ふゆがきた。   作:特遅やくも

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地底に、

 

 

 

地底に、冬が来た。

 

 

 

と、そう書き表すと或いは、疑問符を浮かべる諸兄も居られるだろうか。地上の大気とを隔絶され、灼熱地獄と地底の太陽に年中熱され続ける冗句抜きの修羅の地に、血通った季節の蠢きなぞ有るものかと。

 

答えとしてはだが、寧ろこの楽園に於いて地底程冬の情緒を孕む場所は並び立つ所もそう有るまい。何と言っても此処は楽園の各地に点在する間欠泉から湧き出る温泉の源、冱つ風を忘れて嗜む湯の極楽浄土にも昇る心地は特筆するに及ばず。

加えれば、無辺の天空を捨てたはずの地底世界にさえ何故か、冬には冬だからと雪が舞い落ちる。それで居て先述の特異な気候で積雪の問題とも縁遠いのだから、冬そのものに関して地上以上に良いとこ取りをしているまである。

 

結局地底の冬の冬らしからぬ正体が有るとすれば、他の春夏秋の色付きが希薄である事なのだろう。四季の輪環の一節に在って初めて、冬は冬として謳われる。それが無ければ漠然と回帰性を持った自然現象以上に捉えられる余地も残らない、のかも知れない。

しかし繰り返すが、冬自体を受容する要素は確実に調えられた空間。其処に例えば、冬の万象を司る有力妖怪が来訪する等して、直接内側にその概念を齎される様な事が起きればどうなるか。

 

 

正しくそれは、冬景色に塗れ染められるのだ。

 

 

 

暗闇の風穴に、冬が来た。

 

 

上下左右を囲む岩壁、只でさえ踏み入れる者を圧迫するそれが、纏わりつく湿度、肺を抉る瘴気、そして果てを思わせない暗黒の氾濫と一丸して、実体にも精神的にもその視野を削いでいく。まるで化物の喉の中だと、彼らに過っただろう喩えは哀れと言うべきか的確で、一度其処に呑まれれば十中八九生きて帰る事は叶わない。

ただそうした為に、現在の洞窟の状態を一目見てその奇異を思い付ける者も少ないかも知れない。この魔境を二度況して三度拝んで無事で済む存在等一握り、だがそうした手合いにすればこそ眉を顰めて然るべきなのが、今だった。

 

「……これもだめだなぁ」

 

それは丁度、此方の土蜘蛛の様に。

 

黒谷ヤマメの目の先には、洞穴の縦横無尽に張り巡らせた蜘蛛の巣の一つが有る。やはり此処は土蜘蛛の狩場という訳だが、今回は異様に獲れ高が悪かった。巣から手に絡めた糸は何故やら濡れてへたっている。

 

「キスメー!そっちはー?!」

 

呼び掛けた釣瓶落としの名、彼女が腕でバツを作って首を横に振る姿が土蜘蛛からも見えた。上方、土蜘蛛二人分は空けた位置に居るそれが。

 

そう、現状の風穴内部は、見通せ過ぎていた。

何層にも重なる蜘蛛糸の全てに万遍無く付着した水分が、地上そして地底から来る僅かばかりの光をも反射して煌めいているのだ。文字通り暗い洞窟の明るい網、獲物が掛かる道理も無い訳である。彼程も見え透いた仕掛けでご親切に餌と据えられる様なのは余程痴れた雑魚妖怪並なもので、そんな輩はまず此処まで迷い込む前にお陀仏だろう。

 

確かに湿り気の酷い場所ではあるが、それだけでこうなるなら疾うに土蜘蛛はお飯食い上げだ。間違いなく人為的被害だと断言出来たのは、巣の一部が不自然に欠け落ちていたのも一因。不自然にとはそれは明らかに手ずから破られたとかでは無く、第一糸を微かにでも揺らせばその時点でそれと繋がる土蜘蛛が勘付く。その上巣は力業のみで裂かれたにしては嫌に形が保たれていて、つまりこれ等の根拠から成る土蜘蛛の憶測では、どうも犯人は巣全体を凍結させた後で一人分が潜れる穴をぶち抜くという相当の二度手間をやってのけたものらしい。突飛に思える割にそれなら糸が水浸しである理屈まで付いてしまう。

 

