「成程、こうして見ていると良く分かる…相当鈍っているな、オマエ…そら、もっと疾く走れよ…追い抜いてしまうぞ?」
「があっ…!ハァ…!ハァ…!煩い…!勝手に追い抜けば良いだろ!?」
さっきまでの戦闘…雑魚ばかりだったとは言え、やはり疲労は溜まっている…全力疾走していた筈の俺のスピードは相当に落ちているらしく、先程まで後ろを大人しく走っていた七夜志貴は『飽きた』と言って今では俺の横に着き、こっちを嘲弄しながら併走している……全く、コイツの言葉は一々鼻につく…!『七夜』の奥義書には、煽りの文言でも書いてあるのか…!?
「……そう言えば聞くのを忘れていたが、アンタは警察に捕まってここに来たんだったな?」
「ハァ!ハァ!それがどうした…!?」
「ふむ、ではここは刑務所か…どれくらいの時間ここに居たかは知らんが、相当安穏な暮らしだったらしいな…戦い漬けの毎日の果てに来たにしては…今のアンタは明らかに全盛期には程遠い…だが、体術そのものはやけに鋭い…時折、スピードで勝る俺にも追従して来た…あまりにも歪…普段、ここでどんな生活をして来たんだ?」
「ハァ…ハァ…今、そんな事どうでも良いだろ…」
正直、奴の言葉に返事すればする程…余計に体力を消費している気がしてならない…いっそもう、辿り着けたらその後はもう動けなくなっても構わないくらいの勢いで走っているつもりだが、奴は特に疲れた様子は無い…今も涼しい顔で、全力で走っている俺との併走を続けながら疑問を投げ掛けて来る……この場合、律儀に返事を返している俺も悪いんだろうけどな…
「ふむ、仕方無いか…そら!」
「!…何の真似だ!?」
俺の左側を走っていた七夜志貴が、突如ポケットから出した七ッ夜を俺の首に向けて振るって来て、俺は咄嗟に左手の甲で下からナイフの側面を叩いて逸らす…この…!急いでいると言うのに…!
「ほら、足を止めるなよ!」
「くそっ…!止めろ!」
続けて再び俺を狙って振るわれるナイフを逸らして行く…チッ、いくつか掠っている…奴の左手は先程殺してある…奴も走るのは止めていないから、無理にでも奴の左側に回れば必然的に奴がちょっかいを掛けて来る事は無いだろうが…ここは構造は広いものの、今走っている廊下そのものは比較的狭く、二人並んで進むのが限界だ…奴の左側は壁が近く、俺が入り込むスペースは無い…無理にでも俺たちの位置を入れ替えるには、少なくとも奴のナイフを止める必要が有る…
……何とかこの状況を打破しようと奴のナイフを捌きながら頭を巡らせる俺に、いくつかの選択肢が浮かんで来る…
1.奴の七ッ夜を強引に奪う……不可能。俺の方から腕を取りに行けば奴は俺の手から逃れ、その瞬間の隙を突いて俺の喉笛を掻き斬るだろう…
2.俺の方もガラスナイフで応戦する……却下。頑丈な七ッ夜で打ち合えばすぐにでも破壊される…何より、俺のガラスナイフは囚人服の右のポケットにしまい込んでいる…右手のナイフで対応するには距離が足りていない…左手に持ち替えようとすればそこが隙になる…そんな暇は与えてくれないだろう…
3.魔眼を使い奴に残った腕を殺す……論外。ナイフ無しでも線はなぞれるが、コイツが戦力外になっては困る…
4.蹴りを入れる…やっても良いが横を走っているコイツにそれをやるには一度止まる必要が有って……いや、良いんじゃないか?このままこうしていて、俺の集中力が切れてコイツに殺されたら元も子も無い…隙だって出来るが、コイツの動きを止められれば今はそれで良いんじゃないか?……いや、違うな…そもそも止まってから蹴る必要なんて無い…このまま、奴の方を向けば良い…!
