なんだかんだで日々は過ぎてく。
全く出来なかった水汲みも山下りも出来るようになって、火さえ付けれなかったのに料理も当たり前に出来るようになってた。
「お師匠様、どうでしょう?」
そよ婆の事を表では"お師匠様"って言ってる。『そよ婆』なんて呼んだら絶対げんこつ飛んで来そうだもの。──あ、実際来たわ。一回間違えて呼んだらでっかいグー来た来た。
で、本日も本日とて水の呼吸の型を見てもらい、無駄な動きなんかを指摘され待ちだ。
「流流舞いの足はこう向いてなきゃ駄目だって言った筈だろ? アタシのはこう。お前のはこうなってる!」
「え、ああ、はい!」
『参ノ型 流流舞い』である。わたしはこの、流れる水のような足さばきってのが苦手で、(っつーてもどれも大得意って威張れはしない。)何度目かの同じ指摘を受けてます。だから後数回怒られてきっとグーパン飛んで来るでしょう。
そうそうこの前さ、『陸ノ型 ねじれ渦』ってのを身体で覚えさせるってので、近くの滝壺に連れてかれてずっと水の中で修練してた時は正気を疑ったね。夏でも寒いしつれーわです。呼吸だけならなんとか出来てるみたいだからって調子乗ったらこのザマ。
うわっ……。わたしってば水の呼吸の型覚えんの無理過ぎ?
理想だともっと早く天才的に使いこなせる筈なんだけどな。
はあ、そんなに上手くいくわけないかー。
で、追体験夢はというと、暫く同じようなのばかりだ。爺婆の嫌な姿にいい加減うんざりする中、ヒメミコさまの能力が本当に凄いってわかってきた。
同じように欠損した部分を新たに再生させる事は無理だったけど、出来立てホヤホヤの外れた部分があれば、血を飲ませて直ぐにそれを付けて元に戻したりしてたし、重症度の高さによって血を多く飲ませなきゃいけないわたしと違って、ヒメミコさまは盃一杯だけで良い。
んである日。またいつものやつかと思って見た追体験夢は、何か違うのだった。
ヒメミコさまは知らない道を歩いてひたすらに歩いてた。山越え谷越え。しかも裸足で。勿論アスファルトじゃない。足は土とか血が渇いた赤錆みたいなので汚れてたと思う。
何かから逃げてるわけじゃないけど、目的も無いままに歩いてるって感じがした。何となく爺婆どうなったんだろって思ってたら蝉時雨。小さな柿の木の側で立ち止まってたら、背負い籠した同い年くらいの少年と山の中で出会った。
ふむふむ──で?
って思ってたら何か時流れてて、ちょっと大きくなった柿の木の下に二人。少年だった男の子が大人になってた。その人は柔らかく太陽みたいな笑顔する人で、ヒメミコさまはそんな彼を見つめてホワホワとした温かい気持ちになってた。
んー、これはこれはもしかしてもしかする?
なーんてニヤニヤしながら続き楽しみにしてたら終わった。
それから暫く追体験夢は見なかった。
何だよー。続き見たいんだが?
