鬼の子孫
目が覚めたら頭が割れるように痛い。苦しい。色んな情報が一気に頭の中に入って来てぐるぐると回ってる。目の前が真っ暗で何も見えない。試しに手を真っ直ぐ伸ばしたら直ぐ壁か何かに当たった。小さな部屋の中にいるのかな。狭っ苦しいし蒸し暑い。
てかめちゃくちゃ血生臭っ。それが自分の汗の臭いと混ざり合ってて、なんて言うかマジで気持ち悪いんですけど。
「……っつー」
右目に少し痛みが走って瞼が開けられなくなった。やっと暗闇に慣れてきたのに視界が片方遮られるなんて最悪。
──そもそも、何でこんな場所にわたしはいるんだろうか。
「あ……れ?」
何でだろうって考えて数秒後、わたしは思い出した。
過去、いや、前世……。前の
わたしはごく普通の女子大生だった。名前は、何だったかな。
確か何事も無く平々凡々に日々を過ごしていたわたしは、二十歳の誕生日を迎える前日に不慮の事故で世を去った。
未練はあった。平凡なりにそれから先の楽しみな事。片想いの先輩に誘われて約束した夏祭りとか、幼馴染みの友達と旅行に行くとか、家族でキャンプとか。色々、ほんと色々あった。
死んだって実感が湧かないままにフェードアウトすれば、インで眩しい光に包まれて慌てて目を覚ました。口から出た言葉は『おぎゃあ』だ。
そう、わたしは転生した。
母親、父親、四つ上の兄と二つ上の姉。新しいわたしの家族。
産まれた直後は前世の記憶を維持してたけど、自分が赤ん坊だったせいもあってか、半日もしないで忘れてしまってたみたい。
今世での名前は『八重野ナツ』。人里離れた山間にある10軒しかない小さな集落が、
この集落で一番若いナツは八重野家の愛され末っ子でもあり、集落に住む人達みんなのアイドルでもあった。
みんなはナツの事を"ヒメミコさま"とか"ヒメミコちゃん"と称ぶ。別に凄い崇め奉られてるとかじゃなくて、愛称みたいな感じかな。
この愛称には由来がある。……の前に、わたし達や集落のみんなは、とある鬼の末裔である。
いや鬼て。ってなるけど話を進めよう。
"ヒメミコ"と呼ばれ、崇められた存在。そのヒメミコさまがわたし達のご先祖様なのだそうだ。
『ヒメミコさまが歩けば百合の花が咲く』という伝えから、百合の花は今でもとても神聖に扱われてる。で、わたしが生まれた日は集落中に百合の花が大量に咲いたらしく、それが理由で"ヒメミコ"という愛称が付けられたのだそうだ。
幼いわたしはそりゃあもう幼いなりに調子付く。だってみんなからの愛情が半端ない。両親は兄妹に隔たりなく愛情を注いでたけど、わたしには特に、だった。
集落みんなの特別な存在であるという実感が更に強まってきたのは、8歳になったばかりのある日の昼過ぎの事。
「甘いものが食べたい」
食べ盛り。昼ご飯だけじゃ満足出来なかったわたしは、集落の近くにある柿の実を取って食べようと思いついた。いつもは集落の他の子供らや兄か姉と一緒に行くけど、一人での行動の怖さより甘み欲しさが勝った。集落からひとりで向かえば、美味しそうな実を沢山実らせていた大きな柿の木を見つけた。木登りのやり方は兄や姉の見よう見真似だ。よじ登って取ろうとし、手を伸ばしてあと少しというところ。わたしは足を滑らせて地面に頭から落ちて大怪我を負い、直ぐに兄達に発見されるも生死を彷徨った。
明日をも知れぬ状態、息も絶え絶え。もう駄目かと思われたけど、陽が落ちた夜になんと全回復したのである。しかも数秒で。
なんという奇跡──。
「ヒメミコさまのお力じゃ」
集落で一番のお年寄り、キヌ婆が言ってたって聞いた。
