突ん裂くような肌寒さに、木の葉はすっかり枯れ落ちた。
春ともなれば満開の桜が、石段の下から見上げてもその華を一杯に主張してくるのに、今日この日に在っては酷く殺風景な姿を見せていた。常日頃来るかも分からぬ参拝客を出迎えるべく屹立する殊勝な鳥居も、心なしか寂しげに写る。
幻想郷の秩序の根幹を司る、聖地……と言うには、あまりに貧乏臭い出で立ちではあるが。
博麗神社に、冬が来た。
「あ゙~…………さっっっぶ」
吹き付ける凍死しかねないレベルの冬風に、博麗霊夢は擦り手しつつ白い息を吐いた。
遠目に見える妖怪の山の秋神様方はもうとっくに逃げ果せた後のようで、つい先月まで山肌を目に毒な程絢爛豪華に彩っていた紅葉は影も形も消え去り、山頂周辺はすっかり雪を冠していた。寒い訳だ。その山頂だけ不自然に白が抜け落ちているのは、どうせ山の神社の小手先だろう。
眺める巫女の出で立ちはと言えば、首には厚く赤のマフラーを巻き、物置の奥で埃被っていた手袋まで引っ張り出した重装甲。の割に、相も変わらず巫女服の脇を惜しげもなく開けっ広げにしているのは譲れぬアイデンティティか何かなのだろうか。そんな格好でまさかこの寒気を凌げるはずも無く、白い顔をして縁側で震えている。
だが、こんななりでも巫女は巫女だ。境内の落ち葉は増えるばかりであるし、この厳冬の中でも掃除くらいはしないとせめてもの面目さえ立たない。誰に立てたものかは巫女本人にさえ分からないのだが、それでも、仕事は仕事だ。
未だ寝床を恋しがる体に鞭打って、巫女は渋々と縁側を立ち上がる。
無造作に立て掛けられた竹箒をがさつに手に取り、本殿正面の石畳へと繰り出して___
瞬間、猛烈な寒波が殺到した。
「__いや、いくらなんでも寒すぎるわこれ!!」
巫女の本能が、脳の奥深くより咆哮した。
これは、異変だ。
それも、“黒幕”は間違いなく、近くに居る___!!
それは飽くまでも勘でしか無かったが、しかし侮る勿かれ、数多の異変を尽く終息へと引き摺り倒してきた信頼と実績の反則染みた勘である。
一転鬼の形相へと変貌した巫女の面が、血眼になって周囲を窺う。邪魔な手袋は打ち捨てた。羅刹と化した巫女に、冷気は最早取るにも足らない。
それは、存外早くに捉えられた。神社裏、強い妖気が溢れている。妖怪退治のスペシャリストの居城にずけずけと押し入り、その上逃げも隠れもしないとは。上等な度胸だ。お望み通り八つ裂きにしてくれる。
全く物騒な心意気を一筋、巫女はその出処へと“飛んだ”。空を舞い舞い漂う蝶のように、宙に身を投げ翻し、人の身長の及ばぬ神社の屋根を裕に越える。
最短の距離、最短の時間で、巫女は元凶の前へと降り立った。
「そこまでよ」
臓腑の底から吐き出る、重く低い死の宣告。
木っ端妖怪であれば際限無き恐怖に小便ちびって逃げ散らすような一言を、眼前に据えたその相手はしかし、きょとんとした間抜けた顔で聞いていて___
「…………あ?」
そしてそれは、巫女の目にも、薄らと見覚えのあった面相であった。
あどけなさを残した、しかし何処か哀愁を湛えたような儚げな瞳は丁度今、冬晴れの蒼天のように透き通る。肌は死人を思わせる白でありながらぼんやりと紅潮し、その生気をありありと感じさせる矛盾。鈍い輩でも一目それが人ならざるものと思い至る。
白雪に若干の紫掛かった雰囲気の髪の上には、帽子とも付かない妙ちくりんな物体。体躯は少女相応のそれ位だが、体型がややふっくらめに感じられるのは寒色二色の地味めな被服、はたまた胸囲に浮き出るボディラインの所為か。装飾らしい装飾はその胸元、三叉槍のブローチのみ。
冬の妖怪、レティ・ホワイトロック。
この一帯の異常な低気温も、彼女の仕業となれば頷けた。
頷けたが。
「なんであんたがここに居る」
「なんで、って……」
