仮面ライダーテテュス   作:黒井福

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第11話:パーミング、海羽の憂鬱

 海都の住民は世間一般ではギャンブル好きと言われているが、必ずしもそうではない。ギャンブルが身近と言うだけで、ギャンブルに対して微塵も興味が無い者も居る。

 

 ならば海が近いから釣りが好きなのかと言われれば、それもまた少し違う。海都はその立地上、魚が多く通る海流から離れた所に造られている。大きな海流の真上にあっては、流されてしまうからだ。だから栄養の豊富な海流からは離れているので、必然的に街の周囲に魚はいない。太平洋は元々栄養が乏しく、魚が住むには適さないので一部の回遊している魚を除いて生物の姿はほとんど見られなかった。

 

 なので基本的に、街の縁で釣り糸を垂らしても魚は掛からない。

 

 それでも全く釣りがされないかと言えばそんな事はなく、中には深海魚を狙って深く深~く釣り糸を垂らす物好きも居る。

 この日の夜、街にいくつもある桟橋の一つで釣り糸を垂らしている男もその物好きの1人であった。深海魚好きの彼は、この日も珍しい深海魚が釣れる事を期待して釣りに興じていた。

 

「~♪~~♪」

 

 僅かな街灯と月明りに照らされ、口笛を吹きながら魚が掛かるのを待つ。釣れれば楽しいが、釣りは待つ時間も楽しむものだ。時折、持ち寄ったウィスキーの瓶に軽く口を付けてアルコールを入れながら、男は平和を享受していた。

 

 街を襲っていた怪物、その巣が作られていた地下研究所がS.B.C.T.によって解放された。そのニュースは瞬く間に海都中に広がり、街の住民は平和が訪れたと安堵の息を吐いた。

 男もその一人で、少し前までは危険だからと夜間の外出は控えていたがもう大丈夫だろうとこの日は久々の夜釣りに出ていた。

 

 その時、突然糸が引かれ釣り竿が大きくしなった。何かが掛かったのだ。

 

「お! 来た来た来た!!」

 

 男はテンションを上げ、釣り竿を持っていかれないように両手で持ってリールを巻いた。引きはかなり強く、気を抜くと体ごと持っていかれてしまいそうだ。

 

 久々の大きな当たりに男は興奮して釣り竿にだけ意識を集中させた。

 だから気付かなかった。自分が向いているのとは反対側の海面が盛り上がり、そこから異形が顔を出したことに。

 

 顔を出した異形は、ゆっくりとした動きで桟橋に上がる。波の音で水が跳ねる音にも鈍感になっている男だが、流石に背後の桟橋の上で水が弾ける音が鳴ればそちらが気になるというもの。

 

「ん? え――――!?」

 

 そこにいたのは、まるでシーラカンスが人型になったようなディーパーだった。硬い鱗で出来た鎧の様な体を持ち、口には鋭い牙が生えている。

 

 自分の背後に立つその存在に、男は恐怖に戦き手から力が抜ける。釣り竿が引っ張られて海の中に消えるが、そんな事を気にしている暇もない。こいつは件の怪物だ、逃げなければ!?

 

「ひ、ひぃっ!?」

 

 慌ててその場を逃げようとする男であったが、ディーパーを相手にその動きはあまりにも遅すぎた。

 

 次の瞬間、男はシーラカンス・ディーパーに押し倒される形で海に落下。暫く水面には男が暴れる激しい水飛沫が上がったが、暗い水面に血が広がるとそれも収まり海面には血が広がるだけであった。

 

 再び静寂を取り戻した海だったが、血で赤く染まった海からディーパーが顔を出した。赤い海水を滴らせ、桟橋に上がるシーラカンス・ディーパー。

 その体が、桟橋に上がると同時に変化した。トゲトゲゴツゴツした体は見る見るうちに滑らかになっていき、質感は柔らかく、色は肌色になっていく。顔も同様だ。魚そのものな顔から、人間の様な顔になりあっという間にその姿は先程の男と同じものとなる。