ご先祖様であるヒメミコさまは、自身を癒す能力があったそうだ。因みにヒメミコさまの子孫であるわたし達家族を含む集落のみんなは、不思議と普通の人より傷の治りが早いらしい。だからそれ以上に治るのが早いっていうのが凄くて、特におじいちゃんおばあちゃん世代からは『ありがたや〜』みたいな感じで、会う度に一回は拝まれるようになった。
それともう一つ。真冬の頃。兄が庭先で、弱って地面に落ちていた小鳥を保護した時の出来事だ。
怪我が治るまで。という事で兄妹三人で世話をしてたんだけど、餌も全然食べないし一向に良くはならなくて虫の息だった。自身以外で感じた身近な"死"に酷くショックを受けつつもわたしは、子供なりになんとかして助けたいと必死になって、小鳥に与える餌を探す為に雪に埋もれた地面を手で何度も掘った。
夜、やっとの思いで地面から芋虫を見つけて石ですり潰し、擦り傷で血だらけになった手で小さく丸めたそれを小鳥の口元へ運ぶと、小鳥は嫌がって食べてくれない。
「食べて! お願い!」
もう駄目だと兄や姉が止めるも無視し、わたしは諦めずに半ば無理矢理小鳥の口に餌を押し込み、吐き出させないようにクチバシを指で押さえた。
弱ってるのに力でねじ込むように餌を食わせたわたしを、姉は『酷いよ』と涙を流して怒った。そんな姉を前に段々冷静になってくると、『ああ、死んじゃう』わたしは大泣きした。
「小鳥が……!」
兄が驚いた声を上げる。
数秒前まであんなに弱り切っていた小鳥が、何事も無かったかのように体を起こしてチチチと鳴き、開けていた引き戸から外へ元気に飛んで行ってしまったのだ。
家族みんなでその方向を見つめながら唖然としてた。
一体何で。餌を食べて秒で元気になるなんて。
「奇妙な事があるもんだな」
父親がぽつりと言う。
「でもまあ、元気になったんなら良かったよ」
兄の言う通り小鳥が元気になってくれて良かったけど、これでお終い、ってのは何か気持ち悪い。家族みんなが次へと切り替えても、わたしだけはそれを出来ずにいた。
小鳥は何故元気に?
思い当たるのは、わたしが与えた芋虫。いたって普通の芋虫。
それならばと、取り敢えず弱ってそうな鳥や小動物を保護しては、芋虫をすり潰して与えてみる観察。
結果は何も無い。
じゃあ何だろう。わたしは自分の両手を見つめて考えた。
あの時、芋虫を見つけたわたしの手は擦り傷で血が出てた。そんな手で丸めた芋虫ミンチ肉を小鳥に食べさせた。
──これかも。
血、わたしの血。もしかしたらわたしの血のせいなのかもって。だってわたしは、集落の中で誰よりも傷の治りが早い。
確かめたい。でも傷付いてたりとか弱ってる動物なんてそう何度も近くで見つかりはしない。
なかなか確かめる事が出来ないまま三ヶ月。ある日父親がイノシシ狩り中にイノシシに突進され、肋骨や左腕、両脚を折る大怪我を負って帰宅した。
暫くは寝たきり状態の父親の側から泣いて離れなかったわたしは、遂に思いつく。
わたしの血で、お父さん元気になるかな。
そもそもがあまり根拠のない行動だった。だけど父親が元気になってくれたらって、兎に角それだけを思ってやった。
家族がみんな寝静まった夜、わたしは母親の裁縫棚からこっそり和バサミを取り出し、父親の枕元に立つ。折れている痛みから苦しそうに眠る父親は、息をする為に僅かに口を開いていた。
わたしは自分の人差し指の先を和バサミで切り、傷口から流れ出た血を、父親の口の中へと五滴くらい落とす。そして落ちた瞬間に少しだけ口がぱくぱくと動いたのを確認し終えると、その日は父親の隣で眠って朝を待った。
「折れた肋骨が全く痛くない」
朝、母親に身体を半分起こされた父親が、出された薬草茶を飲む前に言った。
まさか。本当に?
