BAR・FUJINOには時折変わった客がやって来ることがしばしばある。変わった趣向の客、変わった格好の客、中にはどこで噂を聞き付けたのか最初から瑠璃とルーレット対決をする為にやって来るような変わり種など色々だ。
そんな変わった客にも顔色一つ変えずに対応してきた瑠璃であったが、この日の客は少し驚かされた。
「いらっしゃ……あら?」
その日店に訪れたのは、何とフランシスだったのだ。それもお供を誰1人引き連れず、自分1人でやって来た。
「よぉ……」
彼の姿を見るなりネイトは即座に警戒を露にしたが、予想に反してフランシスは落ち着いた様子で軽く手を上げるだけでそれ以上のアクションを起こさなかった。
今までにない彼の反応に瑠璃とネイトがちょっと対応に困っていると、2人よりも先に海羽が動きフランシスをカウンター席の端に案内した。
「いらっしゃいませ! こちらへどうぞ」
「あぁ、すまんねお嬢ちゃん」
海羽に促されカウンターの端へ座るフランシスは、とても落ち着いておりとても前々から瑠璃のリールドライバーを狙ってきた一味の頭領とは思えない。
そんな彼にも、海羽は構わず接客した。
「ご注文はお決まりですか?」
「ん~、まずはビールと、軽く摘まめるものを貰おうか」
「かしこまりました!」
恐らく海羽があそこまで平然としていられるのは、何だかんだで彼の弟分であるバーツと親しいからだろう。バーツと仲が良いから、彼の兄貴分であるフランシスやエドワードも自然と気を許しているのだ。
以前の事もあってただの悪党とは違うことは分かっている筈なのに、顔を見た瞬間まず警戒してしまった自分達との違いに瑠璃は海羽の成長を感じ何だか嬉しくなった。尤も同時に寂しさと自分への情けなさも感じずにはいられなかったが。
海羽が一足先に歩み寄っているのだから、自分も彼に少しでも歩み寄らなければ彼女の姉貴分は名乗れないと、瑠璃は軽く自分の頬を叩いて気合を入れ直すとフランシスに注文のビールと摘みの野菜スティックを持って近付いた。
「お待たせしました。ビールとお摘みの野菜スティックです」
「お、どうも」
「……それで、今日は何の御用で?」
フランシスがビールを受け取り、一口で半分ほどを飲み干した辺りを見計らって瑠璃は鉄平や他の客に聞こえない程度の声でフランシスに訊ねた。まさかただ飲みたいから来た、などと言う可愛らしい理由ではないだろう事は容易に想像できる。
それとは別に、瑠璃は海羽がこの場所に彼を案内した理由に気付いた。彼女は瑠璃やネイトがフランシスに話を聞きに行くだろう事を予想して、彼をこの席に案内したのだ。ここなら場所の都合上、声を少し落とせば鉄平や他の客に会話が聞かれる事はない。海羽の気配りに瑠璃は思わず舌を巻いた。
「ん? あぁ……その、何だ? まぁあれだ、バーツの奴が世話になったな。その事で、ちょいと礼をしておきたくてな。ありがとう」
そう言って頭を下げてくるフランシスに、瑠璃は一瞬目を丸くしたが直後に笑みと共に肩から力を抜いた。
「そんなの、ウチだって海羽ちゃんを守ってもらったんだもの。御相子よ。それに渋るあの子を引き留めたのも海羽ちゃんよ。お礼ならあの子に言ってあげて」
「そうか……分かったよ」
穏やかに笑いながらフランシスは残りのビールを飲み干した。瑠璃は空になったジョッキを受け取り追加の酒を取りに向かう。
代わりにフランシスに近付いたのはネイトだった。彼は瑠璃や海羽とは違い、やや緊張した面持ちでフランシスに近付いていった。
「なぁ、あんた……」
「ん?」
「ちょっと聞かせてくれないか? 何でそんなに瑠璃が持つリールドライバーに拘る? お宝ってちょくちょく言ってたが、そりゃ一体何なんだ?」
冒険家の端くれとして、お宝と聞けば気にせずにはいられない。もしそのお宝とやらが考古学的に価値のあるものだったりするならば、瑠璃の記憶が戻る過程で拝める機会に恵まれる可能性もあった。
「さて、な……お宝がどんなのかなんてのは知らんよ。金にさえなれば俺らはそれで充分さ」