 

 濡れた衣服を纏いながら、ディーパーが擬態した男は自分が出てきた海面を見る。もう血は流され、海は元の色を取り戻していた。

 

「お~い、どうした?」

 

 そこに別の男がやって来る。彼はこの男とよく釣りで出会う釣り友達と言う奴で、時々並んで釣り糸を垂らすくらいの仲だった。

 

「おいおいびしょ濡れじゃないか。大物に引っ張られて海に落ちたのか?」

「……まぁ、そんなところだ」

「災難だったなぁ。見たところ釣り竿も持っていかれちまって。クジラでも釣ったのかよ」

「多分な」

 

 男に擬態したディーパーは淡々と返答し、その場を離れようとする。

 その背に、後から来た男が声を掛けた。

 

「おいおい、忘れ物だぞ!」

 

 そう言って男は酒瓶を渡す。

 

「あぁ……ありがとう」

 

 男に擬態したディーパーは、まるでロボットの様に受け取り抑揚のない声で礼を言った。

 後から来た男は、それを折角の大物に逃げられた挙句に釣り竿も持っていかれた事に落胆しているのだと思った。

 

「気にすんな。まぁこんな時もあるって」

 

 男の慰めに、擬態したディーパーは何も言わず踵を返してその場を離れた。

 

 もしこの時、もっと周りが明るかったら、男は異変に気付いただろう。

 先程からディーパーが擬態した男が一度も瞬きをしていない事に。

 

 だがそのことに気付く者は誰も居らず、男に擬態したディーパーは街に放たれた。桟橋から離れる道すがら、擬態したディーパーは中身が半分以上残っている酒瓶に口を付けた。

 まるで水を一気に飲み干す様に、度数の高いウィスキーを全て飲み切った。

 

 酒瓶が空になると、擬態したディーパーはアルコールの含まれた息を一つ吐き空になった酒瓶をその場に投げ捨てた。捨てられた酒瓶が音を立てて割れるが、周囲には誰も居ない為その事を気にする者は誰も居なかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 港に停泊している大型クルーザー、名をシルバーレガシー号。バーツ達が乗って来た船であり、海都での彼らの本拠地でもある。

 

 その中の船長室として使われている部屋で、フランシス、エドワード、バーツことバーソロミューの3人が一つの机を囲んで顔を突き合わせていた。

 

「さて、どうするか……」

 

 彼らが話し合っている内容は、瑠璃からリールドライバーをどうやって取り返すかであった。

 

 正直に言って、ここまで手古摺るとは思っても見なかった。最初芳江に教えられてリールドライバーが導くと言うお宝の話を聞いた時は、人を送り届けただけでガッポリお宝が手に入る簡単な仕事だと思っていたのだ。

 それが蓋を開けてみれば、リールドライバーは持っていかれお宝からは遠ざかった。蓄えはまだあるし芳江からの前金もあるので今暫くはこの街に留まれる余裕はあるが、それでもあまり長期に渡り滞在する訳にはいかない。リールドライバーを取り戻す過程の戦いで、徐々にだが街から警戒されているような気がする。これ以上長引かせると動き辛くなってしまう。

 

「そろそろ本気で取りに行かねえとな」

「だがあの女結構強いぞ?」

「上等だ、いくら強くても俺が――」

 

 いざとなればバーツが力尽くで奪い取ろうと口にする。実際ベクターリーダーを持つこの場の3人の中で、一番腕が立つのはバーツだった。戦って奪い取れる実力を持つのは誰かと言われれば、それはバーツ以外に居ないだろう。

 

 だがそれにはフランシスが待ったを掛けた。

 

「いやいや、待て待て待て。あんまり派手にやり過ぎるとそれこそ目を付けられて動き辛くなる。この場は切り抜けられても、この後の仕事に支障を来したら面倒だ」

「それじゃあどうするんだよ?」

 

 渋るフランシスに対し、バーツは不満そうに問い掛けた。

 

