カレンチャンの話は続きをどこかで描きます。
「お兄ちゃん!」
突然、背中に感じた衝撃に耐えられず、少し姿勢を崩す。首元に回された腕を解き、後ろにいる彼女──カレンチャンへと向き直る。
どうして振りほどかれたのかわからない、という様子で不思議そうにこちらを見つめていた。
宝石のように綺麗で丸いカレンの瞳に魅了されてしまいそうだが、ここは拳を強く握りしめ、雑念を払う。
「あまり人前で飛びついてきちゃダメ」
「人前じゃなきゃいいの?」
「そういう事じゃ……」
「えー、カレンわかんな〜い」
あざとく、可愛らしい。
どんな状況でも彼女の持つ『可愛らしさ』は崩れることはなく、それを自覚し、常に可愛くあろうとするからこそ、彼女は輝いて見える。
それこそ、他の子達とは比べ物にもならない程に。少なくとも、俺の目にはそう映る。
「じゃ、早速トレーニング始めようか」
「うん!」
夏休みを直前に控えた土曜日。
休日にも関わらず、トレーニングをしに来ている子達は多い。カレンもその中の一人だ。
併走中のカレンの様子を見ながら、ウマッターやウマスタグラムも確認する。勿論、確認するのはカレンに関しての事だ。言ってしまえば、エゴサーチみたいな事。トレーナーである俺がするのはなんだか不思議な気もするが、最近、彼女の投稿が物議を醸しているらしく、不安になり確認することにしたのだ。
投稿されているのは彼女の日常や食べ物、レース先で泊まった宿屋など、様々だ。
SNSにはあまり詳しくはなかったが、カレンに色々と教えてもらい、この前初めて自分のアカウントを作ってみた。
寂しいことに、フォローしているのはカレンだけだし、フォローしてくれているのもカレンだけだ。なので、別に何かを呟くことはないのだ。
「これはこの前のやつだな」
一番上に投稿されていたのはこの前二人で食べに行ったレストランでの写真だった。
カレンが楽しそうにパフェを食べようとしているのを撮影したことを覚えている。
遡って見てみると、意外と楽しい。
そういえばあんな所へ行ったな、アレを食べたな、とか色々な思い出が蘇ってきてなんだかもう一度行きたくなる。
「スマホばっか見てないでこっち見ててよ!」
遠くでカレンが叫ぶ声が聞こえた。
どうやら俺がスマホを見ていることに気がついたようだった。
片手間の作業とは言えど、本来見ていなければならないカレンから目を逸らしてしまうのは確かに問題だ。すぐにカレンに謝ると、また走り出す彼女の方へ視線を向けた。
「さっき何見てたの?」
「ん、カレンのSNSだよ」
「ほんと?! お兄ちゃんが!?」
「そんなに驚くこと?」
「うん、嬉しいもん♪」
午前でトレーニングを切り上げ、食堂にやってきた。カレンは席に着くなり、先程のことを問いただし、俺の返答を聞いて大袈裟に驚いて見せた。
学園内、それも食堂ということもありカレンの反応は人目を引いた。噂話をするように、何人かの子達がヒソヒソと耳打ちするのが見えた。恐らくはいつもの事。
カレンと共にいるとああして何かをみんなで共有している姿をよく見かける。
それが陰口なのか、なんなのか、確かめる術はないが、本人が気にした様子はないため、俺がとやかく言う問題ではない。
「お兄ちゃんってば、カレンのことしかフォローしてないんだもん。 最近の流行とかわかってる?」
「いや、全く知らない。 今はカレンのことで忙しくてそんな暇はないよ」
「わっ、お兄ちゃん大胆。 カレンのことしか見てないってこんな所で宣言しちゃって……!」
「そう言う事じゃ……」
小悪魔的な笑みを浮かべ、瞳を丸くさせて見つめられるとどうにも弱い。
「お兄ちゃんって、カレンの事も知らないくらい世間知らずだったもんね」
「ん、そう言われてみれば、そうかもしれないな」
「でも、今はこうしてカレンのトレーナーに! お兄ちゃんってカレンのことどう思ってる?」
「どうって、んー難しいな」
一度箸を置いて考え込む。
足が早い……は論外。小学生か何かか?