そんな土蜘蛛の直感を裏付けるものが、釣瓶落としを追い抜いて更に昇った先に有った。地上との最近接に張られた網、それが凍ったまま融解していなかったのだ。

氷で閉ざされた中に脈を拡げる、巨大な雪の結晶か、虫の翅か。幾何学的と不定形の隙間に落とされた神秘の趣を漂わせるが、これも下部の辺りが叩き割られ糸の端正な断面が覗いていた。

 

刹那、ぼぅ。と。

 

「うぉぃ」

 

傍らから出てきた釣瓶落としが放った鬼火により、大雪片は土蜘蛛が驚く間に儚くも融け落ちてしまった。時折この外面だけは可憐な娘の腹の内が土蜘蛛には分からなくなる。

 

そして最後に残ったのが他と同様に濡れ濡った巣の残骸、水晶細工に覆われた様な糸の交錯。何処ぞの人間がかつてその風雅を詠ったりもしたらしいが、しかし今の土蜘蛛はそれを感受出来るまでのゆとりを余していなかった。

何せ此方は食事に赴いていたのである。心の充足は腹が満ちてこそ、もののあはれだ何だは飢えの足しにもなりゃせんのだ。それがどうしてご覧の通り、ご馳走は皆無どころか罠も全滅。これ以外の穴まで足を延ばせば或いはとは思うが、しかしその後には此処の網を一から組み直さなければならない。空腹と過労、二つの生物を殺す病に冒されかけた土蜘蛛は、自棄くそになった。

 

「__やってられるかあぁぁ!!キスメェー!今日は呑むぞー!」

 

土蜘蛛が桶を引っ提げて歩み出すと、中の釣瓶落としは握り拳を掲げて囃す。風穴の末尾から始まる街道との狭間、其処に残っていた都合二人分の旧都へ向く足跡を、土蜘蛛は食い物の恨みばかりと目一杯に踏み躙った。

 

 

 

旧都に、冬が来た。

 

 

「いやしかし、本当に久しいねえ二人共。昔馴染みの地底の空気はどうだい」

 

場所は目抜き通りに並ぶ酒場が内の一つ、そのまた更に片隅の御座敷。呑兵衛の喧騒止まぬ旧地獄街道の盛りの中、一等異様な熱気を醸す其処で、双角を揺らす幼女___伊吹萃香は胡座を崩したまま片手の酒枡を傾ける。

 

「別にあれからもちょくちょく来てますしね。というか久しいっても貴方とは地上で普通に会ってるでしょうに」

「そうだったか?どうも引き出しが悪くてなあ」

「よく言いますよ……寺が建って間も無くの暴挙は忘れちゃないですからね」

 

向かって二人、苦々しく笑みながら返す水兵姿が村紗水蜜、その脇で所在無げに正座しているカジュアルな装いの尼僧が雲居一輪。それらに対して絣に身を包んだ一本角の四人目、星熊勇儀が問い掛ける。

 

「ところでだが、いつもの入道親父はどうしたんだい」

「言われれば見ないね、娘煩悩が珍しい」

「妙な気利かせてんですよ。呑めるたまの機会だってのに、相変わらず石頭で」

「あんたらと違って敬虔なんだろ」

 

此処には更にもう一人、入道使いに泥濘んだ視線を向けている水橋パルスィまでが居る。地底では名の知らぬ者も無い大妖五人がご臨席と有っては恐れ知らずの鬼共でも穏やかならないらしく、彼女らの周囲の席はガラ空きだった。

 

「そんななりでも信心がどうとかなんて言えるのね、全く良いご身分だわ。妬ましい」

「この人も変わんないな。教義は交友の伸展を否定していないわ、他を知り己を知る道筋として酌み交わす酒ならお目溢し貰えるって」

「とんだ講釈だな、お釈迦様が片腹押さえて呻いてるぞ」

「あーもううるさいうるさい!いいからもう呑みましょ、かんぱーい!」

『かんぱーい!!!!』

 

船幽霊の音頭に合わせて一斉に杯を呷る。鬼二人はその前から無遠慮に呑み散らしていた訳だが、そこは特権とでも言うのか。今日のこの宴は単なる付き合い程度なもので然した祝い事とかでも無いのだが、年中酒盛りの口実探しに明け暮れるうわばみ各位にすればこれでもまだ健全な集いだ。

 