 対するフランシスはバーツからの問い掛けに、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「な~に、簡単な事よ。派手にやったら目を付けられるなら、こっそりやればいいだけの話だ。相手は女、ササっとやってササっと終わらせればそれで十分よ!」

 

 何やら自信満々な様子のフランシスに、バーツとエドワードは互いに顔を見合わせた。

 

「エド兄貴、フランシス兄貴が何考えてるか分かる?」

「さてな。ただ……」

「あぁ。こういう時のフランシス兄貴は……」

 

「さ~て、待ってろよお宝ちゃん! 今度は俺がお前を取り返しに行ってやるぜ!!」

 

 気付けば椅子の上に立ち、机の上に足を乗せている。そんな行儀の悪いフランシスを見ながら、バーツとエドワードは同時に呟いた。

 

「「絶対ろくなことにならない」」

 

 2人の口から同時に紡がれた言葉に、高笑いするフランシスは気付くことはないのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 その日も、BAR・FUJINOは何時も通り営業していた。常連さんに一見さんと、様々な客が訪れ酒と料理を楽しんでは帰っていく。

 

 その中には瑠璃を相手にルーレットを楽しむ客もいた。不届きな客が相手ならともかく、いいお客さんが相手であれば瑠璃も入るポケットを調整するような真似はしない。正々堂々、ウィールを回してボールを放り込む。回るボールを、勝負している客は勿論その様子を楽しむ客も固唾を飲んで見る。

 

 瑠璃が客を相手にギャンブルをする様子をネイトは酒や料理を運びながら時々横目でチラリと見ていた。

 

(やっぱり……彼女はセラなんだよな)

 

 ネイトが島で過ごしていた時も、セラはネイトをこっそりと祭壇に誘い祀られていたリールドライバーでルーレットをやって遊んでいた。

 あの時は祭壇に祀られている物で遊んでいいのか程度に思っていたが、あれがあんなに凄いものだとは知らなかった。

 

 それはそれとして、ルーレットで遊ぶ時のセラはとても楽しそうで生き生きとしていた。今の瑠璃はその時のセラと全く同じ顔をしている。

 改めて彼女とセラは同一人物であると実感し、しかし今の瑠璃はセラであった事を忘れている事に寂しさを感じずにはいられなかった。

 

(どうすれば、思い出してくれる)

 

 模わず目を伏せて溜め息を吐いたネイトの頭を、後ろから近付いた海羽が思いっきり叩いた。

 

「ちょっと!」

「アイタッ!?」

 

 突然頭を叩かれ目を白黒させるネイトに、海羽は指をさして言った。

 

「瑠璃姉ぇに見惚れてないで働く! あれやってる時は瑠璃姉ぇ動けないんだから」

「分かってるって」

 

 相変わらず海羽からのネイトへの当たりは強い。その理由にはネイト自身も察しがついている。はっきり言ってしまえば、海羽はネイトの事を信用していないのだ。

 

 瑠璃のあの美貌だ、言い寄って来る男は後を絶たなかったのだろう。本人はそれを悉く躱し続けていたが、欲望に突き動かされて瑠璃を自分のものにしようとしてきた男は数多く居た筈だ。それをこの2年間間近に見てきた海羽としては、彼女の過去を知る者として近付いてきて瑠璃の信用を得たネイトはこれ以上ないほど危険人物だろう。何しろ、瑠璃が記憶を取り戻さない限りネイトの言う瑠璃の過去が正しいとは限らないのだから。

 

 だから海羽から疑われるのは、ネイト自身分かる。分かっている。だがそこでムキになるような愚は犯さない。ここで変に焦ってムキになればそれこそドツボに嵌ってしまう。ここは落ち着いて、大人の対応に努めて地盤を固める時だ。

 

 ネイトは空いた食器を下げ、シンクで洗い次の注文への対応を行う。

 

 その間に瑠璃の方は勝負がついたのか、挑戦者の客は残念そうに天を仰いでいた。どうやら勝負は瑠璃の勝ちらしい。相変わらずの強さだ。

 

