「あ、良かった…心配していたんですよ?」
「また貴女ですか…シエルさん。」
俺はもう何度目かも分からない溜め息を吐いた…
「人の顔を見ていきなり溜め息吐かないでくださいな、失礼じゃないですか。」
「理由は…貴女が一番良く分かっている筈ですが?」
「…何で、昔の知り合いにそこまで冷たくされないといけないんですか。」
いつもの様な演技で無く、本気で傷付いた様な顔をするその女性を見て俺の方が狼狽える…何だって言うんだ…
「……何か有りました?」
「何か有ったのは遠野君じゃないですか…今日、ここで脱獄騒ぎが有ったって聞いて…慌てて飛んで来たんですよ?」
「…ここでは割と良く有る話です、今更騒ぐ様な事じゃない。」
「…それは…そうですけど…で、でも…武器を持った相手に襲われたって聞いて…」
「俺がその程度で負けるとでも?自分の事が曖昧でも…ちゃんと七夜の暗殺術はこの身体に今も染み付いている…素人に遅れは取りません。それは嘗てこの身体と刃を合わせる事の有った貴女なら俺以上に良くご存知でしょう?…言って下さい、本題は…何ですか?」
「……どうしても知りたいんです…貴方の身に何が有ったのか…覚えてない訳じゃ…無いんでしょう?」
「ふぅ…何で今になってそんなに俺に構うんです?貴女だってそれなりに忙しい身の筈だ…それもこんな時間にやって来て……ちゃんと睡眠取ってます?」
前々から思っていたが…"俺"の記憶の中に有る"シエル先輩"と…今ここに居る"シエルさん"は…見た目も雰囲気も明らかに異なる…取り敢えず見た目の面だけ具体的に言えば…顔はやけに化粧が濃いし…身体からは少々キツめの香水の匂いが漂う…恐らく顔に施した厚化粧は目のクマやこけた頬を少しでも誤魔化す為…匂いのキツい香水は体臭を目立たなくする為…単純に忙しくて風呂に入れてないだけか、あるいは……
「ここの職員、色々修羅場潜ってる様ですし…それなりに鋭い人たちが多いんですが…良く誤魔化せましたね…」
「!……分かるんですか?」
「まぁ、俺も初めて嗅ぐ匂いじゃないんで……お仕事の帰りですか?」
キツい香水の香りの中に僅かに混じる異質な生臭い匂い…それは多分血の匂いだ…俺も嘗てこの匂いに悩まされていた過去も有るし、ここでもたまに嗅ぐ事が有る…身体に染み付く様にも感じるそれは…ほとんどは気の所為だろうが、意識してしまうとそれなりにキツい匂いなのは確かだ…とは言えこうして対面してるだけの俺にまで分かるんだ…多分、今日実際に何人か仕留めてから来てるな…
「睡眠は元より、食事もろくに取っていないんでしょう?聖堂教会も…今はそれなりに人手不足の様ですね…」
「…私の事を…心配してくれるんですか…?」
「化粧で誤魔化せないくらいそんなに暗い顔されれば…ね…まぁ心配と言うより一種の同情ですけど。」
「やっぱり遠野君は優しいですね…」
今日は余程疲れているらしい…向こうはこのまま愚痴でも零しそうな雰囲気だが…その前に一つ訂正しておきたい。
「七夜。」
「え?」
「俺の事は七夜と、そう呼んでください…今の様になる前に既に俺はあの家を出ている…俺はもう遠野の人間じゃない…俺は…七夜志貴だ。」
「と…七夜君…」
「まぁ…軽い愚痴程度なら聞きますよ。貴女が来る頻度をもう少し減らしてくれればですけど…何も貴重な休みを浪費して…こんな所まで来る事無いでしょう?」
相手はほとんど記憶の中に有るだけの赤の他人と言っても良い存在だが、それでも今の様に凹んでいたら同情を寄せるくらいには大切な存在だったのかあるいは…単に今の俺がお人好しなだけか…記憶は有ってもそれに何の感情も持てない今の俺には分からないがな…
「それじゃあ少し聞いてくれませんか…その…実は…」
その後…軽い気持ちで話を聞いてしまった事を俺は後悔した…何せ彼女の話は朝になるまで続いたからな…元々イベントごとが有る筈だった日の翌日と言う事も有り、今日は休みだが……お陰で俺は寝不足だ…全く、安請け合いするんじゃなかった…これからはあの人とはもう少し慎重に話すとしよう…