「奴の足は思いの外速かった…俺が鈍っていたのは有るだろうが、その背はすぐに見えなくなった…」
「奴の姿が見えなくなって俺は途方に暮れた…あの屋敷はせいぜい二階建て程度だったが、とにかく横に広くてな…実際に家屋として使われていたのかは分からなかったが…横に一直線に伸びる廊下の左右の壁にいくつかの部屋が並んでいた…」
「今思えば、ゆっくり探すのも手だったのかも知れないが……ああ…いや、そうじゃないな…あの時の俺は漠然と分かっていたんだよ…とっととあの男を見付けて始末すべきだと…そうしなければ奴は酷く、致命的な何かをやらかす、とな…」
「?…その男は後回しにする筈だったんじゃないのか?」
「そのつもりで屋敷に飛び込んだ筈だったんだがな…中で感じた…外に居た時とは到底比べ物にならない程の強大な人外の気配と、最早呼吸に影響が出る程に早くなって行く胸の鼓動……殺害衝動に飲まれつつも、俺の理性は既に結論を出していた。」
「コイツは…確実に俺の手には負えない。どう言う訳か知らんが…このボロボロの屋敷は奴にとっての"檻"だ…外からは入り放題で、中から出ようと思えばすぐに出られる筈のこの無惨な姿の屋敷が…この気配の主を繋ぎ止めている…もし、あの男が余計な事をして…この気配の主が外に出る様な事が有ればどれ程の被害が出るかまるで予想が付かなかった…少なくともあの村は確実に、跡形も無くなる…」
「殺害衝動とそれを誘発する、今にも俺を押し潰してしまいそうな強大な気配…そして、事態を早く鎮圧しなければと言う焦りが…俺から僅かに残っていた冷静さと体力を奪って行く…早鐘を打ち続ける心臓を黙らせる様に何度か胸の辺りを叩きながら俺は屋敷の部屋を探って行く……あからさまに壊れているドアはまだ良いが、そうでないドアはふざけた事に鍵が掛かっていたからな…余計に体力を消費するのは分かっていたから、その時も掛けていた魔眼殺しは外せない…蹴り壊して行ったが、それにより俺は疲労が蓄積して行く……だからニヤニヤするな。」
こっちは真面目に当時の事を語っていると言うのに、笑みを浮かべている『七夜志貴』の姿に溜め息を吐く…冗談じゃない…こっちはあの時、気を抜いたら戦う前に絶対に死ぬと感じたんだ…!
「最高じゃないか…本にして出せば売れるんじゃないか?」
「ふざけるな…こんな話、誰が信じると思っている…大体これはな…創作の話なんかじゃないんだよ…あの日、確かに俺が体験した出来事だ…」
「ククク…で、続きは?」
「…一階西側の部屋を探索し終わったところで強い頭痛が走り、俺はその場に蹲った…どっちが先か最早分からんが…屋敷の中の人外の気配が更に膨れ上がったのを俺は感じ取った…こめかみの辺りを手で押えながら、頭痛を感じた瞬間にギュッと閉じていた目を開いた…」
『っ!アイツ…!一体何をした…!?』
「…視界は真っ赤に染まり、更に視界を遮る様に見えて来る無数の黒い線……早い話が、今感じている人外の気配があまりにも強過ぎて、魔眼殺しが機能しなくなったらしい…俺は役に立たなくなった眼鏡を外して、普段着と化していた学生服の胸ポケットにしまった。」
『っ…!くそ…上か…!?』
「気配が強くなった為に主が何処に居るのかは分かりやすくなったのは幸いだった……まぁ、行っても最早手遅れだろうとは分かっていたがな…」
「俺はとにかく廊下をその時出せる全力で駆け抜け、見えて来た階段を駆け上がった…」
『痛…!クッ…何処だ!?』
「二階の廊下を走り、気配を追って漸く辿り着いた先は行き止まり…どうするか悩む時間も惜しい…俺は咄嗟に目の前の壁の線をなぞり、破壊した。」
「無茶をするものだ…屋敷ごと斬り刻んでいた可能性も有ったんじゃないか?」
「そんなヘマしない…とは言えないな…ただ、あの場に居れば恐らくお前も同じ事をした筈だ。」
断言出来る…コイツがもしあの時…俺と同じ立場だったなら…俺と違い、村人を守る意思がコイツに無くてもコイツは気配に誘われて屋敷に侵入し、気配の主を狩りに行っただろう、と…そして俺とは違い早く戦いたいが為の性急さから気配の主がいる空間の壁を破壊していただろう…と。
「ふむ、それで…壁の向こうには何が有ったんだ?」
「屋敷の数部屋の壁をぶち抜いて作ったかの様な広大な空間…その真ん中に鎮座する…巨大な肉塊とそれを取り囲む十数本の鎖…その肉塊の前に、あの男が立ち、何やら呪文を唱えていた…そして奴が詠唱を終えると同時に鎖の内一本が千切れ、ガラスが割れる様な音を立てて消滅する光景だ。」
『何をしている!?止めろ!』
「俺が叫んで奴の方まで駆け寄ろうとした時、奴がこちらに振り向き、掌をこちらに向けた…その瞬間、見えない力に俺は吹き飛ばされ、壁の穴から出て向こう側の壁に背中から叩き付けられた…」
『がはっ…!クッ…ゲホッ!ゲホッ!』
「…床に倒れ込みながらも手を着いて立ち上がると…壁の穴の方から奴の声が聞こえて来た…」
『邪魔をしないで貰えますか?漸く、私の悲願が叶うのですから…』
『クッ…!馬鹿か!?悲願だかなんだか知らないが…!ソイツは確実に人間の手に負える相手じゃないぞ!?』
『ええ、それで良いのですよ。』
『何だと!?』
『コイツを解き放つ…それだけで、私の望みは叶うのです…そこで見ていなさい。』
『ふざけるな!』
「あの時俺がしなければならなかった事はただ一つ…あの男を解体して、馬鹿げた行いを止める事だった…最も、勝算は無いに等しかったがな…」
「『直死の魔眼』は万物の終わりを見る目…その中に例外は存在しない…"ソレ"の死を想像さえ出来るなら、悉く全てを殺す事が出来る…ただ、元々形の無い物に死を与える事は出来んな…」
「そうだ…そして、奴が使っているのは不可視の力…だが、俺の眼なら力そのものだって本来は見る事が出来る…見えさえすればソレにも死は有る…終わりを与える事が出来る……でも、俺の眼にもその力の形はまるで見えなかった…見えなければ…殺す事は出来無い。」
俺があの時、あの男に勝つ方法は…存在しなかった。