 それからも時折瑠璃に他の客が勝負を挑んだりして、この日は特に何事もなく終わった。

 

 閉店後、片付けが終わった店内では瑠璃が何時もの如く仕事終わりの晩酌を楽しんでいる。

 

「ん……ん……ふぅ」

 

 先日買ってきたワインをグラスに入れ、風味とアルコールを楽しみながら喉に流し込む。

 そこに片付けも終わり、風呂場で汗を流したネイトがやって来た。瑠璃が晩酌しているのを見て、ネイトは冷蔵庫から摘まみにちょうどいいチーズを取り出し彼女の前に置いた。

 

「ほら、これ」

「あ、ありがとう。ねぇ、ネイトも一緒に飲まない?」

「俺も?」

「そうそう。マスターは付き合ってくれないし、海羽ちゃんはまだ高校生だし」

 

 鉄平は別に酒が飲めない訳ではない。ただ彼は2人で飲む女性を妻だけと決めているので、瑠璃とは2人きりで飲もうとしないのだ。

 

 妻一筋な鉄平のある種の頑固さに、ネイトは苦笑しながら自分の分のグラスを持ってきた。ネイトがグラスを置くと、瑠璃は酒瓶を傾けワインを注ぐ。

 

「おっとっと! もういいもういい、これ以上は零れるって」

「あはは!」

 

 既に酔いが回っているのか、危うくグラスの縁ギリギリに届くほどワインを注がれそうになる。ネイトが慌てて止めると、瑠璃は普段とは違う楽しそうな笑い声をあげ注ぐのを止めた。

 

「はい、かんぱ~い!」

「乾杯」

 

 酒瓶を置いた瑠璃は自分のグラスを持ち、ネイトのグラスに軽く当て乾杯をした。ネイトもそれに倣い、そしてワインを口に流し込む。

 

「ん……うん、旨いな」

「でしょ?」

 

 ワインの味に満足するネイトに、瑠璃も嬉しそうに頷きチーズを一つ摘まむともう一口ワインを飲んだ。

 赤いワインが瑠璃の口に流れ込んでいく様子を、ネイトは頬杖を突きながら眺めていた。

 

 ネイトが見ている前で、瑠璃はグラスの中のワインを飲み干した。グラスから口を離す際、瑠璃は一瞬だが舌でチロリと唇を舐める。

 それもまた、ネイトの中でセラを思い出させる仕草だった。

 

「セラ……」

 

 アルコールが回ったからか、ネイトは頭に浮かんだことをぼんやりと口にする。その言葉は瑠璃の耳に入り、彼女は次のワインをグラスに注ぎながら問い掛けた。

 

「見える? セラって人が?」

「え? あ……」

「そっか……やっぱり私、セラなんだね」

 

 グラスの中のワインを回しながら、瑠璃は赤らんだ顔でその言葉を自分で噛みしめる。

 瑠璃と言うのは仮初の、間に合わせの名前。本当の名はセラ。だが、瑠璃の中でセラと言う人物の記憶はない。

 それでも面影や仕草が残っているという事は、瑠璃の中からセラが完全に失われたという訳ではない事を示している。だから根気良く探していけば、何時かは瑠璃がセラとしての記憶を取り戻せるかもしれない。

 

「ねぇ、もっと色々教えて」

「ん?」

「セラの事……私の事……。もっと知りたいな」

「あぁ……いいぜ」

 

 ネイトの昔の話、セラとの思い出を肴に杯を重ねる。時折セラとは関係のない、ネイト自身の昔話も添えての話は思いの外盛り上がり、気付けば酒瓶も2~3本空いていた。

 

「流石に飲み過ぎだな。そろそろお開きにするか」

 

 グラスに残ったワインを飲み干し、ネイトが立ち上がろうとする。

 が、彼が立ち上がるよりも先に瑠璃が彼の方に寄りかかった。しなだれかかる様に体重を彼に預け、肩に側頭部を乗せた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 酔いが回って酔いつぶれたのかと心配するネイトだったが、彼の服の裾を瑠璃がきゅっと掴んだのを見てそうではない事を悟る。