わたしの血が効いたのだろうか。
いや、まだわからない。
わたしはまた夜に同じ事をした。今度は数滴、量を多めにして。
すると翌朝、父親は左腕を回しながら庭先で屈伸運動したり逆立ちをしてた。訪ねて来た山の下の医者がめちゃくちゃ驚きながら『全回復されてます』って言った時、わたしは号泣しながら父親に抱き付いた。
だってだって、これでわたしの血が効いたんだってわかったから。
だから嬉しくて家族に告げたのだ。
「わたしの血でお父さんが元気になったの」
和バサミを勝手に持ち出したりした事や、実験みたいにして父親に血を飲ませた事を叱るでもなく、聞いて母親の表情がどことなく憂いでいた気がする。
「お前はヒメミコさまの生まれ変わりに違いない」
父親が嬉しそうにわたしを抱き締め、母親は天を向いて手を合わせた。
何故生まれ変わりと言われたのか。ヒメミコさまはある能力を持っていた。それは自分を癒せるだけじゃなく、自身の血を与えて人を癒していたらしい。
この話は直ぐに集落内に広まり、前回の出来事も相まってか、わたしへの特別感は凄みを増していった。
奇跡の血。自分自身を癒して治す早さ。人に対しては、怪我による傷等や重い病気も治せて元気100倍。
えへ、わたしって凄いんだ。もう無敵かもってな感じで驕りかけてた。でもそこまでいけなかった。それには理由がある。
わたしのこの奇跡の血は、夜の間だけしか効果がない。まあ夜の間に治せれば大丈夫だし、途中になっても、怪我の状態によっては日中置いて夜に血を飲ませれば回復させる事は可能。ただし、欠損してる体の一部(腕とか指とか)を新しく再生させたりってのは無理。
欠損に関してわかったのは、三軒隣に住んでる通茂おじさんに頼まれてやってみた結果だ。
後、これは注意しなきゃいけない事。傷や病気、それらを治癒させるのに重症であればあるほど、わたしは血を多く出さねばならない。いくら自身を治せる能力が高いとはいえ、その夜の間でも連続で多量に血を流し続ければ、当たり前だけど死に繋がる。
ヒメミコさまは夜だけなんて制限は無いって云われだから無敵だったんだろうね。でも所詮わたしは末裔。凄い能力ではあるんだけど、ヒメミコさまと比べたら驕るまでいっちゃいけないレベル。
だけどこんなんでも集落のみんなにちやほやされて、それなりに調子づいたり我儘になったりもした。
「ナツ、お前の
ある日母親が、家の裏にわたしを呼んで諌めるように言った。
「いずれその能力を外の人に使う時が来るかもしれない。その時助けられる命が直ぐ側にあるのなら、迷ったりしちゃ駄目。だけどお前はヒメミコさまとは違う。お前にも限度があるんだから。自分を犠牲にだけはしないでおくれ。お父さん達は喜んでるけど、あたしはね、お前のこの先が心配だよ」
母親はわたしをぎゅっと抱き締める。子供ながらに少しだけは理解したんだけど、母親の言葉を聞いてあまり深くは考えなかった。自分を犠牲にしてまでって思いも、多分、集落の外へ自分が出るって考えがそもそもなかったのかも。
ずっとずっと、この集落でみんなと暮らしていくんだって気持ちが強かったんだ。
とまあ、今世での自分と前世の記憶が融合しちゃってる今現在。思考は前世寄りに支配されてる状態だからか、21世紀の常識で物事を考えちゃうね。例えば今着てる服とか。何で着物なんだろ。いくら山にある集落でも電気もガスも無いし田舎過ぎる。ていうか昔過ぎる。何時代なんだよ。
あ、待って。そんな呑気な事考えてる場合じゃない。
直ぐ我に返る。
今の状況をちゃんと把握しなきゃいけなかった。
わたしは、一体何をどうしてこうなってるんだろうか。
