願い星   作:赤井ねる

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僕に文字をください……活字を…

 駿台閉館なのを忘れて路頭に迷った僕は、吐く息が白くなるほどの寒空の中で何も考えずに駅に向かっている。

 

 僕は高校2年生。受験生だ。ろくな塾もない田舎に住んでいる。物心ついた時から、自分は優秀で、こんな所で腐れるのは嫌だと思って生きてきた。

 

 大学進学を考えて勉強しているのは全体の半分もいないかといったような感じの地域。真面目な僕は、中学校では優秀だった。

 

 高校は家から通えるトコにしてちょうだい、両親の負担を減らすために徒歩で行ける一番近い偏差値55の公立高校に通うことにした。

 

 高校二年に上がる頃、母に頼み込んで駿台に入れてもらい、放課後に電車で塾に通う生活が始まった。

 

 東大志望コースのコマを取って、『学校で1番』がどうしようもないくらいに無価値であることに気づく。薄々気づいてはいたけれど、模試でAだとかBだとかの判定を取っていた人間はここにいたのか。僕よりもずっと早く、品質の高いテキストで勉強して、両親が受験にずっと献身的で、僕よりもずっと優秀で、予備校の費用も免除されていて、、、

 

 僕より何倍も頭のいい人が沢山いる教室。田舎の中学校、高校で優秀だった僕のアイデンティティは脆くも崩れ去った。どうしてこんなにも頭が悪いのだろう、僕の足りない脳みそをこんな考えが占める。

 

 学校が終わり、駿台へ向かいながら、どうして羽が生えこないのだろうか、空を飛べないのだろうかと毎日のように考える。僕に文字をください……活字を…

 

 幼い頃から、本を読むのが好きだった。本を読み進めて5分もすると、世界が無くなる。僕が誰だとかここはどこだとかいった客観的なものは認識されなくなって、視覚から流れ込む情報のみが僕の世界を構成する。それが後書きを読み終わると現実に引き戻されてしまう。

 

 その気持ちの覚め方は、沢山泣いた後のようなちょっと疲れた感じというか、自慰の後というか、とにかく、読み終わることでの喪失感が拭えないものではあるが、止められない。

 

 駿台で打ちのめされて。僕が彼らに勝るとしたらそれは演習量しかないと。それほど好きだった読書も我慢して、とにかく頑張った。

 

 

 眠りたいのに眠れない。早く眠りにつこう。出来れば二度と目覚めませんように。毎晩、ベッドに入ってから眠りにつくまでの数時間、まぶたの裏には、模試の結果と本がこびりついていた。

 

 

 

 放課後にまっすぐ家に帰ってきたのはいつぶりだろうか。普段は駿台閉館まで毎日残り、家はお風呂と寝るための場所といった感じだったから。

 

 あら、今日は早いのね。心配性の母は早く帰ってきたことが嬉しそうだ。門限の厳しかった我が家では部活でも勉強でも遅くなるのに良い顔をされなかった。遠くの塾に通うことに決まるまでどれほど大変だったか。

 

 少し待ってて、りっくんとご飯食べるの久しぶりだね。トントンと何かを切る気持ちのいい音が聞こえて、しばらくすると美味しそうな香りがしてくる。

 

 たまねぎとベーコン入りのコンソメスープ。しめじとベーコンと豆苗のパスタ。陽の当たる方の窓に置かれて母に見守られながらニョキニョキと生えてきた豆苗。ちょん切られて、今はしなしなの僕の野心みたいな豆苗の入ったパスタ。スーパーで一番安いオリーブオイルを使って醤油で味付けされた名前もつかないパスタは、いまいち格好がつかなくて僕の家庭らしい。

 

 ダサくて、気の張らないおいしいさ。母の温かいご飯を食べるのは久しぶりだ。僕は普段、朝はおにぎりを持って行き、昼はお弁当、夜はコンビニで済ませている。

 

 どうしてこうなってしまったんだろう。毎日勉強だけをして、好きなことを我慢して。その先に手に入れた夢に僕はどれだけの価値があるのだろう。

 