 

「ねぇ……もし、もしだよ? もし私が本当はセラじゃなかったり、このままセラだったことを思い出せなかったら……ネイトはどうする?」

 

 そしてそんな返答に困る事を問い掛けてきた。

 

 ネイトがここに居るのは、言ってしまえば瑠璃がセラである事を取り戻す手助けの為だ。だが瑠璃が実はセラに似ているだけの別人だったり、このまま思い出せないと言う可能性も十分有りうる。

 そうなるとネイトは冒険家としての自分を捨て、このまま海都で瑠璃と共にこの店で働く事になってしまう。

 

 瑠璃はそれが不安で、そして心苦しかった。自分の過去の記憶は大事だ。だがその為に、1人の人間の人生を狂わせるのは本意ではない。

 

「ネイトの言葉が本当なら、私にはもう本当の意味で帰る場所なんてない。それなら――――」

 

 早々に見切りをつけて立ち去った方が良い。そう言おうとした瑠璃だったが、それはネイトの手により制された。唇に人差し指を当てられ、強制的に言葉を止めさせられる。

 

「ん……?」

「そこまでだ。瑠璃……俺はそんな薄情な人間じゃねえ。思い出せなかったからって、お前を見捨てるような真似はしねえよ」

 

 確かに瑠璃の言う事はネイト自身も危惧してはいた。瑠璃が記憶を失っているのは偶然で、セラとは別人と言う可能性は確かにあった。

 だがネイトは瑠璃とセラは同一人物であると確信していた。時折見せる仕草や、面影が驚くほど記憶の中のセラと一致する。他人の空似でこんな偶然はあり得ないだろう。

 

「俺は俺の直感を信じる。お前はセラだ、間違いない」

「でも……私全然自覚が無いのに……」

「それにもし思い出せた時、セラの過去を共有できるのは俺だけだ。俺が居なくなった後になって、思い出せでもしたら寂しいだろ?」

「もし思い出せなかったら?」

「それこそ賭けだ。俺のこれからの人生を賭けた、一世一代のな。こうなったら俺は意地でももう一度セラに会う。その為になら冒険家でも何でも止めてやる」

 

 並々ならぬセラに対する想いを滾らせるネイトに、瑠璃は彼がセラに抱いている感情を察した。

 

「好きなんだ……セラの事」

「まぁ、な。憧れはあるよ。あの時はほんの数日一緒に居ただけだが、それでもセラと過ごした時間は俺にとって掛け替えのない時間だ。それをもう一度手に入れる為なら……」

 

 不意に、瑠璃の目から涙が零れた。嬉しくも悲しくもないのに、涙がポロポロと零れて止まらない。

 突然泣き出した事に、ネイトは勿論泣いている本人の瑠璃も慌てふためいた。

 

「お、おいどうした?」

「あれ? あれれ? お、おかしいな。別に泣きたくなんてないのに……グスッ」

 

 後から後から、溢れる涙を瑠璃は必死に拭う。だが涙は止まる気配を見せず、遂には瑠璃自身も涙を止めることを諦めネイトに縋りつく様にして泣き続けた。

 ネイトはそれを優しく受け止め、自分の胸を貸し瑠璃が落ち着くまで待ち続けた。

 

「大丈夫だ、大丈夫」

「う、うぅ……」

 

 もしかしなくても、瑠璃は今まで我慢していたのかもしれない。自分が何者なのかが分からないという不安、これから先自分は何者でもない者として生きなくてはならないのではないかと言う不安に、人知れず押し潰されそうになっていたのかもしれない。

 それがネイトの登場によって、初めて心を緩めることが出来た。結果、心の均衡が崩れ安堵やら何やらで涙が止まらなくなったのかもしれない。

 

 ならば今のネイトに出来る事は、彼女の涙を受け止めるだけであった。

 