課せられ修練が身体に染み付いた頃、わたしが用意した夕ご飯を食しながらそよ婆が言った。
「ナツ、お前此処に来て何年経った?」
「へ? 何年、ですか? えーと、もう直ぐ16歳になるんで三年くらいです」
はい、あっという間〜。いやぁびっくりびっくり。月日ははえーです。
「このひと月のうち、お前の実力次第で最終選別へ行く事になる」
「さ、最終選別……」
キター。最終選別だ。いつかは行くんだろうなって軽く思ってたけど、遂にかぁ。
そよ婆が丁寧に最終選別の説明してくれたんだけど、なんだか上の空になった。だってさ、怖いな、ヤダなって思ったから。あの金髪の……、ぜんなんとかくんが確か物凄く絶望してたよね。わかるようん。その気持ち。
その日は久しぶりに長い追体験夢見た。
柿の木の下でヒメミコさまが立ってる。なんかお腹重たいなぁって足下見ようとしたら大きなお腹で見えなかった。
えっ、ヒメミコさま赤ちゃんいるんだけど。相手は誰よ。ってなってたら来た。あの少年だ。いやぁ、おめでとうございます。
二人は柿の木の近くの家で慎ましく暮らしてて、とっても幸せそうだった。だけど、周辺にある集落からは孤立してるっぽい。みんなヒメミコさまの眼を気味悪く思ってるみたいね。でも二人は関係なさそう。
イイネ。ヒメミコさまのホワホワ感めちゃくちゃ伝わった。でもさ、なんかこう気になるのはさ、ヒメミコさまの夫になった元少年の事。彼は集落の出だ。孤立していく彼の様子をヒメミコさまは心配してるのかな。
場面変わってなんか不穏感。集落で流行病が蔓延して何人もが亡くなってた。死に至る、治療も無い病。それで彼の幼い妹が死んで、彼が物凄く悲しんだ。ヒメミコさまは彼を優しく抱き締めて慰める。
そんな中ヒメミコさまは産気づいて赤ちゃんを産んだ。追体験夢でヒメミコさまとリンクしたわたしも物凄く苦しくて、夢の中で死んじゃうんじゃないかってぐらい辛くて、ヒメミコさまと一緒に叫んだ。だから生まれた時、ガチで自分も出産したみたいな感情になってマジで嬉しかった。元気な産声上げる赤ちゃんを、ヒメミコさまは本当に愛おしく思って泣いてた。ここまで見てきてやっとわかったのは、ヒメミコさまって人間みたいにちゃんと感情があるってこと。失礼ながら無いんじゃないかって勝手に思い込んでたのは本当にすみませんでした。
場面変わり、出産のせいで出血の量が半端なかったヒメミコさまが物凄く弱って横になってたら、夫の彼が外で声を殺して泣いてるのが戸の隙間から見えた。遂に集落の全員が流行り病に倒れ、死にかけてる。彼はヒメミコさまと生まれたばかりの赤ちゃんの為に集落には近付かないようにしてた。だから最期に会う事も出来ない。
ヒメミコさまは弱りきった身体を起こし、赤ちゃんに優しく触れて名残惜しそうにひとり歩いた。一歩一歩と歩く度に百合の花が咲いて、その度に全身が辛く感じた。行き先は集落だ。ヒメミコさま何する気なの。わたしは嫌な予感がした。
集落は病によって起き上がる事も出来ない人が家々にいて、戻る体力も無く道端で倒れてる人もいた。みんな、疱瘡だらけで虚に息絶え絶えだった。
『生きたいか?』
畑の側で仰向けに倒れている男に近寄りヒメミコさまが問う。虚な眼差しだけがこっちを見た。ヒメミコさまは自分で手首を噛みちぎり、流れ出た血を男の口へと注ぐように入れた。このやり取りはまた別の人にもしていて、次もその次も続けてった。そして集落全員に自分の血を与え終えた。
はあ、はあ、はあ。
息が苦しい。身体が痛い。ヒメミコさまはふらつきながら戻る。彼と赤ちゃんの元へ。視界が霞む。……限界だ。不思議とわかる。そんな、ヒメミコさま。お母さんが『ヒメミコさまはとは違う』って言ってたけどさ、いくらヒメミコさまだって出産したばかりなのに更にたくさん血を出してんだよ。