「何でそんなに金に拘る?」
「そんなのアイツらを養っていくために決まってるだろ」
「あいつら……って?」
「バーツや子分達さ」
フランシスの一味は皆ここから遠く離れた海外の港町の出身である。そこは治安が悪く、子供達は生きるのに盗みなどを平然と行うような場所だった。
そんな地で、フランシス達は生き延びる為に自然と集まり互いに協力し合って生活してきた。だが所帯が大きくなると当然盗みだけでは生計が成り立たなくなる。
故に彼らは非合法の運び屋と言う職業に就いたのだ。そして集団の中で一番年上のフランシスが、自然と頭領の座に就いた。要はそれだけの話だ。
ネイトはここで漸く彼らが、ただの無頼漢ではなく生きる為に必死に足掻いているだけなのだという事を知った。
「そう、だったのか……」
「ただまぁ、最近はお宝どうするかなって気もしてきてるんだよな」
「え?」
予想外の言葉がフランシスの口から出てきた事に、思わずネイトが言葉を失う。それと同時に瑠璃が追加のビールを持ってきて、話がいったん途切れた。
「はい、お代わりのビール」
「お、サンキュー。ついでにウィスキーも貰えるか? ロックでだ。それとソーセージ盛り合わせも頼む」
「は~い」
瑠璃もすっかりフランシスには心を許したようで、警戒することなく注文に笑顔で答え離れていった。
離れていく瑠璃を見送り、ネイトは改めてフランシスに真意を訊ねた。
「……それで、本当か? リールドライバーを諦めるってのは?」
「まぁ……な。姉ちゃん良い子だし、無理矢理頂戴しちまったらバーツと仲の良いお嬢ちゃんも悲しむだろうしな」
フランシスは他の客の相手で忙しそうな海羽をチラリと見ながらビールを一口飲んだ。
そんな彼の姿に、ネイトは思い切って聞きたかったことを訊ねる事にした。
「なぁ……一つ聞いていいか?」
「ん? 何だ?」
「リールドライバーはアンタらが見つけたって聞いたんだが、その時……島の住民はどうしたんだ? あれ、島で祭壇に祀られてた筈だぞ?」
もし彼らが、島の住民を力尽くで捻じ伏せてリールドライバーを奪ったのであれば、ネイトはやはり彼らを許せない。
だがもし、そうでなかったのだとしたら……
「あ~……あぁ! 俺らが行った時にはもう生きた住民なんて居なかったぞ?」
「何!?」
「うん、誰も居なかった。俺らが行った時には家屋は荒らされてたし、住民だったっぽい奴らの骨だけがあったな」
そもそもフランシス達がその島に立ち寄ったのは、単純に隠れ家として手頃だと思ったからだった。非合法の運び屋である彼らは時に商売相手や運んでる荷物を狙う賊に狙われる事もある。そんな時、賊をやり過ごす為に身を隠す隠れ家が必要だった。
「で、地図にも載ってないあの島を偶然見つけてな。ちょうどいいと思って上陸してみたんだ。先客が居ると大変だからな。だが上陸してみたら、出迎えてくれるのは荒らされた集落と人骨の山だろ?」
「ん? ちょっと待て、俺が行った時には骨なんて一本も落ちてなかったぞ?」
「そりゃそうだ。俺らで全員埋葬してやったからな」
何でも野晒しにされている人骨を見て、バーツが可哀想だからと穴を掘って埋めてやろうとしたらしい。明らかに自然死ではない彼らが今後も雨風に晒されて風化するのは流石に憐れかと、フランシス達もそれを手伝い島の住民の遺骨は全て埋葬されていたのだ。
ネイトが訪れた時には、島の荒され様と住民が1人も居なかった事にショックを受けて墓の存在に気付かなかった。
「そう、だったのか……。それじゃあ、リールドライバーを持っていったのは?」
「ま、あれだ。駄賃として頂戴したのさ。善意だけじゃ生きていけないからな」
言いたい事はあったが、しかし彼らの主観で言えば崇める者が居なくなった以上リールドライバーも風化していくだけだ。それなら自分達の腹を満たす糧になってもらおうと考えるのもある意味当然の事なのだろう。
だがこうなると、島を襲撃したのは誰なのかという疑問が浮上する。島の住民を虐殺したのは一体誰なのか?