「フンッ!」
奴のナイフを逸らすのと同時に、俺は床を踏み締めた右足に、力を掛け…そこから床に着いている左の爪先を軸に半回転…奴の方を向きつつ右足を振り上げる…
「ほう、そう来るか…!」
「ハァッ…!」
振り上げた足は曲げていた膝が伸び、更に半回転程度とは言え…遠心力もついている…仮にこのまま綺麗に入ってれば、如何に頑丈だろうコイツでも立ち上がるのすら難しい威力だっただろうな…
「くっ…痛いな…」
七夜志貴は今、ヒビの入った壁を背に座り込んでいる…
「良く言う…あの状況で半身になっていたのを、走る足を止めて強引に俺の方を向き、肝臓が存在する為に急所になる脇腹に当たるのを防ぎ…しかもそこからお前、俺の足がお前の腹に触れた辺りですぐ後ろに飛んだだろう?後ろは壁だが、それでも衝撃をある程度逃がすスペースは有った。もういっそ、こっちは内臓を破裂させる気でやったんだけどな…」
正直、加減する余裕は無かった…絶えず首筋を狙って、殺す気でナイフを振るうコイツを止める手段が俺には…コレしか浮かばなかった。
「何がしたかったのか知らないが、さっさと立てよ。俺の蹴りは比較的柔らかい腹の辺りに当たった上に、威力はほとんど殺されてるんだ…そこまでのダメージじゃないだろう?」
一応本気ではやってるし、奴が後ろに逃げれたのは俺の足が触れた瞬間…まぁそれでも、衝撃は内臓には到達してない筈だ。
「たくっ…痛いのには変わりないぞ?」
「自業自得だろ?飛んだ時に壁に打ち付けた背中の痛みも含めてな…全く、こっちは急いでいると言うのに…一体何がしたかったんだ?」
「っ…クク…何、ちょっと試したくなったんだ…」
奴が背中と尻を右手で払いながら立ち上がり、七ッ夜をズボンのポケットにしまった。
「何をだ?」
「アンタのその、無様とも言える鈍りの原因…それは危機感の欠如だ。」
「危機感?」
「刑務所なんて場所にもなれば日々の生活にはほとんど困らんし、日常的にやってる作業では運動能力は上がっても下がる事は無いが…先ず使う事も無い殺しの技術やカンは鈍る…まぁ、ここでは小競り合いは有るのかアンタは体術そのものは俺より上を行っている様だが…どうせその時だって相手は格下で、場所と立場故に殺す事も当然無い…」
「結局、お前は何が言いたい?」
「『七夜』の暗殺術の真骨頂は…その異常とも言える身体能力もそうだが、それだけじゃない…人の限界、その制約を取り払えるのが奥義の真髄だ。」
「これ以上やるとコイツは死ぬからやってはいけない…これ以上無理をしたら自分の身体が壊れる…そう言った理性から発せられる逃れる事の出来無い人間の強い思い込み、それを外せるのが『七夜』の本当の奥義って事なのか?」
「そう…異常なまでの肉体の頑強さと、最早寝ていても殺気を感じ取り…無意識のままでも襲撃者の命を狩り取れる程の狂気染みた戦闘能力はほとんどおまけに過ぎん…アンタは今まで、自ら自分の身体に制限を掛けてたのさ…アンタも結局肉体は『七夜』として生まれている以上、常人とは違う。」
「すぅ……ハァ……成程、意味が分かった。」
一度、深呼吸しただけで今まで感じていた疲労は消し飛んで行く…どうやら確かに、俺はまだ先が有ったらしい。
「アンタの居場所はもう無くなった…これからはまた殺し合いの日常に戻って行くだろう…理解したその感覚、忘れるなよ?」
「ああ…ところで七夜志貴?お前が散々余計な事に時間を使わせてくれたお陰で…こっちもいつの間にか炎に巻かれそうなんだが、その責任はどう取ってくれるんだ?」
いつの間にか火の手が向こうの廊下からこちらまで迫って来ている…何ともまぁタイミングの良い事だ…
「ククク…責任ね…良いだろう、それは例のバケモノに奥義を尽くす事で返す、と言うのは?」
「ふむ、割に合わない気がするが…良いだろう。」
「まぁそのついでと言っては何だがな…せっかくだからもう少し働いてくれ。この鬱陶しい炎の壁、さっさと殺してくれないか?」
「簡単に言ってくれる…」
ま、確かに視界を遮ろうとして来るこの炎…煩わしい事この上無い…
「どうせ、正面の炎を殺しても左右がまた塞ぐ…全部消えるまで殺していては…あまりに時間が掛かるからな…正面の炎が消えたら全力で走れ……出来るな?」
「誰に言ってるのかな?」
「ふん、まぁ良い…」
俺は左手で魔眼殺しを外し、ナイフを振るって目の前の炎を消し去り…空いたスペースを一気に走り抜けた……横を見るまでも無い…奴が併走して来ている……!
「これ以上邪魔をするなら俺はお前を殺すが、それでも構わないか?」
「いや、止めておこう。」
奴が七ッ夜を出すより先に、俺は既に左手に持ち替えたガラスナイフを奴の方に向けている…魔眼殺しは今も外したままだ…すぐにでも俺は…目の前のコイツを殺す事が出来る。
さて、図らずして回って来た再戦の機会…逃す手は無い。暗殺術を駆使する者として、二度も標的を見逃すなど…有ってはならない。今度こそ俺は…アレをバラバラに解体する。
その後の事は…まぁ、どうでも良い。どうせこの一件は夢幻、泡と消えさって行く事だろう…下手すれば俺の記憶にも残るのかさえ分からん。全てが終われば…七夜志貴の言う通り、ここに来る前の殺し合いの中に戻って行くのかも知れないし…あるいは全ては一夜の夢となり、また退屈な日常の中で目を覚ますなんて事も有るかも知れん…所詮は考えるだけ、無駄な事だ…