「泣け泣け、今は思いっきり泣いちまえ。今まで1人で大変だったな」

「うん……うん……」

「また不安になったら何時でも言え。俺の胸位ならいくらでも貸してやるから」

「うん……ありがとう――!」

 

 2人だけの店内で、瑠璃のすすり泣く声だけが静かに響く。ネイトは彼女の背を慈しむようにゆっくりと撫でていた。

 

 その様子を、物陰から海羽が静かに見つめていた。2人からは死角になるところから、瑠璃がネイトに縋りついている様子をジッと見ている。

 

「…………」

 

 どれほどそうしていたか、海羽はもう見たくないとばかりに音もなくその場を離れた。急いで、しかし静かにその場を離れた彼女の存在に、瑠璃もネイトも気付くことはなかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 一夜明け、瑠璃はネイトと朝一番に顔を合わせた。

 

「あ、おはよう!」

「おぅ、おはよう」

 

 何時も通りの朝、何時も通りの挨拶。

 だがその中で、瑠璃のネイトを見る目は何時もと少し違っていた。昨日までに比べて、どことなく熱が込められているように感じられる。

 

「……ふふふっ」

「ん?」

「ううん、何でもない」

 

 唐突に笑いだす瑠璃に、ネイトは思わず首を傾げるが瑠璃は多くを語らない。

 

 そんな感じに何時もとちょっと違う雰囲気の2人の様子に、気付かない鉄平ではなかった。

 

「何だ何だ? 2人から随分と甘酸っぱい雰囲気を感じるぞ? 俺の知らない間に何かあったのか?」

「えっ!? いや、別にそんな大したことは無いぞ――――!」

 

 言う程大したことはなかったのでネイトは嘘を言っていないが、昨夜瑠璃の涙を1人受け止めていたのは事実。瑠璃の態度に僅かながら変化がある理由はそれだろう事が分からないほど馬鹿ではない。

 故にネイトは思わず狼狽えてしまい、他人の愛に敏感な鉄平は目をキラリと光らせた。

 

 だが鉄平がそれを更に突っ込んで訊ねる事は出来なかった。

 

「ほらほらお父さん、早く朝ごはん」

 

 瑠璃とネイトの間を割る様に海羽が歩き去りながら鉄平に朝食を急かした。急かされて時計を確認した鉄平は、確かに急がないと朝食が遅れてしまうことに気付いた。

 

「おっとと、それもそうか。……にしても海羽どうした? 今日は何だか元気がないじゃないか?」

「別に……何でもない」

 

 そうは言うが、チラリと瑠璃とネイトを見て顔を伏せる様子からは何でもないという事が無いだろう事が一目で分かった。

 父である鉄平だけでなく、瑠璃やネイトにも分かるほど何時もに比べて覇気が足りない。

 

 気になったネイトがどうしたのかと訊ねようとした。

 

「海羽ちゃん? 何か――」

「ネイト」

「待て待て」

 

 海羽に向けて一歩踏み出したネイトだが、瑠璃と鉄平がそれを止めた。海羽は多感な高校生、ふとした事で精神的に落ち込む事だってある。本人もそれを分かっているだろうし、あえて突っ込むのは野暮というものだ。

 むしろこういう時は本人に余裕が無くなりそうになるまで待ってやるのが優しさというもの。悩むこともまた青春の一つだ。

 

「何があったのかは分からないけど、今は待ってあげよう」

「海羽も女の子だからな。色々と悩みも多いんだろう。下手に突っつくと地雷を踏みかねん」

 

 2人に宥められ、ネイトも大人しく引き下がった。確かに海羽は多感な女子高生。悩みもいろいろ多いのだろう。心配ではあるが、見守ってやるのも大人の務めだ。

 

 そのまま瑠璃達は朝食を済ませた。何時もに比べちょっぴり空気が重く感じる朝食を終えると、海羽がさっさと学校に向かってしまった。

 一分一秒も長く家には居たくないと言いたげだ。

 

「いってきます」

 

