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ウマ娘たちが生活する寮の一室。
扉の外からでもわかるほど淀んだ空気が流れ出していた。
その部屋はスマートファルコンとエイシンフラッシュの部屋だ。
目元にクマを浮かべ、頭を抱えて唸るファル子をフラッシュが優雅に支度をしながら見つめていた。
どうしたのか、そんな問いかけも無駄だと思えるほど、何度もこの光景を目撃してきたフラッシュにとって、『またか』と感じられる日常。
「一応尋ねますが、今度は何をやらかしたんです?」
フラッシュが呆れたようにそう尋ねるとファル子は机に伏したまま答える。
「……ぇなかった」
「はい?」
「だから! デートに誘えなかったの!」
ファル子がこうして自身のトレーナーに対してアピールできずに悩んでいることを同室であるフラッシュは簡単に見抜いていた。だからこそ、何度かファル子がトレーナーとの仲を進展できるよう手助けしてきたのだが、一向に成長を見せない。
フラッシュも何度かついて行き、その様子を見ていたが、どれもファル子側がはぐらかして逃げている。
「また、ですか。 ファルコンさん、いつまでもそんなんじゃ──」
「うん、わかってる。 ファル子だって、こんなのダメだってことくらい……」
「なら、どうすればいいかもわかっているのでしょう?」
「う、うぅぅぅぅぅ!」
わかっているが、行動できない。
いざ本人を目の前にするとどうしても言葉が出てこなく、なぜだかはぐらかしてしまう。
その度にこうして悩んでいる。
「いい加減、行動しないと誰かに取られますよ。 貴女のトレーナーさんは人気者なのですから」
「うっ……」
こうしてファル子の心に焦りを植え付けようとするが、上手くそれが働いたことは無い。
ファル子のトレーナーが人気者、というのは嘘偽りない本当の話だが、それは『ファル子のファン』としてだ。
ファン一号である彼は同じファル子のファンたちから尊敬の念を抱かれている。そう言った意味での人気者だ。
無論、それをファル子に言うことは無い。
男性として彼を見た場合、その反応は一様に決まっていた。
ファル子のファンであり、ファル子のトレーナー。彼はファン一号で、ファル子を支え続ける男だ。そして、その精神は『ファンとアイドル』そのもの。
それを皆わかっているからファル子とトレーナーの間に割って入ろうとする者はいない。
「そ、そうだよね。 トレーナーさん、優しいし、要領良いし、ファル子の為に色々動いてくれるもんね……」
「焦っているのなら早く動きなさい。 手遅れになってから後悔しても意味は無いんですよ」
「フラッシュさぁぁぁん!」
泣きついてくるファル子を慣れた手つきで窘め、深く息を吐く。
これは重症だ、と幾度となく思ったことをまた思う。
「どうしよう……。 トレーナーさんが他の人に盗られちゃう」
「元々ファルコンさんの物でもないですけどね」
フラッシュの辛辣な一言にまたしても涙腺が緩む。
「はぁ……。 では、私の方からファルコンさんのトレーナーさんに伝えておきましょうか?」
「そ、それは……」
「いいですか、ファルコンさん。 相手は大人の男性です。 対して私たちはまだ学生。 相手が一線引いている以上、こちらから積極的にいかないと何も気づいてもらえませんよ。 ファンとアイドルという立場に甘えているのならすぐにやめた方がいいかと」
「ファル子だって頑張ってるもん!」
「貴女のトレーナーの鈍さでもわかりやすいアピールが必要だと言っているのです」
「ニブ……。 やっぱり鈍いよね、トレーナーさん」
「アピールの仕方にも問題はあると思いますが」
「そんなこと言わないでよぉ〜」
項垂れるファル子とは対照的に、フラッシュは姿見の前で自身の格好を見直す。
少し派手ではないだろうか。トレーナーの服との色合いは。アクセサリーはどうしようか。
そんなふうに頭を巡らせる。
「そう言えば、フラッシュさんはどこかお出かけ?」
「はい。 11時からトレーナーさんと待ち合わせです」
「えっ」
雷で打たれたような衝撃がファル子に走る。
同室のフラッシュは自身のトレーナーと休日に出掛けるほど仲がいいと言うのに、かく言う自分はどうなのか。
無論、一緒にどこかへ行ったことくらいファル子にだってある。しかし、それはレース関係だったり、ウマドルとしての活動の範囲での話だ。
