お気に入り、感想などすごく嬉しいです。
4回くらい描き直してようやく出来上がりました。
──ライスの、ライスだけの、お兄さま。
──口の開いた寝顔も、書類を投げ出すように放り出された腕も、全てが愛おしくて堪らない。
自分にしか見せない、自分しか知らない表情。
誰にも教えたくない、とっておきの宝物。
「お兄さま──」
顔が近づく。
いけないことだとわかっている。
けれど、止められない。
あと少し、もう少し。
「ライ、ス……?」
間近に迫った口から掠れるような音が漏れだした。
それは確かに自分の名を呼んでいる。が、その目は開いていない。
寝言だ。
少し近くに寄りすぎて、気配を察知されたのか。それとも、夢にライスが出てきたのだろうか。
もし、夢の中でもライスと一緒にいるのなら、それは、なんて──
「お兄さまっ──」
素晴らしいことなのだろう。
◆
「トレーナーさんの噂、ですか?」
「う、うん。 最近ね、お兄さまの良くない話を聞くの」
「良くない、とは具体的には──」
言いかけて、一度、言葉を止めた。
それは目の前に座る彼女の瞳が曇ったのを確認したからだ。踏み込んでいい話ではなかった、そう認識しつつも、そこを知らなければ話が進まないことを知っているミホノブルボンはライスシャワーの瞳が曇ることを承知で足を踏み入れた。
ライスが口を開く。
生暖かな風が足元を吹き抜け、何かに絡め取られるような錯覚を覚え、下に視線を向けた。当然、異常はない。何か、嫌な気配を感じ取りはしたが、友人であるライスの話を途中で放棄する訳にもいかず、ブルボンはその先を促した。
「あの、ね。 お兄さまにね、好きな人がいる……って」
「──そう、なのですか」
予想していた『良くない話』とは方向性がまるで違うことにひとまずの安心を覚える。が、ライスのその瞳に射抜かれ、すぐにその安堵もどこかへと消えた。
考えても見れば、ライスの動揺はブルボンにも理解できた。
唯一であり、一番近くの理解者が、自分以外の大切な人を持っている。というのは少しばかり嫌な気持ちになる。
無論、それが自分の嫉妬と独占欲であることくらい、ブルボンは理解している。が、自分というものがありながら、という感情を抱いてしまう。そればかりはもうどうにもならない。
感情の起伏に乏しいブルボンでさえそうなのだ。では、目の前の彼女は──
「お兄さまにっ、恋──」
「ライスさん。 その話は本当なのですか? トレーナーさんに確認はしたのですか?」
「わからないよ。 確認して、本当だったら、ライスは、きっと……」
言いたくないことのように、声を詰まらせ、口元を歪めながら言葉を発するライスを遮る。
自身に置き換えて考えてみる。
マスターに恋人がいる、と判明すればどうだろうか。
胸の当たりが痛みを訴える。知らない痛みだ。わからない。わからないけれど、この痛みは経験したくないものだった。
その痛みを、彼女は今も尚抱えているのだろう。
──夜も満足に眠れないほどに。
「……それでも、一度しっかりとトレーナーさんに確認すべきです。 ライスさんのトレーナーさんに限って──」
「居ないって言い切れる? お兄さまはすごくかっこよくて、優しくて、ラ、ライスなんかにも手を差し伸べてくれるような人、だよ?」
目の下に小さなクマを浮かべ、笑顔を張りつけたような痛々しいライスの表情に、言葉を失った。
「最近ね、お兄さま、膝枕もしてくれない。 それに、お兄さまのお家に帰ることが増えてきたの」
「実家、に。 ですか」
「うん。 ライスもついて行きたいって言っても断られて、一人ぼっちでいることが増えてきて、もう三日くらいは、お兄さまに会えてない……」
「ラ、ライスさんのトレーナーさんは、何よりもライスさんを大切にしています。 でなければ、ライスさんの望みを全て叶えようとは──」
「ライスも、わかってる。 けど……」
今にも泣いてしまいそうなライスに対し、ブルボンは何もすることが出来ずに狼狽える。
この場にマスターがいてくれれば、と思うが、連絡する手段が──