思い出せ、思い出せ。
そうだ。
プチパニック状態の中でやっと冷静を取り戻せたら、飛んでた記憶が段々と蘇ってきた。
確かわたしは、13歳になったんだった。
この集落では13歳になるのは成人になる事と同じくらい大事で特別な事だって父親が言ってた。
でも別に堅苦しい成人式みたいなのはやらない。12歳の最後の晩に集会所でみんなで集まり、一番の年長者から注がれた濁酒を一杯飲むだけって儀式。で、わたしはキヌ婆に注いでもらって飲んだ。今まで兄や姉、集落の年上の子供達の儀式の様子をつまんなく見るだけだったんだけど、いざ自分の番になったら『遂に自分もかー』って、内心ドキワク。ま、ただの濁酒なんだけど、酔う。強。
「さあ、飲んだら早く寝ろ」
兄が笑みを浮かべながらわたしの頭を撫でた。飲み終わったら即解散ってなって、終始笑顔だった集落のみんなに見送られてわたしと家族は家に帰る。
「おやすみなさい」
敷かれた布団の上に寝そべりながら、13歳になったら何かあるのかなぁってふわふわした感じでわたしは眠りについた。
で、夢を見た。
真っ暗闇の中でわたしひとり。暗くて何も見えないけど、何故か百合の花の匂いが物凄くした。
『お前が"ナツ"か?』
背後から鈴を転がすような声がして振り向いたら、平安時代のお姫様の様な服装をした、この世のものとは思えない位、めちゃくちゃ美少女が後ろに立ってた。真っ暗だったのにその美少女だけは光を当てたってくらい鮮明に見える。あまりの美少女度に唖然としてたわたしは声が出せなくて、答える代わりに頷いてみた。
誰なんだろこの子。
目の前の美少女をよく見たら、なんか眼の色が紅いし瞳孔が鰐っぽくて人間じゃなく思えた。で、静かに微笑んでわたしの手を取る。
瞬間、誰かの記憶がわたしの中に流れ込んで来た。
いつの時代かわからないけど物凄く昔。天女の姿をした、紅い眼に鋭い歯の──鬼、の女の周りには子供が沢山いて、女はその中で末娘を一番大事にしてた。ザクロの花が女と娘を包む様に咲いてる。で、場面が切り替わるとその娘が大きくなってた。歳は推定3才くらい。あの鬼の女はもう、側にいない。
娘は人間の貴族に引き取られるけど、紅い両眼を気味悪く思われ、死にかけの動物や虫に自分の血を与えている姿を養父が見てしまったりして、『鬼の子め』って蔑まれながらろくに食事も与えられずに、やがて山に捨てられた。
山に捨てられた娘は、とある廃れた神社の軒下で身を寄せる老夫婦と出会い、その老夫婦と共に暮らした。老夫婦は娘を実の娘のように育て、眼の色や生き物に血を与える姿に嫌悪しなかった。
でも一つだけ気になった事を老夫婦は娘に問う。『何故弱った生き物に血を与えるのか』って。娘は言った『"生きたい"と言うのでわたくしの血を与えました』と。
娘の血は何か特別なのか。ある日、傷だらけの小鼠が血を飲んで元気になっていく様を見て驚いた老夫婦は思いつく。
近くの村の住人に怪我を負っている人を探し、その人に娘の血を与えてみた。結果、効果があった。娘の血は人間にも効いたのだ。老夫婦は何度かそれを試し、治った人は大喜びで村に戻る。それを繰り返すうち、娘の能力の噂は口コミで瞬く間に広まっていった。
数年後、娘はわたしの年齢くらいに成長してた。足下には大量の百合の花。ていうか成長した娘をよく見たら、わたしの目の前に立つ美少女と同じ顔だった。
──ん?
一時停止ボタンを押されたみたいに記憶が止まった。そして流石にわかってしまった。目の前の美少女が誰なのかを。だって昔話みたいに聞かされてたんだもん、ヒメミコさまのお話。
この美少女はヒメミコさまなのかな?