フラッシュのようにプライベートで二人きり。というのはかなり少ない、とファル子は思っている。
「フラッシュさんがいないと、どうやってトレーナーさんとお出かけする口実を作ればいいか……」
フラッシュがいないという事実に顔を青ざめさせ、元々覇気のなかった顔がさらに白くなっていく。
またしても呆れたようにフラッシュが息を吐く。
「今日はファルコンさんのお役には立てません。 たまには私と一緒に声をかけるのではなく、一人でやってみてください。 それでは、楽しい報告、お待ちしていますよ」
そう言うとフラッシュは部屋を後にした。
取り残されたファル子はしばらく机に突っ伏すと、すぐに支度を始めた。
◆
「お、おはよ〜、トレーナーさん!」
「おー、おはよう、ファル子……と、スズカ」
「はい、おはようございます」
スマートファルコンのトレーナー室。
そこへ、私服に袖を通したファル子とサイレンススズカの姿があった。
ファル子の来訪もトレーナーにとっては珍しく、その上スズカまで一緒となるとここに来た理由は見当つかない。
ぎこちない様子のファル子に続き、スズカがソファに腰掛ける。どうしてここへ、とトレーナーが声をかける前にファル子が口を開く。
「ト、トレーナーさん……こんな所にまで私のポスター貼らなくても……」
「ん? そうか? たづなさんに自分の部屋と同じように使っていいって言われたからさ」
「す、すごいですね。 グッズも置いてあるんですね」
「当然だ。 ほら、机の上にもあるぞ」
そう言って見せられた机の上にはファル子の小さなぬいぐるみが置かれていた。
よく見るとどれも作っているメーカーが違う。
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ち。その二つがせめぎ合い、ファル子の目はこれまでに無いほど泳いでいた。
トレーナーの部屋も同じ感じなのか、と思いを馳せるとここがトレーナーの部屋のように思えてきてしまう。
「よかったですね、ファルコン先輩」
「う、うん! ファン一号として素晴らしい働きだよ、トレーナーさん!」
「当たり前だ。 俺はファル子のトレーナーである前に、ファル子の大ファンだからな。 グッズを集めたりするのは当然の義務ってやつだな」
相変わらずファンとアイドルの関係を見せつける二人にスズカは少し気まずそうに笑う。
トレーナーの机から離れ、再びソファに腰掛けた二人は小さな声でやり取りする。
「ここへ来た目的、忘れないでください」
「わ、わかってるよ。 で、でもね? ほら、トレーナーさん忙しそうだしさ」
「そんなこと言ってると、また何も出来ませんよ」
ファル子が支度し、部屋を出て数分、何をする訳でもなく寮内や周辺を歩き回っていた。
そこでたまたま出歩いていたスズカと遭遇したのだ。
ここぞとばかりにフラッシュと同様、スズカに助けを求めた。
先輩の圧に逆らえなかったのか、ファル子を応援する気持ちからなのか、意外とすんなり受け入れてくれたスズカと共にトレーナー室までやってきたのだ。
その目的。
それは──
「ト、トレーナーさん!」
「ど、どうした、いきなり大声で」
トレーナー室に響いたファル子の声。
少し裏返ったようなその声にトレーナーは戸惑いつつ、手を止めてファル子の方を見た。
その顔は俯いていたが、赤く染っていることは確かにわかった。
「あ、あのね、今度のお休みの日、デ、デ……」
「デ? 」
首を傾げるトレーナーと、そばで見守るスズカ。
そして顔を真っ赤に染めて言葉を詰まらせるファル子。
刹那の沈黙。
そしてそれはファル子の深呼吸と共に破られる。
「ファル子とデートに行って欲しいの!」
そう言い切るや否や、ファル子はいきなり立ち上がり、トレーナー室の扉を勢いよく開くと、その脚を活かしてもう見えないところまで走り去っていた。
残されたトレーナー、そしてスズカは互いの顔を見合わせると、スズカはため息混じりに声を出した。
「トレーナーさん、ファルコン先輩の手、しっかり取ってあげてくださいね」
「お、おう……」
勢いに気圧され、何が起こったのかよくわかっていない様子のトレーナーを尻目に、スズカはファル子の後を追うようにトレーナー室を後にした。
「デ、デート。 俺が? ファル子と?」
一人、残されたトレーナーは怒涛の勢いで起きた今の出来事について行くことが出来ず、ひとまず、お茶を喉に流した。
◆
「ス、スズカちゃん、私、言えたよ!」
