※以下注意点※
・前後編の後編です。前編から読んでね
・かわいそうなナギリさんがちょっとだけ持ち直します
・だれ一人幸せにならない
・死ネタ注意
同小説はpixivにも投稿しています。
ここのところ隠れ家として訪れることが多かったからか、知らず知らずのうちに漫画家の家に足が向かっていたらしい。ぼんやりした頭で、いまさらあのクズに会って何になるのかと考える。立ち去ろうという考えが浮かぶより早く、家の戸が開いた。
「よかったぁー! 辻田さん来てくれて……って、どどどど、どうしたの!? ひどい顔してるよ!?」
現れた男はこちらを見て妙に慌てた様子で、部屋に入るよう促してきた。振り切って逃げようという気力も湧かず、手を引かれるままに家にあがった。
招いた俺をおいて漫画家は台所へ向かい、湯気の立ったお茶とヨーグルトを盆にのせてわたわたと戻ってきた。
「あの……まずはコレでものんで落ち着こう?」
考えるのも面倒で、勧められるままお茶を飲み干して、黙々とヨーグルトを口に運んだ。のどをうるおす温度と、満たされる腹の感覚で気が付いた。そういえば、メシにありついたのはずいぶんと久しぶりのことだ。
用意された食事を平らげてひと息ついたところで、卓の脇でお茶をすすっていた男がおずおずと口を開いた。
「お、落ち着いた?それで、その……なにがあったか、聞いてもいい?ぼくにできることがあれば力になるよ」
お前に話したところでどうにもなるものか。鼻にしわを寄せて相手を見やると、思いがけず芯の強いまなざしとかち合った。いつもはヘラヘラと卑屈な表情を浮かべている顔も、今は静まり返っている。あっけにとられて、しばし時が止まった。
次に聞こえたのは、俺自身の声だった。
「俺は、取り返しのつかないことをした」
言い訳じみた胸の内が、ぽつりぽつりとこぼれていく。
「俺は、アイツを助けてやろうと思っていた。アイツを解放してやろうと思っていたんだ。そうすればアイツは俺と一緒にいられるようになると」
自分の愚かさに乾いた笑いがもれた。“退治人に捕まっていた丸が、今度は使い魔として虐げられている”。今になって思うと、まったく的外れな結論だった。吸血鬼にとって使い魔は使い捨ての道具にすぎないなどと、そんな決めつけをどこで聞いたのだろうか。まず退治人に捕らわれているという状況からして、俺の妄想に過ぎなかったのだ。丸はずっと昔から、主人のもとで幸福に暮らしていた。それがわかったのはなにもかもが手遅れになってからだった。
「なにが、俺が助けてやるだ!笑わせる!アイツは俺の助けなんて必要としていなかった!俺のしたことはただアイツを悲しませただけだった……!」
膨れ上がる悔恨を吐き出しただけの言葉は、何の説明にもなっていなかった。聞かされているほうは、なにを言っているのかまるきりわからなかっただろう。対する男は黙って耳を傾けていた。そしてそれ以上続く言葉がないことを悟ると、静かに口を開いた。
「……辻田さんは、すごく後悔してるんだね」
持っていた湯吞みを卓において、猫背の男は言う。
「辻田さんが何をしたのかぼくにはわからないから、擁護も非難もできないけど……でも、さっき外で見かけたとき辻田さん、本当にひどい顔してたよ。たぶんあれは、後ろめたさで押しつぶされそうで、でもどうしていいかわからなくて、呆然としている顔だったんだ。そんな人を部外者のぼくが責めたってしょうがないと思う」
こちらに向けられた眼鏡の奥の眼は、蛍光灯の明かりを飴色に照り返していた。こいつの瞳はこんな色をしていただろうか。
「だからぼくは辻田さんが何をしたのかは聞かないよ。……あー、事情をよく知りもしないで口をはさむべきじゃないかもしれないけど、その上でお節介が許されるならさ、ぼくから言えることがひとつだけある。その……あんまりあたりまえのことで、それができたら苦労しないって怒られるかもしれないけど」
迂遠な前置きを重ね、一瞬照れくさそうに目を逸らした後、向き直って言葉をつづけた。
「辻田さんはきっと、自分のしたことを謝りたいんじゃないかな?」
話を終えた漫画家は、最後にひとことふたこと励ましの言葉をかけた後、俺を送り出した。今になって思い至ったが、コイツは原稿に行き詰まって表へ出てきたのではないのか。そんな奴が人の心配をしている場合かと思う。
あてもなく歩きながら、漫画家の先ほどの言葉を反芻する。まったく、何もわかっていない立場で勝手なことを言ってくれたものだ。
いちばんに謝りたい存在はもうこの世にはいない。贖罪をしようにも、何をもってしても償える罪ではない。それならばいっそ、誰よりも猛り狂ったあの修羅のまえに姿を現して、謝罪もままならないままに切り捨てられるのが俺に相応しい末路だろうか。
一瞥に弑される覚悟を固めようとして、もう一つの選択肢に思い至る。
ああ、俺の罪はこれだけではなかったな。
もはやなじみとなった、騒々しい気配が近づいてくるのを感じる。俺を最初に探し出すのはコイツだろうと思っていた。
「やや! これは奇遇ですね辻田さん! 本官は今、ある吸血鬼とその使い魔を殺害した凶悪犯を捜索していたところであります!」
暴走警官は俺の姿を認めると、訊いてもいない事件のあらましを語り始めた。
被害者はとある一族の真祖の直系たる高等吸血鬼と、その使い魔である。彼は高等吸血鬼でありながら人々と親しく交流しており、だれかから恨まれるような理由はなかった。またその愛らしい使い魔は街中に親しまれており、市民の中に害そうと考えるものなどいようはずもない。そもそも彼は不死身の吸血鬼で、真に殺しうる手段を知るものは限られていたはずだ、うんぬん、かんぬん。……このことから犯人は通り魔的犯行を行う危険人物であると同時に、偶然出くわした不死の存在を葬り去る知識をもつ、強大な吸血鬼であると推測される。
「この街は吸血鬼がらみの事件は多くとも、その多くはせいぜい愉快犯や畏怖犯罪止まりだったのです! そんな中起こったこの凶悪な事件……考えられる可能性はただ一つ、危険度Aオーバーの恐るべき吸血鬼、あの辻斬りナギリが再びその脅威を現したに違いありません! 辻田さん、どうか捜査にご協力願います!」
行く先々でこの男と出くわしては、正体を悟られないように四苦八苦していたことを思い出す。コイツの直観もなかなか馬鹿にしたものではなかったな。
「ああそうだ。その吸血鬼を殺したのは辻斬りナギリで間違いない」
「やはり辻田さんもそう思われますか! いや、その口ぶり、なにか確信があるご様子!もしや現場を目撃されていたのですか!」
傍迷惑な男は息せききって詰め寄ってくる。こんな暑苦しい思いをするのもこれで最後だ。
「ああ、俺はその場にいた。俺はすべてを知っている」
腹底まで息を吸い込んで、なにもかもを吐き出した。
「その吸血鬼と使い魔——丸と、主人を殺したのは俺だ。俺こそがお前の探していた辻斬りナギリだ」