 逃げる様に家を出ていく海羽を見送った瑠璃は、マグカップの中に残ったコーヒーを眺めながら溜め息を吐いた。

 

「海羽ちゃん、どうしちゃったんだろう?」

「おいおい、見守るんじゃなかったのか?」

「それと心配する事は話が別よ」

 

 何だかんだで瑠璃も海羽の事を心配はしていたのだ。それは鉄平も同様で、彼もまた自分の分のコーヒーをマグカップに注ぎ眉間に皺を寄せながら口を付けた。

 

「ん~、どうしたんだろうなぁ、海羽の奴? あんなに元気がないのは、妻を置いてこの街に越してきた直後位だぞ」

「つまり、寂しいって事?」

「そう言う……事になるのか?」

 

 瑠璃と鉄平は顔を見合わせ、互いに首を傾げた。2人には、海羽が寂しさを感じる理由に見当がつかなかったのだ。

 

 2人に分かる訳がないのだから、彼らの家族関係にとって部外者なネイトに分かる訳がない。彼はお手上げとばかりに手を上げながら椅子の背凭れに体重を預けた。

 

「ダ~メだ、考えても仕方がない。さっき言った通り、今は見守って海羽ちゃんが自分から打ち明けるか見ていられなくなるまで待とう」

「それしかない、か」

「そうだな」

 

 海羽への対応の方針を決め、朝食を済ませた3人は片付けるとこの日の営業に向け準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 1人足早に、逃げる様に家を出た海羽は意気消沈した様子でトボトボと学校への通学路を歩いていた。

 

 彼女の気分が沈んでいる理由は簡単だ。瑠璃との距離感が分からなくなってしまったのである。

 昨夜、彼女は瑠璃がネイトに縋る様に泣いている姿を見た。海羽と瑠璃が一つ屋根の下で暮らす様になって早2年、この間海羽は瑠璃が涙を流したところを見た事が無い。

 

 本当は瑠璃もずっと心細かったのだ。不安に押し潰されて泣きたいときもあっただろうが、彼女はそれを押し殺してずっと我慢してきた。

 それをネイトが変えた。固めていた瑠璃の心を解きほぐし、我慢を止めさせ彼女が泣ける状況を作り出した。

 

 自分には出来なかった事をやってのけたネイトに対し、海羽は激しく嫉妬した。そしてそれと同時に、そんな自分に対して強い嫌悪感を覚えたのだ。

 

(自分勝手だな……私)

 

 本当は海羽にも分かっている。瑠璃にはネイトの存在が必要だ。瑠璃の過去を知るだろう彼が居ることで、瑠璃の記憶が戻る希望は生まれるしそれにより瑠璃の精神も安定する。

 

 海羽がやたらとネイトを目の敵にするのは、偏に瑠璃との生活の現状を変えたくないと言う我儘以外の何物でもなかった。

 

 もし瑠璃の記憶が戻って、店から出ていくようなことがあれば…………

 

「最低だ、私……」

 

 強くなった嫌悪感を抑えるべく、 海羽は再び大きく溜め息を吐いた。

 

 刹那、何者かが後ろから海羽の口を塞ぎ同時に抱え上げた。手足を抑える手が複数ある事から、相手は複数人居るらしい。

 

「んんっ!?」

「よっしゃ! ずらかるぞ!!」

「ヘイ親分!」

 

 驚きにくぐもった悲鳴を上げた海羽を、フランシスが子分と共に連れ去っていった。

 

 朝早くの時間なので、周囲にそれを見ている者は誰も居ない。

 

「んん!? んんんーッ!?」

 

 叫び声を上げたくても口を布で押さえられている為、思ったような声が出せない。

 

 そのまま海羽は近くに停めてある車に乗せられ、何処かへと連れ去られていくのだった。




という訳で第11話でした。

今回新たに登場したディーパーは、作中で所謂幹部枠に収まる存在です。どんな奴かは今後おいおい明らかになっていきます。

執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!

次回の更新もお楽しみに!それでは。
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