「はい、見てました。 けど、答えも聞かないで出ていってしまうのは……。 それに、トレーナーさんも困惑していましたよ」
「う、ぁ、そ、そうだよね。 で、でも……」
ファル子にとって先程、トレーナーをデートに誘ったのは大きな進歩。
しかし、言うことだけを考えていたファル子にとって、あれ以上あの場に留まるのは無理な話だった。思考が顔の熱で焼ききれてしまわないうちに逃げ出す必要があったのだ。
「答え、かぁ……」
「大丈夫だと思いますよ。 だって、あんなにファルコン先輩のグッズ集めていたじゃないですか。 本当に好きじゃなきゃできないことですよ」
「す、好き……。 トレーナーさんが、ファル子を……」
「そういうことじゃないですよ」
いっぱいいっぱいの今のファル子は少し正常な思考ができていない。
どうしたものか、とファル子の周りを歩いていても特に良案は思い浮かばない。
トレーナー室に戻り、答えを聞き出すのが最適解なのだろうが、逃げ出した手前、戻りにくい。さらに、この状態のファル子が戻って、せっかくの先程のガンバりをはぐらかしでもしてしまえば、もう二度とファル子は立ち直れなくなってしまう。
「う、うわあああ! どうしてファル子はこんなに情けないの〜!」
スズカの視線を気にすることも無くその場で蹲る。
幸い、今日は休日であるため、人通りはない。ウマドルとして築き上げてきたスマートファルコン像は崩れる心配はないだろう。後輩の前で醜態を晒していることには気がついていないが、そこまで頭が回っていないのだろう。
情けなさに頭を抱え、打ちひしがれるファル子を見つめ、スズカは優しく手を差し伸べる。
「少し、休みましょう。 ファルコン先輩はよく頑張ったと思います」
「う、うう、スズカちゃん……!」
涙ながらにスズカの手を取り、立ち上がる。
二人はそのまま近くのベンチに座り、空を眺めていた。
夏休み間近。フラッシュは自身のトレーナーとの予定を満遍なく立て、逃げ切りシスターズとして共に活動するスズカとミホノブルボンもトレーナーとの予定を立ててあるという。
かく言う自分は、と比べた時に言い知れぬ焦燥感を抱いた。
何に対する焦燥感なのだろうか。
自分のトレーナーがどこにも行かない、という保証はない。それこそ、ファル子のファンと仲良く話しているのを何度も目撃している。
ファン同士の交流に口を挟むのは、ウマドルとして許されない行為。しかし、ウマドルではない、一人の少女としての自分が、それを見ていられなかった。
どうしようもなく優しく、頼りになるトレーナー。ファル子をファン一号として、トレーナーとして支えてくれる男の人。
最初は単に、ファン一号ということだけだった。けれど、一緒に色々な所へ出向き、悔しい思いも、嬉しい思いも共有し、気がつけばファル子の生活に必要不可欠な歯車になっていた。
「トレーナーさんのこと──」
その先はまだ、口に出せない。
「スズカちゃんは、自分のトレーナーさんとどこかお出かけするんだよね?」
「はい。 再来週、近くの商店街で行われるお祭りに誘われました」
「誘われ……。 いいなぁ、ファル子もトレーナーさんの方から誘われたい……」
「……今はまだでも、いつか、きっと誘われるようになりますよ」
今までファル子がどれだけアピールしようと気が付かなかった人のことだ、そんな日が果たして来るのだろうか。
『相手は大人の男性です。 対して私たちはまだ学生──』
今朝、フラッシュと話した言葉を思い出す。
確かにトレーナーとファル子との間には絶対に埋められない溝がある。だからこそ、こちらから動いて、その溝の上に橋を架ける必要があるのだということは理解している。
けれど、相手から来て欲しい、と思ってしまうのは止められない。
「──ファルコンさん、私は用事を思い出したのでそろそろ部屋に戻ります。 後は頑張ってください」
「え、ぁ、うん。 今日はありがと」
「ふふっ、そんなに心配しなくても大丈夫だと思いますよ」
突然立ち上がったスズカはそう告げると足早にファル子の元を去った。
一人になると途端に不安に襲われる。
今までのとは比にならないほど強烈な寂寥感に苛まれる。
こういう時に思考を支配していくのは決まって、後暗いことばかり。
そういえば最近仲良さそうにファンの子と話していたっけ。
すごく楽しそうに笑っていたし、何かを一生懸命話してた。
どうしてそんなに楽しそうに話しをしてるの?
──ファル子のことはウマドルとして、担当としてしか見ていないの?
