し、方目を瞑って気持ちよさそうに笑った。

 

 

「ごめんなさい……。 タキオンさんの薬のせいで、色々と、考え込んでしまいまして……。 大切な人に──トレーナーさんに、私以外にもいたら……と思うと、苦しくて……」

 

 

 そんなこと、と一蹴するような真似はできなかった。

『何も言わなすぎる』と言われた言葉が反響する。彼女の孤独な思いに気づくことが出来ず、それに答えることも出来ない。

 知ったような、理解したような気になっていたが、カフェのことを何もわかってあげられていなかった。

 

 

「いや、悪いのは、俺の方だ」

「そんなこと……」

「気づいてやれなくてごめんな。 ──俺は、カフェのことしか見ていない」

 

 

 その言葉の意味をゆっくりと噛み締めたのだろう、次第に頬が紅く染まっていく。

 なんとも可愛らしい愛バの姿に、頬が緩む。

 

 

「どこにも行かないし、離れない」

 

 

 もう決してふあんにさせることのないよう、『言わなすぎる』ことのないよう、言葉を交わそう。

 不器用でも、下手くそでも、真にカフェを理解してあげられるように。

 

 

「トレーナー、さん……」

 

 

 カフェの影に飲まれていく。大きく見開かれた黄色い瞳に吸い込まれるように、視線を逸らせず、見つめ合う。

 カフェは少し乱れた息を、呼吸止めて整え、上気した表情でこちらを見下ろした。とろりとした、甘く突き刺さるような狂おしい瞳に囚われ、身動きが取れない。

 状況に飲まれ、流されてしまうのはまずいと思いながらも、目覚めたばかりの身体では思うように力も込められない。

 

 

「──ふぅン」

 

 

 カフェの冷たく、柔らかな鼻先が触れたそのとき──わざとらしく自分をアピールするようにタキオンが鼻を鳴らす。

 忘れていたのか、意識外の音に驚き、耳と尻尾を立ててタキオンの方を睨むカフェ。

 

 

「病人は黙って寝ているべきだと思うけどねぇ?」

 

 

 机に肘をつき、方目を瞑ってそう言ってみせる。どこか嫌味らしく聞こえたのか、カフェはほんの少し鼻を鳴らすと、俺の上から離れ、ベッド脇に落ち着いた。

 

 

「トレーナーさん、また、いつか……」

 

 

 そう言って人差し指を唇へと当てる仕草に、柄にもなく心臓が高鳴る。

 弄ばれているようで情けないが、これも目覚めたばかりであることのせいにしておこう。

 最後に、仕返しという訳では無いが──

 

 

「ありがとう、カフェ」

 

 

 細く、柔らかな首筋に触れた。

 僅かに身を捩り、小さく声を漏らしたが、すぐに控えめに睨むように瞳を細め、いじらしく頬を膨らませた。

 

 

「では、私たちはそろそろ寮へ戻るとするよ。 君も早めに帰りたまえよ」

「お身体、大事にしてください……」

「ありがとな、二人とも」

 

 

 外の様子に気を配っていなかったが、もうそんな時間になっていたのか。

 二人が去った後、自室へ戻る用意を整えた。

 そう言えば──

 

 

「上着、貸したままか……」

 

 

 カフェとはいつでも会えるのだから、別にどうこう言うような問題ではない。

 涼しい夜風に身体を晒して帰るのも、たまには悪くないだろう。

 

 満天の星と綺麗な月を見上げ、カフェの姿を思い描いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ア ト ス コ シ ダ ッ タ ノ ニ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ボックスイベやってて気づいたらもう3月終わるんですけど
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