ネイトが悩んでいると、瑠璃がウィスキーの入ったグラスとソーセージの乗った皿を持ってやって来た。
「はい、ロックのウィスキーとソーセージ盛り合わせね」
「おぅ、待ってました!」
瑠璃がカウンターにグラスと皿を置くと、フランシスは残っていたビールと野菜スティックを平らげウィスキーに口を付ける。
1人酒と摘みを堪能するフランシスを見て、ふと残りの連中はどうしたのかという疑問を瑠璃は抱いた。彼らは大体一緒に居る事が多いのに、今日は珍しくフランシス1人。彼が1人BARで飲んでいる事を、他の者達は文句を言ったりしないのだろうか?
「そう言えば今日はバーツ達は?」
「今日はアイツらはアイツらで好きに過ごしてる筈だ。今頃は船で騒いでるんじゃないか?」
ソーセージを齧りながらフランシスはそんな事を呟くのだった。
***
一方所変わって、フランシス達が拠点としている船の中では、彼の予想に反して静かな緊張感が漂っていた。
「最近、好き勝手動いてくれている様ね?」
久しぶりに船を訪れた芳江は、8号を背に従え船に残っているバーツ達にそう言い放つ。見目の良い芳江だが、静かに凄まれると予想以上に迫力がある。彼女の放つ威圧感に、子分達は委縮して一か所に固まって身を寄せ合っていた。
だがエドワードとバーツは別だった。特にバーツに至っては今にも芳江に噛み付きそうな顔で睨み付けている。いや、一歩間違えばすぐにでも噛み付いていただろう。それをしないのは偏に、芳江の背後で8号が目を光らせているからに他ならない。目線で語っている。ちょっとでも変な事をしようとすればただでは済まないと。
「何の事だか分からないな」
対して、エドワードの方は冷静だった。落ち着いた様子で、今にも食らいつかんとしているバーツを抑えている。
「貴方達、ここのところ仮面ライダーと仲良くしてるそうじゃない? それはまぁ良いんだけど、ディーパー……あぁ件の怪物の事ね。あれの駆除を貴方達にまでされるとハッキリ言って迷惑なのよ」
「んな事俺らが知るかよ。襲い掛かって来たから始末しただけだ」
「バーツ、抑えろ」
エドワードが宥めるがバーツは止まるつもりは無いようだ。既に彼の手はベクターリーダーに伸びている。それを見て、8号も腰のベルトにプレートを装填しようとした。
一触即発の雰囲気の中、エドワードは努めて場を穏便に済まそうとバーツを宥めつつ芳江にも下がってもらうべく交渉する。
「すまないな。だが俺達とアンタらの契約はここに送り届ける事と、有事の際の護衛だ。護衛は今のところ必要なさそうだが、半分のここに送り届けるって言う契約は果たしてる」
エドワードの言う通り、彼らは芳江の依頼を今のところしっかりこなしている。それに対して、芳江の方は前金を払っただけで彼らに対して相応の見返りを払っているとは言い難かった。
「だがアンタの方はどうだ? 一向にお宝への道筋を教えてくれてないじゃないか。それなのにこの上さらに要求するのか? そいつは厚かましいって言うんじゃないのか?」
「この船に加えて、ロクな武器も持ってなかった貴方達に上等な装備まで用意したのにまだ何か強請るの? 欲張りなのね。貴方達の世界じゃ、強欲な奴は長生き出来ないんじゃなくて?」
「オーケー、報酬の上乗せみたいなことは求めない。だが俺らの生存権は保証させろ。積極的にあの化け物を倒すようなことはしない。だが自衛だけはさせろ」
白熱する議論の最中、芳江が何やら考え込むように黙り込む。彼女は彼女で、何らかの落としどころを考えているのだろう。ここで彼らと仲違いする事は彼女にとっても特にメリットのある事ではない。いざという時、この街から離れる為の足が居なくなる。