般若の面構えを張り付けたままの巫女の問いに、レティは首を傾げ暫時間を置くと、やがて破顔してから、ふてぶてしく一言言ってのけた。
「ふゆですよー」
眉間に箒の柄が叩き付けられた。
「つまり、なんだ」
所戻して縁側、額に青筋立てた巫女が、無駄に威厳たっぷりに脚と腕をきつく組んで一点を睨み付ける。これが未だ纏わり付く寒気を誤魔化したいが為の仕草と知れれば、威厳等は何処かに逃げ馳せてしまう訳だが。
その視線の先には、意味も無く手足をふん縛られた冬の妖怪。悪名高き博麗の巫女の理不尽さを表すのには、言葉を介さずともこの構図のみで十分だろう。妖怪であれば疑わしく無くとも一先ず調伏し罰する、話はそれからである。
「春告精の真似事したさにあちこち歩き回って、この殺人的な冷気を幻想郷中にバラ撒いてるって訳か」
「そゆこと」
「両足捩り切るわよ」
「なんで!?」
悪びれもしないどころか目に涙まで溜めて抗議の念を投げ掛けてくる冬の妖怪。いや、実際悪気なんぞ無いのかも知れなかった。
冬の妖怪というのは只の比喩でも通り名でも何でもなく、彼女という存在自体が正しく“冬”なのだ。その力の源は冬の厳寒に、豪雪に、諸々の自然現象への畏怖の象徴として裏付けられている。これだけ聞くと所謂妖精とやらに近しいようにも思えるが、そうとも違うらしい。妖精が自然の権化なら、彼女は先の通り季節そのものの具現という話だ。一応夏でも生きられる事には生きられるが、結局冬が最も活発になる。ただ動ける季節に動きたいだけ動くだけで、勝手に人の営みに害を齎してしまうのである。
だが、それにしたって彼女は自覚すべきなのだ。巫女の顔面に浮かぶ蒼白、それが決して怒りのみに由来するものでは無い事に。季節の冬だって生物には大概過酷な環境だというのに、そこに彼女にまで押し掛けられては傍迷惑等というレベルで済む話ではない。
尚も妖怪は続ける。
「大体、最近は温暖化?とかで皆冬への畏れを忘れかけてるのよ!この辺りでちょっとくらい思い知らせてやらないと、私の妖怪としての沽券に関わるわ」
「OK、確信犯ね。辞世の句は三歩だけ待つ」
「待って待って待って!」
この場に居たのが詩聖としてもあんまりな横暴に絶句するばかりだろう。手元に置いていたお祓い棒を握り締め堂々立ち上がる巫女を抑止する術を持たず、冬の妖怪は只管首を振るしかない。それにも構わず、私刑の鉄槌は無慈悲に振り上げられた。
次瞬。
「むっ」
巫女の掌が、凍り付いた。
何者の仕業とは言うまい。瞬きする刹那に手の表面を素早く凍結させるなんて芸当が出来る妖怪は限られている。尤も自由の効かない身でそれをしてのけるのだ、流石に冬の妖怪である。
しかし、手のみが凍ったからと言って振り落とす腕が止まる訳は無い。所詮は袋の鼠の弄した、焼け石に水でしかない苦し紛れの一手。
そう思われたが。
「ちべっ、たっ!」
感覚を失った手は、お祓い棒を握り続ける事が適わなかった。武器を取り落とした左手が、間合いを見失い盛大に妖怪の鼻の先を空振りしていく。
狩人が視線を外した隙を、窮鼠が見逃すはずもない。地面から迫り上げた鋭利な氷柱が、拘束する縄をいとも容易く切り裂いた。巻き込んだ手足から鮮血が垂れるが、冬のレティ・ホワイトロックは恒久を生きる大妖に匹敵し得る実力者だ。この程度の傷は忽ちの内に塞がってしまう。
意表を突かれるままに攻守逆転の岐路に立たされた巫女は、されど冷静であった。その間にすかさず右の手に得物を拾い上げてから、跳躍一つで距離を離す。これで戦況は振り出しである。
しかし、最初のハンデは失われた。
「…………」
「…………」
そして、両者は硬直する。互いが強者であるが故、互いに先んじて仕掛けるのを躊躇わせていた。牽制しようにもこんな所で弾幕をバラ撒こうものなら家屋、もとい博麗神社本殿は無事では済むまい。