「──! ライスさん、トレーナーさんに何か連絡はしていないのですか?」
別に直接顔を合わせて話をする必要は無い。
文字でのやり取りの方がしやすい事もある、というのを何科で見たような気がする。その一縷の望みに賭けて、彼とライスのわだかまりを解消できれば──
「もうしてあるよ」
「トレーナーさんからは、なんと?」
「『そんなわけないよ』って。 でも、でも……」
「ライスさん……?」
「ライス、お兄さまを信じられない。 なんで、なんで信じられないの。 お兄さまは嘘なんかつかないってわかってるのに……!」
ああ。
と、ブルボンはここでライスの悩みの本質を理解する。
当然、彼女は自身のトレーナーに対する独占欲と嫉妬から悩んでいるのだろう。しかし、何よりも信用し信頼しているトレーナーのことを疑ってしまった自分に悩んでいるのだろう。
ライスのトレーナーは傍から見てもよく出来ている人間だ。
外見的にも、内面的にも非の打ち所がない、と言われるまでの人物で、マスター曰く、『あれは童話とかに出てくる王子様そのもの』のような人。
それは何度か顔を合わせたことのあるブルボンも同意見だった。
ライスが信頼を預けるに足る評価を周りから得ている。
そんな彼が担当であるライス以外に誰かを大切にしている様子は思い浮かばない。しかし、三日もの間、ライスを放っておいているのも事実。
「ライスさん、やっぱり本人に──」
「わかって、る。 けど、今はダメなの。 きっと、お兄さまを困らせちゃう」
そう言ってライスはどこかへと走り去った。
声をかけることも、引き止めることも、追うことも、ブルボンには何も出来なかった。
◆
──お兄さま。 お兄さま。
どうして自分はこんなにも悪い子なのだろうか。
大切な人を信用しすることも出来ない。
その人に会うことさえ怖い。
真実を聞くのも怖い。
「お兄さまの、仕事部屋」
無意識に足が向かっていたのはトレーナー室。
扉に置いた手が震えている。振動で音が鳴ってしまわないように左手で右手を強く握った。
──開けるの?
中から音はしない。
なら中にトレーナーは居ないのだろう。そう考え、ゆっくりと扉を開く。
「お、お兄さま……?」
机に倒れるようにして眠るトレーナーの姿がそこにはあった。
普段、他の生徒たちに言われているような『王子様』としての面影はどこにも無い。
だらしなく、子供のようによだれを垂らし、豪快に眠る姿にライスは不思議な安心感を覚える。
「ふふっ、可愛い……」
すぐにティッシュで口元を優しく拭き、少しの間その寝顔を見つめた。
こうしていると、なぜだか自分が悩んでいることを忘れられた。
長い睫毛、綺麗な鼻筋、艶のいい髪。触れれば壊れてしまうのではないか、そんなことを考える。
「お兄さま……」
それはライスにとっての宝物。
他の誰にも渡さない、渡したくない何よりも大切な人。
不思議な引力に引き寄せられるように、トレーナーの顔に近づいていく。
──いつもの匂い。 お兄さまの……
「ライ、ス……」
止まる。
たった一言、うわ言のように名前を呼ばれる。
それだけで、時が止まる。
そして──
「お兄さまっ、ライスね、お兄さまのことが──」
◆
「──っ、いて」
眠ってしまっていた。
時刻は午後の六時前。今から実家の方に帰ったとしてもこちらに帰ってくるのが難しい。
なら、今日はやめて──
「ライス……?」
手元の書類の端の方に『お兄さま』とだけ書かれた文字を確認する。その先も何かを書いていたようだが、消されているため何が書いてあったのかはわからない。
そう言えば、最近はライスに会えていない。
か弱く見えて、案外しっかりした芯を持っている子だからトレーニングなんかの心配は一切していないが、担当としばらく顔を合わせていないというのは問題だろう。
仕方がないこと、とは言え、せめてライスには事情を説明するべきだろうか。
「こんな話、ライスには……」
重い話だ。
こんな話をして、もし自分のせいだとでも思い込んでしまえば、と考えると心が苦しくなる。