「(彼らの方はまだ準備も出来ていないし、暫くはこいつらを上手く使うしかない、か)……いいわ。必要以上に狩ったりしないのであれば、私から文句は言わないわ」
芳江の方も引き下がる姿勢を見せた事に、エドワードが安堵の溜め息を吐く。が、それだと彼らが得をするだけ。そんな事は芳江が許さなかった。
「ただし、私の大切な研究対象を貴方達が必要以上に狩ったりしたのは事実。その分を補償してもらうわよ」
「はぁ!? 何言って――」
「バーツ、待て。……何を求めてる?」
「貴方達、リールドライバーと一緒にコインをいくつか拾ったんじゃない? それを私に渡してほしいのよ。どうせ貴方達じゃ使い道無いんでしょ?」
芳江の物言いに噛み付こうとするバーツであったが、彼女の言う事は事実であった。彼らにはリールドライバーと共に見つけたコイン……ライフコインの使い道が無い。持ってきたのはリールドライバー共々金になるかもしれないからと言うものであって、何かに使おうとも使えるとも思っていなかった。
そしてリールドライバーが瑠璃の手に渡った今、本格的に彼らにはライフコインの活用法が存在しない。猫に小判、豚に真珠とは正にこの事であった。
それを理解しているエドワードは、努めて冷静にバーツを宥めると彼女の要求を飲んだ。その程度でこの場が収まるなら安いものだ。
「分かった、あれでいいなら喜んで渡そう」
「兄貴!?」
「落ち着け、バーツ。彼女の言う通り俺達にはあれの使い道が無いんだ」
「だからって――!?」
バーツとしては彼女にあっさりと従う事は業腹ものだった。この女を図に乗らせたくないと言うのが本心だ。その気持ちはエドワードにも分かる。この場で彼女の要求をあっさりと呑むという事は、両者の関係に明確な上下が付いているという事に繋がりかねない。これ以上彼女にでかい顔をされるのは、エドワードだって気に入らなかった。
だが全体の事を考えればここで諍いを大きくするのは得策とは言えない。この世界は信用第一、ここで癇癪を起して芳江の依頼を放棄した事が業界に拡がれば今度の仕事にも関わる。
何よりフランシスが居ないのに、仕事をダメにするようなことをする訳にはいかない。
エドワードは感情を殺し、島でリールドライバーと共に見つけたライフコイン――裏面に砂時計が描かれた白いライフコイン――を持ってきて、芳江に手渡した。ライフコインを受け取った芳江は満足そうに頷いた。
「確かに……受け取りましたわ」
「それじゃ、今回の事は水に流すという事で」
「えぇ、今後も仲良くやっていきましょう」
芳江は満足そうな顔でライフコインを持って去っていき、8号もその後に続いていった。残されたエドワードは、何とかこの場を丸く収められた事に安堵の溜め息を吐く。
「ふぅ~……」
何とか自分達のメンツは保つことが出来た。そう安堵するエドワードに対し、バーツは腹の虫が収まらないのか近くの椅子を蹴っ飛ばし少しでも苛立ちを発散しようとした。
「クソがッ!?」
「バーツ、落ち着け」
「これが落ち着いてられっか!? あのクソアマ、今に見てやがれ!!」
その後もバーツは暫し荒れた。荒れに荒れて、挙句の果てには酒にまで手を伸ばそうとしてエドワードに全力で止められる。
それから暫くして帰って来たフランシスは、豪く機嫌の悪いバーツに首を傾げ、その理由を聞き思わず頭を抱えるのだった。