可愛い、は当然のことだ。
お洒落……? 流行の最先端を走るカレンは確かにお洒落だが、求められている解答ではない気がする。
……意外なことに、俺はカレンのことを知らないような気がしてきた。
考え込む俺を少し訝しむように瞳を細め、カレンは「む〜」と唸った。
「そこはすぐに言えないとダメ」
どうやら時間切れのようだった。
カレンのことをどう思うか。
そんなこと、普段考えたことなどなかった。
確かに考える必要が……あるか?
「ご飯食べ終わったら、お出かけしよ?」
「ん、ああ、いいよ。 どこ行きたい?」
「んー、遊園地!」
そんなカレンの提案を受け、今日の日程が決まった。
◆
「お待たせ」
「ううん、時間通り。 さすがお兄ちゃんだね!」
集合場所は最寄りの駅前。
一緒に学園を出るのが一番いいのかもしれないが、カレン曰くこういうのは待ち合わせるからいいものらしい。
乙女心というものはよくわからないが、そういうものなのだ。そういうことにして納得しなければならない。
電車に乗り、遊園地にやって来て、まず最初にやること。
それは当然──
「綺麗に撮ってよ!」
「撮影にもだいぶ慣れてきたから大丈夫。 カレンの可愛さを引き出すには──」
息を潜めてベストショットのタイミングを待つ。どこで撮っても同じだろう、という昔の自分の考えはカレンによって上書きされた。
光の入る角度、風の吹き方、周囲の状況。そのどれもを巧みに使いこなし、可愛さを引き出してこそ真のウマスタグラマー。『可愛い』のために上手く利用し、全てを使いこなさなければならない。
今まではそれらを自撮りで──つまり、自分一人でやってきたのだからその執念は凄まじい。
「よしっ! カレン、確認してくれないか?」
「うん! お兄ちゃんの腕前は〜……?」
最近になってこうしてカレンの写真を撮ることが増えてきた。その度にこうして確認してもらうのだが、何度経験してもこの瞬間は緊張する。
いつも一緒にいるカレンのはずなのに、今この時だけはなんだか別人のように意識してしまう。
「お兄ちゃん腕上げたね、とっても可愛く撮れてるよ!」
そうカレンに褒められ、少し照れる。
上達を実感出来るというのは何であっても嬉しいものだ。それがカレンに褒められるというのなら尚更。
カレンはスマホをポケットにしまうとすぐに俺の手を引いて遊園地を駆け出した。
「投稿はしないのか?」
「わかってないなぁ、お兄ちゃんは」
「どういう事だ?」
「いい? SNSにリアルタイムで写真とかは上げない方がいいの。 特にカレンみたいにフォロワー数が多いとなおさらね」
「そういうものなのか」
「そ! もしも怖〜い人にカレンが攫われたらお兄ちゃん、心配でしょ?」
「ん、それは当たり前だ。 なるほど、カレンの身に何かあるかもしれないのか。 それは気をつけた方がいいな」
SNSの恐ろしさをカレンから教わった。そう言った事例も何件か発生しているらしく、有名人なんかは特に気をつけて投稿しているという。
炎上、なんて騒ぎになったら大問題だ。そんなことがあればカレンが傷ついてしまう。なるべく、そういうことは──
「そう言えば、カレン」
「ん? なぁに?」
「ネットの記事で、カレンのSNSが少し騒がれてるって言うのを見たんだけど、それは大丈夫なのか?」
「ん、あー、あれね。 あれは大丈夫! 何の問題もないよ!」
「そういう物なのか? カレンが知っていて、問題がないのならいいんだが」
「大丈夫、それよりほら! あれ乗ろ!」
そう言ってカレンが指さしたのは俺の苦手なジェットコースターだった。