何かと、周りの不幸を自分のせいにしてしまうような子だ。こんな話をすればライスはきっと、自分に近寄ろうとはしなくなるだろう。
これは自分たちの問題であって、ライスには関係の無い事だと説明しても、きっとライスはわかったと言って笑った後に、静かに泣いてしまう。そんなことは、許せない。
それに、ライスと一緒にいられなくなるのは寂しい。
「やんわりとでも話をするべき、だよなぁ。 でもなぁ」
母親の体調が悪化した。
元々病気がちな母親で、こういうことも珍しいことではなかった。その度に実家の方へ顔を出し、様子を見に行った。
別に往復できない距離ではない。自分の身体が持つうちはこうして無理を通してでも学園と実家を行き来するつもりだ。
そのため過密スケジュールとなり、ライスどころか学園関係者と顔を合わせる時間さえない。
ライス用にトレーニングメニューを考え、締切の近い仕事を片付け、実家の方へと戻る。
そんな生活を繰り返せば当然、身体にも影響が出る。現にこうしてライスが来たことにすら気が付かないほどに熟睡してしまった。
「今日は部屋で寝よ……」
まだ上がるには早いが、疲れきった身体は睡眠を求め、自室へと向かいだした。こうなると、簡単には止められない。
日中の明るさと夜の暗闇が混ざりあった空。聞こえてくるのはグラウンドを駆け回る子達の声。ゆったりとした時間の流れで歩いていく。
「お兄さまっ!」
愛らしい声が耳に届いた。
これまでよく聞いてきたはずの声、けれど久しぶりに思えてしまう、ライスの声。
視線の先にはカバンを抱えてこちらに手を振るライスの姿があった。
久しぶりに見るライスは少しだけ、小さく見える。どうしてだろうか、変な不安を胸に、彼女の隣に立った。
「久しぶり、ライス」
「うん! ライスね、お兄さまに会えなくて寂しかった」
「それは僕もかな。 ごめんね、全然会ってあげられなくて」
「ライスね、すごくすごく寂しくて、悲しかった。 けどね、お兄さまにも色んな理由があるから、って我慢してたの」
「ありがとう、少し落ち着いたらちゃんとライスには話をしようと思ってたんだ」
花のような笑顔に目を奪われる。
自然と伸びた手が頭へと向かう。ゆっくりと、毛並みに沿うように撫でると、ライスは目を瞑り、それを受け入れる。
綺麗に手入れされた髪は手のひらに乗せると、まるで水のように零れていく。
夕焼けに染まり、赤くなったライスの頬。少し撫ですぎた。手を離すと、ライスは手の置かれていた箇所を触ると、また笑った。
愛らしい。
その一言に尽きる。
「お兄さまっ」と上気させた顔をこちらへと向けて綻ばせた。
「ライス、今日は一緒にご飯食べようか」
「! うん!」
このまま部屋に一人でいるのもいいかもしれないけれど、心のどこかに不安を抱えたままでいるのは怖い。
暗く、濁ってしまわぬように、彼女と共に時間を過ごすのはいい事だろう。その暖かな優しさと、愛らしさに心が照らされていけば、自分のこの心のつっかえを忘れられる。
「ねぇ、ライス」
「?」
「ごめんね、一人にして」
「ううん。 いいよ。 お兄さまにも理由があってのことだもんね。 でも、あまりライスを一人にしないで、ね?」
「もちろん。 僕が君を一人にすることなんて絶対にないよ」
微笑むライスの少し後ろを歩く。久々の再会を楽しんでいるのか、ライスの小さな背中が大きく跳ねた。
◇
食堂を後にし、小さな影と大きな影が並ぶ。
満たされたように微笑むライスは一度、隣を歩く自身のトレーナーの顔を気づかれないように見上げる。
なんだか悪いことをしているような、そんな気分とともに、自分だけのものだという独占欲に襲われる。良くないこと、いけないことだとはわかっていても、溢れ出る感情は止まってくれない。
無防備に揺れるその手に触れたくて、伸ばした手が震えている。
──怖い?
もし、嫌がられたら。
──恥ずかしい?
そんなわけない。
──びっくりするかな。
何も言わないで触るのは、よくないよね。
──じゃあ、聞ける?
