このままではいけない。まだ話は終わっていないのに。気づくと走り出していた。前を歩く人の傘にぶつかりそうになって、持っていたものも投げ捨てて。
私は濡れるのも厭わず彼女を追いかけていた。
赤井ねる「夏」より
最後のページが終わり、小説が閉じられる。
まただ。
私は小説の登場人物だ。脇役、どころかただのエキストラの存在を、小説ではわざわざ文章にはしてくれない。主人公の邪魔になるように雨の中歩く通行人、それが私です。
始めに私が生まれたのは、いつだっただろう。作者が文字に表すその瞬間、女子大生だった。でも、私のことを頭に思い浮かべていたのはごく短い時間だったのだ。生まれてすぐに消えてしまった。
私は読者の頭に浮かべられてはすぐに消える。
ある時は主人公の行く手を阻む悪いやつであり、またある時はただの影であり、女性にも男性にも、下校中の小学生でも、買い物帰りにシルバーカーを押しているおばあさんでもあった。
その一瞬を何度も繰り返した。適当に読み飛ばしている人には頭に姿を思い浮かべられることすらなかった「前を歩く人」。
消えたくない、いやだ、固有の意識とともに自我の芽生えであった。
なぜ私が生まれたのだろう?
読み手の脳で物語が最後を飾る度に、キャラクターは文字のスープの中に溶け出す。
文字は海のようにごちゃごちゃと混ざり合っていた。私はあまりに小さいために見逃された小さな小さな欠片。
そこに感動というエネルギー。2つが反応することで起こりえた奇跡である。
初期の私は、意識もなく程度も低かった。
こうして考えられるようになるまでは、運良く溶け残っていただけなのか。
それとも私は本当の生き物のように生存本能を持ち合わせていたのだろうか。
とにかく奇跡の巡り合わせによって意識を持つまでに至った。
自我を持つまでに至ってしまった。
はじめこそ、生まれ落ちた奇跡に酔い心躍らせました。
老いも飢えも渇きもない。全能感に酔い、自分こそが唯一で絶対であると感じました。
しかしどうでしょう。
"老いも飢えも渇きもない"ということ。それと引き換えに生の喜びがないということ。
文字に戻ってしまいたい。しかしそれは私の永遠の消滅を意味するのだ。
"自分が唯一"ということ。それは自身の消滅をより恐ろしくするだけなのだ。
ほかの個体を持ち合わせている生命体であったならば、大生命の一部として不滅なものと自己同化を行えただろうに。
消えてしまいたいという悩みを抱えるようになった大きな原因は、耐え難い孤独であった。
私は高度なコミュニケーションを行う人間の情報伝達方法である言語表現による芸術から生まれのだ。
それゆえに対峙する相手を前提としていない状態でも、これほどまでの思考ができるまでになった。
あらゆる人間の脳で「前を歩く人」として幾度となく思い浮かべられ形成され、忘れ去られる。その一瞬で、人の考えに触れ続けた。
それはおよそ交流とは言えずに一方的に流れ込んでくるものであった。
私はそこから学び続けたのだ。それが私の存在する理由であるようにも思えた。あらゆる情報をただ享受することしかできないことがどれほど虚しいことであるか。
いつの間にか私は大抵の人間よりは賢くなっていたのかもしれない。
想像力も知識も思考力も私より劣っている程度の低い人間が、本の最後のページを閉じたら、別の個体と自由に言葉を交わして、時に悩み、苦しみ、好きなように生を全うする。
お前は、お前の持っているものは、私が喉から手が出るほど望んでいるものだ。悔しい。羨ましい。悔しい。悔しい。許せない。
何のために存在しているのか。与えられる事すらない。能動的に自分自身で動かないと情報を得ることすらできない存在など。消えてしまいたい。自身の生まれを呪いました。
私の最期が来るとしたら、生き物のように寿命があるとしたらそれはいつなのか。自分自身でその一歩を踏み出せない私にとってはそれを考えることが救いでした。生まれ落ちた罪を雪ぐ罰を望んでいるものだ。どうやらそれは近づいて来ているようです。
何を書いていたのか、2分前の私は何を思っていたのか、我が精神は連続性を持つことが難しくなって来ています。こうして正常な思考を持っていられる時間も短くなっているのです。そのうち消えてしまうだろう。
願うことなら他社とかかわってみたかった。たしゃ、御社ですか?いいえ、他者です。た、わたしも生きたい。自我が、が、自画、じががが、統合と分裂を繰り返して、、、
り るり 理性いいい
願いがが、 叶うようううん ちち近いうちにあ
生まれ落ちちた罰お、を?
すす濯ぐ 漱ぐ ために罪おおつぐなう
ああ、楽しみ。いつ まま 希望 それ
はやくはやく はやく
僅かに こ 残っ 理性 猛り沈む 情動の 狭 ま 間で
願いが叶う日を待って
今日も絶望と孤独におはよう。