あまり、というかかなり苦手な絶叫系マシーン。その中でもこれは足が宙に浮いたまま。乗り物に乗ってそのまま、というタイプではなく、垂れている椅子に座って勢いよく進むタイプのやつだ。
これを考えたのは恐らく人間ではない。どういう人生を歩めばこんな拷問器具を思いつくのだろうか。
いつもならカレン一人で乗らせるのだが、どうにも今回はそうはいかないらしい。
俺の腕を掴むカレンの力が尋常ではない。決して逃がさない、という確固たる意志の強さを感じさせる。
だが、鋼の意志なら俺にもある。ここは譲れないのだ。
「カレン、俺はちょっと体調が……ぁぁあああ! 痛い! カレン、痛いって!」
「ダメ。 いつもそう言って逃げてるでしょ。 たまにはカレンと一緒に乗ろ?」
「いくら可愛く言っても……! ダメなものは、ダメ……なんだ!」
一歩間違えれば引き千切られるのでは無いかと錯覚してしまうほどの力に涙を滲ませながらも腕を振りほどこうと力を込める。
が、悲しいことにいくらカレンが愛らしい見た目の可憐な少女であったとしても、人間とウマ娘では地力に差がありすぎた。いつもは俺に合わせてくれているのだろうが、こういう時に限って持てるもの全てを使ってくるのはなんともカレンらしい。
「嫌いなものに挑戦しないでそのままなのが一番ダメ。 カレンと一緒なら怖くないでしょ?」
「いや怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だ……!」
「もう、お兄ちゃん! 子供じゃないんだから!」
当然、ジェットコースターの目の前でそんなやり取りを大人と少女が繰り広げていれば、他の客の目を集めてしまう。その視線の鋭さは俺の心を貫くのには充分すぎるほどの威力だった。大人しくカレンに身を委ね、処刑台の上へと座らされる。
隣にはカレン。俺は無意識にカレンの手を握っていた。
そうして絶望を告げる係員の呼び声と共に、地獄の乗り物は機械の鳴き声を響かせながら進み出したのだった。
◇
「楽しかったね♪」
「もう二度と乗らない」
「そんなこと言わないでよ。 カレンの手をずっと握ってるお兄ちゃん、可愛かったよ?」
「や、やめてくれ。 思い出したらもう色々とキツく……」
正直な話、カレンの手を握っていたことすら朧気だ。
死の一歩手前のような感覚が永遠にも思えるほど長い間続き、気味の悪い浮遊感が腹部を通り抜ける。そんな拷問の中、他のことに避ける脳の余裕は一切なかった。
「次は何に乗ろっか」
「出来れば落ち着いたやつで……」
初っ端からあんな重たいものだったのだから次はもう少し優しめのものがいい。
というか、どこかで休憩がしたい。
が、カレンはそんな俺のことはお構い無しに次のアトラクションを探し始める。
「……カレン、落ち着いたやつとは言ったけど、これは少し……」
「文句の多いお兄ちゃんだなぁ。 カレンと一緒ならなんでも楽しいでしょ?」
「いや、これは楽しさよりも恥ずかしさが勝るよ……」
メリーゴーランド。二人乗り。
カレンだけが乗るのならとても綺麗な絵になるだろう。それこそ、ウマスタにでも上げれば一瞬で知れ渡るだろう。
だが、そこにジェットコースター後の疲れきった青ざめた顔の男が加わればどうだ。しかもカレンと違い、特に華やかさも感じられないような男だ。
絵面が地味すぎる。
そして何より恥ずかしい。まさかこの歳にもなってメリーゴーランドに乗ることになるとは思いもしなかった。
「ね、お兄ちゃん。 これって白馬の王子様とお姫様じゃない?」
「いや、どこからどう見ても病人を急いで連れていく少女だろうね」