***
その日の営業を終え、片付けも終わったBAR・FUJINO。海羽は部屋でベッドに入り夢の世界に旅立っており、鉄平もまた明日の営業に備えて休んでいる。
例外は仕事終わりの晩酌を楽しんでいる瑠璃と、それに付き合うネイトだけであった。
「はい、一杯」
「どうも」
ネイトの持つグラスに瑠璃が酒を注ぐ。氷を入れたグラスの半分まで酒を注ぎ、自分のグラスにも酒を注ぐと瑠璃はグラスの縁をネイトの持つグラスに軽く当て乾杯した。
「んく、んく……はぁ」
初っ端からグラスの中身を半分以上一気に飲み干した瑠璃が、酒精を含んだ息を吐く。その隣で同じくグラスを傾けていたネイトは、酒を堪能する瑠璃の姿を横目で眺めていた。
一見すると何時もの瑠璃と変わりないように見える。だがここ最近、本当に時々だが瑠璃の雰囲気がどこかおかしい事があった。仕事中はともかく、それ以外の準備や片付けの時に何を考えているのかぼんやりしている事が多々あったのだ。現に今も、一杯飲んだだけでまだ大して酔っていないだろうに、酒の入ったグラスを目の高さに掲げてぼんやりと眺めていた。その様子は心ここにあらずと言った感じだ。
一体何時頃からこんなだったかと考え、それが弦二により無理矢理奴の店で働かされてからだという事に気付いた。
もしや知らない内にあの男に何かされたのだろうか? ネイトは少し心配になり、思い切って瑠璃に直接訪ねてみた。
「なぁ瑠璃、あの男の店で何かあったのか?」
「え? な、何で?」
「だってあの店で働かされてから、瑠璃なんかぼんやりしてること多いだろ? 何かあったんじゃないかって心配になるのは当然だ」
ネイトに指摘され、瑠璃は思わずあちゃぁと額に手を当てた。あまり表には出さないようにしていたつもりだったが、思いの外あっさりバレてしまった。
どう誤魔化そうかとも思った瑠璃ではあるが、少し考えて思い切って話した方が気が楽かと思い口を開いた。
「実は……昔の事を少し思い出したかもしれないの」
「!? 本当か?」
まさかの言葉にネイトは思わず聞き返してしまう。瑠璃がセラとしての記憶を少しでも取り戻せたのであれば、それは彼にとって歓迎すべきことだ。
「うん……まだ完全じゃ、ないんだけど。……でも、これ本当に私の事なのか自信が無くて……」
「って言うと?」
「私……どこかの研究所みたいなところに居たの」
「そこで鎖に繋がれて牢屋の中に入れられたり、椅子に縛り付けられて注射を刺されたり……」
「挙句の果てに……その……銃を持った、男の、人達に…………人、達に…………」
下卑た目を向けて近づいてくる男達。そこから先の事は頭に霞が掛かった様にはっきりしないが、その後どうなったのかは容易に想像できる。その光景を思い浮かべ、次第に瑠璃の心から余裕が無くなり呼吸が荒くなる。忌々しい記憶を無理矢理掘り起こしているような気分に、吐き気に似た感覚を感じ気分が悪くなってきた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
段々と気分の悪さが全身に回って来た。変な耳鳴りはするし眩暈で視界が暗くなる。指先の感覚が無くなってきて、グラスが手から滑り落ちた上に酒が零れてテーブルを濡らす。
流石に見かねたネイトが、慌てて彼女を抱きしめ落ち着かせようとした。
「瑠璃!」
「はっ!? はっ!? ひっ!? ひっ!? ひ、きっ!?」
ネイトには瑠璃がどんな過去を思い出したのか分からない。だが話の内容からロクでもない過去なのだろうという事は想像がついた。彼女にとってあまりにも忌々しい過去を思い出してしまった為、精神的に不安定になり過呼吸に陥ってしまったらしい。瑠璃は今、自分で呼吸を制御できず呼吸が出来なくなっていた。