「しかし、鵺もちょっとは顔出せば良いのにな」

「あれもシャイなのよねー、寺でも大体狸の御頭にくっついてばっかだし」

「そう言えば、ちやりちゃんは例によって?」

「引き籠もりだろ。まあそもそも誘ってないから」

「あー、まあ…………あれは最近何だかアグレッシブみたいだし、呼べば意外とノってくるんじゃないです?」

「そうだねえ、次は声掛けてみるか」

 

不在の面々の話を肴にする中で、舌寂しくなった伊吹の鬼が大皿に重なった蓮根揚げに指を伸ばし、ふとそれを止めた。

 

「……あれ?姫様、今日はやたら食べるじゃない。ストレス?」

「私じゃないけど」

「あぁー?」

 

目に見えて枚数の減っているそれの為に過食疑惑を被された橋姫が露骨に嫌な顔をする。片手で宥めつつならばと伊吹の鬼は残りの三人を窺ったが、彼女らも談笑続きで物を食む暇等無さそうなものだった。訝りながらも改めて一枚を放り込み、雑に咀嚼して口腔に広がった塩味諸共吟醸で流し込む。

 

 

「居たぁーーー!皆たいへーーーん!」

 

そして、跳ね返る勢いで門戸を滑らせながらの土蜘蛛の絶叫により激しく噎せ返った。

 

「げほっ、かはっこほ」

「ちょ、大丈夫?」

「おー?ヤマメじゃない、久しぶりぃー」

「あれ?ムラサ。と…………なんだっけ、雲おっさんの横の、えーと」

「…………ムラサぁぁぁ!!ひどいわあいつ、人を添え物みたいにぃーー!」

「わー!そう一輪だ!悪かったっていちりーん!!」

「ヤバイ、もう回ってるわこいつ」

 

背を丸める伊吹の鬼、手を泳がせる橋姫、入道使いに泣いて縋られ呆れる船幽霊、謝り倒す土蜘蛛、に縦に振られ目を回す釣瓶落とし。外気と一緒に押し入ったどんちゃん騒ぎの中で唯一冷静だった一角の鬼が溜め息混じりに土蜘蛛の投げた言葉尻を担いでくる。

 

「で、土蜘蛛。大変だって言うのは」

「……あっ、そう!大変なんだよ、外!雪が!」

「何だいね仰々しい、雪位珍しくも無い」

「いや、ほんと!何てのかな、違うのよ普段と!そう、ありゃ地上に降るみたいな……!」

「はぁ……?」

 

要領を得ない土蜘蛛の説明に対し、一見に如くもの無しと一角の鬼が店の障子窓を躊躇無く開け放つ。

 

「おぉぉ」

「……おー、面白いじゃない」

 

途端、風に乗った牡丹雪が堰を切って混入した。

一角の鬼でさえも軽く仰け反り、復活していた伊吹の鬼は枡の中の水面で融け消える白を伏目で見つめて口角を割る。窓の外は引っ切り無しの降雪で、その数多に家屋の灯りが朧にも見えた。

 

「ね?大変でしょ?」

「確かにヤバイね、此方じゃ見ない降り方だ」

「雲は……見えないわねぇ。毎度だけどどうなってんの?」

「うむ、何となく冷える様な気はしてたが……これが積もったら屋根が潰れるんじゃあない?大丈夫か?」

「小心ねえあんたは。稀な事じゃんか、今日は良い酒が呑めるぞぉ」

「地上で慣れてるからってとことん呑気ね、妬ましいわ」

 

清濁甘苦を嚥下してきたあやかし達が銘々の反応をするだけに、それは間違いなく大事ではあった。しかし少女の心ざまは怒濤にも同じ。勢力を益々加えて唸りを上げるそれを如何に阻めるものが有ろうか、況んや固形化して落ちるだけの水の群れをや。

 

暫くとせぬ内に、破天荒の大雪は酒宴の背景と成り下がった。

 

「鳥串頼むけどー、二人は食うんだっけ?」

「とり、とりですかぁ?たべるかも、かもー」

「いや、流石にヤバイってそれは」

「そればっかりだけどマイブームなの?」

「ん?ふんふん……『いいからはよ持ってこい!』って」

「無駄に強気だなあ、おい」

 

酔いどれの冬は、寒気をも酩酊の彼方に過ぎてゆく。

 

 

 

地霊殿に、冬が来た。

 

 