柿の木が見えた時、彼が赤ちゃんを抱っこしながら慌てて駆け寄る。ヒメミコさまは手を伸ばして力尽くように足がもつれて地面に倒れた。もう自分を回復させる力も無いんだ。だから噛みちぎった傷口は塞がらなくて血がずっと流れ出てた。
『わたくしはこれからも、ずっと、ずっとお前たちの傍に──』
地面に横たわって彼に抱かれて眠る赤ちゃんを見つめるヒメミコさまの視界は、涙で滲ませながら静かに闇へとフェードアウトした。
「うわああぁん!」
わたしは大泣きして飛び起きた。
そんな、聞いてないよヒメミコさまが自己犠牲で死んじゃうなんてさあ。
「うっ、うぇ、ううっ、ヒメミコ、さまぁ」
悲し過ぎて涙が止まらない。みんな何で教えてくれなかったんだろ。
てかいつもなら絶対そよ婆が『うるさい』って怒りに来るんだけど、今回に限ってはマジ空気読んだみたいに何も言って来なかった。うん、今は何も怒られたく無い気分だから助かる。
ああ、ヒメミコさま。あの最期で本当に良かったんだろうか。大事な人や赤ちゃん置いて命捨てて人助けなんて。わたしには分からないよ。
ご先祖さまであろうヒメミコさまの最期にショックを受けたわたしは、夜明けまでもう一度寝てやろうとメソメソしながら質素な布団に包まった。
平六は父親と二人で暮らしていた。決して裕福ではないが、それでも男二人で暮らしていくには充分だった。
母親は平六を産んで直ぐに死んだという。
死んだ理由を知ったのは10の秋。少し離れた集落に住む祖母が教えてくれたのである。
「お前の母さまはこの集落の皆を救うてくれた」
まるで神さまの様なお人だよ。無い墓の代わりに天に向けて手を合わせながら祖母は言う。時々平六が集落を訪れると、皆は平六をありがたるかの様に声をかけて来た。
ヒメミコさま、ヒメミコさま。ありがたやありがたや。
平六の母親を悪く言うものは誰一人としてない。
誇らしくないわけではないが、平六は複雑だった。
「何が’"ヒメミコさま"だ」
猟から帰った父親が憤慨している。父親は自分の両親や兄弟がいるというのに、決して集落に近づこうとしなかった。
「オトウ、何で集落の皆んなを避ける? 婆さまも助おじも皆んなオレたちを歓迎してるぞ」
「今更歓迎なんてなぁ!」
父親は頑なだった。平六の知らない父母と、集落の間での過去が理由なのだ。
「じゃあオカアは何で助けたんだ? 助けなきゃ今も生きてるのか?」
その問いかけに父親は一瞬で顔を曇らせ、背を向けながら静かに言う。
「……平六、お前は良いんだ。俺なんか気にせず、集落へ行って婆たちに可愛がってもらったらいい」
母親との思い出を父親は一切語らない。語りたくないのだろう。けれども平六は知りたかった。母親の事を。
寂しい。集落で泣いて母に縋る子を見る度、平六は羨ましがった。
オカアは何でオレたちを置いて、何で、何で──。
13になった夏、平六は不思議な夢を見た。真っ暗な闇の中で一人佇む少女を。年の頃は自分と変わりない。そして少女は、平六と同じ紅い眼をしている。
誰だと思っていたら、少女は平六に気付いて近寄って来た。
「会いたかった。わたくしの愛しい子……」
突然少女に抱きすくめられて平六は驚いたが、瞬間、今まで知らなかった温かいものを感じて涙が溢れ出た。間違いない。少女は母親だ。
「お、オカア?」
問うたと同時、一瞬の記憶が平六の中へと入り込んで来る。母親の記憶だ。
母親が何者で、どうやって生きて、どうやって父親と出会ったか。母親の眼を薄気味悪く思い、村八分にした集落から孤立しても幸せに暮らす二人の姿。恐ろしい流行り病の中で葛藤に悲しむ父親と、出産に苦しむ母親。遂に訪れた母親の最期。
「オカア、オカアよ! 何で助けた? そのせいでオカアは死んだ!」