このままだと不味いと、ネイトは瑠璃を抱きしめ彼女の頭と背中を優しく撫でた。
「もういい、瑠璃。もう思い出すな。大丈夫、お前を傷付ける奴はここにはいないから」
「あ、は……ぅ、あぁ。か、は……」
「落ち着いて、そのままゆっくり……ゆっくり息を吸って吐け。ほら、吸って……吐いて……」
「はぁ……はぁ……あ、か……ふ、はぁ……」
ネイトが必死に声を掛け続けたからか、徐々に瑠璃の呼吸が落ち着いて来た。
呼吸が落ち着き、瑠璃の肩から緊張が解れていくのをネイトは感じる。その事にネイトが安堵していると、今度は彼の胸の中で瑠璃が泣き始めた。
「う、く! ひっく! ネ、ネイト……」
「どうした?」
「わ、私……過去を思い出すのが、怖い!? 自分の知らない自分を知るのが、怖いよ!? セラに、セラに戻りたくない…………私、瑠璃のままで居たい!?」
子供の様に震えて涙を流す瑠璃の独白を、ネイトは黙って聞いていた。彼女が口にする内容は、ネイトからすれば胸を締め付けられるようなものである筈なのに、彼はその事に胸を痛めた様子がない。ただただ彼女の涙を静かに受け止め、子供をあやす様に彼女の背を撫でるだけであった。
どれ程そうしていたか、気付けば瑠璃は泣きながら寝てしまっていた。ネイトは涙の後を残しながら眠る瑠璃の寝顔を優しく見て、彼女を横抱きに抱き上げると部屋へと運びベッドに寝かせた。寝かせる際、寝返りなどで彼女が苦しい思いをしないようにと衣服のボタンやベルトを緩めてやり掛け布団を被せてやる。
その頃には瑠璃の寝顔も安らかになっており、ネイトは残った涙の後を優しく拭い彼女が起きない程度に頭を優しく撫でた。
瑠璃が穏やかに眠っているのを見届け、部屋を後にして晩酌の後片付けをしようとネイトが立ち上がった。その瞬間、机の上に置かれたリールドライバーの羅針盤が回り始めた。
「ッ!? こんな時に――――!」
思わず舌打ちしながら、ネイトはリールドライバーを手に取ると彼女が眠っているのを確認して部屋を出た。
寝静まった夜の街を、リールドライバーの導きに従って駆け抜ける。
暫く走っていると、目の前から1人の女性が息を切らせて走って来るのが見えた。どう見てもただ事ではない。
「どうした?」
「あ! あ、あの、怪物!? 魚の怪物が出たんです!? 友達があっちで襲われて!?」
「早く逃げろ」
逃げてきた女性を押し出す様にして逃げる事を促しつつ、自分はディーパーが出現した方に向け駆けていく。
程無くして彼はディーパーの姿を確認した。先程の女性の言う友達だろう、1人の女性の死体を貪っている。
「チッ、このくそ野郎が――――!」
ネイトの悪態に気付いたからか、ディーパーは女性の死体を貪るのを止め立ち上がり振り返った。
「グルルルル――――!」
「ほぉ、今度は俺を食おうってか? 残念だったな、俺を食って良いのは1人だけだ」
スピンドライバーを装着しながら、ネイトは目の前のディーパー――鮭の様な見た目をしているサーモン・ディーパー――を睨み付ける。
〈Catch your fate〉
「変身!」
〈Fever!〉
オケアノスに変身したネイトがサーモン・ディーパーに殴り掛かると、同時にサーモン・ディーパーもオケアノスに向け飛び掛かる。同時に動き出した両者だったが、先に攻撃を当てたのはオケアノスの方だった。
「おらぁっ!」