無理だよ。
触れてしまえば何かが壊れてしまうような、そんな気がして、触れない。触れてくれれば、何も無いのに。壊れたりなんて──
「ライス」
優しく名前を呼ぶその声に顔を上げた。
ゆっくりと、手を掴まれた。
ほんの少しだけ冷たくて、けれど人肌の温もりを感じる。
「────! お、お兄さま!?」
「そう言えば、こうやって帰るのは初めてかなって思ってさ」
大きな手に包まれるのはなんだか不思議な気持ちだった。
じんわりと伝わる体温が、ライスの心を温める。
おかしなことに、ライスの悩みはもう既になくなっていた。
「お兄、さま……」
頬に伝うものが、涙であることに気がついたのは、トレーナーの驚いた表情を見てからだった。
泣くつもりなど、当然なかった。困らせるようなことはしたくない。必死に涙を拭っても、込み上げてくるものは抑えられなかった。
安堵。どこかで張り詰めていた糸が切れてしまった。
感情のイレモノが壊れたように、涙が溢れてくる。嗚咽を漏らし、その場に座り込んでしまう。
このままでは、ただ困らせてしまうだけだ。
何度も立ち上がろうと、足に力を入れても無理だった。幼い子供のように泣き崩れ、その場に座り込むなんて、どう思われるのだろうか。
嫌な子だと思われるのだろうか。めんどくさいと思っているのだろうか。
「ごめん、なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
口から出てくるのは謝罪の言葉ばかり。
そんなことを言いたいわけじゃない。
会えたら、もっと伝えたいことがあったはずだ。言いたくてたまらないこと。不安だったこと。疑ってしまったこと。それでも、信じていたこと。
謝りたいことがなかったわけじゃない。けれど、それは今じゃない。
──嫌だ。 嫌われたくない。 お兄さま、ライスを……
「大丈夫、嫌いになんてならないよ。 僕は、ライスのことしか見てないんだ」
抱き寄せられる。
意図せぬ事態に、動揺する。けれど、突き飛ばすことは出来なかった。涙は依然止まらなかったが、胸の中から込み上げてくる嬉しさが、少しずつ上回っていった。
「落ち着いた? なら、そうだな、あそこのベンチにでも座ろっか」
「ごめんな──」
「謝らない。 ライスにされて嫌なことなんて何も無い。 だから謝らなくていい」
「で、でも……」
「でも、じゃないよ」
言葉を失ったライスにトレーナーは微笑みかけると、優しく立ち上がらせる。
何度もそうしてきたように、トレーナーは慣れたようにそうしてくれた。
「君が泣いて立ち止まった時は何度でも立ち上がらせてみせる。 言っておくけど、僕といる以上、簡単には止まれないよ」
何度でも、何度でも、ライスの涙を拭いてきた。
「ライスね、お兄さまを信じられなくなってたの」
「えっ……えっ?」
イメージとはかけ離れた、どこか間抜けなトレーナーのその声に、思わず笑ってしまう。
完璧なように見えて、全然そうじゃない。それがライスのトレーナーだ。ライスの理想であろう、と常に胸を張って前を見て歩くのが彼だ。
その実、彼自身は凡庸な男に過ぎない。しかし、そんな姿を他の誰にも見せはしなかった。
──ライスだけ。
それはライスを特別に思っていることの証。
忘れていた訳じゃなかった。けれど、どうしてこんなにも自分のそばにたってくれるような人を、信じられなくなったのだろう。
何があってもライスの味方をするこの人を、信じられなくなることなど、ないはずなのに。
「ラ、ライスは悪くないよ。 きっと、僕に原因がある」
「ううん。 これはライスが悪いの。 でもね、もう大丈夫」
「そう、かい? なら、その言葉を信じるよ」
どんな風に笑えているだろうか。
顔は紅くないだろうか。きっと紅いのだろう。これまでに感じたことの無い熱を感じる。
心臓の音が全身に響く。
息は早くなってないだろうか。
「ライスに話さないとならない事があるんだ」
「うん、聞くよっ」
「ありがとう。 少し、長くなるんだけど、いいかな」
「うん! お兄さまと一緒ならいつまでも」
「そうだね。 ライスと一緒ならいつまでも」
暖かな夏の夜。
トレーナーは重たい口をゆっくりと動かして言葉を繋いでいく。
不思議と、今のライスなら、この話を聞かせても安心できるような、そんな気がした。
◆
──お兄さま。 お兄さま。 ライスの、ライスだけの。
「お兄さま、気をつけて。 ライスもトレーニング頑張るから!」
「ありがとう。 母さんの体調も少し落ち着いてきたから、来週からは今まで通りこっちにいられるよ」
「わぁ! 嬉しいっ……」
胸に飛び込む。
慣れない行為に顔を赤らめてはいるが、トレーナー側からはそれを確認する術はない。
少しだけ強く、服を握った。
ライスの証を付けるように。
「お兄さま、気をつけて、ね」
覆水盆に返らず。
溢れ出した気持ちは元に戻らない。
どこまでも溢れていくこの感情と共に、ライスは笑顔を浮かべた。
「がんばるぞ。 おー……!」
小さく、か弱いその声は、どこまでも遠くまで響いたようだった。
あれですね。満足してない作品には続編描きますね。
今回のは過去一で時間かかりましたね。描いてたらイメージと違うものがいくつも出来ました。没です。
実家の猫に手、噛まれまくりました。寂しかったのでしょう。痛い。