目の前の美少女がヒメミコさまなら、あの鬼の女の娘である彼女は『鬼の子』。じゃあわたし達はマジで鬼の末裔って事だ。
へえ、凄いや。ってなる。実感はあまりない。鬼、のね。
ていうか何なのだろうかこの夢は。そういえば兄や姉が13歳になって迎えた朝は、何か妙に辛そうだったわ。前世の記憶持った状態なら『ああ、二日酔いか』ってなるけど。
『わたくしはこれからも』
美少女は言う。
『ずっと、ずっとお前たちの傍に』
美少女がわたしを包む様に抱き締める。したらなんかめちゃくちゃ心の中が温かくなって、自然に涙が流れ出た。
『ナツ』
瞼を閉じてたら美少女がわたしの名前を呼んだので開いてみたら、目の前の美少女の服装が十二単から庶民の格好に変わってて、しかも成長して美女になってた。
『起きて、ナツ。今直ぐに』
優しい微笑みから一変した美女の険しい表情に驚いたわたしは、がばりと布団から飛び起きる。
「……あれ?」
夢から覚めたばかりで頭がはっきりしてないんだけど、まだ外が夜で部屋の中が真っ暗だってのは直ぐに理解出来た。
変な夢だったな。って、隣に寝てる筈の姉に目を向けると、姉の姿がどこにも無い。しかも何やら外が騒がしい。──いや、これは騒がしいってレベルじゃない。
恐怖による悲鳴、凄まじい断末魔。猟銃の音も何度もする。耳にしたら恐怖のせいで身体が一瞬にして固まった。
何、恐い。恐過ぎる。お父さん、お母さん、兄ちゃん、姉ちゃん。
すると、寝室の襖を勢い良く誰かが開けてわたしは驚いた。
「ひいぃ!!」
「ナツ!」
兄と母だ。わたしは母に抱き締められる。と同時、鉄臭い臭いが鼻についた。血だ。これは血の臭いだ。母は血に濡れてた。
「お、お母さん、何で血が……」
「ゆりが、ゆりが……!」
姉ちゃんが、何よ。先を知りたくない。心臓の音が激しく伝わる。母は物凄く震えてた。
「ゆりが厠に外へ出たんだ。したら悲鳴が上がって父さんが外へ走ってった」
兄が震える唇で説明してくれた。父は血だらけでぐったりとした姉を抱えながら戻り、『戸締りして隠れてろ』と言ってまた外へ出て行ってしまったのだそうだ。
「ね、……姉ちゃんは?」
「死んだ」
兄が代わりに答え、母は声を殺して泣き出した。
嘘だ。そんな。
姉は誰にやられたのか。外へ出た父はどうなったのか。ずっと聞こえてくる悲鳴から、誰かがこの集落のみんなを襲ってるのだろう。一体、何で。
「ナツ、お前はこの部屋の押入れに隠れてなさい」
「え、何で? お母さんと兄ちゃんは?」
「大丈夫、あたし達は居間で大丈夫だから」
わたしを安心させる為、母が精一杯の笑顔で言う。
「お父さん戻って来るかもしれないから、ね?」
兄を見れば、兄もまた、震えそうな自分を抑えながらなんとか笑みをわたしに見せてくれた。
わたしはただただ恐ろしくて堪らなくて、母に言われるままに押し入れの中に入る。
「ナツ、何が聴こえても声を出したり、押入れから出ちゃ駄目だからね。朝になるまで待ってなさい。わかった?」
大丈夫。母はまた、わたしを強く抱き締める。
「お前は、ヒメミコさまがきっと守ってくれるから」
押入れの引き戸を閉められる前、最後に母が言った。
完全に締め切られた空間でひとり、わたしは体を丸めながら待った。外から聞こえていた猟銃の音はもうしなくなって、やがて家の玄関の扉が壊れる大きな音がした。
お母さん、兄ちゃん。
兄の怒号、次に獣のような唸り声して『ギャッ』と捻った声。母の悲鳴、家具やら戸やらがぶち壊れる音が居間の方から聞こえてきた。
「やめてえええぇぇああああ!」
絶叫。わたしは耳を両手で塞いだ。
お母さん、兄ちゃん!