握り締められた拳が、サーモン・ディーパーの横面に炸裂し電柱に叩き付ける。殴られた衝撃で歯が何本か折れたらしく、地面には歯の欠片が転がった。
「悪いな、今日の俺は機嫌が悪いんだ。何時も以上の容赦はしねぇ!」
〈BINGO! Weapon release. TEMPEST WHIP〉
テンペストウィップを召喚し、オケアノスはサーモン・ディーパーを何度も打ち据える。サーモン・ディーパーは縦横無尽に動き回る鞭の動きに翻弄され、回避も防御も儘ならず一方的に鞭に打たれてばかりだった。
彼がここまで苛立っているのは言うまでも無く先程の事が原因である。だがそれは瑠璃が過去を思い出す事を嫌がったからではない。彼女が怖がるような過去を、思い出す引き金を自分が引いてしまったからだった。
確かにセラであった時の事を思い出してほしいとは思う。思い出してほしいが、その過程で彼女が苦しむ事を彼は望んでいなかった。
瑠璃にセラとしての過去を取り戻してほしいと思う気持ちと、彼女に苦しんでほしくはないと言う気持ち。二つの気持ちがぶつかり合い、鬩ぎ合った結果彼の心はどうしようもない自分への怒りを感じずにはいられなかったのだ。
「おらぁぁぁぁぁぁっ!!」
渾身の怒りを込めての鞭打ちが、サーモン・ディーパーの表皮を切り裂き骨を砕いて地面に倒れ込ませる。ドロップチップを撒き散らしながら倒れたサーモン・ディーパーの姿に、ネイトはトドメを刺すべくチップケースをベルトに装着した。
〈All in〉
「こいつで決めてやる!」
〈Seven! Seven! Seven! Three of a Kind Seven! Fever!〉
ダメージからサーモン・ディーパーが立ち上がると同時に、サーモン・ディーパーの胸板にオケアノスのビッグウィンフィニッシュが炸裂。その威力に耐えきれなかったサーモン・ディーパーは、大きく吹き飛ばされながら爆散した。
「ふぅ~……」
サーモン・ディーパーを倒した事を確認し、立ち上がりながら一息つくオケアノスはチラリと女性の遺体に目を向ける。ここに来るまでの間にサーモン・ディーパーにより貪られ、体の一部が欠損したその姿は遺体でありながら痛々しく思わず仮面の奥で顔を顰めた。
「……ひでぇ事しやがる」
改めてオケアノスはここに来たのが自分1人で良かったと思った。瑠璃は一足先に幾度か見た光景であろうが、それでも好き好んで見せたい物ではない。
オケアノスは遺体に近付くと、恐怖と苦痛で見開かれた目をそっと閉じさせ黙とうを捧げると、変身を解除しそのまま警察に連絡した。このまま遺体を野晒しにしておくのは流石にあんまりだ。
ネイトはそのまま暫く、警察とS.B.S.T.が到着するまでその場で待ち続けていたのだった。
***
その頃、街の地下の研究所では、芳江がバーツ達から巻き上げたライフコインの解析を行っていた。彼女の背後には、控える様に8号が佇んでいる。
「フフフッ……これは思わぬ拾い物だったわね。これならもっと早くに取り上げておくべきだったわ」
芳江が行っているのはライフコインの活用法の模索だった。テテュスの力の源がライフコインである事は一目瞭然。ならばそれをシーシェイブに何らかの形で応用できれば…………
その日、芳江の研究室から灯りが消える事はなかった。部屋からは時折芳江の笑い声が響き、キーボードを打つ音が止むこともなかったが、その事に気付く者は誰も居なかった。
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次回の更新もお楽しみに!それでは。