ただ一つ、冷気は未だ尚巫女を襲い続ける。このまま膠着が続くのなら、先に体力を奪われ倒れるのが巫女だろう事は明白。だがそれは実力の均衡が崩れなければの話だ。巫女が奥の手を解禁すれば、此奴程度の妖怪は間違いなく屠れる。ただ、たかが妖怪一匹の悪巫山戯に付き合わされた挙げ句にそれをするのは、果てしなく面倒が付いて回る訳で。
埒が明かなかった。
「……境内の掃除をしてくれるんなら、許してやらん事も無いわ」
「有難き幸せ」
結局、適当な落とし所で手打ちにするより無い。
この一日、冬の妖怪は巫女に扱き使われる羽目になるのが確定したのだった。
「にしても、冬を報せて幻想郷行脚ねぇ」
本殿前、虎の子の賽銭箱を前に仁王立ちして、巫女は吐息交じりに溢す。極寒地獄には次第に慣れ済ましたようで面構えは平然たるものだったが、先の攻撃で霜焼けた左手を頻りに揉んでいた。
その視線の先には、石畳に降り積もる巫女の怠惰の顕現の処理を哀れにも押し付けられた冬の妖怪。尤も本人は職業体験でも愉しむ心地で、小気味良いリズムで枯葉を払っている。意外と手際が良かった。冬の妖怪というのは冬場の雑事にまで精通するものなのだろうか。
次いでに巫女のふとした道楽で蔵から持ち出された予備の巫女服を着せられていたが、まあ、こちらは然程似合わない。元々が西洋系の顔立ち、そもそもパーソナルカラーが合っていない故仕様の無い事だろう。しかし色が青とかであれば様にはなったかも知れない。普段が厚着な分か、露になった白磁の脇が何とも言い難い絶妙な味を醸していた。着せた時に心底苦い顔をされていたが、此処の歴とした正装束である。文句は言えまい。
「別にあんたなんぞが伝えなくても勝手に冬は来るでしょうに」
暫くの話の種には困らないだろうその奉仕姿を監視の体で凝視しつつ、巫女は先刻の台詞を思い返していた。
春告精というのは文字通り、春の訪れをお花畑な調子で一番に告げてくる妖精である。細やかな春の覚醒の兆しを目敏く捉え、何なら未だ冬の爪痕の癒え切らないような時季に飛び出して来るのだが、しかしこれが妖精の力の本髄なのか、彼女が通る跡には芽吹く季節の変遷が瞬く間に咲き乱れるのである。最早春を告げるどころか彼女が強引に叩き起こしているようにも思われるが、故にその二つ名は、春を運ぶ妖精。
話が逸れたが、つまりは春告精の出現が春の到来の鍵と形容しても過言ではないのだ。対して鼻唄漏らして庭掃除に勤しむ彼女が現れた今は冬も盛ろう真っ最中、報せ等無くとも既にお腹一杯である。猿真似にしても全く不相応だ。
「んー。まあ、それは建前って言うか。単純に今年の冬の内に一遍、幻想郷をあちこち回ってみるのも悪くないなーって」
「此方から願い下げなんだけど」
つまり、この暴力的なまでの凍気の被害者は巫女一人に到底留まらぬという事。
やはりこの場で折檻するべきかと懐の退魔符に手をやりかけるも、しかし先程妥協の取引を纏めたばかりである。口約束に誠実な巫女でも無いが、一応は妖怪の行動意義に則った範疇、また直接人間に悪行を施す訳でも無しと、結局適当な理由で放り出した。と言うよりも、この震えんばかりの艱難辛苦を自分ばかりが舐めさせられるのがこの上無く不本意だったのだ。楽園の調停役が何とも身勝手な限りであるが、それは既に周知の事実。
冬の妖怪の気紛れは、本人も知らぬ間に博麗の巫女の黙認を得てしまったのである。
「そう言えば、いつの間にどうやってウチに侵入したのよ。見張りの狛犬はどうした」
「どうって、普通に正面から。あのカールの子なら私を見るなり軒下に逃げていったけど」
あんのポンコツ。
