作:『?』

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きっとまた、繰り返される。


くろぐろ

 伸ばした食指は、そのものを擦過していく。それはただ、怖気ない虚無を感じるばかりだ。

 その行動が品下る所作と知っていても、堪えることなどできようものか。

 麗しく絡む、愛しきものたち。蠱惑する光景に理性など脆く崩れ去り、悩ましい香りが冒涜的な空腹を予感させる。

 

 濡つ甘露、艶めく食餌。

 至上はそこにあって、いまだ触れられない。

 

 きっと咀嚼は無上の官能。きっと嚥下は絶頂すら及ばぬ快感。

 もはや正常は堪らないけれど、幾星霜でも耐えてみせよう。

 この望蜀の終を見逃すことこそ、なによりの絶望であるのだから。

 

◇ ◇

 

 懐より聞こえる呼吸音は明らかに過剰であり、過換気症候群の兆候が見受けられる。

……加えて、彼女の肢体は小刻みに震え、あたかも死後硬直のような具合で強張っていた。

 それは一見すると凍えているようにも思える様相。確かにこの場所は無視できないほどに冷え込んでいるが、しかし温度以上に大きな問題がここにはあった。

 

 なによりも、ここはくらい。

 

 目蓋を閉ざした状態よりも盲目的な色彩が、空間の全てを黒色に塗り潰している。

 それは腕の中で怯えている彼女さえ不明瞭にさせるものであり、彼女が私の知る存在であることを証明する手段は存在しないのだ。

 あるいは体格や触感が似ているだけの人外を抱いていたとしても、私は気付かずに抱きしめ続けるのだろう。

 

 そのような暗黒にて頻繁に首筋を撫でるのは、吐き気を催すような生臭い息遣い。捕食者は僅かにも安心を与えまいと、そばにいることを仄かしている。

 それでも動きを見せないのは遊んでいるためなのか、それとも襲えない理由があるのか。

……少なくとも私には分からず、たとえ襲われないことに理由があったとしても、それを知る時は来ないだろう。

 

 悍しいもの。姿が見えない絶対者。それは間違いなく肉食の人外なのだ。

 私達と共に訪れた同僚達の悲鳴と、激しい銃撃の音。光源が役割を果たせぬ暗闇の中で起こった惨劇は、瞬く間に途絶えてしまった。

 硝煙の臭いは一時的に勝利の予感を抱かせたが、それが鉄錆を強く感じられる不快な臭いに掻き消されたことで敗北を悟る。

 その直後から聞こえるようになった咀嚼音が、一体何を示しているかなど想像に難くない。

 

 そうして咀嚼音すら途絶えるころ、我々は孤立したことを悟った。

 もはや私と彼女以外に人の気配はない。侵入口がどこであったかも思い出せない。

……ならば次の獲物が何かなど、決まりきっているだろう?

 故に。勇気のない獲物は怯え、現状の安心に縋るより他は無かった。

 

◇ ◇

 

 先輩の腹部に顔面を押し付け、さながら溺死寸前の浴客のようにしがみつく。

 彼女も私の行為を受け入れるように抱き締めて…しかし字面を見れば戯れのようにも勘違いできるそれは、互いを命の綱として生き残るための唯一の手段であるのだ。

 

 覚悟は出来ていたつもりだった。

……しかしその存在を目前として、身を投げ打てるほどの意気地はなかったらしい。

 もっとも逃れる手段はないのだから、その延命は無意味なものであろう。これは使命の放棄にはなり得ない。

 

 あるいはこの行動は死への恐怖などではなく、罪悪感からの逃亡であったのかもしれない。

 別に必要に迫られていなくとも、このような行動を取っていたことは想像できる。

 私はどうしようもないのだ。尊敬する先輩の身体はいい匂いで、柔らかくて…そして、そこに沈み込むことで罪深さから目を背けようと必死でいる。

 

……このような状況にある顛末を語るのは、我々の罪深さの告白でもあるのだろう。

 

 この空間は悍しい。

 数年前までは、ここに普通そのものであったのだ。

 その経路こそ異空間に繋がるという特性を備えていたが、元は人間に近い性質を持った知的生命体が存在する異世界…いわゆる地球平面説というもの。

 一般的には妄言とされるその説が、正しい世界ということであった。

 

 そこに手に負えぬものたちを放り込んだのは我々だ。

……けれどもこの世界は手に負えぬものたちの、終生の場所には成り得なかった。…故に罪悪を無意味な延命に終わらせないよう、給餌は決して怠れない。

 それは飢えに耐えかねた終末が戻らぬよう、欲求によって不必要な力を備えないよう、継続され続ける罪悪となっている。

 

 故に、救けは来ないのだ。

 事情を知らぬものは救出を要請するだろうが、それが認められることは決してない。

 

……そんな作戦は説明すれば、きっと誰もが参加を拒否しただろう。

 彼等は人類の礎になることを望んだが、こんな終わり方に甘んじれるわけがない。

 そのため多くのものに嘘を語って、進んで犠牲になることを促した。

 

 先輩もその1人。故に何も知らないで恐れている。

 きっと私も同じだと思って、守るつもりでいるのだろう。

 そうして先輩の懐で震えて、私も語ることはなかった。説明することを恐れていたためだ。

 そんな時分…不意に愛用していたインカムから声が聞こえた。

 

「全ては終わった。ありがとう、そしてすまない」

 

 それは知らない人物からの、短い言葉。

……きっとそれは、この罪深い組織の偉い人なのだろう。

 それを最後に通信は途絶えてしまった。どこの周囲数に合わせても無機質なノイズばかりが鳴っている。

 

 私達以外の犠牲も問題なく捧げられたらしい。

 すべては終わり、元の世界へと繋がる扉は閉ざされたのだ。

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