恐い、恐い、恐い、嫌だ、嫌だ、嫌だ。目眩がした。頭が痛くてたまらない。
あ──、ヤバい。
で、冒頭に戻るんだけど。
こんな悪夢みたいなところで前世の記憶思い出すとかマジで最悪だ。
右目はもう痛くないし視界も良好だけど、そんな事よりも恐怖増し。一体全体何。押し入れの外はやけに静かでそれが物凄く恐い。
朝になるまで待てって言われてた。でも、それはそれでじっとしてるのも恐い。勘だけど、おとなしく待っててギリギリでバレてやられるか、出て見つかってやられるかだと思うんだ。じゃあどうすんのって感じだし、恐いのが勝ってるけど、お母さんや兄ちゃんの様子が気になって仕方ない。
神様仏様ヒメミコさま。どうかみんな無事でありますように。
気休めみたいな願いだ。だけどそうでも願ってなきゃ心配と不安で頭がおかしくなりそうだったから。
大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせながら、わたしは小さく深呼吸して押入れの内側から引き戸を少し開けて見る。やはりというか、隙間からだし、慣れてきてても暗いからはっきりと見えない。ならもう少しって約10センチくらい開けた。当たり前に寝室だ。何もない事は無く、敷かれた布団の上に寝室と居間を仕切る襖が全部倒れてるのがわかった。
音……は、しない。これが前世でよく見てたホラー映画ならさ、序盤で直ぐ死んじゃうモブの行動よな。なんてちょっと想像してまた恐くなってきた。
ゆっくり、ゆっくり出れば良い。わたしはテレビから出て来た某幽霊のように押入れから這い出た。
家の中は暗い。しかもこの集落は電気が無いしライトも無い。灯りったらロウソク使用しかない。あ、でも月明かりが差してる。
音を立てないようにして隅を歩き、倒れている襖を避けて居間に入ろうとした。が──、強烈な臭いに思わずわたしは鼻を手で覆った。
血の臭いだけじゃない。酸っぱいような蒸れた様な、嗅いだことのない何か。臭いの元は何だ。月明かりに照らされた部分、倒れた襖や家具、壁には血飛沫。踏み入れた足がぬちゃりとした。それも血だった。大量の。
お母さん、兄ちゃん、姉ちゃん。
居間には誰もいない。てかこの家には人の気配すらも無い。暗闇に慣れてきた視界には酷い有様が広がってる。月明かりが差してたのは、閉められてたであろう筈の廊下の引き戸が壊されてて、そこから光が入ってた。それ見てわたしの脚は生まれたての小鹿みたいに震え出した。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。心臓が口から出そうだし、胃液が上がってきて吐きそう。
何か、何か武器になるものないか。別に戦いたいわけじゃなく、護身用としての武器探しだ。つま先で床を歩いてると足の指に何かが当たってビビる。それを手にして見たら包丁だった。
ええい、これで良いか。良くないけど。わたしはその包丁を持ち、ガタガタと震えながら外の様子を伺う事にした。
外も静か。鳥の声はしないけど、鈴虫っぽいのは聴こえる。数十メートル離れた隣りに住む、九郎じっちゃんとシノばっちゃんの家から灯りが見えた。ダッシュでなら行ける。わたしは裸足で走った。
じっちゃん、ばっちゃん。開け放たれた玄関に疑問を感じないままスタイリッシュ訪問。絶対いるだろうと思って台所から居間に派手にスライディングしたと同時だった。
ランプの灯りに照らされた、大きな口をした人間の男みたいな奴。姿は人間みたいなんだけど、あきらか人間じゃない。だって多分、じっちゃんばっちゃんの脚がそいつの口の中へバリボリと、まるでスティック状のお菓子の如く食べられていく様をわたしは見てしまった。
絶対人間じゃない。そいつはギザギザの歯で下品にバリクチャと音を立てながら爬虫類みたいな眼をこっちに向けて言った。
「み、タ、な」
「っひ、ヒイィ!」
わたしは全力で駆け出した。うひぃ、体が重い。
なんなんだよ、あれ。化け物だよね。え、無理無理。マジ無理。てか夢なのかなこれ。ねえ、悪夢過ぎだろ。