館の一室、飾らない意匠ながら肘置きに足置きまで備えた機能的座椅子に腰掛け、何か思案する様に瞑目する人型一つ。

古明地さとり。怨霊も恐れ怯む少女の悩みの種は、現下彼女を取り巻いている状態だった。平生ならば屋内で放し飼いにされた獣の羽音足音鳴き声その他が止まぬ日の無い地霊殿、それらがすっかり引っ込んでしまっている。普段(ペット側の)気紛れで彼らを乗せている膝も空位、代わりに己のサードアイを供えて手慰みに撫で回している始末だ。

 

(理由は……察した通りでしょうけれど)

 

屋敷には覚り自身の私室とは別に専用の執務室が設けられ、今彼女の居る部屋となる。其処の壁の一面は床まで詰めた硝子の大窓になっており、旧地獄の広域を座したままでも展望出来る。当然、呪い忌まれるその土を弄ぶ自然の悪巫山戯も。

 

どうやら室温の低下とこの光景を目の当たりにした事で、何か錯誤したペット達は揃って活動を停めてしまったらしい。地獄鴉は健在だったので一先ず旧灼熱地獄の火力を上げさせている、即時に調節とは行かないが此方はそれで取り敢えずの収拾が着く見通し。心配はこの処置に旧都の積雪対策も織り込んでいる事なのだが、すると今度は融け出した水分による冠水・落盤等が不安視される。辛うじて動けた火車には当面の治水に気を遣わせる旨を言い付けたが、向こうは顔真っ青で歯を鳴らして聞いていたので役に立つかどうか。

 

“異変”__そう呼び習わされる事態では無いのかと、覚りは実況を鑑みる。またはこれでも異常気象の枠を出ないのか、影響はこの地底に於いてのみなのか。だとすれば最早ほぼ影も形も成していないとは言え残存はする不可侵条約により巫女の介入は見込めなく思える。無論何れ地底の動乱は地底で決着するのが筋と理解している。仮に恐れる災禍が現実になった所で、周辺域に棲まう強力無比の妖怪変化が手を翳すだけで小異すら無く終息もするだろうが、可能なら彼女らに骨を使わせたくも無いと言うのがこの地の管理者としての気位。とそれまで心算しつつも、結局自ら直接施せる術は無い、その胸奥はどうにも平坦ならぬのが覚りだ。

 

室内が仄かに暖かくなってくる、漸く火勢が掛かったか。

 

「……………………」

 

心音、呼吸音。

地霊殿が没するは、その成立以来の静寂。

 

囁く隙間風も無く、唯吹き荒ぶ空を聴く。

 

孤影悄然は雪明りの中、いつか転瞬さえも忘れて。

 

 

………………………………。

 

 

 

夢を見ていた。

 

 

夢と分かったのはつまり、其処での自分の様体が実際より幾分幼い時期のものだった事で、それは即ち。

 

 

__「おねえちゃーん、すごいよー!雪!!」

 

目の前で童心にはしゃぐ妹の“眼”が、まだ閉じていない頃だった。

 

夢と認めて未だそれは続き、妹に手を引かれるがまま__感触は覚えない___雪景を走る。物語に投げ出された様な一面の純白は、何時目にしたものだっただろう。

降る雪は現でのそれとはまた違え、疎らに舞う粉雪が雲を跨いだ陽射しを弾いて大気を金剛石へと変えた様。晴れ間は無いのに気持ちは晴れやかで、気付けば妹に連なって笑声を漏らしていた。

 

 

潔い白の情景は、しかし次第に灰へと曇っていく。

 

風雪が威を増しつつあった。陽が全く潰される時には妹共々高鳴りも消沈し、主従を入れ替えて茫漠の雪を踏む。

いよいよ窓越しに見た荒天にも巻かれ、それすら尚足蹴にされて、仕舞いは雪獄に囚われていた。

何処かに向かわねばならないと切迫しながら、それが何処かも分からない。視界は奪われ、聴覚も(うず)まり、意識が狭窄していく。それでも徒に前へ進むのは、ただ妹の傘と、光明となる為___。

 

 

「………………こいし?」

 

振り返って呼んだ姿は、既に無く。

残った己の足跡も、立処に嵐へ消えた。

 

 

自分でも何と聞き分けられない叫びを上げながら駆け摺り回った。深雪に取られた足では駆けるという程も成せなかったので、雪中を藻掻き、いっそ溺れていたと言うまでが正しいかも知れない。既に己も迷い子に成り果てているという自覚も無理矢理隅へ追い遣り、血吐き肉を捥ぐ思いで地吹雪を刮ぎ分けた。

 

 