口を衝いて出かける悪態の代わりに軒下が睨まれた。みすみす妖怪の侵入を許すどころか真っ先に自ら背を向けて何が守護神獣か。彼処は地獄の妖精の根城、今頃二人揃ってぬくぬくしてやがるに違いない。後で両方つまみ出してやろう、犬は元気に外で駆け回ってろってんだ。
実に気に入らなかった巫女は顰め面でそう決意した。巻き添え喰らう形になった地獄の妖精は甚だ不憫だった。
「そーい、っと、こんな所かしら」
「おお、ご苦労」
最終的に堪えかねた巫女が急拵えの白湯に顔を綻ばせる頃、冬の妖怪のお手伝いは一区切りを終えていた。落葉は軒並み参道の脇に山積みに、綺麗さっぱりと一掃されていた。空っ風に吹かれて飛ばないのは何かしらの小細工だろうか、便利な妖怪だ。
「ウチで雇ってやっても良いかもね」
「お給金次第かな」
「ほざけ」
巫女の財布の吹き通しぶりを知った口で遠回しに拒まれる。端から冗談なので気にもしないが。
「それで、これはどうするの」
「それはまあ、燃やすんだけど……ああ、そうだ」
思い出したように裏手へと消える巫女、それが程無くして戻ってきた時、その両腕に抱えられていた品に冬の妖怪は怪訝な目を作る。
「……芋?」
「そ、薩摩芋」
それは昨年の秋に巫女が豊穣神からかっ払い、しかし機会無くたった今まで余らせていたものだった。生来のケチ臭さが垣間見える。
「若干季節外れじゃない?」
「寒けりゃ何時食べたって良いでしょ」
屈み込んだ巫女はその辺りの枯れ枝を数本投げ入れてから、一緒に提げてきた簡易版ミニ八卦炉でさっと枯葉の山に火を掛けた。乾き切った空気が加勢し、葉は早くも濛々と煙を上げ始める。やがて燻る煙の薫りが風に靡いて鼻腔を擽るのを認めてから、巫女は芋を火元へ雑に放り投げた。
直火に晒した芋は熱が良く通る。消し炭にならない内に箸で回収し、今朝方の文々。新聞でそれを包めば、薄い焦げ付きの癖になる庶民派焼き芋の完成である。
「ほい」
「……え?」
唐突に差し出された芋の一つに、冬の妖怪の目が丸くなった。
「いいの?」
「何がダメなのよ」
「いや、うわー。巫女に恵まれるなんて何か変な感じ」
「別に嫌なら貰うけど」
「有難く頂戴します」
明日は大雪崩かなー、なんて呟きながら妙に恭しい所作で芋を受け取った冬の妖怪は、巫女に続いて手の中の甘やかな温もりをはふと咥え
「あち、あぁっつっっ!!!」
「んな大仰な」
「きは、きさま、謀ったな!?」
「自爆じゃん」
蹲り悶絶する壊滅的な猫舌の持ち主は置いておくにしても、焼きたての芋を澄ました顔して転がす巫女は、大概な貧乏舌だった。
「何だったんだ、あいつ」
風の如くに去っていく逞しくも小さな背中を、和らいだ寒さに安堵を滲ませた表情で見送る。
あれから熾烈を尽くした冬の妖怪と焼き芋の悪戦苦闘は、冷凍保存して持ち帰るという選択により幕を降ろした。喉奥に込み上げた文句を態々口にまではしなかったが、焼き芋に限らず、冬の妖怪でありながら暖かな味覚の数々を味わう事が出来ないのは少し可哀想にも思えてくる。
貸し付けた巫女服は脱がすのも面倒なので持ち帰らせた。どうせまた作らせるだけだ、控えの一着ぐらい何て事無いだろう。着こなしは返す返すも微妙だったが、当人は動く内に馴染んだらしく終いは嬉しげだったのでまあ宜しい。
これから、彼女は何処へと向かうのか。
妖怪の考える事なんぞ欠片も分かるもんじゃない。くれぐれも面倒は起こしてくれるなと釘は刺したが、奴はご多分に漏れず享楽主義者。言っても無駄だろうと諦観する己が居る。せいぜい、続く天災の犠牲者の健勝を祈るばかりだ。
ふと、肩に落ちた冷たさに空を見上げる。
微笑が浮かんだ。
成程。
確かに、冬は来たらしい。
冬も傾き始めに初投稿です
一応続く予定ですが書き終わる頃には多分リリーが飛んでますね
レティさんの容姿はキャノンボールのをイメージ。あれのおかげで大分レティさん好きになりました