じっちゃんばっちゃん家から出た直後、わたしは髪の毛を背後から鷲掴まれたらしく、一瞬で身体が地面から5センチ程浮いた。
「ナァんだ。まだいタんだァ」
某実を食べてゴムったんじゃないかってぐらいそいつの腕が長く伸びてる。わたしはそいつと向き合うように更に高く持ち上げられた。ガチめに痛い。腰まであった長い髪の先を掴み上げられてるから、マジ頭皮もげるってぐらい痛い。
「口直しに決定〜」
下品な口元だ。涎とか血とかで汚れまくってるし。って、冷静になってる場合じゃない。このままじゃわたしはこの人間みたいな化け物に殺されてしまう。
「お前、こノ集落の人間で一番美味そうなニオイがする。アア、とてつもなく美味そうダァ。きっと稀血に違いない」
化け物は口を大きく開けようとしている。
殺される。嫌だ。わたしは頭皮の痛みよりも迫り来る自分の死に恐怖した。そして震える唇を噛み締め、まだ手にしていた包丁を頭上に振り上げた。
「グエ」
化け物が呻く。包丁で化け物を切り付けたんじゃなく、わたしは自分の掴まれていた髪の半分くらいのところを包丁で切ったのだ。だから化け物が掴んでる手から逃れられて、且つ、地面に落ちる際に化け物の眼を足で蹴り上げてやった。
逃げよう。わたしは怯んだ隙にまた駆け出した。
「このガキぃ!」
化け物は直ぐに追って来た。しかも速い。子供の走る速度なんてあっという間に追い付かれてしまう。
「あ!」
背中に物凄く熱い何かを感じ、次に痛みが訪れた。どうやら鋭い何かで深く引っ掻かれたようだ。わたしはその衝撃で地面に前のめりに倒れる。
「キヒヒ、美味え! ちょびっとの血でも美味え」
化け物は長く鋭い爪をペロリと舐めると、逃すまいと馬乗りになってわたしの首を掴んだ。
「っぐう」
「きっと稀血、オ前を喰ったら俺ハもっと強くナれる!」
さっきから『マレチ』って言ってるけど、『マレチ』って何なの。
恐いとビビりつつもわたしは、この化け物の言ってる『マレチ』の意味が気になってしまった。何かどこかで聞き覚えがあったからだと思う。
てか──、
「い、やだ! し、にた、く、ない!」
わたしは暴れた。恐いから本来ならガクブルっちゃって諦めモードになるかもしれんけど、諦めたら終わりていうか、こんなところで、しかも転生したばかりなのにもう死んじゃうとか嫌過ぎる。ああ、これはもしかしたら酒飲んだせいの悪夢かも……。いや、でもさ、夢ならリアル過ぎんか。
「動くナ! お前なんか、こうダ!」
化け物は大きく吠えるようにわたしと目を合わせた。
ズキリ、右目が鈍く痛む。
「──あ? なんデ?」
化け物が唖然とわたしを見つめ、首を掴む手の力を緩める。
「あれ? ナんできかねーんだ? それに、なンでお前、目が……っゔ!」
突然、化け物が吐き気を催してわたしから慌てて離れた。
今だ。逃げるチャンスだ。そして再び駆け走る。
「クそおおお! 待てええエ!!」
吐き気が治った化け物が追って来る。逃げなきゃ、何処へ。助けて。助けて。わたしがどんなに叫んでも誰も出て来ない。集落のみんなは、両親、兄は、姉は、みんな、みんな現れてくれない。
必死に走って辿り着いたのは、わたしが落ちた柿の木の下だった。登るのは落ちて以来かも。でも、逃げ場所が何で木の上かなんて気にしてる暇も無く木に登る。
「喰ってやル! お前は稀血なんだ! 喰わないとダめなんだ!」
伸びた腕を使って化け物が木に登って来た。
「誰かあ!」
助けなんて来ないのに。もしかしたらもう、みんなこの化け物に。そう思ったら凄い悲しくなった。辛い、苦しい、恐い、でも、わたしは死にたくない。
前世でも未練残したのに、繰り返すのか。嫌だ。まだ何にもしてない。これからなのに。
「キヒっ、キヒヒ!」
化け物がわたしの左腕を掴んだ。
「うわあああ!!」
わたしは叫び、視界に入っていた木の枝の丁度良い部分をむしり折ると、折れた側の尖った方を化け物の首へ刺した。最後の足掻きみたいだけど。