いくらお姫様でも青ざめた顔の王子様を連れていては見る人が心配になるというもの。というか俺は王子様では無い。
その後もカレンに振り回されるように次々とアトラクションを乗り回した。そのほとんどが俺には耐性のないものばかりで、常にカレンのそばを離れられなかった。
夕暮れ時、未だ盛況を見せるフードコートの机に俺は突っ伏して座っていた。
もう立ち上がる気力さえ湧いてこない。
運動して疲れたのとはまた別の疲労感と倦怠感。もしかすれば普通に仕事よりもきついのかもしれない。
同じだけアトラクションを経験したはずのカレンはまるでダメージが何もないかのようにクレープと共に写真を撮っていた。
「お兄ちゃん、あのさ──」
「あ、あの、カレンちゃんですよね……?」
「私たち、その、ファンなんです!」
カレンが何かを言いかけたその時、二組の少女がカレンの隣に立っていた。
ファンだと名乗った二人に差し出された手をカレンは何の迷いもなく握った。
「いつもカレンを応援してくれてありがとう!」
午前中は軽くとは言えトレーニングをしていた。それに加えて今までずっと歩き回っていたのだ、カレンだって少なからず疲れているはずだろう。しかし、それでもそんなことを臆面にも出さず、カレンはファンの二人と自撮りで盛り上がる。
その間、絶えずいつもの『可愛いカレン』を保ったまま。疲れているからという理由で『可愛い』を妥協しない、その芯の強さこそがカレンなのだ。
『カレンのことどう思ってる?』
今ならその問いかけに答えられるような気がした。
そんな風に考え込んでいると、ファンの一人がこちらに気がついたのか、なんだか気まずそうな視線を向けてくる。
弾けた姿を他人に見られるというのは誰であれ恥ずかしいものだ。カレンもその視線に気がついたのか、俺の方へと目線を移す。
「……噂の彼氏さんですか?」
少し、いやかなり耳を疑った。
彼氏……? いや、『噂の』とはなんだ?
そんなものを聞いたことはない。
すぐに否定しなければならない。カレンの人気に関わりそうな嘘の情報はちゃんと訂正するべき。そう思い、口を開こうとして、カレンに遮られる。
「秘密ね♪」
今までに見せたことがないほどのとびきりの笑顔。
その可愛さに俺の事などどうでも良くなったのか、二人はお礼と謝罪の後、すぐにこの場を去っていった。
二人が去った後も笑顔のままのカレンに、全て吹き飛ばされてしまいそうだったが、なんとか持ち直す。
「否定しなくていいのか?」
「うん、否定する方がそれっぽくなっちゃうでしょ?」
「それはそうかもだけど……」
「そうなの!」
「──いや、それより、噂のってなんなんだ? カレンは知ってたのか?」
そう尋ねるとカレンは不敵に笑ってみせる。
人差し指を唇に当て、妖しく片目を瞑った。妙に艶のある仕草に少し戸惑いつつ、続くカレンの言葉を待つ。
「さぁね♪」
そう言ってカレンは席を立つ。
なんだか答えをはぐらかされたような気がして少し、心が晴れない気持ちだったが、どうやら答えてくれる気はないようだ。
すぐにカレンの後を追い、横に立つ。
夕焼けに照らされ、いつもより紅く染まったカレンの顔を眺める。
「あんまりジロジロ見ないで!」
「ごめんごめん、きっと今カメラで撮ったら凄く可愛いぞ」
「……いいの、これはお兄ちゃんだけ」
「そうなのか?」
「うん、いいの♪」
カレンがいいと言うのならいいのだろう。
夕焼けに染まった赤い道をカレンと肩を並べて歩く。
いつもよりも可愛く見えるカレンを、言われた通り、俺の心の中だけに収める。
少し、この特等席でカレンを独り占めするのも悪くは無い。
そう、思った。
なんか日に日に文量増えてますね。