自然と、涙が溢れ出す。
感情の歯止めが効かない。
どうして涙が出ているのだろう。
どうして止まってくれないのだろう。
どうしてこんなにも、苦しいのだろう。
「──ファル子」
聞き慣れた、優しく自分を呼ぶその声に顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになってしまった今の自分の顔など見せたくもないはずなのに、反射的に、身体が動いてしまった。
「トレーナー、さん……!」
その人の顔を、声を、姿を見ただけなのに、鼓動が早くなり、胸が高鳴る。
それなのに涙は止まらない。止まってくれない。
「隣、座るぞ」
トレーナーはポケットからハンカチを取り出すとそれでファル子の涙を拭った。
優しく、撫でるようなその仕草に目を合わせることが出来ない。嬉しさよりも恥ずかしさと情けなさが込み上げ、押しつぶされそうになる。
みっともない姿をトレーナーに見られ、幻滅されるだろうか。何を言われるのだろうか。
──怖いなぁ。
何よりも怖いのはトレーナーに嫌われることだ。
そんなことない。そう頭でわかっているはずなのに、嫌な考えは無限に湧き出てくる。
「少し、落ち着いたか?」
「……うん。 ご、ごめんね! びっくりしたよね!」
せめて、少しでも先程の醜態を拭えるように明るく、気丈に振る舞う。
無理やりにでも口角を上げ、目を細めて笑ってみせる。少し歪でも構わない。トレーナーに嫌われることに比べれば、どんなことだって出来た。
「無理するな」
「──っ、むり、なんてしてない、よ?」
「どれだけファル子のことを見てきたと思ってる。 ファン一号を──いや、俺を甘く見るなよ」
◇
『流石にあそこまでやられて鈍くいられるほど馬鹿じゃないだろ』
『おま──、フラッシュまで! どうして、ここに?』
『友人を心配してはおかしいですか?』
ファル子とスズカがトレーナー室を後にしてすぐの事。
フラッシュとそのトレーナーが部屋に入ってきた。
今日は二人で出掛ける約束がある、と前々から知っていたトレーナーは少し驚きつつも口を開いた。
『さすがに、俺もしっかりやらないとな……。 てか、二人ともどこから聞いてたんだ?』
『ファルコンに集めたグッズを力説するところ辺りからかな』
『ほぼ初めからじゃねぇか。 クソ恥ずかしいな』
『まあいいじゃないか。 ファルコンにもお前がどれだけファルコンが好きか伝わったんじゃないか?』
『うるせ』
不貞腐れたように視線を逸らすが、すぐにフラトレとフラッシュの方へと戻す。
今このタイミングで部屋に入ってきた理由。それは流石のトレーナーにも察しがついていた。
『さて、どうしますか? ファルコンさんのトレーナーさん』
『当然。 ファル子が逃げたら──』
◇
「どうして、ここまで?」
「何言ってんだ? 当たり前だろ」
少し落ち着きを取り戻し、トレーナーがここまでやってきた理由を尋ねる。
今のファル子には先程、トレーナーをデートに誘ったことなど、完全に思考から外れていた。そのため、ここへ来る理由が皆目見当もつかなかった。
しかし──
「ファル子が逃げたら追うしかない! だからな」
風が吹き抜けるような衝撃。
トレーナーのその一言に自然と口元が緩む。
意識して止められるものではなかった。内側から溢れ出てくる嬉しさには勝つことが出来ず、両手で頬を抑えることで何とかだらしない顔を晒さずに済む。
それでも尚、隠しきれない喜びは赤く染った顔と、振り乱れる尻尾に現れていた。
なんて単純なのだろう。自分でもそう思った。
あんなに苦しくて辛かったはずなのに。
涙も出して、だらしなく泣いていたのに。
怖かったはずなのに。
彼のたった一言。それだけに救われてしまう。絆されてしまう。
「ファル子、さっきのこと、なんだけどさ」
「うん。 なぁに」
「ファン一号としてじゃなく、俺として言う」
覚悟を決めたその瞳を真っ向から受け止める。
「デ、デート、してくれないか?」
らしくない、トレーナーのその言葉に嬉しさよりも先に可笑しさが込み上げてきてしまう。
自然と口から出てきた笑い声に、トレーナーが恥ずかしそうに目を細める。
「はい! ファル子もトレーナーさんと一緒にデートがしたいです!」
◆
「と、言うことで、トレーナーさんと一緒にお祭りに行くことになりました!」
ウマ娘たちが生活する寮の一室。
扉の外からでもわかるほど喜びに溢れた空気が流れ出していた。
その部屋はスマートファルコンとエイシンフラッシュの部屋だ。
泣き腫らした目元を隠すことも無く、今日あった出来事を本当に嬉しそうに語るファル子。
それを聞き、どこか満足そうに微笑むフラッシュ。
「ファルコンさんもやればできるじゃないですか。 その調子、ですよ」
「うん! まっかせて! これからガンガン攻めちゃうよ!」
「本当ですか? それ」
フラッシュがそう尋ねると少し自信なさげに頷き返すファル子。
いつもなら『そんな事では』とファル子の姿勢を正すフラッシュだが、今日だけは少し甘かった。
「頑張ってください、ファルコンさん」
柔らかく微笑んだフラッシュにファル子もとびきりの笑顔で答える。
「誰にも盗らせたりしないんだから!」
その宣言は寮内に響き渡る。
愛らしく笑うファル子はその後もしばらく、フラッシュと二人で互いのトレーナーの話で盛り上がっていた。
個人的にファル子の育成ストーリーのスポ根感はホントに好き。温泉イベントもかなり好き