「オイ、そんなもんでヤれると思ったのか?」
化け物は余裕気に首に刺さった枝を引っこ抜き、わたしの顔以上の大きな口を開けた。
おわた、おわた。今世早くも終了。
お父さん、お母さん、兄ちゃん、姉ちゃん、みんな。
目を閉じた。恐いから。絶対痛いだろうなとか色々考えた。
「っぐギャッ!」
何か捻り潰されたみたいな声がして、ビシャって顔面に生温かい、想像もしたくない水っぽいのがかかった。そうだあれ、前世で遊んだあれ。水風船投げ合って顔面で受けたみたいな衝撃。
目を開けて見たら化け物は消えてて、代わりに着ていたであろう着物だけが下の枝にぶら下がってた。
「……は?」
マジで謎。てか、木の枝で倒せたんじゃないのもしかして。唖然茫然。わたしは暫く木にしがみついたまま動けなかった。
少し経ったと思う。時間の感覚が無いけど、空が少し明るくなった気がする。いつの間にか体の震えは止まってて、わたしは柿の木からずるずると降りて集落まで歩いて戻った。
集落は真っ暗でとても静かだった。
姉ちゃんが嫁に行きたいってきゃあきゃあ言ってた隆史兄家、ぶっさん家、美味しい干し柿くれる美寿婆、鉄兄や悠男兄ん家、来年男の子が産まれる予定のめごっち夫婦、兄ちゃんと仲良い絢ちゃん家、みんなの家に行ってみたけど、中が酷く荒れてたり血だらけだったりだけで誰もいなかった。
わたし以外、誰も。
自分の家に戻る途中に血に染まったお父さんの手拭いが落ちてて拾った。家に着いてみんなを呼んだけど、やっぱり誰もいない。ふらふらとした足取りでお母さんが好きな縁側にわたしは腰を下ろした。
あの化け物、みんな喰べたの?
みんな、みんな?
ナツは泣き虫だ。だけどどうしてだか今は涙が出なかった。怒り、悲しみはあるけれど、突然みんないなくなってしまったせいで実感がわかない。どっからか急に現れて『ドッキリでした!』って出てきてくれないかなって待ってたけど、いつまで経っても出てきてはくれなかった。
どうしたらいいんだろ、これから。
放心状態でぼうっとしてれば、段々と朝日が差してきた。そして周りがざわざわと人の気配に包まれる。一瞬、集落のみんなや家族かと思ったけど違った。
「家の中に潜んでるかもしれない、確認しろ」
「はい!」
黒い詰襟をした数名が集落に現れた。中には目元だけ出した黒子装束も混じってる。
「どの家の中にもいません!」
「朝日に当たりでもしたか? なら生きてる者、怪我人を探せ」
知らない人達は忙しそうに集落の中を歩き、やがて縁側に座るわたしに気づいた。
「生存者がいたぞ!」
黒子装束をした人がわたしの目の前にやって来て、わたしの怪我を確認し始める。女の人っぽかった。
「あなた、ひとり?」
「……化け物に、みんな」
わたしが俯けば、状況を察したらしい黒子装束の女の人がわたしの肩を優しく撫でて、『化け物は何処に?』と訊く。
「木の枝で首を刺したら消えた」わたしの返しだ。
「消えた……? それって死んだって事?」
まあ、刺したら消えるなんておかしい返しよな。でも倒せたって勝手に思い込んでたけど違うのかなって思ってたら、黒子装束の女の人は『日光に当たるかにちりんとうじゃなきゃ殺せないのに』って独り言みたいな呟きが耳に入ってきた。
──は? 今なんて?
わたしは顔を上げた。絶対聞き間違いじゃない。"にちりんとう"って言った。『にちりんとうじゃなきゃ殺せない』。もしや"にちりんとう"って、日輪刀なのかな。いやいやいや、んなわけない。
「もしかしたら気が動転してるのかもしれないわね、ちょっと待ってて」
黒子装束の女の人は、わたしに背を向けて黒子装束じゃない人の所へ走って行った。
"隠"
その背中に隠という字がどデカくあって、わたしは二度見した。
「……え?」
頭から冷水を浴びさせられたみたいに一瞬で身体が冷えた。嫌な予感だ。そんな、そんな嘘だ。こんなの悪夢に違いない。目眩がした。
"隠"ときたならさ、黒子装束以外は──。
わたしの意識はそこで吹っ飛んだ。
どうか、どうか今までの全部が夢でありますように。