オレたち三人だけでも良かった筈だ。平六はしゃくり上げて泣いた。
少女の姿だった母親は、平六を産んだ時の姿で抱き締める。
「泣かないで愛しい子。わたくしはあの者たちを救うた事、決して悔いては無い。見放せばあの人は親や兄弟を失ってしまう。だからわたくしはどうしてもあの人の大切な者たちを救うてやりたかった! 気まぐれにでなく、卑しくも金銭の為にでなく、愛しい人の為に」
「でもオレはぁ、そのせいでオカアを失った……」
「許せ、許せ平六……っ」
平六の両頬を両手で包み、母親は涙を流した。
「唯一の後悔は、お前やあの人を置いて逝ってしまった事。だが愛しい子よ、案ずるな。わたくしはこれからもずっとお前たちの傍にいる。永遠に」
母親は流れ出る涙を拭う事なく、美しく微笑んだ。
「あの人に伝えてくれ。『柿の木の下でわたくしは待つ』と」
平六は頷く。もう直ぐこの夢からの別れが近い予感がした。
「オカア、また会える?」
「会える。必ずまた会おうぞ」
夢から覚めた時、平六は大泣きした。その時飛び起きた父親に理由を聞かれたが、平六はどうしても言い出せなかった。夢だからって信じてはくれないと思ったからだ。
以来母親と会える夢を見る事は無かったが、不思議と傍にいるような気がしていた。
18になって平六は、集落に住む喜代という娘と夫婦になり、父親の強い勧めで集落へと移り住んだ。父親は相変わらず集落に訪れもせず、祖母が亡くなっても変わりはしなかった。
やがて平六に子が産まれて親になると、母親に会った夢の話を父親にしなかった事を今更ながら後悔し始めていた。
父親が一人残る家に久しぶりに帰った平六は、躊躇いながらも昔見た夢の話をした。黙って聞いていた父親は初めは馬鹿らしいと言うような態度であったが、父親と母親だけしか知らない二人だけの思い出を語れば、そのうち大粒の涙を流して小さくなった身体を震わせ始めた。
「オカアは鬼の娘だった。だからオレの眼はこんなにもおかしくて、怪我してもあっという間に治っちまう。オトウが誰にも言うなってオレに口酸っぱく言ってきた意味がその時やっとわかった」
母親がどういう思いで命を削り集落の皆を助けたのかを話し終えると、父親は更に嗚咽を漏らして泣いた。
「すまねぇ、平六。二人で生きていこうと言ったのに俺はいつまでも意気地が無い。捨て切れなかった。そのせいで俺はどうしても自分を許せなかった!」
父親はずっと自分を責めていた。集落に近寄らなくなったのも、自らへの戒めだったのだ。
「オカアはそれを望んでない。オトウ、婆さまの墓参り行こう。この家を出て、オレたちと一緒に暮らそう。喜代も待ってくれてる」
数年後。父親は死んだ。集落で一緒に暮らす日々は、今までとは違って付き物が落ちたように見えた。父親は母親が救った集落で余生を過ごし、命尽きる間際に『柿の木の下に行きたい』と言った。
「遅くなっちまったなぁ」
葉が落ちかけた秋の始まり。柿の木に身体をもたれさせ、空を仰いで目を細めた父親は、最期に小さな息を吐いて眠りについた。すると不思議な事に、父親の足下に小さな百合の花が一輪咲いた。それはまるで、父親に寄り添う母親の姿のようにも見えたのだった。
それから数十年の月日が流れる。平六は大家族に見守られながら静かに世を去ろうとしていた。
ああ、オカアよ。あなたがいなくてオレは寂しかった。だが見てくれよ。オカアが命を削って救ってくれたおかげで、オレにはこんなにも家族が出来た。今はもう寂しくない。
オカア、もう直ぐ其方へ行きます。オトウと一緒に待っていてくれ。
平六を呼ぶ妻や子、孫たちの顔を見つめて平六は笑んで逝った。
『わたくしはこれからもずっとお前たちの傍にいる』
ヒメミコの血を受け継いだ平六の子や孫たちは、13歳を迎えると皆、ヒメミコと夢の中で会ったそうだ。