執念は遂に実り、見つけた影。

遠目ではそれとも知れないのに、確信めいた足付き、手付きで妹の側へと這い寄る。もう立ってさえいられない。

 

妹は座り込んだまま、びくとも動かない。半身は雪に沈み、瞳は()()閉じている。

 

 

戦慄く指先で頬に触れる。

 

石膏に固められたような肌は、氷の如くに冷え切って___

 

 

 

__「ッ、はぁっ、はあ……はア……ッ…………」

 

 

目を覚ます。

 

息も絶え絶えに椅子の上で蹲る覚り。眠り込んでいただけにも関わらず何処かが沁み着いた痛みを訴える。覚り妖怪ともある心がまさか、今更…………そこでサードアイに臥せた手がそれを圧迫しているのにやっと思考が届いて、脱力に伴って疼痛も引いていく。

 

「……はっ、は、ふ。ははっ。……無意識…………」

 

自分でも滑稽に過ぎて嗤いを溢してから、一息吐き出して背を起こす。然程時間は経っていない様だった、外の雪は降り止む気配も無く、今の失態を嗅ぎ付け飛んでくるペットも居ない。暫時放心してからもう一度、出鱈目な夢の内容を想起出来るまで、何一つ事は起こらなかった。

 

(…………こいしには)

 

妹には、自分が未熟なばかりに辛い思いをさせた。

 

尤も覚りの妹は、覚り妖怪として生きていくには優し過ぎた。持てる力を尽くしていたとしても、彼女が能力を封じる結末は変わらなかったかも知れない。ただ汚名を厭わぬ嫌われ者の心得、鬼さえ舌鋒鈍る強権を従えた覚りだったならば、妹を傷付け得る存在の一片も初めから許さなかっただろう。

されども全ては、過ぎ去った。

 

覚り妖怪の核心とも言うべきサードアイを閉じた事、そして地上との交流を経て、妹は妖怪としての根本から変質を遂げつつある様に見える。

もしこれから彼女が、誰かの差し伸べる手を本心から取る時が来たとして。それがきっと、己の手では有り得ないだろう事に___

 

(__心とは、こうもやはり……___)

 

 

「………………寒いわね」

 

腕を弱く擦りつつ、呟く。

かの地獄鴉が天性の鳥頭を炸裂させているでも無ければそろそろ加熱の具合も良くなっていそうなものだが、一匹位は覚醒したのも居るだろうか。生きた温もりの一端でも拾えまいかと、それと無く覚りは耳を澄ましてみる。

 

(…………?)

 

遮られた音が微かに聞こえる。何かを打ち鳴らす様な、下の階からだろうか。

席を立ち誘蛾の様に部屋をふらと出ると、それが明確に地霊殿の玄関を叩くものなのが分かった。応対は居ないらしい、一転早足になって階段を下る。その間にも戸は叩かれ、と言うか殴られている位が適当な程粗暴だ。今少し遅れれば最悪破られるかも知れない、別の焦りに覚りは煽られる。

 

「はいはい只今ー……」

 

扉越しの相手に平静を促す半分で声掛けしながら、鍵を開けた。

 

 

「____きゃああ!?」

 

覚りの悲鳴、そして。

 

「うぎゃあぁぁぁ」

「わああぁぁ」

「うおぉ、っと、と」

 

一挙に雪崩込んでくるは冷酷の陣風、魑魅魍魎。

苦悶、怨嗟、戯けを喉から漏らすそれら。

 

「…………え、え?皆さん?」

「……おぉ、ご機嫌よう。古明地のお嬢様ぁー」

 

殺到する情報量にサードアイを背に隠しながら惑うばかりの覚りに、先頭で転がり後続の下敷きにされた小さな百鬼夜行が抜けた調子で手を振った。

 

「うがぁ、お前ら邪魔だ……っと、いやーお嬢、外はさっむいぞぉ」

「いや、それはよく分かりますけど……あ、ちょっと」

 

這い出て立ち上がった伊吹の鬼がそのまま奥へと歩き、それに他まで倣おうとするのを慌てて制止しようとする。

 

「凍えてどうにも敵わんでな、けどいきなりこの所帯を容れられる湯屋は無かったから、じゃあ此処の風呂を借りようって話にね。でかいのが有るだろ?」

「は、はあ?何を勝手なあいたっ」

 

読心を試みる前に一角の鬼が一方的に答え、おまけに通り掛け覚りの肩を掌でばしと叩いた。その怪力で加減を誤れば覚りの華奢な身なぞ砕け散っている。

 