 高校では将来の夢がぼんやりとしていて、なんとなく先生の勧める地元の国立大学を志望している人達ばかりだった。東京大学を目指しているというだけで意識が高いことであって、それが誇りでした。塾で同じ世界史コースをとっていた理III志望の友人は、音楽を医療に繋げたいらしい。幼い頃からヴァイオリンをしていた彼は音大か理IIIかで迷っているらしい。自分とは違うんだな。

 

 僕から勉強がなくなったらどうなるだろう、考えだすと頭がぐるぐるして、パスタの味がしなくなってきた。飲み込めない。味がしないから飲み込めないのか飲み込まなかったから味がないのか。口の中で唾液と混ざり咀嚼されたパスタがどんどん不味くなっていく。

 

 気づくと鼻水を垂らしながら泣いていた。僕は今年で17歳になる。お母さんの前でフレンチブルドッグみたいな顔をしている。

 

「りっくん、何かあったなら教えてね。無理にとは言わないけど」

 

 優しくそう告げてくる母。温かいココアでも飲みましょう、とキッチンに向かう背中を見ながら、いい母だと思った。

 

小さな頃から英才教育を学ばせてくれる教育ママだったら良かったのに、とか私立の中高一貫に通わせられるくらいのお金の余裕が家にあればとか、受験知識があれば、教養のある母であれば、とか列挙するとキリがないけれど。優秀で憎らしい彼らに、環境に恵まれた彼らに勝てないからといって、自分の環境すべて悪いかのように思っていた。

 

 泣いたことでざわついていた胸がすっと冷える。僕は毎日母のお弁当を食べているのに。

 

「あまりこんを詰めすぎないようにね。お母さんはりっくんがどんな道に進んだってりっくんの進みたいと思ったものならサポートするからね」

 

 最初は受験に非協力的だった母も毎日塾に通う僕を応援してくれていたんだ。改めて涙が出た。くそ理不尽。塾に通い、分不相応な東大なんて目指さなければ気づくことの無かった世界の不条理。それさえ無ければ、学校一優秀な息子と優しい母のいる幸せな家庭だった。

 

 お母さん、ココアおいしいね。いつもありがとう。これからは、土日は早く帰ってきて晩ご飯食べることにするよ。

 

 悩みの原因は言わなかった。僕はやっぱり諦めたくはない。ただ、生まれ持った環境に抗ってやる。僕は馬鹿なので、たまに見失ってしまうだろう。自分がわからなくなって、潰されてしまわないように、適度に休息をとらなければ。

 

 

 放課後、コンビニで買ったピザまんを食べながら歩いている。最後の一口を惜しみながら頬張る。たった130円のとろ〜りチーズのピザまんで幸せになれるから安いもんだ。

 

 温かい食べ物が食道を通ると、胃に到達する真ん中くらいで心もぽかぽかしてくる。ちょっと心に余裕が出来た。

 

 今日は金曜日。塾に行くのはやめにして、古本屋に寄った。そこで110円の本を1冊買った。夏のノスタルジックは好きだけど、暑いのも汗をかいてベタベタするのも嫌いだ。寒さにも慣れてきてちょっと夏が恋しかったから丁度よかった。作者の名前も聞いたことすらないけれど、勉強の合間に読むのが楽しみだな。

 

 受かったら、110円の本を買い漁って半月くらい本だけ読み続ける生活がしたい、思想がぐらつくくらいの読書体験がしたい。楽しみだなと思いながら今日も目を閉じるのでした。明日は6時に起きて駿台の自習室だ。電車で向かいながら英単語帳ではなく小説を開けるのが嬉しいです。

 

 

それでは、おやすみなさい。




【あとがき】


 蛍雪の功って言葉について真面目に書こうとしたら病んできた。蛍を集めて本を読み、雪の明かりで本を読んだ末に成果を得た車胤や孫康は、希望の職種に就いた後に生まれ持った環境に恵まれた者達と肩を並べてどう思ったのでしょうか。
 見た目の秀麗さ、勉学、スポーツ。それがどんな分野であるかに限らなければ、生きてきて挫折とコンプレックスを抱いたことのない人はいないはずです。苦学の末に成功を得るには、そんなことで腐ってはいけない。車胤はきっと、灯油も買えない自分の身の上を恨んだ日もあったでしょう。それでも蛍の明かりで幸せを掴んだのです。嘆いているだけでは何もできませんよね。利用出来るものは利用してやりましょう。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
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