「……匂うわね。人に遠慮はしない癖にそう言う所は一人前なのかしら、嗚呼妬ましい」

「臭う、って…………」

 

次いだ声を見れば、燻る緑眼が此方を睨め付けて行き過ぎる。言葉の意味を紐解こうにも、客人の波がまだ止まない。

 

「うぃーっすあるじさまぁー!おっじゃましまーす!」

「おんせーん、おんせーん♪やっぱり雲山も来れば良かったのよー!」

「ふ、二人も何で……うっ、お酒……」

 

思わず顔を背ける程出来上がっている船幽霊と入道使い。散々に撹乱される覚りの有り様を、やっと慮る者が有った。

 

「いやすまんね、突然押し掛けちゃってさ。何なら主様も混ざろうじゃない、美味い酒もたんと有るよー!」

「あの、私はまだって、しかも呑む気なの……!?」

 

前言撤回、これも気儘の限りだった土蜘蛛が快活に笑うのが最後尾。否、腕に下がる釣瓶落としが向かってダブルピース。感情は無。怖い。

 

扉を開け放ったきりで遠ざかる妖怪行列を覚りは憮然と見つめて、一拍置いて我に返っては兎角も寒風の流入を断たねばと先に其方へ注意をやったが、一応戸口は確かに閉め切られていた。見落としただけで土蜘蛛辺りが気を利かせていたのか。

 

「…………あぁ、もう……待ちなさい!まだ私は何も言ってませんからー!」

 

随分と五月蝿くなってしまった。急な疲労感と果てしない呆れに襲われて、しかし何処か和やかな苦笑を浮かべながら、覚りは少女一行の後を追い掛けた。

 

 

 

さて、ここまで地底各所の鳴動したりしなかったりを辿ってきた訳だが、その間肝心要の我らが冬の妖怪は何をしていたのか。

 

「あー、やれやれ。地底があんな悍ましい場所だったなんて」

 

地上の名も無き小道をぼやきがちに歩いていた。館の地下図書館をも凌ぐ多湿に苦汁を噛み、表を往けば次から次へと血の気の多い鬼連中が喧嘩を売ってくるのを都度雪像に仕立てたりなんかしている内、心底げんなりした冬の妖怪は物見も半ばに撤収を決め込んだのである。冬との相性がどうとか述べても、レティ自身の感性とはまた別な話という顛末だった。

不完全燃焼ではある。遠目にも見えた御屋敷を間近にしてみたかったし、かつて責め苦に用いられた地獄跡や本場の温泉にも興味だけは有った。まあ後者二つを堪能しようとすれば冬の妖怪も満身創痍では済まなそうだ、地中も蹂躙する冬の威容というのはなかなか刺激的に受けられた様で腹八分程にはなったのでそれで満足する事にしている。

 

こうして見ると、と冬の妖怪は頭上を仰いだ。確かにこんな飽き晴らす程広々した空も当たり前で無く生きている世界が在ると一度知れると、普段とは一風変わった心持ちで迎えられている気がした。

この遥かな大空の下、次は何処へ赴こうか。心做し躍る冬の妖怪の足が、前途へとまた一歩を踏んだ。

 

 

その足音が、重なる。

 

ぞわりと、冬の妖怪の頭頂から足先、末端に至るまで鳥肌が走る。寒気(かんき)を操る程度の妖怪が、慮外の寒気(さむけ)に震えている。

 

 

「____私ね、鹿の剥製ってあるでしょ?あれにちょっと憧れてたのよー」

 

声。冬の妖怪のではない、その背中、真後ろから。

無垢で、無邪気で、故に、心を丸裸に掴まれる。抵抗するという意識への神経経路を元より閉じられた様に、石の如く身動ぎも出来ない。

音。跫音が近付く。行楽でもする風なその一つ毎に身体の最奥から何かが噴き出して、命を浮かべた薄氷が溶けて、解けて、融けて。

 

「地底のみんなの借りは、私が返さなくっちゃあね___。

 

 

 

 貴女も、きっと綺麗に飾られて?」




何と二つ上がりました。そう、巷を賑わす大寒波の主犯は私です殺せ

短編入れ子構造という怪奇、めったらキャラ出した挙げ句レティさんほぼ出番無しとやりたい放題。タグ詐欺はすんでで回避、できてるかあ?
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